学校一の薄幸の美少女が、なぜか俺だけに心を許す!?

 少し高台にある住宅地。青野涼(アオノリョウ)のアパートから近い場所に小さな公園がある。

 この公園は涼のお気に入りだ。高台になっているので空が良く見える。
夕暮れ時になった太陽が西に沈みかけて、当たりを真っ赤に照らしている。

 空はどこまでも澄んで、遠くまで見渡すことができる。どこかに巣に帰るのだろうか……カラスが数羽、空の彼方へ向かっていく。夕焼けに染まった空に、浮かんだ雲がゆっくりと動いている。

 こんな景色を見ながら、何も考えずに呆けている時間が好きだ。涼はいつものようにパーカーを目深に被って空を眺める。
すると……キコキコとブランコが鳴る音が聞こえる。

 ブランコのほうへ顔を向けると、常連となっている美少女が座っている。名前は知らない。いつもこの時間になると、いつの間にかブランコに座っている。

 互いに顔を知っているが、話をしたこともない。話すきっかけも……話す言葉もみつからない。

 彼女の服装は今日は白のニットのワンピースにブーツだ。艶々としたロングストレートの黒髪が、夕陽に照らされてキラキラと輝いている。大人びた横顔が印象的だ。

 寂れて小さな公園も彼女が座っているというだけで、きれいな公園に見えるから不思議だ。彼女はそれだけの美少女と表現してもいいだろう。清楚さが漂っている。

 いつものことながら、彼女は何も関心をしめさない。夕陽で照らされている空を見ては空虚な瞳を動かすだけ。
どうして彼女が空虚な雰囲気をまとっているのかはわからない。

 人にはそれぞれ過去があり、人生があり、悩みもある。
人に触れられたくない部分もあるだろう。
それは自分も同じ……誰にでも人に触れられたくない部分がある。

 彼女もそうなのだろうか……。

 自宅に帰っても、「お帰り」を言ってくれる人もいない。
涼には待っていてくれる家族はいない。
家族が他界してから、もう数年も経っている……

 夜の帳が降りてきて、段々と辺りは夕焼けから夕闇に変っていく。
夜空には、光の強い星々が輝き始めた。

 4月の風は、まだ夜になると肌寒い。
しかし、その風が肌に心地良い。

 高台にある公園からは、下に広がっている街並みが見える。
夜を向かえた街並みも、ちらほらと外灯がつきはじめて輝き始めた。

 公園は外灯が少なく、少し薄暗いが、公園全体を外灯が照らし出してくれる。
空の星々と、街の輝きの両方を見ることができる、この公園を気に入っている。

 ……ブランコが小さな音をたてる。

 彼女も、この公園から見える風景に見入っているようだ。

 もちろん2人の間には何もない。
しかし、何回か会っている間に、妙な親近感を感じるようになった。
一緒にいても苦痛ではない……一緒に沈黙でいることが心地良い。

 こんな関係も悪くないと思う。

 夜20時になった。いつも彼女が帰る時間だ。彼女は時間を見るでもなく、ブランコから立ち上がって公園から去っていく。
それまでの間、彼女は涼のことを1度も見ることはない。

 それでも涼は満足だ。

 もう少し、風景を楽しんだ後にアパートの部屋へ帰ろう。
帰っても何もない……あの殺風景な部屋へ。
それでも、あの部屋を涼は自分らしくて気に入っている。

 こんな些細な出会いが、これからの自分達の未来に大きな変化をもたらすとは……この時、彼女も自分も思いもしなかった。
 朝7時のアラームで目を覚ます。ベッドから起きて、目の前を見ると足の踏み場もないほど、段ボールが置かれている。
まだ、引っ越ししてきてから、荷解きをしていない。

 昔から片付けや掃除は苦手だ。

 未成年後見人の三崎さんの家にいれば、不自由はしないだろうけど……これ以上、迷惑をかけるのも申し訳ない。三崎さんは涼の父親の親友で、涼が生まれた時は家が隣同士だった。

 涼が幼稚園の頃に、両親の休みが取れたので、弟も含めて家族旅行に出かけた。
家族全員で高速の旅行バスに乗ってのパックツアーだった。
弟はまだ小さな赤ちゃんで母親に抱かれていたのを覚えている。

