呼び鈴が部屋の中に響いた。どうやら彼女が帰ってきたようだ。僕はそそくさと入口のドアを開ける。
「ごめんねー、遅くなって。なかなか洋服のお店が見つかんなくてさー」
息を切らしながそう言って、彼女はこちらを見た。すると、彼女は僕のバスローブ姿を見たとたん、砕け散ったように笑い出した。
「何だよ、急に!」
「いやー、どこのスケベ親父かと思ったよ。部屋、間違えちゃったかなーって」
「ふん。確かにカッコよくはないのは分かってるけど、そこまで笑わなくてもいいんじゃない」
「ごめん、ごめん。あ、スエットでよかったかな? フリーサイズなんだけど大丈夫だよね。ちょっと着てみて。あとあったかい肉まんとスープ買ってきたよ」
僕は買ってきてもらったスエットを受け取った。風呂場で着替えると、彼女の買ってきてくれたスエットは思いのほかピッタリだった。
「うん、似合うよ!」
「そう?」
「あのバスローブを着続けられたら私、笑い過ぎで呼吸困難で死んじゃうから」
僕はムスっとしながら彼女の買ってきてくれた肉マンを頬張った。
「ところでさ、私、前から思ってたんだけど、君って分析するの好きだよね。AB型でしょ」
やはり彼女の人を見る目は鋭いようだ。
「当たりだよ。よく分かったね。AB型は日本人では十分の一の確率なのに」
「やっぱりね。AB型って変人が多いしね」
あまり褒められてないなと思いながら、僕も彼女の血液型については自信があった。
「じゃあ鈴鹿さんの血液型も当てようか?」
「ううん、私はいい。血液型判断みたいの嫌いだし」
「ごめん。僕の記憶が正しければ血液型の話を振ってきたのそっちだよね」
彼女は黙ったまま、悪戯っぽく笑っていた。
「でもめずらしいね。女の子って血液型占いみたいのけっこう好きじゃない?」
「友達は確かに好きな子多いよね。でも私は嫌いなの。偏見の目で見られるからさ」
たった今、人を偏見で見てたのは誰だよ、と思いながら、僕は偏見で彼女の血液型を当てにいった。
「鈴鹿さん、ズバリB型でしょ?」
「ほーら、やっぱりだ。私、いつもB型って言われてすごく傷付くんだ。どうせ、わがままで自分勝手な性格だからB型とか言いたいんでしょ? だから嫌なんだよ、血液型当てゲームみたいなの。そういうのを偏見って言うんだよ! 偏見!」
「え、意外だな。ごめんね、B型じゃなかったんだ」
「ううん。B型だけど・・・何?」
「・・・」
あっさりとそう答えた彼女に対し、僕はリアクションに困った。
何だろう。この“全く納得いかない感”は・・・。

僕は思ったより帰りが遅くなりそうになったので、家に連絡を入れようと携帯を手に取った。
その時、新たな問題が発覚した。携帯の電源が入らない。携帯は僕と一緒に海に水没していた。
「あ、僕の携帯、ダメみたい・・・」
「えー大変! ごめんね」
「別に鈴鹿さんが謝ることじゃないよ。僕が勝手に滑って海に落ちたんだから」

携帯以外もポケットに入っていた物はみんなズブ濡れになっていた。
「あーかわいそうー。この子もびしょびしょだ。今乾かしてあげるねー」
そう、さっき一緒に買ったペンギンのストラップもズブ濡れになっていた。まあこのほうがペンギンらしい感じになった気がするけど。
彼女はその濡れたストラップを丁寧にドライヤーで乾かし始めた。
「君のペンちゃんも貸して。一緒に乾かすから」
「あっ、ごめん。僕がやるよ」
「いいよ、私がやるから」
「ダメだよ。海に落っこちて濡らしたの僕なんだから」
僕は半ば無理やりにドライヤーと濡れたストラップを受け取り、乾かし始める。

しばらくの間、部屋の中にドライヤーの音だけが響いていた。ホテルの部屋に女の子と二人きり。ドライヤーの響き。何か変な感覚だった。
彼女がこの部屋の番号を見て、何かに気づいたようだ。
「ねえねえ。この部屋229号室だって。なんか運命感じない?」
いきなりの話の振りに戸惑った。はっきり言って全く意味が分からない。
「229?・・・何だっけ?」
僕は素直に脱帽した。こういう時は誤魔化さずに正直に言ったほうがいい。
「えー、まさか分かんないの君? 酷いね。私たちが最初に学校の屋上で出逢った日だよ。二月二十九日は」
見事に微塵にも予想しなかった答えだった。

「鈴鹿さん、よく覚えてるね」
「うん。閏日だったからね。だって四年に一度の特別な日だよ。何かいいこと起きないかなって思ったりして」
「へえ・・・でも閏日なんて暦と地球の公転自転ズレのためのただの調整日だよ」
「君って、ほんっとにロマンチック度マイナスにひゃくぱーせんとだね」
彼女は僕を睨みながら叫んだ。
僕の会話能力の低さが露呈する。
「ああ、ごめんね。でも何かいい事ってあった?」
彼女はなぜかしら、さらに僕を睨んだ。
「そういえばさ、二月二十九日に生まれた人って誕生日は四年に一回しか来ないのかな?とすると四年に一回しか歳を取んないってこと?」
また彼女の突拍子もない疑問が始まった。こういう発想はいったいどこから来るのだろうか・・・。
「あの、そんな訳ないでしょ。二月二十九日生まれの人だってもちろん毎年きちんと歳は取るよ」
「でもさ、その人は誕生日が毎年来ないよね?」
「うん。歳を取るのは誕生日じゃないんだ」
「どういうこと?」
「年齢がひとつ上がるのは誕生日ではなくて、誕生日の前日という決まりなんだよ。だから二月二十九日生まれの人は、その前日の二月二十八日にひとつ歳を取るんだよ。もう少し正確に言うと誕生日の前日が終わる瞬間なんだけどね。そうすることで閏日生まれの人でもちゃんと毎年歳を取れるって仕組みになってるんだ」
「へーそうなんだ。よく知ってるね。さすが真面目くんだ」
「それってあんまり褒めてないよね」
「別に褒めてないもん」
彼女は悪気も無く、あっからかんと笑った。