学校一の薄幸の美少女が、なぜか俺だけに心を許す!?

 愛理沙から部屋へ来ても良いという返事はもらったが、未だに家に行く予定を決められずに中間考査テストへ突入し、涼は1週間をほとんど徹夜してテストを乗り越えた。


 朝、起きると天井が歪んで見える。
トイレへ歩いて行こうとすると部屋がグルグルと回る。


 体の平衡感覚を保つことができない。


「あれ……おかしいな。体が妙に重いし……目が回っているような感じがする」


 体に妙な寒気がする。
体温を測りたいが、家に体温計はない。
涼の家には救急箱はなかった。

 外に出て近くのコンビニへ体温計を買いに出かけようと玄関まで行くが、鍵を開けて外に出ると太陽の光が眩しく、全てが歪んで見える。


「―――これはダメだな」


 部屋へ一旦戻って、ベッドの枕元からスマホを取って、学校へ連絡する。
電話に出た事務員さんが、すぐに担任の先生を呼び出してくれて、本日の休みを取る。

 担任の先生から『安静にして、元気が出たら、病院に行くように』と心温まるお言葉をいただいた。


 体中に本格的な寒気が走る。急いでベッドの中へ潜り込むが、体の寒気が取れない。歯の根が合わずにガチガチと歯が鳴る音を自分の耳で聞く。


「これはダメだ……完全に熱がある。中間テストで徹夜を続けたのが悪かった」


 昨日の夜から食欲がなく、何も食べたくなくて夕食を抜いていた。あの時から風邪を引いていたらしい。
昨日のうちに気が付いていれば、コンビニまで体温計を買いに行けたのにと思うが後の祭りだ。


「これは寝て治すしか方法はないな……家に薬もないし……元気が出たら病院へ行こう」


 ベッドに頭まで潜り込んで、涼は意識を失った。







「トン トン トン トン トン」


 台所からリズミカルな包丁の音が聞こえる。
うっすらと目を覚ますが、窓からの陽光はまだ昼間の時間帯を示している。
しかし、フスマの向こうで誰かがキッチンを使っている音がする。


「――――とうとう幻聴と幻影を見るようになったか―――」


 力尽きて、涼は再び目を閉じて眠りの中へと落ちていった。







 誰かが頬を手で触れている感触が伝わってくる。
薄目を開けると、間近で心配そうに見つめている愛理沙の顔があった。
涼は驚いて大きく瞳を開ける。


「キャッ」

「ウワァ」


 2人同時に大きな声をあげる。


「愛理沙か。来てくれたのはありがとうだけど……学校はどうしたの?」

「担任の先生から、涼が風邪で休みって聞いたから……私も体調がおかしいって言って早退して、涼の家に来たの。家の鍵は開けっ放しだし、不用心よ」


 そういえば、朝に体温計を買いに行こうとして、外に出ようとしたんだった。結局、太陽の光に負けたけど。
愛理沙が心配して家まで来てくれたことが嬉しい。


「ありがとう…愛理沙」

「涼が眠っている間に卵のおかゆを作ったの。元気があるなら少しは食べたほうがいいね。私、おかゆを持ってくる」


 愛理沙は照れて顔を赤く染めて、立ち上がってキッチンへと歩いていった。しばらくすると温め直したおかゆを持って愛理沙がベッドの近くまで歩いてくる。

 ベッドの脇に小さなテーブルがある。その上におかゆを乗せる。
お粥からは湯気がたっていて、とても美味しそうだ。
ベッドから起き上がってレンゲを手に取って、おかゆを口へと運ぶ。


「あちちち―――」


 あまりのおかゆの熱さに耐えられず、おかゆの中へレンゲを落としてしまう。


「今、温めなおしたんだから、熱くて当たり前よ。こういう時は、こうするの」


 愛理沙はレンゲを手に取って、一口分だけおかゆをすくって、自分の口元へ持っていって、フーフーと息を吹きかける。

 そして、レンゲを涼の口元へ持って行く時に、愛理沙と涼は間近で見つめ合った。その瞬間に愛理沙は顔を赤くして、レンゲをおかゆの中へ落してしまう。


「もう……涼ったら……恥ずかしい」

「―――ごめん」


 なぜ自分が謝っているのかわからないが、愛理沙に恥ずかしい思いをさせてしまったと思った。もし、あのまま愛理沙におかゆを食べさせてもらっていたら、涼も恥ずかしくなっていただろう。

 自分でレンゲを取りあげて、おかゆをすくって、フーフーと息を吹きかけて冷まして食べる。愛理沙が作っただけあって、おかゆが美味しい。


「美味しい」

「よかった」


 おかゆを残さず食べて、少しは元気が出てきた。朝よりもめまいが治まっているような気がする。


「市販の薬を買ってこようかなって思ったんだけど……涼の症状もわからなかったし、買わなかった……ごめんね」

「構わないよ。今は何時ごろかな? 夕方の4時から近くの病院が開くはずだから、病院で診察してもらうよ。帰りに体温計ぐらい買っておかないといけないな」

「この家…体温計もないの? 救急箱は?」

「ない」


 愛理沙は涼のキッパリとした答えを聞いて肩から力が抜けたように俯いている。


「今度、一緒に薬局で、少しは置き薬を買っておこうね。私も一緒に行くから」

「それは助かるよ。俺一人だと何を買っていいのかもわからないからね」

「たぶん、それは薬局の店員さんが専門家だし……相談するのが一番だと思う」

「愛理沙が一緒に来てくれるだけで嬉しいよ」

「―――もう」


愛理沙は可愛く眉をあげて、頬を少し膨らませる。


「今は15時30分を超えたところよ。今から用意をすれば16時に病院に着けるわね。私も一緒に付き添いしてあげる」

「ありがとう……早速、準備するよ」


 涼はベッドから立ち上がると、ジャージの上着を脱いで、ジャージの下着も脱ごうとする。


「キャ―――ちょっと待って」

「おう…愛理沙がいたことを忘れてた」

「―――もう、忘れないで……今日の涼は変よ……着替え終わったら呼んでね」


 そう言って、愛理沙は顔を真っ赤にして、ダイニングへ逃げるように歩いていくと、フスマをきっちりと閉めた。
もう少しでパンツ姿を愛理沙に見られるところだった。
今日の涼は確かに熱に浮かされているようで、不注意だ。

 着替え終わって、愛理沙に付き添われて、玄関を出て鍵を閉める。
そして、そのまま病院へ2人で直行した。







「ただの風邪ですな。しかし熱が38度5分もある。薬を処方しておきます。後、注射も打っておきましょう」


 病院の先生は涼の診察を終えて、にこやかに注射という言葉を放った。実は涼は注射は苦手だ。17歳にもなってと思われるかもしれないが苦手なものは仕方がない。

 愛理沙を見ると、目がウルウルと潤んで、まるで自分が注射を打たれるような顔をしている。

 看護婦さんに誘導され、別室で注射を打つ。注射の針を見た瞬間に緊張が走る。注射の針を見ないようにして、愛理沙の顔を見る。
すると愛理沙が急に両手で顔をおおった。その瞬間にチクッとする痛みが走る。

