煌めく青春を取り戻す、君と───

───ヒロ君は30分程、遅れて来た。

ヒロ君が来る少し前から夕立のような雨が降り出し、傘を差しても身体が濡れていた。

「良かったら、シャワー使います?濡れたままだと風邪をひいちゃうので……」

私はタオルを渡し、ヒロ君にシャワーを浴びるように言ったが、着替えがないからと断られた。それもそうだよなぁ……。

洋服はレディースサイズしか持ってはいない。ヒロ君が着れる洋服は何かないかな?

……乾燥機で服が乾くまでの間、着れるもの…と言えば……ヒロ君が風邪を引かないようにと必死で考える。

あ、アレだ。恥ずかしいけれど、アレしかない。アレならば男女兼用だから大丈夫だよね?

「こ、高校のジャージで申し訳ないんですけど……、男女兼用だから乾くまでの間、着てて下さい!」

ヒロ君をリビングで待たせたまま、クローゼットから取り出したのは高校時代のジャージだった。ジャージとはゆえ、チャック付きのトレーニングウェアに近いので、原稿に集中している引きこもり中は着ていたりする。着てるけれど、キチンと洗ってあるから大丈夫、……だとは思う。

高校時代は様々な出来事があったけれど、ジャージに罪は無いので捨てられなかった。投稿漫画もジャージを着て描いたりしていたので、愛着もある。
高校のジャージなんかを取り出してきて恥ずかしいけれど、ヒロ君が風邪を引くよりはマシだ。

ジャージを差し出した時に驚きでヒロ君の瞳が真ん丸になったけれど、それは私がジャージを用意した事に驚いた訳ではなかった。

「有難う、カナミちゃん。有難く使わせて頂きます!」

「すみません、こんなものしかなくて…」

ヒロ君は笑顔でジャージを受け取ってくれた。

私は高校時代、ぽっちゃりしていたので男女兼用のLサイズを着ていた。ヒロ君は細身だけれど、身長があるからLサイズで丁度良いかもしれない。

「実は俺もこのジャージを着てたよ」

「そうなんですね……」

ヒロ君がこのジャージを着ていた?

……と言う事は同じ高校出身みたいだ。偶然ってあるもんだ。ヒロ君はジャージを見ては懐かしんでいた。私は『そうなんですね……』に続く言葉が見つけられずにいる。

同じ高校出身と言う事はとても嬉しくて喜ばしい事なのだが、途中で逃げ出した私は素直に喜べなかった。

卒業していれば、高校の話題で盛り上がったかもしれない。私は卒業まで辿りつけなかった為、墓穴を掘ってしまう可能性があるので話題を拡げられなかった。

通信制の高校からの手紙でヒロ君は薄々は気付いているかもしれないが、素性がバレてしまうまで時間の問題だ。
高校の事には触れずに、ヒロ君に再びシャワーを浴びる事を勧める。シャワーを浴びたヒロ君の洋服をお急ぎモードで洗濯し、乾燥機にかけた。

対馬さんや福島さんも泊まり込みで手伝ってくれる時に浴室を使う為、自分なりに綺麗に掃除しておいたつもりだから貸す事には躊躇いはなかった。

「カナミちゃん、お言葉に甘えてシャワーを借りちゃってごめんね」

私のお気に入りのシャンプーとボディーソープに包まれたヒロ君からは、とても良い香りがしている。

「引越しした時に処分してしまったけれど、うちの高校のジャージはデザインも良いし、着やすかったよね。懐かしいなぁ……」

高校のジャージを着ているヒロ君はとても新鮮。時計の針がヒロ君の高校時代に戻ったみたいで嬉しかった。同じ出身校とは言い切れないのが寂しいけれど、高校時代を一緒に過ごしている様な感覚に陥っている。

「私もこのジャージは着やすくて、捨てられないんです……」

ジャージ姿のヒロ君もカッコイイ。こんなにカッコイイんだもん、高校時代もモテモテだったんだろうなぁ。

ヒロ君はきっと、男女共にモテモテで誰からも好かれていたのだと想像する。それに比べて私は……、嫌われていたから素性は晒せない。

ヒロ君のジャージ姿を見て浮かれていても、余計な事は何も言えないのだ。先生の話とか、してみたい話は沢山ある。……けれども、墓穴を掘らない為にも自分からは何も言わないのが得策である。
もしも、茜ちゃんが高校に居てくれて、琴音ちゃん達とも仲違いしなければ、無事に卒業まで辿り着けただろうか?

