そうして、会計を済ませてレジ袋に今日買ったものを入れていざ帰ろうとしていた、その時だった。僕は彼女……楠野さんを見かけた。案内表をじっくりと見て悩んでいる所を人混みの合間からはっきりとわかった。
 あれは、楠野さんだとはっきりとわかったのだ。
「あのっ、楠野さん……」
 気になった僕は楠野さんに声を掛けてみた。すると、楠野さんはこちらの声を聞くなりこちらの目の前に走って移動してくる。
「安曇くん!」
 肩を掴まれて、泣きそうな顔でこちらに訴えかけてくる。唐突にそんな事をしてくるなんて、一体どうしたんだと思わず言いかけたが、抑えて平常を装って次の言葉をひねり出す。
「……どうしたんですか?」
「道、わからないの? 教えて」
 彼女は迷子になっていた。聞けば、友達と待ち合わせをしていたのだけれど、道が複雑過ぎてわからないという事だった。その経緯を聞いて僕は多分彼女が方向音痴なのだとなんとなく察した。
 確かにちょっと構造が複雑ではあるが、噴水機が設置されていてとてもわかりやすい目印になる場所が待ち合わせ場所と言う事だ。
 そういう訳で、僕はその場所を教えたのだが……、
「わざわざ一緒に来てくれてありがと」
「う、うん……別に」
 流れで僕が道案内する事になっていたのだ。早く帰らなければいつまで経っても帰ってこない事に心配するだろうと思ってはいるのだけど、どうも楠野さんがここに来る事はあまりないから一緒に来てほしいとせがまれたのを断れなかったための結果だ。
 ちなみに、楠野さんに住んでいる場所はどこなのかと聞いてみたら、ここから2、3駅程離れた街に住んでいるという事だった。それならば、このショッピングモールに来た事が無くても仕方ないだろう。2、3駅離れた楠野さんの住んでいる街にはここよりも大きいショッピングモールがあるのだから。僕は行った事はないけれど、楠野さんは既に何度か行っていて、結構なお店の数があると道案内の最中に話していた。
「そういえばさ、あの人の本で初めて読んだのって何なの?」
「えっと……確か、あれだ」
 僕はあの作家さんの作品で初めて読んだものを挙げた。その作品はあの人にとって6作目になる青春小説だった筈だ。僕がその作品の名前を挙げると楠野さんは「ああ~」と声を張り上げる。
「私もその作品が初めてだったよ!」
「本当に? すごい偶然だね」
 楠野さんも僕と同じ本からあの作者さんの本にのめり込む様になったという共通点を聞いて感嘆の声を漏らす。
「あははっ、そうかも?」
 笑いながら、楠野さんは僕に同意した。女子とあまり会話をした事の無い僕だけれど、楠野さんと話している時はとても心地よく楽しい時間だと実感できる。それくらい彼女との会話は濃い経験だとも言えた。
「さて、とそろそろ着くよ」
 僕の知っている限りだと、このストリートから外に出た先で楠野さんの待ち合わせ場所の印である噴水機がある筈だ。それは何度もこのショッピングモールに来た事のあるから大体の道を把握できているからだ。
「あ~? 美樹!」
 すると、突然叫び声がしてきた。声のした方を向くと、同じくらいの歳の女子がこちらに向かって走り出してきた。
「美樹! ちょっと遅かったよ?」
 やや荒々しい口調で楠野さんを叱りつけるに言った彼女は多分、ここで待ち合わせした人だと思う。
「ごめん、道に迷っちゃって」
「やっぱり迷ってるじゃない!」
 彼女の口ぶりからすると、待ち合わせ場所を決める際に迷わないから大丈夫だと楠野さんは意気込んでいた様だ。楠野さんは、あまりの容赦のない突っ込みに少し肩をすくめていた。
「あ、でも彼に案内してもらったからなんとかたどり着いたんだけどね」
「え? 彼って……」
 彼女はこちらを見るなり、明らかに警戒の素振りを見せてきた。一体何でなのか、ちっともわからない。
「彼、今年から同じクラスの安曇くんね。あ、安曇くん。こっちは片桐筑音ちゃん。私の昔からの親友なんだけど――」
「美樹。あいつとなんか妙に仲良さそうだけど?」
 こちらに対する呼び名が妙に刺々しい。楠野さんはそんな所に気を留めず、話を続ける。
「うん! 結構話盛り上がっちゃって気が合いそうなんだよね~」
「へえ……」
 そう言いながら、こちらをジッと睨み付けてくる片桐さんの顔はかなりの迫力があって、僕は気圧されてしまう。というか、何で筑音さんは僕に対してこんなに警戒の色を隠さないのだろう。
 ……そんな理由を考えていても仕方ないと結論に至らせて、僕は僕の方で用事を済ませるために楠野さんにそろそろ用事があるから帰っても大丈夫かと聞いてみた。楠野さんは理解を示した様で、ここから先は筑音ちゃんがいるから大丈夫だと言っていた。
 そして、別れ際に楠野さんはまた学校で、と叫んだのを最後に二人で僕とは真逆の方向に歩き去ってしまって行った。それにしても、今日は疲れる日だった。さっさと帰ろうと僕は駐輪場まで向かった。
 楠野さんに道案内した時間を含めて大体3時間ぐらいいただろう。幸い、ここの駐輪場は料金がかかる仕様がないのでそのままシームレスに出る事ができた。僕は自転車のペダルを漕いで真っすぐに家まで直行した。
 そうして、僕がペダルを漕いでいると、どこか一部の一帯から何か光っているのを目撃する。
「あの光、何だろう……」
 そう呟かずにはいられなかった。今僕がいる場所から山の方に何か光が漏れ出ている様な気がするのだ。気になった僕は進路を山の方に変更してその光の正体を探る事にした。

