私が由梨ちゃんの言葉を肯定と捉えたと解釈したのだろう。由梨ちゃんは確認するようにミーコさんに詰め寄る。
「はい。由梨ちゃんの仰る通り、綾乃さんは人間の高校生です。でも、私たちの正体もあやかしのこともご理解なさっているので、大丈夫ですよ」
私もミーコさんにさんに続いて、少し警戒するように私の顔を見る由梨ちゃんを安心させるように口を開く。
「ミーコさんの本当の姿も、ギンさんの本当の姿も見たことあるから、大丈夫だよ」
私の言葉に少し驚いたように目を開いた由梨ちゃんは、頭に乗った黄色い通学帽を脱ぐ。
すると、瞬く間に頭にはふわふわの三角の焦げ茶色の耳が現れた。
……か、可愛いっ!
あり得ない光景だというのに、寄り道カフェで働きはじめてから私の感覚はどうやら麻痺してしまったらしい。
リアルに人間に動物の耳が生えた姿を見ても、もはや驚くどころか、可愛いと癒されているのだから。
腰から飛び出す上向きの尻尾は、根本は茶色だが全体は白い。
ミーコさんと同じ猫にも似てるが、猫とは少し違うように感じた。
「由梨ちゃんは、何のあやかしなの?」
「違う」
けれど、由梨ちゃんは明らかにあやかしの姿をしているというのに、それを否定した。
「私はあやかしじゃない。けど、人間でもない」
「……え?」
あやかしでもない。だけど、人間でもない。
それなら、由梨ちゃんは一体何だと言うのだろう。
「この中途半端な姿が私の本当の姿だから」
少し寂しげに微笑む由梨ちゃんは、さっき私があやかしのことも理解していると説明されたことで、今のわずかな説明で伝わると思っているのだろう。
けれど、人間でもあやかしでもない。そんな説明を今まで受けたことのない私にとって、それだけでは説明不足だ。
詳しく聞こうにも、由梨ちゃんは今の間に耳と尻尾を引っ込めて、すでにミーコさんに本日のケーキを注文している。
完全に聞くタイミングを逃してしまった。
一人頭上にはてなを浮かべて困惑していたそのとき、京子さんが静かに席を立った。
「綾乃。あたし、そろそろ帰るわね」
「あ、はい……っ!」
京子さんが席を立ってレジの方へ向かったので、由梨ちゃんの対応をしているミーコさんに代わって、私がレジへ向かう。
少なくともミーコさんは由梨ちゃんと仲がいいみたいだし、差し支えなければ、あとでミーコさんに由梨ちゃんの正体──人間でもあやかしでもない──というのはどういうことかを教えてもらうことにしよう。
いつもと同じ金額を打ち出し、京子さんから千円札を一枚受け取る。
「ありがとう」
「あ、京子さん! お釣り……!」
しかし、京子さんは私がお釣りの小銭を取り出している間に、レジに背を向けて早々とお店を出ていってしまったのだ。
常連の京子さんなら、千円札を出してお釣りがあることは知っているはずなのに、一体どうしたというのだろう。
お釣りを忘れてしまうくらい、急いで帰らないといけない用事があるのだろうか。
小銭を片手につかんで慌てて店を出たが、私はそこで自分の足に思わず急ブレーキをかけた。
「京子さん……!」
「はいはい、待ってたわよ」
お店のドアを出たところで、どうやら京子さんは私のことを待ち構えていたようだ。
もしかしなくても、お釣りを受け取らずに出たのは、わざとだったようだ。
「……どうしたんですか?」
こんなこと、初めてだ。
すると、京子さんは人さし指を動かして、私にこっちに来いと合図してくる。
数歩、京子さんの方へ近づくと、京子さんは小声で口を開いた。
「……人間と犬のあやかしの子どもよ」
「……え?」
「ほら、さっきの由梨ちゃんって子。人間でもあやかしでもないって言ってたでしょ? 人間に限りなく近い見た目に、犬の耳と尻尾。彼女、人間と犬のあやかしの間にうまれた子どもよ」
「人間と、犬のあやかし……?」
つまり、人間でもあやかしでもないって言った理由は、由梨ちゃんのご両親があやかし同士ではないからだろうか。
そもそも、人間とあやかしの間の子どもというのも衝撃的だった。
「もしかして京子さん、私が由梨ちゃんの説明を理解できてないのに気づいて……!」
「まぁね。だってギンから人間とあやかしの子について何も説明されてないのは、綾乃を見てたら一目瞭然だったし」
京子さんは得意気に私にウインクして見せる。
「本来、あやかしの子どもは、あやかし同士が結ばれて生まれてくるわ。中には、ミーコちゃんみたいに強い想いを持った動物が、死んだあとにあやかしになることもあるけれど」
