「天野さんも、相当のお人好しだね。アッキーの妄想に振り回されているのに文句も
言わない。そんなにアッキーの機嫌を買うのが大事なの? もしかして、アッキーと
つきあってるの、天野さんは?」
 グサグサと胸に突き刺さる辛辣な物言い。
 アッキーと付き合ってるのはシーちゃんだよ。その言葉をぐっと飲み込む。
「アッキーとは仲が良いだけ。付き合ってるわけじゃない。だけど、私が、お人よし
なのは本当。だけど、アッキーの機嫌買いで、超能力実験に協力してる訳じゃない。
私は、あの時、何が起きたのかを知りたいの」
 と偽らざる思いを口にする。
「……」
「それにね。本当のところを言えば、自分がエスパーだったら、凄いなって思うの。
だから、今日の実験も、ワクワク気分なの」
「凄くなんかないでしょ。エスパーだからって、メリットなんか何もない」
「でも、他の人が持っていない才能を持ってるなんて、良い事じゃない?」
「まともな能力ならね……」
 まともな能力? 超能力は、まともじゃないってこと?
「だいたい、超能力なんて誰も信じてくれないだろ。実演して見せても、マジックや
手品の類だ、仕掛けがあるに違いないと、勘ぐられるだけだ。好気の目に晒されて、
周りからは敬遠され、孤立していくんだ」
 なんだろう。陸くん、随分とネガティブ思考の持ち主だな。
「でも、それを人の役に立てていけば、周りの人からも感謝されるんじゃない?」
 とささやかな抵抗を試みる。
「役に立つ……。誰の役に立つのか……が問題。それに……」
 と、ここで陸くんが言葉を切り、
「いや。何でもない」と話を無理矢理に終わらせた。

 陸くんは何を言いたかったんだろう。どんな言葉を飲み込んだんだろう。
 そのまま、暫く無言の時間が続く。

 道路の両側の風景が変わってきた。
 畑や平地が疎らになり、木々の数が増えてくる。
―次は森林公園前。森林公園前。お降りの方はブザーを押して、お知らせ下さい―
 目的地への到着を告げる車内アナウンスが、二人の沈黙の壁を融かす。
「陸くん、もう直ぐだよ」と声をかけ、降車を知らせるブザーのスイッチを押す。
―次は、森林公園前に停車しまーす―
 と車内放送が告げる。
 交差点を右折すると、『ようこそ、森林公園へ』と描かれた大きなアーチが見えて
きた。そのアーチを過ぎると、道が大きくカーブして、私達の目指す森林公園が姿を
現す。
「それじゃ、降りましょう」
 と言って席を立つ。それと、同時にバスにブレーキがかかった。
 私は、慣性の法則を身をもって体験することになり、バランスを崩した。
 すぐ隣に立っていた陸くんが、咄嗟に私の腕を掴んで支えてくれた。お陰で、私は
転ばずに済んだ。
 陸くんが、超能力実験に対して否定的な意見ばかりを言うので、陸くんに人嫌いの
印象を持っていた。でも、本当はそうでもないらしい。
 陸くんに掴まれた腕が熱い。
「あ、ありがとう」と、不器用にお礼の言葉を口にする。
 それに対して、陸くんは私の腕を放すと、無言のままでバスをおりていった。
 何だろう。「大丈夫だった?」 の一言でも言ってくれれば良いのに。
 陸くんに対する好感度メーターは、急上昇のあと急降下した。
 森林公園はバス停の目の前にある。
 ここは、公営施設で、入場は無料。だから、休みともなれば、家族ずれで賑わう。
 正門を入ってすぐに、広々とした芝生のフリーゾーンがある。
 ボール遊びをする子供たち、紙飛行機を飛ばしてはしゃぐ親子、ベンチに腰かけて
愛を語らうカップル。のどかな風景で、心が温まる。

 フリーゾーンの北には、人工せせらぎが作られており、夏には子供たちが水浴びに
興じる。そこから更に北に進むと、キャンプ場、野鳥観察の森が続く。
 西に進むと、アスレチックコースがある。こちらが、私達の目的地だ。
 森の中はに、飛行機、機関車、海賊船の形を模した大きなアスレチック遊具が設置
され、それらが遊歩道で繋がっている。
 ここが出来た当初は、このアスレチックコースも其れなりの賑わいを見せていた。
 けれど、今はアスレチックコースを利用する人は殆どいない。
 原因は、森の中を抜ける遊歩道。水はけが悪いために、常にぬかるんでいる。その
遊歩道を歩き、その足でアスレチック遊具を遊ぼうものなら、全身泥だらけになる。
賢明な親御さんは、その事を心得ているので、アスレチックで遊ばせるようなことは
滅多にない。
 それに、遊具の老朽化も進んだようで、海賊船のアスレチック遊具は閉鎖になった
と、案内図に書かれていた。
 森林公園について直ぐに、私はその旨をシーちゃんに連絡した。
 すると、早速返信が来て、海賊船遊具の場所に来て欲しいという。
 そこは閉鎖されているのでは? と確認したが、とにかく来て。と言われた。
 その事を陸くんに伝えたところ、肩を竦めて両手の掌を上に向けるジェスチャーを
した。「もうあきらめた」の意思表示だろう。すぐ帰る。とか言い出すと思っていた
ので安心した。

 案内図を便りに、アスレチックコースを進む。案の定、道はぬかるんでいて、歩く
度に足の後ろ側に泥はねが付き、気持ちが悪い。帰宅後の洗濯の事を想像して気分が
暗くなる。
 暫く進むと、空が拓けた。最初のアスレチック広場に出たのだ。
 そこには、飛行機を模したアスレチック遊具がある。
 全長20メートル、翼長20メートルほどで、上下二枚の羽根がある。
 胴体部分はジャングルジムで、左右に地面に向かって滑り台がついている。
 左右の羽根は雲梯様の遊具だ。
 その広場から、機関車遊具へと向かう遊歩道が延びている。
 海賊船遊具へ続く道は、立入禁止の立て札とともに、幾重にもバリケードが組まれ
ていた。

