♪side:翔一
アパートに着いて、部屋に戻った。航大も午後は講義を入れてない曜日なので、珍しくこの時間から部屋に二人が揃う。
「あれ?講義は?」
「教授が来れなくなって休講だってさ」
「すげぇ無駄足だったじゃん」
「それ教授の張り紙見た瞬間に思ったわ。無駄足だった」
「ビートルズ、聴いてくれたか?」
「もう何回も聴いてるよ。盤が擦り切れるんじゃねぇかってくらい」
「大袈裟かよ。レコードみたいな言い方して」
「航大は?今日は何してたん?」
「さっき帰ってきてラジオ聞きながらハガキ書いたりとか、講義の課題とか。本当にいつもやってる事しかしてないかな」
「今ラジオって面白い番組やってるのか?」
「お、ラジオに興味出てきたか?」
「質問に質問で返すなよ……別に興味出てきた訳じゃないけど、そんな毎日毎日よくも聞く事があるよなぁって思って」
「それも言い換えりゃ興味あるって事だぜ」
「屁理屈かよ。いいから、教えろよ」
「今なぁ、面白いって言うか、すげぇくだらない番組ならちょうど放送してたけど」
「どんなの?」
「なんか、メインのメンバーがちょいちょい女性のゲストにエロい話振ったりする様なやつ」
「なんだそれ」
「な、くだらないだろ」
「誰が聞くんだよそんなやつ」
「それがこういうの好きな人が多いんだよなぁ。じゃなきゃ何年も続かないだろ」
「ビートルズの方が綺麗だよな」
「ビートルズと比べんなって」
「すまん」
「すげぇだろ、ラジオって」
「あぁ、まぁ、話してる人の顔が見えんから、聞いてるだけで想像力とか豊かになりそうだしな」
「そういう見方かよ。もっとこう、なんか、無いのか?」
「とりあえずその語彙力何とかしろよ。文系だろ」
「ラジオの魅力とかさ」
「そういうのは航大が一番よく分かるんじゃないのか?」
「魅力なぁ……どうだろ。知らん奴の日常とか、子どもに聞かせられない様な下ネタとか、めちゃくちゃ真面目な時事ネタとか、そういうのが全部混ざってエンターテインメントになってるっていうことかな。放送局だけじゃなくて、聞いてるリスナーと一緒に作り上げてるっていうか」
「なんだ、分かってるんじゃん。俺もラジオの魅力って聞かれたらそう答えると思うぞ。あんましっかり聞いたことないけど」
「そうか?なんか嬉しいな。そう言われると」
「なんだ気持ち悪い」
「……」
いきなり会話が途切れ、少しばつが悪くなった。テーブルを挟んで、二人の間に沈黙が横たわった。
メールも不在着信も来ていない携帯電話を開いてメールチェックをするフリをして、そのまま台所に煙草を吸いに行く。
アパートを出る時にテーブルに置き去りにした読みかけの小説も持って来た。椅子に座って煙草をふかしながら古本屋で買った小説の続きを読み始めた。大して人気は無く、カバーも少し破れかけていて、誰も買わないような小説を百円で買ってきては読む。びっくりするくらいつまらなくて、読むのをやめてしまった作品もあれば、百円で買えて得をしたと思うほど面白い小説と出会えることもある。街中とか駄菓子屋の軒先にあるガシャポンみたいな感覚で本を選ぶ。たまに当たりに出会えればいいと思っている。
航大のいる部屋からは、まだしっかりとノイズ混じりのラジオの音が聞こえてきている。今週のこの時間はなんの番組だったか。もちろん覚えていない。全く小説に集中できなくて、結局煙草二本分しかページが進まなかった。こんなペースでは、この小説の事件が解決するのに二ヶ月くらいかかってしまう。
本を閉じて、部屋に戻る。航大はまたハガキにペンを走らせている。よくもまぁ飽きないもんだと思ったけど、俺にも続けている趣味はあるので同じ事だと思った。ハガキを書きながら、航大が話しかけてきた。
「なんかさ、いいよな、こういうの」
「こういうのってなんの事だよ」
「今のラジオ聞いてたか?」
「いや、何も聞いてなかった。てか台所にいたの知ってるだろ」
