ルーシーはそのキャンビーを放り投げると、俺の後を追いかけてきた。
「ね、ヘラルドは、今度いつ、ピクニックに行く? 遠足の、おでかけ、する?」
俺は、ゆっくりと溶けていく子供たちが入ったカプセルの間を、足早に通り過ぎる。
遺伝情報が混ざるので、混合することは許されない。
完全なる個別で運ばれる。
死亡してから融解すると、生きたタンパク質を採取再生することが出来ないため、健康で若い個体ということが、重要視される。
「私、は、今度また、林檎の花のところに行きたい。前に皆で行ったところ。林檎が好きだから。ヘラルドがくれた、あの花のおもちゃ、まだちゃんと持ってるよ」
個別に融解された細胞は、遺伝情報を元に管理され、適当と判断された組み合わせによって、時には別の個体と融合させて、再生されることもある。
そうなれば、新しい人間になってしまうので、元の自分というわけではない。
そのまま継続して再生されれば、自分が自分として蘇ることになる。
「みんな、誰もピクニックに行こうって、言ってくれ、な、いの。ヴォウェンはお仕事中だから、お話し出来ないし、ディーノとイヴァは、いないんだもん」
だけど、記憶の継承は難しくて、各地に設置された定点カメラや、キャンビーのメモリーを個人の記録として残すより方法がない。
それを見れば、過去の自分の記録をたどることは可能だけれども、それが許されるのは、成人した大人だけだ。
「カズコもレオンもニールも、みんな忙しそうだから、さみしい、の」
再生されたクローン同士が、再び同じエリアで解放され、巡り会い、友好な関係を築くことが出来れば、再会もありえるという話だ。
俺たちは、何度も何度も同じパターンをくり返し、そこから得られる有益な情報、経験を元に、進化を続けている。
カズコの言う、運がよければというのは、そういうことだ。
「ね、ヘラルドは、今忙しい?」
「あぁ、忙しいんだ、放っといてくれ!」
つい声を荒げてしまったことを、すぐに反省する。
彼女は、さみしそうにうつむいた。
「最近、みんな、変で、つまん、ない」
「はは、つまんない、か」
彼女のその言葉に、俺は深く傷つけられたような気がした。
「そうだね、つまんないね、ルーシーは、どうしたい?」
彼女の顔が、明るく輝く。
「みんなで、ピクニックに行こう!」
「ピクニックか、じゃあ、計画を立てなくっちゃね」
ルーシーが微笑む。
ピクニックか、いいじゃないか。
外は本物の嵐、中は戒厳令発動中の、穏やかで確実な嵐だ。
どっちにしろ、嵐のまっただ中にいるのなら、本物の嵐に飛び込んだ方がいい。
「ルーシー、みんなを驚かせよう。二人でこっそり計画して、びっくりさせるんだ」
うんうんと、うれしそうに彼女は、何度もうなずく。
「これは二人だけの秘密だよ、約束できる?」
俺が小指を差し出すと、彼女はすぐ、同じように小指を差し出した。
俺はその細く白い指に、自分の指を絡める。
「じゃ、絶対に秘密だよ」
それで、彼女が納得したかどうかは分からない。
だけど、とりあえず大人しくさせることには成功したらしい。
俺は、それでいいと思っていた。
「ね、ヘラルド、どこに行くのか、決めた?」
それ以来、俺はことあるごとに、ルーシーに絡まれるようになってしまった。
本気でここから出て行くことも、ましてやピクニックなんてありえない。
それは、逃亡であり犯罪だ。
「今は、大事なお仕事の時期だから、だからヴォウェンは忙しくしていて、みんなもそれを手伝っている」
俺の説明に、彼女はうなずく。
「そのお仕事が終わったら、みんなで行こう。ルーシーの好きなところでいいよ、どこに行きたい?」
彼女は、うれしそうに考えをめぐらせている。
「うーんとね、やっぱり、みんな、で、最初に行く、た、公園に行きたい。林檎の木、約束したでしょ?」
「はは、ルーシーは、意外と記憶力がいいな」
彼女はその時の思い出を、ぶつぶつとつぶやきながら、俺の後をしつこく追い回している。
