ガシャ――という音だった。
静寂が支配する校内に唯一こだまするそれは、私の恐怖心と好奇心を刺激した。
ガシャ、ガシャ、ガシャ――
音の発生源に近づいていくと、『ガシャ』という音色がより鮮明に聞こえてくる。
「理科準備室……」
ついに辿り付いた場所は、学校のオカルト話をする上では定番とも呼べる所だった。むしろベタすぎると言ってもいい。
人体模型に謎の薬品にホルマリン漬け、エトセトラエトセトラ。
カルト的なものをパッと挙げるだけでも数える指が足りなくなる。
「でもここから音がするのは間違いない」
ガシャ――ガシャ――と、今も室内からハッキリと聞こえてくる。
まさか本当にオカルト現象と遭遇するだなんて、と今になって尻込みしそうになる。
取って食われてしまったらどうしよう。呪われてしまったらどうしよう。
そんな突拍子もない心配や不安が頭を過るのだ。
「けど……」
自分にだってここで退けない理由があるのだ。
そもそもこの音の正体が本当にオカルト的なもの――例えば幽霊とか、妖怪だとは限らないではないか。
オカ研に所属しておいて言うのもなんだが、元来私はそういう非科学的なモノは信じないのである。
「行こう……」
念のため持ってきておいた金属バッドを右手に装備。
録画モードにセットしたスマホを左手で構える。
万が一の事態があればバッドという物理攻撃で……いや、たぶん一目散に逃げるべきなんだろうけれど。
――ガラリ!
覚悟を決め、理科準備室の扉を勢いよくスライドさせる。
はたして音の正体は何なのか、ごねていても仕方がないと私は一気に行動を下した。
「ガシャ、ガシャ、ガシャ、ガシャ、ガシャ、ガシャ、ガシャ――」
やはり音の出所はこの部屋で間違いがなかった。
しかしそこで見た光景は信じられない――否、信じたくはない光景であった。
「な――」
露骨なまでに白く、細く、冷たい雰囲気を放つ。
当然だろう、だってそれは骨だったのだから。
「――こんな時間に人間がいるとは珍しいじゃねぇか」
骨は喋った。見た目に似合わず颯爽とした男の声をしていた。
彼は私と目が合った後、こちらにゆっくりと近づいてくる。
動く度に肉のない関節から『ガシャ』『ガシャ』と効果音が響く。
骨同士がこすれることによって、この不気味な音は生じていたのだ。
「あ、あなたは――」
その未知なる存在に、私は呆然となってしまう。
「俺はあやかし――俗に『がしゃどくろ』などと呼ばれる存在だ、可愛いお嬢さん」
彼は笑顔で『がしゃどくろ』だと名乗った。
表情を作る皮膚や筋肉はないので、笑っていたと勝手に勘違いしたのかもしれない。
とにかく全身骨の男は自己紹介をしながらも私に迫ってくる。
「逃げてもいいんだぜ? 追いかけっこは得意なんだ」
若干キザな口調で、挑発のようなものを受ける。
確かに普通であれば全力で逃げるべき場面だろう。
しかし焦ってはいけない。冷静にどうするべきかと私は思考する。
その末に――
「あ、」
「なんだ? 恐怖で動けないか? それはそれで構わないぜ。追いかける手間が省け――」
「悪霊退散……ッ!」
スマホを投げ捨て、金属バッドを両手で握る。
それから全身全霊をもって振りかぶる姿勢を取った。
「死んで成仏してください……!」
「え、あ、おい、ちょっとま――」
「これが文明の利器、砕け散れ――っ!」
戦うことを選択するとは思っていなかったのだろう、がしゃどくろは回避もできずあっけなく攻撃を食らってしまう。
私は金属バッドをもってして、出会って早々あやかしを倒してしまったのだった。
「……ふぅ、危なかった」
冷や汗をかいた額を拭い一息つく。
信じられないことに『がしゃどくろ』が存在し、なおかつ襲いかかられそうになるとはこれまでの人生想像だにしなかった。
「しかも退治までしてしまうとは……」
我ながら自分の行動力に驚いてしまう。
それからバラバラになった骨の残骸を見て、昔言われたことを反芻する。
それはかつてオカルト研究部の部長から聞いた話なのだが、『がしゃどくろ』というのはあやかしの中でも〝悪〟に類する存在だという。
曰く死者の怨念が集まって生まれたそうで、生者を見つけては襲って喰らうらしい。
一見可哀想なことをしてしまったようだが、長い目で見ると私は人類にとっての善行を働いたのかもしれない。
「おい小娘、勝手に俺を成仏させた気になんじゃねぇよ」
「――え」
振り返ると、地面に転がったドクロが喋っているではないか。
「う、嘘……まだ生きて……」
「よくもやってくれたなオォォォォイ!? マジで許さんぞ――って、待て待て! バッドを振りかざすな!」
「でもあなた私を――」
「喰わない喰わない! ホントに喰わないから!」
「本当に……?」
「ああ。まず俺は人食は好まない。生粋の草食系なんでな」
……うさんくさい。
生きている男の「オレ草食系だから、性欲とか全然ないから」ぐらい信用できない。
「じゃあ分かった、こうしよう――俺がお前の願い事をなんでも1つきく。だからバッドを降ろしてくれ」
「……なんでも、ですか。後から願いの対価とか要求しないですよね?」
「しないしない。仏様に誓う」
あやかしが仏様に誓うっていうのはどうなんだと思うけれど、私だって好き好んで意思ある人(人じゃないけれど)を攻撃したくない。
分かりましたと言って私は頷いた。
「……ったく、普通の女子高生は慌てて逃げるか、泣いてうずくまるかのどっちかなんだけどな」
「それ、私が普通じゃないって意味ですか?」
「そうだよ! どこにあやかしと金属バッドで戦うJKがいるんだよ!」
確かにと相づちを打ってしまう。
「とにかく、まずはそこら中に散らばった俺の骨を集めてくれ」
「? 骨壺とか用意した方がいいですか?」
「だから勝手に弔おうとするなって!」
「すいません……」
「俺はな、大体のパーツを集めれば復活できるんだよ」
「へぇ、便利ですね。不死身じゃないですか。骨だけの分かなり脆いですけど」
「ちょいちょい攻撃的なこと言うよなお前。もしかして俺のこと嫌いなんか?」
「逆になにか好きになる要素ありましたっけ?」
がしゃくどくろさんはウダウダとなにか小言を喋っている。
私の態度がお気に召さないようだ。
その中で私は自分が粉砕して飛び散らかしてしまった、骨のパーツをホウキを使ってそれはもう一生懸命に収集した。
理科準備室は面積が広い上に物が多く、狭いところに入ってしまった骨々を取るのは難儀極まったのである。
それでも数十分かけて8~9割は集まったというところで、
「よし。これだけあれば十分だ」
彼が集中すると、骨たちは不思議な力でもって自然と合体し、元の形へと戻っていく。
あっという間に出会った時と違わぬ姿に復活を遂げたのだった。
ちゃんと見てみると意外と大きい背丈をしている。
180センチ以上はありそうだ。
「礼を言うぜお嬢ちゃん。といっても壊したのはお前だが」
「最初に脅かしてきたあなたが悪いと思うんですけど」
「……自業自得と言われちゃ反論はできないんだけどな」
彼は近くにあった机に座り足を組む。
人間のようなその仕草に一瞬驚いたが、元が人だったのだから当然かと思い考えを改める。
「で、お嬢ちゃんは――」
「怜です」
「?」
「霊ヶ峰怜といいます」
正直お嬢ちゃんと呼ばれると歯がゆい。
そう思っての申し出だった。
「っは、あやかしに名乗るとはな」
「いけませんか?」
「いいや。いけてるよ」
「問題ないなら良かったです。がしゃどくろさん……と呼び続けるのも他人行儀ですね。名前ってあるんでしょうか?」
「名前はない。好きに呼べば良いさ」
「じゃあ――どくろさんで」
「な、なんか可愛いすぎる気もするが……まぁいい」
ゴホンと咳払いをするどくろさん。
本当に一挙一動は人間のようだ。
私たちとの違いは――その肉体だけ。
