「おい若造! 割り込むんじゃねぇや!」
「ぁあ!? 俺は元々ここに並んでたんだ! その証拠に、足もとに荷物が置いてあんだろうが!」
 冥府に続くエレベーターの列で、この日も喧嘩が勃発していた。
「荷物で場所取りなど、ルール違反じゃ!」
「なんだと爺!? そんなん、どこに書いてあるってんだ、やんのかゴラァ!?」
 もっとも、最近では冥府のそこかしこで殴り合いの喧嘩が発生しており、この程度の口論というのは、決して珍しいものではなかった。
「これこれ、そなたたち。死してまで、そうカリカリおしでないよ」
「おい死神! もとはといえば、テメェが俺たち死者をしっかりもてなさねぇから悪ぃんだろうが! ちょっとは頭使って考えろ!」
「まったくだ! 税金分、ちゃんと働け!」
 冥府の神様が宥めに行けば、逆に当事者の二人から怒鳴られる始末だった。
 もっとも、ここは公的機関ではない。当然、冥府の神様は税金など一円も支給されてはいないから、『税金分、ちゃんと働け』というのは、まったく的を射ない指摘ではあったのだが。
 冥府の神様は、ガックリと肩を落とし、消沈しきった様子で事務所へと戻っていった。
「はぁ~。かつての死者は皆、もっと穏やかに旅立っていったものですよ。それがまさか、神がもてなしを要求される日が来ようとは思ってもみませんでした。これも時代の流れでしょうかねぇ」
 事務所のデスクで、地上儀をクルクルと回しながらこぼす。
 ちなみにこの、見た目まんま地球儀と同じ「地上儀」というのは、冥府の神様の望む通りに、地上の出来事をなんでも映してくれる便利な道具だ。
「とはいえ、『ちょっとは頭使って考えろ』とまで言われてしまっては……。うーむ、余裕のないこの時代に合わせて、何某か対策の手を打つ必要があるのでしょうねぇ。なにかいい手はないものか……うん?」
 その時だった、冥府の神様の目と耳に、のんきな笑顔と鼻歌が飛び込んだ――。
「おいしいご飯に、ぽかぽかお風呂~♪ あ~ったかい布団で眠~るんですよ~♪」
 冥府の神様は、地上儀にガバッと噛り付くようにして、のんきに鼻歌を歌いながら鍋を掻き混ぜる女性に見入った。
 彼女が掻き混ぜる鍋の中身はシチューで、大きめにカットされた具材がたっぷりと浮かんだそれは、見るからにおいしそうだった。
 冥府の神様が、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまったのも、不可抗力というものだろう。
「さぁ、でーきた」
 テーブルにドンッと、温かな湯気が立つシチューを置いて微笑む彼女の名前は、広岡のどか。
 ……なんとも、大らかでのんびりとした名前である。
「おいしいご飯が食べられて、ぽかぽかお風呂に温かい布団があれば、これって最高の幸せよね~。いっただっきまーす!」
 のどかが、匙に大きく掬ったシチューを頬張る。
 口にした瞬間、のどかの頬がほんわぁ~っと綻ぶ。その幸せそうな笑顔に、目を皿のようにしてのどかの一挙手一投足を見ていた冥府の神様の頬も、一緒にほんわぁ~っと綻んだ。
 この瞬間、冥府の神様の心は決まった――。