 高速道路を走っている車のスピードが速くて、涼は自分がはしゃいでいたことを覚えている。


「パパ― 車って早いねー。 僕もバスの運転手になる!」

「そうか、涼はバスの運転手になるのか!」


 こんな他愛もない会話が父親との最後の言葉になるとは思っていなかった。

 今でも何が起こったのか理解できていない。
急にバスが何か大きな物とぶつかって急ブレーキがかかり、大きくスピーンする。
父親は必死で涼の体を抱きしめて、シートの下に隠した。

 その後にバスはダイナミックに回転し、横転したまま高速道路を滑っていった。

 バスの動きが止まってからも、涼はその場を動けなかった。
両親からの温かい言葉を待っても、両親は涼に話しかけてこない。


「パパ、ママ、何が起こったの? パパ……ママ……」


 不審に思った涼が体を動かして、両親を見ると……

 その時の両親の顔を涼は覚えていない。
ショックで、その時の記憶を失っていると医者はいう。

 そして涼は一瞬の間に両親と弟の家族全員を失った。

 高速道路の分離帯が薄くなっている箇所で、反対車線から一般車が分離帯を超えて飛び込んできたのだ。事故は一瞬の出来事だったという。


「パパもママも誰もいなくなっちゃったのよ……もう会えないの」


 涼はバスに同乗していた大人達に助けられて、警察に保護された。
そして、未成年後見人である三崎さんの家でお世話になることになった。

 年齢が経ていくうちに、段々と三崎さんの家にお世話になっていることが申し訳なく思うようになった。
 三崎さんはいつも『気にするな』と言ってくれていたけど、やはり自分の家と違うのだと思ってしまう。

 高校へ入学してから、三崎さんと奥さんの2人と話し合いを重ねてきた。
そして高校3年生になった春、やっと条件つきで一人暮らしを認めてもらった。

 三崎さん夫婦の出した条件は、高校生の間は同じ街に住むこと。
時々、三崎さんの家に近況報告に行くこと。

 そして、独り暮らしのために借りたアパートの部屋が、この部屋というわけだ。

 シャワールームで顔と体を洗い、歯を磨いて、髪を乾かす。
そしてシャツのブレザーを着て、学校へ行く準備をする。

 このアパートで住み始めてから朝食を食べる習慣はない。

 家に鍵を閉めてロードレーサーに乗って、高台の坂をスピードに乗って降りていく。

 県立青雲高校の校門を潜って、自転車置き場に自転車を置いて、指定された靴箱へ向かう。靴箱で上履きに履き替えて、1階の自分の教室へ向かう。

 始業式が終わり、クラス替えが行われてから、まだ2日しか経っていない。
まだ、はっきりとクラスの皆の顔と名前が一致しない。

 涼の席は窓際の一番後ろ席だ。誰とも話さなくて良い席なので、涼としては安堵している。

……そこへ元気の良い声が聞こえてくる。


「涼、おはよう。今日は朝ごはんをキチンと食べてきた?」


 同じクラスになった三崎楓乃(ミサキカエノ)が元気よく声をかけてくる。
楓乃は三崎さんの一人娘で、涼とは兄妹のように育った仲だ。


「ああ、食べた。サンドイッチをな」


 朝食を食べていないというと、また三崎さん夫婦に報告される可能性がある。
ここははぐらかしておいたほうがいいだろう。


「涼ちゃん、おはようーさん!」


 普段から人に不愛想な涼は、昔から親しい友人を作ろとしない。
だから、お隣の席である天音聖香(アマネセイカ)とも、心の距離を取っているつもりだ。
しかし、聖香はその距離を乗り越えて元気に涼に挨拶をする。


「ああ、おはよう」


 そんなに嬉しそうな顔で、笑顔で挨拶をされたら、返事をするしかない。
涼の顔にも苦笑が浮かぶ。

 楓乃と聖香は仲良く、朝の挨拶を行っている。
涼は自分の席に座って、元気の良い2人を見る。
実に平和な光景だ。

 朝から少し暗い過去を思い出してしまった。気分を入れ替えて授業を受けることとする。
教室を見回すと、涼と同じ窓際の席に座っている……艶々のロングストレートの黒髪が美しい美少女を見つけた。