ふと、疑問が浮かんだ。
「ねぇ、ルーシーは、ここに来る前の記憶はあるの?」
彼女は首をかしげた。
「ルーシーは、カプセルに乗ってやってきただろ?」
うんと、うなずく。
「どこでそのカプセルに乗ったの? その時は、どこで何をしてた」
ルーシーは、困った顔をしてうつむく。
「覚えて、ないの?」
「分からない」
くるりと背をむけると、彼女は逃げるように去って行く。
まぁ、どうでもいいや。
そんなこと、今となっては俺にはもう関係のないことだし、キャンプベースでも散々問い正されているだろうし、本当に記憶がないのかもしれない。
彼女の長い時間は、彼女のものだ。
整理の時間が近づいていた。
俺たちには、初回生産された時につけられる管理番号がある。
個人認識番号だ。
それを元に、遺伝子の再生が行われる時にも、融合の際、近親での配合をさけるためにも使用される、大切な番号だ。
そこを間違えるわけにはいかない。
厳格に、その番号順に整理が行われていて、毎日表示されるその番号が、いよいよ俺たちの年代に近づいていた。
一人一人、再会を誓ってカプセルに入る。
そんな約束にどんな意味があるのか分からないけれども、それだけが俺たちの存在する理由だとしたら、有意義といっていいのかもしれない。
一人ずつ、一人ずつ、カプセルに入った人間が消えていく。
あれだけ、にぎやかで騒がしかったスクールの中が、閑散とし始めた。
「ねぇ、みんなは? どこへ行ったの?」
最近、ルーシーはそんなことを周囲に聞いてまわっている。
誰に聞いても、その答えが様々に違うようで、そのことがよけいに彼女を混乱させていた。
「体をきれいにするんだよ、そしたらリフレッシュして、戻ってくる」
「なんで? いつ? いつ戻ってくるの? どうして? どこに連れて行かれてるの?」
イライラする。
そんな当たり前のことを、俺は疑問に思ったことがない。
なんで赤い色を赤と呼び、白を白と言うのかと聞くようなものだ。
「もう帰って来ない! 俺たちは、バラバラになるんだ!」
どうして自分の気持ちが、こんなにも不安定で落ち着かないのか、スクールではずっと自己の感情をコントロールすることを学んでいた。
感情に支配されない、理性的な人間、偏見や差別意識をも持たない、公平で客観的視点。
身勝手と無知、自己保全のために独善的になることなく、常に全体を考える。
それが次の人間の進化のために必要な要素で、俺たちはその可能性を見出すためにここで産まれたんだ。
あぁ、そうか、こうやって自分の気持ちが乱れるのは、乱れるから、俺たちは失敗だったし、整理されるんだ。
だからきっと、今なら乱れてたってかまわない。
「バラバラになるって? もう会えないの?」
「会えない! 二度とだ!」
「どうして!」
彼女の目に、涙が浮かぶ。
そんな顔で見つめられても、俺にだってどうしようもない。
「みんなで、ピクニックに行くって、約束したじゃない!」
ルーシーの大きな声に、みんなの視線が集まっている。
恥ずかしい。
こんな感情的な言い争いなんて、今さら見られたくない。
「あぁ、そうだね、そんなに行きたいのなら、じゃあ今から行けばいいじゃないか」
なんにも出来ないルーシーが、俺をじっと見上げる。
「行こう。そうだよ、今から行けばいいんだ」
俺は、彼女の腕をつかんだ。
こんな光景、どこかで見たことがある。
俺はそう思いながら、彼女の手を強く引いて歩き出した。
「行こう。今から、ピクニックに!」
転生機が立ち並び、中に入るための作業と手続きを手伝っているスクールの人間たちが、みんなこっちを見ている。
俺は彼女の手を引いて、フィールドの外に向かって歩き始めた。
開けっぱなしになっている、広くて大きな出入り口から、廊下に出る。
照明の落とされた薄暗い廊下を、ガンガン突き進む。
異変を察知した警備ロボが、俺たちにすっと近づいた。
