王国は、自らの子を食べる獣と同じだ。
自ら決めた”法”を守らないだけではなく、貴族連中が横柄に振舞っている。
帝国も同じ穴の狢だったために、長年に渡って小競り合いを予定調和の様に繰り返していた。
私は、そんなくだらない戦争に終止符を打ちたかった。
国内の不穏分子を掣肘するには力が居る。
私が、第一位の継承権を持っていようとも、追い落とそうとする者たちは多い。私の立場は、万全ではない。父上である陛下がご存命の間に、確固たる地位と足場を確保しなければならない。
それに、私の背後を守らせる従士が必要だ。
駒は揃った、武力に秀でた者。知恵に秀でた者。皆が私に忠誠を誓ってくれている。
だが・・・。私が欲しいと思う最後のピースが見つからなかった。私を守り、私にさえも従わない者。
見つからないまま、王国に侵攻した。
最初の戦いに勝利をおさめて、宮廷貴族共の帰還命令を無視して、戦場を駆け巡った。
部下にと押し付けられた貴族の子弟が、王国の都市で軍規違反を起こし始めた。たるみ始めていた。
「殿下!ご再考を!」
貴族の子弟に泣き付かれた貴族たちが帝国から駆けつけてきた。
ご苦労なことだ。
「軍規違反だ。一考する価値もない。くっ」
薬か?
一部の貴族が、違法薬物を扱っていると聞いたことがある。
「やっと効いたか。女の癖に・・・。おい。姫殿下はお疲れのようだ!」
「貴様ら!」
「あとは、お任せを、貴女の戦果も全部、私たちが頂きましょう。貴女は、明日・・・。卑劣な王国兵に討たれるのです」
私の天幕を見れば、見たことがない者に変っている。
番をしていた者が買収されたか?
不覚。仲間を信じすぎたか?
短剣を取り出して、自分の腿を突き刺す。
その勢いで、貴族たちの首と、従者たちの首を切り落とす。
「誰か!」
「は」
私の意識は、闇に閉ざされた。
報告では、倒れた私を見つけた部下の一人が事情を察して緘口令を発布した。
薬が抜けた私は、軍規違反を起こした者たちを処断した。
王国の王都を半包囲して、半月が経過した。
逃げ出してきた貴族や商人から情報を得て、王都に残っているのは、国王と数名だけだと解った。
王国の命運も、あとわずかだ。
明日。
王国の命運を断ち切る。部下の前で、宣言をする。
やはり、王国も帝国も同じだ。
腐った貴族連中が蔓延っている。豪商と言われる者たちも同じだ。王国を飲み込んだあとは、帝国だ。腐敗の温床である宮廷貴族共を一掃する。
その為にも、最後のピースが必要だ。
---
部下に宣言して、王都に踏み入った。
逃げ出せなかった市民たちが、窓の隙間や路地から私たちを見ている。無様な姿を見せられない。市民を害するつもりもない。
少数で王城に向かう事にした。
部下たちは、捕えた貴族や豪商の屋敷を抑えに行った。中に証拠が残っている可能性もある。
また、王都の入口で炊き出しの指示を出した。
報告では、半年以上も物資が不足していたはずだ。配給を行うように指示しても、豪商や貴族たちが奪い合っていたようだ。腐っている。本当に、一度殺しただけでは足りない連中だ。
王城には簡単に到着した。
門番が残っているのか?
寝ているとは、こんな状況で残っているのも凄いが、寝てしまっているのも凄いな。
「起きろ!」
「あなた方は?」
私たちを見ても驚かない。想像はしていたのだろう。それでも、しっかりと起きて立ち上がった姿は、門番の基本をしっかりと抑えている。
「門を開けろ」
部下の言葉は乱暴だが、甘くみられるわけにはいかない。
「できません。ここは、ファロウズ王国の国王が住まわれる王城です。面会のお約束が無い方をお通しするわけには行きません」
なっ
少数といっても、30名は居るのだぞ?
気でも狂っているのか?
「殺すぞ!」
部下が剣を抜いて門番の首筋を狙う。
他の者たちも剣を抜いている。
無暗に殺す必要はないとは言っているが、門番が剣を抜いたら、そのまま殺すだろう。
門番は、直立の体勢を崩さない。
剣も手に持っているが、門番のスタイルのままだ。
「私も、死にたくはありません。しかし、一度、陛下から”門番”を任されたからには、殺されるからと言って逃げるわけには行きません」
意味が解らない。
死にたくないのなら、門を開ければいい。
「本当に殺すぞ。俺たちは、お前を殺して、門を壊すこともできる」
「解っております。しかし、私にも”門番”としての誇りがあります。貴方たちが、帝国兵としての誇りを持つのと同じです。お引き取り下さい」
”誇り”か?
確かに、部下は”誇り”を持っているのか?