―――あの公園でいつも会う、ブランコの美少女。思わず視線を奪われる。


「やっぱり涼ちゃんでも、愛理沙(アリサ)ちゃんは気になるんだ?」


 聖香は笑顔で涼の顔を覗き込んでくる。


「少し、似た子と会ったことがあるような気がしただけだよ」

「愛理沙ちゃんはモテるからね。今までもいっぱいの男子がフラれてるんだよ」


 涼の家がある高台の公園にいつも来ているから、家が近いのかなとは思っていたが、まさか同じ高校の同級生だとは思いもしなかった。

 涼は何気なく、窓際の愛理沙を見てしまう。

 愛理沙が一瞬だけ、こちらを振り返った。一瞬だけ涼と目が合うと、少し目を大きくして驚いた顔をするが、すぐに平静な顔に戻り、涼から顔を背けた。
 1限目の授業が終わると楓乃が涼の席まで歩いてきた。


「お父さんが、時には遊びに来なさいって」

「まだ一人暮らしをして1カ月も経ってないぞ。心配しなくてもキチンとしてるよ」


 楓乃は155cmの小柄な体を寄せて、涼の席に迫ってくる。

 楓乃は感情表現が豊かで、喜怒哀楽の感情が豊かだ。
小さい頃から孤立しようとする涼の手を引いて、皆の輪の中へ入れるのは楓乃の役目だ。

 中学ぐらいまで兄妹のように育ってきたので楓乃ことを女性として意識することはなかった。

 しかし、高校生になってから楓乃に女性的な身体的特徴が目立ち始めた。
その頃から、楓乃ことを女性として意識しているわけではないが……少し楓乃が苦手になった。

 ミディアムボブの栗色の髪が良く似合っている。

 今では、少し吊り上がった目尻に、くりっとした二重、感情豊かな瞳が特徴的で、細い鼻筋、きれいな唇の健康的な美少女といえる。

 品行方正で素行も優等生な楓乃は、クラスの男子にも人気が高い。自分でそう自覚していない所が困る。

 あまり近づいて、クラスの皆に誤解されたら楓乃も困るだろう。
だから、もう少し距離を開けてほしい。


「楓乃ちゃんが涼ちゃんの近くにいくなら、私も近くに行く」

「聖香は寄ってくるな。お前とは2日前に顔を合わせたばかりだろう」

「出会いに日数など関係ないのだ。顔を合わせた時からお友達」


 天音聖香(アマネセイカ)とは始業式の後に、同じクラスになり、席替えでたまたま隣の席になっただけで、今まで、顔を合わせたこともなければ、話をしたこともない。

 涼と隣の席の挨拶をして以降、気軽にどんどんと涼に話かけてくる。
非常に人懐っこくて、どこか憎めない性格の持ち主だ。


「涼ちゃんは心に壁を張る癖があるね。私は怖くないよ。困ったことがあったら、いつでも聖香に相談してね。涼ちゃんと聖香は、もう友達なんだから」


 いつの間にか、涼は聖香から友達認定されてしまった。

 聖香は少し垂れた目尻に、色気のある二重、そして好奇心旺盛で活発な瞳が印象的である。きれいな鼻筋にぽってりとした色っぽい唇、茶髪のミディアムふわゆるカールが、可愛さを増加させる。

 やはり、聖香も明るさと、優しい印象から、男子生徒達に人気の高い美少女といえる。


「聖香ちゃん、涼にそんなに近づいてはダメだよ。涼は人が苦手なんだから」

「そんなこと言って、楓乃ちゃんのほうが涼ちゃんの近くにいるじゃん。それってズルいよ」

「私は涼と兄妹みたいにして育ったから、涼も私だけは大丈夫なの」

「だったら、私は涼ちゃんとも楓乃ちゃんとも仲良くする! もっと仲良くなれるね!」


 聖香は楓乃の両手を握って、満面に微笑んでいる。


「そうね。聖香ちゃんは涼の隣の席だから、私も仲良くしないとね。よろしくね」

「私と楓乃ちゃんの仲じゃん。涼ちゃんも含めて、もっと仲良くなろうね」


 この時点で楓乃、聖香の仲良し同盟が結成された。

 できれば避けて通りたいが、1人が幼馴染で、1人が隣の席だから、涼に逃げ場はない。
美少女2人に囲まれて、涼も決して嫌なわけではない。ただ人との心の距離感が近いと苦手意識が出るだけだ。

 涼の席の目の前で嬉しそうに楓乃と聖香が談笑している。


「楽しそうにやってんな」


 少し遠くから声をかけて、歩いてきたのは涼の高校1年生からの友達で長瀬湊(ナガセミナト)。涼の性格を熟知してくれていて、いつも少し距離を保ってくれる、心遣いのできる男だ。