「現在、スクールは閉鎖されています。すぐに指示された作業に戻ってください」
「うるさい!」
外に出る道は、目をつぶっていても分かる。
ルーシーの手を引いて歩く俺たちを取り囲むように、警備ロボの数が増えてゆく。
やかましく警告音をかき立て、どれだけサイレンをならしても、俺はもうコイツらに従うつもりはない。
目の前に、最後の扉が現れた。
ここをくぐり抜けたら、もう外だ。
エントランスホールを横切る。
俺は、そこに手を伸ばした。
「外出は禁止されています。すぐに戻ってください」
蜘蛛型の白い機動ロボが、目の前に飛び降りた。
俺は彼女の手を放し、その細い脚につかみかかる。
機動ロボに、かなうわけない。
分かってる。
でも、人間を決して傷つけてはならないという原則は、今の俺にも適用されているはずだ。
両腕でつかんだ2本の脚を、力任せに押してもびくともしない。
取り付けられた複数のカメラが、俺の姿を取りこみ、分析している。
「外出は禁止されています。すぐに戻ってください」
足をふんばり、さらに腕に力をこめる。
全体重をかけて、この機械を動かそうと試みる。
「いいから、どけ!」
食いしばった歯の奥から、血の味がにじむ。
「無駄な抵抗はやめろ」
目の前のロボットから、ヴォウェンの声が聞こえる。
このロボットたちは、全てこのヴォウェンの指示で動いている。
今のこいつらの全ては、彼の意志だ。
「何をしたって無駄だということは、お前が一番よく分かっているだろう」
カメラの角度が変わって、ルーシーの姿を捕らえる。
「彼女を連れて、戻ってこい」
通信が切れた。
あの男は、ルーシーをかわいがっていたんじゃなかったのか?
「イヤだ!」
俺は、機動ロボの下にもぐった。
そこをすり抜ければ、出口はすぐそこだ。
8本あるロボットの脚のうちの1本が、俺の邪魔をして鼻先に落ちる。
それでもそこを通り抜けようとしたとき、その脚が俺を真横に叩きつけた。
すぐに立ち上がろうとした俺を、またピンとはね飛ばす。
叩きつけられた背中の衝撃で、俺は吐くほど咳き込む。
それでもまだ、立ち上がった。
すぐ横にあった何かのオブジェを投げつける。
粉々に砕け散ったそれは、蜘蛛型のロボットには傷一つつけられない。
走り出す。
つかみかかった俺を軽々と持ちあげると、床に振り落とした。
「やめて!」
立ちふさがったルーシーに、ロボットの動きが止まる。
俺はとっさに彼女の手をつかむと、走り出した。
赤い射線が、足元を狙う。
精密に計算されたそれは、俺の足を焼き、転倒した。
「ヘラルド!」
射線が、右腕をさっと走る。
一瞬にして焼かれた俺の皮膚は熱で裂け、血が流れ出た。
「外出は禁止されています。すぐに戻ってください」
変わらぬ調子で、ロボットが警告を発する。
ゆっくりと立ち上がった俺を、蜘蛛が見下ろした。
「持ち場に戻って、与えられた指示に従い、作業を続けてください」
「どうする? ルーシー」
彼女は、すすり泣く声を震わせながら答えた。
「分かった。帰ろう。お外には、出られないのね」
「あぁ、そうだ。これで分かっただろう。ピクニックは、中止だ」
うなずいて、分かってくれたと思ったら、違った。
彼女は、なぜか怒っていた。
泣きながらも、鼻水をすすりながらも、明らかに態度が悪い。
イライラして、頭を左右に振り、泣きながら手を所在なくぶらつかせ、怒っていた。
「なんでお前の機嫌が悪いんだよ」
「だって、行きたかったんだもん。ピクニックに行くって、約束したのに」
「それは俺が悪いっていうのか」
「違うよ、そんなこと言ってない」
「じゃあなんでそんなに怒ってんだよ」
「怒ってない」
「怒ってる」
彼女は、スクールの中に向かって歩き始めた。
「だって、どうして外に出ちゃいけないの? どうしてこんなに、ヘラルドとみんなはヴォウェンに怒られてるの? いつになったら、お外に出られるの? お掃除がすんだら? きれいになったら、またピクニックに行ける?」