驚き戸惑う私に、京子さんは説明を始める。
「あたしみたいに人間の姿で暮らすあやかしの中には、人間と結婚するあやかしも存在するわ。基本的には人間とあやかしの子どもってできないものなのだけど、どういうわけか、ものすごく低い確率で子どもを授かることがあるのよ」
「そうなんですか……? じゃあさっき由梨ちゃんが自分のことをあやかしでもなければ人間でもないって言っていたのは……」
由梨ちゃんの言っていた意味を理解した私の口元に、京子さんの長い人さし指と中指が添えられる。
「違うわ。あやかしでも、人間でもあるってことよ。あやかしと人間の子の場合、ちょうど血が半分ずつになることで、どちらの性質も受け継ぐことになるから区別されてしまうの。一方で、それ以降の子孫ができた場合、あやかしと人間の血の割合の強い方の性質に属することが多いから、その場合は区別されないんだけどね」
「……そうなんですね」
「そう。私やミーコちゃんと違って、由梨ちゃんは本来の姿に戻っていたにも関わらず、人間に近い見た目をしていたでしょう?」
確かにそうだった。
由梨ちゃんはそんな自分の姿を、この不完全な姿が私の本当の姿だと言っていたのだから。
けれど、そこで今まで何となく引っ掛かっていた事柄の正体に気づいた。
「そういえば、坂部くんの元の姿もかなり人間に近い姿をしてますよね……」
坂部くんからは、彼自身は漆黒の狼のあやかしだと聞いている。
だけど、今の京子さんの説明に照らし合わせると、坂部くんの本来の見た目からは、由梨ちゃんと同じように人間の性質も持ち合わせているように感じた。
私の推測に対するこたえを求めるように京子さんの顔を見るけれど、京子さんはこれに関しては無関係と言わんばかりに首を横に振った。
「ギンのことについては、私からは何も教えられないわ。またプライバシーがどうとか言われて怒られちゃうから。気になるなら自分でギンに聞きな」
「えー」
「あたしは確かにおしゃべりだけど、話すなといわれてしまったことは話さないようにしてるつもりよ。じゃあ、そろそろ行くわね。バイバーイ」
膨れる私の頬を指先でツンとつつくと、京子さんは頭上で手を振りながら、今度こそ寄り道カフェをあとにした。
はっきりとしたことは坂部くんに直接聞け、かぁ。
そういえば京子さんと話していたとき、坂部くんは、プライバシーの侵害だと言って話を中断してきたなと思い返す。
あのとき、何を話していたっけ?
確か坂部くんとのことをからかわれて、人間とあやかしの恋を勧められて……。そうだ、坂部くんのご両親がどうとか、京子さんが口に出したときだ、坂部くんが私たちの話を止めたのは。
もしかして坂部くんの両親のどちらかは、人間なのだろうか。
でも、それならどうしてこれまで教えてくれなかったのだろう。
もしかしてあやかしと人間の間にうまれることは、由梨ちゃんも坂部くんもあまり嬉しいことではないのだろうか。
由梨ちゃんもどこかなげやりな言い方だったことを考えると、いくら坂部くんに直接聞きたいという気持ちが出てきたところで、あまり聞いてはいけないことのように感じてためらわれる。
一人ここで考えていても仕方がないし、いつまでも私が京子さんを追いかけていったきり戻らないとなれば、怒られてしまう。
私はここで考えることを一旦やめて、店内に戻ることにしたのだった。
寄り道カフェ店内に戻ると、由梨ちゃんはケーキを食べながら、向かいに座るミーコさんと談笑しているようだった。
本日のケーキは、ショートケーキだ。
一見シンプルなケーキだが、坂部くんの作る生クリームは甘さ加減が絶妙で、とても美味しい。
嬉しそうに食べる由梨ちゃんの姿は年相応で、人間の姿だと普通の小学生の子どもと何ら変わりなく見える。
傍らに立つミーコさんと楽しそうに学校のことを話しているのが少し離れた場所からでもわかった。
本当に由梨ちゃんとミーコさんは仲がいいみたい。
そんな二人のことをレジのところで事務作業をしながら微笑ましく見ていたけれど、そうしているうちに他のお客さんが来て、私もミーコさんも本来の業務に戻る。
一段落したところで窓の外に視線をやると、明るかった外が暗くなってきていることに気づく。
決してものすごく遅い時間帯というわけではないが、十一月になり、一段と日が短くなったということもあるのだろう。
「由梨ちゃん、時間大丈夫?」
ケーキを食べ終えた由梨ちゃんは、オレンジジュースを傍らに、学校の宿題をしているようだった。
