パパは夕食を終えてソファーでテレビを見ている。後片付けが終わったので相談に行った。

「コーヒーをいれてあげよう」

「ありがとうございます。ちょっとご相談があります」

「何? 深刻な顔をして。コーヒーを飲みながら聞こうか」

パパがコーヒーをカップに注いでくれた。今日買ってきたと言うモカブレンドだ。モカの特徴が出ているまろやかな美味しいブレンドだと言っていた。

「専門学校の同じ班のクラスメイトから結婚を前提にしたお付き合いを申し込まれているんです。同じ班なので気軽にお話していたらこんなところまで話が進んでしまって」

「どんな人?」

「有名オーナーシェフの息子さんで大学を卒業してから父親の跡をつごうと一から勉強を始めたと言っていました。私のことが気に入って、この前の怪我の時も何回か見舞いに来てくれました」

「そうなの。いい人みたいじゃないか? 付き合ってみたらどうなの?」

パパはそっけない。関心がないはずはないのにこの言い方は何?

「今はそんな気になれませんとお断りしました。それでも先方は納得がいかないようで、パパに直接お願いしてもいいかと言ってきた」

「僕に直接? なぜ?」

「その人の父親もはじめは母親から相手にされなかったので、父親が直接母親の親の家へ行って、交際をさせてほしいと頼み込んだそうなの。その父親の熱意に打たれて母親が徐々にその気になって結ばれたということらしいんです」

「その成功体験を父親から吹き込まれている?」

「そうみたいです。有名なシェフで本人も父親を尊敬していて、父親のようになるのを目指しているみたいですから」

「いやなの?」

「ちょっとファザコンみたいで」

「男のファザコンはないと思うけど。父親を尊敬して父親のようになりたいというのはいい話じゃないか」

どういう訳かパパは勧める。本気でそう言っているの?

「いやなものはいやなんです」

パパに安堵の表情が表れた。そんなにカッコつけなくてもいいのに。

「それで」

「日曜日に訪ねてきて、パパに会いたいと言っているの」

「ずいぶん積極的だね。よっぽど久恵ちゃんが気に入っているんだ」

「どこが気に入られているの? 聞いてみた?」

「母親と性格がそっくりなんだとか」

「そういうところはマザコンかもしれないね」

「そんなの先方の勝手な思い込みです」

「今のところは先方の片思いというところだろうけど」

「けど?」

「一方的な片思いはいずれ終わると思う。なぜなら、高まっていかないからいずれは醒めていく。でも、一方が好きになって好きだと伝えると、それに応えるように相手も好きになってくれるようになる。好意を持ってくれる人に好意を持つというのは、自然のことで、恋愛もここから始まると思うけどね」

「好意は分かりますけど、私はどうかというとそんなことにはならないような気がしています」

「まず、相手を好きになったら好きと言わなければ、相手も好きになってくれない。正攻法で来ているのは好感がもてる」

「説得力のある話だけど、それじゃ困るの」

「じゃあ、どうしたいの」

「ここに来てもらって、パパの口からきっぱり断ってもらいたいの!」

「断っても引き下がりそうには思えないけど」

「だから困っているの。でも、いい断り方を考えたから、これなら一発で引くと思う」

「何?」

「私と内縁関係にあるときっぱりと言ってください」

「内縁関係?」

「だって、管理人さんにも妻と言ってあるでしょう。調べれば納得すると思う」

「彼はどこまで僕たちのことを知っているんだ」

「きっと父親に頼んで学校に手をまわして調べたのだと思いますが、ここの住所と叔父と同居していることを知っていました」

「確かに入学手続きの書類に保証人は僕で関係は叔父としていたし、住所も書いた。久恵ちゃんの住所も同じだからね。先方も本気だね」

「付き合ってみてもいいじゃないの?」

また、それを言う。本当にいいの?