「それでだ、怜」
改めてちゃんと向き直ったどくろさんは、真っ黒な眼窩で私を見つめてくる。
(あ――)
ドクンと心臓が跳ねた
どうしてか、私はその穴に一瞬吸い込まれそうになった。
ポッカリと空いた黒い空白に、特別な〝なにか〟を感じたのだ。
しかしどくろさんの科白が続いたことで、この場でその感情をより深く考え、また言語化することは叶わなかった。
彼は、お前がさっき言った通り俺は悪しきあやかしだと断った上で、
「――お前の願い事はなんだ?」
一転、ゾッとするような重い様相でそう投げ掛ける。
「俺は悪鬼羅刹の権化たるもの。いかなる悪行非業もお任せあれ。なんなら嫌いな人間の名を言ってみろ。見事真っ赤に散らしてやる」
言葉の最後は「俺は草食系、血のように赤い桜が好きなんだ」で結ばれた。
――願い事をなんでも1つ聞く。
すっかり忘れていたけれど、それは彼を助命する上で交わした約束だった。
私には、願い事をする権利がある。
「さぁさぁ。嫌いな人間の1人や2人いるだろう? 言ってみ?」
「なんで嫌いな人を殺してもらうのが前提なんですか……」
混乱を極める現代社会に生きる者として、もちろん気の合わない人だっている。
「けれど世の中って結局はバランスだと思うんですよね。自分にとって都合の良い展開だけが続くなんてことはない。そもそも好きと嫌いは裏返しで、どちらか一辺倒にするのなんて無理な話ですし」
「つまり……どういうことだ?」
「要するに、例えドクロさんに私の気に入らない人を殺ってもらったところで、私の生活は何も変わらないってことです」
ドクロさんは腕を組んで頭をひねっていた。
もう少し話を深掘りしても良いかと考えたが、補足し出すと歯止めが利かなくなりそうと思い踏みとどまる。
今肝要なのは『願い事』をどうするかの一点である。
「話を聞いてるとやっぱ変なやつだよなお前。皆から変わり者って言われないか? イジメとか受けてない? 学校生活は大丈夫か?」
「失礼な。あやかしに心配されるような境遇じゃないですよ。順風満帆です」
「あ、そう。でも友達少ないだろ?」
「私は少数精鋭を好むんですよ」
「……やっぱ少ないんだな」
数が全てじゃないさと優しく肩を叩かれる。
……なぜわたしはあやかしに同情されているのだろうか。
「――結局どうする? 願い事はあるのかよ?」
もうなんでもいいやという風で彼は話を戻す。
最初どくろさんの殺す云々で脱線したが、私は既に願い事を決めていたのだ。
「願い事……というほど仰々しいものじゃないですが、私の取材に協力をして欲しいんです」
「取材?」
「はい。私は今日ひとりぼっちで肝試しに来たわけじゃないです」
「まぁ金属バッド持って肝試しはしないわな。それどころか出会ったばかりのあやかしを物理破壊したりしないわな」
「殴ったことを根に持たれているような気がしますが……とにかく、私の今夜の行動にはちょっとした経緯があってですね」
それは今より数時間前。
まだ校内にも活気があった放課後にまで遡る――
※
「――学校新聞に載せるためのスクープを取ってこい、ですか?」
年に数回来るかどうかのオカルト研究部の部室。
部長になぜか呼び出された私は突然命令を受ける。
「そ。来月号のね」
「なんで私が……」
正確には「なんで幽霊部員の私がそんなことを……」である。
「ワタシらの高校はめんどくさいことに、生徒全員がなんらかの部活に所属しなくちゃいけないってルールがある。霊ヶ峰さんが楽だからっていう理由で、学校から腫れ物扱いのオカ研に所属してるってのは理解しているさ」
腫れ物扱いというか……この部が不思議集団と周囲から目されているのはまぁ事実だ。なにせ所属しているメンバーが数人ながらも私以外ガチなのだから(本当に儀式をやったり、変な格好をしている人がいる)。
普通――と呼ばれる生徒が入部することはまずない。
そういった理由から、ルールに対する最高のカモフラージュとして機能すると見込み、迷うことなく入部をした経緯が自分にはある。
「ワタシもこういう変な伝統ルール嫌いだし、幽霊部員のことはこれまでは黙認していたんだけどさ。でもちょっと前に来年度の部活予算配分についての会議があってさ」
「予算についての会議、ですか」
「うん。それでオカ研って変人集団と勘違いされやすいじゃない?」
「されやすいというより事実だと思いますけど……」
逆に健全な文化部だと思っているのだろうか?
「それで周りがうるさいわけよ。文化部として具体的な実績を見せろって」
「実績……」
「ようは予算の出し渋り。変な部活にはお金回したくないのよ」
「大変ですね……」
「他人事じゃないよー。今少ない部員たちはそれぞれ文化に貢献できることをしようと躍起になってるんだから」
今度の会議で各部員がこれこれこんなことを真剣に研究・調査をしていると提言したらしい。
「だから今回だけ、今回だけでいいからさ。霊ヶ峰さんにもなにかしら活動をして欲しいってわけ」
「まぁ……普段隠れ蓑にさせてもらっているわけですし構いませんけど」
事情は分かった。
多少なりとも部に恩義があるわけで、この要請を断るほど私は冷たくない。
「ただ急に興味ないオカルトを研究しろとか言っても難しいだろうし」
「こんな私でも取り組みやすいのが、スクープってことですね」
「そそ。まだ学校新聞のオカ研枠が埋まってなかったし、実績作りには丁度いいかなって」
写真や映像で収めればそれで完了する仕事。
本物のオカルト現象に遭遇できなくとも、最悪それっぽいものを撮れれば済む話である。
「部長、色々配慮してくれたんですね……」
彼女の優しさにひしがれる。涙が出てきそうだ。
いつも言動がはちゃめちゃだから誤解していたが、こんなにも人のことを想いやれる人だったんだと理解させられる。
「私、もう少し真剣にこの部のこと――」
年に数回しか来なかったけれど、オカルトに対する興味なんてミジンコサイズ以下で微塵もないのわけだけれど。
ちょっとだけ真剣で向き合ってもいいかもしれないと考えていた――が、
「まぁぁぁなにせ部費が賭かってるから! 霊ヶ峰さんは幽霊部員だから、 きみが使わない分のマネーが浮く! つまりフリーダムにワタシが使えるわけで!」
ここに来て本音ダダ漏れである。
「世は苛烈なる資本主義。弱き者から死んでいく。いやぁ世辞辛いねぇ」
「…………」
「あれ、どうしたの無言になって? お腹でも痛い?」
「いえ、さっさとスクープ取って仕事終わらせようかと」
「仕事熱心なのはいいことだね! もしかして遂にオカルトに興味を――」
「まったくないです」
「でも米粒ぐらいには――」
「米粒どころか分子レベルでありません」
「ありゃー、マイクロサイズでないわけか」
「もっとです。ナノサイズですよ」
私はその後もよくわからない掛け合いをした末に帰宅。
厄介な仕事は早急に片付けるべきとして、早速夜に学校へ行くことを決断した。
求めるはただひとつ――記事になるようなオカルト現象のスクープである。
※
「――という事情があったわけです」
どくろさんに簡単に回想を語った。
「ようはお前が今後もサボり続けたいがために、ひいては幽霊部員としての立場を保持し続けたいがために、スマホ片手に学校を歩き回っていたってことだな」
「根本的に悪いのは旧時代に囚われ続ける学校の規則であり、私のこのサボりたいと揶揄されてしまった感情は、自分の時間が欲しいというもっと前向きなのものですよ」
「また無駄に弁が立つのな……」
「褒め言葉として受け取っておきますね。余談ですけどどくろさんのような存在でもスマホを知っているんですね」
「そりゃずっと学校にいるからな。長く見てりゃ自然と理解しちまう。スマホってのは確かスーパーマーボホーラーから来る略称だよな?