焼かれた右腕が痛む。
流れ出る血のしずくが、皮膚を伝って指先から落ちている。
それでも俺は、彼女を連れて戻らなくてはならない。
蜘蛛がゆっくりと、俺たちの後ろをついてきている。
「あぁ、そうだよルーシー。カプセルに入って、きれいになったら、またみんなでピクニックに行ける。約束しよう。絶対に、みんなで一緒に行こう」
彼女は、うっすらと微笑んだ。
「うん、分かった。約束ね」
フィールドに並んだ転生機が、口を開けて待っていた。
そこには、中に入るべき人間の呼び名と識別番号が表示されている。
w-35489-OR-31246985、ルーシーの番だ。
俺は、どこかでこれを見ているであろう、ヴォウェンに向かって叫ぶ。
「本当に、このままでいいのかよ! ルーシーまで、消していいのか!」
俺のコピーは、たくさんある。
遺伝子の情報は保管され、永久に記録として残されている。
このルーシー自体はオリジナルかもしれないけど、彼女の遺伝子のコピーは保管されていて、いつでも再生可能だ。
しかも彼女は過去から来た人間で、俺たちの目指す進化の道から逆行する遺伝子の持ち主。
この世界では、すでに知り尽くされた不必要な組み合わせの情報しか持っていない。
頭ではそう分かっていても、俺の中の何かが俺に抵抗する。
「俺の判断に、間違いはあっても迷いはない」
姿を見せないまま、ヴォウェンの声が周囲に響いた。
「ルーシーにも例外なく、カプセルに入ってもらう。大切な資料として、資源として、お前たちと同様、永久に保管されるだろう」
彼女の手が、カプセルの縁にかかった。
「大丈夫よ、ヘラルド。私はあなたが、私を、みんなの言う、次、の、世界へ、連れて行ってくれると、信じてる。ヴォウェン、の、ことも、好きだから、平気」
彼女のつま先が、培養液につけられた。
新しい世界だなんて、誰に聞いたセリフだろう。
きっと適当に返事を返した、誰かの言葉だ。
そんな世界があるだなんて、俺には信じられない。
オリジナルの個体を溶かす事への、再確認の信号が表示される。
警備ロボが、OKのボタンを押した。
腰まで、液体に浸ったルーシーが、カプセルのシートに収まる。
「じゃ、また後、でね」
後で、とは、いつのことだろう。
体と遺伝子は残っても、記憶が記録として残されていても、俺自身が彼女を彼女と認識出来ず、俺が俺自身と分からなければ、それはもう全くの別人じゃないのか?
「ルーシー!」
叫んだ俺の前に、2台の警備ロボが立ちふさがる。
U字型のアームが、俺の動きを拘束した。
彼女を含んだカプセルのふたが、ゆっくりと閉じていく。
俺の視界の端を、何者かが横切った。
「ルーシー、そこから出ろ!」
彼女の培養液に、片手を突っ込んだのは、ニールだった。
カプセルが警告音を発し、閉じようとしていたふたが開く。
「今すぐここを出て、ヘラルドと逃げろ!」
ニールは、彼女を引きずり出す。
「別の遺伝情報を持つ個体が、混入しています。今すぐ確認をしてください」
カプセルからの警告に、警備ロボットたちが振り返った。
「ニール!」
彼は笑っていた。
「俺たちの本気を、見せてやらなくちゃな」
ニールはルーシーを、俺に向かって放り投げる。
「また会おう」
彼はとりだしたナイフで、自分の頸動脈を切った。
噴きだした血が、辺りに散乱する。
「さぁ、ロボットたちが混乱してるわ、今のうちよ」
カズコがルーシーの手を引く。
俺たちは走り出した。
「ニールは? ニールは!」
ルーシーが叫ぶ。
「大丈夫よ。私たちは永遠に、繰り返し再生する、クローンなんだもの」
警報が鳴り響く。
ロボットたちは空気中に拡散した血の臭いに、全機能を停止させる。
傷ついた人間を救うために、ニールの元に集結を始めた。
蜘蛛型の機動ロボも、動きを停止させている。
俺たちは、動かないその機体の下を、難なくすり抜けた。
「こっちだ」
