結婚したい――。そう願っても相手がいなければどうにもならない。
新聞や雑誌では、現代は結婚難の時代だと報じている。それでも、現実には三十代も半ばを過ぎると、既婚者のほうが未婚者よりもはるかに多い。
みんな、どうやって相手を見つけているのか――。
あらためて周囲を見回すと、学生時代の友人同士か、職場恋愛か、友達の紹介だ。見合いを除いたら、日本ではこの三つくらいしか出会いはないのだ。かつては合コンと呼んでいた、男女の飲み会で出会っての結婚も意外と少ない。ましてや道端のナンパで結ばれた夫婦など出会ったことがない。賢介自身、職場恋愛で結婚したし、その前の恋愛も、さらにその前の恋愛も高校や大学で知り合った相手だった。
実際、賢介はジャーナリスティックな雑誌の仕事で、出会いの特集記事を書いたことがある。そのときの調査取材でも、想像通りの結果だった。
三十五歳~五十四歳の既婚者の結婚相手との出会いのきっかけは、男女とも一位は「職場で知り合った」。二位は「友人からの紹介」。三位は「学生時代の知人関係」。男性の約六五%、女性の約七〇%がこの三つの出会いで結婚している。
一方、職場、友人の紹介、学生時代の交友関係で成果が上がらなかった未婚の男女はどんな婚活をしているのかというと――。
男性は順に「婚活パーティー」「友人に紹介を依頼」「結婚相談所」「合コン」「恋愛・婚活サイト」。
女性は「婚活パーティー」「友人に紹介を依頼」「合コン」「結婚相談所」「お見合い」。
調査結果を見る限り、独身男女がもっとも多く集まっている婚活パーティーに参加するのが結婚への近道らしい。特に女性は積極的にパーティーに参加している。メディアで話題になりやすい恋愛・婚活サイト、いわゆる婚活アプリは未婚男性には人気があるものの、女性からは敬遠されている。出会い系の事件がよく報道され、リスクを感じているのかもしれない。
賢介のような五十歳に近づきフリーランスで仕事をしている身に、学生時代の友人との恋愛は非現実的だし、職場はそもそもないに等しい。
では、どうすればいいのか? そんな時、新聞で結婚相談所の広告を発見した。「発見した」といっても、こうした広告はよく目にしていた気がする。興味をもたなかっただけだ。
しかし、今回は違った。賢介は切実だった。広告をきっかけにインターネットで検索すると、同じような会社をいくつも見つけた。
結婚相談所は、今は「結婚情報サービス」と呼ぶのが主流らしい。そのほうがイメージはいいからだろう。結婚相談所にはもてない男女の駆け込み所のような響きがある。「結婚相談所に入った」ではなく「結婚情報サービスに登録した」と言うと、確かにやりきれなさは薄れる。
いくつもある結婚情報サービスからその会社を選んだのはキャッチコピーに魅力を感じたからだ。
「総登録会員数は五万人!」
そこだけ大きく太く赤い文字で書かれていた。五万人といえば、東京ドームや甲子園球場のスタンド席より多いではないか。一塁側スタンドが独身男性、三塁側スタンドが独身女性で埋まっているスタジアムを想像して、賢介は希望を感じた。
電話で話を聞くと、入会金が五万円、年会費が三万円という良心的な初期費用だった。意外に感じた。入会には、数十万円は必要だと思っていたのだ。実際、一九九〇年代までは高額だったと思う。アルトマンという会社が最大手で、たくさんの雑誌で広告を見た。コンピュータをいち早く導入し、男女をマッチングするシステムで、初期費用に確か五十万以上かかった。婚活業界も価格破壊が進んでいるらしい。別途お見合い料に五千円、成婚料に十万円が必要になるが、それは相談所の成功報酬なので納得できた。
会員が五万人いることにも嘘はなさそうだ。大手、中堅から自営まで、さまざまな結婚相談所が連合して、会員数五万人の組織になっていた。つまり、自分が入会した相談所だけではなく、ほかの数十の相談所に在籍する女性と見合いができる。