 後は注射の針の抜く瞬間の気持ち悪さに耐えるだけだ。
愛理沙は両手で顔をおおったままだ。
愛理沙に集中している間に看護婦さんが上手く注射の針を抜いてくれた。


「はい。注射は終わりましたよ」

「ありがとうございます」


 にこやかに注射が終わったことを看護婦さんが教えてくれる。涼は立ち上がって看護婦さんへ会釈する。
愛理沙も深々と看護婦さんへ頭を下げていた。

 後は会計をして、隣の薬局で処方された薬をもらうだけだ。
ついでに体温計だけでも買って帰ろう。







 涼の家に帰り着くと、愛理沙は涼が着ていたジャージの上下を洗濯機に入れて洗い始めた。
その間に、涼はタンスから新しいジャージの上下を出して、私服と着替える。

 注射を打ってもらってせいか、体が軽いような気がする。
涼がベッドに座っているとダイニングから愛理沙が顔を出す。


「調子が少し良くなったからといって、寝てないとダメよ」

「はーい」


 今日は愛理沙に世話になりっぱなしだ。
本当に愛理沙が居てくれて心がホッする自分を発見する。

 愛理沙がダイニングから私室へ入ってきて、涼の近くに座って手を涼の額に当てる。


「ずいぶんと熱は下がったようね。これなら大丈夫かも」

「今日はありがとうな」

「うん」


 愛理沙が優しい眼差しで涼を見つめる。涼は照れてベッドへ潜り込む。


「愛理沙…もし熱が下がったらさ……今度の休みに愛理沙の部屋へ遊びに行ってもいいか?」

「―――いいよ……私だけ部屋を見せないのも、おかしいもんね」


 涼がベッドから顔だけ出すと愛理沙が恥ずかしそうに微笑んでいる。


「きちんと熱と風邪が治ったらね。今日は遅くまで付き添ってるから、安心して寝てるの」


 顔を赤くして愛理沙は、ベッドの布団を涼の顔の上まで引きあげた。
 次の休みの日に愛理沙が公園で待っていてくれた。
愛理沙の手には紙袋が持たれている。

「これ……私の親戚へ手土産として持って行って……クッキーの詰め合わせ」

「え!愛理沙が用意してくれたの……お金を払うよ」

「ううん…いいの。あの人達……手土産だけで機嫌が良くなるとは思えなから」

 一体、愛理沙が引き取られている親戚の家はどういう家庭なんだろう。
少しは注意して、身構えて会いに行ったほうがいいだろう。
何か嫌な予感がする。

 愛理沙の親戚の家は、いつもの公園から少し下がった路地を中に入ったところにあった。3階建ての一軒家だ。

 愛理沙は玄関を開けて小さな声で「ただいまー」と声をかける。
 すると中から茶髪で、乱れた髪を放置したままの50歳台の女性が出て来て、愛理沙と涼を見る。


「最近、帰りが遅かったり、夕飯の用意に遅れたりしていると思ったら、男を咥えこんでいたのかい。この性悪娘が!」


 玄関から中へ入ったばかりの愛理沙の顔をいきなり女性が平手を打ちをする。
女性からは酒の匂いがプンプンしており、昼間から酒を飲んでいたようだ。
完全に酔って、目が充血している。

 愛理沙は振り向いて、涼を見て『耐えて』という顔をする。
いきなりの出来事で、目の前の状況が呑み込めない。


「男を咥えこむ暇があったら、早く家の家事をしろ! 私に昼食も作らないで、何を出歩いているんだい!」

「すみません……由佳(ユカ)叔母さん。昼食の用意はするから、少しは私の話しを聞いてください。一緒に来てくれているのは、私と同じクラスの同級生で青野涼(アオノリョウ)くんです。いつも学校でお世話になっていて、今日はお礼で私の部屋へ遊びにきてもらいました。どうか涼くんと挨拶してください」


 涼は愛理沙の横をすり抜けて、愛理沙の庇うように立って、由香叔母さんに持ってきた手土産のクッキーの紙袋を渡す。


「青野涼(アオノリョウ)と言います。学校では愛理沙さんにお世話になっています。ご挨拶をと思いましてクッキーを買ってきました。後で皆様で食べてください。よろしくお願いいたします」


 由香叔母さんは涼が持っていた紙袋を強引にひったくると中身を見て笑っている。気に入ったようだ。


「アンタ、愛理沙に騙されてるよ。この女ほど性悪な女はいないからね。小さい頃から私達夫婦が育ててやったんだ。学校をやめて水商売で働いて恩返ししろって言ってるのに、高校だけは卒業させてほしいなんてワガママをいう。ワガママを聞いている私達夫婦は天使のように優しい親戚というわけさ」

 あんまりな言いようだ。愛理沙はまだ高校生だぞ。水商売で働けなんて、この叔母さんは狂ってる。
しかし、涼はグッと心から出てくる言葉を我慢する。


「高校は義務教育ではありませんが、今は誰でも高校を卒業している時代ですし、高校を卒業しているほうが就職には有利です。愛理沙さんの進路希望は間違っていないと思います」

「何を言ってるんだい。こいつができることなんて、きれいな顔で男を騙すことだけさ。せっかくきれいな顔に生まれてるんだ。その顔を活かして水商売で働けば、男達が金を貢いでくれるだろうさ。そのお金を私達が恩返しでもらえばいいのさ。簡単な話だろう。今まで育ててやっただ、恩ぐらいは返しても罰は当たらないだろう」


 この由香って叔母さん、心の根っこから腐ってる。愛理沙のことを全く守ろうとも思っていない。愛理沙が大人になったら、愛理沙からどれだけ金を取れるか……それだけしか考えていない守銭奴だ……あまりにも酷い。


「愛理沙さんは成績も優秀ですし、大学へ行けるほどの成績を誇っています。愛理沙さんが大学へ行けばもっと良い就職先に巡り合うこともできます。できるなら愛理沙さんが大学を卒業するまで、 待ってもらえないですか」


「私の家には金が必要なんだよ。毎日、飲む酒のお金もかかるし、タバコ代もかさむ。今、旦那が使うパチンコ屋や麻雀屋に行く金も必要だ。とにかく私の家は年中、金がなくて火の車なのさ。愛理沙に大学だって!高校を卒業させてやるだけでもありがたいと思ってもらいたいね!」


 叔母さんは酒とタバコに狂っていて。旦那さんはパチンコ屋に麻雀屋。そんなことをしていれば、お金が貯まるはずがない。どういう感覚をしてるんだ。


「では愛理沙さんの高校の費用はどうやって出しているんですか?」

「奨学金に決まっているだろう。自分で高校へ行ったんだ。大人になってから自分で奨学金の借金を払っていくのは当たり前のことだろう」


 涼の常識が、ガラガラと音を立てて崩れていくのがわかる。この人達に何を言っても無駄だ。


「そもそも、私の家で引き取っている理由が何か知ってるかい? 愛理沙から聞いてるかい?」

「いいえ、何も聞いていません。ご両親が他界されていることは知っています」

「この娘は罪人の娘なのさ。だからこの娘も罪人さ。そんな罪人を育ててるんだから、私達は羽がついた天使のように慈悲深い人間さ」


 もう限界だ……愛理沙のことだけでも限界なのに……愛理沙が大事にしている両親のことまで貶めるなんてもう我慢できない。

 涼の目付きが変わり、まなじりが吊り上がる。鬼のように怒った形相になっているだろう。後ろにいる愛理沙に自分の顔をみられたくない……しかし、もう限界だ。


「おい……叔母さん、さっきから聞いてたら、偉そうなことばっかり言ってるけど、叔母さんなんて昼間から酒を飲んで、タバコを吸って、家事もしないロクデナシだろう! 愛理沙に家事全般の全てを押し付けて、何が自分は天使だ……ふざけんな!」

 まだ心の中から湧き上がってくる怒りが収まらない。


「お前の旦那もそうだ。昼日中から、パチンコ屋へ行って、麻雀屋に行って何してんだ? それで愛理沙に水商売で働えけって言うのはおかしいだろう。アンタ達は心の底から腐ってる鬼だ!」

 由香叔母さんの顔が真っ赤になって般若のような顔になる。


「アンタに何がわかるんだい。こいつのせいで私達も肩身の狭い思いをしてきたんだ。そのことも知らないで偉そうなことをいうな! クソガキ! ふざけるな!」

「うるせえよ! 叔母さん! 愛理沙のことだけでもムカムカするのに、愛理沙の両親のことまでバカにするな。愛理沙がどれだけ両親のことで苦しんでいるのか……お前達にはわからないだろう」