ジャンとその仲間たちが、輸送用の平たい荷台に乗っている。
ニールの開発したチートツールが、有効化されていた。
ジャンの手にすくい上げられて、それに乗る。
「これでカプセルの搬送作業をしてたんだ。そこにチートかますなんて、ニールも考えたよな」
禁則が緩く、誰も手を出したがらない転生機。
何より最優先されるその作業は、機動ロボといえども、素直に道を開ける。
「お前たちを、スクールの外に出してやる」
「どうして? みんなで一緒に行こう」
ルーシーが、ジャンを不思議そうに見上げる。
彼は、ふっと笑った。
「俺はピクニックに興味はないし、ここから出て行きたいとも思わない。だけど、自分の行動と生きる意味は、自分で決める」
ジャンが俺を振り返る。
「聞いたぜヘラルド、海の向こうが見たいんだろ? だったら、俺たちが見せてやるよ」
通路の灯りが、一斉に消えた。電力が遮断されたんだ。
一瞬グラリと傾いた輸送台は、すぐに元通りに走り出す。
「ほら、これならちゃんと、非常用電力の使用も、無条件で適応されるからな」
動きの止まった警備ロボたちをなぎ倒して、複数体の機動ロボが追いかけてきた。
「お前たちの、好き勝手にはさせん!」
ヴォウェンの声だけが聞こえる。
一体の機動ロボが高く跳ね上がった。
荷台に飛びつかれる前に、その足元に仲間の一人が転がり込む。
返り血を浴びたロボットは、その機能を急停止させた。
「ねぇ、どうして血が出るの? なんで、血がいるの?」
その問いに、答えなんてない。
「それでも行くと、決めたからさ。ルーシー、君も、その意味を知らなくちゃいけない」
通路を繋ぐ扉が、閉じられようとしていた。
その両サイドには、2体の蜘蛛がはりついている。
蜘蛛たちは扉だけを操作して、道を塞ごうとしていた。
それならば、人間の血液に反応して自動停止させられることなく、作業が続けられる。
「ジャン!」
彼はそのまま、閉じかけたドアを突破した。
閉じようとするドアのセンサーが作動し、ゆっくりと開いて俺たちを迎え入れる。
「あはは、安全設計万歳だな」
蜘蛛型ロボットが、天井を這って近づいてきた。
射線が精密に、荷台のコントロールパネルを狙う。
「飛び降りろ!」
ジャンの手が、ルーシーを引いた。
それを合図に、荷台に乗った全員が飛び降りる。
蜘蛛が俺たちの頭上を占拠した。
「確保します。動かないでください。逃走とみなし、攻撃します」
「あら、いい度胸じゃない」
カズコが立ち上がった。
「そんなはったり、聞き飽きたわ」
彼女が、両腕を広げる。
蜘蛛のレーザーが、彼女の腕を貫いた。
「逃げるなら今よ」
走り出した俺たちの足元を、射線がつきまとう。
カズコは、蜘蛛の脚によじ登った。
「ほら、このままだと、あんたの方が動けないわよ」
ロボットの脚が力強く動いて、カズコは投げ出された。
俺たちを追いかけようとするその脚に、彼女はもう一度飛びつく。
「ルーシー、今度は一緒に、ピクニックに行きましょうね」
カズコが微笑む。
蜘蛛の可動部に、肘を挟んだ。
緊急警報が鳴り響き、蜘蛛がガクリと脚をつく。
転がり落ちた彼女の体からは、赤い染みが広がった。
「前だけを見て、走ってろ!」
ジャンたちは、定点カメラを撃ち落としながら進む。
配電盤を破壊しようと立ち止まった仲間の2人が、追いかけて来た蜘蛛の脚に踏みつぶされに行った。
外への出口は、もうすぐだ。
最後のゲートが見えた。
スクールのエントランスホールは、すでに戦場と化していた。
無数に飛び散った人間の体と、動かなくなった蜘蛛型ロボ、電力の切られた重い扉を、仲間たちが手動でこじ開けようとしている。
「レオン!」
閉じられた扉の前に立っていたのは、レオンだった。
「あれ? ニールとカズコは?」
俺は、黙って首を横に振る。
「そっか、まぁ気にするな。もうちょっとで開きそうなんだけど、さすがに最後の扉は、重くて頑丈なんだ」