「今な、俺がよく聞いてるいつもの恋愛相談のコーナーがある番組始まるんだけど、その予告聞いててさ」
「いつものって言われても俺はよく分からんぞ」
「なんか、そこそこテンションの高いおっさんが毎週若い女のパーソナリティとひたすら恋愛相談のハガキとか読んだりする様な番組」
「つまらなそう」
「普段は馬鹿みたいにつまらないんだけどな、今日のは予告聞く限りだと興味深かったぞ」
「へぇ、どんな内容?」
「これからちょうど放送されるからよかったら聞いてみろよ」
「CM終わったらすぐ?」
「そう」
「あれ?そういえば、それって金曜の夜にやってるやつじゃなかったか?」
「あぁ、これ週に二回放送されてて、金曜の夜と火曜の昼間に放送されてんだよ。パーソナリティの二人が違うだけで、内容は同じ」
「そうなん。ラジオって割りと自由なんだな」
「よく覚えてたな……あ、始まるぞ」
航大が恋愛相談のコーナーとか聞いてるところが全く想像できなかった。女の気配すらほとんど無いような奴なのに、そういうのは興味あるのかと心の中でツッコミを入れる。
求人情報のコマーシャルが終わり、音楽が変わる。その番組はすぐに始まった。
「初めましてのリスナーの方も、毎週聞いてくださってるリスナーの方も、こんにちは。今日も武田の恋愛相談、始まりました。お相手は私、武田京助と」「雪村佳織がお送り致します」
パーソナリティが二人いて、まぁまぁテンションの高いおっさんとノリノリの若い女の人という事だけが分かって、名前は二人とも聞いた事がない。いかにもつまらなそうな番組だと思ったが、航大が興味を持つ恋愛相談ってどんなもんなんだと少し期待をしている。
「いやぁ、雪村さん。今回も大量のハガキが届いていますね」
「本当、リスナーの皆様に感謝です」
「それでは早速、今週のテーマを発表しましょう」
「なんですか?」
「なんだと思いますか?」
「学生の皆さんの恋愛相談とか……ですか?」
「それが違うんですよね、もっと珍しい恋愛のです」
「どういうテーマなんですか?」
「今回は……なんと、同性愛についての恋愛相談です」
聞いた瞬間に、「あぁ、マジか」と思った。俺の送ったハガキが読まれるとしたら今日のこの放送だと確信して、どうか読まれませんようにと軽く祈った。
♪side:翔一
パーソナリティが淡々とハガキを読んではコメントをして、五枚目に読まれたハガキは俺の送ったものだった。
「次のハガキは、長野県長野市の方からです。これはまた熱い思いが込められているのか、裏一面びっしり書いてくれています。では、読ませていただきます。『俺は、きっと誰かを好きになるんだとしたら相手は男なんだと思う。別に、女の人に魅力を感じないわけじゃない。ただ、大学のミスコンでグランプリを取った女の子よりも眩しい存在が身近にいてしまうから、俺はきっと女の子を好きになることは出来ないんだと思う。俺が眩しいと思うそいつは、無精髭が生えてたりとか酒飲みだとか煙草吸ってたりとか、傍から見たらろくでもない男なんだろうけど。一緒にいると、ありのままの自分を受け入れてくれるような奴。認めたくはないけど、多分俺はそいつの事を男として好きなんだと思う。もしこのハガキが読まれたら、同性愛についてどう思うか聞かせてください』との事で、この方はもしかしたら、もう男性として好きな方が身近にいるんじゃないでしょうか。雪村さんはどう思いますか?」
「私もそう思います。なんか、いいですよね。正直私は、同性愛なんて……なんて思ってましたけど、なんて言うかこう、普通の男女の恋愛と気持ちは変わらないんだなって痛感してます。偏った見方をしてしまっていたんだなぁと、そう思います」
「いや、実は私もこの企画の話が来た時はそうやって思ってました。今は五枚目のハガキなんですが、少なくとも五人、いや、今日届いているハガキの総数以上の同性愛というものがあるんだってことを思い知っています」
