パパか恋人かどっちなのはっきりさせて!

私がここへ来てからもう3週間ほどになる。調理師専門学校にも慣れて、家事もなんとかこなしている。パパは毎日機嫌が良い。食事も美味しいと言って食べてくれている。

新婚生活ってこんな感じ? やっぱりちょっと違うかな? あまりドキドキ感がないし、当たり前だけどHもない!

もともと私とパパは性格が似ていると思っていたけど、一緒に生活して違うところもあることが分かってきた。

倹約家で、ものを無駄にしない、無駄なものを買わない、ものを大切にする。これは私と同じ。ケチとは違う。お金を出すべきところは思い切ってしっかりと出す。「出す必要のないものを出さないのが倹約、出すべきものを出さないのがケチ」とか言っていた。同感。

それからせっかちなところ、私もせっかちだけど、それ以上だ。今相談していたことをすぐに実行に移す。決まったことはすぐにしないと気が済まないようだ。

それから綺麗好き。ただ、私ほどではない。目に見えるところはとても気にするが、自分の部屋でも見えないところに結構ほこりが溜まっている。

それからシャツなど汚れていないと1回着てもすぐに洗濯しない。でもそれを言うとしぶしぶ洗濯に出してくれる。私は1回着ると洗濯しないではいられない。

理由を聞くと、あまり洗濯をすると生地が傷んで長持ちしないからと言っていた。まあ、一理ある。私はしょっちゅう洗濯するからブラウスでも早く着られなくなることがある。

それから、整理整頓が上手というか、片付けがうまい。きちっと論理的に並べていると言うか整理している。だから、すぐに探し物が出てくる。要領を聞いたら、分からなくなったら、自分だったらどこに片付けるかを考えるそうだ。そしてその場所を探すそうだ。

私にはまねできない。私は綺麗好きだけど、整理整頓や片付けは大の苦手だ。下着でも綺麗にたたむところまではできるのだが、それを種類別に分けてしまうことが苦手だ。

私の衣装箱を一見すると綺麗に入っているが、種類は順不同になっている。でもそれが不規則なりに繰り返されているので、実際にはそんなに困らない。

でもパパはそんな私に小言も言わずに整理や片付けを手伝ってくれる。ありがたい。私にはここでは大切にされている、守られているという安心感がある。

でもちょっとドキドキした間違いがあった。朝起きてトイレに入ったら、下ろした下着がなにか違う。よく見たらパパのブリーフだった。それも後ろ前に履いていた。

昨晩、お風呂に入ったときに、洗濯したものと着替えたけど、気が付かなかった。ただ、少し緩いなと思っただけだった。ゴムが緩んだとしか思わなかった。そういえば夜中、お尻のあたりがいつもの感じと違うと思っていた。

へへへと思わず笑ってしまった。いつ、どうしてパパのブリーフが私のところへ混入したか分からなかった。確かに分かっていればこんなことは起こらない。

すぐに部屋に戻って自分のものと履き替えた。そしてすぐに洗濯機を回した。よくよく考えてみると、パパのが1枚、私のところへ混入したとすると、私のが1枚、パパのところへ混入したかもしれない。でもパパは何も言っていなかった。

パパが出勤した後にパパの部屋に入って、初めてパパのクローゼットを開けた。記帳面なパパらしく綺麗に整理整頓されている。

すぐの下着のプラケースが見つかった。開けてみると整然と下着が入っている。ブリーフもきちんと整理されて入っていた。

ただ、私の下着は見つからなかった。まさか、パパが気付かないで履いて行ったはずはない。でもあり得るかもしれない。私も気づかないで履いていたから。確信はもてなかった。それなら、何か言ってくるだろう。

残念ながら私は自分の下着の枚数を把握していなかった。1週間分7枚くらいはあったと思うけど定かではない。それまで待っていればいいことだし、謝ればすむこととだ。

◆◆ ◆
すっかり、忘れていた。間違えたことが分かった翌日に洗濯が終わって、ベランダで干していると、私の下着が2枚あった。確か昨日は1枚しか着替えなかったはず。1枚はどこから出てきた? 先日の洗濯の際に取り出すのを忘れて残っていた? そんなはずはない。昨日は1枚畳んでしまったのを覚えている。

ということは、パパが出した? でもパパのブリーフはちゃんと1枚ある。どこからか1枚出てきた。考えてみるとパパしか考えられない。きっと間違えたことが分かって、私がいやな思いをしないように、分からないようにしたんだと思う。聞いてみてもきっと知らないと言うと思う。

でもそれから1か月くらい後になって、パパは何を思ったのか、白のブリーフを黒のボクサー型のパンツに徐々に買い替えていった。ほとぼりが冷めたと思ったのだろう。そのとき私はパパも私のものを間違えて穿いたんだと確信した。

でもパパらしい。私が嫌がると思って気を使ってくれたんだ。それまで私のことを大切に思っていてくれることが嬉しかった。だからこのことは気がつかなかったことにしておこう。
今日、パパは仕事で帰りが遅いといっていた。おそらく午前様になるから先に寝ていてくれればいいと言っていた。

こんなに遅くなることは初めてだった。同居生活を始めてから7時前後には帰ってきていた。たまたま仕事で遅くなってもせいぜい8時ごろだった。

私が食事をしないで待っていてくれるから悪くて早く帰るようにしているのだとか。新婚さんはこういういう感じかなとか意味深なことを言っていた。

パパは私のことをどう思っているのかはっきり分からない。父親代わりとして、私の面倒を見てくれているし、可愛いと思ってくれているのは間違いない。だって、洋服を何着も買ってくれたし、ヘヤサロンにも連れて行ってくれた。

髪形をショートにした時に私をジッと見た目は確かに男の人の目だった。それに私がパパと呼んで良いかって聞いたときに、一瞬見せた寂しそうな表情、あれは何なの? 私を一人の女性としてみてくれているの?

私は元々パパが大好きだった。私好みのイケメンで、初めて会った時から叔父さんというより男性として見ていた。血のつながった叔父と姪は結婚できないけど、全くの他人だから当たり前だと思う。

事故があるまでは数えるほどしか会っていないけど、素敵な人と思っていた。だから、東京へ来て一緒に住まないかと言われた時は嬉しかった。

でもパパは私のことを大切にするだけで、手は繋いでくれても、自分からは指一本触れてこない。私の部屋には絶対に入ってこない、ノックするだけ。話すときもドア越しだ。

でもお風呂上りの私を見る目、あれは男の人の目だ。もし、パパが私を押し倒して、求めてきたら、どうする? 少し抵抗して受け入れる? そんなこと絶対に起こらないと思うけど、受け入れると思う。そんなこと考えていたら、眠ったみたい。

夢うつつの中で、私の部屋のドアが開く気配を感じる。誰かが布団をまくって布団の中に入ってきて私に覆いかぶさる。夢を見ているの? 夢じゃないと分かると、とっさに恐怖感から「ギャー」と奇声を連発してしまった。

でも少し変、覆いかぶさるだけで、何もしない。体重が私にかかる。アルコールの匂いがする。それにこれはパパの匂い? 酔った勢いで私の部屋に?