嵐から身を守る、巨大シェルターの役割をも果たすスクールの扉だ。
3メートルはある分厚い引き戸を、人力で開けるには無理がある。
「他にも出入り口はあるだろ」
ジャンが言った。
「ダメだね、全部閉じられてるし、監視ロボがついてる。扉一つ開けるのに、人間が何人いても、足りなくなっちゃう」
彼はため息をついた。
「ハーメルンの笛みたいなのがあれば、ロボットたちを全員どうにかできるのにな」
「それだ!」
俺は、すぐにこの空間を飛び交う電波の状況を調べる。
「ヴォウェンは、どこかでこのロボットたちを遠隔操作している。その電波をジャックすればいいんだ」
主要な電源が落とされ、スクール全員のキャンビー外部通信機能が失われた現在、飛んでいる電波の数は限られていた。
「機動ロボの通信だぞ? そんな簡単に、ハッキング出来るわけが……、ニールのキャンビー!」
レオンは、自分のキャンビーをとりだした。
「俺のキャンビー、ニールのと一緒!」
「多分、ハンドリングバイクの試合の時に、転送されたデータを使えば……」
機動スイッチを入れる。
その場に生き残っていた、数台の警備ロボが動き出した。
「こっちかよー」
レオンが肩を落とす。
「機動ロボの方じゃないの?」
「仕方ない。それでも、何もないよりましだ」
両開きの重い引き戸には、人力でも軽く回して開けられる非常用の開閉装置がついていたはずだが、それは機動ロボたちによって破壊されていた。
壊されたハンドル部分にロープをつないで、それを仲間たちが引いていたが、左右を対称に引かねばならない仕組みで、すぐに引っかかるうえに非常に重たい。
俺とレオンは、言うことを聞くようになった警備ロボ2台に、そのロープをつなげた。
モーターを作動させる。
ピンと張った細いロープを巻き取って、彼らは苦しげなきしみ音をあげた。
「焼き切れなければいいけど」
「俺たちが通れるだけの隙間が開けばいい。それだけでいいんだ」
そのサイズであれば、警備ロボは通れても、機動ロボは通過できない。
半壊されたエントランスホールに、機動ロボが現れた。
「みんなで、警備ロボを守るんだ!」
ジャンの声が響く。
スクールの人間が、一致団結している光景を、初めて見たたような気がした。
血だまりのぬめりが、足を滑らせる。
動き出したとしても、警備ロボでは機動ロボたちの相手にならない。
血液に反応して動こうとしない機動ロボと、酸化の進んだ血液に、禁則を乗り越えて動こうとするロボット、複数体から鳴り響く退避勧告と避難警報が入り交じり、ホールの混乱は最大値を迎えていた。
エントランスに接続する3本の通路のうち、左側の通路を塞いでいた機動ロボの生ける屍が、ぐしゃりと踏みつぶされる。
「ヴォウェン!」
ライド型に変形させた蜘蛛型の機動ロボに乗って、現れたのはヴォウェンだった。
たちこめる血とオイルのにおいに、彼はぐっと眉間にしわを寄せる。
「これ以上被害を拡大させるな。資源の無駄遣いだ」
彼の後ろから、次々と蜘蛛がわき出てくる。
これ以上の抵抗は不可能だ。
扉を開ける警備ロボの機体が、悲鳴をあげた。
その時、ビクリともしていなかった重い扉から、外の光が差し込んだ。
わずか数ミリの隙間から差し込むその光は、希望そのものだった。
「行こう! ルーシー、みんなと一緒に外へ!」
機動ロボからの射線が、扉を開ける警備ロボに向けられる。
仲間の一人が、そこへ飛び込んだ。
切断された体から、血液が噴き出す。
「止まっちゃダメだ!」
レオンが、手動に切り替えた警備ロボの操作パネルを動かす。
「人間を絶対に傷つけない仕組みなんて、そんなもの、この世に本当にあるわけないじゃないか」
扉の隙間が、30㎝を越えた。
「もういい、レオン、外に出るぞ!」
ジャンが叫ぶ。
俺たちは、わずかなその隙間から、一斉に外に飛び出した。
そこに向かって、機動ロボが押しかける。
扉の前を塞いだ蜘蛛たちは、その銃口を人間に向けた。