「それに、綴られた文を聞いていると、本当にどうしようもなく美しい恋愛がそこに確かにあるんですね。素直に、素晴らしいことだと思います」
自分の気持ちにコメントが付けられるってこんなにも恥ずかしいものなのか。とか、俺ってやっぱ航大のこと男として好きなんだな。とか散々気付かされる放送だ。別に自覚はしていたつもりだが、他の誰かに自分の気持ちをそこまでしっかり言葉にされるととんでもなく恥ずかしくなる。早く次のハガキに移ってくれと思いながらラジオを聞き流す。
「さて、まだまだハガキは届いています。今日の六枚目のハガキは、これまた長野県長野市からのお便りです。この方もなかなか長い文章で、感情がストレートに伝わってきます。では、読ませていただきます。『俺の恋愛対象は男なのかもしれない。ある女の子との関係が最後になった日、俺はもう女の子を抱くことは出来ないと思った。それが恋愛対象が男であるというはっきりとした理由かどうかは分からないし、女の子が抱けないから男が好きだという理論が成り立つ訳でもない。その上で男が好きなのかもしれないと言う理由は、今一緒に住んでいる大学の友人が男で、そいつの事を男として好きなのかも知れないと思い始めてきたからだ。世間からはどうせ変な目で見られると思うから、周りには相談せずハガキにして送るという方法で気持ちを消化させようかと思い、今回ハガキを送ってみました』との事で、もう同棲しているような感じなんですかねぇ。ただ、気持ちも伝えてないし相手もこのことを知らない。とても甘酸っぱい感じがしますね」
「私こういう少女漫画みたいな展開のお話大好きです」
「いや、漫画の中じゃなくてリアルにこの日本のどこかでこう思っている人がいるってことですよ」
「そうですね。もしかしたら、もしかしたらですよ?さっきのハガキを送ってきてくれた方と今のハガキの方、同じ気持ちなのかもしれないです。この二人がもしどこかで出会ったら、とても素晴らしい友達になってるのかもしれないです」
「あら、雪村さんめちゃくちゃいいこと言うね。ちょうど僕もそう思ってた」
「ですよね、そんな感じしますよね」
「ってことで、今日も時間が押してきてしまいました。あまりに熱い気持ちが溢れ出して来ていて、ついついコメントも長くなってしまいます。今日は十人のお気持ちを紹介する予定でしたが、次の番組のスタッフに怒られてしまいますので七枚目で最後にしたいと思います……」
何が同じ気持ちだとか勝手に強がっていたが、内心そうなのかもしれないと思ってしまった。大学の友人と一緒に住んでいて、その人の事が男として好きで、これじゃまるっきり俺と同じじゃないか。友達になれるかどうかなんて事はどうでもいいが、今のハガキを送った人とは少し話してみたいと思った。
正直、自分のハガキが読まれる事は覚悟していたが、実際に読まれてみると馬鹿みたいに動揺する。航大は黙ったまま黙々と白いハガキを埋めていっているし、ラジオは七枚目のハガキを読み終わってエンディングの挨拶みたいなのを話している。俺は動揺を必死に隠しながらその場に沈黙している。これで動揺しているのを隠しているつもりなのが笑えない。
♪side:航大
まさか久しぶりに読まれる自分のハガキがこれだとは本当に夢にも思っていなかった。よりにもよって翔一が隣でめちゃくちゃ真剣にそれを聞いていた。俺はなんとか動揺を悟られないように、放送局に送られる事の無いハガキを無心で書きまくっていた。どうでもいい番組のどうでもいい企画に、面白くもなんともない文章を書き綴っては新しいハガキを手を出す。もはや宛名すら書いていないが、俯いたままラジオを聞いている翔一にはバレないだろうと決めつけ、ハガキの裏だけを描き続けた。
