その後、何をやっても超能力は発動しなかった。
 超能力での脱出は諦め、スマホでシーちゃんに連絡をとろうとしたが、電波状態が
悪いのか繋がらなかった。
 私も陸くんの隣に体育座りすることになる。

「どうしようか」と陸くんに尋ねてみる。
「助けを待つしかないね。誰かが近くを通るのを待とう」と、言われた。
 けど、この辺りは人が寄り付かない場所。助けなど、いつになったら来るのやら。

「ねえ。天野さん」膝に埋め顔を上げ、陸くんが口を開く。
「なに?」と聞き返す。
「もう止めにしないか」
「何を?」
「ソラシドレスキューだよ」
「……」
「僕らが幾ら懸命に働いたも、さっきのような奴らは必ず現れる。僕らの気持ちは、
奴らには伝わらないんだ。他の人達も、僕らを便利な道具としか思ってない。こんな
事、続けるだけ無駄だよ。それに、超能力はもう使えないよ、きっと」
 陸くんが、こんな事をいうのは、半ば予想していた。
 私だって先程の事件はショックだ。世の中の、ソラシドレスキューに対する感謝の
念も、薄れて来ている事は分かっている。
 でも、他人にどう思われようと、私はソラシドレスキューを続けていきたい。そこ
に、助けが必要な人がいるのなら。
 そんな思いを込めて陸くんを見つめる。
 その心が届いたのかどうなのか、陸くんは再び膝に顔を埋める。
 *****

 そのまま時間が過ぎた。
 バササッ。
 羽音がして、明かり取りの窓に鳥が止まった。
 白いカラスだ。
「ネロ!」陸くんが叫ぶ。
 それに呼応かのするように、ネロと呼ばれたカラスはカァと鳴き、陸くんの傍らに
舞い降りた。
「ネロ。僕がここに居ることが分かったんだね。ありがとう、来てくれて」
「その子、ネロっていう名前なの?」
「ああ。前に他のカラスにイジメられて弱ってたところを助けたら、懐かれたんだ」
 ネロが陸くんの腕、肩、頭をピョンピョンと飛び回る。
「ごめんなぁ。ネロ。今日は餌を持ってないんだ」
 陸くんの言葉に、ネロがカァと応じた。
 その様子が、ほほえましく。私の唇に笑みが戻る。

「そうだ。ネロ。お守りを探してくれないかな。この位の大きさで、細くて黒くて、
ツルツルしてる」と手で5センチほどの長さを示す。
 しかし、カラスに人語が分かるはずもなく、ネロは陸くんの足元の地面をほじくる
だけだった。
 でも、言葉は通じずとも、仲間が一人(一羽?)増えたことは、心強かった。

 ネロ。ネロ。
 と呼ぶと、ネロがピョンピョンと飛び跳ねて、私の方にやってくる。
 私の足元に来たネロは、首を右に左に幾度も傾ける。
 その様子は、何とも愛嬌があって可愛らしい。

「ネロが僕以外の人に懐くのを初めてみた。ネロにも、美幸さんの優しさが分かるん
だね」
 陸くんが、私を褒めるような事を言った。
 てか、陸くんが私を下の名前で呼んでくれたのは、今が初めてだ。
 そう呼ばれた事が、嬉しかった。
 なぜだか、顔が赤らむ。
 その事が恥ずかしくて、
「ネ、ネロって、ど、どういう意味なの?」
 と、思わず話題を変える質問をしてしまう。