 そうしてペダルを漕ぎ続けて十数分程は経っただろう。僕は山のふもとまで来てさっきの光源を探し続けていた。
「気のせいだったのかな……」
 そう思った。まだ日中と言う事もあるので、多分太陽の光が反射して違和感を覚えただけだろうと僕は思っていた。そうして元の進路に戻ろうとした時だった。
 明らかに影の位置が変だという事に気づいた。影の差している方向と逆側――後ろの方に体を向けると、何かが光っている様な……そんな風に見えた。と言う事は、さっきみた光はもしかして……そう思った僕はそのまま自転車をU字回転させて光源の方へと走らせる。
 少し眩しかったが、なんとか見れるぐらいの強さではあったので、そのままペダルを漕ぐ事は出来た。そして、そのまま光源にとたどり着いたのだけれど……。
「空き家……?」
 その光源先は家だった。しかも、明らかに手入れがされていない状態だったので、ここには誰も住んでいないとわかったのだ。
 妙に古く感じるその小さな一軒家の周りに家が無い事に気づく。僕はどこか不気味に感じたその家を後にする事にした。

  *

 次の学校の日。僕は教室の自分の席で本を読んでいると、彼女……楠野さんが教室に入ってくる所を見かける。やっぱり同じクラスだったんだと思いつつもなかなか話しかける勇気はでない。
 ここはプライベートな空間とは全然違う事、そして何より気恥ずかしさもあったのが理由だった。本当はそんな事関係なしに普通に話せればいいのだろうけれど、今の僕にはその発想は出てこなかった。
 そうウダウダとして朝の朝礼が終わった後もなかなか話すチャンスには恵まれなかった。

 けれど、そんな時間が終わったのはもうすぐ今日の学校の予定が終わりであるクラス委員の仕事決めの時だった。僕は図書委員を選ぶタイミングで誰も手を挙げなかったのを確認すると、手を挙げて図書委員行きますと伝えた。
 それを聞いた、担任の先生は僕の名前を黒板に書き込む。そして、他に誰かいないかと聞く。当然、誰も手を挙げないと思っていた。
 その時だった。
「はい」
 手を挙げた人がいた。
 僕はその人物に驚いた。何故なら、
「楠野、やってくれるか?」
「やります」
 それが、楠野さんだったからだ。
 それと同時にクラス中がざわつく。そんな中で楠野さんが僕の方を向いて、笑顔を見せた後に着席をした。
 この時の僕は知らなかったけれど、楠野さんは学校中でも一番よく話題になる程有名な人物であった。僕は有名であることは知っていても、そこまで有名な人と思わず、だからあの時クラス中がざわついた理由を理解できなかったのだけれども。
 とにかく、楠野さんは僕が図書委員に立候補した直後のタイミングで自分も図書委員に立候補してきたのは何か意図があっての事だろうか。
 僕にはそれがわからない。
 けれど、これが僕と彼女の交流の始まりだなんて知る由もなかったのだから。