この門番は、殺すには惜しい。
今まで殺してきた貴族や豪商とは違う。本当の騎士だ。
部下を下がらせて、馬上のまま門番の前に出る。
「約束はどうしたら取れる?」
私の声を聞いて、眉を動かしたが、すぐに表情を戻した。
声を聞けば、私が”女”であることもわかるだろう。帝国の文様を鎧に刻んでいることで、私の身分もわかるだろう。
「所定の手続きがあります。王国では、これが”法”です」
”法”か、私のことを知っていて、”法”を持ち出したのかもしれない。
「相分かった。手続きを教えていただけるか?」
「それは、私の権限では行えません」
「では、どうしたら?」
「わかりました。ここでお待ちいただけますか?詳しい者が居るか確認してまいります」
「お手数をおかけするが、頼めるか?」
「はい」
どこまでも無礼な男だ。
だが、心地よい無礼だ。
その後、門番が連れてきた者たちは、王城に残っていた者たちだ。
話を聞けば、上司が逃げ出したが、自分たちは、国民の税で生活をしてきた。死にたくはないが、税で生きてきた者として、陛下からの指示がない限りは、自分の職制の中で動かなければならないと言い切っていた。
気持ちがよい男たちだ。
このような者たちが、軍のトップに居たら、王国のトップを占めていたら、立場は逆になっていただろう。
命運を司る神は、私に何をお望みなのだ?
「貴殿が居てくれたから、私は安心できる」
「陛下。ありがたきお言葉。しかし、私は門番としての職責を果たしているだけです」
「わかっている。私が、帝国を倒せたのも、貴殿を得たからだ」
「それは違います。陛下。私は、陛下が住まう場所を守る門番です。それ以上でも、それ未満でもありません」
「そうだな」
私は、王国で最後のピースを見つけた。
彼の名は、”キール=デ・ファロウズ”。王国の名前と同じ”姓”を持つ人物だ。
キールは、何時になったら、私からの求婚を受けてくれるのだろう。元王国国王の許可は出ているのに・・・。
---
門番の男から紹介された男たちに手順の詳細を聞いた。
6回に渡って、約束が取り次げないと言葉を貰った。
「オリビア殿下。陛下が”明後日なら大丈夫だ”という伝言をお預かりしました」
「門番殿には、面倒をおかけした」
「私の職責です。オリビア殿下は、手順を守られたのです」
「・・・」
私が立ち去ろうとしたら、門が開く音がした。
何度か聞いているが、このタイミングで開けられるとは思っていなかった。
振り返った私を、門番はいつもの体勢から、深々と頭を下げた。
「(・・・・)」
門番が何と言ったのか聞き取れなかった。
聞き取れなかったが、頭を上げた門番の表情が、今までと違っていた。
---
約束の日に、私は数名の部下を連れて、王城に向った。
部下の中には、強硬論を唱える者も多かったが、ここまで来て強硬しても何も得る事がないと、部下たちを押さえつけた。忠誠心は高いが・・・。
「門番殿」
「オリビア殿下。お約束は?」
「シンシア=デ・ファロウズ陛下との面談の約束だ。お取次ぎを願おう」
「お聞きしております。どうぞ、部下の方々もどうぞ、そのままでお通りください」
「いいのか?」
「はい。陛下から、帯剣のままでよいと言われています。もし、帯剣の必要がなければ、私の職責でお預かりいたします」
「そうか」
「はい。確かにお預かりいたします」
---
今日で、王国は終わる。
陛下はどうするのだろう?
帯剣の許可をだした事から、玉座で最後を迎えるのか?
今年ので7歳になる。
逃げ出した前々国王の孫にして、私の義弟。陛下が居たから、私は門番としての職責を全うすることができた。前国王は、金目の物とお気に入りの女中を連れて逃げ出した。父だが、父とは思えない。母を殺して逃げ出した者を父と呼べるわけがない。私への当てつけなのか、義弟に継承権を与えて、王太子に任命していた。そして、私に門番の職責を与えた。義弟を守れと命令を出した。
シンシアは、7歳だが、私よりも賢い。シンシアが平時の王になれば、王国も繁栄した未来が有ったかもしれない。
そんな未来は来ない。
馬の歩く音が聞こえる。
王国を終わらせるために、王城を訪ねて来る。
凛とした佇まいを持つ帝国の騎士だ。
いつものやり取りを行う。
これが最後かと思うと寂しくもある。
陛下から帯剣の許可が出ていると伝えたが、オリビア殿下は剣を私に渡してきた。
驚いたが、オリビア殿下なら、交わした約束をお守り頂けると思っていた。
剣を受け取る手が振るえないように、しっかりと大地を踏みしめる。
私は、陛下の門番だ。陛下の命がある限り、職責を全うするのみ。
どの位の時間が経過したのか?
すでに、陽が傾いている。
「兄上!」
え?
「陛下!このような。それに、兄などと・・・」
「いいのです。兄上。僕は、もう国王ではなくなりました」
「え?」
何が何やら、この数時間で何があった?