布団の中でドタバタしていると、外から玄関ドアをたたく音がする。隣の住人がマンションの警備会社へ連絡したので、ガードマンが急遽到着した。合鍵を使って部屋に入って、その侵入者を取り押さえた。

明るくなるとやっぱりパパだった。その後、パトカーが来るやらで一騒動になった。

私は驚くやら恥ずかしいやらで、どうしてよいか分からず、泣き出してしまった。私が泣いたことによってますますパパの立場は悪くなった。

パパは酔って間違って前に自分が使っていた部屋に入ったと言い訳をしているけれど、全く聞いてもらえない。こうなった状況からはDV(ドメスティックバイオレンス)か何かがあったと見られて当然だ。

それにパパと私の関係を聞かれていた。義理の姪だと答えていた。間違いがないけど、この状況ではなおさらDVを疑われる。

お巡りさんが私に事情を確認するころには、私も状況が呑み込めて、事の重大さが分かってきたので、パパの勘違いと私の思い違いをなんとかうまく説明できた。

お巡りさんは何度も私に本当にDVはなかったのか、そういうことで間違いないかと確認していた。私が何度も否定したこと、でようやくお巡りさんも納得したみたいで、パパは解放された。もう酔いはすっかり醒めたみたい。

ガードマンやお巡りさんが引き上げていった。ようやく平穏が戻った。疲れがどっと出た。パパはうなだれてぐったりしている。

「申し訳ない。酔っていたとはいえ、以前の自分の部屋と間違えたことは、全く迂闊だった。誤解しないでほしい。信じてほしい」

パパは手をついて謝ってくれた。

「始めは本当に不審者が入ってきたと思ったから大声を上げてしまいました」

「本当に驚かしてごめん」

「でも、でも少し変だったの。覆いかぶさるだけで、何もしないし、アルコールの匂いがしました。それにパパの匂いがしたから、酔った勢いで私の部屋に入ってきたと思ったの」

「ごめん、本当に自分の部屋と間違えたんだ」

「パパだと分かってからは、驚くやら恥ずかしいやらで、泣いてしまって」

「本当にごめん」

「それに部屋の内鍵をかけていませんでした。こういう間違いも起こると分かったので、これからは必ず鍵をかけます」

「そうしてくれると安心だ。でも二度とこういうことがないように気を付けるから」

「事情はよく分かりました。パパは疲れているみたいだから、もう寝てください」

「ああ、そうさせてもらうよ。おやすみ」

「私も寝ます。おやすみなさい」

その後、お互いに気まずさを感じながらも疲れて就寝した。

次の朝、パパはひどい二日酔いになった。

「酔っぱらいには本当に手数がかかりますね。身体に悪いのでこれからは飲みすぎに注意して下さい」

「今回のことで、身に染みて分かった」

それで朝食にお粥を作ってあげた。パパは、照れくさそうに「美味しい」と言って食べてくれた。

いつもより2時間遅れて、近所を気にしながら二人一緒に出かけた。なんとかお互いに信頼関係を修復できたみたいでほっとした。

でも、泥酔して無意識で私の部屋に侵入したのは、パパの心の片隅にそういう思惑があったのかもしれない。もしそうなら正々堂々ときてほしい。やっぱり無理かな?
パパの今日の予定は同僚と飲み会と聞いていたけど、8時前には帰ってきた。私は帰りが遅いと思って先にお風呂に入って丁度上って着替えたところだった。

「ただいま」

「おかえりなさい。夕食はパスで良かったですね」

「同僚とビヤホールで済ませた」

「飲んだのに早かったね」

「この前の失敗があるから早めに切り上げたんだ」

玄関に迎えに出た時から、パパはなぜか私と目を合わせない。何かを隠そうとしている? うしろめたいことでもあるの?

ひょっとすると、飲み会の相手は女性? カバンを持って後ろを歩くといつもとは違うような匂いがするので、鎌をかけてみる。私は匂いには結構敏感な方だ。

「パパ、同僚は嘘でしょ。女の人の匂いがする。女性の同僚?」

「ええ!」

驚いているので、図星かな?

「洗濯しているから分かるの」

「そんな匂いする?」

困った顔をしている。

「好きな人がいるなら、はっきり言って」

畳みかけて聞いてみる。パパがおどおどしている。ますます怪しい。

「本当に今日は男性の同僚と飲んでいたんだ。好きな女性や付き合っている女性なんかいない。し・し・しいていえば、久恵ちゃんだよ」

「本当?」

「誓って」

真顔になっている。これは信用してもいいかな?

「私、マンションでは妻ということになっているのでお忘れなく。浮気は絶対にダメ!」

私が続けさまに問い詰めるので、パパはすごく困った顔をしていたが、好きな女性は私と言ってくれたことが嬉しかった。そして、浮気は絶対ダメと言ったら真顔になっていたけど嬉しそうだった。

でも、何かいつもと違う。お酒を飲んでいるからか、浮き浮きしているように見えるんだけど。なんていうか顔が緩んで満ち足りた感じ? お酒を飲んで、憂さ晴らしをしたから?

それから、パパは自分の部屋でスーツを脱いで、急いでお風呂に入った。怪しいと言われた匂いを消すため? まあいいかな、好きな女性は私と言ってくれたからと部屋に戻った。

パパは女の人をほしくならないのかしら。ソープランドへでも行っている? あの真面目なパパがありえない。

そういえば、2週間ほど前に夜中にトイレに起きたら、パパの部屋からうめき声が聞こえたので、パパに何かあったのかなと、ノックして大丈夫と聞いたら、返事がなかった。

心配なのでドアを開けると暗がりの中でテレビがついていたけど、真っ黒なビデオの画面だった。パパは布団をかぶって寝ていた。「呻き声がしていたので大丈夫?」と聞いたけど「大丈夫だから」と言っていた。

あのときHビデオでも見ていたのかもしれない。気になるから、今度、パパのいない時にこっそり探してみよう。

◆◆ ◆
次の日、夕食の準備が終わったので、ソファーで一休みする。パパが帰るのは7時前後で、まだ時間があるので、こっそりパパの部屋を探検することにした。

見られたくないものを隠す時のことを考えるとありそうな場所は大体想像がつく。プラスチックケースの中は工具だった。本棚の引出しの奥には貯金通帳と印鑑があった。クローゼットの棚の奥の方にプラスチックのケースが並んでいるのを発見した。