「全然知らないんじゃなですか……」
スーパーマーボホラー。直訳するとすっごい不思議で怖い……だろうか?
意味不明である。
詳しく訊いたらまた長そうだし黙っておこう。
「そういうことで協力して欲しいというのが私のお願い事です。ではさっそくですけど適当にポーズ取ってもらっていいですか?」
「ポーズ? またどうして?」
「だって探さなくたって目の前にオカルト現象――もといあやかし『がしゃどくろ』がいるんですから。これを写真なり動画に収めれば仕事は完了です」
つまり私は、この時点でもう事は片付いたと勝手に考えていたのだ。
しかしさっき自分が言った言葉を思い出すべきだった。自らを戒めるべきだった――都合の良いことばかり起こるはずがない、と。
どくろさんはガシャガシャと不気味な音を立てて笑い出す。
それはもう面白おかしそうに、笑う。
「勘違いしてるぜ、怜」
「勘違い……?」
「おう。俺たちあやかしやそれに類似する存在ってのは、普通の人間は見ることができない。霊感があるやつだけが視認することができる」
「……まぁそうですよね。信じたくないですけど私にも一応霊感があるんでしょう」
どくろさんは一体どこに勘違いがあるというのだろう?
「実はな、それは道具に対しても同じことが言える。俺たちは普通の道具では映すことができない」
つまり――
「お前達が持ってるカメラとかスマホじゃ、そもそもあやかしは撮影できないってことさ」
「――ほ、本当に映らない……」
自分のスマホをどくろさんに向けるが、画面には影も形もない。
私の瞳だけに彼はいる。
「じゃあテレビでよくある心霊特集、あの時見せられる写真や映像は――」
「ま、ほとんどが作りもんだろうよ」
「なんて夢のない……」
「怜は元々あやかしを信じてなかったんだろ? あれがパチモンだって分かってたんじゃないのか?」
「オカルトは信じていませんでした。でもそれ以上に、自分で言うことじゃないかもしれませんが……私はこれでも純粋なんです」
「はっはー! 確かに自分でいうことじゃないわな! 純粋ほどお前に一番似合わない言葉はないね!」
ガシャガシャと音を立てて笑われる。
「サンタクロースを信じてます」
「お前小学生かよ! くくく、嘘つくのも大概にしとけ。高校生にもなってそんなアホな――」
「なんならこのバッドがあれば、あやかしの二体や三体倒せることも信じている」
「急に血なまぐさい話になったなおい! わ、分かった、お前は純粋だよ。だからその武器を降ろせ。本来そういう使い方をするもんじゃないだろ」
あやかしに正論を言われてしまう。
どくろさんは結構がさつな印象を受けるけれど、根はまともなのかもしれない。
「それで……私はどうしたらいいでしょうか?」
「というと?」
「スクープですよ。どくろさん私にしか見えないじゃないですか」
出会い頭は「人体模型が動いた!?」と錯覚したが、彼は人体模型のお化けではなく『がしゃどくろ』というちゃんとしたあやかしだった。模型はちゃんと定位置にあり微動だにしない。彼はここに好きで居座っているだけなのだ。
なにか有効な打開策はないだろうか?
「打開策ねぇ。あるようなないような」
「お願いします」
「どうしよっかなぁ。じゃあ裸になって校内を一周し――」
ぐしゃり。
「うああああああああああ!? なにすんだボケ!?」
「すいません。ちょっと足を踏もうとしたら砕いてしまいました」
「前見て歩いてたら花を踏んでしまったみたいな軽いノリだな!」
「どくろさんと一緒にしないでください。花が可哀想です」
「なにィ!?」
「花は美しいですし、なによりセクハラしませんから」
「ちょ、ちょっとばかし冗談言っただけじゃねーか……たく、現代っ子はキレやすいんだから困るぜ」
「なにか言いました?」
「い、いいえ? なーもですよはい」
「あ、そういえば相対的に現代っ子はキレやすいんだそうですよ。気をつけてください」
「バッチリ聞こえてんじゃん!」
しょうもない掛け合いである。
根はまともと先述したが、セクハラとか意外とおやじくさいところもありそうだ(おじさんどころの実年齢じゃないだろうけど)。
「よし、足治ったぜ。さて――じゃあ本格的に約束を果たすとするか」
「よろしくお願いします」
ようやく本題だ。
「オカルト的存在をカメラに収めたい。そうなるとやり方は主に二通り」
「2つもあるんですか?」
「ああ。1つはさっきも言ったがシンプルに特別な道具を用いること。陰陽師とか聖職者とかが持っているやつなら――」
「す、ストップストップです。なんか当然のことのように仰ってますけど……陰陽師、とか実在するんですか?」
「はぁ? 当たり前だろ?」
はぁ? とか言われましても……。
(でも現代にあやかしがいるのなら、陰陽師みたいな職の人もまた現存していると考えるのが道理――なのかな?)
良いことがあれば悪いこともある。
表があれば裏があり、陽があれば陰がある――あやかしの世界もやはりバランス関係が内在しているということなのだろう。
「だが本職の道具を怜みたいな一般人が入手するのは難しい」
「無理だと思います普通に。でも陰陽師……とかも案外現代的なんですね。カメラ使うんですか」
「昔は筆で描いてたけどな。あやかしの姿を1枚の絵にして情報蒐集をしていた。なんなら絵を使った封印術とかもあったんだぜ? ただし相当に上手く描ける腕と強い心持ちが要求されるらしいけど」
「へ、へぇ……」
やばい。
なんだか大変なことに足を突っ込んでしまったのではと、今になって思えてくる。
数時間前のオカルトなんて信じないと言っていた私のイデオロギーはもはや完全に崩壊していた。
「道具の入手は不可能ということで……。2つ目の方法を教えてください」
「こっちもまた単純な答えだけどな。最初にテレビで使われるような心霊映像はほとんどパチモンだって言ったろう?」
言い方を変えれば、わずかにホンモノもある――ということ。
「どうして稀にとはいえガチのあやかしを撮ることができたのか。それはそのあやかしがすっげー力をもっていたからに他ならない」
「ようは位の高いあやかしということでしょうか?」
「その通り。存在するだけで周囲に影響を及ぼすほどの高位のあやかしってのは、霊感のない人間や、普通の道具にだって捉えられてしまうのさ」
常人にも視認されてしまう。
そこにあるだけで日常を侵食してしまう。
強力無比であるからこその欠点と言える。
「だから探せばいい――スマホに映っちまうほどのすっげーあやかしを」
どくろさんはガシャガシャと快哉を叫ぶ。
「でもそれって危険……」
「断るなら断るでいいさ。あくまでお願い事をしたのはお前だからその権利がある。だが俺はお願いをされた以上なんとかして叶える義務があるわけで」
「…………」
「けどオカルトなんかっていう割に、お前の目を見る限りはワクワクしてそうだけどな」
ワクワク?