「それは当然だね。あんな両親なんだから。コイツが苦しむのは当り前さ。生まれたことを恨むんだね」

「うるさい! これ以上、愛理沙の両親の悪口をいうな。黙れよ! 叔母さん……そんな話は聞きたくないんだよ」


 由香叔母さんが玄関に置いてあった。スリッパを思いっきり涼の顔面へ投げつけた。そして鉄の軽い灰皿を涼へ放ってくる。

 スリッパも灰皿も涼の顔に当たる。灰皿が頬に当たって、頬が痛むのがわかる。


「俺は他人だ。これは立派な傷害罪になるぞ。警察を呼ばれてたら、不利になるのは、叔母さんのほうだ!」

 警察という言葉を聞いて由香叔母さんの勢いが失せて怯んだ。今がチャンスだ。


「愛理沙! これから、この家を出る。 俺のいう通りにほしい……まずは愛理沙の部屋へ行って荷造りだ」

「アンタがコイツの面倒を見るって言うのかい。それなら持っていくがいい。コイツの本性を知って、後から後悔するのもアンタだからね」

「俺は愛理沙のことで後悔したり、絶対にしない。 愛理沙を守るのは俺だ……叔母さん達には関係ない。愛理沙……自分の部屋へ案内してくれ。今から荷造りをする」

 後ろを見ると愛理沙は目から涙を流して、立ち尽くしていた。涼は愛理沙の手を握って大きく頷いて、安心させるように優しく見つめる。


「大丈夫。愛理沙は俺が守るから……今は俺の言う通りにしてほしい……部屋へ行って荷造りしよう」


 愛理沙は大きく頷くと、涼の前を通り過ぎて、玄関で靴を脱いで、涼と手を握りながら自分の部屋へと向かった。
そして、2人で急いで必要な分だけ荷造りをする。

 大きなキャリーバック2つ分の荷物を用意すると、1階へ降りていく。由香叔母さんが部屋から廊下へ顔だけ出している。


「出ていくのはいいさ……疫病神がいなくなるんだから。後から泣き言を言ってきても私の家ではコイツを引き取らないからね」

「誰がそんなこと言うか! また後から、必要な手続きが出てきたら、俺がこの家に訪問する。その時は邪魔するなよ」

「その時は、勝手にしな……クソガキ!」


 愛理沙は玄関を出ると、振り返って由香叔母さんへ深々と頭を下げる。

「私を引き取ってくださって、小さい頃から私の面倒を見てくださって、ありがとうございました。今日までありがとうございます」

「アンタみたいな者、さっさと出ていっちまいな。2度と顔を見せるんじゃないよ!」


 大きなキャリーバックを2人で1つずつ持って、愛理沙の親戚の家を出た。

 いつもの公園へ着くと愛理沙はブランコに座って泣き崩れる。

 
「だから、家へ誰も呼びたくなかったの……誰にも私の本当の姿を見られたくなかったし……叔母さん達のことを知られたくなかったから……」

「俺も熱くなってゴメン……でも、愛理沙を守りたいという気持ちは本当だよ……信じてほしい」

「でも……私も……私の両親も……」

「そのことは聞きたくない。愛理沙は無理に言う必要はない……俺は愛理沙の過去なんて知らないし、聞かない。過去は過去だ。今の愛理沙じゃない」

「――――涼!」


 ブランコから立ち上がった愛理沙は涼の胸に飛びこんで、涙がとまるまで泣き続ける。
 涼は何も言わずに、胸の中へ飛び込んできた愛理沙を受け止めて、ギュッと抱きしめた。
 2人でキャリーバッグを持って涼のアパートまで戻ってきた。鍵を開けて涼がキャリーバックをダイニングへと運びいれる。そしてダイニングの隅にキャリーバックを2つ置く。

 その間、愛理沙は玄関に立ったまま、靴も脱ごうとしない。


「何してるんだ? 入ってきなよ……今日からここが愛理沙の家じゃないか」

「本当にいいの?」

「今更、何を言ってるの? 他に行く所でもあるの?」

「ううん……行く所ない……住むところないの」


 愛理沙がまた涙をこぼして、頬を濡らす。
公園から涼のアパートへ来るまでの間も、愛理沙は情緒不安定になって、時々…涙をこぼして涼を困らせた。
愛理沙に泣かれるのは正直ツライ。


「何も気にしなくていいから……自分の家だと思って気軽に暮らしていい」

「―――お金も持っていないし」

「大丈夫……俺、少しは蓄えがあるんだ。だから愛理沙と暮すお金ぐらいは十分に持ってる。贅沢はできないけどね」


お金の話しは本当だ。
両親…家族が事故で他界したことで、涼には多額の保険金が入っている。未成年後見人の三崎さんが、保険金の半分を管理してくれているが、残り半分は涼が管理している。だから愛理沙が暮らしを心配する必要はない。


「お邪魔します」

「違うよ……ただいまだよ」

「――――ただいま……」


 愛理沙はダイニングへ入ってくると、いきなり床に正座をして、三つ指をついて頭を下げる。


「これからお世話になります。末永くよろしくお願いします」


 そ……それは結婚の時に言う言葉だよね……完全に間違って覚えてるよ。
涼はその言葉を聞いて、自分の耳が真っ赤に火照るのを感じる。


「愛理沙……そんなに緊張する必要ないんだから……気軽に友達の家で同居するつもりでいてよ。そのほうが俺も気軽でいいからな。そんなに緊張されると……俺のほうも緊張しちゃうからさ」

「はい…わかりました」


 全然、分かってないよ……初めての同居だから、愛理沙が緊張するのもわかる。

「涼…聞きたかったんだけど……私達って仮の彼氏と彼女よね? 付き合ってもいないわよね?」


 あ…そのことについて忘れてた。愛理沙の家に行って、あまりの叔母さんのいいようにムカッと感情的になって勢いで愛理沙を連れてきてしまった。


「そうだね……愛理沙と俺は、仮の彼女と彼氏のままでいいよ。俺も愛理沙の過去に踏み入ろうとは思わないし、俺も自分からあまり過去のことを言いたくないから」


 涼と愛理沙の心の距離は、いつもの公園で一緒にいる距離が丁度いい。あまり心の距離を近くしないほうが良いだろう。互いに人に言えない過去を持っているのだから。お互いに秘密にしておいたほうが良いこともある。


「ァゥ……そんなことを言ってるんじゃないのに……本当は涼の彼女になっても……」


 愛理沙がすごく小さな声で何かを呟いているが、涼の耳には聞こえない。
愛理沙は顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうに照れて俯いてしまっている。


「愛理沙と一緒にベッドで寝るわけにはいかないから……街まで行って、布団を買いに行こう。後、家に必要な家財道具も買いに行こう」

「――――そんな……そこまで涼にしてもらうなんて悪いわ」

「何を言ってるんだ。これから同居人じゃないか……これぐらいはさせてくれよ」

「それじゃあ、家事全般は私がするね……涼だと部屋は散らかるし、片付けや掃除も下手だし、料理もできないし」

「そういうばそうだな……これからは毎日、愛理沙の料理が食べられるのか……冷えた弁当を食わなくてもいいんだな……すごく嬉しい。ありがとうな」


 それを聞いて、愛理沙は嬉しそうな顔をで笑んだ。


「涼……気づいてないと思うけど、私達の場合、同居って言わないよ……同棲っていうのよ」

「え!同棲!」


 涼はずっと同居と思っていた……いきなりの愛理沙からの同棲宣言に目の前がグラグラと揺れる。
高校生で……同棲。

 まだ彼女もいないのに、こんな美少女と同棲していいのか。


「私……涼とだったら同棲してもいい……涼だったら安心だから」


 1人の男性として美少女と同棲して、安心されて喜ぶべきなんだろうか。悲しむべきなんだろうか。涼は心の中で、愛理沙の言葉を聞いて動揺を隠せない。


「とにかく、街に行って、必要な家財道具や布団を買って、今日中に配達してもらうようにしないといけない……時間的に早く行って、頼み込まないと間に合わない……愛理沙、必要なモノを書きだして」


 涼はノートとペンを私室から持ってきて、急いで愛理沙に必要なモノを書きだしてもらう。愛理沙は色々なモノを書きだしているが……なぜ、涼のパジャマまで買い物リストに載っている。


「今日、街から戻ってきたら、料理をするね……涼の大好物の唐揚げにするから」

「おお――! 愛理沙の唐揚げ、すごく美味いんだよな。是非、お願いするよ」

「うん…楽しみにしててね」


 愛理沙と涼は互いに顔を見合わせて微笑み合う。

 愛理沙のメモが終わると、2人で玄関を出て家の鍵をかける。


「そういえば、部屋の鍵も愛理沙専用の鍵がいるね」

「私に合い鍵をくれるの……本当の同棲みたい」


 その言葉を聞いて涼の顔は真っ赤に染まる。同棲という言葉を言われると恥ずかしい。言葉を発した愛理沙のほうも、恥ずかしさで顔を真っ赤にして俯いている。

「とにかく、時間がない。急いで街まで行こう」

「うん…ありがとう! 涼!」

 2人で並んで仲良く街まで歩いていく。
2人の顔には陰りはない。
2人は満面の笑みを浮かべて談笑しながら街へと向かった。

 空は2人の心のように、青く遠くまで澄みわたっていた。
 愛理沙が涼の家で同棲し始めた日に街へ行って、家財道具や布団など色々なモノを買った、頼み込んで即日で、アパートまで運んでもらった。

 愛理沙はその日から、涼のベッドの隣に布団を敷いて眠るようになる。
涼は愛理沙が近くできれいで可愛い寝顔で寝ているので、中々眠れずに……現在は寝不足気味だ。

 そして、愛理沙が白色、涼が黒色のお揃いのパジャマを着て寝ている……とても恥ずかしい。

 そして愛理沙は新しい7段式の自転車を購入した。
これからはバス代のかからない自転車通学をするという。
学校では涼と愛理沙は彼氏と彼女という関係で見られているので一緒に通学しても別に疑われない。