 いつも沈着冷静で、浮足立つことがなく、誰にでも知的な印象を与える好男子だ。女性にも優しくウケが良い。

 楓乃とは涼を通じて、高校1年生の時からの知り合いだ。聖香と湊は高校2年生の時に同じクラスだったという。


「初めての奴は聖香のことを突っ込んでくると思うかもしれないが、それは誤解だよ。聖香は無理強いは絶対にしない。涼が優しいことを見抜いてるんだよ」

「初めて人に優しいなんて言われたな」

「何を言ってるの。いつも涼は優しいよ。もう少し図々しくても良いと私は思う」

「それは楓乃ちゃんの言うとおりかも。すごく涼ちゃんは遠慮するもんね」


 会って、まだ3日しか経っていないのに、既に聖香に性格を見抜かれているのは何故だ。湊が言う通り、聖香はそういう感覚に鋭いのかもしれない。

 湊とは付き合いも長いし、信用がおける男だ。湊が言うのだから間違いないだろう。

 楓乃と聖香は湊に遊んでもらって嬉しそうだ。

 涼はそんな3人を見て、安堵のため息をつくと、窓際の席の前のほうへ視線を向ける。

 そこには愛理沙が座って読書をしていた。艶々のロングストレートの黒髪がすごく似合っている。キリッとした二重、多くて長いまつ毛、冷静で知的な瞳が印象的だ。きれいな鼻筋、大人びた唇、透き通った白い肌が美しさを一段と際立たせる。

 ただ、座って読書しているだけなのに、その美しさに視線を奪われてしまう。
公園で会っていた時は、いつも夕暮れ時から夜だったので、愛理沙がこれほどの美少女とは思わなかった。


「やっぱり涼ちゃんも愛理沙ちゃんのことが気になるんだね。でも彼女に告白してもダメだよ。今まで3年間、彼氏つくらないから。涼ちゃんも諦めたほうが良いよ」

 そんなことを考えてもいなかった。聖香が真剣な顔で愛理沙のことを諭してくる。


「いや……俺は別に……そういうつもりで見ていたわけじゃないぞ」

「じゃあ、どう思って見ていたの?」


 毎日、夕方にアパートの近くの公園で会っているとは言えない。


「確かに愛理沙のことは美少女だと思ってみていた。それだけで、感情的なものはない」


 それは本当のことだ。いつも公園で一緒にいて、無言で一緒に共有している時間は楽しい。しかし、男女の感情があるかと、自分に問いかけても否となる。

 皆に秘密だけど、あの夕暮れの公園で愛理沙と無言で一緒に居られる時間が好きなんだ。
 いつもの夕暮れの時間帯にパーカーを目深に被ってアパートを出て、近く公園まで歩く。

 今日も高台から見る夕陽は大きくてきれいだ。朝の日の出も好きだが、今は夕陽のほうが好きかもしれない。

 自販機でコーヒーを買って、少しの間、手を温める。そしてプルトップを開けて一気にコーヒーを飲み干す。
まだ4月の中旬だ、夜に近づくにつれて外気温が下がってくる。
その少し寒くなってくる間が、心地良い。