私が?
「そうさ。自覚ないのか?」
「ないです、けど……」
ガシャガシャガシャ、彼はおかしそうに骨を鳴らす。
「境界を越えた先に、お前にとっては想像もつかなかった未知の世界が待っている。そこは真っ暗な闇に赤い月が輝き、得体の知れない魑魅魍魎どもが縦横無尽に踊っているんだ。探索され尽くされたと思われた地球、けれどほとんどの人間が知らない場所がまだ残っている。どうだい――興味が湧いてくるだろう?」
ドクン。
まただ。
どくろさんのその真っ黒い目に覗かれたときと同じ。
心臓が大きく跳ねる。
一体なぜだ?
「人間がなぜオカルトに惹かれるのか、理由が分かるか?」
「いいえ」
「それはな、命の尊さを再確認できることだと俺は考える」
「命の尊さ……」
未知に触れる。恐怖に敷かれる。
そして自らの命の実在を確かめる。
「――さぁ冒険しようぜ、怜」
私を闇へと誘っていくその燦々とした様を見て。
この時、どくろさんは本当にあやかしなんだと私は知った。
「あやかしとはやかすもののこと。あやかすとはつまり、人を時に怖がらせ、時に泣かせ、時に楽しませることに他ならない。さぁ俺に騙されるかどうか決断しな」
冒険は、危険を冒して険しい道を進むこと。
私はたかがスクープのためだけにそんなことを――
(いいや、スクープなんてのはきっと口実にすぎなかったんだ)
私には夢があった。
部活などする時間はないと、友達と遊ぶ時間はないと、自分にそう念じて黙々と日々をすごしてきた。
でもやはりずっと上手くいくことなんかなくて――
つまらない自分を壊してくれる、奇跡のような何かを期待した。
「――分かりました」
あやかしと出会ったことが奇跡と呼べるのかは定かではない。
しかしかのパブロ・ピカソが冒険を讃えたように。
私もこのまま普通の少女では終われない。
「冒険しましょう――未知なる世界、興味があります」
彼のポッカリ空いた瞳に惹かれた理由が、少し判った気がする。
私はきっと――
「はっはー。あれだけオカルトなんてとバカにしてたのに、存外素直なところもあって可愛いじゃねーか」
「セクハラはやめてください。また砕きますよ?」
「……やっぱ全然可愛くねーや」
「砕きます」
「な、なんでだよ!? 訂正したじゃねーか! な、なにが悪かったンだよ!?」
「……知りません」
本気で殴ろうかと思ったがその前に。
誤解されたくないのですが、と科白を続ける。
「私はオカルトをバカにしていたわけじゃないですよ」
ただ信じていなかっただけ。
それから「素直になったな」とからかわれるのも癪である。
だから今回はどくろさんの口車に乗った騙されたというだけであるという意味で、
「オカルトに化かされた、それだけの話です」
夜は長い。
特に今夜は――果てしなく。
「さぁ行くぞ怜」
置いていくぞと私の手を引く。
どくろさんの手は氷のように冷たかった。
骨なのだから当たり前か。
「さっきかっこつけて非日常の世界に行くとか言っていましたけど、具体的にはそれってどこにあるんですか?」
「どこにでもある」
「……?」
「まぁ今回はその中でもとびきりすげぇ所にいくけどな――!」
ひとまずついてくればいいとだけ。
するとどくろさんは校庭に向く窓枠の側へ行く。
理科準備室は地上4階にあり、遠くの建物の明かりが織りなす輝かしい景色を一望できた。
「飛ぶぞ」
「はい?」
「英語で言うと〝ふらいあうぇい〟だ」
「わざわざ外国語で訳さなくても飛ぶという意味は理解できています。私が首を傾げたのは――」
「俺の手を離すなよ」
「話を聞いてます? まずは説明をして頂いても……」
「行くぜ!」
「え――あ、ちょっと――!?」
まったくの無視を決め込み、一気に夜へと飛翔する。
彼に連れ出され宙に身体を投じ、言いようのない浮遊感と緊張感が駆け巡る。
「し、死んじゃ――」
私は自分のが死ぬということを、この時初めて確信した。
※
「突然飛び降りたのは悪かったって。もう機嫌直せよな怜」
「別に機嫌悪くなんかないですけど?」
「いやいやいや。明らかに怒ってるでしょ。俺の左手を握る強さが尋常じゃないし。なんならちょっとヒビ入ってるし」
「なんですか? 私がゴリラ並みの握力を持ってるって遠回しに言いたいんですか?」
「言ってねーよ!」
「分かりました。では本気で握りますね」
「なぜ!? 否定したじゃねーか!?」
4階から飛び降りて(正しくは飛び降りさせられて)、私は本当に落下死すると思った。
だが地面スレスレのタイミングでどくろさんが自力で砕け、不思議な力?技?でクッション代わりになってくれた。
「これからあやかしたちの世界に行く。あいつらは人を驚かせるのが大好きな連中だ。慣れるためにも、ここで一発檄を飛ばしておこうと思ったんだよ」
「檄を飛ばすと空を飛ぶを掛けたわけですか。わー上手い上手い。――で、言い訳はそれだけです?」
「だから怖い目すんなって。美人が台無しだぜ?」
「び、美人って……」
「お? 照れてんのー? そういうところは可愛い――んナ!?」
ここで偶然どくろさんの足を踏んでしまい、これまた偶然勢い余って踏み潰してしまう。
先に言っておくけれど照れ隠しではない。
私はちょっと褒められたくらいで浮き足立ってしまような人間ではないのだ。
「どくろさんはなんであの場所にいたんですか?」
「……あぁ?」
手を離すなと言われているので、私は手は握ったままに質問した。
粉砕された足を再生させながらどくろさんは応えてくれる。
「そりゃお前の学校が俺の根城だからだ。家の住人が家にいるのは当然だろう?」
「なるほど。ちなみに食事とかってどうするんです? がしゃどくろの史実通り本当に人間を食べたりするですか?」
「人間の魂を喰らうあやかしは多いぜ。俺はしないがな」
「じゃあ代わりに違うものを食べると?」
「だな。基本的には人の恐怖を糧とする。偶に学校にいる人間を驚かしてる――って、なんでそんな細かいことを尋ねる? 気になるようなことか?」
「気になります」
「どうして?」
「……気になるものは気になるんですよ」