 しかし、涼の昼休憩の過ごし方が激変した。
それは愛理沙が毎朝、自分のお弁当を作るので、涼のお弁当も作ってくれることになったことだ。

 今まで陽太と一緒に学食へ食べに行っていたが、お弁当があるので学食にいかなくなった。今は弁当を持参している湊と一緒に涼の席でお弁当を食べている。


「最近は弁当持参になったのか? 弁当は愛理沙が作ってくれているのか?」


 湊が冷静に涼に質問してくる。
そんな恥ずかしいことを真面目な顔で聞かないでもらいたい。


「あ……涼ちゃんのお弁当のおかずと、愛理沙ちゃんのお弁当のおかずが同じだよ……絶対に愛理沙ちゃんに作ってもらってるんだ」


 わざわざ涼の弁当の中身を確かめにきた聖香が大きな声で宣言する。
そんな大きな声を出さないでもらいたい。クラス中に聞こえるじゃないか。


「一応、俺は学校では彼氏だからな。愛理沙に弁当を作ってもらっても変じゃないだろう」

「でも…最近の愛理沙と涼って怪しいのよね」


 目を細めて、楓乃が疑っている。


「最近、愛理沙、バス通学を止めたじゃん。涼と一緒に自転車で通ってるんだよね。それってもう彼氏じゃない?」

「だから、学校では俺は彼氏なんだから、一緒に自転車通学をしてもおかしくないだろう」

「でも…本当は仮彼氏なんでしょう。その割にすごく仲良くない? まるで本当の彼氏みたい」

「そんなことはない。俺を疑うなら、愛理沙に聞いてみろ」


 楓乃は疑いの眼差しのまま、聖香はお弁当を持って愛理沙の元へ行く。
昼休憩の時間には、いつも愛理沙、楓乃、聖香の3人は毎日、仲良くお弁当を食べている。

 涼が心配そうに愛理沙へ視線を向けると、楓乃と聖香の質問攻めに会って、顔を赤らめて恥ずかしがっている。

 一体、どういう話の展開になっているのか、涼は非常に不安に思うが……3人は楽しそうにお弁当を食べている。


「もう、仮彼氏、仮彼女など関係なく、2人共、付き合ったほうが早いんじゃないか?」


 湊が冷静に卵焼きを食べながら涼に聞いてくる。


「俺はそれでもいいよ。でも愛理沙の気持ちがわからないし……愛理沙も心に距離感を取りたいタイプだし、俺もそうだから、今の状態が丁度いいんだ。それに愛理沙は俺にもったいないと思わないか?」

「学校中の男子がそう思ってるよ。俺もそう思う。お前に愛理沙のような美少女の彼女ができて、俺が独り身だったら、俺は涼に殺意を抱くかもしれん」


 湊は笑いながらウインナーを口の中へ入れる。

 殺意……湊は冗談としても、学校中の男子は本気で殺意を向けてくる可能性がある。毎日、多数の男子学生達から殺意を向けられるのはたまらない。

 今でも学校では愛理沙の彼氏の役目を果たしているおかげで男子学生達の多数から嫉妬の視線を向けられているというのに。

 これで同棲がバレたら……このことだけは隠し通す必要がある。絶対にバレてはいけない。仲の良い特別な、湊、陽太、楓乃、聖香の4人にも絶対に秘密だ。


「どうした? 涼、急に黙って、冗談だぞ」

「わかってる。既に俺は学校では愛理沙の彼氏だからな。多少の嫉妬の視線には慣れてきてるよ」

「あれだけの美少女だからな。男子生徒達が涼に嫉妬するのは仕方がない。俺も早く彼女が欲しいもんだ」

「湊はいつ聖香に告白するんだ?」


 いつも冷静な湊が噴き出して、咳こんでいる。湊は顔を赤く染めて、それでも冷静な顔を保って弁当を食べようとする。


「なぜ……涼がそのことを知ってるんだ?」

「だってさ……湊は女子全員に優しいけど、聖香を見る時だけは、優しく見守るお兄さんのような眼差しになってるじゃないか。俺は人の心に敏感なんだ。それぐらいの機微はわかるよ」


 涼は人が苦手で、人と心の距離を取る癖がある。そのため、誰が心の距離を近づけているか、勘ではあるがすこしはわかるのだ。しかし、自分のことはあまりわかっていない自覚はある。だから、涼には湊が聖香に好意を持っていることがわかった。


「このことは誰にも言ってないか?」

「ああ、愛理沙にも言ってない」

「絶対に陽太にも楓乃にも言わないでくれ。もちろん聖香には言うなよ」


 当たり前だろう。いくら涼でも聖香に湊が好きだとは言えない。
いつかは聖香と湊が上手くいってくれればいいなとは思う。

 もうすぐゴールデンウィークだ。湊がゴールデンウィークの予定を涼へ質問してくる。


「ゴールデンウィークは毎年、行く場所があってね。少し忙しい」

「そうか……ゴールデンウィークが暇なら、皆で旅行でも計画したいと思っていたんだが残念だ」


 毎年、事故が起こったゴールデンウィークには家族の墓へ参っている。
まだ、このことは愛理沙には話していない。

 できれば、愛理沙を墓参りなどに付き合わせたくない。
女子3人で、旅行でも計画してくれるといいんだけど。

 教室のドアは開いて濃い茶髪のロングストレートの女子が歩いてきた。元生徒会長の倉橋芽衣だ。
顔を真っ赤に染めて、少し恥ずかしそうにして、涼の元まで歩いてくる。


「涼……気を使ってくれてありがとう」


 涼には何のことかわからない。


「涼が学食に来なくなってから、陽太が1人で食べてもつまらないと言って、私と一緒に食事をしてくれるの……本当にありがとうね」


 涼が学食に行かなくなったおかげで、そんなことになっていたのか……芽衣は幸せそうに満面の笑みを浮かべている。


「お役に立てて良かったよ」


 誤解なんだけど……幸せそうだから言わないでおこう。







 放課後になり、愛理沙と涼は自転車を押して2人で高台まで歩く。

 昼間あった芽衣のことを話すと、愛理沙はクスクスと笑顔になって嬉しそう。そして、すぐに表情を変えて、少し拗ねたような顔になる。


「涼……楓乃と聖香の質問を、私に聞くように言うなんて……何て答えていいか、恥ずかしかったわ」

「その件はゴメンな……」

「今日も公園に付き合ってね」

「ああ…いつでも付き合うよ」


 この不思議な関係も、全てあの公園が始まりだったんだよな。
ふと、愛理沙へ振り替えると、愛理沙は涼を見つめて、優しく幸せな笑顔を浮かべていた。
 公園で夜まで愛理沙と2人で高台から夜空を街の夜景を眺める。
これは変わらず、毎日の日課だ。

 最近は、この公園の時間の時だけは、お互いに話さず、風景を眺めていることが多い。愛理沙はブランコで、涼はベンチの定位置だ。

 でも、お互いに一緒にいるというだけで心が落ち着くのがわかる。なんとなく、愛理沙も同じ気持ちでいてくれていることが伝わってくる……そのことが嬉しい。

 夜になって星空が瞬き始めた頃、2人で静かに立ち上がって、自転車に乗ってスーパーへ向かう。愛理沙の主義らしく、なるべく食材の買い置きはしない。
最近では2人でカーゴを押してスーパーの中を回るのが日課となっている。


「今日は天ぷら……涼は好き?」

「天ぷら…大好きだよ!」

「良かった」


 慣れた手つきで、天ぷらの具材をカゴの中へと入れていく。タレのコーナーで天ぷらつゆを見つけた。
カゴに入れようとしたら、愛理沙にカゴから出され、元の場所に置かれる。


「天ぷらなんだろう? 天ぷらつゆが必要だよね」

「天ぷらつゆは私が作るからいいの……これも楽しみのうちだから」


 天ぷらつゆまで手作り……今まで天ぷらつゆというのはスーパーで売っているものしかないと思っていた。
愛理沙は何でも、手間暇を惜しまず手作りしてくれる。将来は良い奥さんになると思う。

 レジで支払いをして、エコバックに買った荷物を詰めて、愛理沙の自転車のカゴに入れる。この時に愛理沙の自転車を押すのは涼だ。すこしは役に立ちたい。

 家に着くと、愛理沙がポケットから家の鍵を取り出してドアを開ける。そして2人で部屋の中へ入る。

 1DKの涼の部屋で2人住むには狭い。愛理沙のために用意した家財用具がダイニングにも置かれている。
おもに、涼が手を触れてはいけない洋服類や下着類の入ったタンスはダイニングに置かれている。


「私も着替えるから、涼も着替えてね」


 涼が自分の部屋へ入るとキッチリとフスマが閉められた。

 涼は制服を脱いで、愛理沙に選んでもらったダークグレーのスウェットの上下に着替える。


「着替え終わったよ」


 フスマを開けて愛理沙がにっこりと笑う。
愛理沙は薄いピンクのスウェットの上下に着替えて、その上からエプロンををしている。髪は束ねてポニーテールになっている。きれいな項が美しい。そして左右に揺れる髪が尻尾のようでとても可愛い。


