周りを囲む人垣も減ってきたのでそろそろ教室を出ようとして入り口に直樹の姿があることに気が付いた。帰り支度はほとんど済んでいたから鞄を引っ掴み、俺は直樹のいる教室前の廊下へと出る。
「なんだよ、入ってくればよかったじゃないか」
「いや、いいよ。俺はこのクラスの一員じゃないしさ」
妙に引っかかる直樹の言い方は気になったが、深く突っ込まずに俺は下駄箱に向けて歩き出す。直樹も俺が歩き出すのを合図に同じ方向へと歩き始めた。
「でも同じ学校の一員だろ? 遠慮することないじゃん」
直樹が他に言葉を発する様子もなく、沈黙のまま歩いているのに耐えられなくなって俺は直樹に言葉を返した。今は沈黙には耐えられない。佑香の友人の一人からの言葉で俺は動揺してしまっているようだ。だから直樹が教室の前で待っていてくれていることに気が付いたとき、とても安心した。
「まぁ、そうなんだけどなぁ。なんか他のクラスの教室って入りづらくないか?」
「いや、昼休みにずかずかと入ってきた奴の台詞じゃないよな。それ」
「ぶははっ! 確かに!」
「ちょっ、唾を飛ばすなよ」
直樹の言葉に感じた違和は、直樹自身が大声で笑い飛ばしてしまった。もともと繊細な心の持ち主でもない。直樹が俺のいる教室に入ってこなかったのも、何か他の理由があるのだろう。
下駄箱まで来ると、見たこともない顔や見覚えのある顔がごった返していた。この高校に通う全学年が利用する空間だけあって人が多い。扉一つ分開いた出入り口が各学年に割り振られたエリアそれぞれの前にあり、そこから夏の暑く乾いた空気が雪崩れ込んできている。学年の隔たりも、屋内外の境界も、あらゆるものが入り乱れる場所だ。それなのに不思議と秩序は守られている。特別騒がしくもなく、各々が上履きから靴に履き替えて速やかに外へと出て行く。
俺と直樹も靴を履き替えて出入口から外へと出た。室内の薄暗い空間から太陽の眩しい開けた世界へと変化したとき、一瞬だけ周りの景色が霞む。瞳が自然と虹彩を調整し、取り込む光の量を最適化する。その僅かな時間だけ世界が輪郭を失うのだ。同時にノイズのかかっていた蝉の声もクリアになる。降り注ぐ日差しは遮る物を失い、容赦なく降り注ぐ。世界が変化する瞬間は劇的なのだ。そんな当たり前のことを教えてくれたのは佑香だ。
教室という空間から廊下に出ればコミュニティーや人の流れが変わる。廊下から下駄箱に空間が変わればさらにコミュニティーも変化し、屋内から屋外に出れば何もかもが大きく変わる。その前後は変化が少なくとも、必ず変わる瞬間はあるのだ。それは人生も同じであるはずなのに、俺は“今”というものは時間と共にゆっくり形を変えていくものだと思い込んでいた。過去と今の変化を定規にして、過去との距離と同じ距離にある未来の変化はだいたいこんなものだろうと勝手に決めつけ、納得していた。むしろそんな未来を何もせずに待っていたのだ。特別なことをせず、日常を繰り返していれば未来は勝手にやってくると思っていた。そんな愚かな考えの結果、俺の隣から佑香は消えた。
蝉の声と夏の日射しが降りそそぐ中、俺と直樹は校門へと向かう。靴を履いたときに感じたヒンヤリとした感触は、気が付いたら消えていた。ジワジワと変化していくものが世の中には多すぎる。そして、それが心地好いからこそ、人はゆっくりとした変化を望み、自分の人生は特に起伏もなく繰り返すのだと思い込む。これが過去から今が激動だった人ならば考えは違ったのだろう。
校門に差し掛かったところで一つの違和を感じた。直樹は高校まで俺や佑香ほど距離もないため自転車通学をしている。しかし自転車置き場には寄らず歩いて校門を出ようとしていた。
「ん? どうした?」
俺が直樹のことを不思議そうに見ていると、直樹が怪訝そうに聞いてきた。ここに来るまでも他愛ない内容の会話が続いていた。沈黙に俺が耐えられないのもあるが、直樹も最初に廊下で急に黙ってからは妙に喋っていた。
「いや、直樹は今日、自転車じゃないのか?」
「ああ。今日はバスで帰るよ」
「珍しいな」
