私はなんでもいい――。
それが私の口癖だった。
なんにもない、私の口癖。
人生こんなものだと思っていた。
特に変わった事なんかなく、ずっと青春しないんじゃないかと思っていた。
あの人に出会うまでは――。
「何でも良くないよ。だってお前の頭の中すげぇ快適なんだもんな」
頭の中に柔らかい男の子の声がする。
透き通り、まるで声優の声のようだ。
「聞こえてねぇふりするなよ」
まただ。
私は心を落ち着けるために、大好きなマンガの王子様を呼び出す。
つるぎを振り回し、声の主を倒そうとした。
「うわ、なんか変な刀振り回してるやついるんだけど」
私にだけ聞こえる冷静な声が響いた。
3月10日。
彼と出会ったこの日を一生忘れる事はなかった。
あの日からあいつが頭の中で暴れ回っている。
「ねぇねぇ、今から海行こーよ」
「喉乾いた気がするー」
「あ、俺の前で刀振り回したヤツの事考えているな」
うるさい。
そう考えても文句を言われ、わけの分からない事を言い出すし、早くどこかに行って欲しい。
授業中でも容赦なく私に話しかけてくる。
そもそも誰なんだろう。
いつからか、何も気にせずにあの人の事を放っている。
「・・・・・・で、あんた、名前なんて言うの?」
初めて私から話しかけてみた。
「怜」
「・・・・・・ふーん。 怜、なんで私の頭の中にいるの?」
ふと気になってそんな事を聞いてみる。
「・・・・・・さあな。 俺もなんか分かんねぇ」
私の方があんたの事分かんないんですけど。
「そんな事よりさ、俺、さくら幼稚園っていう幼稚園に行きたいんだ」
「は?」
唐突な発言に、私は戸惑う。
さくら幼稚園の事は私も知っている。
私も通っていた少し古い幼稚園だ。
遊具もサビかかっていて、教室の雰囲気も、何年も使っているような事が一瞬にして分かる。
だけど、先生達は明るくてよく遊んでくれたりしていた。
私だってたまには遊びに行ってもいいなと思う。
しかし、なんで怜が知っているんだろうと、不思議に思った。
「なんで?」
全然良かった。
でも、幼稚園なんかに何の用だろう。
「俺久しぶりにあの先生に会いてぇんだよ」
「え、怜ってあそこの幼稚園出身?」
そうだよ、と嬉しそうな笑みを浮かべる怜は、私の頭の中で踊り回る。
はぁ〜と私もため息をつく。
枕に本を何冊か放って、私自身もベッドに放り投げる。
ホントに怜は分からない・・・。
いきなり現れては私の頭の中に住み着いて、
いきなり幼稚園に行きたいなんて言い出して・・・・・・。
私だってテストとか授業があるのに・・・。
なんにも考えてなさそうな怜を見ているととてもイライラする。
本の中身も全く頭に入ってこない。
本をもう一度閉じて、ベッドの上をゴロゴロした。
「なぁ、明後日の朝イチに行くぞ」
「え!? 早すぎじゃない?」
「早くねぇよ。 俺はお前が起きてくれれば俺も起きられるんだからな」
変な理屈をこねてくる。
という事は、怜は私が起きれば怜も目が覚める。
私が何かを食べれば怜も何かを食べたという事になるのだろうか。
私はこれまでいくつもの疑問を怜に対して持っていた。
だけど、怜の方だって私に対しての疑問は少しくらい持っているはずだ。しかし、何も聞かないという事は怜は私の事を全て分かっている。
そういう説も出てくる。色々と考えるせいで頭痛がしてきた。
ダメだ。
もう考えないようにしよう。
私は眠気と戦う怜の事を思い、早めに寝る事にする。
シンプルなパイプベッドに無地の掛け布団。女の子の要素が1つもない。スチールのデスクと本棚を眺めていた怜は退屈そうに私に言った。
「お前の部屋ってなんか変。 ホントに女子かって感じ」
「う」
声にならない私の声が部屋に響く。
ちゃんとした女子だし。私だって彼氏に「そういう他の子と違って左右されないとこいいと思う」って言われたんだし。
それって褒め言葉なのか分からないが。
