総理のカツラ疑惑に端を発した公費流用問題は、その後も長期にわたり、もめにもめた。
総理行きつけの床屋の主人が、『ついに真相を告白!!』なんて、肯定と否定の様々な記事が週刊誌を賑わせ、業務上知り得た顧客情報の守秘義務違反に当たると主張する与党と、政府主導による検察からの圧力によって、理髪業界全体が被害を被ったうえに、個人の自由な発言を阻害する民主主義への反逆だと、野党は応戦した。
この両陣営は、とにかくもめ事を起こして、混乱させるのがお仕事らしい。
結局、秋の臨時国会は空転を余儀なくされ、無罪を主張する総理の身の潔白を証明するため、やがてそれはヅラ解散へと発展していく。
こんなことをしている間にも、翔大は刻一刻と地球に向かってやって来ているというのに。
連日の国会前でのデモ報道と、カツラ疑惑の追及ぶりには、呆れてため息すら出ない。
この人達は、もし翔大の問題が公表され、明らかになったら、どんな行動に出るのだろう。
そんな場合でも、やっぱり反対運動を起こしたりするのかな、それとも、一致団結して、めちゃくちゃ協力してくれる、心強い味方になるのかな。
もしかしたら、一切興味関心を示さず、報道も全くなかったりして。
それもありえない話しじゃない。
まあ、大抵の事実ってのは、マスコミに載る方が全体のごくごく一握りの出来事なんだけど。
この世には、自分の知らない出来事がたくさんありすぎるし、その全てを知ることも不可能だ。
衆議院議員選挙の当日、俺は、もし野党に一票を投じたら、世の中は一体どう変わっていくのだろうと思いつつも、翔大迎撃作戦のため、センターと防衛省の連携協定に関する法律を内閣府から法案として提出をお願いしている立場上、与党にしか投票しようがなかった。
本当は、気持ちとしては野党に投票したかった。
総理、自分の頭髪に自信を持て、総理がハゲだろうが、そうでなかろうが、国民は頭髪によってその人の能力を判断しているワケではない。
もっと堂々と、自由に生きて欲しい。
その辺の主張は、大いに野党に賛同している。
しかし、やっぱり俺は、与党に投票した。
その日の夜、俺は狭いアパートの自室で、一人ビールを飲みながら選挙速報を眺めていた。
今回の選挙だけは、どうしても与党に勝っていただかなくてはならない。
世論調査の予測はどこも五分五分。
ヅラ解散なんかで、本当に決定を遅らせている場合ではないのだ。
もし野党が勝ったら……、官僚も全員交代なんてことは資格任用制の日本じゃないだろうけど、法案の作り直しと、人脈をイチから立て直すのには、面倒くさすぎる。
翔大は待ってくれない。俺たちには、時間がないのだ。
深夜まで続いた混戦は、翌朝明朝にまでもつれ込み、結局、僅差で与党が勝利を収めた。
テレビの画面で、晴れやかな笑顔を見せる総理の頭髪に、俺の視線はくぎ付けにされる。
そうだよ総理、どっちだっていいんだよ、ちゃんとやること、やってくれてればね。
解散総選挙のあとは、内閣府の長である総理の続投が決定した。
防衛省の大臣は変わったけど、文科省の大臣の継続が発表され、俺はさらに、ほっと胸をなで下ろす。
そう、内閣府の長と、文科省の大臣さえ変わらなければ、翔大迎撃作戦の続行には支障がないはずだ。
報道に出される新内閣発足のニュースが、これほど気になった選挙も、いまだかつてなかった。
俺的にはね。
センターの隅っこで、手持ちぶさたの俺は、ぼんやりネットニュースを見ながら、そんなことばかりを追いかけていた。
そうか、新防衛省長官の好きな食べ物は、いちごかぁ~、趣味は園芸ね、なんて。
目の前の卓上白電話が鳴り、もはや電話番としか機能していない俺の手は、反射的に受話器を持ちあげた。
「はい、もしもし? こちら、アースガード研究センター、杉山ですけど」
「おぉ! 杉山くんか? 俺、俺! 俺なんだけど!」