DVDのケースが30枚くらい、背中を向けてタイトルが見えないようにきちんと並べてある。ケースの写真を見るととても見ていられない恥ずかしいものばかり。でもどういう訳か、パパをいやらしいとは思わなかった。それよりやっぱりパパも男なのねと安心した。

私に見つからないように隠したんだ。知らないふりをしておこう。それより、時間を見つけてこっそり見てみたい。
今日、パパは同期会があって帰りが遅くなるから食事は不要で、2次会まで行くから帰り時間は11時を過ぎるかもしれないと言っていた。

8時を過ぎているけど、お風呂にも入って、ほかやることもないし、時間は十分にある。パパの隠してあったHビデオの鑑賞会をさせてもらうことにした。

クローゼットを開けて隠してあったビデオを取り出して、品定めをする。短大のころ、仲の良い友達の家へ遊びに行ったときに一度だけ見せてもらったことがある。その時は恥ずかしいこともあり、しっかり見ていなかった。

タイプ別に並べてある。パパの几帳面さはこんなところにも出ている。一巻一巻内容を確かめる。ケースの写真を見ると恥ずかしいものばかり。私には刺激が強すぎる。見たことが分からないように元あった場所に戻す。

まず始めは無難なものを選んだ。DVDレコーダーの取り扱いはすぐに分かった。所要時間は120分と書いてあるので、時間は大丈夫だと思う。パパの部屋は狭いので壁に寄り掛かってみるのに丁度良い。

もう真剣に見てしまった。肝心な大切なところはぼかしてあるけど、間違いなくしていることは分かる。私にはあんなこと、とても無理だ。2時間はあっという間に過ぎた。緊張して見ていたせいかすっかり疲れた。

丁度終わりかけの時に、廊下を誰か歩いてきて部屋の前で止まったみたい。パパ? そう思っていると、玄関の鍵を開ける音がする。何で今帰ってくるの?

まずい! 急いで部屋を出て玄関へ迎えに行かなくてはならない。すぐにビデオレコーダーとテレビを消した。DVDのケースをテレビの裏に隠すと慌てて部屋を飛び出した。足がもつれる。

「お、おかえりなさい。洗濯物を片付けていました」

「ただいま、2次会が中止になったから帰ってきた。行きたい人がほとんどいなくて」

「そうですか、酔いを醒ましてからお風呂に入った方がいいですよ」

「分かった」

パパはすぐに自分の部屋に入って行った。酔いを醒ましてから入るのかと思ったけど、すぐにお風呂の用意をして浴室に入った。

お風呂に入ったのを確かめてから、すぐにパパの部屋に入った。ビデオレコーダーからDVDを取り出してテレビの裏に隠しておいたケースに入れてクローゼットの元の場所に戻した。ほっとした。これでバレない。

パパが上機嫌でお風呂から上がってきた。見れば分かる。分かりやすい人だ。今日は良いことあったのかな?

「今日はゆっくりでしたね。私の入った後だからぬるかったでしょう。ごめんさない」

「い、いや、ゆっくり入れてよかった」

上がってきたところに私が突然声をかけたので、パパはびっくりしたようで急いで部屋に入って行った。そういえば、私の後にお風呂に入った時は、概して機嫌がいい。私のあとに入って私の裸でも想像している。だとすればパパは変態かも?

部屋に戻って、しばらくして私は大変なミスに気付いた。テレビをビデオ画面のままにして、もとに戻すことを忘れていた。パパがニュースでも見たら気が付くかもしれない。でもDVDは片付けたから、気が付かないとは思う。

◆◆ ◆
次の朝、パパが出勤してから部屋に入ってテレビをつけてみた。ビデオの画面になっていた。ホッとした。すぐに戻しておいた。パパが気付かなかったことを確信した。

それから、パパには帰るときにはメールを入れてくれるように頼んだ。特に帰り時間が予定よりも早くなる時には必ずメールを入れてくれるように言っておいた。これで安心して鑑賞できる。

30巻の中にはソフトなものから非常に過激なものまでいろんなタイプのものがそろっていた。私はそのほとんどを見ていった。だんだん慣れてきて平気で見られるようになった。私って変態?
Hビデオを見過ぎたために私は気持ちが大胆になってきていたのかもしれない。私はパパを挑発してみたくなっていた。

パパが私に関心のあることはよく分かっている。私を見ないような振りをしているけど、いつも私のことをじっと見ている。時々、パパの方を見るとあわてて視線を逸らすことが多い。あれは私を見守っている父親代わりの目ではない。明らかに男の目だ。それは直感的に分かる。

でもじっと見ているだけで、私に決して触れたりはしてこない。私の部屋にも絶対に入ってこない。一歩近づくと一歩離れて一定の距離を保つタイプだ。きっと我慢しているのだと思う。だから試してみたくなった。

今まではお風呂に入ったら、浴室でパジャマに着替えてから部屋に戻っていた。でも最近はパパがリビングにいないことが分かると、バスタオルを身体に巻いたまま、部屋に戻っていた。

昨日、パパが自分の部屋にいることが分かったから、バスタオルを身体に巻いたまま、部屋に戻ろうとした。その時、パパが部屋から急に出てきて鉢合わせした。一瞬二人とも固まった。

パパは目のやり場がない振りをして、しっかり見ていたので、私は「見ないで!」と言ってすぐに部屋に入った。さすがパパ、一瞬を無駄にしない。しっかり見ていた。

見たいのなら見せてあげようと思って、次の日からパパがリビングにいても、堂々とバスタオルを巻いたままで、部屋に戻ることにした。

パパとしては目のやり場がないとは言いながら、黙ってしっかり見ているに違いない。これは間違いない。そこで突然振り向いた。やっぱりじっと見ていた。慌てて目を逸らす。でも手遅れ。

「見ないで!」

へへと勝ち誇ったように私は部屋に戻った。私ってそんなに色っぽい? 魅力的? 女を感じる? すぐにパパがドアをノックする。

「ごめんね、見ないようにするから」

「気を付けてください」

これに味を占めて、もう少しエスカレートしてみる気になった。部屋に戻るとき、ゆっくり後ろを振り向いてパパの視線を確かめる。パパはすぐに視線を逸らす。でも私が前を向くとすぐに視線を戻すことは分かっている。それで急にもう一度後ろを振り向く。やっぱ見ていた。

「見ないで!」

そう言うと、背中を向けてバスタオルを両手で開いた。後ろでパパが唖然としている様子が気配で分かった。私はバスタオルを両手で開いたまま、悠然と部屋に戻った。面白かった。

パパがすぐに部屋の前まで来てドアをノックして言った。

「あまり僕をからかわないでくれないか? 今度したら我慢できなくなって襲い掛かるかもしれないよ」

「見なきゃいいでしょう」

でも思った。ひょっとすると本音かもしれない。これ以上挑発したらパパの理性は持たないかもしれない。

それからしばらくの間は、私がお風呂に入ったら、パパは自分の部屋にいて、私がお風呂から上がって部屋に戻るまでは部屋から出てこなくなった。

それなら見るようなこともないし、挑発にも合わないと思ってのことだろう。そうすれば襲い掛かることもない。あれは本音だった?