俺がそう言うと、直樹はニッと歯を見せて笑った。そういえば登校のときにも直樹は自転車に乗っていなかったことを思い出す。俺が休んでいる間に自転車からバス通学に切り替えたのかもしれない。
「なんだよ、入ってくればよかったじゃないか」
「いや、いいよ。俺はこのクラスの一員じゃないしさ」
妙に引っかかる直樹の言い方は気になったが、深く突っ込まずに俺は下駄箱に向けて歩き出す。直樹も俺が歩き出すのを合図に同じ方向へと歩き始めた。
「でも同じ学校の一員だろ? 遠慮することないじゃん」
直樹が他に言葉を発する様子もなく、沈黙のまま歩いているのに耐えられなくなって俺は直樹に言葉を返した。今は沈黙には耐えられない。佑香の友人の一人からの言葉で俺は動揺してしまっているようだ。だから直樹が教室の前で待っていてくれていることに気が付いたとき、とても安心した。
「まぁ、そうなんだけどなぁ。なんか他のクラスの教室って入りづらくないか?」
「いや、昼休みにずかずかと入ってきた奴の台詞じゃないよな。それ」
「ぶははっ! 確かに!」
「ちょっ、唾を飛ばすなよ」
直樹の言葉に感じた違和は、直樹自身が大声で笑い飛ばしてしまった。もともと繊細な心の持ち主でもない。直樹が俺のいる教室に入ってこなかったのも、何か他の理由があるのだろう。
下駄箱まで来ると、見たこともない顔や見覚えのある顔がごった返していた。この高校に通う全学年が利用する空間だけあって人が多い。扉一つ分開いた出入り口が各学年に割り振られたエリアそれぞれの前にあり、そこから夏の暑く乾いた空気が雪崩れ込んできている。学年の隔たりも、屋内外の境界も、あらゆるものが入り乱れる場所だ。それなのに不思議と秩序は守られている。特別騒がしくもなく、各々が上履きから靴に履き替えて速やかに外へと出て行く。
俺と直樹も靴を履き替えて出入口から外へと出た。室内の薄暗い空間から太陽の眩しい開けた世界へと変化したとき、一瞬だけ周りの景色が霞む。瞳が自然と虹彩を調整し、取り込む光の量を最適化する。その僅かな時間だけ世界が輪郭を失うのだ。同時にノイズのかかっていた蝉の声もクリアになる。降り注ぐ日差しは遮る物を失い、容赦なく降り注ぐ。世界が変化する瞬間は劇的なのだ。そんな当たり前のことを教えてくれたのは佑香だ。
教室という空間から廊下に出ればコミュニティーや人の流れが変わる。廊下から下駄箱に空間が変わればさらにコミュニティーも変化し、屋内から屋外に出れば何もかもが大きく変わる。その前後は変化が少なくとも、必ず変わる瞬間はあるのだ。それは人生も同じであるはずなのに、俺は“今”というものは時間と共にゆっくり形を変えていくものだと思い込んでいた。過去と今の変化を定規にして、過去との距離と同じ距離にある未来の変化はだいたいこんなものだろうと勝手に決めつけ、納得していた。むしろそんな未来を何もせずに待っていたのだ。特別なことをせず、日常を繰り返していれば未来は勝手にやってくると思っていた。そんな愚かな考えの結果、俺の隣から佑香は消えた。
蝉の声と夏の日射しが降りそそぐ中、俺と直樹は校門へと向かう。靴を履いたときに感じたヒンヤリとした感触は、気が付いたら消えていた。ジワジワと変化していくものが世の中には多すぎる。そして、それが心地好いからこそ、人はゆっくりとした変化を望み、自分の人生は特に起伏もなく繰り返すのだと思い込む。これが過去から今が激動だった人ならば考えは違ったのだろう。
校門に差し掛かったところで一つの違和を感じた。直樹は高校まで俺や佑香ほど距離もないため自転車通学をしている。しかし自転車置き場には寄らず歩いて校門を出ようとしていた。
「ん? どうした?」
俺が直樹のことを不思議そうに見ていると、直樹が怪訝そうに聞いてきた。ここに来るまでも他愛ない内容の会話が続いていた。沈黙に俺が耐えられないのもあるが、直樹も最初に廊下で急に黙ってからは妙に喋っていた。
「いや、直樹は今日、自転車じゃないのか?」
「ああ。今日はバスで帰るよ」
「珍しいな」
俺がそう言うと、直樹はニッと歯を見せて笑った。そういえば登校のときにも直樹は自転車に乗っていなかったことを思い出す。俺が休んでいる間に自転車からバス通学に切り替えたのかもしれない。