「もう炊飯器のスタートは入れてあるから、後30分でご飯ができるからね。その間に天ぷらの用意をする」


 涼がキッチンへ近づいて愛理沙の隣に立って、愛理沙の料理の手さばきを見る。

 愛理沙はボールの中に小麦粉を入れて、少し片栗粉を入れて、卵を入れると、水で少しずつ溶かしながら天ぷらの衣の硬さを調整して、塩を少しいれて味を調える。すごく手際がいい。愛理沙の手は細くて指が長くてとてもきれいだ。

 愛理沙は不思議な顔をして、首を傾げて涼を見る。


「どうしたの?」

「きれいな手をしてるなって思って……あまり愛理沙の手を見たことなかったなと思ってさ」

「アウ……手を褒められたのなんて初めて……恥ずかしいよ」


 愛理沙は顔を真っ赤にして、何か独り言を呟いているが、涼の耳には聞こえない。


「愛理沙の将来のご主人さんは幸せだな。毎日、美人の愛理沙と暮らせて、美味しい食事も食べられるんだから」

「アウウウ……私は……その……将来、涼でも……ウウ」


 愛理沙が照れて俯いて、口の中で何かを言っている。照れて恥ずかしがる愛理沙も可愛いな。


「もう……涼がいると料理ができないから、さきにお風呂に入って」


 愛理沙が来てダイニングで一番変わったことは、小さな脱衣所ができたことだ。愛理沙が裸でいる時に間違ってフスマを開けてしまったら大事件になるし、その後にお互いに気まずくなる。お互いに恥ずかしい思いをしないための措置だ。


「わかった。サッとシャワーを浴びさせてもらう」


 タンスから下着類とバスタオルを取り出して、カーテンでできた脱衣所の中へ入って、カーテンを閉めて涼は服を脱いで、風呂場へと入っていく。

 愛理沙が毎日、掃除をしてくれるから、風呂場は見違えるように毎日ピカピカだ。







 シャワーを浴びて、髪をバスタオルで拭いて、カーテンを開けて脱衣所を出ると、丁度、愛理沙が天ぷらを揚げている所だった。きれいな手さばきで、次々と天ぷらが揚げられていく。愛理沙は上機嫌なのか、鼻歌を歌って、ポニーテールの尻尾が左右に揺れる。


「もうすぐ天ぷらできるから、テーブルに座って」


 ダイニングテーブルの椅子に座って愛理沙を見つめる。

 本当に絶世の美少女だよな。
きれいな眉、キリッとした二重、冷静で優しい瞳、きれいな鼻筋、大人びた唇、透き通るような白い肌、スタイルも抜群で手脚もきれいで長い。

 こんな美少女と本当に一緒に暮らしていていいんだろうか。
涼は自分には勿体ない美少女だと思う。


「どうしたの?」


 お味噌汁を涼の手前に起きながら、愛理沙が不思議な顔をする。


「愛理沙って、本当に美少女だと思ってさ。一緒に暮らせるなんて、俺には勿体ないと思って見てた」

「アウ……お料理を作っている最中に変なことを言わないで……お料理の手順を間違えちゃうよ……」

「ゴメン」


 すぐに涼の目の前には天ぷらの盛り合わせ、お味噌汁、ご飯、天ぷらつゆ、お茶、お箸が置かれる。
そして愛理沙は対面の席について、2人で『いただきます』を言って、天ぷらを食べる。

 衣がサクサクで、中はアツアツでホクホク。最高に美味しい。


「愛理沙の天ぷら、最高!」

「ありがとう……もっと一杯食べてね。いっぱいあるからね」


 愛理沙と2人で食べる食事は、いつも美味しい。人と一緒に食べて、これほど美味しいと思ったことはない。
人と一緒に食事をすることが、こんなに楽しいとは思わなかった。

 2人で和やかに食事を楽しむ。何も面白い話などしない。ただ一緒に食べているだけで楽しい。


「楽しいね……お料理がとても美味しい」

「俺もそう思ってたんだ」


 料理を食べ終わって、後片付けを始める。


「俺が後片付けをしておくから、愛理沙はお風呂に入っておいでよ」

「それはダメ……涼が食器を洗ったら、泡がいっぱいついていて、きちんと洗えてないんだもん」


 愛理沙と2人で片づけをする。愛理沙は手慣れていて、手さばきが早い。
涼は愛理沙が洗った食器を拭いて、食器棚へなおしていく。


「2人で後片付けをすると、すごく早く済むね」

「少しでも役に立ってるなら嬉しいよ」

「うん」







 既に愛理沙はシャワーを浴びて、白のパジャマに着替えている。涼もお揃いの黒のパジャマに着替えてベッドの中へ入る。

 ベッドの隣に布団を敷いて、その上にペタンと愛理沙が座って涼と少し談笑をする。愛理沙から石鹸とシャンプーの良い香りが漂ってくる。


「今日も1日、楽しかったね。最近、このアパートに来てから私、楽しいことがいっぱいで嬉しい」

「そう言ってもらえて、俺も嬉しいよ」

「もう0時も回ったし、私、寝るね」

「ああ……俺も寝るよ……おやすみ」

「おやすみなさい」


 部屋の電気を消して、布団へ入ると、すぐに愛理沙から寝息が聞こえる。
涼はしばらく、体を動かさないまま、愛理沙の寝ている姿を見守る。

 すると寝ている愛理沙が苦しそうに眉をしかめる。


「ゴメンなさい……ゴメンなさい」


 愛理沙が涼の家に来てから、毎晩、眠ると愛理沙はうなされている。


「パパがゴメンなさい……パパを許して……」


 涼はベッドから、そっと起きて、愛理沙の眠っている手を両手で握る。


「大丈夫だよ。パパは許されたよ。パパは悪くないよ。だから愛理沙も悪くない。良い子だよ」

「うん……ありがとう……パパを許してくれて……私も良い子でいいの」

「愛理沙は良い子だよ……」


 愛理沙は眠りながらにっこりと微笑むと、目から大粒の涙が頬を伝う。

 これが毎日、続いているのだ。愛理沙の過去に何があったのか涼からは聞かない。しかし、よほどツライ過去があるのだろう。

 涼はゆっくりと安心して愛理沙が寝静まるまえで愛理沙の手をしっかりと握り続ける。
 涼が手を握っている間だけは、安らかな寝顔で眠っている。
しかし、涼が手を離すと、また……愛理沙はうなされ始める。

 このアパートへ来てから、ずっと、この現象が続いている。
たぶん、親戚の家でも愛理沙はうなされ続けていたのだろう。
しかし、誰にも知られずに放置されていた。

 そのことろ考えると、涼の心はキュッと苦しくなり、愛理沙のことを愛おしくなる。どうして、愛理沙がここまで苦しまなければならないのだろう。
できることなら涼は自分が代わってあげられたらいいのにと思う。

 ギュッと手を握り返された。涼が意識を戻すと、布団の中から愛理沙が大きな瞳で見つめている。


「涼……私の手を握って何をしてるの?」

「―――愛理沙が少しうなされているようだったから……少し気になって手を握っていた……気分はどう?」

「いつもの嫌な夢を見てた……私、うなされていたのね……涼……ありがとう」

「いいんだよ。俺には手を握るぐらいしかできないからね」


 愛理沙は嬉しそうに涼の手を両手で握りしめて、安心したように微笑む。


「目が覚めちゃった……ワガママ言っていい?」

「うん…いいよ」

「あの公園へ行きたい……涼と出会った公園……公園で座っていると、不思議と安心するの」

「愛理沙が安心して眠ることができるなら、公園へ少し散歩に行こう」


 部屋の電気を点けて、愛理沙はダイニングで、涼は私室で私服に着替えて、玄関を出る。まだ4月の夜中の空気は静かで肌寒い。
ポツポツと点いている外灯が道を明るく照らしている。

 愛理沙と2人で公園までゆっくりと歩く。
愛理沙の精神は安定しているようで、歩くことを楽しんでいるようだ。


「驚かせてごめんね……親戚の家でも、同じ嫌な夢を何度も見て、夜中に起きたことがあるの」

「そうなんだ……俺のアパートに来てから初めてうなされていたから、ビックリしたよ」


 涼は愛理沙がアパートに来た時から、うなされていることを隠した。
正直に答えて、愛理沙がショックを受けることが嫌だった。

 夜空には大きな半月が浮かんで、地上を照らしている。その周りには星空が瞬いている。


「静かで、落ちつくね……こういう時間…私は好きよ」

「そうだな…俺は愛理沙と一緒だったら、どの時間でも好きだよ」

「アウ―――どうして、そんなことをサラッと言っちゃうかな……恥ずかしいよ」


 愛理沙は口の中が抗議するが、あまりに声が小さいたけ涼の耳には届かない。愛理沙は顔を耳まで真っ赤にして、涼から顔を逸らして、公園へと歩いていく。

 公園へ着いて、愛理沙はベンチに座り、涼は自販機でコーヒーとミルクティを買って、愛理沙にミルクティを渡す。愛理沙は両手でミルクティの缶を持って、手を温める。涼も愛理沙の隣に座って、コーヒーの缶で手を温める。