◆◆ ◆
金曜日の晩、パパが好きなアクション映画がテレビ放映される。自分の部屋のテレビは中型で迫力がないから、アクション映画放映の時にはいつもリビングの大型テレビで見ている。私はアクション映画があまり好きではないので、お風呂に入った。

私はいつものようにお風呂からバスタオルを身体に巻いて出てきた。パパが私のことを気にも留めないで、テレビに夢中になっているのが気に入らなかった。そのまま冷蔵庫にペットボトルを取りに行った。パパの視線が私に向かったのが分かると、背中を向けてまた両手でバスタオルを開いた。

パパが「久恵ちゃん」と言ってソファーから立ち上がろうとするのが分かった。それが分かると私はあわてて部屋へ戻ろうとした。でも今回は手にペットボトルを持っていたのと、風呂上がりで足が濡れていた。滑ってバランスを崩して浴室の前の廊下で転んだ。太ももが、お尻が露わになる。

パパはソファーを立ち上がって私のところへ来ようとしている。いやだ。私はお尻を手で隠して廊下を這って部屋に向かう。濡れている足が滑る。

パパが「大丈夫?」というのと私が部屋に入ったのは同時だった。部屋の前まで来てもう一度「大丈夫?」と声をかける。私は内鍵をそっとかけた。パパは入ってこようとしなかった。ほっとした。

「お尻は大丈夫だけど、足を捻ったみたい」

「見てあげる」

「ちょっと待って」

パジャマを着てからドアを開いた。

「ほら、言わないことじゃない。僕をからかうからだ」

「パパが本当に襲い掛かってくると思ったから慌てた」

「冗談に決まっているだろう。信用がないな」

足首に触って動かした感じではそれほど重症でもなさそうだった。パパは湿布薬を持ってきて足首に巻いてくれた。歩くと少し痛いけど大丈夫だと思った。

私はそうなることを決心して、パパを挑発していた訳ではないことが分かった。その証拠に本気だと思って慌ててしまった。でもそうなることも期待して始めたことなのに、自分の気持ちがよく分からなくなった。

そのことをよくよく考えてみると、襲い掛かかられてパパのものになりたいというより、優しくされてパパのものになりたいのだと思った。

それから私は挑発を止めなかったが控えめにした。やっぱり見られてないと寂しいし、いつも私をじっと見ていてほしい。
私は本当の父親を知らない。もちろん顔も名前も知らない。ママからは私が生まれる前に亡くなったと聞かされていた。ずっと父親がいない中で育ってきたので、どうとも思わなくなっていた。

パパから本当の父親について聞かれたことがあったが、ママから聞いたとおりのことを話した。

「私には優しい崇夫パパがいたし、新しいパパもここにいるので普通の人よりずっといい」と言っておいた。

食事の後片付けが終わるのを見計らってパパがコーヒーを入れてくれると言う。パパはレギュラーコーヒーが好きで会社の帰りにときどきコーヒー豆を買ってきて、コーヒーメーカーで入れてくれる。

コーヒーを飲みながら、昨晩、祖母からかかってきた電話の話を聞かせてくれた。それは降って湧いた驚くべき話だった。

昨日、祖母の住む高齢者住宅に吉村真一という人が訪ねて来たという。吉村という人は若い時の知り合いの女性が、亡くなった私の母と同一人物か確かめたいということだった。

吉村という人は50歳ぐらいで京都の大きな会社の社長をしているとのことだった。去年12月の自動車事故が全国で放送されて、母の潤子という名前と年齢が一致していたので、気になって新聞記事を頼りに探して祖母のところまでたどりついたとのことだった。

祖母は私たち3人の家族写真を見せたが、すぐに探していた潤子という人だと分かった。お墓参りをさせてほしいと言われたので、一緒に墓参りに行ったが、長い時間、お墓の前で手を合わせていたそうだ。

一緒に写っていた私のことを聞かれたので、潤子さんの連れ子だと話したら、顔色が変わったという。私のことを教えてほしいというので、東京で次男が父親代わりになって一緒に暮らしていると話したという。

吉村という人に私の子供かもしれないので会わせてもらえないかと頼まれた。祖母の一存では答えられないと言って、とりあえず引き取ってもらったが、どうしたものかとパパに相談の電話を入れたのだという。

先方の住所、氏名、電話番号を聞いているので、私と相談してどうするか考えてほしいということだった。

話を聞くうちに。私は頭の中が真っ白になっていった。何も考えられない。

「どうする、会ってみる? 久恵ちゃんの気持ち次第だけど」

「いまさらそういうことを急に言われても会う気になれません。それならどうしてもっと早く会いに来てくれなかったの?」

「なにか事情があったのだろう」

「そんなの向こうの勝手な事情でしょ」

「会わなくていいのか、後悔するよ」

「今は会いたくありません」

「それなら、僕が会ってきてもいいかな? 僕は久恵ちゃんの父親代わりだから、娘のためならできるだけのことはしたい。吉村という人のことも調べておきたいし、本人から直接事情も聞いておきたい」

「そうまで言うのなら、パパに任せます」

◆◆ ◆
次の日、パパは会社で祖母から聞いていた電話番号に連絡を入れてくれた。こちらの名前を言うとすぐに繋がったと言う。

先方の電話の応対は丁寧で好感が持てたようで、私が今は会いたくないと言っていることとパパが代わりに会ってもよいと伝えたところ、是非会いたいとのことだった。

丁度東京へ出張するというので、ホテルのラウンジで今週の金曜日の夜7時に会う約束をしたとパパから聞いた。

約束の日、パパは会社から直接ホテルへ向かうことになっていた。せいぜい1時間くらいとパパが話していたが、9時前になってようやくメールが入った。食事が用意されていて二人で食事をしながら話をしたと言う。これから帰るのメールだった。

夕食を二人で食べようと待っていたのに裏切られたような気がした。夕食を簡単に済ませると後片付けをした。

9時半過ぎにパパはマンションへ帰ってきた。パパはそのままリビングのソファーに座った。私はすぐにパパのところへ行く気になれなかった。それでキッチンの掃除をしていた。