「なあ」
「はい!?」
いきなりの会話2にびっくりし、飛び跳ねて返事をしてしまった。
「それ、褒め言葉じゃねーだろ」
どうやら聞こえていたみたいだ。
褒め言葉ではないが、私は彼のハルトが初めて話しかけてくれた言葉だから、私はその言葉が大好きだ。
優しくない、彼の愛しい言葉が。
「褒め言葉じゃなくても好きなんだし」
「李依の彼氏か? なんだっけ・・・・・・ナツト?」
「・・・・・・ナツトじゃないし。 ハルトだし」
「なんでもいいだろ」
つい反撃したくなる。
ハルトの事を馬鹿にされるのは慣れていた。親友と言える仲の百香はハルトの元カノで、ハルトの悪い所を沢山知っている。
それは時に、私が嫉妬をする材料でもある。
百香は知っているハルトでも、私は知らないハルトがいる。二人が別れた後でも、百香達はよく遊んでいた。
今では私という彼女がいるからか、二人は挨拶程度になった。
しかし、本当は二人で出掛けたいなどと思ったことがあるのだろうか・・・・・・。
「お前なぁ・・・・・・そのハルトってやつ、ホントにお前の事好きなのか?」
私も不安になっている。
優しいハルトの事だ。本当は百香が好きでも、私が悲しむからというような理由で別れない、そういう事も有り得る。
私は唇をひと舐めして、答えた。
「ハルトは私の事好きだよ」
「自信ないくせに言うなよ」
いつもよりマイナス5度冷たい瞳が私の心を突き刺した。
〝自信ないくせに言うなよ〟
そんなの、私が1番分かってるし・・・。
「あら、李依起きるの早いじゃない」
リビングに向かう途中お母さんに声をかけられた。
「ハハ・・・・・・まあね」
そりゃあ朝早くから頭の中で人に叫ばれたら誰でも起きるよね・・・。
「あ、姉ちゃん、百香姉さんもう来てるよ」
「え、もう!?」
びっくりして玄関のドアを見ると、隙間からお団子頭がはみ出している。
私はさっき降りてきた階段をかけ登って、部屋に戻った。
寝癖が付いている髪を手ぐしと百均で買ったスプレーでストレートに直す。
ピョンピョン跳ねている髪を見て、怜が爆笑した。
「ブハッ! なんだよその髪型!」
腹部を抑えながら笑っている。
突っ込まないで欲しかった部分なので、さすがの私も目元が潤んだ。
無表情を作り、ヘアピンを手に取る。
前髪をとめる。
このヘアピンは、ハルトがクリスマスに買ってくれたお気に入りだ。
このヘアピンを付けて学校に行くと、ハルトは微笑んで頭を撫でてくれる事を私は知っている。
付けないで学校に行くと、頬を膨らませ、朝の内は拗ねる事も私は知っている。
「・・・・・・やっぱり、付けないで学校行こ」
ヘアピンを外し、アクセサリーケースにしまった。
「ほほー。 それでハルトを拗ねさせようとしてんの?お前性格悪っ」
ぐっ・・・・・・。
確かに拗ねさせようとしているのは事実かもしれない。
いや、事実だ。
しかし、怜のような毒舌野郎に言われると、ムッとしてしまう。
適当にノートと教科書、ペンケースを入れ、スクールバッグを掴んだ。
靴のかかとを踏みながら玄関を出ると、そこにはムスッとした百香の顔があった。10分も待たされたら怒るだろう。
「ちょっと、遅い。 あたしどんだけ待ったと思ってんのよ」
「ごめんごめん! ちょっと考え事してて・・・」
「・・・・・・もしかして、ハルトとなんかあったの?」
「あ、ううん! ハルトじゃなくて、怜の・・・・・・」
「怜? 誰それ」
「あっ! いや、何でもない!」
怪訝そうな顔をこちらに向けて、早足で歩き出した。
私も慌てて百香の隣に並ぶ。
危なかった・・・・・・。危うく怜の名前を口に出してしまい、自分自身に大きなダメージを与える。
怜はニヤけながら私を見ている。
「ふ〜ん。こいつが百香か。ハッ、もうちょっとでハルトってやつに会えるんだな」
会えて嬉しいのかは言わないけど、会ってみたいというのは本当だろう。
