彼女はしばらく静かにしていたと思うと、ふっと突然僕のほうを向く。
「あの、実を言うとさ・・・」
また唐突に彼女が呟いた。
「え?」
「同じなんだ・・」
「何が?」
「君、前に言ってたじゃない? 人と話す時に相手の人の目が見られないって」
「うん、言った・・・」
「実は同じなの・・・私も」
「え?」
「私も人と話す時、相手の人の顔や目を見られないの」
彼女は視線を落としながら恥ずかしそうに言った。
「ほんと・・・に?」
「うん。だから同じ気持ちの人がいるんだなって分かって、私すごく嬉しかったんだ」
その告白とも言える言葉に僕は当然驚いた。と同時にとても嬉しくなった。僕の知らない彼女がどんどん見えてくるようだった。
「よかった。やっぱりいるんだ、同じ人。人と話をする時にその人の目を見ないでいると、『なんで人の目を見ないの?』とか言われちゃうこと無かった?」
「あったあった。でさ、そう言われるから懸命に目を見ようとがんばるんだけど、相手からジッと見つめられるとすごく恥ずかしくなっちゃうんだよね。私なんかすぐ目を逸らしちゃうんだ。なんでみんな恥ずかしくないんだろうね。そう思わない?」
「そう。僕もそう思ってた。頑張って目を見ようとするんだけど、ダメなんだよね。すぐ恥ずかしくなっちゃうんだ。でも鈴鹿さんはちゃんと人の目を見て話をしているように見えたけど」
「ああ、そう見える? 実は無茶苦茶無理してるよ、私」
「ほんとに?」
「うん。実は私、目を逸らすな~逸らすな~って念じながら相手の顔見てるんだ。気分はほとんど“睨めっこ”だよ」
彼女はそう言いながらケラケラと大きな声で笑った。
“人の目を見る話”で変に盛り上がる。
「そう言えば、“睨めっこ”って、本来は“笑ったら負け”ではなくて“目を逸らしたほうが負け”っていうルールだったらしいよ」
「不良のガンの付け合いみたいだね」
「今じゃそうなっちゃうね。元々は内気な人が多い日本人が他人に慣れるための訓練だったらしいよ」
「へえ・・・君って本当にいろんなこと知ってるね」
彼女は半ば呆れながら感心したように首を捻った。
「ねえねえ、じゃあ私たちも訓練しようか? 人の目を見るのが苦手な者同士で」
「何? 訓練って?」
「だから睨めっこだよ」
「え? 鈴鹿さんと?」
「誰とやりたいのよ?」
彼女は攻めるような顔で僕を睨んだ。
もう睨めっこが始まっている気分になる。
「あの? 今?」
「明日のほうがいい?」
「・・・・・」
よく分からないうちに追い込まれている自分に気づく。
「先に目を逸らしたほうが負けだよ。いくよ! せえの、はい!」
彼女はそう掛け声を掛けると僕に向かって睨み始めた。
――そうか。睨めっこというのは睨みあう遊びだったのか。
そう思い出し、仕方なく僕も彼女の顔を見つめた。
睨めっこなんて何年ぶりだろうか。因みに女の子とは生まれて初めてだ。
僕は今、生まれて初めて入った女の子の部屋で、その女の子と二人で睨みあっている。
これは僕にとって事件だった。
彼女の目をじっと見つめる。彼女も僕の目をじっと見つめていた。
――うわ! だめだ。やっぱり恥ずかしい・・・。
そう思いながらも僕はけっこう粘った。彼女も懸命に僕を睨み続けている。心臓の鼓動の大きさが一気に膨らむ。過剰な酸素吸入は息を止めているのと同じ感覚になる。
すると、彼女は急に上目使いに色っぽい目をし始めた。
――え?
僕はその艶姿に恥ずかしくなり、思わず目を逸らしてしまった。
「やったあ! はい、君の負け!」
「今のは反則じゃないの?」
「女の正当な武器だよ」
彼女はガッツポーズして喜んだ。
不思議な気分だった。女の子とこんな風に自然に話せるなんて初めてだった。
「フフッ、なんか不思議だな・・・」
――え?