「久恵ちゃんのお父さんに会ってきた」

「どうして父親だと言えるのですか?」

「一目見て分かった。久恵ちゃんに目元と鼻それに口元もそっくりだった」

「他人の空似もあります」

「久恵ちゃんのママとのことも詳しく聞いてきたから、間違いないだろう。辻褄も合うから」

それから、パパは私に聞いてきたこと一部始終を話してくれた。

パパが約束の時間にホテルのラウンジで約束を告げると、すぐに奥の方の個室へ案内された。食事ができるようになっていて、そこに50歳くらいの品のいい紳士が待っていた。

パパが来たことが分かると立ち上がって一礼をした。顔を見てすぐに私の父親であることを確信したという。目元と鼻と口元がそっくりだったそうだ。

名刺交換をした。名前は吉村真一、京都の有名ホテルチェーンの社長だった。吉村という人は母とのことを話してくれた。大学を卒業してから父親のホテルでホテルマンの修業をしていたころに同じホテルに勤めていた母と親しくなったという。母は控えめで、不器用で失敗ばかりしていた彼を励ましてくれたと言う。

彼は一人息子だった。母と結婚したいと言うと両親から猛反対されて、母もホテルを辞めさせられて、行方知れずなってしまったと言う。

妊娠していたことは知っていたか聞いたところ、身に覚えがあったが、妊娠していたら自分に黙って身を隠すようなことはしないと思ったそうだ。

母は自分のために身を引いた、いや引かされた。そう思うと申し訳ないのと両親への反発もあって、それから何年も縁談を断り続けたという。

それから20年経って、偶然テレビで交通事故に夫婦が巻き込まれたというニュースを見たそうだ。写真が母に似ていたし、名前と年齢が一致していたので、気になったという。興信所に頼んで、新聞記事から住所を探してもらって、ようやく祖母のところにたどりついたという。

それで娘さんがいたのでもしやと思って聞いたら、母の連れ子だったので驚いた。年齢から自分の娘だと確信したという。

娘に会って謝りたいという。知らなかったでは済まされないと言った。是非、会わせてほしいと懇願されたと言う。そういう父親の気持ちはよく理解できるとパパは言った。

私にはそう伝えるが、ここへ来る前にこの話を伝えたとき、動転して会うことを拒絶したので、今は会わないで静かに見守ってやってほしいとお願いしたと言う。いずれ、私の気持ちの整理がついたら便宜を図ると言っておいたという。パパらしい。

それから亡くなった兄が父親代わりをして、私も兄を慕っていたことを話した。また、今は自分が父親代わりをしていることも話した。だから安心しているように言っておいた。

彼はどうか娘のことをよろしくお願いしますと何回も何回も頭を下げたそうだ。気持ちの優しい誠実な人だと思ったと言う。

「会ってあげたらどうなんだい」

「会いたくありません。死んだものと思っています。大体、避妊もしないで妊娠させるなんて、男として最低!」

「でも、久恵ちゃんのママは彼を愛していたのではないのかな。だから彼のために妊娠していることも黙って身を引いたのじゃないのかな。そしてママには愛した人の子供である久恵ちゃんが生きがいだったのではないか。僕は彼に会ってそう思った」

「そんな身勝手なこと、子供には迷惑な話です」

「じゃあ、ママが嫌いになった?」

「・・・・」

「死んだものと思っているのなら、遺影だと思って見てみるかい? 彼の写真を数枚撮ってきた。確かに会ったという証拠のために僕と一緒の写真も撮っておいた」

「見たくありません」

「遺影だと思って、父親の顔も知らないと言っていたけど、顔ぐらい知っていてもいいんじゃないか、ほら見て」

パパはスマホに撮ってきた写真を無理やり私の目の前に出して見せた。どういう訳かじっと見入ってしまった。

「どう?」

「どうって、普通のおじさん、まあ、普通より少しはましな方かな」

「転送しようか?」

「いいえ、パパが持っていて下さい」

「じゃあ、大事にしまっておくよ」

「今日は私のためにありがとう。疲れたでしょう。ゆっくりお風呂に入って下さい」

そういうと私は自分の部屋に入った。一人になりたかった。

小さい時になぜ私にはパパがいないのだろう。パパと遊ぶ子がうらやましく思っていた。私は顔も知らない。でもそれを言うとママが困るのが分かっていたので、何も言わなかった。

もっと早く私たちを探していてくれたらと思わずにはいられなかった。ママの気持ちを考えるとひとりでに涙が出てきて泣いてしまった。

パパが私のためを思って写真を撮ってきてくれた。私は初めて父親の顔を見ることができた。確かに私と似ているから間違いないと思う。死んだものと思っていたから、私はそれで十分だ。

それに私には親身になってくれた崇夫パパがいたし、今はパパがそばにいて私を守ってくれている。それで十分だし、それ以上を求めてはいけない。そう思うと気持ちが治まってきた。
パパから[今日は急に外の会合に出なければならなくなった、懇親会があるから夕食はいらないけど遅くはならない]とのメールが入った。

6時ごろから雨が降り始めた。パパ、大丈夫かな? いつも傘は持っているとか聞いてはいたけど。

パパから電話が入る。帰りに地下鉄の階段で転んだので、タクシーで帰るけど、雨でタクシーが捕まらないので遅れるとのことだった。

大丈夫と聞くと、肩が痛いけど大丈夫との返事だった。でも声に元気がなくて、痛そうな感じが伝わってきた。心配! 

大通りのいつもタクシーを降りる場所で待っていることにした。タクシーが1台止まった。パパが降りてくる。

「パパ、大丈夫?」

「ありがとう、迎えに来てくれて、階段で転んで肩を打撲した、すごく痛い」

「カバンを持つわ」

「助かる」

傘をさしてあげる。パパは肩が痛そうでゆっくり歩いている。ようやくマンションへたどり着いた。部屋に布団を敷いておいたので、部屋着に着替えてから、そこへ寝てもらった。

「痛みはどう?」

「すごく痛い。明日の朝、病院に行くから」

「顔色もよくないから、すぐに病院にいかなきゃだめ」

「もうこんな時間だし、病院は明日でいいから」

「だめ、病院に行かなきゃ。いやでも私が連れて行く」

そうだ、119番に電話すればいい。階段で転んで怪我したので、今からでも診てもらえる病院を聞いた。時間がかかったけど近くの病院を紹介してくれた。教えてもらった番号へ電話する。今から行っても診てもらえることを確かめた。

「見てもらえる病院が見つかったからこれからすぐに病院へ行きましょう」

急き立てるとパパはようやく病院へ行く気になってくれた。

外へ出ると、もう雨は上がっている。大通りの上り方面側で空車を待つ。すぐにタクシーは捕まった。紹介された病院へ向かう。パパによると車なら10分くらいだと言う。

裏口にある守衛さんのいる受付を通って院内へ入り、案内された処置室へ向かう。整形外科医が待っていてくれた。パパが喜びそうな美人の女医さんだった。

女医さんは肩の様子を見るとすぐにレントゲンを撮るように言った。パパと一緒にレントゲン室に行くと、係りの人がいてすぐに撮ってくれた。それからパパはまた処置室へ入って行った。パパの声が聞こえる。痛そう!