俺のハガキが終わり、コメントもしっかりと付いた。今となっては後の祭りだ。どうせ読まれないだろうから本音を全てさらけ出してしまえとか思いながら勢いで投稿してしまったことを本気で後悔した。大学の友人と同居してて、そいつの事が男として好きで、なんて恥ずかしいにも程があるし、ともすればバレるかも知れない。もしこの想いが翔一に知られてしまったら、俺はどうするんだろうか。きっとドン引きされるだろうしアパートからも出ていってしまうんだろうな、なんて思ってしまう。そんな事を考えながらペンを動かし続けていると、俯いていた翔一がいきなり頭を上げて話しかけてきた。
「航大、長野県長野市ってさ」
「え、あ、なに?」
「あ、書いてるところごめん。長野県長野市からのハガキが二枚連発で読まれるって凄くね?この番組って確かハガキの募集全国区じゃなかったか?」
「まぁなんか、偶然だろうな」
「今読まれたさ、ある女の子との関係が最後になった日がどうのこうのって書いて送った人ってこの街にいるってことだよな」
「まぁ、そうだよな……」
「え?テンション低くない?どうかした?」
「すまん、ちょっと集中しすぎてて頭が回らなくて」
「集中してるのに頭が回らないってなに」
俺の精一杯の言い訳にツッコミを入れながら、翔一は笑った。その笑顔を見た瞬間、やっぱり俺は翔一の事が本気で男として好きなんだと実感した。もう誰になんと言われようがどうでもよかった。でも、翔一にだけはこの事を言えない気がしている。だいぶ昔、好きな人に告白しようと思いながらなかなか決心がつかないみたいな、そんな気持ちになっていた。フラれたらどうしようとか、そんなくだらない気持ちで頭の中がいっぱいだった。
「いや、なんかさ、同性愛って正直知らない世界の話だったから、すげぇ面白かったと思う」
「翔一は今の話でどの辺が面白いと思ったん?」
「あぁ、恋愛対象が男だって気づく瞬間っての?そういうのってどんな瞬間なんだろうってちょっと気になってな」
「心理学とかの話になってくるのか、ジェンダー論とかの話になってくるのか……」
「その講義取っとけばよかったな」
「キャンパス遠いからやめとけって」
気の利いた相槌すらまともに打てず、ハガキの裏に書いている文も日本語かどうかすら怪しくなってきた。いてもたってもいられず、エンディングの挨拶が終わってコマーシャルに移るタイミングでラジオを消した。
二人の間に沈黙が流れるのはよくある事だったが、いつもとは比較にならない程気まずかった。ペンの音と、時折外を走る車の音が聞こえるだけの部屋。うんざりするくらい無機質だった。
♪side:翔一
航大がラジオを消して、俺はずっとテーブルに向かって俯いていた。何を話していいか分からなかった。わざとらしく話をそらすことも出来ず、結局今のラジオの内容の話になってしまう。
「航大はさ、同性愛ってどう思う?」
「あぁ、同性愛……ね。俺は……そうさなぁ、ありだとは思うけど」
「え?ありなの?」
「別に誰が誰を好きになろうがお互い愛し合ってりゃ性別なんか関係ないんじゃねぇの」
「なるほどなぁ……性別なんか関係ない……か」
「なんだよそんな元気無くして」
「俺、お前のこと好きかも。男として」
「え……?は?」
「いや、ごめん、ギャグか何かの冗談に聞こえたら申し訳ないと思うけど、残念ながら本気なんだわ」
「……」
「だよなぁ。ふざけんなって思うよな」
「いや別にふざけんなとは思わないけど、どうしたんだよ突然」
「突然か、突然って訳でもないんだけどな」
「俺からしたら突然だよ」
「なんかさ、前からすげぇモヤモヤしてたんだ。お前のこと、友達って思ってたけど……」
「けど、なんだよ?」
「けどさぁ、なんか、なんていうかな、好きだって思っちまったんだよな」
「よくわかんねぇけど」
「俺もよく分かってねぇけど、別に冗談とかじゃなくて、ちゃんと本気だよ」
「本気かよ」
「酒飲んで、煙草吸ってて、無精髭すらろくに剃らないけど、好きなもんには一直線で、飾らない航大って、かっこいいよ」