彼女の発したその声にびっくりする。僕の心の声とダブっていたのだ。
「私ね、こんなこと男の子に話したの初めてだよ。どうしてだろう・・・」
何か意味深な彼女の言葉だった。でも僕は一瞬考えたあと、今の僕なり答えを出した。
「だから、そういうこと言うから男子から誤解されるんだよ。それはね、きっと僕が人畜無害なタイプだからだと思う」
「人畜無害? 君が?」
「自分で言うのもなんだけど、自己分析すると僕って可も不可もないタイプなんだよね。顔だってイイ男ではないけどそんなブ男でもないでしょ」
何を言い出すんだろう、僕は・・・。
「人畜無害ね・・・やっぱりおもしろいこと言うね、君」
彼女はクスっと笑った。
「ねえ、どうして人は人を好きになるのかな?」
今度は思いつめたような表情を浮かべて彼女は僕に問いかけてきた。
恋愛経験が貧困な僕には荷が重い質問だった。
「前に言ったことがあったよね。人は子供にDNAというバトンをリレーするために生と死を繰り返すって」
「うん」
「つまりDNAを一緒にバトンリレーするために男女は結ばれるんだ。そのために男女が惹かれあうんじゃないかな」
「一緒にバトンリレーをするために男女は結ばれるんだ。何かロマンチックだね」
「そうかな。要は人が人を好きになるのは人の本能っていうことになるんだ」
「本能?」
「そう、だから人を好きになるのに理由なんか無いんだよ。人は人を好きになるために生まれてきたんだから」
僕は何言ってんだろう。自分の言った言葉とは思えなかった。言ってしまったあと自分が恥ずかしくなった。
恐る恐る彼女を見た。黙ったままこちらを見つめていた。
――もしかして呆れた?
「あ、ごめんね。今のもしかして無茶苦茶キザっぽかったよね?」
僕は落ち込んだふうに下を向きながら訊いた。
彼女はゆっくりと首を横に振った。
「人は人を好きになるために生まれてくるんだ。フフ、なんかいいね」
いつもの眩しい笑顔で彼女は笑った。
「名倉くん、前に言ってたよね。人はその本能を全うすることができたら、死ぬのが怖くなくなるって」
「うん・・・言ったかな」
「そうだったらさ、人が人を好きになるのが本能だったらさ。もし本気である人を好きになれたら・・・死ぬの・・・怖くなくなるかな?」
「え?」
彼女の唐突な質問がまた始まった。
彼女が何を言いたいのか僕には理解できなかった。ましてや彼女の問いに対する答えなんて僕の中にあるわけがなかった。
「ごめん。僕には分からない・・・」
「君は、本気で人を好きになったこと・・・ある?」
僕の心臓にドキリと突き刺さった。そしてそれを自分自身に問いかける。
心の中に一瞬、答えが見えたような気がしたが、僕はそれを打ち消した。
「ごめん・・・分からない」
そう言葉に出したあと思った。
――僕は本当に情けない奴だ。
「ありがとう・・・」
彼女は静かに呟いた。
僕はお礼を言われるようなことは何も答えられていない・・・。
窓の外を見ると、空はかなり暗く染まり、道は街路灯の明かりでオレンジ色に染まっていた。僕はそろそろ帰らないとまずいと思い、その旨を彼女に伝えた。
彼女は、もう少しいいじゃないかと引き止めてくれたが、さすがにこれは社交辞令だろう。
玄関で靴を履いている時、ちょうどお母さんが買い物から帰ってきた。
お母さんからも夕飯を一緒にと誘われたが、これも社交辞令だろう。丁重にお断りした。
彼女の家からの帰り道、冷え込んだ空気の中で僕は不思議な感覚に戸惑っていた。寒いはずなのに、寒さを全く感じないのだ。
僅かな時間であったが、彼女とのひとときがとても楽しかった。でも他の友達を遊んでいる時の楽しさとは明らかに違った。いや、楽しさとは違うものかもしれない。
僕は他人とここまで自然に話せたことも今まで無かった。本気で話せたことは無かった。
僕の中にある感情が湧き上がるのを感じた。でも僕はすぐにその感情を抑え、否定した。