「あ、オレオレ詐欺ですかぁ? 間に合ってま~す」
受話器を下ろそうとしたその奥から、聞き覚えのある声が響いた。
「俺だよ、内閣府の高橋だよ!」
ついに連絡が来た! 俺は慌てて、受話器にかぶりつく。
「どうなりましたか?」
「オッケー取れたよ。テレビカメラが入っての、大臣初仕事取材の時にさ、書類の順
番入れかえて、2番目に差し替えておいたんだ。ちらっとめくって、ポンって、ハ
ンコ押したよ」
握りしめた拳が細かく震えている。俺はそのまま飛び上がった。
「やったぁー!」
「宮下くんと、野村さんにも連絡しておくから、後は任せたよ。日本の、いや、世界
の運命が関わっているからね」
ここからは見えなくても、高橋さんの、得意げに親指を立てているポーズが目に浮かぶ。
「はい! ありがとうございました!」
なんだかんだ恥ずかしい理由をつけても、結局ちゃんと動いてくれている。
この人達って、やっぱり基本的には、誰かのために、何かのために、動ける人達なのだ。
それを、あえて正義とは言わない。
俺は受話器を置いた。センターのみんなが、俺を見守っている。
「防衛省との協定案、これから作り始めますよ!」
ここに入局した当時、俺はこんなにも、ここで受け入れられるとは思わなかった。
完全門外漢のはずだった俺にも、左遷先だったはずのここでも、やれば出来ることって、あるんだな。
香奈さんが誉めてくれている。栗原さんが泣いている。
センター長の大きな手が、俺の肩に乗っている。
再び電話がなった。相手は宮下さんだった。
「おめでとう、うまくいったみたいだね」
「ありがとうございました!」
「俺も、監督官庁として手伝うよ。お役所ルールの公文書、君にちゃんと書ける?」
「どういうことですか?」
「公文書というのはな、各官庁、各部局ごとに、使用される書体、文体、文字の用
法、空欄の入れ方から、ハイフンの位置、漢数字の使用方法、カタカナルールま
で、細かく規定されている」
「はい?」
「あくまで例えだ。『この文章の、この空欄は、全角ではなく半角で入れ直せ、英数
字はCenturyではなく、Helveticaだ』とかいう1ページ目、1カ所だけの理由で、
300ページにも及ぶ書類を、突き返されたくないだろう?」
「そういう経験、あるんですか?」
「まぁ、俺みたいな公文書のプロとなると、提出された文書を見ただけで、中央官庁
だけでなく、地方自治体どこの公文書かまで、全て言い当てることができるから
な」
お役所仕事って、そういうことか。
「『一人』は『ひとり』で、『払い戻す』ではなく『払いもどす』だ」
「あの、何を言ってるのか、ちょっと分からないんですけど」
「まぁいい。一般人にはなかなか理解の及ばないルールだからな。これは公文書偽造
防止のための措置だ。見る人間がちゃんとみれば、少なくとも、この書類は『受理
された書類ではない』というのは、一目でわかる」
「お役所仕事ですね」
「提出資料の作成は、俺がやった方が早いってことだ」
「よろしくお願いします!」
そして、ついに本丸御殿の大本命、防衛省野村氏からの連絡が入った。
「明後日、14時26分にそちらにうかがうつもりだが、実行は可能か?」
「はい、いつでもかまいません」
「いつでもではない。明後日の14時26分だ」
「了解です!」
それだけを確認して、野村氏からの電話は終わった。
「いよいよ、これからが君の本番だね」
センター長の鴨志田さんが、俺に声をかけた。
「はい! 全力で頑張ります!」
ミサイルのことは分からない、空を飛んでくる小惑星のことも、どの角度で、どれくらいの火薬量で、どのタイミングで発射すればいいのかも、俺には計算できない。
でも、俺にだって、翔大と戦うためにやれることは、たくさんあった。
待ってろよ、翔大!
