「有川、ちょっと聞いていいか?」

空を見やった柊先生に「はい」と答えた。

「裏BBSって見ているのか?」

「え、先生も知ってるの?」

「久保田が自慢げに話してたぞ」

久保田のおしゃべりめ。
いない相手に心のなかで文句を言いながらうなずいた。

「柊先生も見ているの?」

私の質問に答えはない。
見ると、ぼんやりと遠くを見つめている横顔。

「先生?」

「あぁ……。いや、まぁいいんだ」

「なにがですか?」

尋ねる私をようやく見た柊先生の瞳に、悲しみが揺れている気がした。

が、すぐに視線は逸らされてしまう。青信号に促されるように、私たちはまた歩き出す。

「事件は続いているのか?」

「わからない。でもこれで終わるといいな、って思ってる」

「そうだな。あまり危険なことに関わるなよ」

そう言うと柊先生は「じゃあ」と告げて足早に歩いて行ってしまった。
少し疲れているくらいで、柊先生はカッコいいまま。変わったのは私のほうだと思う。
結菜と約束して以来、なるべく和宏のことは考えないようにしてきた。
今も、舞い降りる雪を彼と一緒に見たいと思うそばから、気持ちを押しとどめている。

でも、もう限界かもしれない。
私の日常に、いつも和宏の存在はある。
それは会っている時よりも、会えない時間に強く感じている。

「和宏に会いたい」

つぶやけば、雪は激しさを増したように思えた。
結菜は許してくれるかな、こんな私を……。

夜の公園で結菜と待ち合わせたのはその日のこと。

メッセージを送ったのは私。話をしたいと言うと、彼女は数秒黙ってからこの公園を指定してきた。
遅れてきた結菜はまだ制服のままだった。

「こんな時間にごめんね」

謝る私に、結菜は固く唇を閉じてうなずくだけ。

誰もいない小さな公園のベンチに座ると、夜の風は刺すように頬をなでていく。
話をしたかったはずなのに、いざとなると言葉が出てこなかった。

しばらくシンとしたまま、私は雪が去ったあとの曇り空を見ていた。星も月も隠れている夜は、毎日の不穏な空気にどこか似ていた。
「あの、ね」

そう言う私に、結菜は反応しない。

「約束を守りたかった。だから、話をしにきたの」

一気にそう言うと、結菜はこくんと小さくうなずいた。
こんな状況のなか言うことじゃないことはわかっていた。

和宏のことが好き。
でもそう確信したときに、結菜との約束を果たすべきだと決心した。

「私ね、和――」

「フラれちゃった」

言いかけた私に、結菜ははっきりと口にした。

「え?」

見ると結菜はなぜかほほ笑んでいたからもっと驚く。

「言ってなかったけれど、昨日の夜ね、和宏くんに告白したんだ」

「そんな……」

横顔の結菜は首をゆっくり振った。

「一瞬で断られたよ。『そんなふうには思えない』って。ちょっとくらい悩んでくれてもいいのにね」

あはは、と笑ってから結菜はサッと顔を伏せた。無理しているのが痛いほど伝わってくる。
「結菜……ごめん」

「なんで芽衣が謝るのよ。私が勝手に好きになって、勝手に告白しただけ」

そう言った結菜は泣いているようだった。あごのあたりが細かく震えていた。

「芽衣も好きなんでしょう?」

「うん……」

「だと思った。ううん、最初からそんな気がしていた。私の片想いは絶対にかなわない、って」

スッと立ちあがった結菜が肩で大きく息をついた。

「本当なら芽衣を応援したい。そうすべきだって、ここにくるまでの間もずっと言い聞かせてきた」

もう結菜は私のほうを見ようともせず、公園の奥のほうをじっと見つめている。

「映画ならここで仲直りして、またいつものようにはしゃぎあって……。そんなことわかってる。そうすべきだってわかっている。でも、できないよ……」

「結菜、本当にごめんなさい。私、ずっと自分の気持ちに気づかなかったの」

ベンチから立ちあがった私を避けるように、結菜は数歩前に逃げる。体全体で拒否されているように感じた。

「私に気持ちを言うってことは、和宏くんとつき合うってこと?」

「違う、そんなつもりはないよ。今は事件のことで頭がいっぱいだし。まだきっと和宏のこと、好きになりはじめたばかりだと思うから」

「ふうん」

土を鳴らして振りかえった結菜はまっすぐに私を見つめた。

「ほんと、芽衣ってずるいね」

「え……」
「今はまだ許せないし、応援することもできない。明日からはうまく話もできないと思う」

「結菜……」

「でも、気持ちが固まったときにはちゃんと和宏くんに告白してほしい。そうじゃなかったら、いつまでたっても私の片想いは続くことになるんだよ」

「ごめんなさい……」

もう私は泣いていた。結菜の言う通りだと思う。私はただ自分のためだけに約束を守ったんだと情けなくなった。

「いつか……許せる日がくると思う。それまでは、ごめん」

うつむく私に結菜の去っていく足音が聞こえる。

ひとり残された公園で、私は果てしない自己嫌悪に涙を流した。

――やがて来る最大の悲劇を知ることもなく。



【第六章】「システムエラー」
【SideA 香織】
12月 ?? 日(?)

今は、夜の10時。
いつ殺されるかと考えると、なにもできない。
あのあと、お兄ちゃんやわん君たちに電話をかけまくったことで、ついに藤本さんに携帯電話すら取りあげられてしまった。

なんとか返して欲しくて、ナースステーションに向かった。
夜のろう下は暗くて、ステーションまではやけに遠く感じた。

もうずっと頭が痛い。
今日の夜勤は藤本さんだったはず。
ムリにでも自分の間違いを認めて、携帯だけは返してもらおう。
ステーションの明かりがみえてきた。
藤本さんが、同じ夜勤のヘルパーさんと話しているのが聞こえたの。

「――香織ちゃんが」

そう言っているのが聞こえた気がして足をとめた。
藤本さんの声だ。
そっと聞き耳をたてる。

「だから、あの子おかしいのよ。極度の被害モーソーってやつね」

「ストーカーに悩まされているんでしたっけ?」

「すべての男性がストーカーに感じちゃうみたいでね。ここのなかにまで入ってくる、って騒ぎだしちゃったの」

「それはないでしょう」

クスクス笑う声。

「この間だって、電話の相手をストーカーだと勘違いしちゃってさ、もう泣くわ騒ぐわで、ほんと大変だったんだから」

「へぇー、それはすごいですね」

「あれは重症ね。服薬変えてもらわないと、これからもっと大変になるわよ」