「ネロは、イタリア語で黒の意味だよ」
 意外な答えだった。
「白いのに黒なの?」と問い返す。
「こいつだって、望んで白く生まれた訳じゃない。でも、そのせいで仲間からイジメ
られていた。だから、せめて名前だけでも『黒』にしてやろうと思ってさ」
「そうなんだ。ネロ……、良かったね、ご主人にいい名前を付けて貰って」
 陸くんと目が合う。
 その優しい眼差しの虜になり、私達は暫くの間、見つめ合った。
 ハッと我に返り、見つめ合っていた恥ずかしさから、また別な話題を切り出す。
「そういえば、ネロは白変種だよね。虹彩が黒いもの」
「白変種?」
「メラニン色素の遺伝変異が原因じゃなくて白化した動物のこと。孔雀、梟、虎にも
居るわね」
「ふーん」
「陸くん、さっき、ネロは望んで白く生まれたんじゃないって言ったでしょ。でも、
白変種は、望まれて生まれてきてるのよ」
「望まれて?」
「氷河期に保護色となる白化の形質が遺伝子の中に組み込まれた。それが白変種なん
だと言われてる。だから、ネロはその形質を未来に伝えるために生まれてきたのよ」
「形質を……、伝えるため……」
「きっと、全ての生き物は、何かの役割を果たす為に、生まれて来るんだと思う」

 何かの役割を……果たすため。……何かの……役割を……。
 陸くんが、私の言ったフレーズを繰り返す。
 陸くんの目が潤んできた。感動しているんだ。
 それほど、素晴らしい名言を吐いたつもりは無いのだが……。
「そうか……。そうだったのか……」
 と陸くんが独り言ちる。次の瞬間、陸くんの頬を一筋の涙が伝う。
 私は、その涙に驚き、顔を背けて気付かないフリをする。
「そ、そういえば……。ネロのお陰で、私達、知り合えたんだよね」
「えっ?」と陸くんが反応する。
「私が最初に超能力を使った日。あの日、陸くんの肩に止まったネロが気になって、
陸くんの後ろを、歩調を合わせて歩いていた。だから、そのあとに、陸くんを助ける
事が出来た。きっと、ネロが陸くんと私を引き合わせてくれたんだね」

 言い終わってから、自分がすっごい恥ずかしい発言をした事に気が付いた。
 どうしたんだ私?
 カァー、カァー。
 陸くんと私が体育座りしている丁度真ん中で、ネロが大きい声で鳴く。
 私は、ネロに触れようと、指を伸ばす。
 陸くんも、ネロの方に手を伸ばす。
 ネロが急に飛びのいたので、私と陸くんの指先が触れ合った。

 二人とも同時に顔を逸らす。けれど、指先は触れ合ったまま。
 陸くんが指を絡めて来る。私も指を絡める。
 顔が熱い。耳たぶも熱い。首筋も、体中が燃えるように熱い。
 私……、私……。
 もしかして、陸くんのこと、好き?
 カァー。バサバサバサッ。
 二人の間を跳ねまわていたネロが、一言鳴いて飛びたった。
 ネロは、塔の明り取りの窓に止まり、そこから、塔内に張られた梁に飛び移る。
 ネロは梁の上で、何かを啄む動作を幾度か繰り返し、やがて、陸くんの傍らに舞い
降りてきた。
 その嘴には、陸くんの探していた『お守り』が咥えられていた。
 黒くて細長い石。表面はツルツルして鈍く光っている。両端に穴が穿たれて、紐が
結び付けられている。その紐で首から下げるだろうが、残念ながら切れていた。
「ありがとう、ネロ。お守りを見つけてくれたんだね!」
 陸くんが歓喜の声をあげる。
 陸くんが、お守りを首にかけ、後ろ手で紐を結ぼうと試みる。
「私が結んであげる」と手を貸した。
「ありがとう。美幸さん」
 陸くんが立ち上がり、
「さあ、帰ろう」と帰還を促す。
「でも、わたし、超能力は使えないよ」
「もう、使えるようになってるんじゃないかな」
「?????」
「えーと、その……。このお守り、ラッキーアイテムだから」
「(ますます)?????」
「と、とにかく、一度試してみよう」
 そういわれて、陸くんとともに離陸準備の態勢に入る。
「じゃあ、行こう」と陸くんに促され、半信半疑のまま、飛行のイメージを作る。
 フワリ。
 体が浮いた。
 やった。超能力が戻った。
 そのまま、貯水塔内を上昇し、明り取りの窓をくぐって外に出る。
 久方ぶりの外の空気だ。みずみずしくて、美味しい。
 いつの間にか、日が大きく傾いていた。