「結構貶してんじゃねぇか」
「そういうのも全部含めて好きだっつってんだ」
「好きなもんに一直線か……なれたらよかったけどな」
「なってんじゃねぇの?今もハガキ書き続けてるんだし。ラジオも立派な趣味で、好きなことだろ」
「でも、もっと上手くハガキ書く奴なんかいっぱいいるだろ。そいつらに比べれば俺なんか……」
「続けるってのが一番好きな事に一直線ってことだと思うぞ。なにかを続けられなくて諦めた奴の方がこの世の中にはいっぱいいると思う」
「そうか……そんなもんなのか」
「そんなもんだと思うけどな」
「さっぱり状況が読めないけど、とりあえずありがとう」
「返事それかよ」
「それかよ、じゃねぇよ。状況が飲み込めないんだよ」
「航大は俺のことどう思ってんだって話だよ。付き合う付き合わないは今はどうでもいい」
「どう思ってるって、難しすぎんだろ。恋人として見れるかどうかって話だろ」
「まぁ、平たく言えばそういうことになるのかもな」
「おいちょっと待てって。さすがに情報が多いだろ」
「さっきのラジオちゃんと聞いてたか?」
「話変えるなよ」
「変えてねぇよ。さっきのラジオの五枚目に読まれたハガキ、俺のなんだよ」
「は?ミスコンのグランプリがどうとか言ってたやつ?」
「それ。俺はお前にこれからもありのままの俺を受け入れ続けて欲しいと思ってるよ」
「お前、よくそんな歯の浮くようなセリフ言えるよな」
「悪いかよ、本気なんだって。何度も言ってんだろ」
「ちょ、待て分かったから」
今まで生きてきた中で一番の本音と一番の緊張が混在して、頭の中がパンクしそうになっていた。全身が熱くなっていた。言いたかったことは全て漏らさず伝えたし、一生分の勇気を使い果たした気がした。今にも崩れそうな崖っぷちに自分から歩み寄って、もう後戻りは出来ないところまで来てしまった。
♪side:航大
翔一から言われた言葉の意味を必死に理解しようとする。目の前のこいつは、確かに俺の事を「男として好きだ」と言った。頭の中が真っ白になって、返す言葉が一つも見つけられなかった。聞けば、さっきのラジオで読まれた五枚目のハガキの送り主は翔一らしい。同じラジオ番組で俺と翔一の送ったハガキが同時に読まれるなんて。
「あのさ、さっきの五枚目のハガキは翔一が書いたって話じゃん」
「そうだけど。なんだよ、また話そらすのかよ」
「ちげぇよ。まぁ聞けよ」
「なんだよ」
「あの番組で六枚目に読まれたハガキ、実は俺の送ったやつなんだ」
「いや、今はその冗談笑えねぇ」
「冗談じゃねぇって。誰にも読まれないだろうと思って、過去の思い出の供養みたいな感じで書いて送ったつもりだったんだけどな」
「過去の思い出?」
「七海っていう……まぁ、世間が言うところのセフレがいてさ」
「は?七海?セフレ?」
「そう。話した事無かったけどさ」
「この前お前、寝言で『七海』って名前呼んでたぞ」
「は?本当に?」
「てっきり俺の知らないところで彼女でもできたのかと思ってたぞ」
「ちょっと待て、その寝言言ってた日っていつだ?」
「俺が初めてハガキ書いたあの夜だよ」
「あぁ、なるほどね」
「なるほどね、じゃないんだよね。なに自己完結してんだよ」
「悪い、やっぱ説明必要か?」
「無理に話せとは言わねぇけどな。もしあれなら、話してもいいと思える時になったら話してくれたらありがたい」
「まぁちょっと先に、俺も言っとかなきゃなんねぇ事ってあるわな」
「なんだよ」
「よくわかってなかったけど、俺も多分お前のことが男として好きなんだと思う。後出しじゃんけんみたいな言い方で悪いんだけど、多分、俺も本気だよ」
「多分とか言うなって」
「確信はしてるつもりなんだよな。でも、万が一この気持ちがなにかの間違いだったりしたらって思うと少し怖くてな」
「なにかの間違いなんて、そんな事言うなよ」