「あぁ、俺も一回くらい、最後まで生きてみたかったな」
レオンはその身軽さで、ひらりと蜘蛛の上に飛び乗る。
「また最初っから、やり直しだ」
発射された光線が、落下する彼の体を縦に切り裂いた。
どさりとその半分を受け取ったロボットは、緊急停止信号の表示を発して、その全ての機能を停止させる。
扉を塞いだ2機のロボットが、動きを止めた。
珍しく太陽の光がまぶしい、風のない午後だ。
外に出た俺たちは、草の伸び放題に伸びた広場を駆け抜ける。
俺たちがこじ開けるのに、あれだけ苦労した扉を、ヴォウェンは蜘蛛を使っていとも簡単に開けさせた。
飛び出した俺たちのあとを、追いかけてくる。
目的地なんて、なかった。
外に出たところで、行く先も逃げ場もない。
よく考えてみたら、どうしてこんなに外に出たかったのだろう。
こんなにも天気がいい日は珍しいから、最近外に出ていなかったから、ただ単に外を走りたかったから、それだけだったのかもしれない。
「止まれ、今ならまだ間に合う」
ヴォウェンの声が聞こえる。
間に合うって、何に間に合うんだろう。
機動ロボの発したレーザーが、先頭を走る俺たちの目の前の草をなぎ払った。
ルーシーが転ぶ。
立ち止まった俺の前に、ヴォウェンが迫っていた。
先を走っていたジャンが、それに気づいて戻ってくる。
「立ち止まるな、走れ!」
ジャンは、俺たちに背を向けた。
手にしている強制終了棒なんかで、あの蜘蛛たちにかなうわけがないのに。
蜘蛛は立ち止まった俺たちを追い越して、他の逃げた仲間を追いかけていく。
抵抗しようとするジャンの前で、唯一立ち止まった蜘蛛の上から、ヴォウェンが見下ろした。
「全員を連れ戻せ。大人しく作業を続けさせろ」
ジャンは、持っていた長い警棒を振りかざした。
その先端を、蜘蛛の脚に叩きつける。
ヴォウェンの乗った蜘蛛は、ピクリともしなかった。
ジャンは何度も何度も、振りかざし叩きつけ、電流の装置を流したり引いたりしていた。
スクールの中では一番の腕力を持ち、運動神経も抜群、知的で誰よりも信頼の厚いジャンが、どれだけ華麗な棒術の腕前を見せても、ビクともしない、傷一つつかない。
警備ロボ相手では無敵を誇った彼も、ヴォウェンの前では、全く歯が立たなかった。
「もういい加減分かっただろ」
彼はため息をつく。
「お前を押さえておけば、他も全て言うことを聞くと、思ってたんだがな」
ヴォウェンが、ひらりと蜘蛛の上から飛び降りた。
その落下の速度も利用して、ジャンの頭部を殴りつける。
くるりと体を反転させて繰り出した左足が、ジャンの腹を蹴り上げ、さらに右腕で殴りつける。
よろけた彼の胸ぐらをつかむと、もう一発殴りつけた。
「人間より、機械の方が優しかったな」
倒れたジャンの両肩をつかんで立ち上げさせると、みぞおちへの膝蹴り。
その場に倒れ込んだ彼を、さらに踏みつけた。
「やめろ!」
この人に、力で敵わないのは、分かってる。
どうしたら、勝てるんだろう。どうすれば、勝ったことになるんだろう。
「彼を、放してください」
そう言った俺に、ヴォウェンはふっと笑った。
「スクールの外へ出てどこに行く? この島から抜け出していけるところなんて、どこにもないんだぞ。無駄な抵抗だとは思わないか?」
「思います」
「じゃあ、大人しく戻ってこい」
彼はため息をついて、ジャンの背中から足を下ろした。
ふらふらと立ち上がり、ヴォウェンに向かって拳を振り上げたジャンを、もう一度殴りつけて沈める。
「これだから、人間相手の仕事はやっかいだ」
ヴォウェンは、俺の後ろに隠れたルーシーに声をかけた。
「ルーシー、戻ってこい。今戻ってくれば、こいつらもお前も、俺が何とかしてやる。この俺がそう言ってるんだ。分かるだろ?」
彼女は、俺の右腕のシャツをぎゅっと握った。泣きそうな顔で、頭を左右に振る。
「お前の名前は、ヘラルドとか言ったな、なんだこれは、法令違反ごっこか」