 色んな事のあった一日だった。
 偽の救助要請に騙され、ヘリプレーンと空中戦をし、貯水塔内に閉じ込められた。
 でも、私が一番印象に残っているのは、陸くんと指が触れ合った時だ。
 電気が走ったような衝撃を覚えている。いや、本当に電気が流れたわけではない。
あの時に感じた高揚感を、私が電気ショックのように感じているのだ。
 同じ瞬間、陸くんは、どうな風に感じてくれていたのだろう。
 とても気になるけど、声に出して聞く勇気はない。

「美幸さん。帰ろう」
「うん」
 もう少し、陸くんと漂っていたかったけど、私達はAI部を目指して飛び始めた。
 私達は夕陽に向かって飛ぶ。
 夕空を朱く染める太陽が、とても綺麗だった。
 翌日から、陸くんに変化が起きた。

 一番の変化は、陸くんが私を「美幸さん」と呼ぶようになったことだ。
 それまでは、「天野さん」と呼ばれていたので、下の名前を呼ばれるのは、何とは
なしにこそばゆかった。
 でも、その名で呼ばれるのは、本当のところ嬉しかった。
 私と陸くんの距離が、近づいたように思えて、心が弾んだ。

 陸くんの私に対する呼び方が変化した事に、シーちゃんは逸早く気が付いたようで
「良かったねぇー。美幸ィ(ニヤニヤ)」と意味深な笑みを私に向ける。
「べ、別に……」と応じてみたが
「だって、美幸は陸くんのこと好きなんでしょ……」と突っ込まれる。
「うーん……そうなのかなぁ……」
 答えは自分でも分からない。
 そりゃ、陸くんが好きか嫌いかと問われたら、嫌いでない事は確かだ。
 嫌いだったら、ソラシドレスキューの活動など出来はしない。
 だから当然”好き”であることに間違いはない。

 だけど、その好きが、ソラシドレスキューの仲間としての”好き”なのか、恋する
相手としての”好き”なのか。自分でも良く分かっていない。
 嗚呼、でも、そんな事を考えるだけで、頬が蒸かし上がった餡マンのようになる。
 これって、やっぱり、誰かさんに恋してるって意味?

 私が今まで好きになった男性は、お父さんだけだ。
 同年代の男性を好きになった経験はない。……と思っている。
 だから、自分でも自分の今の感情が分からない。
 陸くんの事を想うたびに、胸に去来するこの暖かく切ない感情は、何なのだろう?
 これが、人を恋するっていう事なのだろうか?


 陸くんの二番目の変化は、ソラシドレスキューの活動に対する取り組み方だ。
 今までの陸くんは、ソラシドレスキューの活動に対して懐疑的だった。
 救助で手を抜くことは無いのだけれど、どこかしら斜に構えているところがある。
 不都合な事が起こったりすると、直ぐに「ソラシドレスキューなんて止めよう」と
言い出す。家に引きこもったことだってある。ネットの誹謗中傷に対しても過敏だ。
 そもそも、陸くんは超能力を公にする事からして反対だった。

 そんな陸くんが、昨日の貯水塔での一件を境に、様子が変わった。
 肝が座ったというか、耐性がついたというか、悪意や中傷に対して動じなくなった
のだ。
 連絡用掲示板への誹謗中傷の書き込みは、今も続いている。
 でも、陸くんは以前ほどは、気にしてはいない様子。
 あの後、突撃TVを真似た偽通報が幾つかあったけど、現地に着いて嘘が分かって
も、文句一つ言わずに淡々と次の現場に足を運んだ。
 他人がどう思うかは関係ない。自分の使命を果たすだけ。
 そんな発言をするようになった。

「全ての生き物は、何かの役割を果たす為に、生まれて来る」
 私が貯水塔の中で発したこの言葉に、陸くんはいたく感動していた。
 その時、陸くんの心に、どんな想いが去来したのかは、分からない。
 でも、きっとその言葉が、陸くんを良い方に変えたんだ。
 私は、そう信じたい。