……←❤︎→……
「アホが。」
課題を書く時の葛藤を真哉に笑い話として休み時間の間に話したら、そう言って呆れられた。
「椅子から落ちただけでバカにアホって言われたくなーい」
割と本気で真哉が呆れていることに傷付き、ムッとして、苦笑しながらそう返した。
それでも真哉の表情は全く変わらず、何故か急に恐くなって、すみません、と小さく謝った。
「椅子から落ちたからアホって言ってるわけじゃないんだよ」
私が謝ったことに少し焦ったらしく、真哉は私の方に体全体を向け、言葉の意図を解き始めた。
彼の注意が完全にこちらを向いている。
「なんでわざわざ一番を思い出そうとしてるの?」
「だってそういう課題じゃん。」
主旨の見えない質問に、私は即答し、首をかしげた。
そんな私を見て、真哉が項垂れるようにため息をついた。
諦められてるようで、なんだか腹が立つし、虚しくなる。
「無理に思い出すとショック起こすかもしれないからやめろって言われてるだろ」
ギリギリ周りには聞こえない声量で、俯いたまま、囁くように言った。
『周りに、自分が思い出せない時期のことを尋ねると、患者さんによっては、パニックを起こす方もおられるので、無理に思い出そうとしたりしないでください。』
真哉の言葉から、白い天井とともに、誰かのそんな話を思い出した。
あれは確か。。。
「でもこういう場合、後遺症は薄れていくこともあるって言ってなかった?」
「それは、ちょっとずつ自然に思い出してくるってことだろ?無理矢理思い出すことが危険なことには変わりない」
そっか、そっちが後遺症だったんだ。
でも、なんでだめなんだろう。
人に話してもらえば、それで徐々に思い出すはずなのに。
その時期の記憶は、そんなにショックを受けるような内容なのだろうか。
もしかして、今までで一番ショックを受けた出来事は、本当にこの期間中にあったのだろうか。
無性に悲しくなってきて、俯き気味に正面に向き直り頬杖をつくと、ちょうど鐘が鳴った。
先生が小走りに教室に入ってくる音がして、誰かが「あー走った」と指摘し、クラスが笑った。
そのまま授業が始まったものの、私は上の空だった。
最初のモヤがかかったような記憶の中の真哉は、正直完全にマイナスな印象。
ぼちぼちと思い出せる言葉も、家族から聞いた話も。
小学一年生から三年生の夏休み直前まで、真哉にいろいろとあだ名で呼ばれて苦しんだ時期があった。
いじめってほど酷くはなかったけど、割とストレスを感じていたらしく、夜中に泣きながら起きたりすることがあったらしい。
それが原因で、私が真哉を彼氏として紹介したとき、お父さんはいきなり真哉の胸ぐらに掴みかかって、「貴様!またうちの娘を泣かせるつもりか!」と怒鳴った。
お母さんと私で止めなかったら、ビンタまでしそうな勢いだった。
「もう泣かせない」という約束でその場は収まったけど、あれがトラウマになって真哉は約束を守ろうと必死になってる。
たとえ、私への「好き」って気持ちが薄れても。
『貴様!またうちの娘を泣かせるつもりか!』
横から見たお父さんの顔は、これまで見たことないほど怒りに満ちていた。
初めて浮き出た状態の血管を見た。
間近で真正面から見たらと想像するだけで身震いがする。
そんな思いをさせてしまったからこそ、私が真哉の負担になっちゃだめなのに。
「山渕さん?」
そんな回想をしていたら、突然、誰かに名前を呼ばれた。
黒板のほうを見ると、永原さんが教壇に立ち、碧岩くんが黒板に向かってチョークを持っていた。
黒板には、白い文字で『文化祭』という字と共に色々な案が書き出されていた。
「主役の二人、御波くんと一緒にやってくれる?」
え?
もう一度黒板をよく見ると、某人気ドラマの再現という案が丸で囲ってある。
台本のアレンジとか、ドラマからセリフ拾ったりって、大変そう。
というかこのドラマ、一時間で再現できるの?
サイドストーリーはどうするの?