ハルトは男子でも惚れるようなイケメンだ。
プラス優男だし、強がりな所が可愛い。
ハルトが告白してきた時は、人生で1番びっくりした。
『あのさ、俺、成瀬さんの事好きだから付き合って欲しい』
あっさりと告白し、私をビビらせる程の圧力。
私では抵抗出来ないくらいだった。
『・・・・・・い、いよ』
考える前に口に出ていた。
『でも・・・・・・なんで私・・・・・・なの?』
その質問をした時、赤面をして、手で顔を覆った。
『・・・・・・可愛かったから』
そのハルトの言葉が、いつまでも忘れられなかった・・・。
「・・・・・・走って行こ」
私はそのまま百香の手を引っ張って、学校に走った。
・・・・・・ハルトに、‘ 好き ’って言ってもらうために・・・・・・。
「あ!おはよ、百香、李依!」
はしっこの席で男子達とワイワイ喋っていたハルトが、私達が教室に入った事に気づき、遠くから声をかけた。
「おー、おはようハルトー」
「・・・・・・おはよう、ハルト」
ハルトが私より先に百香の名前を呼んだ事が気に入らなかった。
それに、私が挨拶する前に百香がハルトに挨拶した事も気に入らない・・・。
まるで、百香&ハルトのカップルじゃん・・・。
もともと私より百香の方がハルトには合ってるし、ハルトだって百香をフったんじゃなくて百香にフラれたわけだから、まだ諦めがつかない事くらい分かる。
でも、今の彼女は私なんだけどな・・・。
「・・・・・・俺アイツら嫌いだわ」
え・・・・・・?
えぇっと・・・・・・え!?
怜に好きになってもらいたかったのに。
「おい、ハルトってやつ、ほんとに李依の彼氏なんだよな・・・・・・」
百香達に私が1人で喋っているなんて行動見せられないので、静かに頷いた。
「・・・・・・きも」
さらに、え!?
確かに、そうかもしれない。
怜は正直だ。
いや、それでも、きもは失礼じゃない!?
私は怜を無視して席に着いた。
「李依、明日空いてる? 百香と俺と李依で映画行きたいなって話になってさ」
・・・・・・なんだ。百香も誘ってるの・・・・・・。
「明日は・・・・・・空いてない」
「そっか。オッケー、百香にも言っとくわ」
案外あっさりと戻ろうとするハルトを呼び止めて聞いた。
「じゃあ、2人で行くの?」
「うん。 ・・・・・・あれ、もしかして嫉妬してる?」
「してないっ!!」
咄嗟に出た大声で、何人かがこちらに視線を移す。
ハルトは、ふぅんと言ってから、廊下にいる百香のもとに走っていった。
きっと、私が空いていない事を伝えに行くだけの事だろう。
でも、私より仲良くてお似合いなのは気のせい?
うん、きっとそうだ。
それに、私だって怜と幼稚園に行くっていう予定があるし・・・・・・。
普通に考えると、何それっていう予定なんだけど。
「そう落ち込むなよ。俺が一緒にいてあげるからさ」
「別に落ち込んでなんかないですけど」
自分でもかなり落胆している事が分かるのに何言ってんだか。
恥ずかしくなってくる。
委員会で遅くなり、荷物を取りに教室に戻った時の事だった。
「やっだー!やめてよね、ハルト!」
‘ ハルト ’
一瞬胸がドキリと高鳴った。
それは、百香の声のものだった。
ハルトと教室にいるのだろう。
まさか、浮気!?
こっそりとドアの後ろに隠れて2人を見ていた。
「俺たちの事、李依には内緒にしような」
・・・・・・嘘だ・・・・・・。
私の眉毛が、ピクリと上下に動くのが分かった。
何かのドッキリとかじゃないの?
何かで私を驚かそうとしているだけ?
「もちろんでしょ、あたし達の関係の事、李依になんか言えないよ」
百香は、唇に人差し指を当てて、内緒だよ、とまで言った。
嘘だ・・・・・・。そんなの、絶対に嘘よ。
なんなの?百香まで私を裏切るの?
親友なんじゃなかったの?
4ヶ月前、もうハルトなんか興味ないって言ってたよね?