  *

 それから一週間程経ち、昼休み。先週やると決めた図書委員の初仕事の日を迎える事になった。図書室は本校舎とは別の西校舎にある。西校舎には美術室や音楽室もあるが、その中でも図書室はその西校舎の大部分を占める程の広さを有している。なお、最初に僕は……とは言ったが今僕は一人ではない。もう一人いる。そして、そのもう一人とは……。
「すごい! いつ見てもいっぱい本があるね、うちの高校!」
 楠野さんだった。うるさくならない程度に感嘆の声を漏らす彼女を見て、僕はなんだか複雑な気分に駆られる。その後すんなりと図書委員は僕と、楠野さんの2人でやる事になったのだけど、僕はどうも楠野さんは理由があって図書委員に立候補したと思う。それは、僕が図書委員に立候補した直後に彼女は手を挙げた事がそう思う一番の理由だ。ただの偶然というには言い訳がましく思える程、彼女は僕が立候補した直後に初めて手を挙げたのだ。
 まさか、僕と仲良くしたいから? そんな訳ないと思いつつ、僕は質問をする事にした。
「そういえば、さ」
「んー? どうしたの?」
 楠野さんがこちらに注目してくる。僕はコホンと咳を鳴らして改めて質問をする。
「何で図書委員に立候補しようと思ったの?」
 もちろん、この質問で。どうしても気になった事なのだ。もし彼女が気に病むような事だったら言わなくて大丈夫、とフォローをすればいい。更に言うと、楠野さんはそう言われて少し悩んでいるみたいだから、無理に言わなくても良いとフォローをすれば、
「昨日助けてくれた事のお礼かな」
 ……いいと思っていたけれど、彼女はあっさりと答えてしまった。そして、その理由に僕はビックリしてしまった。それは、僕にお礼をするために半年同じ委員の仕事をすると言う事他ならない。
「で、でもどうして?」
 そこまでして僕にお礼をしたいと言われて、困惑を隠せない。本当に、そこまでしてこんなに大層なお礼がしたいのか?
 楠野さんは困り笑いをして理由を淡々と答えていく。
「いやあ、さ。だってほぼ初対面の相手にあそこまで出来る人、なかなかいないと思うの。だから、私気になってさ……」
 気になる、という単語を聞いた僕は何だか気持ちがドキドキし始めて来た。
「と、とりあえず図書委員の仕事始めよう」
 僕は話題を変えるために、楠野さんに仕事をするようにうながした。
「うん。そうだね」
 楠野さんは顔色を一つも変えずにただ、僕の提案に同意をした。
 その流れで早速図書委員の仕事を始めたのだが、やる事は単純だ。たまに本を借りたいという人がいれば、パソコンで本の貸し出しボタンを押して、バーコードを読み取る装置で本の背中にあるバーコードを当てたらOK。後は、返された本を元の位置に返したり、本の位置が正しいのか整理をしたりといった事をたまに行えばいい。けれど、図書室の利用者は少なめなので基本は暇と言えば暇なのだ。僕たちは図書室の貸し出しコーナーに設置してある椅子に二人で座っていた。正直な話、何も変化が無かったので退屈だった。
 楠野さんは本棚から引っ張りだしてきたらしく、ハードカバーの本を読んでいた。僕は楠野さんがどんな本を引っ張り出してきたのか、気になっている。というのも、楠野さんが見つけた本はどんな内容なのか……そんなどうでもいいことながらも気になってしまう。
「あの、楠野さん」
「うん、どうしたの?」
 こちらこそ見てはいないが、しっかりと返事をしてくれた。その事に僕はホッとしつつも改めて気持ちを切り替えて、そのまま疑問をぶつけてみる。
「その本、何かな?」
「ああ、これ? ……はい」
 そう言って僕はそのまま閉じられた本を手渡される。その本は「世界は「」で出来ている」という題名だった。
「私、こういう世界とかが付く題名の本が気になるタイプなんだよね~」
 それは何だか変わっているな、と思いつつ僕は本を広げてみた。本に書かれた内容は世界が出来た考察……の様なもので、僕は題名からして小説か何かだと思っていたので、拍子抜けする思いでいっぱいだった。楠野さんはこういう本を読むのかな、とは思ったりしたがそこまで深く掘り下げる事でもない様なものだと思うので、敢えて聞かなかった。
 そうして、本を閉じようとした際に一瞬何か気になるワードが僕の視界に入ってきた。慌てて本をもう一度開く。そうしたら、その気になるワードの正体が露わになったのだ。
『世界少女は果たして必要なのか?』
 なんだこれ、と最初は思った。この本の目次に書いてあった事なのだけれど、他の目次は世界が生まれた経緯やら生物の紀元やらと他にもありそうな目次の題名が付けられていた中、『世界少女は果たして必要なのか?』という題名がとても浮いている様に思えた。
「どうしたの?」
「……ああっ、いやなんでもない」
 心配している様子だった楠野さんを安心させるために適当な言葉で返してしまった後に、本を突きだす。
「これ、ありがとう」
「……ううん、別にいいよ」
 少し急だったかなと反省もした。けれど、この微妙な空気を変えるのは自分の力じゃ厳しいというのもわかっていた。だから、そんな急な本の突き出ししかできなかったのだと後悔もあった。
 ……世界少女というものが存在するというのは僕でも知っている事だ。けれど、何故世界少女がこのような本に書かれているのかはあまり知らない。
「……変なの」
 楠野さんは不思議そうに呟いた。まあ、そう思うのも無理はないだろう。僕が同じ場面に遭遇したら、変だと思う。
 世界少女という単語を頭の中で何度か反芻する度に、僕は頭の中から振り払う。そんな事を気にしていては仕事にならないからだ。ただ、僕は気になった。何故、あんな事が書かれていたのか。
 図書委員の初仕事の日はこうして時間を潰していった。たまに本を借りる人がいたので、本を借りたという証を残す様に行われる貸出の準備を行った。それを済ませたら本を相手に渡したら終了だ。
 そうして、昼休みが終わる直前のチャイムが鳴った。
「それじゃ、図書室締めないと」
「そうだね」
 僕たちは図書室を締めるという話になった。当然、昼休みが終わる直前のチャイムがなったらそれまでに席に座らないといけない。僕たちも生徒なのでそれは簡単に言ってしまえばそうするのは当たり前の事なのだとしか言えない。
 そうして、図書室を締めて先生に鍵を渡しに職員室まで移動する事にした。
「それにしても、図書委員って昼休み中はずっといなきゃいけないんだよね~」
「……まあ、そんなにいないし何よりも週に1、2回ぐらいの頻度だから大丈夫だと思うけど」