あやかし店主の寄り道カフェへようこそ!

「そもそも人間との別れなんて気にしてたら学校なんて通ってないし、あんなところでカフェなんてしてない」


 坂部くんは手元に残っていたツナマヨクレープを口に含んで、当然とばかりに私に告げる。

 確かにそうだ。

 そもそも人間と関わりさえしなければ、別れだとか気にしなくていいのだから。


「じゃあ、どうして?」


 人間のことが嫌なわけじゃない。別れが嫌なわけじゃない。それなら、どうして坂部くんは人付き合いを拒むのだろう。


「だって、坂部くんは人間の世界に住んでるくらいだし、人間のことが嫌いなわけじゃないんだよね?」

 人間が好きだから人間に混ざって暮らしていると京子さんは言っていたし、きっと人間が嫌なら人間のいないところで暮らすことも可能なのだろう。

 静かに咀嚼を繰り返すだけの坂部くんは、相変わらず何を考えているかわからない瞳でこちらを見ているだけだ。

 何か思っていることがあるのなら、言ってくれればいいのにと思ってしまう。
 一向に何かを話してくれる様子のない坂部くんにしびれを切らして、私は話を続ける。


「嫌じゃないなら、いいじゃん。自分から人を突き放して寂しそうにしてるくらいならさ、何か坂部くんの態度って矛盾してるよね」

「……言いたいことはそれだけか?」


 坂部くんのまゆがピクリと動く。

 私は何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。


「え……?」

「俺のことなんて放っておけばいいだろう。ついこの前まではおまえも俺のことなんて気にも留めてなかったんだから」


 坂部くんは疲れたようにそう言うと、空になったクレープの包み紙をくしゃりと丸める。

 確かに寄り道カフェで働くまでは、私も坂部くんに話しかけるようなことはなかった。


「そうだけど……。でも、私は坂部くんに突き放すような態度を取られるのは嫌。少なくとも深入りするなって言われたとき、私は寂しかったよ。私は坂部くんが何であっても、関わっていきたいって思っているのに」


 思わず言ってから、一気に顔が熱くなる。

 何だか自分がとんでもなく恥ずかしいことを言ってしまったのではないかと思ったから。

 ちらりと坂部くんの様子をうかがうと、驚いたとばかりに目を見開いている。同時に、漆黒の瞳は少し戸惑っているように揺れていた。

 っていうか、固まってないで何か言ってよ。余計に恥ずかしくなるじゃん……。
「……く、クラスのみんなも、坂部くんの事情まで知らなくても、坂部くんのこと気にしてるよ。あまりに坂部くんが周りに壁を作ってるから声をかけづらいだけで、みんな坂部くんってどんな人なんだろうって思ってるから。だから、特に理由がないなら……みんなに歩み寄ってほしいなって思う」


