「プレッシャーに弱ぇ~」、「達者なのは口だけかよ」、「負けたのあいつのエラーのせいだろ」、「俺たちの三年間返してって感じ」
 難波の頭の中では過去に言われた、心ない言葉の数々がうごめいていた。
 そして、それは難波の体に重くのしかかる。
 難波の目はホームの様子を捉えてはいるが、心ここにあらずの状態だった。
「ストライク! バッターアウト」
 大智が相手の四番を三振に取る。
 ピンチで四番が相手ということもあり、まだ序盤ながら、大智は全力で相手を抑えにいった。
 大智は続く五番、六番バッターも気迫溢れるピッチングで連続三振に切って取った。
 ピンチの場面なので、打たせないという気迫が込もるのは当然だが、この時の大智にはそれ以外にも何かしら特別な思いを込めているようにも感じられた。
 それを一番感じていたのは難波だった。
 エラーの後、心ここにあらずの状態だった難波だったが、大智の気迫溢れるピッチングを見るとハッとして、意識をグラウンドに取り戻していた。
 その後は大智のピッチングに見惚れた様子でその場に立ち尽くしていた。
 三アウトを取った後も佇んだままだった難波は皆がベンチに戻って行くのを見ると慌ててベンチへと向かった。
 難波が皆から少し遅れてベンチ前に着くと大智は難波の許へと寄って行った。
「な~に暗い顔してんだよ」
 大智が少しおどけた声で話かける。
「すまねぇ……」
 難波は俯きながらか細い声で謝った。
「気にすんな。0点で抑えたんだ。もう切り替えろよ」
 大智は難波の肩に手を置くと笑顔を向けた。
「ごめん。やっぱり俺、無理だわ……。他の誰かと交代してくれないか」難波は俯いたまま、大智から顔を背けるようにして言った。
「ば~か。九人ちょうどしかいないうちのどこに代わりがいんだよ」
 難波は見ていないが、大智は眉をひそめている。
「あっ。あぁ、そうか……。じゃあ、他の人とポジションを……」
 難波はそう言いながら顔を上げて周りを見渡す。
 しかし、周りはきょとんとした様子で難波を見ていた。
 そんな難波の様子を側で見ていた大智は突然、難波の両肩をガッと掴んだ。
「おい! さっきから何、弱気になってんだよ! お前と代われるやつなんて、今のこのチームにはいねぇんだよ」
 大智は掴んだ難波の肩を揺らしながら強めの口調で言う。
「けど、このままじゃ俺、絶対にまたエラーするし、迷惑かけるぞ……」難波はまた視線を地面に落としていた。
「いいんだよ。エラーしても」大智の声色が穏やかに変わる。
「は?」大智のその言葉を聞いた難波は顔を上げると首を傾げていた。
「エラーに限らず野球にはミスがつきもんなんだよ。プロでもあるまいし。俺らはただのアマチュア。ミスして当たり前なんだよ」そう語る大智の表情はどこか穏やかに感じられる。
「バッター!」
 球審が千町高校ベンチに声をかける。
「おい。次、大智からだぞ」
 審判の声を聞いた大森が大智に声をかける。
「お~っと。そうだった、そうだった」
 大智は急いで打席に向かう準備にかかった。
 打席に向かう準備をすぐに終えた大智だったが、ベンチから出るとすぐにはバッターボックスには向かわず、ベンチから出たところで立ち止まった。
 そして、ベンチに背を向けた状態で難波に声をかけた。
「それとな、難波」
 名前を呼ばれた難波は大智に視線を向けると、黙ってその背中を見つめた。
「例え誰かがミスしたってな、周りがカバーすればいいんだよ。野球は一人でするもんじゃねぇんだからな」
 大智は振り返って、難波に笑顔を送るとバッターボックスへと向かった。
 難波はただ呆然と大智の後ろ姿を見ながら涙を堪えるように唇を噛みしめていた。

 四回の裏、先頭の大智がセンター前ヒットを放って一塁へ出塁する。
 続く四番の大森もライト前にヒットを放ち、大智に続いた。
 千町高校が初回ぶりにチャンスを作った。
 ノーアウト一、二塁。
 五番小林は送りバントを決める。
 警戒される中できっちりサード線にボールを転がした。
 大智と大森がそれぞれ一つ先の塁へと進塁する。
 これで一アウト二、三塁。
 より点が入りやすい形を作った。
 打席に六番の木村が入る。
 ランナーの大智と大森、バッターの木村が監督藤原のサインを確認する。
 藤原は両手を使い、顔と体の部位を触って三人にサインを送った。
 とは言え、その動き自体に意味はなかった。
 初球、相手バッテリーはスクイズを警戒して外にボールを外す。
 それを見て藤原は再び意味を持たないサインを送った。
 二球目。
 変化球が外角低めストライクゾーンをかすめ、ストライクとなる。
 藤原がサインを送る。
 今回も意味はない。
「スクイズしないんですか?」
 藤原の隣でスコアブックを付けている愛莉が尋ねる。
「あぁ」
 藤原は腕を組んで、グラウンドを見つめたまま答えた。
「でも、上位打線ならまだしも、うちが港東みたいな強いチームから点を取るには何かしらしかけないといけないんじゃ……」
「それはそうなんだがな……」
 藤原は相手バッテリーの様子を見ながら答える。
「じゃあ、どうして何もしようとしないんですか?」
「ん? いやな、おそらく相手もそれくらいのことはわかっているだろうと思ってな。打者が一巡して、うちの打線が上位と下位では実力差が激しいことくらいわかってないわけないだろうしな」
「確かに」
 愛莉が納得したように頷く。
「となれば、チャンスで下位に回った場合、当然相手はこちらの動きを警戒してくる」
「そうですね」
「だから今回はあえて何もせん。相手が警戒して自滅してくれれば儲けもんだ。それに、下手に動いて春野の体力を無駄に削りたくはないしな。もし春野が早々にバテて点差でも付けられようもんなら、それこそこちらに勝ち目はなくなってしまうからな」
 藤原は腕を組みながら堂々と語った。
 愛莉は藤原が語り終えると、藤原の方をじっと見つめた。
「ん? どうした?」
 藤原が不思議そうな様子で愛莉を見る。
「いや、結構ちゃんと考えてるんだなと思って」
 愛莉は手元のスコアブックに視線を戻しながら言った。
「おいおい。俺を何だと思ってたんだ?」
 愛莉はそう訊かれると、顔を上げて無言で藤原を見つめると、顎に手を当て、「う~ん」と悩み始めた。
「楽観的で、ただ野球が好きなおじさん、……かな?」
 愛莉は作った笑顔を藤原に向けた。
「あの~。俺、仮にも君らの先生だし、監督なんだけど……」
 藤原は自身を指差しながら苦笑している。
「あ、すみません。忘れてました」
 愛莉はそう言って、頭を掻きながら、てへへっといった表情を浮かべていた。
「お~い」
 藤原は再び苦笑いを浮かべ、呟くようにツッコんだ。
「てか、そんなことより試合に集中してください!」
 愛莉はハッとすると、藤原に強めの口調で言った。
「すみません」
 愛莉の勢いに押された藤原が頭を下げて謝る。
(威厳ね~)
 ベンチで二人の様子を伺っていた選手はその様子を見て一斉に心の中で呟いていた。