僕は今日も求める
真面目にひたすらに
それは決して手に入ることはなく
溜め息一つ溢しては
それでも僕はそれを求め
そして思い知るんだ
僕はーーーー
牧野一美はその美しい黒髪をふわりと揺らしながら黒板へと向かう。
たった一つの動作にも無駄がなく、スッと立ち上がり机と机の間を真っ直ぐに進む姿はまるで、ランウェイを颯爽と歩くモデルの様で。
凛とした空気。
そのオーラと呼ばざるを得ない何かが一瞬で褐色の教室に広がって行く。
牧野一美は美しかった。
何もかもが、誰も彼もがその全てに魅了される。
しかし、それは全てが計算なのだ。
どのように歩けば我が身が美しく見えるか。
その揺れる髪の毛先の一本一本にまで神経を張り巡らせ牧野一美は歩を進めるのだ。
数学の教師である秋川秀はその立場とは不釣り合いな派手なネクタイを好んだ。
いや、
派手なその顔立ちに似合うものを選ぶと自然とそうなっただけのこと。
そして秋川はその派手なネクタイに指を引っ掛けると絶妙のタイミングで少し緩めるのだ。
そうそれは、牧野一美が動揺することを知っていながら敢えてのタイミングで細く伸びた右手の人差し指を使いほんの少しネクタイを緩める。
と同時に左手で白墨を一本手に取ると流れるような動作で牧野一美に差し出してやる。
それは意味のない一連の動作のようでいて、実は昨夜ベッドに裸で横たわる牧野一美にふざけて自分の吸う煙草を差し出す様をフラッシュバックさせるべく。
全ては一美以上に計算高い秋川秀による悪ふざけだ。
黒板に白墨を滑らす音がカリカリ、コツコツと静かな教室に小気味良響く。
その音を聞きながら平岩結人はひっそりと誰にも気づかれぬよう溜め息一つ漏らした。
平岩結人は何もかもを知っていた。
何もかもを、と言うのは
秋川と一美が男女のそれであることを。
秋川が今この瞬間も一美を弄んでいると言うことを。
平岩結人はまた溜め息を一つついた。
やはり誰にも気づかれぬよう注意しながら吐き出した。
結人が溜め息を漏らしている間も牧野一美は一次不等式をスラスラと解いていく。
「オッケイ、席に戻って。君にこの問題は少し簡単過ぎたようだね。」
ニコリともせず秋川はそう言うと
ーーーーご褒美あげなきゃね
黒板に向かって聞き取れないくらいの声で呟く。
一美には必ず聞こえているだろうと自信ありげに黒板に向かい赤を書き込んでゆく。
一美が解いた一次不等式はどれも合っていた。
一美はもちろんデキル生徒の余裕の笑みを浮かべ、また自分の席へと戻って行く。
ただ必要以上にその手は固く握りしめられ平岩結人はその事実を認めるとまた回りに気付かれぬ様口だけを動かした。
ーーーマジかよ
ーーーやっべスマホ忘れてきた
昇降口で気付いた平岩結人はもう一度教室へと階段をかけ上がる。
そして教室のドアを勢いよくガラリと開けたところで
牧野一美が窓際の机に一人で座っていた事に気付いた。
「えっと、スマホは…っとここか?」
何て事を口にしながら敢えて牧野一美の存在を結人はスルーすることにした。
結人の通う高校では携帯電話と言った類いのものは学内に持ち込んではいけないことになっている。
朝、ホームルーム前にこっそり新着のメッセージをチェックをしていた時に担任が入ってきたため慌てて机の引き出し奥に突っ込んでそのまま忘れてしまったのだ。
「ねぇ…。」
結人がスマホを手にしたところで一美が声を掛けてきた。
「えっ?」
必要以上に大きな声が出てしまった事に結人は自分自身驚きつつも平静を装うべく一美に聞き返した。
「何?」
「ねぇ?気付いてるんでしょ?」
「何が?」
結人は心臓が急激に早く動き出したことに動揺しつつもなるべく普段と変わらぬトーンで再度、聞き返した。