日向山神社のあやかし警衛




……は?

お別れ?


何? 急に……。




「いつまでもこんな辛気臭い神社にいてもつまらないしな。そろそろ別の土地へ出発することにする」

「つまらないって……」


毎朝、毎晩、一緒にご飯食べて、あんたはいつも笑ってたじゃん。
毎日、私の作る食事を美味しいって言ってくれて、おかわり要求してたじゃん。


……悔しいから極力バレないようにしていたけど、そんな東和を見て、私も何度かつられて笑った。



……私は楽しかったよ?
東和は無表情のまま、その場で軽く飛び跳ねる。
この間、私を抱えて拝殿の屋根まで上った時と同じように高く飛ぶと、軽やかに鳥居の上に立った。


「じゃあな、葵」

「っ、ちょっと待って!」


ほとんど無意識に引き止めた。


さっさと出て行け、って何度も思っていたはずなのに。


今は、行ってほしくなんかない。



どうして急に、いなくなるの? どうして急に、冷たくなるの?



そんなに、私にキスされたのが嫌だった?




届くはずはないのに、鳥居のてっぺんに向かって手を伸ばす。


しかし、サアッと強い風が吹き、落ち葉が舞い、反射的に目を閉じた。

その目を開けた時にはもう、視界のどこにも東和の姿はなかった。



「東和……?」
名前を呼んでも、返事はない。


「東和、東和!」


それでも呼んでしまう。繰り返し、何度も。



……嫌だ。


こんな別れ方は嫌だ。




「……東和!」


私はその場を駆け出し、どこに消えたのかも分からない東和を求めて追い掛けた。
東和はこの神社から出て行くと言ったので、拝殿とは逆方向、学校から帰宅してきたルートへ後戻りするように私は駆け出した。


落ち葉の絨毯のような地面を数メートル進むと、ついさっき登ってきたばかりの十二段の石階段がある。


そこを全力で下る。



「……あれ?」



おかしい。

階段を下りきったら、目の前は道路のはず。

車が走り、脇には歩道がある、民家も数軒立ち並ぶ見慣れた道路がそこにあるはずで……


でも、今私の目の前には、それがない。


階段を下ったのに、さっきと同じ光景なのだ。

落ち葉の絨毯。数メートル先に、石階段。


おかしい、と思いながらももう一度石階段を下りる。


やっぱり同じだ。

見慣れた道路はそこにはなく、あるはずのない石階段が目の前に存在する。



……ぞわっと、背筋に気味の悪い感覚が走った。


背後に、何かいる?


恐る恐る、振り返るとーー。
「きゃぁぁぁぁっ⁉︎」


そこにいたのは、背丈も幅も私の二倍ほどの大きさを持つ、青い肌をした化け物。
顔の真ん中に大きな瞳がぎょろっと動き、私を捉える。
黒い着物のようなものを見に纏っていて、青く大きな右手が、私の左腕を掴んだ。


「やだっ、離して!」


今まで、こんな化け物、見たことはない。


じいちゃんが危惧していた危険なあやかしって、こいつのような化け物のことだったの?
私が同じ場所をループしていたのも、恐らくこの化け物が見せていた幻影だったのだろう。



「こんなに若い娘を食えるのは、久方振りだ」



化け物は低い声でそう言うと、私の腕を掴む手にギュッと力を込めた。


ーー痛い。


私、このままこの化け物に食べられてしまうの?
ーーいつ死んだっていいと思ってた。

でもそれは本音じゃなかったんだって、東和に気付かされた。


その東和も、どこかにいなくなってしまったけれど……


それでも私は……


東和を見つけたい。



私はまだ……




「ーー死にたくないっ!」



全力で叫ぶと、目の前をヒュッと風が通り過ぎた。


次の瞬間。
強い力で掴まれていたはずの腕は解放されており、そして私の両足は空中に浮いていた。



「大丈夫か、葵」



私は、東和に姫抱きされた状態で、顔を覗き込まれる。



「何で……?」


何で、ここにいるの?
私といてもつまらないから、ううん、私のことが嫌になって、出て行ったんじゃなかったの?



だけど目の前の東和は、まるで安心したかのように優しく微笑んでいる。



状況が飲み込めない。


だけど、東和が助けてくれた。
それだけは紛れもない事実だった。



紅葉の大木の太い枝の上に、私を抱えたまま両足で立った東和は、今度は怖い顔をして、地上にいる化け物を見つめる。
「東和。あれは何なの?」

そう尋ねると、東和は化け物に視線を向けたまま、私の質問に答えてくれる。


「あれは青坊主だな」

「あおぼうず?」

「山のある土地には時々出没する化け物だ。幼子をさらったり、女を襲ったりする。俺と同じあやかしには違いないが、あれはほとんど自我がなく、本能的に人間を襲う。特に、葵のようにあやかしが見えるほど霊感の強い人間は、そういう奴らにとって大好物なんだ」

「そんな……どうすればいいの? そうだ、じいちゃんを呼んでくる⁉︎」


そう提案するも、東和は。


「そんなことしている間に、また襲われるのがオチだな」


そう言って、私の身体を枝の上にそっとおろす。
その枝の上に腰をおろし、幹にしがみついてバランスを取った。


「ちょっと高さはあるが、地面にいるよりは安全だろ」

「……どうする気?」

「俺が退治する」

「無理だよ!」


だって、東和とあの化け物とじゃ、身体の大きさが全然違う。挑んだりしたら、東和があいつに殺されてしまう。
「逃げようよ……」

震える声で東和に訴える。


私はまだ、死にたくない。


その気持ちと同じくらいに……




「東和に死んでほしくない……」




恐怖や不安、色んな感情が混ざり合い、私の目からは涙が溢れる。

…….泣いたのなんて、何年振りだろう。



すると東和は、泣きじゃくる子供をあやすみたいにーー

私の頭をぽんぽんと撫でる。


その顔は、さっきと同じように微笑んでいて。



「大丈夫」


深く頷いてそう答えたのだ。