どうしてと言われると私も困るというのが正直なところ。
自分でもよくわかっていない。
どうしてなのだろう。
なんとなく、あやかしのことを――いや、彼のことを知りたいと自然に思えたのだ。
「ふーん。まぁいいけどさ……っと、そろそろ見えてくるぜ」
私たちは学校から街へと続く、人気の無い降り坂を降りてきていた。
それは人がいないということ以外には、なんら普段と変わらない景色であった。
けれどここに来て、一気に状況が変化する。
「俺とお前が手を握り続けている理由、それはより鮮明にあやかしを見えるようにするためだ。最初に言った通り怜には多少なりとも霊感があるが、それは俺ぐらい――まぁ中位級のあやかしを視認できるのが精々、弱っちいあやかしまで捉えることは叶わないだろう」
「ものすごく強大なあやかしになれば一般人でも見えると理科準備室で言ってましたね。どくろさんはそこそこすごいあやかしだから意思疎通できるのであって、存在感の薄い低級のあやかしを見るにはもっと大きな霊感がいるというわけですか」
「そうだ。そしてそこそこ俺はすごいんだ」
「あんな脆いのに?」
「その分復活もはえーだろーが」
「まさにストレス発散に殴られるのには最適な身体というわけですね」
「そうそう好きなだけ殴ってくれていい……って違うわ! 勝手にサンドバッグにすんなッ!」
打てば響くとはこのことだろう。
なんだかクセになってくる。
「とにかくもう見える場所に来た。少し目をつぶってみろ」
「目をつぶる?」
「いいからやれ」
立ち止まったのはシャッターで締め切られた商店街の入り口。
街灯だけが悲しげに道を照らしている。
私は言われたとおり目をつぶった。
1秒、2秒、3秒、4秒……
15秒をほど経った頃に「目を開けろ」と促される。
「――――え?」
理屈も理由も理念も理論も、なにかも不明。
それは私では説明できない一瞬の出来事だった。
どくろさんとリンクすることによって私は飛んだ、別世界へと。
「なに――これ――」
空を見上げると闇に浮かぶ赤い月があった。
そして真っ直ぐに目線をやった先には、もう静かな商店街は存在しなかった。
あるのは燦々としたカオスの空間。
江戸時代の吉原遊郭のような、バブル期のネオン街のような、現代の秋葉原電気街のような。
そういうキラキラとギラギラとしたものが混ざり合ってしまったような景色が広がっている。
なにより中央に一本通った道には、あふれかえんばかりのあやかしがいた。
形や大きさは様々で、しかしみな一様に酒を飲み、なにかを食べ、愉快に踊り狂っている。
その状況をまとめて一言で表すとすれば――〝祭り〟のようだ。
「祭りか、良い表現だな」
魑魅魍魎と異様な空間が織りな熱気と活気と狂気に飲まれ、私は入り口に立ちすくんでいた。
しかし止まらない。もう止まれない。
どくろさんが私の手を引きながら、混沌未知の世界へ誘っていく。
「ここはこの辺一帯にいるあやかしたちのたまり場」
「ようこそ、怜――俺たちあやかしの世界へ」
「なにがあっても俺の手だけは離すな。リンクが切れて大変なことになる」
大変な事態というのが何を指すのか。
しかし詳細を問わずとも、このあやかしの祭りを見れば、さぞ大変なことになるだろうと自然に想像がついてしまう。
どういうことが起きるのであれ、間違いなく無事では済まないのだろう。
「ま、ちょっと危険な社会科見学って思うことだ」
「ちょっとどろか、紛争地域に来た気分ですけどね……」
「銃も爆弾もないぞ。あったとしても俺たちには効かないけどな」
それからどくろさんに引かれ、祭りの中に足を踏み入れていく。
「kmvfdjhう゛ぉf」「rfhvんbwvdっs」「vfdbんwsjvじゃ」「mんkfvbこぴdっc」「ljyh;tんsdvはg」「おtj3jんdldhgぉ」
あやかしたちは楽しそうに会話をしているが、騒音も相まってどんな台詞を発しているのかまで聞き取れない。
根本としてどくろさんは日本語を喋るけど、公用語はなんなのだろう?
やはりあやかしにはあやかしの言語があるのだろうか?
存在するとすれば私はそれを聞き取ることが可能なのだろうか?
「怜、足下に気をつけろよ」
「足下?」
ひとごみ(あやかしごみと呼ぶべきか)をわけて進んでいくと、忠告が遅かったのかなにかが足にぶつかった。
それは大きな笠を被った小さな男だった。彼の頭は私のひざに届くかどうかで、なぜか手には豆腐の載った皿がある。
「いたい、豆腐くずれたら、どうする」
彼はたどたどしいながらも、ハッキリとした日本語で抗議してきた。
「ご、ごめんなさい。次からは足下気をつけます」
「じゃあ豆腐いるか?」
「は?」
なんだ急に。
会話に脈絡というものが存在していないぞ。
「いらないですけど……」
「人情なし、冷血、友達いない」
「はぁ!?」
最後のは絶対に悪意があった。
というか初対面でなぜそこまで避難されなくてはいけないのか。
ただ私が眉間に皺を寄せると、小さな男は脱兎の如く走り去っていった。
「あれは豆腐小僧だ」
「豆腐小僧?」
「なんら能力を持たず、他のあやかしの小間使いとして各所に届け物をする存在。ようはパシリあやかしだ」
「な、なんかそれを聞くと可哀想ですね……」
「誰かに命令されたり怒られたりすると萎縮してしちまう。今逃げたのはよっぽどお前の形相が怖かったんだろうな。本当に可哀想だだだだだ――目に指を突っ込むな!」
ぽっかりと開いた目の穴に二本の指を突っ込む。
ささやかながらの抗議である(ささやかかどうかは受けている彼次第だが)。
「よ、よし、ならグルメを馳走しよう」
「グルメ?」
「俺の奢りだ。それで俺の今までの不敬発言を帳消しに。どうだ?」
「まぁ……」
しかたない。
彼がそこまで言うのなら、このあたりでバランスを取り戻すとしよう。
私とどくろさんは別に主従関係を結んでいるわけではなく、本来平等なのだ。
(主従関係はない。だとしたら私たちの関係は一体――)
ふと疑問に思う。
私たちのつながりはなんと呼称するのが相応しいのだろう。
友達? パートナー? 依頼主と請負人?