***

「冥府に旅立つ死者たちに、おいしいご飯を食べさせてやってくれませんか? さすがに冥府行きのエレベーターホールに、風呂屋や宿屋は造れません。けれど、食堂ならば造れます!」
 シチューを粗方食べ終えたところで、突然目の前に現れた冥府の神様に、のどかはパチパチと目を瞬かせた。
「……失礼、申し遅れました。私は冥府を統べる神をしている者です」
「あ、これはご丁寧にどうも。私は広岡のどかといいます。実はちょうど先日、派遣切りにあってしまって……なので今は恥ずかしながら無職で、お返しする名刺がなくってすみません」
 冥府の神様が名刺を差し出しながら告げれば、のどかは丁寧に受け取った後で、恥ずかしそうに口にした。
「なんと! それはむしろ、好つご……っと、失礼。名刺など、構いません。それでですね、今回こうして私がやって来たのは、先に申しましたように、あなたにお願いしたいことがあったからで――」
 冥府の神様は、前のめりでのどかに熱弁をふるう。
「――死してまで、イライラした心のまま旅立っていくというのは、とても寂しいことです。私は彼らに、幸福を感じながら旅立って欲しい。そうして、あなたの料理がそれを実現するカギになると、私は確信しました! どうか冥府に旅立つ者たちに、料理を作ってはいただけませんか!?」
 冥府の神様は長い語りの最後を、更に前のめりになりながら、こんなふうに締めくくった。
「私でよければ喜んで! ちょうど求職中だったので助かります。それに大好きな料理を仕事に出来るなんて、こんなに幸せなことはありません」
 ツッコミどころ満載の求人に、のどかは元来のおおらかさで即答した。
「ええっと、ところでこの仕事って、パートとかアルバイトって扱いになりますか?」
「いえいえ、とんでもない。あなたさえよかったら、正規職員としてフルタイムで働いていただきたい。給与は優遇いたしますし、福利厚生も充実していますのでご安心ください」
「わぁ~、なお嬉しいです! 冥府って、働きやすいんですね」
 こうしてトントン拍子、のどかは冥府(正確には、冥府に向かうエレベーターホール)で食堂を営むことを決めた。
「……あの、ところでそのシチューは、とてもおいしそうですね」
「あら、私ってば気づかなくってすみません。たっぷり作ったので、いっぱい食べていってください! ……あ、そろそろ午前中に冷やしておいたプリンが固まってるかも。よかったら、プリンもいかがですか?」
「ぜひ! プリンもちょうだいします!」
 冥府の神様は、ご満悦でのどかのシチューとプリンに舌鼓を打った。