由梨ちゃんはあやかしではあるが、小学校にも通っているみたいだし、一般的に見れば小学生だ。あまり遅くなりすぎるのは、よくないだろう。
ノートに走らせていた鉛筆の動きを止めて私を見上げる由梨ちゃんは、明らかに不服そうに口を尖らせる。
「大丈夫だよ。それにまだ宿題終わってないし」
「そうかもしれないけど、外暗くなってきたよ? おうちの人、心配しない?」
「…………」
これは効いたのか、由梨ちゃんは少し困ったようにノートに視線を落とす。
けれど、何を言うでもなく微動だにしなくなってしまった由梨ちゃんに対して、もしかして不味いことを言ってしまったんじゃないかという気持ちにさせられる。
不安になってそばに屈むと、頬を伝ってノートに涙が一粒こぼれ落ちるのが見えた。
「由梨ちゃん……!? ごめんなさい、私、そんなつもりじゃ……っ」
決して泣かせるつもりじゃなかったし、そんな説教臭く言った覚えもない。
そのとき、あたふたとする私の耳に小さく由梨ちゃんの声が届いた。
「…………やだ」
「……え?」
「おうち、帰りたくない」
由梨ちゃんは、シクシクと悲しそうに涙を流しはじめる。
そういえば寄り道カフェに来る前に私とぶつかったとき、由梨ちゃんは泣いていた。
そのときの姿が、今の由梨ちゃんの姿に重なって見えた。
「由梨ちゃん。おうちに帰りたくないって、どうして? お母さんと喧嘩したの?」
由梨ちゃんは私の言葉に首を横に振る。
「喧嘩はしてない、けど……。あそこにはもう、私の居場所なんてないもん」
どういうことだろう?
少なくとも由梨ちゃんにおうちに帰りづらい事情があることはわかったけど……。
どうすればいいのかと考えあぐねていると、厨房の方からミーコさんが出てくるのが見えた。
「あ、ミーコさん」
「どうされましたか?」
ミーコさんは私と由梨ちゃんの状況から、少し驚いたようにこちらに来てくれる。
幸いにも、今さっき出ていったお客さんで、再び店内のお客さんは由梨ちゃんのみになっていた。
「ミーコさん! 今日はミーコさんの家に泊めて!」
こちらに来たミーコさんに、由梨ちゃんはすがるように口を開く。
「え? ええっと。一体、どういうことでしょう」
確かにさっき、おうちには帰りたくないとは言っていたけれど、そこを聞いていなかったミーコさんは突然の由梨ちゃんのお願いによっぽど驚いたのか、猫の三角の耳が頭から飛び出した。
普通の人間なら驚くべきところだが、すっかりあやかしを見慣れてしまったこともあり、今はメルヘンチックなその光景に思わず癒される。
実際、可愛いミーコさんに猫耳って、萌え要素しかない。
心の中で私がそんなことを考えていることなんて全く知る由もないミーコさんは、ミーコさんに飛び付いた由梨ちゃんの頭を困惑した表情で撫でる。
「……最近、お母さんが再婚したの。それで、家に居づらくて……」
「まあ……、そうだったのですね。お母さんには、そのことは話されたのですか?」
「話せるわけないじゃん。前のお父さんと別れてからずっとしんどそうだったお母さんが、やっと幸せになれたのに……」
苦しそうにこたえる由梨ちゃんに、ミーコさんは申し訳なさそうに、先ほどから飛び出したままの三角の白い猫耳を下げる。
本来ならすぐに引っ込めていそうな猫耳がそのままなのは、きっと今は他にお客さんがいないからなのだろう。
「そうですよね、すみません……」
由梨ちゃんはミーコさんの腕の中で、小さく首を横にふる。
「新しいお父さんとは、上手くいかれてないのですか?」
「ううん、仲良しだよ。三年前からよくうちに遊びに来てたし、私もよく遊んでもらってたし」
でも……、とミーコさんから少し身を離し、由梨ちゃんは肩を落として口を開く。
「新しいお父さんは人間なの。前のお父さんも人間だったけど、前のお父さんはお母さんがあやかしだって知ってたから良かった。けど、新しいお父さんはお母さんがあやかしだって知らないの」
「そうでしたか……」
「うん。前のお父さんは元々あやかしのことを知ってる人だったみたいだけど、新しいお父さんはお母さんの職場で知り合った普通の人間だって、お母さんが言ってた」
人間の世界で暮らすあやかしが、人間の前では他の人間と何ら変わりない姿で過ごしているのは、人間を必要以上に脅かさないためだ。
あやかしのことを知らない人間の前でいきなりあやかしの正体を晒したら、それこそ化け物扱いされてしまう。