総理行きつけの床屋の主人が、『ついに真相を告白!!』なんて、肯定と否定の様々な記事が週刊誌を賑わせ、業務上知り得た顧客情報の守秘義務違反に当たると主張する与党と、政府主導による検察からの圧力によって、理髪業界全体が被害を被ったうえに、個人の自由な発言を阻害する民主主義への反逆だと、野党は応戦した。
この両陣営は、とにかくもめ事を起こして、混乱させるのがお仕事らしい。
結局、秋の臨時国会は空転を余儀なくされ、無罪を主張する総理の身の潔白を証明するため、やがてそれはヅラ解散へと発展していく。
こんなことをしている間にも、翔大は刻一刻と地球に向かってやって来ているというのに。
連日の国会前でのデモ報道と、カツラ疑惑の追及ぶりには、呆れてため息すら出ない。
この人達は、もし翔大の問題が公表され、明らかになったら、どんな行動に出るのだろう。
そんな場合でも、やっぱり反対運動を起こしたりするのかな、それとも、一致団結して、めちゃくちゃ協力してくれる、心強い味方になるのかな。
もしかしたら、一切興味関心を示さず、報道も全くなかったりして。
それもありえない話しじゃない。
まあ、大抵の事実ってのは、マスコミに載る方が全体のごくごく一握りの出来事なんだけど。
この世には、自分の知らない出来事がたくさんありすぎるし、その全てを知ることも不可能だ。
衆議院議員選挙の当日、俺は、もし野党に一票を投じたら、世の中は一体どう変わっていくのだろうと思いつつも、翔大迎撃作戦のため、センターと防衛省の連携協定に関する法律を内閣府から法案として提出をお願いしている立場上、与党にしか投票しようがなかった。
本当は、気持ちとしては野党に投票したかった。
総理、自分の頭髪に自信を持て、総理がハゲだろうが、そうでなかろうが、国民は頭髪によってその人の能力を判断しているワケではない。
もっと堂々と、自由に生きて欲しい。
その辺の主張は、大いに野党に賛同している。
しかし、やっぱり俺は、与党に投票した。
その日の夜、俺は狭いアパートの自室で、一人ビールを飲みながら選挙速報を眺めていた。
今回の選挙だけは、どうしても与党に勝っていただかなくてはならない。
世論調査の予測はどこも五分五分。
ヅラ解散なんかで、本当に決定を遅らせている場合ではないのだ。
もし野党が勝ったら……、官僚も全員交代なんてことは資格任用制の日本じゃないだろうけど、法案の作り直しと、人脈をイチから立て直すのには、面倒くさすぎる。
翔大は待ってくれない。俺たちには、時間がないのだ。
深夜まで続いた混戦は、翌朝明朝にまでもつれ込み、結局、僅差で与党が勝利を収めた。
テレビの画面で、晴れやかな笑顔を見せる総理の頭髪に、俺の視線はくぎ付けにされる。
そうだよ総理、どっちだっていいんだよ、ちゃんとやること、やってくれてればね。
解散総選挙のあとは、内閣府の長である総理の続投が決定した。
防衛省の大臣は変わったけど、文科省の大臣の継続が発表され、俺はさらに、ほっと胸をなで下ろす。
そう、内閣府の長と、文科省の大臣さえ変わらなければ、翔大迎撃作戦の続行には支障がないはずだ。
報道に出される新内閣発足のニュースが、これほど気になった選挙も、いまだかつてなかった。
俺的にはね。
センターの隅っこで、手持ちぶさたの俺は、ぼんやりネットニュースを見ながら、そんなことばかりを追いかけていた。
そうか、新防衛省長官の好きな食べ物は、いちごかぁ~、趣味は園芸ね、なんて。
目の前の卓上白電話が鳴り、もはや電話番としか機能していない俺の手は、反射的に受話器を持ちあげた。
「はい、もしもし? こちら、アースガード研究センター、杉山ですけど」
「おぉ! 杉山くんか? 俺、俺! 俺なんだけど!」