賢介はその日のうちに、ネットで見つけた会社を訪ねた。JR新宿駅の西口を地上に出て、家電量販店のにぎわいを抜け、一階にチェーン展開する居酒屋が入った雑居ビルにオフィスはあった。入り口で要件を伝え、通された会議室で対応してくれたのが真っ白スーツの児島だ。
「まず基本的なご確認ですが、石神さんは間違いなく独身でいらっしゃいますね?」
こいつはなんて当たり前な質問をするのだろう、と思った。
しかし、彼の説明によると、たんなる遊び相手を見つける目的でこの手のサービスを利用しようとする妻帯者が少なくないそうだ。
なるほど、不届き者だが、頭のいい手口だ。資本は必要だが、路上で女性に声をかけるよりもはるかに効率がいい。海釣りと釣り堀の違いと同じだ。
だだっ広い海に釣り糸を垂れていても、そこに魚が泳いでいるかはよくわからない。一方、釣り堀なら、入場料を払いさえすれば餌を待つ魚が集められてうようよ泳いでいる生け簀で楽しめる。魚の活きはよくないかもしれないが、労少なく釣果は上がる。
「ご希望の条件を満たす女性と縁があれば、結婚する意志もお持ちですね?」
「はい」
「では、その前提で、この用紙にご記入をお願いします」
三枚つづりの書類を渡された。生年月日、出身地、身長、体重、学歴、年収、家族構成、趣味、好きなスポーツ……など、事細かくプロフィールを記入するようになっていた。希望する女性の条件を書く欄もあった。
希望は自分より年下、住まいは東京、神奈川と書いた。それ以上遠くまでは会いに出かける気にはならない。一回ならともかく、もし縁があったとしても、その後たびたび会うのは難しいだろう。
好みのタイプには「何でも話し合える女性」と記入した。夫婦であれ、親子であれ、兄弟であれ、言葉できちんと伝え合わないことにはおたがいが何を考えているかわからない。言葉にしなくても察してもらうなど、かつての高倉健や藤竜也限定の特権だ。
「あとは、これから申し上げる書類の提出と入会金と年会費をご入金いただければ入会完了となります」
提出を求められた書類は、運転免許証やパスポートなど顔写真のある公的身分証明書のコピー、住民票、最終学歴の卒業証明書、源泉徴収票など収入証明書、そして独身証明書だ。世の中に「独身証明書」なるものが存在することを生まれて初めて知った。この公的書類は、自分の本籍がある自治体で発行してくれる。
〈当市区町保管の公簿によれば、上記の者が婚姻するに当たり、民法第七三二条(重婚の禁止)の規定に抵触しないことを証明する〉
取り寄せた書類の名前の下にはそう記されていた。
沙紀との後、しばらくは見合いのチャンスはなかった。
結婚相談所のシステムでは、ホームページ上のプロフィールを参考に男女どちらかが申し込み、相手が応じると、お見合いが成立する。しかし、賢介は断られ続けたのだ。
相談所とは一か月に二十人まで見合いを申し込める契約を結んだ。しかし、入会一か月目で会ってくれたのは沙紀一人。つまり、十九人に断られた。やがて五十歳の誕生日を迎え、その年齢が婚活のハンディキャップにもなっていた。
婚活市場において、フリーランスで仕事をしていることも不利だった。多くの女性は安定した職業の男を求めている。結婚相手として人気があるのは、公務員やだれもが社名を知る大きな企業の会社員だ。賢介が働く出版業界でも、出版社の社員ならば、結婚相手を探すのに苦労はしないだろう。毎月きちんと給与をもらえるからだ。
病気をして、一か月休職しても、すぐに解雇にはならない。しかし、フリーランスの身にはなんの保証もない。病気で寝込んだら、その間の収入はゼロだ。だから、いつも将来不安におびえている。女性は現実的だ。よほど愛情が深くなければ、リスクのある男を選びはしない。
