おいなりさん作りは後回しになった。その生き物の介抱が先になったのだ。
 なんの生き物かわからないけれど、狸ではないか、と、うしろをとことことついてくる『それ』を小桜は推察した。
 歩く様子を見れば、子供の頃に学校、山の中の小さな木造の小学校へ降りてきた狸はこのような姿をしていた、となんとなく思い出したのだ。
 狸なら肉食だろう。犬か猫の餌で代用できそうだ。
「ただいま」
 鍵を開けて、からりと玄関の戸を引いて、小桜は誰もいない家の中へ、一応挨拶した。
「おはいり」
 狸らしき生き物に声をかけると、やはり言葉がわかったように、玄関のたたきに入り、ちょこんと座った。従順な様子はかわいらしさすらある。
「今、ご飯を持ってくるからね」
 もうひとつ声をかけて、台所へ向かった。昔ながらの昭和の台所……と言いたいが、数年前に改築してしまったのである。小桜にとっては前の台所のほうがよっぽど使いやすかったのだけど、壊れているところもあるから直したほうがいい、ついでに『りふぉーむ』と言われれば、断るのも悪いと思った。
 よって、ずいぶん現代的な台所。
 小桜は水や火を使うことなく、棚に手をかけた。
 かつおぶしのパックやら、お茶っ葉やらが入っているところをごそごそと探る。
 確か奥のほうに……。
「あった」
 手に固いものが触れた。
 それは缶詰め。ただ、人間の食べるものではない。
 少し前に野良の猫にやっていたものだ。近所に住んでいた野良猫。お腹を空かせているようだったから、餌をやったらたまにやってくるようになったのだ。
 それで猫の缶詰め、いわゆる猫缶を買って、与えていた。
 けれどそれも長くは続かなかった。娘に指摘されたのだ
 「お母さん、最近は野良に餌をやるのは良くないんだってよ」と。
 なんでも、野良猫の糞などの被害があったり、小さな子供が引っかかれたりするのではないかという不安があるそうだ。
 まったく、生きづらい世の中になったものだよ。
 内心嘆きながらも、近所に迷惑をかけるわけにはいかないから「そうかい。それは悪かった」と素直に受け入れて、それきり餌をやるのはやめてしまって。でも余った猫缶がいくつか棚に残ってしまっていたのである。
 あの野良猫はどうなっただろう。上手く餌を取れているといいのだけど。
 小桜は三毛の毛並みをした野良猫のことを、少しだけ思い出した。
 しかし今は、とりあえず猫缶である。
 裏を見れば、賞味期限も切れていない。良かった、と安堵して、フタを開けた。
 そしてこれまた、野良猫に餌をやっていたうつわに中身を入れる。しっとりとした猫の餌、カツオかマグロかなにかわからないが、魚の良い香りが漂った。
 これで食べるだろうか。毒ではないだろうけど。
 思いつつも小桜はそれと、もうひとつのうつわに水を入れ、玄関へと向かった。
 どうも缶を開けて中身を移しているときの匂いに反応したようで、狸……と仮にしておこう。狸はそわそわとしていた。