「痛い痛い」「痛い痛い」「痛タタタ・・・・」「・・・・・」

しばらくして、パパが三角巾で腕を吊って処置室から出てきた。ほっとした顔をしている。

「どうだった」

「右肩の脱臼だった。女医さんが引っ張って入れてくれた。ポコンと嵌ったのが分かった。幸い骨折はないそうだ。明日、もう一度病院へ来るように言われた」

それから、受付で当面の費用を払って、タクシーを呼んで帰宅した。

タクシーの中でパパが「女医さん美人だったなあ」と言うので、かっとした。

「こんな時に不謹慎極まりない」

「心配させて、そんなに浮かれていていいの」

「あのままにして病院に行かなかったらどうなっていたか分からないのに、自覚が足りない」

「階段で転ぶって、浮かれて油断しているからよ」

ありったけの小言を言ってやった。パパは反省したのか演技なのかしょんぼりしていた。

部屋に着くと、パパは改まって、お礼を言った。

「ありがとう、久恵ちゃん。一人で生活していたらすぐには病院へは行かなかった。今日行かなかったら、もっとひどいことになっていた。本当にありがとう、助かった」

「私ね、パパには長生きしてもらいたいの。崇夫パパのように早死にしてもらいたくないの。長生きして私を守ってもらいたいの。だって、ママもいないし、パパのほかはもう誰もいないのよ」

「僕は死ぬまで久恵ちゃんを守り抜く覚悟だよ。兄貴と約束したから」

「私もパパを守り抜くから、絶対に死なせない」

「ありがとう」

「ママは、自分のためには生きられなくとも、娘のためなら生きられるものよ。自分のためよりも人のためなら生きられるものなのよといつも言っていたわ」

どうしてなんだろう。死んだパパとママを思い出して泣いてしまった。

「私、とっても悪い子なの。両親が事故でなくなったのは私のせいなの。私ね、ママが死んだら、パパの世話をするから、安心してとママにいつも言っていた。ママはお願いねと言っていたけど。ママが死んだ時のことばかり考えていたこともあるの。それはね、私がいつからかパパのことを好きになったからなの。罰が当ったのね、二人とも死んでしまった」

パパが後ろから片手で抱き寄せてくれた。突然のことなので身構えて泣くのを忘れた。パパもそれを感じてすぐに手を放した。

「そんなこと考えたらだめだ。久恵ちゃんのせいじゃない。兄貴を好きになってくれてありがとう。きっと喜んでいるよ」

「一度だけ、死んだパパも今のように後ろから抱きしめてくれたことがあるの、ママのいない時に、嬉しかった。パパ、私も好きよといったら、驚いて手を放したわ。後も先もそれ1回だけだったけど」

「きっと兄貴も久恵ちゃんのことをとっても好きだったと思うよ。事故は久恵ちゃんのせいなんかじゃない、それが運命だった」

「運命って?」

「定めと言っても良いかもしれない。そう思うと楽になれる」

そう言って、パパは私を慰めてくれた。でもパパはなぜ私を抱きしめてくれたのだろう。可愛いから? 父親代わりの愛情? 死んだパパと同じ気持ちから? 死んだパパはどんな気持ちだったの? 分からない。
8月下旬になってもまだまだ暑い毎日が続いている。パパの脱臼した右肩の調子もまずまずで、吊っていた三角巾も外してよくなった。ただ、完治までは週1回は病院へ行ってリハビリをしなくてはいけない。全治3か月の怪我だった。

怪我もよくなってきたので、私は今週の土曜日に二子玉川で花火大会があるから行ってみたいとパパに言ってみた。

パパが言うには、数年前に行ったことがあるけど、すごい人出であることが分かったから、ここのところ、花火はもっぱらテレビで見ることにしているとのことだった。クーラーの効いた部屋を暗くして大型テレビでビールでも飲みながら観るのが最高だと言っている。

「そういう年よりじみたことを言わないで一緒に花火見物に行こう。お願い!」

強引に誘ってみる。私が誘ったらパパが断るわけがないと思っている。パパは一度行けば分かるとか悟ったようなことを言いながら一緒に行ってくれることになった。

◆◆ ◆
当日は天候が不安定で夕立もあるとの予報が出ていた。パパは朝からリュックに折り畳み傘やら敷物やら飲み物などを入れて出かける準備をしていた。さすがパパ、抜かりがない。

私は部屋に閉じこもって浴衣を衣装ケースから取り出して着ていた。黄色地に真っ赤な大きな花柄が入っている。それに真っ赤な帯を巻く。祖母に教えてもらったとおりに着てみるがなかなかうまく着られない。

何回か試みるうちに思い出してきた。1時間は優にかかった。クーラーが効いているからよかった。何とかうまく着こなせた。

「パパがもう行かないか」と催促している。

ドアを開けて出ていくとパパが驚いて見ている。

「すごく浴衣が似合っている。とてもいいね」

「そう言っていただけると時間をかけて着たかいがあります」

「自分で着られたのなら大したもんだ」

「おばあちゃんが着付けを教えてくれました。これは崇夫パパが買ってくれたものです。成人式の着物を買ってくれるというので、それは貸衣装でいいと言ったら、それならとこれを買ってくれました。一度だけこれを着て3人で花火を見に行きました」

「思い出の浴衣なんだね」

「だからこれを着てみたくて、そしてパパにも見てもらいたくて」

「ありがとう。とっても素敵だ」

「そういえば成人式には出席したの?」

「両親が亡くなって49日も済んでいなかったので出る気になれず、欠席しました」

「気が付かなくてごめんね。何とか出席させてあげたかった。兄貴もそう思っていたはずだから」

「もう過ぎたことです。それより早く出かけましょう」

旗の台で大井町線に乗り換えた。私のように浴衣姿の若い女性が目につく。でも私が一番と思っている。出かけるときに鏡に映して見てきた。パパも私を連れていて悪い気はしないと思う。

もうずいぶん電車が混んできている。乗り込んで奥の方へ進む。席に座っている中年の女性が私たち二人を見上げている。親子だろうか? でも顔が似ていない。まさか恋人同士ではいないだろう。歳が離れ過ぎている。そんな怪訝な顔をして見ていた。

大岡山、自由が丘でも大勢の人が乗ってくる。降りる人は少ないので電車がますます混んでくる。パパと身体が触れ合うくらいだ。パパは必死で身体を離そうとしている。いいのに!