「涼……私の過去を知りたい?」

「……愛理沙が言いたくないなら、聞きたくない。愛理沙が落ち着いて、俺に話せると思った時でいい」

「ありがとう……ゴメンね」

「いいんだよ……俺も愛理沙には過去を言っていないからね」


 愛理沙は寂しげな顔をして涼を見つめる。


「涼は話してくれないの?」

「俺も、話せる時が来たら……愛理沙に話そうと思ってる……今はその勇気がない」

「涼が話せるようになったら、私に聞かせてね……涼の過去なら……私は何でも受け止めるから」

「―――ありがとう」


 2人で星空を見上げながら、愛理沙はミルクティを飲み、涼はコーヒーを飲む。
落ち着いて、穏やかな空気が2人の間を流れる。
そのまま、1時間ほど無言で星空を眺めていた。

 さすがに体が冷えてきた。
愛理沙も少し寒そうだ。


「愛理沙…もう、そろそろ帰ろうか……体が冷えてきたし」

「うん……ありがとう……帰ろう」


 流石に深夜時間なので、風が少し冷たい。


「愛理沙…その……手をつないでもいいか」


 愛理沙は涼を見て、恥ずかしそうに照れて、顔を背ける。
しかし、体を寄り添わせて、涼の手に指を絡ませる。
涼も愛理沙の手に指を絡ませて、しっかりと握る。

 2人で手を繋いでアパートまで帰る。
その間、2人は手を繋いだまま、涼はしっかりと愛理沙の手を握っていた。

 アパートの鍵を開けて2人へ部屋の中へ入る。


「やっぱり部屋の中は暖かいね」

「そうだね…深夜の公園は少し寒かったな……でも夜空が星でいっぱいできれいだったな」

「うん……連れて行ってくれて、ありがとう」


 涼は私室でパジャマに着替え、愛理沙はダイニングでパジャマに着替える。愛理沙が布団に入ったので、部屋の電気を消して、涼は愛理沙の手を両手で握る。


「今日はもう、うなされないと思う。涼が居てくれるから安心。大丈夫よ」

「それは知ってるんだけどさ……愛理沙がうなされるのはツライんだ。だから安心するまで手を握っておく。その間に愛理沙は寝ていいよ」

「涼だけ、座って起こしておくことなんてできないよ……涼……私のお布団へ入ってきて。そのほうが涼も温かいし……私も安心して眠れるから……」

「え!」

「早く……私も恥ずかしいんだから……涼だから特別なんだから」


 涼が布団の中へ入ると、愛理沙の顔が間近にある。愛理沙は涼の両手を自分の手で包んで握りしめる。
涼の瞳と愛理沙の瞳が間近で重なる。
愛理沙の布団からは、愛理沙の優しくて甘い香りがして、涼の胸はドキドキと高鳴る。


「布団の中はとても暖かいでしょう。これで涼も安心して眠れるね……」

「―――うん―――」


 愛理沙は安心しきった顔で目をつむると、涼の額に自分の額を当てる。


「―――とても安心する。ありがとう……涼……」


 すぐに愛理沙は穏やかな寝息を立てて、眠りに入っていった。
涼は胸が高鳴って、いつまでも眠ることができない。

 すると愛理沙は目をつむったまま涼の体にしがみついてきて、涼の体にギュッと抱き着く。


「涼……今日だけはギュッとしてほしい……」

「うん……」


 涼は優しく愛理沙を包みこように抱いて、2人で眠りの中へ落ちていった。
 ゴールデンウィークにはいった。
涼は女子だけで旅行にでも行けばと愛理沙に提案するが、愛理沙は旅行に行く気持ちなどないと言う。
家で掃除をしているほうが愛理沙は落ち着くらしい。

 せっかくのゴールデンウィークが勿体ない。


「涼はゴールデンウィークに何か用事があるの?」

「うん……毎年、亡くなった家族の墓へ参りにいくんだ。だから1日だけ家を空けるね」

「涼の家族のお墓なら、一緒にお参りしたい……涼のアパートにもお世話になっているし」

「せっかくのゴールデンウィークを墓参りに使う必要はないよ。もっと楽しいことに使って」

「私は涼といるほうが安心するの……他の人達だと警戒してしまうし、緊張する。だから涼と一緒にお墓参りに連れていって」


 そこまで言われると涼も断ることができない。本当は涼が愛理沙をどこかへ連れてい行ってあげればいいのだが……女子とデートをしたこともない涼が、デートの場所など考え付くはずもない。


「墓参りは明日だから、今日は愛理沙と一緒に街に出よう。2人で街に出るのはアパートへ来て以来だろう。」


 青雲高校へ通うのに、高台から街まで通っているが、青雲高校は街の中心街から外れていて、涼と愛理沙は街の中心街へ2人で行ったのは家財道具を買いに行った時だけだ。

 涼はポケットからスマホを取り出して湊にLINEをする。


《今日は愛理沙と、街へ出たいのだが、女子と2人で行動したことがない。どこへ案内すればいい?》


 すぐに湊からLINEの返信がくる。


《仮彼氏の涼が愛理沙とデートすることになっていることがおかしい》


 湊に疑われてしまった。すぐに涼も返信する。


《成り行きでそうなっただけだ》

《そんな楽しいことは皆で分かち合おう。待ち合わせは駅前のロータリー広場だ》


 湊に強引に予定を組まれてしまった。

 そのことを愛理沙に伝えると、愛理沙はおかしそうに笑う。


「私と涼もデートなんてしたことないものね。皆が一緒のほうが楽しいかも……私はそれでいいよ」


 涼としては愛理沙とデートをしてみたかったが、愛理沙がそれで良いというなら仕方がない。
 私服に着替えてアパートを出る。今日は皆が一緒ということなので、2人で歩いて高台から街中のターミナル広場まで歩くことにした。

 待ち合わせの時間まで十分に時間がある。空は快晴で雲一つなく、そよ風が吹いていて、とても気持ちが良い。

 愛理沙と2人で並んで歩く。陽光に照らされた愛理沙はまさに美少女。
隣に歩いている涼は自分が恥ずかしくなる。


「どうしたの?」

「愛理沙がとってもきれいだからさ。隣に俺が歩いていいのかって思っていたんだ」

「アウ―――涼はまたそんなことを言う……涼も恰好いいよ。私は涼と歩くのが大好きよ」


 愛理沙は恥ずかしそうに照れながら、涼に思いを告げる。
愛理沙の気遣いは嬉しいが、やはり涼には勿体ない美少女だと思ってしまう。


「涼は自分の魅力がわかっていないわ……だって、すごく甘いマスクをしてるのよ……学校では涼にも隠れファンは多いんだから」


 学校で涼が人気があるなんて、そんな噂を耳にしたことがない。
愛理沙が涼を元気づけようとして、励ましてくれているんだと思う。

 イケメンで、女子から人気なのは湊だと思っている。
湊は聖香が好きだけど……そのことは内緒だ。

 それに元気が良くて、陽気で男女共に人気があるのは陽太だ。
元生徒会長の芽衣も陽太のことを気に入っている。

 それに比べると、どこか影が薄いと涼は自分のことを感じる。
涼は他人の心の距離を測ることは得意だったが、自分のことには無頓着な性格だと自分で気づいていない。

 ロータリの広場に付いて、2人で木陰に立っていると、湊、陽太、楓乃、聖香、芽衣の5人が集まった。
まさか全員が集まるとは思わなかった。


「ゴールデンウィークといってもさ。俺の家なんてジムだろう。だから今日は客が沢山いて、ジムでトレーニングをすることもできないんだぜ」


 陽太が豪快に笑って、涼の肩を叩く。


「今日は楓乃ちゃんと遊ぶ約束をしてたんです。湊ちゃんからLINEをもらってビックリしました。愛理沙と涼ちゃんの2人だけで、抜け駆けデートなんて許せません。私達も一緒に遊びに行きます」