「あ、オレオレ詐欺ですかぁ? 間に合ってま~す」
受話器を下ろそうとしたその奥から、聞き覚えのある声が響いた。
「俺だよ、内閣府の高橋だよ!」
ついに連絡が来た! 俺は慌てて、受話器にかぶりつく。
「どうなりましたか?」
「オッケー取れたよ。テレビカメラが入っての、大臣初仕事取材の時にさ、書類の順
番入れかえて、2番目に差し替えておいたんだ。ちらっとめくって、ポンって、ハ
ンコ押したよ」
握りしめた拳が細かく震えている。俺はそのまま飛び上がった。
「やったぁー!」
「宮下くんと、野村さんにも連絡しておくから、後は任せたよ。日本の、いや、世界
の運命が関わっているからね」
ここからは見えなくても、高橋さんの、得意げに親指を立てているポーズが目に浮かぶ。
「はい! ありがとうございました!」
なんだかんだ恥ずかしい理由をつけても、結局ちゃんと動いてくれている。
この人達って、やっぱり基本的には、誰かのために、何かのために、動ける人達なのだ。
それを、あえて正義とは言わない。
俺は受話器を置いた。センターのみんなが、俺を見守っている。
「防衛省との協定案、これから作り始めますよ!」
ここに入局した当時、俺はこんなにも、ここで受け入れられるとは思わなかった。
完全門外漢のはずだった俺にも、左遷先だったはずのここでも、やれば出来ることって、あるんだな。
香奈さんが誉めてくれている。栗原さんが泣いている。
センター長の大きな手が、俺の肩に乗っている。
再び電話がなった。相手は宮下さんだった。
「おめでとう、うまくいったみたいだね」
「ありがとうございました!」
「俺も、監督官庁として手伝うよ。お役所ルールの公文書、君にちゃんと書ける?」
「どういうことですか?」
「公文書というのはな、各官庁、各部局ごとに、使用される書体、文体、文字の用
法、空欄の入れ方から、ハイフンの位置、漢数字の使用方法、カタカナルールま
で、細かく規定されている」
「はい?」
「あくまで例えだ。『この文章の、この空欄は、全角ではなく半角で入れ直せ、英数
字はCenturyではなく、Helveticaだ』とかいう1ページ目、1カ所だけの理由で、
300ページにも及ぶ書類を、突き返されたくないだろう?」
「そういう経験、あるんですか?」
「まぁ、俺みたいな公文書のプロとなると、提出された文書を見ただけで、中央官庁
だけでなく、地方自治体どこの公文書かまで、全て言い当てることができるから
な」
お役所仕事って、そういうことか。
「『一人』は『ひとり』で、『払い戻す』ではなく『払いもどす』だ」
「あの、何を言ってるのか、ちょっと分からないんですけど」
「まぁいい。一般人にはなかなか理解の及ばないルールだからな。これは公文書偽造
防止のための措置だ。見る人間がちゃんとみれば、少なくとも、この書類は『受理
された書類ではない』というのは、一目でわかる」
「お役所仕事ですね」
「提出資料の作成は、俺がやった方が早いってことだ」
「よろしくお願いします!」
そして、ついに本丸御殿の大本命、防衛省野村氏からの連絡が入った。
「明後日、14時26分にそちらにうかがうつもりだが、実行は可能か?」
「はい、いつでもかまいません」
「いつでもではない。明後日の14時26分だ」
「了解です!」
それだけを確認して、野村氏からの電話は終わった。
「いよいよ、これからが君の本番だね」
センター長の鴨志田さんが、俺に声をかけた。
「はい! 全力で頑張ります!」
ミサイルのことは分からない、空を飛んでくる小惑星のことも、どの角度で、どれくらいの火薬量で、どのタイミングで発射すればいいのかも、俺には計算できない。
でも、俺にだって、翔大と戦うためにやれることは、たくさんあった。
待ってろよ、翔大!