――そんなんじゃあない。彼女は僕を恋愛対象とは思っていないんだから。
それに僕だって彼女に対しは何も思っていないんだ。僕は自分にそう言い聞かせた。
そうしないと心がどこかに流されてしまいそうだったから。
「あの、実を言うとさ・・・」
また唐突に彼女が呟いた。
「え?」
「同じなんだ・・」
「何が?」
「君、前に言ってたじゃない? 人と話す時に相手の人の目が見られないって」
「うん、言った・・・」
「実は同じなの・・・私も」
「え?」
「私も人と話す時、相手の人の顔や目を見られないの」
彼女は視線を落としながら恥ずかしそうに言った。
「ほんと・・・に?」
「うん。だから同じ気持ちの人がいるんだなって分かって、私すごく嬉しかったんだ」
その告白とも言える言葉に僕は当然驚いた。と同時にとても嬉しくなった。僕の知らない彼女がどんどん見えてくるようだった。
「よかった。やっぱりいるんだ、同じ人。人と話をする時にその人の目を見ないでいると、『なんで人の目を見ないの?』とか言われちゃうこと無かった?」
「あったあった。でさ、そう言われるから懸命に目を見ようとがんばるんだけど、相手からジッと見つめられるとすごく恥ずかしくなっちゃうんだよね。私なんかすぐ目を逸らしちゃうんだ。なんでみんな恥ずかしくないんだろうね。そう思わない?」
「そう。僕もそう思ってた。頑張って目を見ようとするんだけど、ダメなんだよね。すぐ恥ずかしくなっちゃうんだ。でも鈴鹿さんはちゃんと人の目を見て話をしているように見えたけど」
「ああ、そう見える? 実は無茶苦茶無理してるよ、私」
「ほんとに?」
「うん。実は私、目を逸らすな~逸らすな~って念じながら相手の顔見てるんだ。気分はほとんど“睨めっこ”だよ」
彼女はそう言いながらケラケラと大きな声で笑った。
“人の目を見る話”で変に盛り上がる。
「そう言えば、“睨めっこ”って、本来は“笑ったら負け”ではなくて“目を逸らしたほうが負け”っていうルールだったらしいよ」
「不良のガンの付け合いみたいだね」
「今じゃそうなっちゃうね。元々は内気な人が多い日本人が他人に慣れるための訓練だったらしいよ」
「へえ・・・君って本当にいろんなこと知ってるね」
彼女は半ば呆れながら感心したように首を捻った。
「ねえねえ、じゃあ私たちも訓練しようか? 人の目を見るのが苦手な者同士で」
「何? 訓練って?」
「だから睨めっこだよ」
「え? 鈴鹿さんと?」
「誰とやりたいのよ?」
彼女は攻めるような顔で僕を睨んだ。
もう睨めっこが始まっている気分になる。
「あの? 今?」
「明日のほうがいい?」
「・・・・・」
よく分からないうちに追い込まれている自分に気づく。
「先に目を逸らしたほうが負けだよ。いくよ! せえの、はい!」
彼女はそう掛け声を掛けると僕に向かって睨み始めた。
――そうか。睨めっこというのは睨みあう遊びだったのか。
そう思い出し、仕方なく僕も彼女の顔を見つめた。
睨めっこなんて何年ぶりだろうか。因みに女の子とは生まれて初めてだ。
僕は今、生まれて初めて入った女の子の部屋で、その女の子と二人で睨みあっている。
これは僕にとって事件だった。
彼女の目をじっと見つめる。彼女も僕の目をじっと見つめていた。
――うわ! だめだ。やっぱり恥ずかしい・・・。
そう思いながらも僕はけっこう粘った。彼女も懸命に僕を睨み続けている。心臓の鼓動の大きさが一気に膨らむ。過剰な酸素吸入は息を止めているのと同じ感覚になる。
すると、彼女は急に上目使いに色っぽい目をし始めた。
――え?
僕はその艶姿に恥ずかしくなり、思わず目を逸らしてしまった。
「やったあ! はい、君の負け!」
「今のは反則じゃないの?」
「女の正当な武器だよ」
彼女はガッツポーズして喜んだ。
不思議な気分だった。女の子とこんな風に自然に話せるなんて初めてだった。
「フフッ、なんか不思議だな・・・」
――え?