「違います。そんなつもりじゃなかったんです」
「じゃあなんだ」
その答えは、俺にだって分からない。
「……成り行き、かな」
「その割りには、ずいぶんと高い代償を払うことになったな」
「俺は、そうは思いません」
彼は手袋を締め直しながら、ゆっくりと近づいてくる。
このまま、距離を縮められたら、マズイ気がする。
「動くな」
後ろに下がろうとした俺を、彼は牽制する。
俺は必死で、頭を回転させ言い分けを考える。
「理由なんて、ありません。ただ、そうなっただけです。誰かが文句を言って、不満があって、それをどうにかしたくて、方法が分からなくて」
逃げようと反射的に背を向けた瞬間、俺の足がなぎ払われる。
地面に倒れこんだ背中に、ヴォウェンの片足が乗った。
「ルーシー、こっちに来なさい」
ヴォウェンの声に、彼女は固く握りしめた拳を、胸の前で振るわせている。
「ルーシー、君はとても賢くて勇敢な女の子だ。私は君のそういうところを高く買っている」
背にかかる足の重みが、ぐっと重力を増した。
「君がちゃんとカプセルに入ったら、他のみんなも入ってくれるかな?」
彼女は助けを求めるように、地面に伏せられた俺を見る。
「カプセルに入るのは、絶対にダメだ、ルーシー」
「そんな教育を、どこで受けた。お前たちに、そんな選択をする権利はない。俺もクローンだ。何度も再生をくり返している。記憶を見たければ見ればいい。人は個人の歴史からも学ぶことが出来る」
彼は一つ、息を吐いた。
「今や、オリジナルの人間といえるのは約2千人。そこから絶滅の危機を乗り越えるために、しなければならないことはなんだ。血統管理と手厚い保護。そこから生まれてくるはずの、新しい可能性を、潰さないこと」
もう一度、息を吐く。
「俺たちは、その希望であり、無限にあるはずの可能性なんだ。だから、俺たちは限りなく増殖し、再生をくり返す。新しい、この先の未来のために」
「そんなこと、ルーシーには関係ないだろ」
俺はなんとか立ち上がろうと、腕を突っ張る。
「あんたのそんな、もっともなご高説なんか、俺たちには関係ない」
ふいに背中の重みが取れたと思ったその瞬間、脇腹に激痛が走った。
痛みにうずくまる俺の体に、なんども固い靴底が打ち付ける。
口の中から血の味がして、俺はつばを吐き出した。
地面を駆けてくる足音が聞こえる。
頭上で何かが、激しくぶつかり合う音が響く。
ヴォウェンに殴りかかったジャンが、彼から返り討ちにされていた。
「ジャン!」
俺はそこから抜け出す。
「いいから、さっさと行け! どこまでいけるか知らねぇけど、どっかにはきっと行けるだろ」
ジャンの左頬に強烈な拳が入り、彼の体は、再び地面に投げ出される。
俺は、ルーシーを見上げた。
彼女の方が先に、俺の手を引く。
「ジャン!」
悲痛な叫びが、空に響く。
ヴォウェンの放った弾丸が、彼の体を貫通した。
「いいから、俺たちの分まで、いってくれ」
「止まれ、止まらないと、こいつは死ぬ」
俺は彼女を振り返る。
彼女も俺を振り返った。
走り出した俺たちを、止めるものはもうなにもなかった。
銃声が響く。
ジャンの体から拭きだした血液が、みるまに草地に赤い血だまりを作る。
追いかけようと動き出した蜘蛛を、制止したのはヴォウェンだった。
「放っておけ。追いかけたところで、どうせ止まらない」
彼は走り出した俺たちに向かって、そっとつぶやく。
「俺の判断に、間違いはあっても迷いはないからな」
彼が背を向ける。
俺たちは、走り出した。
走って走って、やがて息が切れてくる。
西に傾き始めた陽の光が、とてもまぶしい。
俺たちの目の前には、底の見えない断崖絶壁、その向こうは広大に広がる、荒れた海だ。
「ルーシー!」
「ヘラルド!」
迷いなんて、何一つない。
俺はそこに飛び込んだ。
彼女も同時に飛び上がる。
俺は笑っていて、彼女も笑っていた。
新しい物語が、はじまった。
【完】