『千町高校 二十年ぶりのベスト八 二年生エース春野 シード校相手に三安打完封』
 地元新聞のスポーツ欄。他校の結果よりもひと際大きい文字でそう記されている。
 紅寧はその記事を切り取ると、ノートに張り付けた。
「よし!」
 紅寧は記事をノートに張り付けると、満足そうに微笑みを浮かべた。
「おーい、紅寧。今日の新聞知らんか?」
 部屋の外で声がする。
 父親が新聞を探しに来た。
 紅寧は記事を切り取った新聞を慌ててたたみ、鞄を持ってドアへと向かった。
「はい、これ」
 紅寧は部屋を出ると、すぐに新聞を父親に手渡した。
「おぉ、ありがとう。これから部活か?」
「うん」
「どうした? 随分、ご機嫌だな」
「まぁね」
 紅寧は笑顔で言った。
「あ、もう時間だから行くね。行ってきます」
 紅寧はそう言うと、足早にその場を去って行く。
「おう、行ってらっしゃい」
 父親は駆けて行く紅寧の背中に向けて言った。

 紅寧を見送った父親はリビングへ向かった。
 ダイニングチェアに腰を下ろす。
 キッチンでは母親がコーヒーを入れていた。
「さてさて、昨日の結果はと……」
 父親は新聞を捲って、スポーツ欄を開いた。
「あれ?」
「どうかしました?」
 キッチンから母親が訊いた。
「ここの記事知らない?」
 父親は新聞の切り取られた部分を指して訊いた。
「さぁ?」
 母親は首を傾げる。
「紅寧じゃありませんか?」
「なるほど、それで慌てた様子で出て行ったのか。たくっ。切り取るならせめて夕方にしろよ」
「まぁ、まぁ。相当嬉しかったんでしょ。昨日、帰って来てからも随分とご機嫌な様子でしたし」
 母親は入れたコーヒーを夫の前に置いて、対面に腰を下ろした。
「勝ったそうだな、千町」
「えぇ、大智君がシード校相手に完封したんですって」
「おぉ、そうか。やるなぁ、大智君。剣都も順調に勝ち進んどることじゃし、今年は決勝で二人の対決が見られるかもしれんなぁ」
「そうだといいですね」
 母親は微笑む。
「しかし、まぁ、なんだ。紅寧から千町へ行くって聞いた時、最初は反対したけど、今のあの子を見ていると、行かせて良かったかもなと思うよ。あんなに夢中になって頑張っているんだからな」
 父親が微笑んで言う。
「私は少し頑張り過ぎてやしないかって、心配になりますけど」
「まぁな。けど今は静かに見守ってやろうじゃないか。あの子が自分の意思で頑張っているんだ。親の出る幕じゃない」
「そうですね」
 静かなダイニングで二人はコーヒーを口に運んだ。


 三回戦の翌日。
 千町ナインは次の対戦校のビデオを見る為に集まっていた。
 部員の前で紅寧が話し始める。
「皆さん知っての通り、準々決勝の相手は谷山高校です」
「へ?」
 大智が声を上げる。
「え、どこ、それ。城南じゃねぇの?」
 大智は隣にいる大森に訊いた。
「あぁ。そういえば大智は取材でおらんかったもんな。負けたんだよ、城南は」
「え、マジで?」
「あぁ、マジだ」
「どうして?」
「知らん。それをこれから観るんだよ」
「あぁ、なるほど」
 大智は手を叩いて納得の表情を浮かべた。
「春野先輩、そろそろいいですか?」
 紅寧が訊く。
 僅かに顔を引きつらせていた。
「あ、はい。すみません」
 大智は謝罪を述べると、少しだけ体を小さく縮めた。
「では、谷山高校について、簡単に説明します。谷山高校はうちと同じ、郊外の公立高校です。これまたうちと同じく、かねてより人数不足に悩まされてましたが、昨年、地元の有力選手がこぞって谷山に入学。それが今の二年生です。そして、谷山のチームスタイルですが……」
 そこまで言って、紅寧は言葉を詰まらせた。
「どうした?」
 監督の藤原が訊く。
「とりあえず、ビデオを見てもらってもいいですか?」
「そりゃ構わんが」
「ではすみませんが、先にビデオを見てください」
 そう言って紅寧はビデオを流した。