 今日は大空一面を雲が覆っていて、星空が見えない。
しかし、夕陽が沈んだ頃には、街の明かりが輝き始めるので、街の風景を見ているだけでも飽きない。

 いつもの時間に……ブランコの鳴る音がする。愛理沙が座って街の風景を眺めている。

 別に何かを話したいわけではない。でも愛理沙に話しかけたい。そう思った。


「―――あのさ……自販機で温かい飲み物を買うからさ……よかったら何か飲まないか?」

「ありがとう。ミルクティをもらえると嬉しい」


 少し小さい愛理沙の声が聞こえる。

 涼はベンチから立ち上がって自販機で自分のコーヒーを買って、愛理沙用にミルクティを買う。そしてブランコに近付いて、少し身を屈めて愛理沙にミルクティを渡す。


「ありがとう」

「声をかけたのは俺だから、気にしないで」


 涼は定位置のベンチに腰をかけて、コーヒーの缶で手を温める。
愛理沙もまだ飲まないでミルクティの缶を持って手を温めている。

 夕陽が沈み、公園の街灯がパチパチと音を鳴らして点灯する。

 街の灯りはきらびやかでとてもきれいだ。愛理沙は街の風景をずっと眺めている。涼はそんな愛理沙の横顔を何気なく見続けていた。


「どうしたの?」

「ああ……まさか同じクラスの女子だと思わなくてさ。もっと年上のお姉さんかと思ってた。すごく落ち着いているからさ」

「褒め言葉だと思っておくわ」


 そう言って、愛理沙は涼のほうへと振りむくと、缶のプルトップを開けて、ミルクティを一口飲む。
涼もつられてプルトップを開けてコーヒーを一口飲む。


「なぜ、あなたはいつも、この公園にいるの?」

「家にいてもつまらないし、窮屈なんだ。解放感が欲しくて、ここに座ってるのかな? よくわからないや」

「私と同じね。家にいることがツライ。全てから解放されたい。だから夜空を、街の風景を見ているのかもしれない」


 涼は一瞬だが愛理沙と自分は似ている部分があるのではないかと考えた。
しかし、人それぞれに事情は違う。愛理沙が涼と似ていると思うのは早計だと感じた。

 そのまま2人で無言のまま、街の夜景を眺める。
ただ無言のまま2人で公園に座っているだけで、少し心が温まる。


「あなたは、私になぜって質問してこないのね」

「人にはそれぞれ事情があるからね。立ち入ってはいけない部分もあるだろうし、詮索はできないよ」

「ありがとう。私は人が怖いから……人に詮索されるのはダメ」

「俺も同じ。人は怖い……人が一定の心の距離まで近づいてくると、逃げたくなる」


 愛理沙は不思議な顔をして、涼の顔をじっと見つめる。
その顔は非のうちどころのない、絶世の美少女。穏やかに涼を見つめ続ける。


「あなたは傷ついている人なのね」

「愛理沙はどうなの?」

「私は傷つけて、傷ついている人」

「愛理沙も傷ついている人なんだね」


 涼は知っていて、愛理沙の「傷つけて」の部分をスルーした。
そして涼も愛理沙を見つめ続ける。


「そうなるのかな?」

「そうだよ。だから人が怖いんだ」

「人を傷つけるのも怖いのよ」

「愛理沙とは違う意味かもしれないけど、俺も人を傷つけるのは怖いよ。できれば触れたくない」


 人を傷つけたら、人を傷つけた記憶が残る。それはとても嫌なことで、心に残して置きたくない。
人を傷つけたら、自分を苦しめることに繋がる。
だから涼は人を傷つけるのも嫌だった。
涼は今の素直な気持ちを愛理沙に伝えた。


「私は生きているだけで、人を傷つける。そのことがツライ。誰も傷つけたくない。誰からも傷つけられたくない」


 愛理沙の言葉にすぐに頷けない。何も知らないのに、簡単に頷いてはいけないように思う。
愛理沙の過去には色々な事情がありそうだ。愛理沙のことを何も知らない涼が頷いてはいけない気がした。


「今の言葉は、聞いたことにしたほうが良い? それとも今の言葉は忘れたほうが良い?」

「聞かなかったことにしてくれると嬉しい。私が本音を言えたのって何年ぶりだろう」


 愛理沙は少し涙を溜めて、涼に向かって嬉しそうに微笑む。
それを見た涼は何も言わずに大きく頷いた。


「これからも俺は愛理沙の言ったことを忘れるよ。全て忘れる。だから、愛理沙が言いたくなったら言えばいい」


「ありがとう……涼……これからは涼って呼んでもいい?」

「いいよ。友達になろう」

「私みたいな厄介者で、運の悪い女を友達に持つと大変よ」

「俺はそうは思わない。愛理沙と友達になれて嬉しいよ」


 愛理沙には色々な事情があるかもしれない。色々と背負っているかもしれない。学生の涼では解決できないかもしれない。

 しかし、黙って話を聞いてあげることはできる。そして忘れてあげることができる。それだけで、少しでも愛理沙が楽になるなら、涼はそれでいいと思った。


「涼、ありがとう。できれば学校では公園のことは内緒にしてね」

「俺もそうのほうが良いと思った。俺はここで愛理沙と2人で夜空と夜景を見るのが大好きなんだ。だから誰にも邪魔されたくない」


 愛理沙は小さい声で「……私も」と呟いたが、涼の耳に届かなかった。


「私、そろそろ家に帰るね」

「俺はもう少し夜景を見て帰るよ」

「涼、ありがとう。また明日ね」


 そう言って、愛理沙は清々しい笑顔で手を振ってブランコを立つ。
愛理沙の胸にはピンクダイヤモンドのネックレスが輝いていた。
 愛理沙と話をした次の日の放課後、授業が終わって勉強道具を鞄に入れていると、隣の席から聖香が体を寄せてきた。