ようやく二子玉川へ到着した。ホッとした。ホームは人でいっぱいだった。改札口を出ても人でいっぱいだ。まるで渋谷のスクランブル交差点を歩いているみたいだ。しっかり手を繋いで離れ離れにならないように注意して前進する。すごく蒸し暑い。

辺りはまだ明るい。花火が始まるのは7時を過ぎて十分に暗くなってからだ。パパが「明るいうちに二人が座れる場所を見つけておかなければならない」と言うので。河原の方へ降りて行くことにした。

幸い二人でなんとか座れる場所を見つけて陣取った。パパは敷物をリュックから取り出して敷いてその上に私を座らせてくれる。そのすぐ隣にパパが座った。身体が密着するほど狭いけどその方がいい。

私が汗でびっしょりなのに気が付いて、パパがリュックからタオルを出して汗を拭くように渡してくれた。

「すごい汗だ、よく拭いて」

「ありがとう。こんなに人が多いとは思わなかった」

「でも何とかこうして座れてよかった。始まるまでまだ時間がある」

パパはリュックから持ってきたポカリのボトルを2本取り出して1本を私に渡してくれた。私は汗をかいて喉が渇いていたので一息で飲んだ。美味しかった。パパは半分くらい飲んでまたリュックにしまっていた。

それから、パパはリュックから扇子を取りだして私を扇いでくれた。蒸し暑いので助かる。至れり尽くせりだ。

「さすがにパパは準備が良いからいつも感心する。だからパパと一緒だと安心していられる。本当に私の守護神ね」

「そのとおりだ。僕は久恵ちゃんをどんなことがあっても必ず守る。兄貴との約束だからね」

そのお礼と言わんばかりに私は身体をパパに持たれかけた。こうするとパパも悪い気がしないことが分かっている。案の定、じっとして動かない。

私がもたれかかっているとパパももたれかかってきたみたい。二人でバランスをとる。段々暗くなってくる。パパは微動だにしないで下を向いている。よく見ると眠っているみたいだ。いびきもかいている。

ドーンという音が聞こえた。花火が始まった。あたりはもうすっかり暗くなっている。

「とっても綺麗」

「始まったんだ」

「いびきをかいて寝ていたけど、目が覚めた?」

ドーン、ドーンという音が心地よく響いて聞こえる。風向きによって時々火薬のにおいがする。私はずっと見上げたまま上がる花火を見ていた。とっても綺麗。近くで見る花火は迫力がある。来たかいがあった。

「喉が渇いた。飲み物はまだある?」

「2本しか持ってこなかった。僕のが半分残っているけど、これでよければ」

「ありがとう」

受け取ると一気に飲んだ。喉が渇いていた。悪いと思ったけど全部飲んでしまった。パパはそれを黙ってじっと見ていた。間接キスした?

花火が終わった。長いようであっと言う間に時間が過ぎた。一斉に人が立ち上がり、帰りの駅に向かって歩き出す。私たちも駅へ急いだ。

雲行きが怪しくなっている。遠くで稲光がしている。でも人が多くて動きが遅い。電車に乗るまで随分と時間がかかった。

ようやく電車に乗れた。来た時と同じ通勤ラッシュ並みの満員電車だった。雨が降り出した。電車の窓がびしょ濡れだ。稲光がしている。予報どおりになった。幸い傘はパパが準備してくれているので安心だ。

雪谷大塚の駅を降りても雨はやんでいなかった。というよりすごい土砂降りになっている。早くお家へ帰りたい。旗の台で乗り換えをした時からおしっこがしたくなっている。

「少し雨宿りする?」

「すぐに帰りたい」

すぐにでも早く家にたどり着きたい。旗の台で乗り換えの時にしておけばよかった。でもトイレが混んでいるのが見えたから我慢した。

パパは折り畳み傘を取り出して、傘をさしてくれる。土砂降りの中を相合傘で歩き出す。私は黙々と歩いている。いつもよりずいぶん早歩きだ。

いつもなら腕を組んでゆっくりお話をしながら歩いていたが、そんな場合ではなくなっている。今思うと飲みすぎた。喉が渇いていたとはいえ、ペットボトル1本半も飲んでいた。

パパも歩調を合わせて帰り道を急いでくれている。裏道の方が少し近いはずだが、こんな時に限って随分遠い感じがする。

マンションの裏口が見える。もう一息だ。エレベーターに乗って3階へ。もう限界に近い。パパがドアを急いで開けようとするが鍵を持つ手が震えている。早く開けて! ドアが開くとすぐに私を先に入れてくれた。

間に合ったと思って油断した。駆け込みたかったけど足が濡れているので滑って早く歩けない。少し漏れたかもと思ったが、急いでトイレに駆け込んだ。

ほっとした。快感! すぐに水を流す。下着がびっしょり濡れている。やっぱり漏らしてしまっていた。あと一息だったのに。脱いで絞る。

トイレを出ると床の水滴に気が付いた。すぐにトイレットペーパーを持ってきて拭き始めた。それを見ていたパパがすぐに手伝おうと雑巾を取りに行こうとした。まずい、バレる。

「大丈夫です。浴衣の雨水ですから、私が拭いておきます」

「分かった。まかせる。僕はお風呂の準備をしてあげよう」

そう言って、パパはすぐに浴室に入っていった。ひょっとして気が付いた? きれいに拭いておこう。念のため水拭きしておこう。においが付いていないか確かめたが、においはしないみたい。よかった。

そうこうしているうちにお風呂の準備ができた。パパは雨に濡れて身体が冷えているからと私に先に入るように言ってくれた。お言葉に甘えることにした。

部屋に戻って下着とパジャマを持ってきてすぐにお風呂に入った。脱いだ浴衣と下着を入れてすぐに洗濯機を回した。

バスタブに浸かってようやく落ちついた。疲れていたこともあり、ぬるめのお湯にゆっくり浸からせてもらった。生き返った。随分と長く入っていた。途中で何度もパパが「大丈夫?」と声をかけてくれるくらいだった。

元気を取り戻して上がった。そして、ボトルのジュースを飲みながらパパに言った。

「今度から花火はテレビで観ることにしましょう」

パパはにっこり頷いて何も言わなかった。パパはパパなりに楽しかったのかもしれない。
パパは私のことをどう思っているんだろう。わざとドキッとすることを言って挑発してもそらしてしまう。でも、こちらがよそよそしくすると、機嫌をとりにくる。一歩前に出ると一歩さがってしまう。付かず離れずでパパはずるい。好きじゃないと一緒に住んだりしないのに。

考えごとをしていて油断した。指が何かに当ったと思ったら血が飛び散った。痛い指が! 指がフードプロセッサーの刃に触れたみたい。

「キャー」というと、周りの人が気付いてくれて、大騒ぎになった。指が血だらけでとても痛い。それを見て腰が抜けた。

すぐに先生が救急車を呼んでくれて、近くの病院へ運んでくれた。まず、指のレントゲンを撮った。それから処置室へ入った。

女の先生が真っ赤に染まった手ぬぐいを外していく。怖くて見ていられない。痛いのか痛くないのか分からないくらいに頭が変になっている。

指の様子を見た後、先生は指に包帯を巻きながら「大丈夫、すぐ手術するから」と言った。

手術は5時からと聞いた。そこへパパが駆けつけてきた。パパの顔をみると涙があふれた。パパが着いたので、主治医の女医さんが来て、傷の説明をしてくれた。

診断の結果、右手中指は第1関節の先の傷が5㎜程度の深さで縫うだけで済んだが、薬指第一関節の先の傷が深く、かろうじて指先がつながっているので、すぐに手術するとのことだった。