ヒロ君と出会った時から少しずつ思い出している、高校時代の事。思い出しても、あれ以来は過呼吸にはならない。

茜ちゃんの居ないあの場所で私は一人で戦えなかった。"学校に行きたくない"───一度そう思ったら、引き返すのは難しくて逃げ出した。

その後、漫画家になったのだけれども、……漫画家になれなかったとしたら、どんな人生を歩んでいたのだろうか?

「今日は何も買い物して来れなかったんだ。材料はありそうかな?雨も上がったし、なければ買ってくるよ、ジャージだけどね」

と言って、ヒロ君は笑った。

締切後から買い物も行ってない。冷蔵庫は空っぽに近い……。

ヒロ君はいつも買い物をしてから来てくれる事がほとんどで、どうしても欲しい物はメッセージで送信している。今日は欲しい物メッセージもせず、空っぽだとも伝えてなかった。

冷蔵庫の中身を見たヒロ君は何もなさすぎて、黙り。しばし考えた後に

「……カナミちゃん、良かったらなんだけど、一緒に買い物行く?必要な物の買い出しもあるでしょ?荷物持ちするから」

と言われた。突然のお誘いに心の準備が出来ずに戸惑う。唖然としてしまい、言葉が出なかった……。
ヒロ君が来てくれる日はメイクをバッチリしているし、洋服もなるべく可愛い物を選んで着ている。

いつでも外出は出来るが、問題は心の準備。

外出するとは思わなかった。

………ドキドキ。

そう言えば、ヒロ君と会ったあの日以外は買い物らしい買い物もしていない。大抵の物はネットから注文出来ていたし、不足品は近くのコンビニで買い足したり、対馬さんや福島さんが買ってきてくれたり。

短時間でも少しずつ慣らせば、以前の様に一人で買い物に出かけたり、美容室に出かけたり出来るだろうか?

「い、行きたい……です!」

「カナミちゃんはこの後は用事ある?買い物に行ったら食事の用意が遅くなってしまうから外食しませんか?」

「な、ないです!何っにもないです!」

ヒロ君と外食だ!緊張するけど、こんなチャンスは逃したくはない。

「……ヒロ君の洋服が乾くまで待ちましょう。流石にジャージは恥ずかしいですよね」

「……そうしてくれると嬉しいです」

ヒロ君は、はにかんで笑った。その顔がとても可愛らしくて、私も笑顔になる。

一緒に居ると世界が広がる。今まで怖がっていた世界に飛び出せる、そんな気がしている。対人恐怖症だけれど、ヒロ君は怖くない。

そう言えば、ヒロ君は誰かに似ている。

雰囲気とか、顔とか。誰だろう?

思い出そうとしたが、思い出せない。

封印している過去の中に隠されているのだろうか……?
───ヒロ君の洋服が乾いたので、着替えてから買い物へと向かった。

バスの時間が合わなかったので、駅前まで歩く。駅前にスーパーがあるからそこで食材は買うとして、外食は駅近くでしようか?と話しながら歩いている。

辺りは暗くなり、電灯がついている。

最後に夜に出かけたのはいつだったのだろう?何もないのは分かっているが、夜は暗い分、予測が出来なくて何となく怖いのだ。

「カナミちゃん、大丈夫?急に出かけようって言ったから……不安になってたりしない?」

ヒロ君は私を気遣い、自分は道路に面した方を歩き、私を端に歩かせる。人や自転車とすれ違う時は常に気をつけてくれている。

以前、私が過呼吸を起こしてしまったから、過剰に気にさせているのかもしれない。

「だ、……大丈夫です。ひ、とりじゃない、から……」

緊張から手をぎゅっと拳に握っているから、汗はかいているが自然と怖くない。住宅街の明かりもポツポツとついているから、真っ暗でもない。ヒロ君と一緒だから平気なのかな?

人がすれ違い、私と至近距離になりそうな時は肩をそっと抱き寄せてくれた。

「危なかった!今の人、ぶつかりそうだったね。ごめんね、ビックリしたよね?」

肩に触れていた右手をパッと離された。ヒロ君が咄嗟に私の肩に触れたけれど、嫌じゃないし、怖くなかった。

ドキドキが止まらない。ヒロ君はモテそうだから、今みたいな事は手馴れてるのかな?