「物事に絶対は無い。だろ」
「絶対は無くても、信じることは出来るだろ」
「確かにな……」
信じることは出来る。そのたった一言で、心の中を占拠していた薄暗いモヤモヤしたものが晴れていく気がした。あまりに綺麗に論破されて、言葉が繋げなくなった。
そうだよな。簡単だったはずなんだ。自分の気持ちを素直に信じればよかったんだ。翔一の事が好きなのかもしれない、と気づいた時にそのまま自分を信じてやればよかった。それなのに、同性愛は世間から外れているとか言う様な杓子定規に囚われ続けた結果、気持ちを疑ってしまっていた。「これは翔一に対しての恋愛的な感情なのかどうか」と、心のどこかで疑ってしまっていた。
どこまでも醜い自分が少しだけ嫌になった。
「なに黙ってんだよ」
「いや、まさかあんな綺麗に論破されるなんて思わないだろ」
「そういうことかよ。またなんか考え事でもしてたのかと思ったけど」
「考え事はしてたけど」
「してたのかよ」
「お前になんて言おうか考えてたんだよ。さっきの話もまだケリついてないし」
「別にすぐケリつけろとは言わねぇよ」
「いや、悪いな。俺は腹を決めたぜ」
「は?……ん……」
「……」
身体が衝動的に動いていた。頭で考える前に翔一の首の後ろに腕を回して、そのまま唇を重ねた。知らない煙草の匂いがうっすらと鼻に届く。少しだけ濡れた唇は思った以上に柔らかかった。
「いきなり何すんだ」
「悪い、ちょっと……なんか」
「まぁいいけどさ、今度からは言ってからやれよ」
「いいのかよ」
「誰も悪いなんて言ってねぇよ。いきなりするなって言いたいだけ」
「わかったよ。今度からな」
「おう」
女の人のそれとはあからさまに違う唇の感触が一生忘れられない気がした。唇に触れてみて、改めて我に返ってしまう。猛烈な恥ずかしさが襲ってきて、「何やってんだ自分」なんて思っても、後の祭りだった。
♪side:翔一
誰かの唇の柔らかさなんてものにはほとんど触れてこなかった。女の人とのキスも経験が無いわけでは無いが、男の人とのそれはさすがに初めてだった。航大の煙草の匂いがいつもより近くに感じられて、背筋がぞわっとした。数日は剃られてない無精髭が、少し痛かった。
いつかそんな日が来れば。なんて、まるで叶わない理想みたいに思ってたはずの日が、こんなにいきなりやってくるとは思わなかった。お互いが不器用で、馬鹿みたいに下手くそなキスだったけど、女の人とのキスよりも遥かに美しかった気がした。美しいっていう言葉が似合うかどうかなんて、分かるはずも無いんだけど。
「航大、お前男とキスしたことある?」
「ある」
「あるんだ」
「今、お前と」
「それだけ?」
「それだけ」
またテーブルを挟んで二人、囁くような会話がゆっくり進んでいく。航大は頭の後ろで手を組んで、壁に寄りかかりながら天井を見上げて話している。俺は煙草とライターをカバンから取り出して、残っている何本かのうちの一本をくわえた。カチ、とライターのボタンを押す。オレンジの炎が燃え移って、煙草の先端に赤い光が灯る。紫煙が天井に向かってゆっくりと伸びていく。
「なぁ翔一、お前ライターってそれしか持ってなかったっけ?」
「あぁ、これ?コンビニとかで百円くらいで売ってるやつだけど。今これだけだよ」
「俺の使い古しのライターあるんだけど、使うか?」
「使い古しのライター?コンビニのやつか?」
「そんな安いもんわざわざ渡さねぇって。ジッポーライターだよ」
「映画とかでたまに見るあの銀のやつ?」
「それそれ。この前新しいの買ったから、前のやつだけどよかったら」
「もらってもいいならもらうけど」
「じゃ、これ」