それとも――
「おっさん、ジュース2つちょうだい」
どくろさんが近くの出店に行き、おっさんと呼んだのは巨大なカエルだった。
緑色の肌をしていて、とにかく大きい。
目測だが3メートル以上はありそうだ。
そんな彼が小さな入れ物でジュースとやらを作っている姿は、ちょっとだけ可愛らしいと思った。
「大蝦蟇っつー、見たとおりカエルのあやかしだ」
どくろさんが手短に説明してくれている内に、商品はできあがったらしい。
「おまたせー」
と、ゆっくりとした口調でお椀のようなものを渡してくる。
あのどくろさんが奢ってくれたと考えると、むずかゆい気持ちになるが、せっかくの好意だから――と、そう肯定的になるのは尚早だった。
「……なんですこれ?」
「なにって、カエルのタマゴジュースだけど」
土製らしいお椀の中には薄黒い液体と、中に真っ黒なタマゴがぎっしりとつまっている。
「今流行なんだろ?」
「タピオカみたいなノリで言わないでください。完全にゲテモノじゃないですか」
「これは本物のカエルのタマゴを使っている。つまりカエル100%ジュース」
「…………」
「なんか写真撮るんだろ? いんすたう゛ぁえってよく学校で女子どもが言ってたぜ」
「……すいません。せっかくの好意ですがお断りということで」
「?????」
「いやわけわらかんみたいな顔されても……。まぁ文化圏の違いということで……」
悪気がないのはなんとなく伝わっているので、文化圏を引き合いにしてして回避を図る。
どくろさんは不思議そう目を細めた後、じゃあ自分で飲むと言って器を傾ける。
「って、全部零れてるし……」
骨なのだから、収める胃袋を持ち合わせているはずもなし。
それでも彼は満足そうな表情をしていた。
どこに満足する要素があったか気になるところだが、水を差すようなことは避けるべきだろうと口を噤む。
「――がしゃどくろじゃないかい」
すると今度は、どこからから女の人の声がした。
振り向くとそこには豪奢な和服を着こなした美しい女性がいた。
昔で言う花魁のようなヴィジュアルである。
「ン、ろくろか」
「随分と久しぶりだね」
「まぁな。今日はちと訳ありで降りてきたんだ」
ろくろと呼ばれた女性とは知り合いらしい。
どくろさんは平然とした様子で会話を交わす。
「おや珍しい、連れがいるのかい」
私を見てろくろさんが微笑む。
その美しさといったらもう……もはや人の域でないだろう。
実際人間ではないのだけれど。
「これは可愛らしいお嬢さんね。お初にお目に掛かります、あたしはろくろ首のあやかし。ろくろと呼んでくれたら嬉しいわ。どうぞよしなにね」
軽やかに挨拶をしてくれるろくろさん。
私はそれを受け――
「霊ヶ峰怜です。よ、よろしくお願いします」
「? どうしたの目を潤ませて? あたしなんかが話しかけちゃイヤだった?」
「いいえ……ただ、あやかしにこんな優しく丁寧に接されたのは初めてのことで、こんな方もいるんだなとなんだか嬉しくて……」
「オォォォイ! 俺がいるだろうが怜! この優しさの象徴とも呼べるようなこの俺がよ!」
「え、誰ですかあなた?」
「皆のがしゃどくろだよ!」
あぁ、どくろさんか。
優しさの象徴と自己紹介していたので、別人だと思った。
「がしゃどくろ。あなた人は喰わないといつも言っていたけれど、こんな可愛い子をつれてまさか……」
「いや喰わんよ。全体喰わん。そもそもこいつ喰ったら腹壊しそうだしな」
「それ私がまずいって意味ですか?」
「なんで怜がキレる!? ちげーよ。ろくろに誤解されそうだから強めに否定しただけだろうが」
「気をつけなよ怜ちゃん。どこの世界も大抵の男は一緒。がしゃどくろがいつ本性をむき出しにするか分からないからね」
「はいろくろさん」
「ろくろの言うことは素直に聞くんだな!?」
それからろくろさんも交えて祭りを行くことになった。
彼女はどくろさんの往年の友人らしく、普段は街の風俗街をに根を張っているらしい。
姿や仕草も華やかだが、それでなにより性格が穏やか。
大人っぽいというより、これが大人なんだという確信を得た。
無理だろうけれど、私もいつかこういう人になりたいなと思えるような素敵な人であった(がさつで時々セクハラ発言をしてくるどくろさんにこんな素晴らしい友人がいるとは、本当に信じられないところである)。
「――つまり怜ちゃんは、がしゃどくろに協力をして欲しいとお願いをしたわけだ」
どくろさんが人である私をここに連れてきた理由を問われ、簡潔に事のあらましを説明する。
「映像を撮るためにも、すげぇあやかしを探さなくちゃいけねぇ。だからこいつに社会見学をさせる反面、情報集めをしようとここに赴いたわけだが……」
どくろさんは旧友に「どっかにいねぇかな?」と尋ねる。
あやかしと知り合ったばかりの私が言うのもなんだが、そんな都合良くものすごいあやかしが近くに来ているとは思えない。
だけどろくろさんの対応は想像とは少し違って――
「……がしゃどくろ、あなた本当に知らないんだね」
「どういう意味だ?」
「まぁずっと学校でにーとしてたから当然っちゃ当然なんだけどさ。今――あたしたちの間で持ちきりの〝噂〟がある」
重々しい口調で、ろくろさんは語り出す。
「どんな噂だ?」
「もうじき鬼が出るって噂だよ」
「「鬼?」」
私とどくろさんは顔を見合わせた後、同じタイミングで問い返す。
「実はこの街から少し離れた場所に、天応の時代の鬼が封じられているという噂が流れてきたんだ」
天応とは元号の1つで、後に詳しく調べたところ桓武天皇が国を治めていた時代。
具体的には西暦781~806年の期間を指す。
「天応時代の鬼……」
「封じられたということは、言い変えれば殺すことができなかったということ。苦肉の策として封印という形をとったいうことだ」
「まさか……」
「それほどまでに強力な鬼、心当たりがあるだろう?」
短い沈黙を挟み、ろくろさんは告げる。
封じられし伝説の鬼の真名を――
「日本三大あやかしにして、鬼神魔王とまで呼ばれた存在――『大嶽丸』さ」
日本三大あやかし。
それは伝説とされる3体のあやかしを指す異名である。
様々な諸説があるが有力な説によると、
大江山の頭領、酒呑童子。
平安の妖狐、玉藻前。
伊勢の鬼神、大嶽丸。
これらが三大あやかしの主な概要である――と、私はろくろさんから説明を受けた。
「どれもタチが悪いが、大嶽丸はとびきり凶悪だ。その噂、眉唾ものじゃないのか?」
到底信じられないぜとどくろさんは言う。
「どれぐらい凶悪なんですか?」
私はあやかしのことには弱いので、彼らがそこまで恐れる理由が分からない。
とびきりと言われても、その実どれくらいすごいのだろうという疑問からの質問だった。
「そりゃお前、山を覆うほどの雷雲を作り出したり、それでいて炎の雨を降らせたり、はたまた神通力を使ったりと規格外だぜ」
「なんだか神様みたいですね……」
「みたいというか神様そのものさ。およそあたしたちや人間が敵う相手じゃない。というか戦うべき相手すらない」
根本的な話、同じ土俵に立つことができないということ。
それでも当時の……陰陽師? さんたちは封印できたというのだからすごい。
「大嶽丸は退治されたなんて史実もあるけれど、あれはあたしたちあやかしの中では信じられていなかった。なにせあの鬼は〝蘇り〟という能力を持っていたんだから」
「蘇る……それってどくろさんみたいにですか?」
「ふふふ、がしゃどくろなんかとは次元が違うわ。本当の意味での〝黄泉帰りよ」
あの世から生還できる力。
どくろさんは骨は治せても魂までも治すことはできないという。
しかし大嶽丸というのは、魂があの世に送られても、元に戻せるというわけだ。
肉体だけでなく魂も不死身。
確かにこれは強力だ……。
「だから封印された――と見るのが一番有力な説。実はここ最近あやかしたちがこの街にどっと押し寄せてきている。ようは避難、外での不審な気配を感じ取ってね」
「確かに、久しぶりに来たがやけに数が多いと思ってた」
私は初めて来たから気付かなかったが、あやかしたちが普段より多く集まっているという。
「……しかももうじき満月、か」
どくろさんが空を見上げ、僅かに欠けた赤い月を睨んだ。
「怜、満月ってのはあやかしの力がもっとも高まる日なんだぜ」
「じゃあ……」
「外での段々高まってるっていう不穏な気配ってのは、もしかしたら満月に近づくことによって封印の力が弱まっているからかもしんねぇ」
人間界にも優れた鍵がある。
例えば銀行の金庫を守るための鍵とか。
しかしそれは永劫に鉄壁というわけではない。