「―――あのさ……今日の放課後なんだけど……涼ちゃん……時間空いてないかな?」

「別に急いで家に帰る用事というのはないが……」

「だったら、放課後に私と……」


 聖香が顔を真っ赤にして、そのまま俯いてしまう。とても恥ずかしそうだ。


「ちょっと待ってよ。聖香だけ涼とどこへ行くつもりなの? それはダメだよ!」


 いきなり近くから声が聞こえてきたので、振り返ると涼の机の近くに、楓乃が腰に手を当てて胸を張って立っていた。


「今日こそは涼には、私の家に来てもらうから、私の両親が涼の後見人をしてるんだから。涼は私の両親に自分の生活を報告する義務があるの」

「そう言って、楓乃ちゃん、涼ちゃんを独り占めするつもりでしょう」

「そ……そんなことしないわよ」


 次は楓乃が顔を赤らめて顔を背ける。


「涼はいつも女子に囲まれて良いな」


 少し遠くから湊が涼の元へ歩いてくる。顔にはニヤニヤ笑いが張り付いている。


「いつも女子にモテてるのは湊のほうじゃないか」


 湊は誰にでも公平に優しい、そして理知的で紳士なため、女子からの人気が高い。

 茶髪のショートヘアーが似合っている。

 奥二重のまぶたに、理知的な瞳が印象的だ。きれいな眉、整った眉、整った唇の色白イケメンで、身長172cm、成績優秀でスポーツ万能のモテ男だ。


「あ……湊ちゃん、私はね……その……涼ちゃんと放課後に遊びに行きたかっただけなの。湊ちゃんからも誘ってくれないかな? 涼ちゃんも私と2人だけだと、たぶん逃げちゃうと思うから……お願い!」

「あ、聖香……ずるい! 涼が放課後に遊びにいくなら、私も一緒にいくから。私を忘れないで」

「放課後に遊びにいく相談か? それなら俺も仲間に入れてくれよ」


 涼よりも大柄な筋肉マッチョがにこにこと笑って涼の席に近付いてくる。

 この陽気な筋肉マッチョは入江陽太(イリエヨウタ)。日々、ジムで筋肉を鍛えることが趣味な脳筋男。

 入江と涼は高校2年生の時からの付き合いだが、性格に裏表がなく、常に陽気で付き合いやすい男子だ。

 身長は長身で大きく180cmある。
茶髪のふわゆるショート、くっきり二重で陽気で活発な大きな瞳が特徴的だ。高い鼻筋に健康的な唇。常に元気もりもりの筋肉マッチョは褐色に日焼けしている。

 陽太の家がスポーツジムを経営しており、陽太は常日頃からスポーツジムのお客様のサポートをしている。そのことから、陽太自身も常日頃から筋肉を鍛えておく必要があるという。


「そうだな、男子3人に女子が2人集まったか。それじゃあカラオケでも行こうか。女子がもう1名増えると丁度3名づつになるんだけどな。誰か誘わないか?」


 陽気な陽太がそんなことを提案する。

 教室の中を見回すと、窓際で机の上を片付けている愛理沙を見つけた。涼はほんの一瞬だけ愛理沙を見て視線を止める。


「やっぱり、涼ちゃんは少しだけ愛理沙ちゃんに興味があるんだね。私、愛理沙ちゃんの友達だから、今から愛理沙ちゃんを誘ってくる……でも愛理沙ちゃん、大人数が苦手だから、断られたらゴメンね」