どうしてなの・・・・・・。
目眩がして、ヘナヘナとドアにもたれながら床に座り込んだ。
【李依一緒に帰ろうぜ!委員会遅くなるなら、教室で待ってるから】
床に手をついたままで、教室で百香と一緒にいるハルトから連絡が来た。
何よ・・・・・・。
ずっと百香とイチャイチャしてたクセに・・・。
【じゃあ、教室で待っておいて】
ああいう場面を見てしまっても、やっぱりまだハルトと一緒に帰りたい。
そう思ってしまう私はバカなんだろうか。
「あ、俺この後教室残るわ」
「おっけー。じゃあまた明日!」
百香はスクールバッグを持って、教室を出ようとした。
まずい!バレる!
私は足音を立てないように、近くのトイレまで駆け抜けた。
急いで鍵を閉めて、はぁーっと大きなため息をつく。
まだ浮気なのかは分からない。
だって、ちゃんと映画にも誘ってくれたし、一緒に帰ろうとも言ってくれた。
「お前、単純な上に冷静なとこなんもねーな」
怜が呟く。
なんと失礼な。私だって冷静に考えられる事くらいあるし。
「おい、早く帰るぞ。ハルト待ってんだろ」
怜はハルトの味方なのか私の味方なのか、ちっとも分からない。
「・・・・・・分かったよ」
渋々頷いて、トイレを出た。
少し構えて、教室に入る。
「おう、遅かったな。 李依待つの、何分待ったと思ってんの〜?」
気分がいいのか、ハルトは私の腕に自分の腕を絡めた。
一瞬ビクッとしたが、なるべく嫌そうな顔を見せないように、私も微笑んで、その手を解く。
バッグを肩に掛け、教室を出て鍵を職員室に返す。
そんな当たり前の事なのに、ものすごく重く感じてしまう。
靴を履き替えて、校門を出た。
ああ、手汗がすごい・・・。
チラリとハルトを見ると、いつもと変わらない穏やかな瞳に、戸惑いも迷いもない清々しい顔。
やっぱりまだ好きだ。
「ねぇ、さっきから黙り込んでるけどなんかあった?悩みなら聞くけど」
いや、あんたの事で悩んでるんですけど。
「ううん。なんでもない、よ」
そして、また無言の空間。
こちらとしては、とても空気が重い。
でも、せっかく聞ける場面なのだ。
「ねぇ・・・・・・ハルトは、私のどこ、が、好きなの?」
思い切りの質問。
ハルトは、ちゃんと答えてくれるのだろうか。
「俺は李依の全部好きだよ」
ハルトはさらっと口にした。
心臓が、ドクドクと大きな音を立てる。ハルトに聞こえてないだろうか・・・。
ていうか、あの状態では百香の方が好きだったんじゃないの?
もう・・・わかんない・・・。
「じゃあな、また明日!」
気がつくと、私の家の前まで来ていた。ハルトは、いつも私の家まで送ってくれるので、今日はここまでだ。
「うん、ありがと。またね」
ドアを開け、ハルトと目を逸らして言った。
中に入り、数秒間深呼吸する。
今日のハルトは、百香といる時以外普通で、私と帰る時も普通に接してくれていた。
やっぱり、百香の件はまだモヤモヤするけど。
「ふはーっ、やっと家帰ってきたー」
怜だ。
怜の家じゃないっつーの。
頭の中の怜と同じ体制をとる。
そのままベッドにダイブすると、ベッドが軋んだ苦い音が鳴る。
「なんかすっげー久しぶりの学校だったわ」
「・・・・・・ねぇ、怜って何者?生きてるの?」
寝転がって天井を見上げたまま聞いた。
「今更かよ。うーん・・・・・・生きてるっつーか・・・・・・俺も分かんねーや」
「学校は行ってるの?」
「いや・・・・・・分からん」
「全部分からないんじゃん」
冷静に突っ込んでみた。
ほら、私だって冷静になって言葉にするくらい出来るのよ。
まだ私の事、少ししか知らないような人に言われたくない。
「全部聞こえてるんだけど」
今度は、私よりもっと冷静で無神経な声が返ってきた。
こうやって私が考える事全て怜に分かってしまうのは、なんというか、めんどくさい。
こんなのじゃ、私に秘密があるとして、それを隠し続けても、最低怜にはバレるってことか。
なんか、嫌な感じだ。
「んじゃあ、明日のために早く寝ようぜ」
怜が張り切った声を出した。
結局、ヘアピンの事は、ハルトに気づいて貰えなかった。