細い血管の縫合は難しいのでやって見ないとわからないが、薬指の先がなくなる可能性もあると言われた。

パパが手術の承諾書に署名捺印した。パパはよろしくお願いしますと何度も頭を下げていた。

パパは「大丈夫だから、気をしっかり持って」と励ましてくれたが、不安が一杯で手術室に入った。

手術は2時間かかった。局所麻酔で意識があったが、全身麻酔で意識をなくしてほしかった。指がつながりますようにと何度もお祈りした。苦しい時の神頼み。

手術は長い時間のようにも短い時間のようにも感じられた。手術は順調に終わり、1~2日で成功したか分かると説明を受けた。

病室に運ばれた。右腕は固定されて、左腕には点滴の針が刺されている。身動きができない。外はすっかり暗くなっている。もう8時になっていた。

看護婦さんが出ていった後は、誰もいない一人部屋の病室で、とっても心細い。窓からライトアップした橋が見える。そこへパパが心配そうに入ってきた。

「夜景がきれいだね」

「うん。ごめんなさい」

「結果は1、2日でわかるそうだ」

「先生から聞いた」

「指が壊死すればあきらめて」

「うん、私の不注意。考えごとをしていたの」

「実習中は集中しないとだめ」

「分かっています」

「心配事があるのなら、相談にのるよ」

「大丈夫」とは言ったけど、パパのことを考えていたなんてとても言えない。

「綺麗な女医さんだったね」というので、パパは何なのこんな時にと、カチンと来て「こういうときに不謹慎でしょ」と怒鳴ってしまった。

「ごめん。そういう意味では」

「じゃあ、どういう意味?」

絡んでしまった。パパは黙り込んでいる。いけない、感情的になってしまった。

「許してあげる。それより、1週間は入院しなければならないので、着替えを持って来てもらえませんか? 分かる?」

「いいけど、下着だよね」

「うん。プラケースの中にあるから、適当に2~3枚ずつ、見れば分かるから」

「いいのかい」

「仕方ないでしょ」

「分かった。あすの朝、出勤途中に寄るから」

「お願いします」

「ほかに何かほしいものある?」

「喉が渇いているのでジュースが飲みたい」

「じゃあ、すぐに売店で2,3本買ってくるよ」

パパは出て行った。でも、その前に頼めばよかった。おしっこがしたい。そういえば、実習が始まる前に行ったきりでずっと行く機会がなかった。手術があったので緊張してしたくなかったこともある。

気になるとますます我慢できなくなる。どうしよう。出ちゃいそう。でも動きが取れない。右腕は包帯で胸の前に固定されて、左腕には点滴の管が支柱にまでつながっている。パパ早く戻ってこないかな。思ったよりも時間がかかっている。

ようやくパパがジュースを3本持って戻ってきた。

「トイレに行きたいの、我慢できない」

「看護師さんを呼んでくる。いや、そこのコールボタンを押せばいい」

「待てない。出ちゃう。怪我した時からずっとトイレに行ってないの。すぐにつれてって」

「ええ!」

「早く私を起こして、手を貸して、お願い」

漏らしそう。冷汗が出てくる。

「早く早く」

ようやく、トイレにたどり着いた。とてつもなく長い時間がかかったような気がする。

「下着を下して早く」

「えええ!」

「でも、見ないで、絶対に」

パパは後ろからそっと下着を下してくれた。そして慌てて外へ出て戸を閉めた。これでやっとできる。

大きな音がする。静かな部屋だから余計に大きく聞こえる。すぐに水を流す。パパに聞こえたかな? 恥ずかしい。でもホッとした。

この前のように途中で床に漏らすことがなくてよかった。ようやく正気を取り戻した。立ち上がって戸に背を向けた。

「パパ、下着を上げて」

「は、はい」

パパは恐る恐る入ってきて、ゆっくり上げてくれた。それから、ベッドに連れて行ってくれた。そして「今度から早めに看護婦さんに頼むように」と言い残して慌てて帰っていった。ありがとうパパ。

次の日の朝、朝食を摂っていると、パパが着替えを持ってきてくれた。帰りにも寄ってくれた。「汚れたものはない?」と聞かれたが、下着を出すのが恥ずかしいので、返事しないでいると、パパは「そうか」と言って、帰って行った。

下着の替えがなくならないか心配だったけど、退院が間に合った。幸いにも縫合部分の壊死もなく、指はつながった。安心した。

そのあと2週間ほど自宅療養した。朝食の準備と後片付けはパパがしてくれた。お昼ごはんは冷凍食品で済ませた。夕食はパパが毎日違うお弁当を買ってきてくれた。

洗濯は自分の下着は自分で洗った。小さいものが多いので片手でもできた。パパの分は自分で洗ってもらった。洗濯物の取り込みは私がなんとか片手でもできた。

お風呂は怪我したほうの手をビニール袋で覆って入ったが、着ているものは、時間がかかったけれど、なんとかひとりで脱げた。上がって身体を拭くのが一苦労で、さらにパジャマを着るのがまた一苦労だった。

退院したばかりのころは、パパに目をつむってもらって脱がせてもらった。前に回ったときは、目をつむっているが、後ろに回ったときは、きっと目を開けていたと思う。しょうがないか、パパだから。

2週間でほぼ回復した。手には包帯が残っていたが、日常生活はできるようになり、再び学校へ行けるようになった。

「パパ、本当に心配と迷惑をかけてごめんなさない。親身になってくれてありがとう」

「今回は退院後の世話を十分してあげられなくて悪かったね。久恵ちゃんのママが生きていてくれたらと、女の子には母親が必要なことを痛感した」

「いえ、十分にお世話してもらったから、そんなことはありません」

「父親がどんなに愛情を注いでも、母親にはかなわない。母親の子供への愛情は父親の愛情とはかなり異質のような気がする」

「私は、物心がついた時から父親がいなかったので、比較できないけど、ママは私を命がけで育ててくれた。母親の愛って本当に一方的ですごいものだと思います」

「また、考えごとをしていてはだめだよ」といわれたけど、パパのことを考えていて怪我したとは、とても言えなかった。内緒にしておこう。でも、これからは本当に気を付けよう。

でも、パパはやっぱり男親、限界が明らかだった。ママが生きていてくれたら、随分助かったと思う。女の子にはいつまでも母親が必要なんだとつくづく思った。