 一気にそこまで捲し立てるように言って「ご、ごちそうさま!」と私は残りのクレープを口に押し込んで席を立つ。

 今にも顔が燃え上がりそうに熱くて、もう限界だ。


 坂部くんは、相変わらずポカンと口を開けて私を見つめたまま固まっている。

 何を考えているのかわからないが、あまりに間抜けに見えるその表情のせいで、せっかくのイケメンが台無しだ。

 私は坂部くんを置いてクレープの模擬店の教室を出たのだった。


 人混みを掻き分けて走って、校舎を飛び出す。

 すぐそばの体育館のそばに立つ時計塔は、もうすぐ明美の出る吹奏楽部の演奏の時間が近いことを知らせていた。


 そうだ。体育館に行かなきゃ……。

 だけどそのとき、体育館裏の方から複数の女子が揉めているような声が聞こえてきた。


「……だから、そういうのが重いって言ってるんです。先輩が何と言おうと無理なものは無理です。もう、私に関わらないでください」

「ちょっと、浜崎(はまざき)さん!」


 今聞こえたのは、日頃から耳にする明美の声だ。

 声のした方を見ると、浜崎さんと呼ばれた子が、明美の手にくしゃりと紙を押し付けてこちらに走ってくる。
「……わっ」


 ぶつかりそうになったのを思わず避けたが、浜崎さんはそれさえ気づいてないのか、そのまま走り去っていく。

 明美は遠目から見てもわかるくらいに、がくりと大きく肩を落とした。明美の隣にいた吹奏楽部の副部長が、励ますように明美の肩を叩いている。

 そのそばには、いつだったか明美を教室まで呼びに来ていた一年生と思われる子が三人、困ったような表情を浮かべて立っていた。


 吹奏楽部の部長になってから、明美は何かと忙しそうにしていた。

 何となく疲れているように見えていたのは、部長の仕事が忙しいからなのだと思っていたけれど、それだけではないということなのだろうか。


「……綾乃?」


 静かにその場を立ち去ろうと明美たちの方に背を向けたとき、私は背後から声をかけられた。

 聞こえたその声に、しまったと思うが手遅れだ。


「あ、ごめん……」


 さっきの現場を見てしまった今、何て声をかけていいか考えあぐねている私を見て、明美は何かを察したのだろう。


「……もしかして、さっきの見てた?」
 と、明美は眉を下げて私に聞いてくる。

「ごめんね。盗み聞きするつもりはなかったんだけど、言い争うような声が聞こえて、気になって……」


 思わず視線を落とした先に見えた明美の手には、さっき浜崎さんと呼ばれた女子が手渡したのであろうしわくちゃの紙がある。

 そこには『退部届け』と何の温かみも感じられない文字が印字されていた。


「夏の大会のあとから部活に出てこなくなっちゃった子がいて、ずっと気にかけてたんだけど、もう辞めるって……」
 私が退部届けのことに気づいたのを見て、明美は手の中のしわくちゃの紙をまっすぐに広げた。

 そこにはボールペンで浜崎若菜と、少し控えめな文字で書かれている。


「……彼女、素晴らしいトロンボーン奏者だったから。部としては彼女に部活に戻ってきてほしくて、やっと話ができると思ったら退部するって……」

 明美は少し疲れたような表情で笑った。そして、少し申し訳なさそうに続ける。


「ごめんね、綾乃まで巻き込んでしまったみたいになって」

「……ううん。私こそ部外者なのに首突っ込んでごめんね。でも、何が嫌だったんだろうね。上手かったんだよね、トロンボーン」

「彼女、一年生だけど、この前引退した三年生を入れても群を抜いて上手かったから、三年生の引退のかかった夏の大会でソロを任されたんだけど、失敗して……。それが重荷になっているみたい」

「そんな……っ」

「これまで人の何倍も頑張ってきた子なのに、勿体ないけどね。彼女が決めたことなら、仕方ないよね」


 さっきまで明美と一緒にいた一年生三人と副部長は、浜崎さんのことを話しているのか、少し神妙そうな面持ちで何かを話し合っているようだった。


「そういうことだから、ごめんね。このあとの演奏、聴きに来てくれるつもりだったんだよね」

「うん」

「よし! じゃあ綾乃にこれ以上カッコ悪いところ見せられないし、頑張らないと!」


 明美はパンパンと両頬を手のひらで叩くと、いつもの明るい笑みを作って見せる。

 今になって、最近の明美は無理して笑ってたのかもしれないと感じた。
「そろそろ時間だから、体育館裏に戻ろうか」

 明美はそう副部長と一年生三人に声をかけると、私に手をふって体育館裏の方に駆けていった。


 時計塔を再び見ると、もう吹奏楽部の演奏が始まるまであと五分を切っていた。

 私も慌てて体育館の中に入り席を確保する。そのとき、体育館の隅の席に、さっき明美に突き付けるように退部届けを出していた浜崎さんが吹奏楽部の演奏が始まるのを待っているように座っていたのに気づいた。


 吹奏楽部の演奏は、素晴らしかった。

 だけど、私の頭の中には明美のことや浜崎さんのことがぐるぐる回って離れなかった。

 *

「あらぁ~、綾乃、元気ないじゃない」

 恋煩い?なんて首をかしげて神妙な面持ちで聞いてくるのは、寄り道カフェの常連客、京子さんだ。

 今は新しい好きな人に絶賛アタック中らしい。


「え? そんなことないですよ」

 顔に出ないように気をつけていたつもりだったが、もしかして顔に出ていたのだろうか。


「ダメダメ、隠しても。におうのよ、元気ないにおいが」

「におう?」


 鼻をスンスンとさせる京子さんは、至極真面目だ。

 日頃は美人な二十代女性にしか見えないが、京子さんの本当の姿はあやかしだ。

 もしかしてあやかしは、そんなに鼻が効くというのだろうか。
「そうよ、だからあたしに隠し事しようとしたってダメなんだからね? 何があったの? ギンにいじめられた?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど」