航大は俺に向かってそれを放った。手におさまったそれは、ところどころの銀色の塗装が剥がれて傷だらけだった。映画とかでよく見るように、親指で蓋をカキン、と押し上げる。細いアルコールランプの芯みたいなものが黒く焦げていた。ヂリ、とフリントを回してみる。線香花火の様な火花が一瞬だけ散って、ライターの芯に燃え移る。コンビニのライターよりも、優しくて温かい火が揺れている。その火を少しだけ眺めて、蓋を閉じた。
「メンテナンスとかどうすんだよ?」
「今度教えてやる」
「オイルとかは今度近くのコンビニとかで買ってくるわ」
「コンビニまで行かなくても、そこのスーパーのレジ横とかにあったと思うぞ」
「あ、スーパーにも売ってんだ」
「ある所にはな。フリントの石とか替えのウィックも買っといた方がいいかも知れん」
「ウィックって?」
「あぁ、そうか。その黒焦げの芯のことウィックって言うんだけど、知らないよなぁ」
「覚えとく」
貰ったライターと百円のライターとセブンスターをカバンにしまった。咥えながら吹かしていた煙草を根元まで吸って、灰皿に押付けた。
二十歳になったその日に初めて吸った煙草もセブンスターだった。苦い煙が鼻を抜けて、思い切り咽せたのを今でもはっきり覚えている。あの時は、もう二度とこんなもんは吸わないと思ったはずだったのに。気づけば吸ってしまう。そのうち彼女でも出来たらやめようと思っていたはずだったのに、やめられない理由がたった一つのZIPPOライターっていうのが最高に皮肉に思えてしまった。笑えなかった。
♪side:航大
翔一に使い古しのライターをあげた。テーブルの向こう側で煙が天井に向かって伸びていくのをぼやっと眺めている。
煙草の箱と俺がさっき放り投げたライターをカバンにしまった翔一も、煙草をもみ消してぼけっとしている。別にわざわざ話しかける程の話題も今は持ってなかったから、部屋の天井に溜まった煙が泳いでいるのを目で追ってみたりした。雲みたいに長い時間そこにいる訳もなく、数秒で消えてしまう。
沈黙が嫌になって、また何の気なしに翔一に話しかけてみた。
「さっきのさ」
「さっきの?」
「あれだ、俺との、どうだった?」
「どうだったって……そんな事聞くなよな」
「いや、すまん、でも、気になって」
「言い表しづらいところはあるけどなぁ。なんか、恋人との感覚に近いもんがあった気はしたな」
「俺もだいたいそんな感じかも」
「その、セフレ? っていう人とした時の感覚とは違うってか」
「そもそもあいつとはキスしてねぇからな」
「キスはしてねぇのにセックスはしたのかよ」
「なんでだろうな。毎週毎週ホテル行ったりしてたのに、キスだけはしてこなかったな」
「本当にただのセフレだったわけか」
「そうだろうな。もしかしたらお互い少なからずそういう気持ちがあったのかも知れないけど、それもあの日で終わったんだよな」
「なんだそのドラマみたいなの」
「俺もドラマみたいだったなって今でも思ってるよ。一番の人なんていないくせに、あの部屋ではお互いがお互いの二番目の人になりきってて、それで朝にはもう他人になってるみたいな」
「お前の今のセリフの方がドラマみたいだわ。くっさいこと言いやがって」
「仕方ねぇだろ、事実なんだよ。多分、あの日から明確に女の人が抱けなくなったんだと思う」
「さっきのラジオでも言ってたしな」
「お前なら抱けるかも知れねぇけどな」
「おいそれは冗談きついぜ」
「悪い。さすがに冗談だけどさ」
「冗談にしといてくれよ」
「でも、なんにせよあの日の夜が今の俺を作った決定的な日だった訳だわな」
「今の航大を作った決定的な日なぁ。それなら当時の航大のセフレさんには感謝だな」
「縁起でもねぇこと言うなよ」
「その日がなきゃ、今俺の隣で笑ってる航大がいなかったかもなんだろ?そう考えたら感謝もするだろ。その人にとっちゃちょっと申し訳ないことだけど」
「うわ、くっせぇ。よくそんな恥ずかしい面と向かって事言えるよな」
「お前も大概恥ずかしいこと言ってるけどな? 人の事言えねぇぞ? 」
「自覚が無いだけなんだって」