色々と疑問は浮かんだけど、話し合いを聞いていなかったなんてうっかりバラすわけには行かないので、言わないでおいた。
代わりに、真哉のほうを見た。
「どうする?」
寝ているのか起きているのかよくわからない感じの状態の真哉に問いかけてみた。
ダラッとしていた割にはしっかり話を聞いていたらしく、すぐに「別にいいけど」と答えた。
「じゃあ私もオッケーで。」
「じゃあ、主役は御波くんと山渕さん。」
永原さんが碧岩くんにそう言って、碧岩くんが黒板に書く。
男子から野次が飛ぶ。
真哉は、興味無さげに居眠りの体勢に戻り、私も自分の思考の中へと戻った。
本当に付き合ってる二人が劇の恋人役を演じる。
中学、高校の演劇なら、普通のことだろう。
仲睦まじい、羨ましいほどお似合いのカップルが周りに推され、恥ずかしがりながら引き受ける。
それに比べて。。。
つまらそうに『別にいいけど』。
去年とか一昨年とかならお互い照れてたのかな。
永原さん、本当は真哉に断ってほしかったって思ったりしてたのかな。
この役を二人でできるってこと、実はすごい嬉しいってこと言ったら、もっと真哉の首絞めることになるのかな。
ふと気がつくと役決めは終わっていて、話は準備の班分けに移っていた。
黒板はまだ半分ほどしか消されておらず、消された側には『衣装』『台本』『セット』など、各班の名前が並んでいた。
そういえば、真哉の役には婚約者がいる。
その役は誰になったんだろう。
黒板の、まだ消されていない側を見ると、役名のところに婚約者の名前と、その下に役者の名前があった。
真哉の役の婚約者は、永原さんの役だった。
「さぁ、始めよっか。」
次の日の放課後から、台本班は始動した。
一番最初に仕上げないといけないってことで、一番早く準備を始めることになった。
それも、十数話あるドラマを一時間に収めないといけないからなるべく早く、ってことで、五、六ヶ月前から。
「各回の最後のシーンは必要だよね。一番視聴者の気を引くようになってるから。」
「友達のサイドストーリー的なところは入れなくていいよね?メインの六人しかまだ役決めてないから、茶道の女の子の役もまだ決まってないし。」
「じゃあ弟のサイドストーリーもいらないよね。」
「雨のシーンってどうする?あそこめっちゃ大事だけど再現するの大変だよね。」
最初の一週間は必要なシーンやイベントを書き出して、二週間目から元の台本を頼りに文化祭用のを作ることになった。
だから、今日は大事だと思うシーンを書き出す作業。
どこをどう削るかは明日、明後日以降の作業。
私は元々こういう作業が好きだし、大好きなドラマの再現の台本に関わりたいと思ってこの班に立候補したけど、真哉は適当にこの班に放り込まれた。
それ故、真哉は話し合いが始まってからずっと寝てる。
自分が主演であることの自覚がないのか、興味がないのか。
とにかく、私とは真逆の態度だった。
後で、サボっても良かったんじゃない?っておちょくってやろう。
そんなことを思っていた矢先、とんでもない事に気づいた。
真哉と永原さんの役には、キスシーンがある。
さらに言えば、私と、真哉の役の友達のもあるし、私と真哉のもある。
しかもストーリー上一番必要ないのは主役二人のキス。
真哉以外の人とキスなんてしたくない。
真哉とももう何ヶ月かしてないのに。
ましてや真哉が永原さんとなんて。
「ねぇ、キスシーンのところってどうするの?二、三個あるでしょ?」
そう思っていたら、無意識のうちに訊いていた。
私のその必死の疑問を聞いて数人があっ、という顔になり、ほか数人も唸った。
「そっか、主役二人以外もあるんだっけ。」
「じゃあハグで置き換えちゃう?」
その提案を聞いて胸を撫で下ろしたのも束の間、次の指摘は私が恐れていたものだった。
「でも婚約者とのあのキスって結構重要じゃなかった?」
そう。
あのキスは、彼女側が諦めようと一度決心したことに直接繋がってる。
切ったり置き換えたりすると不自然になる。
私のわがままだけで外せるシーンじゃない。
「重要だけど、、ねぇ?」
一緒に台本係に立候補した友達何人かが私をチラッと見て、目を逸らした。
他何人かはその様子を見て唸っていて、あとはぼけーっとしている。
寝ている真哉のことは誰も見ていない。
「本人達に聞いたほうがいいでしょ」
不機嫌だとか不貞腐れてるとか思われたくないのに、言い方がどうしてもそう聞こえてしまう。
実際あまりいい気はしないし、指摘しておいて本人達に聞けなんて、露骨にも程がある。
それに「本人達」、片方部活でいないし、片方寝てるし。
なんだか微妙になってしまった空気に責任を感じ始めた時、碧岩くんが「あのさ」と声を上げた。
「観客からはキスしてるように見えるように立ち位置を工夫すればいいんじゃない?」
前のめりにサラッと言ったその一言で、真哉以外の台本係は全員、あっ、という顔になった。
それなら確かにシーンを置き換える必要はない。
「じゃあそうしよう。」
碧岩くんの隣に座っている子がそう宣言するように言い、周りもみんな頷いた。
そして、話し合いは元の、大事なシーンを書き出す作業に戻った。
真哉の方を見ると、こちらに顔を向けて前と変わらない体勢で寝続けていた。
今の会話、聞いていたらなんて言ってたかな。
私達のそのシーンの話に対してはいつも通りでも、永原さんと、って話には目が泳ぐんだろうな。
苛立ちのような、悲しみのようなものを感じながら真哉を見つめた。
いつも通りの愛おしい寝顔が、一瞬だけ憎く見えた。
……←❤︎→……
「へぇーそう」
キスシーンをどうするかの話し合いのことを真哉に話すと、そんな返事が返ってきた。
「呑気め」
まだ靴紐を結んでいる途中だった私は、下を向いたまま真哉に嫌味を込めてそう言った。
私の焦りが馬鹿馬鹿しく感じられるほど、真哉の反応は無に近かいことが不満だった。
そんな不満を汲み取らなかったらしく、真哉は軽く声を上げて笑った。