「ふむ……」
 ビデオが終わると、藤原はそう声を漏らし、口を噤んでいた。
 難しい顔をして、何やら考え込んでいる。
「春野どう思う?」
 黙り込んでいた藤原が口を開いて訊いた。
「全員が徹底的にセンター返しのバッティング。実に基本に忠実ですね。異様なほどに……」
「大森は?」
「確かにバッティングの基本はセンター返しですが……。ランナーがいてもいなくてもそのスタイルを変えないっていうのは大智が言うように明らかに異様ですね」
「そうだな。バッティングの基本はセンター返しで間違いないが、ランナーがいれば話は別。ランナーが一塁にいれば、ゲッツーを避ける為に普通はセンター返しを避けるところだが、谷山はそれすらしようとしていない、寧ろ、常にセンター返しを狙っている感じだったな」
「ピッチャーでしょ?」
 大智が声を上げる。
 全員が大智に注視した。
「信じ難い話ですが、多分、谷山の選手は意図してピッチャーを狙って打っている。それで、城南のピッチャーはリズムを崩して、自滅したんだ」
 千町ナインが見た谷山対城南の三回戦は、城南のエースがリズムを崩したとによる大量失点で勝敗が決していた。
「あれだけ鋭い当たりが頻繁に飛んで来たら、ピッチャーは嫌でも印象に残るからな。早く打球処理に移ろうとして、リズムを崩すのも無理ないかもな」
 大智が話し終えると、続けて紅寧が谷山についての補足を入れた。
「そう。谷山はこれまでの試合全て、相手のピッチャーの自滅で勝ち上がって来ています。これは明らかに意図したもの。インタビューなどでは、基本を大事に、センター返しを心がけていると答えていますが、実は逆。実際は、セオリーを無視した、ピッチャーを徹底攻撃するスタイル。おそらく、うちとの試合も徹底的にピッチャーを潰しにかかって来るでしょう……」
「大智……」
 大森は心配そうな目を大智に向けた。
「打たせなきゃいいんだろ?」
 対照的に大智はあっけらかんとしていた。
「いや、そう簡単に言うけどだな……」
「大丈夫、何とかなる。一から三番以外は……な」
 大智はそう言うと、目を真剣な眼差しに変えた。
「ちゃんとわかってたんだな」
 大森が言う。
「あぁ。一番白神、二番大月、三番景山。こいつらは段違いにスイングが早ぇ。特に、一番の白神。あいつは要注意だ」

 その谷山高校では。
「どうだ、次の相手」
 部屋で一人、千町高校の試合のビデオを見ていた白神の許に大月が来て訊いた。
「いいぜ、最高だ。特にこのピッチャー、いい顔してる」
 白神はそう言うと、ふっと笑った。
「珍しいな、お前がそこまで言うなんて。そんなにいいピッチャーなのか?」
「あぁ、特に目がな。子供みたいに目をキラキラさせながら投げてやがる」
「ほー」
 大月が相槌を入れる。
「ほんと、最高だよ。最高に虫唾が走る」
 そう言って白神は、体をぶるぶると震わせていた。
「如何にもお前が嫌いそうなピッチャーだな。けど、こいつは今までみたいにはいかないんじゃないか? 俺らならともかく、他の連中は当てるのも苦労しそうだぞ」
「まぁな。つうわけで、バントの練習させといてくれ。ピッチャーに捕らせるやつを徹底的にな」
「あぁ、わかった」
 大月はそう返事をすると部屋を出ていった。
 白神は再びビデオに視線を戻した。画面には大智の姿があった。
「待ってな。そのキラキラした目、俺が絶望に変えてやるよ」
 白神はそう言うと、「くっくっく」と不敵に笑い始めた。