新聞や雑誌では、現代は結婚難の時代だと報じている。それでも、現実には三十代も半ばを過ぎると、既婚者のほうが未婚者よりもはるかに多い。
みんな、どうやって相手を見つけているのか――。
あらためて周囲を見回すと、学生時代の友人同士か、職場恋愛か、友達の紹介だ。見合いを除いたら、日本ではこの三つくらいしか出会いはないのだ。かつては合コンと呼んでいた、男女の飲み会で出会っての結婚も意外と少ない。ましてや道端のナンパで結ばれた夫婦など出会ったことがない。賢介自身、職場恋愛で結婚したし、その前の恋愛も、さらにその前の恋愛も高校や大学で知り合った相手だった。
実際、賢介はジャーナリスティックな雑誌の仕事で、出会いの特集記事を書いたことがある。そのときの調査取材でも、想像通りの結果だった。
三十五歳~五十四歳の既婚者の結婚相手との出会いのきっかけは、男女とも一位は「職場で知り合った」。二位は「友人からの紹介」。三位は「学生時代の知人関係」。男性の約六五%、女性の約七〇%がこの三つの出会いで結婚している。
一方、職場、友人の紹介、学生時代の交友関係で成果が上がらなかった未婚の男女はどんな婚活をしているのかというと――。
男性は順に「婚活パーティー」「友人に紹介を依頼」「結婚相談所」「合コン」「恋愛・婚活サイト」。
女性は「婚活パーティー」「友人に紹介を依頼」「合コン」「結婚相談所」「お見合い」。
調査結果を見る限り、独身男女がもっとも多く集まっている婚活パーティーに参加するのが結婚への近道らしい。特に女性は積極的にパーティーに参加している。メディアで話題になりやすい恋愛・婚活サイト、いわゆる婚活アプリは未婚男性には人気があるものの、女性からは敬遠されている。出会い系の事件がよく報道され、リスクを感じているのかもしれない。
賢介のような五十歳に近づきフリーランスで仕事をしている身に、学生時代の友人との恋愛は非現実的だし、職場はそもそもないに等しい。
では、どうすればいいのか? そんな時、新聞で結婚相談所の広告を発見した。「発見した」といっても、こうした広告はよく目にしていた気がする。興味をもたなかっただけだ。
しかし、今回は違った。賢介は切実だった。広告をきっかけにインターネットで検索すると、同じような会社をいくつも見つけた。
結婚相談所は、今は「結婚情報サービス」と呼ぶのが主流らしい。そのほうがイメージはいいからだろう。結婚相談所にはもてない男女の駆け込み所のような響きがある。「結婚相談所に入った」ではなく「結婚情報サービスに登録した」と言うと、確かにやりきれなさは薄れる。
いくつもある結婚情報サービスからその会社を選んだのはキャッチコピーに魅力を感じたからだ。
「総登録会員数は五万人!」
そこだけ大きく太く赤い文字で書かれていた。五万人といえば、東京ドームや甲子園球場のスタンド席より多いではないか。一塁側スタンドが独身男性、三塁側スタンドが独身女性で埋まっているスタジアムを想像して、賢介は希望を感じた。
電話で話を聞くと、入会金が五万円、年会費が三万円という良心的な初期費用だった。意外に感じた。入会には、数十万円は必要だと思っていたのだ。実際、一九九〇年代までは高額だったと思う。アルトマンという会社が最大手で、たくさんの雑誌で広告を見た。コンピュータをいち早く導入し、男女をマッチングするシステムで、初期費用に確か五十万以上かかった。婚活業界も価格破壊が進んでいるらしい。別途お見合い料に五千円、成婚料に十万円が必要になるが、それは相談所の成功報酬なので納得できた。
会員が五万人いることにも嘘はなさそうだ。大手、中堅から自営まで、さまざまな結婚相談所が連合して、会員数五万人の組織になっていた。つまり、自分が入会した相談所だけではなく、ほかの数十の相談所に在籍する女性と見合いができる。