「あ―――聖香、無理に誘わなくてもいいから。苦手なものに誘うのは良くないよ」

「私も愛理沙ちゃんには沢山の皆と友達になってもらいたいの……ちょっと行ってくる」


 聖香は席から立ち上がると、小走りに愛理沙の元へ行くと、身振り手振りで愛理沙に今の状況を伝えているようだ。一瞬だけ愛理沙が振り向いて涼と目が合ったような気がした。

 聖香が嬉しそうな笑顔で席に戻ってくる。


「愛理沙ちゃん、歌は歌わないけど、それでも良かったら、皆と一緒に行くって。愛理沙ちゃんが皆と一緒に行動するなんて珍しいんだよ。愛理沙ちゃんも人が苦手だから」

「スゲー! 青雲高校NO1美少女とカラオケか。俺の美声を聞かせてやるぜ」

 愛理沙が来ることで、陽太のやる気はグングンと上昇中だ。


「―――良かった……俺も歌が苦手だから。1人だけ見ているのは辛かったから、嬉しいよ」

「え……涼ちゃんって、カラオケ、歌えないの?」

「そうなのよ。涼っていつもカラオケに一緒に行くけど、カラオケを歌ったことないの」

「自分の歌声に自信がないだけだよ」

「涼は全てのことに自信がないからな。自分が甘いマスクをしている自覚もない」


 湊が妙なことを言ってくるが、スルーして無視する。

 しかし湊が言っていることは事実である。
 涼は身長178cmで、黒髪のウルフカットが良く似合っている。
切れ長の涼し気が二重に諦観した瞳が印象的だ。細い鼻筋に薄い唇で、色白で肢体が長い。少し中性的な甘いマスクをしているが、涼はそのことを全く意識したことがない。

 愛理沙が自分の席を立ちあがって鞄を持って、涼の席にへと歩いてきた。


「今日は声をかけてくれてありがとう。雪野愛理沙(ユキノアリサ)と言います。よろしくお願いします」

「は……初めまして、青野涼(アオノリョウ)と言います。よろしくお願いします」


 涼と愛理沙はまだ学校では知り合いになっていない設定になっている。きちんと挨拶をしないと、皆に怪しまれてしまう。涼が緊張した顔をしていると、一瞬だけ愛理沙が微笑んだ。


「自己紹介は後でしようぜ。カラオケに行ってから自己紹介すればいいさ。まずは学校から早く出ようぜ」


 陽太が涼の肩を持ってニッコリと笑う。


「それじゃあ、皆も集まったことだし、行きましょうか!」


 楓乃の声を聞いて、涼も席を立って、皆と一緒に教室を後にし、カラオケボックスへ向かった。
 皆で青雲高校を出て、駅前まで男女6人で歩いていく。

 高台に住んでいる愛理沙はバス通学なので、自転車を持っていない。
青雲高校から家が近い聖香と楓乃も自転車通学していない。だから自転車を持っていない。

 女子達3人は鞄だけを持って、3人並んで楽しそうに歩いている。
男子達は女子達の後ろを自転車を押しながら歩く。


「おい、湊、楓乃と聖香だけでも可愛くてきれいなのに、今日は愛理沙も一緒だぜ。俺達、本当にツイてるよな」

「そうだね。3人もタイプの違う美少女が揃うと気後れするね。今日は俺がホスト役を務めるよ」

「さすが湊だぜ。俺は女子達に美声を聞かせてやるぜ。日々、ジムで鍛えているからな」

「それは歌声じゃなくて、雄叫びだとおもうけど……」


 男子3名は女子の後ろ姿を見ながら、コソコソとそんなことを話している。

 女子達3名の中で聖香のスカートの丈だけが非常に短く、歩いているとヒラヒラして、見えそうで危険だ。
思わず視線を外して愛理沙を見る。

 愛理沙は雪のように白い素肌に艶々のロングストレートの黒髪が良く似合っている。歩き方も1本の板の上を歩いているかのようにきれいで脚が長くて美しい。

 いつも公園で会っている時は、寒さ対策でダボっとした私服を着ているので体のラインを隠しているが、肢体が長くて、モデルのような体型をしている。

 学校でも美少女NO1と言われるだけのことはある。楓乃と聖香も美少女だが、愛理沙のほうが1歩抜きん出ている。

 楓乃とは人当りが良く、人見知りしないのですぐ愛理沙と仲良くなったようだ。
聖香も嬉しそうに微笑んで会話を楽しんでいる。
愛理沙も少し微笑んでいるのが見える。

 愛理沙が人と仲良くしている姿を見ると、なぜか涼は少し嬉しい気持ちになる自分がいる。

 この間の公園での愛理沙の言葉を覚えているからだろうか。
愛理沙には幸せになってほしいと思う。

 駅前のカラオケボックスに着いた6名は自転車を置いて、カラオケボックスの中へと入っていく。
それぞれにカウンターでスマホを見せてクーポンを使用する。湊が店員に部屋番号を聞いて、皆でカラオケの部屋へと入っていく。