「ホントにこの先に行くの?」露骨に眉をしかめながら陸くんが尋ねてくる。
「う、うん。シーちゃんたちは、この先にいるはず……」
 そうなの……。
 というと、陸くんはバリケードの様子を調べはじめる。
 が、直ぐに
「これを越えてくのは容易じゃないね」
 と諦めたような発言をする。
 このまま帰るとか言い出されたら困るので
「でも、アッキー達は行けたんだから、抜け道がある筈よ」
 と前進を促す。
 抜け道ね。と言いながら陸くんが辺りの様子を伺い、
「分かった。こっちだ」
 と言って、今来た道を戻り始めた。
「ちょっ、駄目だよ、帰っちゃ。シーちゃんたちが待ってるもの」
「良いんだよ、こっちで」
 陸くんは遊歩道を七~八メートル戻った所で、道から外れて森の中に分け入った。
 陸くんは、そのままズンズンと木立の中を踏み分けて行く。
「天野さんは、僕の通った跡を、ついて来て」
 と言われたので、陸くんの後に続く。
 私達は、森の中を大きく迂回して海賊船へ通じる遊歩道へ抜けた。
 陸くんが先にたって、草を踏み分けてくれたので、私の服は汚れずに済んだ。
 その一方、陸くんの服には蜘蛛の巣が無数に張り付き、下草の露でグチャグチャに
濡れている。
「ありがとう。汚れちゃたね」
 と、お礼を言うと、プイと私に背を向け、何も言わずに歩き出した。
 つっけんどんな態度だけど、本当は優しいんだね。
 陸くんを見る私の目が、少しだけ温かくなった。
 暫く歩くと、森の先が明るくなってきた。
 船のような形をした、30メートルほどの遊具が垣間見える。
 あそこが目的地の海賊船に違いない。
 近づくと、海賊船のある空き地が、工事用のフェンスでグルリと囲まれている。
 遊歩道沿いに進み、行く手を阻むフェンスの前に至る。
 フェンスの高さは二メートル近くあり、簡単に飛び越えられそうもない。

 隙間から中を覗く、海賊船の前で不安そうに上方を見上げるシーちゃんがいた。
「シーちゃん。どうしたの?」と声をかける。
 私の声に気がついたシーちゃんが、泣きそうな顔で駆け寄ってくる。
「アッキーが、アッキーが。大変なの!!」
 柵越しにシーちゃんが、訴える。

「海東さん、落ち着いて。そっちへは、どうやって行けばいい」
 陸くんが冷静に対応する。
「あそこから入った」
 シーちゃんが指さす先には、無理矢理に動かしたのだろう、フェンスとフェンスの
間に隙間ができている場所がある。
 陸くんが、その隙間を素早く潜り抜ける。私も、それに続く。
 シーちゃんに導かれ、海賊船の真横に回る。
 見上げると、船のマストを模した物見台がある。アッキーはその物見台の手摺りに
乗り、不安定な姿勢で立っていた。
「アッキーが登ったら、梯子が落ちちゃったの。それに、床が腐って抜けて……」
 シーちゃんが事態を説明する。
 物見台の下には、千切れた金属製の梯子が、鋭い切断面を上にして立っている。
 床までの高さは三メートル程。飛び降りられない高さではないが、少しでも間違え
たら、千切れた梯子の上に落ちて串刺しだ。
 オワッ!!
 アッキーの立っていた手すり部分が崩れ落ちる。だが、素早い移動で難を逃れる。
 だが、新しく足を掛けた場所も朽ちていた。
 アッキーが足を踏み外し、両手で物見台の柱にぶら下がる。
 真下には、梯子の切断面が牙を向く。

「アッキー」慌てて、遊具の方向に向かって走りだす。
「止せ!」陸くんが私の腕を掴む。
 そうしている間に、アッキーの片手が柱の手掛かりから外れる。残るのは腕一本。
 うぅぅぅぅ、あーっ!
 絶叫とともに、アッキーの体が落下する。
 思わず、アッキーに向かって手を伸ばす。

 その時、奇跡が起こった。
 アッキーの体が空中で静止したのだ。
 驚愕のアッキーが、見開いた目で自分の足元を凝視している。
 アッキーは、私が伸ばした右手の延長上で宙に浮いている。
 私は、慎重に右腕を動かしてみる。
 その動きに連れ、アッキーの体が空中を移動する。
 私は、出来る限りの慎重さで腕を動かし、アッキーの体を誘導して、慎重に地面に
降ろした。
 ポカンとした顔で立ち尽くすアッキーに、シーちゃんが駆け寄って抱き着く。
「良かった、良かった、アッキー、無事で」
 私は、その二人の姿を何も考えられない瞳で見つめる。
 何が起こった。
 どうして、アッキーは助かったんだっけ。
 目の前で起こった事なのに、それを理解することを、私の脳が拒否していた。

「エスパーは、やっぱり君だったんだね」陸くんに、そう声をかけられた。
 気がつくと、私は陸くんに手を握られたままだった。
 陸くんの方を振り返ると目が合った。けれど、陸くんは直ぐに視線を外した。

 その時、私はシーちゃんに抱きつかれた。
「美幸、ありがとう。アッキーを助けてくれて」
 涙声のシーちゃんが、私を強く抱きしめる。
 私は漸く正気にかえる。
 そうか、今のは私がやったんだ。
 私がアッキーを空中で受け止めたんだ。
 私は、私は、エスパーだったんだ。