日や雨や風に晒されれば当然風化するし、温度や湿度によって錆びて脆くなっていく。
なら鬼を縛った封印術もしかり。
諸行無常。盛者必衰の理。
――いずれは解けるのが自然の摂理というもの。
「もし、もしも本当に、その不穏な気配の正体が大嶽丸だったとしたら、復活したとしてどんなことが起きるんですか?」
私は慎重に尋ねた。
自分がとんでもないことに足を突っ込んでいることは承知している。
己の領分を越えていることも――承知している。
「そうね……」
ろくろさんは耽るようにして応える。
「まずここらのあやかしはただでは済まないんじゃないかしら?」
「だな。彼奴ほどの鬼なら一帯を自らの縄張りとするだろう。邪魔なあやかしたちは片っ端から倒していくだろうな」
私は振り返る。
そこにはあやかしたちの祭りがあった。
どくろさんやろくろさん以外にも、パシリのあやかしや、でっかいカエルのあやかしだとか、他にもたくさん。
みんな私たち人間とは全く異なる姿形をしているけれど、しかし彼らの浮かべる笑顔は本物だ。彼らは私たちと人間と同じように今を生きている。
「しかし怜の運は良いのか悪いのか。まさか写真に映るようなあやかしを探しに来た途端に大嶽丸復活の噂を引くとは」
ガシャガシャと笑って、
「残念だが、ここまでみたいだな」
申し訳なさそうに骸骨の頭をかく。
「ここまで……?」
「あぁ。噂は信じたくねぇが、ここに来たことでなんとなく肌で感じるものがある。この場所は活気と熱気で溢れているがしかし、その底に、薄くてほとんど見えないような恐怖が常に流れている」
彼らは祭りに興じている。
しかしどうしようもない恐れもまたあるという。
「満月まであと3日4日。それまでに逃げようって雰囲気が伝わってくるんだよ」
この街に集まったのも一時避難にすぎない。
本格的な避難は間もなく始まろうとしている。
同じあやかしだからこそ、戦って勝てるような相手ではないと理解しているのだ。
「俺もここから離れなけりゃいけないだろう」
「ま、また封印することとかできないんですか?」
「封印術は人間の特権だ」
「そうね。常にあやかしは解放を求め、人は抑圧を求める。心の形が違うのよ」
打つ手はないと2人は肩をすくめる。
(私は――)
大きな脅威を目の前にして逡巡する。
オカルトを信じない私があやかしと出会ったのは数時間前だった。
しかし触れた衝撃はとてつもなく、特にここまで連れてきてくれたどくろさんは、私の価値観とか感情とか全部彼方に飛ばしてくれた。
人間と判っても差別もせずに接してくれたろくろさん、こんな風になれたらかっこいいなと思える初めての人だった。
私はまだ知らないだけで。
あやかしたちには色々なヒトがいる。
怖がらすだけが彼らのアイデンティティでないと今なら断言できる。
もっと彼らと話してみたい。もっと彼らと遊んでみたい。もっと彼らと共感してみたい。
知らないのはイヤだ。
私は、もっと彼らのことを知りたいのだ。
だって私は――
「好きです」
これは、確かな私の気持ち。
「どくろさん、私、あなたが好きです」
突然のことに、どくろさんは目をパチクリ点滅させる(実際点滅はしてないけど)。
「私を抱えて飛んでくれたこと、とんでもなく感謝しています」
「え、あ、おう、その……」
「ありがとうございます。私の前に現れてくれて」
言える時に言わなければならない。
誰も過去には戻ることはできないのだから。
脅威を前にそんな気持ちを抱く。
「い、いやぁ……気持ちは嬉しいんだが、お、俺とお前はそもそも種族が――」
照れた様子で、しどろもどろに骨身をくねらせるどくろさん。
ちょっと気持ち悪い。
「ろくろさん、私、あなたも好きです」
「――え?」
「はぁ!? 怜、お前俺のこと好きって言っただろ!?」
「言いました。けどろくろさんも好きです」
ろくろさんは「困るわねぇ」と微笑んでいた。
「というか、私は結構あやかしのことが好きみたいです」
まだまだ彼らと触れ合いたい。
このまま終わるなんてことは――認めたくない。
ただそれを聞いてどくろさんのテンションは悪い意味で上がり、口数はマシンガンの弾ように増えていく。
「お、おいおいおい! どういうことだよ怜!? 前から変わり者だと思ってたがついに頭がイカれたか!?」
「そろそろうるさいですどくろさん」
「いやそれは――がしゃ!?」
と、音を鳴らしてどくろさんが砕けた。
無論私が顔面を殴ったからだが。
「な、なにすんじゃァ!?」
「はぁ。わかりました、わかりましたよ。じゃあどくろさんだけ好きじゃなくて……大好き、ってことにしておきます。差別化できたしこれで満足ですよね?」
「はぁ!? 意味わかんねぇし! なんだそのテキトーな扱い!」
「ふふふ。残念ねがしゃどくろ。今の瞬間の怜ちゃんを見れないなんて」
「ど、どういうことだ!? 顔を潰されたせいで何も見えねーんだよ!」
わいわい騒ぐどくろさんを尻目に、私は2人に改めて覚悟を決める。
もし脅威が本物だとしても、このまま好きな人たちが淘汰されるのは見過ごせない。
「どくろさん。まだ約束は続いていますからね」
「な、なに?」
「私はスクープのためにすごいあやかしに会う必要があるんです。約束を最初に持ちかけたのはあなたなのに、勝手に反故にされてしまうのは遺憾です」
私はまだ願いを果たしていない。
「ま、大嶽丸が怖いというのは十分伝わりましたよ。そりゃあサンドバッグぐらいしかできないどくろさんがビビってしまうのも当然です」
「んな――」
「骨だけじゃなく肉体があったらきっとおしっこを漏らしていたでしょう。でも超怖いんですからね、仕方ない仕方ない」
「い、言わせておけば……!」
頭部が治り、どくろさんはヌルリと立ち上がる。
そして私を上から覗きこむようにして舌鋒を放つ。
「大嶽丸なんて怖かねぇ! むしろ全然余裕! 口ではさっきああ言ったが逃げようなんてこれっぽっちも考えてなかったね!」
「へぇ。じゃあ満月になってもこの街に残るんですね」
「あったりまえだ! なんたって俺は天下のがしゃどく――」
「ではさっそくですが私の提案を聞いてください」
「無視か! 俺のカッコイイ口上は無視ですか!?」
「やかましいですよ。また拳を味わいたいんですか?」
「どうぞ、提案とやらを説明してください」
「よろしい」
「……怜ちゃんとがしゃどくろ、完全に関係ができあがっているような」
ろくろさんが苦い笑みを浮かべていた。
関係とか言われるといかがわしいので、できればやめて頂きたいのだが――今はとりあえず肝心な話を。
私が提案する事柄はただひとつ。
「大嶽丸、私たちで封印をしましょう――!」
私が絵を描き始めたのは物心つく前だったらしい。
なんとなくで描いたであろう絵を両親が褒めたところ、嬉しくなった当時の私は絵を熱心に描くようになったとか(きっと、また褒められたいという単純な動機からだったのだろうと今の私は推測する)。
ハッキリと物心がつく……小学生くらいだろうか。
その時からどんな気持ちでどんな絵を描いてきたかは記憶している。
ぼんやりとした動機だったけれど、それはとにかく上手い絵を描きたいというものだった。
だから人物を描いたり、キャラクターを描いたり、無機物を描いたり、動物を描いたり、植物を描いたり。
彩色方法についても、線画を基本として、クレヨン、色鉛筆、水彩、油、グリザイユその他諸々。
統一感なく、とにかくあっちこっちに手を出した。
そしていつしか――絵を仕事にしたいと思うようになる。
けれど甘い世界ではない。
どういうジャンルを描くにしろ、技術と経験と運と、覚悟がいる。
ただ自分で言うのもなんだけれど、私は良い人間ではない。
ちょっとしたことで感情的になり、言い過ぎてしまう時が多くなる。
どくろさんは私の舌鋒に負けじと応じてくれるが、普通の人はそうはいかない。
これでは友人ができないのも当たり前である。
その報いかどうなのか、日頃ツイてると思う時はないし、むしろツイてないなということが多く起きる。
自分に運はないのだ。
そしてピカソらのように巨大な才能があるかも分からない。
いや……たぶんないのだろう。
ならせめて技術と経験を積もう。
その考えから、使える限りの時間を絵に費やすようになった。
学校が終われば即帰宅、自室にこもり筆を走らす。
誰かと過ごす時間は無駄だと見なし、部活にも行かず、誰かと遊ぶこともなくなった。
しかし、ある時ふと我に返ったのだ。
私は一体なにをしているのだろう――と。
確かに普通の人よりは絵を上手く描けるようになった。
だがそれがなんだという?