 部屋の中に荷物を置いて、それぞれにフリードリンクでドリンクを作る。涼はアイスコーヒーを作って手に持つ。
愛理沙はアイスミルクティだった。他の者もそれぞれにドリンクを手に持って部屋へと戻る。

 モニターから一番近い所に座ったのは陽太だった。その隣に聖香が座る。部屋の受話器に近い場所に湊が座った。
向かいの席に楓乃が座り、隣に涼が座る。そして涼と少し距離を離して愛理沙が座った。


「1番は俺が行かせてもらうぜ」


 コントローラーを持って陽太が曲番号を入力する。


「次は私だよ」


 そのコントローラーを奪って聖香が曲番号を入れて、隣に座っている湊へコントローラーを渡す。


「俺に拒否権はないようだね」


 湊は微笑みながら、コントローラーを受け取って曲番号を入力すると、愛理沙にコントローラーを渡した。
愛理沙はコントローラーを渡されると、何もせずに涼へと渡す。涼はコントローラーを見て苦笑を浮かべる。

 涼は洋楽の歌は良く聞くが、カラオケで歌える曲もなく、歌声にも自信がない。

 そのまま楓乃にコントローラーを渡すと楓乃が不満そうな顔をする。


「涼も歌えばいいのに。英語の歌でもいいじゃん。誰も知らない歌なんだし……間違っても誰もわからないじゃん」

「皆、英語の授業を受けてるじゃないか。発音を間違えたりすると恥ずかしいよ。歌声にも自信ないしさ。俺は見ているだけでも楽しいよ」

「もういい。私が先に歌っちゃうからね」


 楓乃は納得していなかったが、涼への説得を諦めて、コントローラーに曲番号を入れて、陽太の前のテーブルに置く。

 曲が大音量で流れてきた。新しい新曲だろう。涼は誰が歌っているのかもわからない。陽太は立ち上がってノリノリで歌っている。

 陽太の横では嬉しそうに笑顔で聖香が手拍子をうっている。
楓乃もマイクを持たずに体を横に揺らして歌っている。とても楽しそうだ。

 聖香の番になると、聖香は立ち上がって、アイドルの振り付けで踊って歌う。
聖香の歌は歌声、振り付け、表情も完璧で、涼達は多いに盛り上がった。

 涼はドリンクがなくなったので立ち上がって、愛理沙の前を歩く。ちらっと愛理沙のほうを見るとドリンクが空になっている。ドリンクバーに行って、自分の分のコーヒーと愛理沙の分のアイスミルクティを作って、部屋へ戻る。


「ドリンク……ありがとう」

「楽しんでる?」

「皆、楽しそうだなって思って見てる。私は心に穴があるから、皆のように心から楽しめないから羨ましいかな」

「そうだね。純粋に歌を楽しめるって良いことだよね。俺も皆が羨ましいよ」


 愛理沙が少しだけ涼の近くへ座り直す。


「涼…私…いつもの公園に行きたい。皆が羨ましくて辛くなる」

「わかった。じゃあ、少し経ってから2人で抜け出そう。後から皆に謝りの連絡を入れておけば大丈夫だよ」

「……ありがとう」


 皆がカラオケに熱中して、モニターに視線を集中し始めた。
涼は愛理沙と一瞬だけ視線を合わせて、先に部屋を出るように言う。
愛理沙が部屋を出ていってから、少し経ってから椅子の上にお金を2人分置いて、涼も部屋を出る。

 カラオケボックスを出て、自転車を置いている場所へ向かうと愛理沙が微笑んで立っていた。


「ありがとう。幸せ過ぎる空気で圧倒されちゃった。外に出てきて少しホッとしたわ」

「そうだね。外は風もあって気持ちいいね。愛理沙は高台までバスに乗って帰るかい?」

「ううん。涼と2人で歩いて帰る。そのほうが外にずっといられるから。高台に着いたら公園へ行きましょう」

「ああ、そうだね。丁度、夕暮れの時間帯だね。いつも通りに公園でゆっくりしよう」

「そうね。いつもの通りにね」


 愛理沙はふわりと嬉しそうな微笑みを浮かべて涼の隣に並んだ。
夕陽を背にして、2人でゆっくりと高台までの道を歩いていく。