 聖香が豊満な胸を張って、涼へと抗議をする。


「私の家で同居していた時は、涼はどこへも連れて行ってくれなかったのに……愛理沙だけズルい」


 なぜか楓乃が涼と愛理沙に怒っている。


「私は暇だったから陽太に付いて来ただけよ。別に陽太と遊ぶ約束をしていたわけじゃないからね」


 芽衣は誰からも聞かれていないのに、なぜか言い訳をする。


「そんな訳だから、皆で遊びに行こう。カラオケは涼と愛理沙が苦手だから、今日は却下するとして……映画でも見に行かないか?」


 皆が静かになったところで、湊が映画を観に行こうと提案する。


「別に駅前に来たからと行って、何か遊ぶ所があるって訳でもないしな。ゲーセンに行っても、楽しめる者と楽しめない者に分かれるしな。湊の提案でいいんじゃないか」


 全員、異論なく映画館へ行くことで決まった。

 それぞれに思惑があるようだ。
涼はもちろん、映画館の中で愛理沙と仲良くしたいという気持ちが大きい。


「皆の意見が決まったところで、シアタービルまで歩いていこう」


 駅前のターミナル広場から離れて人並みの雑踏の中を皆でシアタービルへと向かう。

 湊が先頭に立って皆を誘導する。
その後ろに聖香と楓乃の2人が歩いていく。
そして、陽太と芽衣が並んで続く。
一番最後尾に涼と愛理沙が付いていく。


「涼…皆が揃うと頼もしいね」

「ゴールデンウィークらしくていいと思う」


 交差点の信号を渡って、皆で楽しく談笑しながらシアタービルを目指す。
 シアタービルに着くと、2時間待ちの大混雑だった。
ゴールデンウィークなので家族連れも多い。
映画館が混んでいるのも仕方がないだろう。


「何を見る? オカルト・ホラー・アニメ・SF・恋愛・コメディ……けっこう色々な作品がやってるぞ」


 湊が皆にリーフレットを持ってきて配る。

 芽衣、楓乃、聖香の目が光る。


「「「ホラー!」」」


 なぜ、3人がホラーを選んだのかわからない。しかし、今回のホラー作品は面白そうだ。

 昔に作られたホラー作品のリメイク版で、昔に撮影された当時に、撮影スタッフが何人も謎の死に見舞われたことで有名な作品だ。


「よくあの作品のリメイク版なんて制作したもんだな。危なくなかったのかな?」

「今回も数名が死亡したと噂されている作品だ」


 涼が疑問を言うと、湊が冷静に噂を説明してくれた。これでは本当のホラーだろう。

 愛理沙を見るとリーフレットを見て、少し顔を青ざめている。


「もしかすると……愛理沙……ホラーって苦手なの?」

「ううん…そんなことないよ……少し怖いだけだから」


 それを世間では苦手というと思うよ。


「ホラーと言っても映画だ。作りモノだろう。俺なんて今まで1度も幽霊も見たことがない。ホラー映画なんて信じられない。大丈夫だ。皆が付いている」

「私も陽太の意見に賛成よ。物理や科学の時代に幽霊なんてナンセンスだわ。私も幽霊なんて見たことないし、大丈夫よ。いざとなったら陽太に身代わりになってもらえばいいんだから」

「芽衣…それは酷くないか?」

「筋肉しか取り柄が無いんだから、皆が危ない時、位助けなさいよ」


 筋肉では幽霊から助けられないと思うぞ。芽衣は論理的に話しているつもりだろうが、全てを陽太に押し付ける気満々のようだ。


「どうする? 愛理沙が苦手だったら、俺と2人だけで違う映画でも見るか? 愛理沙の好きな映画でいいぞ」

 楓乃と聖香が涼の両腕を持つ。


「愛理沙ちゃんばかり特別扱いは禁止です」

「どうして、愛理沙にばかり優しいの。私、涼にそんなに優しくしてもらったことない」


 聖香と楓乃から抗議の声があがった。
それを聞いた愛理沙がキリッとした顔になって決心を決める。


「私、苦手だけど……皆がいれば大丈夫だと思う。私、頑張ってみる」


 なぜか、皆から愛理沙へ拍手が送られる。

 皆と雑談している間にあっという間に開演時間になった。

 チケットの半券を切ってもらって、シアタールームへと入る。席は中央の中央へと座る。この位置ならば一番、リラックスして映画を観やすい。

 右側から、一番端に愛理沙。次に涼、そして楓乃、聖香、湊、陽太、芽衣の順番で座ることになった。芽衣は陽太の隣でご満悦そうだ。
湊も聖香の隣で嬉しそうだ。


「楓乃ちゃん、ずるい」


 聖香だけは座る順番が気に入らないように楓乃に訴えているが、楓乃は聖香の言葉をスルーする。
愛理沙は隣が涼で安心した顔をしている。

 シアタールームの明かりが消され、スクリーンに広告が映し出される。

 その時点で、愛理沙は背中をピンとさせ緊張している。楓乃のほうがリラックスして見ている。

 映画の内容を簡単に説明すると、家を購入した家族が、家に引っ越しすると、その家が幽霊の巣、ポルターガイストの巣だった。そして家族の一人娘に幽霊が乗り移るという内容だ。

 広告が終わり本編が始まった。何も知らない家族達が新居へ引っ越ししてくるところから話が始まる。

 段々と幽霊達が騒ぎ出し、ポルターガイスト現象が起こり始める。数々の幽霊達が顔の目の前まで迫ってくる。この映画が3Dであることを確かめておくのを忘れていた。


「キャッ」


 愛理沙が小さな声で悲鳴をあげる。そして愛理沙は椅子に必死にしがみついて、目を必死につむっている。


「キャッ」


 楓乃が小さな悲鳴をあげて、涼の体に寄り添って、涼の左手を握ってくるが、その顔はなぜか笑顔だ。
楓乃、本当は全然、怖がっていないだろう。なぜ、手を握ってくるんだ。体が近い。

 3Dの幽霊達はシアター中を飛び回る。そして鳴り響くごう音。


「キャッ」


 愛理沙が小さく悲鳴をあげる。愛理沙は真剣に怯えている。涼は右手で愛理沙の左手を握ると、愛理沙は必至に涼の右手を両手で握って体を寄せて、涼の肩の後ろへ顔を隠す。

 涼は小さな声で愛理沙に話しかける。


「大丈夫だよ。映画だから。3Dで幽霊が飛び出してきているだけの作り物だから……それでも怖かったら、俺の肩の後ろに隠れていればいいよ」


「うん……ありがとう……涼が居てくれて安心する」


 愛理沙は緊張した笑みを浮かべて、必死に微笑もうとするが上手くいかない。

 3Dの幽霊を見ては怖がって、涼の肩の後ろへと隠れてしまう。
そんな愛理沙を涼は可愛く思う。


「キャッ」


 楓乃が嬉しそうに涼の左腕に自分の腕を絡めて、涼の肩に頭を乗せてくる。
楓乃、全く怖がってないよね。なぜ、そこまで密着する。

 最後に娘に憑りついていた、ラスボスのポルターガイストが大画面に大きく映し出される。

 愛理沙は怯えきってしまって、涼の肩の後ろから出てこない。
この映像は見ないほうが良いだろう。さすがの涼も少しビビる。
今まで平気だった楓乃も必死に涼にしがみついている。

 両手を愛理沙と楓乃にしがみつかれている涼は、自分の体を防御する術がない。それに怖すぎて、大画面から目が離せない。

 最後の場面は涼も怖すぎて記憶に残らなかった。
こんな映画を選ぶんじゃなかった。涼は心の中で後悔した。

 映画が終わってシアタールームの照明が灯る。
まだ両手で涼の右手をしっかりと握って、肩の後ろに隠れている愛理沙へ声をかける。


「映画は終わったよ……これで怖くないよ……よく頑張ったね」


 愛理沙は少し怖がりながら、周りを見回して、照明の明かりが点いていることに気が付いて、涼の手を離す。


「―――ありがとう」


 涼は安心させるように愛理沙に微笑みかける。

 まだ左手が重い。左を見ると、楓乃がウットリとした顔で涼の肩にもたれかかっている。


「楓乃……いい加減にしろ。お前はそこまで怖がっていなかっただろう。重いからすぐに腕を離してくれ」

「どうして愛理沙と対応が違うのよ」

「当たり前だろう。真剣に怖がっている愛理沙と、面白半分で俺に捕まってくる楓乃と同じ対応なんてできるか」


 シアタールームを出ると、湊が上機嫌で涼に近寄ってくる。


「この映画は当たりだった。聖香が本気で怖がって、俺の腕にしがみついてくれた……今日は良い日だ」


 そして満面の笑みで芽衣も涼の元へ歩いてくる。


「この映画は良かったわ。思いっきり陽太にしがみつけたわ……今日は映画に誘ってくれてありがとう」


 別に涼が映画に誘った訳ではないし、この映画を選んだ訳ではないが、なぜか芽衣にお礼を言われた。
シアタービルを出ると、もう夕暮れ時だった。愛理沙は映画を観ただけで疲れきっている。