「店主だからって遠慮しなくていいのよ。もしギンに嫌なことされたなら、あたしがガツンと言ってあげるし」


 いつの間にか、京子さんの中で私の元気がない理由が坂部くんにいじめられたからになっている。

 私の元気がないことはにおいでわかるらしいが、どうやらその理由まではにおわないらしい。


 全く非のない坂部くんにあらぬ誤解がうまれているため、坂部くんの名誉を守るためにも私は口を開いた。


「……実は親友が吹奏楽部の部長をやっているんです。いつも疲れたような顔をしていて、少し気にはなってたんです。それが今日、一年生の部員に、実力はあるのに大会で失敗してしまったことがきっかけで部活に出てこられなくなってしまった人がいて、そのことで悩んでいることがわかって……」


 今日見た、明美と浜崎さんとのやり取りを思い返す。

 京子さんは少し驚いたような表情をした後に、神妙そうな表情を浮かべる。


「そうだったの。お友達のために……。綾乃は優しいのね」

「そんな、全然。親友が悩んでるのに、私は何も力になれなくて、結局気を遣わせてしまっているだけな気がします」

「考えすぎよ。きっと綾乃のお友達も、綾乃の優しい思いに救われているはずよ」

「……だといいんですけど」


 私と明美、逆の立場で考えてみると、京子さんの言う通りなのかもしれない。

 もし私が明美の立場なら、明美を面倒事に巻き込みたくないと思うし、明美が自分のことを心配してくれるのならその気持ちだけで嬉しい。
 それだけなら自分の気持ちの折り合いをつければ良いだけの話だけなのだけど、それができないのはきっと体育館の隅でこっそりと吹奏楽部の演奏を聴く浜崎さんを見てしまったからだ。


「なーに? もしかして、その話、続きがあるんじゃない?」

「え? いや……」

「もう、何勿体ぶってるの。この前助けてもらったんだから、あたしも綾乃の力になりたいのよ」

「ええっ!?」


 やけにしつこく聞いてくると思ったが、そういうことだったのか。どうやら京子さんは、前回のお返しに私の問題を解決したいのだろう。

 さすがにこれは私自身の問題じゃないし、これ以上話してしまうのは気が引けるところがある。


「少し他人に話すだけでも、楽になることもあるんだから! それにあたし、こう見えて口はかたいのよ」


 だけど、得意気にする京子さんの熱意に負けたと言えば聞こえはいいが、私はそんな京子さんの厚意に甘えることにした。



「はい……。実は私、今日、明美……あ、さっき話した吹奏楽部の部長なんですけど、明美が部活に来なくなった一年生から退部届けを渡されているところに遭遇してしまって……」

「あら、そうだったの……」

 京子さんはさっきの話の続きに、あからさまに残念そうな表情を浮かべる。


「でも私、どうしてもその一年生の子……浜崎さんっていうみたいなんですけど、浜崎さんが吹奏楽部をやめたいと思っているだなんて思えないんです」
 そのとき、私の頭にゴンとかたい何かが軽く当てられた。


「痛っ」

「無駄話してないで、仕事しろ。ってか、この程度、痛くも痒くもないだろ」

「……なっ」


 見ると、至ってすました表情で、私の後ろに坂部くんが立っている。

 どうやら私はいつもお客さんにドリンクやケーキを運ぶ際に使う黒色の盆で頭を小突かれたようだ。


「す、すみません……」


 何もお盆で叩くことはないのにと思うが、実際、バイト中に接客の枠を超えた雑談を京子さんとしていたわけで、言い訳はできない。

 いくらこの開店直後の時間帯はいつもお客さんが少なく、今日もまだ京子さんしかいないとはいえ、店主の坂部くんからしたら私がここで立ち話をしているのは好ましくないだろう。

 現に、ミーコさんは外の掃除をしているし、坂部くんときたら次から次へと仕事を用意してくるのだから。


 一方で、京子さんは不服そうに坂部くんをにらんだ。


「ちょっとギン。悩める綾乃に何するのよ」

「そんなの悩んだって仕方ないだろ。外野がギャーギャー言ったところで、本人がやめると決めた以上、どうしようもないんだから。部活なんてやりたい人がやるもんなんだから、やめたいやつはやめればいい」

「坂部くん、酷い! ってか、坂部くんも聞いてたの?」

「聞きたくなくても聞こえたんだよ」


 本当に坂部くんは私たちの話を聞いていたらしい。

 坂部くんたちと関わっていく中で気づいたが、どうやらあやかしは人間よりも聴力が優れているようだ。