私の胸は高まるばかりで心臓に悪い……。
しかし、ヒロ君が異様に私を気遣う。嬉しいのだが、半ば神経質の様に過敏になっている気がする。

最初に出会った時に私が過呼吸で倒れそうになったから、必要以上に責任を感じさせている?

こんな私の為に気を遣わせてしまい、申し訳がない。

「ご飯食べてからに買い物しようか?スーパー以外に寄りたい場所はある?」

「えっと……、本屋さんに寄りたいです」

街に出た時は必ず本屋さんにだけは立ち寄っている。少年漫画のコミックコーナーで自分の漫画がどのように配置されているか、見る為。ヒロ君と一緒だから、少年漫画のコミックコーナーに行くのは難しいかもしれないが、行くだけは行きたい。

「俺も参考書見たいから、本屋に寄ってからご飯をどこで食べるか決めよう」

「……はい」

完全にデートみたいだな。

高校時代から男の子と一緒に出かけたのは……、数えた程しかないな。

見た目もぽっちゃりしていて彼氏も居なかったし、目も腫れぼったい一重だから可愛くもなかった。茜ちゃんみたいに持って生まれた可愛い容姿の微塵もなかった。

現在はお金の力で解消出来た。

多分……きっと、現在の容姿は馬鹿にされないと思う。それに以前の私だとは誰も気付かないはずだ。
見た目が変わっても人目が怖いのは、自分に自信が持てないからだ。そんなだから、引きこもって漫画を描いているのが丁度良かった。

通信制の高校に通う事になってレポートは出しても、設定された登校日に行く事が出来なかった。"学校"に出向くと言う事だけで、身体が拒否してしまっている……。

「……こんな事を聞くのもなんだけど、カナミちゃんは人混みが苦手?」

私は人とすれ違う度にビクッと反応してしまっていた。ヒロ君がそれに気付いていた。

「……はい。苦手なんです。苦手で…たまに過呼吸起こすから紙袋を持っていたんです」

「そっか、何となくそんな気はしてた。過去に何があったかは分からないけど、俺で良かったら、協力するから焦らないで……ゆっくり克服して行こう」

「………は、い……」

ヒロ君は何故そんなに私に優しくしてくれるのだろう?私の事は本名も知らないし、過去も知らないのに……。私は優しさが嬉しくて、涙がボロボロと溢れ出した。

後僅かの距離で本屋さんに辿り着くのに、私は立ち止まって泣いてしまった。行き交う人々が驚いて、私を避けて離れて歩いている。

最近は本当に人の有難みが分かるようになり、感慨深くなっている。

優しさに触れれば触れる程に感情が溢れ出す。
ヒロ君は「おいで……」と言って、手を引っ張った。

初めて会った時みたいに怖くなかった。あの時みたいに手首ではなく、手の平と手の平を合わせて手を繋いだ。

「落ち着いた?」

本屋さんの横にあるカフェに入った。私の顔はぐじゃぐじゃで化粧も取れていると思う。ウォータープルーフのマスカラだから、さほどパンダ目にはなっていないとは思う。

バッグからハンカチを取り出し、涙を拭く。

「やっぱり怖かった?」

「……ち、違うの。怖かったんじゃなくて……えっと……」

「………?」

「わ、たし……人に優しくされるのに…慣れてないから、嬉しくて……つい泣いてしまいました。ごめんなさい……」

「……カナミちゃんは感情が豊かなんだね。俺、カナミちゃんが思ってる程、そんなに優しい人じゃないけど……」

あ、やっぱり思った事を口に出したのが不味かったかな?何でも伝えれば良いってものでもないんだな……。ヒロ君の表情が困っているような気がした。

「……カナミちゃんが人は怖くないんだと思えるように、出来る限りの事はするよ」

ヒロ君は優しく微笑んだ。注文していたアイスカフェオレと紅茶が届いた。ヒロ君はアイスカフェオレにガムシロップを一つ入れて、ストローでクルクルと掻き混ぜた。私も暖かい紅茶を一口、口に含んだ。ダージリンの良い香りが漂っている。

「カナミちゃんは本当に紅茶が好きだね。流石、お嬢様って感じだなぁ」