私は絵で仕事がしたいと言うけれど、それは絵をなによりも描くことが好きだから――ではない。
悟る。
自分にとって絵を描くことはあくまで手段で、目的は誰かに認めてもらうことだったのだのだと。
コンクールのたびになんとなく察していることだった。
自分の絵と、最も輝かしい台に上った絵のなにが違うのか。
それは〝心〟だ。
筆に乗せる想いの量と質が異なるのだ。
私のようなやり方を俗に『アイデンティティ労働』と呼ぶらしい。
自分をキャラ立ちをさせるために、アイデンティティを獲得するために、感情を費やして働くというもの。
だから私はいつまでたっても、自分の絵を輝かすことができない。
ただ上手いだけ。
ただ認められたいだけ。
表現したいものがなにもない。
つまり、そこには誰かの心を突き動かすような感動は存在しないということである。
スランプという言葉で括れるほど生やさしいものではなかった。
いつか治るとはまったく思えなかったのだ。
そんな折に、部長からスクープをしてきてくれとお願いをされた。
珍しく良い機会だった。
お願いされたその日の夜に学校に赴いたのは、面倒な仕事だから早く片付けたい――のではなく、すぐにでも絵のことを忘却したかったからに他ならない。
ようは逃避である。
絵という脅威から、逃げようとしたのだ。
閑散とした校舎は、なにもない私にはとても居心地が良かった。
誰もいなければ、誰にも認められる必要はないのだから。
キャラを確立させる必要なんてないのだから。
けれど、そんな風に佇む私を『ガシャ』『ガシャ』『ガシャ』という奇妙で不気味な音で起こす者がいる。
辿った先にいたのは、全身骨のあやかし『がしゃどくろ』――通称どくろさん。
彼はまさにあやかしという言葉を体現するように、粗雑で、乱暴で、威圧感があって、しかしどこか遊び心と思いやりがある。
久しぶりに〝楽しい〟と感じた時だった。
それから彼に連れられてあやかしの世界にも訪れた。
たくさんの異形の者たちとの接触は、私の心を少なからず変えてくれた。
押し込んでいたハートを呼び起してくれたのだ。
これは大袈裟な言い方と思われるかもしれないがこの一件――救われた、と表現してもいい。
だから彼らが窮地に立たされたというのなら、助けたい。
それが私の本音で本心だ。
そうなると、自分もひとつ覚悟を決めなければならないだろう。
どくろさんたちに大嶽丸という脅威から逃げるなと言うのだ。
なら私も――自分にとっての脅威に立ち向かわなくてはいけない。
置いていた筆を、再び握り直す。
ロマンを抱け、私。
忘れていたものを取り戻せと胸を叩く。
これから走らせる線は私のためだけではない。
私たちのための、あるいは私たちをつなぐための線である。
「さぁ描こう、霊ヶ峰怜!」
「「大嶽丸を封じる!?」」
私の提案を聞いて、どくろさんとろくろさんが目を見合わせる。
「だって、このままだと皆追いやられるんでしょう?」
「そうだけどよ……」
「でも怜ちゃんが言うからには、なにか思いついたことがあるんだよね?」
「はい、ろくろさん」
もちろん無策ではない。
「ここに来る前、どくろさんが理科準備室であることについて話してくれたんです」
「俺が? なんか言ったっけ?」
「カメラやスマホがなかった時代、昔の人はあやかしを絵によって情報化していたっていう話があったじゃないですか」
その中でこんな事も言っていた。
「かつての陰陽師は、絵を使ってあやかしを封印していた」
どくろさんはそういう人間が過去にいたと公言していたのだ。
「た、確かにそう言いはしたけどよ……大昔の話だぜ? 現代でその技を再現できるのかっていうと……」
「でもやるしかない。私たちには限られた選択肢しかないんですから」
「……むむむ。だが仮にやるとして誰が描くんだよ? 今から京都にでも行って陰陽師探してくるのか?」
「まさか。私がやりますよ」
「へ?」
「私が描くと言っているんです」
封印の類いは人間の領分だと先述していた。
ならばこそ担い手になりえるのは私だけだろう。
「お、おま――絵なんて描けんのか?」
「描けます」
「え、えらい自信だな。虚勢だったりしねーだろーな? 笑ったりしないから正直に言ってみ?」
「バカにしないでください。私は上手い絵を描きます。むしろ上手いことだけが唯一の取り柄だったぐらいですから」
だが今なら上手いだけの絵じゃない、もう一歩先の特別な絵を描ける気がする。
それは覚悟を決めたから。
彼らが覚悟を決めるキッカケを与えてくれたから。
「れ、怜がそこまで言うならあれだな、本当なんだろうな。でも昔の技だ、詳細な封印のやり方が分からねぇんじゃ絵が描けたところで……」
「一通りの手順はあたしが知ってる」
「え、まじかよろくろ」
「ふふ、実際にやられたことがあるからね」
「うわぁ、そりゃまたご愁傷様で……」
ろくろさんは私に確認を取るように会話を繋げる。
「だけど技の性質上、あなたは封印対象である鬼のすぐ近くで筆を走らせる必要があるわ。がしゃどくろなどとは違って怜ちゃんは人間――最悪、死んじゃうわよ?」
ろくろさんの口調は相変わらず優しいものだったけれど、その瞳には悲愴の色を薄らと帯びていた。
「そりゃそうさ。あやかしと違って人間はそう頑丈じゃない。ヘタをすればすぐ死んでしまう。あたしは何百年と生きてきて、身近な人間を何人も失ってきた。また今回もそうなるかも――と思うとね」
「リスクは承知しています。それでも私は挑みたい。挑まずにはいられない。私自身もうこれ以上逃げるのはウンザリですから」
「ふふふ、可愛いだけじゃなくて果敢なのねあなたは――よろしい、協力しましょう。もちろんがしゃどくろも力を貸してくれるわよね?」
「当然! 大嶽丸なんてまったく怖くないからな! 俺の方が怜よりも勇猛果敢に立ち回ってやるさ!」
「あらそう。じゃあ一番キツイ役割をあなたにお願いするわ。最悪魂ごと消し飛ばされるから気をつけて」
「え――あの、ろくろ? 怖くはないんだがな、やっぱりもう少しだけ安全そうな……」
「じゃ、作戦を練りましょうか、怜ちゃんまだ時間は大丈夫?」
「問題ないです。今帰ったところで寝れないでしょうし」
「あの、おふたりさん? 俺の声届いてる? というか俺のこと見えてる?」
ということで。
私の冒険は、私たちの冒険へと変わった。
クライマックスはすぐそこだ。