 冥府に向かうエレベーターホールにポツンと建つ食堂。
「はぁ~、うまかったなぁ。なんだかここは、天国のようだ」
 A定食を完食した老爺が、幸せそうに頬を緩ませた。
「よかったです。だけどおじいちゃん、ここはまだまだ序の口ですよ。このホールを昇った先に、あなたにとって本当の天国が広がっています」
「そうか、そりゃいいな。きっと、先に逝った家内が儂のことを、首を長くして待っているに違いない。どれ、少々並びそうだが、そろそろ行って列に並ぶとするかな。ごちそうさん」
 カウンター越しののどかに穏やかな微笑みを残し、老爺は食堂を後にする。
 すれ違いに入店した冥府の神様は、老爺の穏やかな表情を横目に見て、先の決断に自信を固めていた。
「やはり、あなたに食堂をお願いしたのは大正解でしたね」
「どうしたんですか、藪から棒に。おだててみたって、完売しちゃったA定食はもう、出ませんよ」
 冥府の神様の開口一番に、のどかはやわらかな笑みで答えた。
 客を出迎えるのどかの微笑みも言葉も、いつも嫌味がなくて優しい。ここに足を踏み入れるたび、冥府の神様はいつだって、心がふわりと綻ぶような心地を覚えていた。
「おやおや、それは残念だ。では、C定食をお願いします」
 口では残念と言いながら、冥府の神様の本心は違っていた。もともと、A定食の焼き魚には、あまり興味がなかった。本当は入店前から、C定食の肉じゃがに決めていたのだ。
「はい、ただいま」
 のどかは気持ちのいい返事をして、冥府の神様にくるりと背中を向けると、さっそくC定食の用意を始める。
 のどかが大鍋の蓋を空ければ、甘じょっぱい香りがふわりと立ち昇る。
 カウンター越しにも届くおいしそうな香りに、冥府の神様はクンッと鼻をひくつかせた。
「ほぉ~。あたしが頼んだB定食の中華丼もおいしかったけど、肉じゃがもおいしそうだねぇ」
 冥府の神様の隣の席に座っていた老婆も、肉じゃがの匂いにつられて鼻腔を膨らませる。
「こりゃ、次の時はあたしも肉じゃがを……って、そうだった。あたしに次はないんだったねぇ」
 嬉々として声をあげた老婆は、途中でハッと気づいた様子で、残念そうに声を低くした。
 すると、すかさずのどかがカウンターの向こうから、小さめの椀を老婆の前に差し出す。
「え?」
「おばあちゃん、お腹がいっぱいかもしれませんが、せっかくですから肉じゃがの味だけでも見ていかれてください」
「いいのかい?」
「もちろんです。肉じゃがは各家庭によって味付けが違います。ここの肉じゃがが、お口に合うといいんですけど」
 のどかの言葉に、老婆は顔をクシャリとさせて、目の前に差し出された椀を受け取った。
「ありがとう、お嬢さん。ちょうだいするよ」
 老婆は置いていた箸を再び持つと、お椀の肉じゃがを丁寧に口に運ぶ。
「……なんて優しい味なんだろうねぇ。この肉じゃがも、先にいただいた中華丼も、とってもおいしかった。最後にこんな心尽くしの食事がいただけるなんて、なんて幸せなことだろうねぇ。……お嬢さん、ごちそうさまでした」
 全て食べ終えた老婆はそっと箸を置くと、柔和な笑みをたたえながら食堂を後にした。
「すみません、お待たせしてしまって。お詫びに小鉢で、B定食の中華丼をサービスしています」
 老婆を見送ったのどかが、冥府の神様の前に、中華丼の小鉢がひとつ余計に乗ったトレイをトンッと置く。
「それはありがたい。中華丼もとてもおいしそうだ、いただきます」
 のどかの食堂ができてから、冥府に向かう者たちの表情は、格段に穏やかになっていた。のどかの食堂でお腹と心が満たされた彼らは、行列で待たされたり、誰かと肩肘がぶつかったり、それくらいのことでは目くじらを立てなくなったからだ。
 だけど変化したのは、冥府に向かう者たちばかりではなかった。のどかとの出会いによって、冥府の神様もまた、己の心がかつてとは段違いに穏やかに、優しくなっているのを感じていた。
「……あぁ、先ほどの女性が言っていた通りですね。どちらも、とても優しい味がします」
「よかった。ゆっくり召し上がってください」
 ひと口頬張れば、体だけでなく、心までもがじんわりと温かになっていく。これは、のどかの料理を口にした全員が抱く、共通の感覚だった。
「すみませーん。C定食お願いします」
「こっちはB定食ね」
「はーい、ただいま」
 続々と来店する客に笑顔で応対するのどかの姿は目にまぶしく、冥府の神様はスッと双眸を細くした。そうして手際よく注文品を用意するのどかの手もとを見つめながら「もしかして、のどかはなにか魔法でも使っているのだろうか」と、こんな神には似つかわしくない非現実的なことを思っていた。

 今はもう、冥府に向かうエレベーターホールに喧嘩はない。のどかの食堂を中心にして、いつだって人々の穏やかな微笑みが溢れている――。


【ストーリーの全容】
「殺伐とした冥府」×「おいしいご飯」=「みんなハッピー」

【登場人物の設定】
・冥府の神様:死者たちが、カリカリと喧嘩を繰り返す現状に心を痛めている。
のどかの雇用主。のどかのご飯が大好き。だけど本当は、のどかが大好き。
・広岡のどか:料理が大好き。冥府の神様と出会った当初、派遣切りにあって無職。性格はとってものんびりとして、おおらか。
冥府の神様に誘われて、冥府に向かうエレベーターホールで食堂を営む。

【大きな流れ】
死してまで喧嘩を繰り返す人々に悩む冥府の神様が、
のんきでおおらかで、とっても料理上手な女性に出会い、
おいしい料理が死者たちの心を幸せにする可能性に思い至り、
冥府(正確には、冥府に向かうエレベーターホール)の食堂の料理人にスカウトし、
冥府の平和と自身の幸せをゲットします。

作品を評価しよう!

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:9

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

月の神様と少女

総文字数/4,448

あやかし・和風ファンタジー1ページ

本棚に入れる
表紙を見る
きょうだい児

総文字数/9,297

青春・恋愛4ページ

本棚に入れる
表紙を見る
神さまがくれたおばあちゃんとの時間

総文字数/29,982

ヒューマンドラマ7ページ

本棚に入れる
    表紙を見る

    この作品を見ている人にオススメ

    読み込み中…

    この作品をシェア