賢介はその日のうちに、ネットで見つけた会社を訪ねた。JR新宿駅の西口を地上に出て、家電量販店のにぎわいを抜け、一階にチェーン展開する居酒屋が入った雑居ビルにオフィスはあった。入り口で要件を伝え、通された会議室で対応してくれたのが真っ白スーツの児島だ。
「まず基本的なご確認ですが、石神さんは間違いなく独身でいらっしゃいますね?」
こいつはなんて当たり前な質問をするのだろう、と思った。
しかし、彼の説明によると、たんなる遊び相手を見つける目的でこの手のサービスを利用しようとする妻帯者が少なくないそうだ。
なるほど、不届き者だが、頭のいい手口だ。資本は必要だが、路上で女性に声をかけるよりもはるかに効率がいい。海釣りと釣り堀の違いと同じだ。
だだっ広い海に釣り糸を垂れていても、そこに魚が泳いでいるかはよくわからない。一方、釣り堀なら、入場料を払いさえすれば餌を待つ魚が集められてうようよ泳いでいる生け簀で楽しめる。魚の活きはよくないかもしれないが、労少なく釣果は上がる。
「ご希望の条件を満たす女性と縁があれば、結婚する意志もお持ちですね?」
「はい」
「では、その前提で、この用紙にご記入をお願いします」
三枚つづりの書類を渡された。生年月日、出身地、身長、体重、学歴、年収、家族構成、趣味、好きなスポーツ……など、事細かくプロフィールを記入するようになっていた。希望する女性の条件を書く欄もあった。
希望は自分より年下、住まいは東京、神奈川と書いた。それ以上遠くまでは会いに出かける気にはならない。一回ならともかく、もし縁があったとしても、その後たびたび会うのは難しいだろう。
好みのタイプには「何でも話し合える女性」と記入した。夫婦であれ、親子であれ、兄弟であれ、言葉できちんと伝え合わないことにはおたがいが何を考えているかわからない。言葉にしなくても察してもらうなど、かつての高倉健や藤竜也限定の特権だ。
「あとは、これから申し上げる書類の提出と入会金と年会費をご入金いただければ入会完了となります」
提出を求められた書類は、運転免許証やパスポートなど顔写真のある公的身分証明書のコピー、住民票、最終学歴の卒業証明書、源泉徴収票など収入証明書、そして独身証明書だ。世の中に「独身証明書」なるものが存在することを生まれて初めて知った。この公的書類は、自分の本籍がある自治体で発行してくれる。
〈当市区町保管の公簿によれば、上記の者が婚姻するに当たり、民法第七三二条(重婚の禁止)の規定に抵触しないことを証明する〉
取り寄せた書類の名前の下にはそう記されていた。
沙紀との後、しばらくは見合いのチャンスはなかった。
結婚相談所のシステムでは、ホームページ上のプロフィールを参考に男女どちらかが申し込み、相手が応じると、お見合いが成立する。しかし、賢介は断られ続けたのだ。
相談所とは一か月に二十人まで見合いを申し込める契約を結んだ。しかし、入会一か月目で会ってくれたのは沙紀一人。つまり、十九人に断られた。やがて五十歳の誕生日を迎え、その年齢が婚活のハンディキャップにもなっていた。
婚活市場において、フリーランスで仕事をしていることも不利だった。多くの女性は安定した職業の男を求めている。結婚相手として人気があるのは、公務員やだれもが社名を知る大きな企業の会社員だ。賢介が働く出版業界でも、出版社の社員ならば、結婚相手を探すのに苦労はしないだろう。毎月きちんと給与をもらえるからだ。
病気をして、一か月休職しても、すぐに解雇にはならない。しかし、フリーランスの身にはなんの保証もない。病気で寝込んだら、その間の収入はゼロだ。だから、いつも将来不安におびえている。女性は現実的だ。よほど愛情が深くなければ、リスクのある男を選びはしない。