「自覚無しで恥ずかしいこと言える程の能天気で羨ましいよ」
「褒めてんのか貶してんのかどっちだよ」
「三割褒めてる」
「七割貶してんじゃねぇかよ」
「褒める所ほとんど無いだろ」
「あるだろ。キス上手かったろ」
「キスの上手い下手とか知るかよ。びっくりしすぎてそこまで気にかけれなかったし」
「じゃあ、またそのうちしてやるよ」
「いきなりはやめろよ」
「今度はちゃんと言うって」
「そうしてくれ」
勢いで過去の話までしてしまった。それに、さっきの唇の感触まで思い出して、死ぬほど恥ずかしくなった。いてもたってもいられず、ショートホープに火をつけ思い切り吸う。横からセブンスターを咥えた翔一が顔を出してきて、俺のショートホープの先端に押し付けて火を移した。無言で戻った翔一を横目に、また深く吸い込む。ただでさえ短い煙草が余計に短く感じる。根元まで吸ってほぼフィルターだけになった煙草を消して、灰皿に放り込む。セブンスターとショートホープの吸殻がいくつか無造作に並んでいる。苦くなった口の中を、その辺に置いてあった炭酸の抜けたジンジャーエールで流した。
♪side:航大
お互いの気持ちを打ち明け合ってキスまでしたあの日から、恋人同士みたいな関係になるわけでもなく普通の大学生みたいな日常を過ごしてきた。講義やバイト、アパートでの日々は、そこらの恋人同士よりも密度の濃い時間を送っていた自信がある。かと言って、別に首席を取れるほど勉強して期末試験で満点を取ったとか、バイトでめちゃくちゃに頑張ってシフトリーダーになったりとかいったことは無かった。平凡な毎日を平凡に暮らしていた。俺はそれが一番楽しかったと思うし、翔一もそんなくだらない毎日をそれなりに楽しんでくれていたと思う。翔一からおすすめの曲を教えてもらったり、たまに二人でラジオ番組にハガキを書いて送ってみたりした。あれからずっと、俺達のハガキはどの番組でも読まれていない。俺と翔一を繋いでくれるもののひとつがラジオだと思うから、別に読まれなくても構わない。あの日の、温くなって炭酸が抜けたジンジャーエールの味はラジオのリスナーに届きそうもなかった。
♪side:翔一
アホみたいに暑かった夏が嘘みたいにどこかへ行って、そこら辺に生えてる木の葉がみんなオレンジとか黄色に染まり始めたと思ったら、服が長袖になった。少しずつ長野も冷え始めてきた。それでも俺達の生活は変わらない。
もう少しで雪が降りはじめそうな程冷え込んできた頃、俺は未だに就職先が決まっていなかった。周りはみんな就活を終わらせて残りの大学生活を謳歌していると言うのに、俺を含む数人の同級生が社会の中で売れ残ってしまった。航大も長野で内定を貰ったと聞いた。俺はどうしようか迷っていた。航大のいる長野に残ってそのまま同じアパートに暮らすのもいいと思ったし、新宿に帰って地元の企業に就職してしまおうかとも思っている。そういう優柔不断なところが、一向に内定を貰えない理由なのかもしれない。結局、夢も希望も、やりたい事すら無いような俺なんかに寄り添ってくれる程、社会は甘くなかった。凡庸な人間一人が、濁流のように流れていく世界の中で周囲に流されないように生きていくには、相当の努力と忍耐が必要なんだと痛感した。
航大との未来の事は考えなかった訳では無い。けど、一緒に住もうが別の道を歩もうがお互いの勝手なわけで、俺が「こうしてほしい」みたいな事を言うつもりは無い。建前ではあるけれど、これからも一緒にいたいとかいう本音を航大に言うつもりも毛頭無い。それはきっと、迷惑だと思うから。とか言っておきながら、本音を伝えたい気持ちはとんでもなく強いのだから笑えない。
そうやって悩みまくりながら、本音を伝えるかどうかずっと葛藤していた。
そのまま何日か過ぎて、近くのショッピングモールにはクリスマスツリーが出されていた。地面がうっすら雪に覆われ始め、本格的に冬が訪れ始めていた。