「何か、食べて帰ろうぜ」


 陽太が陽気な声で皆に声をかける。
涼は皆には悪いと思ったが、愛理沙の様子を見て決心を決める。


「愛理沙の調子が悪いんだ……せっかく誘ってもらってるのに悪いけど、俺は愛理沙を送っていくよ」


 聖香と楓乃から抗議の声があがったが、湊が上手くとりなしてくれた。


 皆と離れて、高台へ向かって愛理沙と2人で歩いていく。
映画の影響か、まだ愛理沙は恐怖心から立ち直っていないようだ。
涼は右手をだして、愛理沙の左手に当てると、愛理沙は何も言わずに指を絡めてギュッと握る。涼も愛理沙の手に指を絡めて、しっかりと愛理沙の手を握る。


「怖い思いをさせてごめんよ……まさか3D映画だとは思わなかったんだ」

「ううん……大丈夫……涼のせいじゃないから。私が始めに断っておけば良かったんだし……」

「今度は愛理沙が好きなジャンルの映画を2人で観に行こう」

「うん……」


 手を繋いだことで、ずいぶん愛理沙は元気になってきたような気がする。


「涼……お願いがあるの……」

「どうしたの?」

「私……実はホラー映画を観た日は、怖くて眠れないの……できたら一緒に布団で寝てほしい……」


 そう言って愛理沙は照れて顔を真っ赤にして、俯いてしまった。


「―――いいよ……一緒に寝よう……愛理沙が安心するまで一緒にいるよ」

「―――ありがとう」


 涼も答えてから、自分が言った意味を理解して、耳まで真っ赤になるのを自覚する。

 夕暮れの道路を互いに顔を赤くして、照れながら高台へと歩いて行く2人だった。
 次の日、電車に乗って、愛理沙と2人で遠出をする。
涼の街の駅から2時間電車に揺られる旅。
その間、愛理沙は涼の隣に座って、何も話さない。

 涼も愛理沙に過去のことを説明するつもりはないので、無言だ。
しかし、無言で座っている時間が良い。
2人で和やかな時間を共有しているように感じる。

 言葉で会話をして、この2人の穏やかな雰囲気を壊したくない。

 涼が向かう先の駅へと着いた。
涼と愛理沙は2人並んで駅のホームへと降りる。
涼達が住んでいる街よりも田舎だ。

 改札口を出て、真直ぐに前を縦に通っている道を愛理沙と2人で歩く。
この道は1本道で、遠くまで住宅街の風景が見える。

 20分ほど歩いていくと左側に大きな寺が見えてきた。


「ここだよ」

「ここに涼のご家族が眠っているのね」


 2人はお辞儀をして寺の中へと入る。
そして寺の墓所へ向かって歩いていく。

 途中に蛇口があり、バケツとひしゃくが置いてある。
蛇口をひねって水をだして、バケツに一杯水を貯める。
そしてバケツとひしゃくを持って、墓所の中を歩く。

 愛理沙は街から買ってきた墓花を持って涼の後に続く。
1つの墓の前で涼が立ち止まる。

 その墓には『先祖代々』と書かれていた。


「このお墓が涼の家のお墓なのね」

「ああそうだよ。毎年、ゴールデンウィークには通っているんだ……愛理沙も連れてきてしまってゴメンね」

「ううん…いいの……涼のお父様とお母様、後、ご家族の方にも挨拶をしておきたかったから」


 涼は持ってきた紙袋から雑巾を取り出し、バケツの水に雑巾を入れて水を含ませて、雑巾を絞る。
そしてきれいに丁寧に墓を拭いていく。


「手伝おうか?」

「いや……これだけは俺がやるよ……愛理沙はお客様だからね」


 涼は墓の隅々まで濡れ雑巾できれいにする。その間に愛理沙は花筒の中の水を捨てて、バケツのきれいな水を花筒に入れて、もってきた墓花をきれいに活ける。
そして、涼はバケツを左手に持って、右手のひしゃくで、バケツの水を墓の上から水を流していく。

 墓は涼に磨かれて、陽光に照らされて輝いている。
持ってきた線香に火を点けて、線香立てに立てる。

 そして2人は墓の前にしゃがんで手を合わせて目をつむる。


「私は雪野愛理沙と申します。涼の家でお世話になっている者です。今は涼の仮彼女をさせていただいています。どうかよろしくお願いいたします。涼と私を温かく見守ってください」

「隣に座っているのが仮彼女の雪野愛理沙さんだ。すごい美人だろう。父さんも母さんもビックリしただろう。俺の自慢の仮彼女なんだ。掃除はできるし、片付けも上手い。それに料理は何でも美味しい。凄く家庭的で俺には勿体ない仮彼女なんだ。それに父さん達もよく見てよ。すごい美少女だろう。俺の自慢なんだ」

「アウ……お墓の前で何を言ってるの?……私の自慢をしてどうするの……私…とっても恥ずかしい」

「俺が思っていることを父さんと母さんに言うことにしてるんだ。両親にも愛理沙の良さをわかってもらいたい」

「アウウウ……もう何も言えないよ……」


 愛理沙は顔を真っ赤に染めて、目をつむって一心に墓に祈っている。


「これで用は済んだ。愛理沙一緒に来てくれてありがとう。家族も愛理沙と会えて嬉しかったと思う」

「いいの……私も涼のご家族のお墓に参りたかったから……」


 バケツとひしゃくと雑巾を持って、バケツ置き場の場所まで歩いて戻る。


「涼じゃないか……やっぱり来てたのか」


 大きな声が墓所に響き渡る。

 涼が顔を上げると、そこには三崎誠(ミサキマコト)おじさんと楓乃の2人が立っていた。
楓乃は愛理沙がいることに気付いて、驚いた後、ご機嫌が斜めになっている。


「どうして涼の仮彼女の愛理沙が、涼の家のお墓に参ってるの。これだと本物の彼女みたいじゃない」

「楓乃、場所を弁えなさい」


 誠おじさんは静だが、言い訳を受け付けない口調で楓乃に言う。
楓乃は不満そうな顔をしているが、それ以上のことを言ってこなかった。


「涼…楓乃から話は聞いていたが、すごくきれいでかわいい彼女じゃないか。私にも紹介してくれないか?」


 愛理沙は丁寧に深々と頭を下げて、誠おじさんにお辞儀をする。


「涼の仮彼女をしています。雪野愛理沙といいます。楓乃さんとも同じクラスメイトの友達です。よろしくお願いいたします」


 愛理沙の苗字を雪野と聞いて、誠おじさんが一瞬だけ驚いた顔をする。


「雪野……もしかすると雪野拓三(ユキノタクゾウ)さんの娘さんかい?」

「はい……雪野拓三は私の父の名前です。どうして楓乃のお父様が私の父を知ってるですか?」

「実は拓三さんが他界される前まで、知人だったんだ。雪野という苗字は珍しいからね。こんな所で拓三さんの娘さんと会うとは思わなかったよ。拓三さんも他界していなければ、きれいな愛理沙ちゃんに会えたのにね」


 誠おじさんが……愛理沙の父親の知人だって? 今までそんなことを聞いたこともなかった。小さな頃に誠おじさんの家に引き取られて、高校に入るまでお世話になっていたが、一度も雪野の名前を聞いたことがない。


「俺達は車できたんだ。帰りは車で送ってあげよう。できれば愛理沙ちゃんに久しぶりに会ったし、今までどうやって暮らしていたのか、少し聞きたいから、家に寄って帰ってほしい。涼も最近は近況報告が全くないと思ったら、彼女を作って幸せだったということか。その話も聞かせてもらいたいな」


「愛理沙は涼の仮彼女なの。本当の彼女じゃないの。お父さんも間違えないでね」

「涼のことになると楓乃はうるさいな。まだ涼のことが好きなのか?」

「―――お父さん、変なことは言わないで」


 楓乃は顔を真っ赤にして、誠おじさんに怒っている。


「俺達の墓参りがすむまで寺の玄関で待っていてくれ」


 誠おじさんは、楓乃を連れて、涼の家の墓へと歩いていった。

 涼と愛理沙は寺玄関まで戻って、誠おじさんと楓乃の2人を待つ。

 誠おじさんが戻って来て、寺の駐車場から車を出してくる。誠おじさんが運転席に乗って、楓乃が助手席に乗る。
涼と愛理沙は車の後部座席に乗る。

 車の中は楓乃の不機嫌な雰囲気が充満していて、とても和気あいあいと会話がでる雰囲気ではなかった。愛理沙がさりげなく涼の手の上に自分の手を乗せる。
涼は楓乃と誠おじさんから見えないように隠れて、愛理沙の手をしっかりと握った。