彼女の発したその声にびっくりする。僕の心の声とダブっていたのだ。
「私ね、こんなこと男の子に話したの初めてだよ。どうしてだろう・・・」
何か意味深な彼女の言葉だった。でも僕は一瞬考えたあと、今の僕なり答えを出した。
「だから、そういうこと言うから男子から誤解されるんだよ。それはね、きっと僕が人畜無害なタイプだからだと思う」
「人畜無害? 君が?」
「自分で言うのもなんだけど、自己分析すると僕って可も不可もないタイプなんだよね。顔だってイイ男ではないけどそんなブ男でもないでしょ」
何を言い出すんだろう、僕は・・・。
「人畜無害ね・・・やっぱりおもしろいこと言うね、君」
彼女はクスっと笑った。
「ねえ、どうして人は人を好きになるのかな?」
今度は思いつめたような表情を浮かべて彼女は僕に問いかけてきた。
恋愛経験が貧困な僕には荷が重い質問だった。
「前に言ったことがあったよね。人は子供にDNAというバトンをリレーするために生と死を繰り返すって」
「うん」
「つまりDNAを一緒にバトンリレーするために男女は結ばれるんだ。そのために男女が惹かれあうんじゃないかな」
「一緒にバトンリレーをするために男女は結ばれるんだ。何かロマンチックだね」
「そうかな。要は人が人を好きになるのは人の本能っていうことになるんだ」
「本能?」
「そう、だから人を好きになるのに理由なんか無いんだよ。人は人を好きになるために生まれてきたんだから」
僕は何言ってんだろう。自分の言った言葉とは思えなかった。言ってしまったあと自分が恥ずかしくなった。
恐る恐る彼女を見た。黙ったままこちらを見つめていた。
――もしかして呆れた?
「あ、ごめんね。今のもしかして無茶苦茶キザっぽかったよね?」
僕は落ち込んだふうに下を向きながら訊いた。
彼女はゆっくりと首を横に振った。
「人は人を好きになるために生まれてくるんだ。フフ、なんかいいね」
いつもの眩しい笑顔で彼女は笑った。
「名倉くん、前に言ってたよね。人はその本能を全うすることができたら、死ぬのが怖くなくなるって」
「うん・・・言ったかな」
「そうだったらさ、人が人を好きになるのが本能だったらさ。もし本気である人を好きになれたら・・・死ぬの・・・怖くなくなるかな?」
「え?」
彼女の唐突な質問がまた始まった。
彼女が何を言いたいのか僕には理解できなかった。ましてや彼女の問いに対する答えなんて僕の中にあるわけがなかった。
「ごめん。僕には分からない・・・」
「君は、本気で人を好きになったこと・・・ある?」
僕の心臓にドキリと突き刺さった。そしてそれを自分自身に問いかける。
心の中に一瞬、答えが見えたような気がしたが、僕はそれを打ち消した。
「ごめん・・・分からない」
そう言葉に出したあと思った。
――僕は本当に情けない奴だ。
「ありがとう・・・」
彼女は静かに呟いた。
僕はお礼を言われるようなことは何も答えられていない・・・。
窓の外を見ると、空はかなり暗く染まり、道は街路灯の明かりでオレンジ色に染まっていた。僕はそろそろ帰らないとまずいと思い、その旨を彼女に伝えた。
彼女は、もう少しいいじゃないかと引き止めてくれたが、さすがにこれは社交辞令だろう。
玄関で靴を履いている時、ちょうどお母さんが買い物から帰ってきた。
お母さんからも夕飯を一緒にと誘われたが、これも社交辞令だろう。丁重にお断りした。
彼女の家からの帰り道、冷え込んだ空気の中で僕は不思議な感覚に戸惑っていた。寒いはずなのに、寒さを全く感じないのだ。
僅かな時間であったが、彼女とのひとときがとても楽しかった。でも他の友達を遊んでいる時の楽しさとは明らかに違った。いや、楽しさとは違うものかもしれない。
僕は他人とここまで自然に話せたことも今まで無かった。本気で話せたことは無かった。
僕の中にある感情が湧き上がるのを感じた。でも僕はすぐにその感情を抑え、否定した。
――そんなんじゃあない。彼女は僕を恋愛対象とは思っていないんだから。
それに僕だって彼女に対しは何も思っていないんだ。僕は自分にそう言い聞かせた。
そうしないと心がどこかに流されてしまいそうだったから。