「いやなんです。さっき言ったように本当に好きになったらどうするんですか?」

「それならそれでいいと思うけど」

口ではこう言っているけど、本当にそれでいいの? 何なのこの優柔不断さは。

「いやなものはいやなんです」

パパがホッとしたような表情になった。分かりやすい人だ。

「じゃあ、日曜日に会うことにしようじゃないか」

ようやくパパに気合が入ってきた。

◆◆ ◆
彼が訪ねて来るという日曜日、パパは朝から落ち着きがない。「娘をお嫁さんに下さいと言いに来る彼氏を待っている父親の心境がよく分かる」とか分かったようなことを言っていた。

パパに最初にこの話をした時に、私にとって悪い話ではないと言っていた。確かに客観的に考えると悪い話では少しもない。でも、そうですねと言って、パパから離れて彼に近づくことなど到底できない。

パパもこんな降って湧いたような話に気乗りがしないのは話していてすぐに分かった。私に勧めるときでも気持ちが入っていなかった。口ではそういっているが顔は無表情だった。でもその優柔不断さが気に入らなかった。

約束の時間が近づくと、パパはソファーに座ってずっと考えていたみたいだ。マンション入り口のチャイムが訪問者を知らせて鳴っている。パパは急いでパネルの画面をのぞいている。

「どなた様ですか?」

「飯塚《いいづか》昇《のぼる》といいます」

「3階の306号室へどうぞ」

マンションの入口のロックを解除する。パパは玄関へ迎えに出た。私は玄関へは行かずにソファーに座っていた。

パパが彼を案内してリビングへ連れてきた。そしてソファーに座ってもらった。私は席を立ってコーヒーをいれた。コーヒーを配り終わるまで、沈黙が続いた。私が席に戻ると飯塚君が話し始めた。

「不躾だとは思ったのですが、川田さんと交際させていただきたいので、直接叔父様にお願いに上がりました。本人が固辞されていますが、諦めきれなくてここまで押しかけてきました。どうか交際させて下さい。お願いします」

「本人は理由を申し上げていないのですか?」

「直接、叔父様に聞いてほしいと言っています」

「そうですか、申し訳ありませんでした。歳も離れているので、本人の口から申し上げにくかったのでしょう」

そう言って、パパは私の顔を見た。パパは演技がうまい。思わず笑いそうになるのを懸命にこらえる。

「僕と交際できない理由ってなんですか?」

「歳が離れているので、お恥ずかしい話ですが、私と久恵は内縁関係にあるのです」

「叔父さんと姪御さんが内縁関係ですか? 確か叔父と姪は3親等内なので結婚できないはずですが、それで内縁関係なのですか?」

「いいえ、久恵とは血縁関係はありません。久恵は兄の結婚相手の連れ子なのです。兄夫婦が昨年の暮れに交通事故で他界いたしまして、それで久恵を引き取って面倒を見ていました」

「それで内縁関係になってしまったということですか」

「歳が離れていますが、お互いに気心が通じ合ったと言いますか、お恥ずかしい限りです。久恵もこのことを口外したくなかったのでしょう。いずれ学校を卒業したら籍を入れようと思っています」

「そういうことならしかたありません。分かりました。諦めがつきます」

「このことは学校では口外なさらないでいただけますか? そして、久恵とは友人のままいてやっていただけないでしょうか。お願いします」

「分かりました。そうさせていだだきます」

そういうと、彼は一礼して帰って行った。二人で玄関まで彼を見送った。好感の持てる人だった。パパは一仕事終えて安心したのか、ソファーに座ってため息をついた。でも私はパパが懸命に演技してくれて断ってくれたのが嬉しかった。

「パパ、迫真の演技だった。あれなら騙される」

「そうか? ここのところずっとどう言おうか考えていたから」

「でも、歳が離れてお恥ずかしいはないと思う。歳が離れていてもいいと思うし、恥ずかしがらなくもいいんじゃない。もっと自信を持って」

「そうは言っても、そういうから説得力があるんだ」

「そうなの」

「それに、つい我慢できなくて手を出してしまったとも言えないだろう」

「それはDVです。私の立場もあるから当たり前です。とても上品な言い方でした。ありがとうございました」

そう言って私は自分の部屋に機嫌よく引き上げてきた。パパは私のことを手放したくない。確信をもってそう思えた。