朝の段階では、陛下は”最後の王”になることを心に刻んで覚悟を決めておられた。
「兄上。陛下がお待ちです。早く、玉座に向ってください。あっその剣は持っていってください」
「はい」
なんとなく想像していた。
一歩。一歩、踏みしめて歩く。陛下が後ろから着いて来てくれる。恥ずかしい真似は出来ない。
私は、この剣で殺されるのだろう。
それでいい。王国最後の門番として、門以外で死ぬのは本望ではないが、陛下の代わりに、義弟の代わりに死ねるのなら・・・。
玉座には、オリビア殿下が座っている。
義弟がオリビア殿下の前まで行って跪いた。そして、臣下の礼を取る。
「キール。現在の王国は、オリビア陛下が国王だ。陛下に忠誠を誓え」
そうか、シンシアはオリビア殿下に禅譲したのか?
王国の法を持って、王国を統合する。
オリビア殿下の宣言が心を穿つ。
「キール=デ・ファロウズ。余が、オリビア=デ・ファロウズだ。貴殿に、新しい命を与える」
「はっ」
「キール=デ・ファロウズ。余が住まう場所の門番に命じる。いかなる時にも、余の許可なき者を通すな」
「はっ」
私は、陛下から任命された門番だ。
---
オリビアは、最後のピースを得た。
王国全土に新しい国王として戴冠したことを通知した。反発した、帝国兵もいたが、7割がオリビアに従った。従うしかなかったのだ。王国として、腐った貴族や豪商が駆逐されている。残ったのは、職責を全うしようとした者たちだ。オリビアは、その者たちをシンシアに預けた。
王国の再建は信じられない速度で進んだ。
”帝国皇帝の崩御”
オリビアの下に届けられた情報だ。続報を聞いて、オリビアの表情が変る。挙兵を決意するには十分な情報だった。
帝国は醜い内戦に突入した。
オリビアが国境に兵を集めても、帝国はまとまった兵力での迎撃が出来ない。
オリビアの進軍を期待する市民まで出てしまっている。
そして、オリビアは帝国の帝都に軍を進めた。
傍らには、王国で手に入れた奇貨が控えていた。
オリビアは、奇貨を得て、自らの信じる道を邁進することが出来た。
二人は出会うべくして出会った。
「キール」
「はい。陛下」
「新たな命だ」
門番は守るべき騎士を得た。
騎士は最高の門番を得た。
二つの国を併呑して尚も二人の歩みは止まらない。
本当に勝手な人。
勝手に、私を好きになって、勝手に私の心を独占して・・・。
結婚の話も、貴方が言い出した。
そのつもりだったけど・・・。嬉しかったけど、雰囲気くらい作って欲しかった。
私の考えを確認した?してないよね?勝手に、私の両親に話をしたよね?たしかに、連絡先は聞かれたけど・・・。
今日だって、急に車を出すから乗れ?急がせないのは嬉しいけど、先に言ってくれたらもっと嬉しい。
用事が無いのは確認されていたけど・・・。それにしても急だよね?どこかに行くの?
え?伊豆?
今から?
大丈夫?
そういえば、伊豆なんて、結婚前に来て以来だから・・・。二人で来るのは二度目?初めて?
え?違う?
本当に、言葉が足りないのよ。
まぁ慣れたからいいけど・・・。
そういえば、聞いていなかったけど、伊豆のどこに行くの?
天城峠?
今から?本当に?泊まるの?
泊まらない?
疲れない?
大丈夫?到着は、夕方になってしまうわよ?
もう・・・。夜?
本当に、勝手な人。
車から流れる歌も、出会った当時の・・・。
懐かしい。15年?
え?17年?
そうか・・・。
私が『”寂しい”と感じている』ことを、察してくれた?
本当に伊豆に向かっている。
フェリーを使うのかと思ったけど・・・。バイパスを使うのね?
え?なに?
窓を開けてしゃべられると聞き取れない。
ふふふ
勝手な人。退屈していないわよ?
そう・・・。
忘れていたけど、思い出したわ。
最初に言ってくれればいいのに・・・。
あれから、17年
道の駅?
はい。はい。
休憩?
私は休んでいろ?座っていればいいの?疲れているのは、貴方でしょ?買い物があるのなら、私がしてくるわよ?
いいから休んでいろと言われても・・・。
入口近くのベンチに座って、貴方を目で追いかける。
何?
お饅頭?それに、花?
あっ!
そう・・・
本当に勝手な人
時計を見ると、16時を少しだけ過ぎていた。
本当に勝手な人。
最初に言ってくれれば、私も準備をしてきたのに・・・。
休めたか?じゃないわよ。
そういえば、ご飯はどうするの?私は、まだ大丈夫だけど・・・。
え?予約している?
今から行く?
予約するような場所?
本当に・・・。服装は大丈夫?
大丈夫?本当に?
目的地は解った。食事?え?
ここ?
あっ・・・。
え?覚えていたの?すっかり忘れていた。え?え?本当?
17年前に、貴方に会う前に来て、美味しかった店。
貴方に会って・・・。美味しかったから・・・。お礼に・・・。そう話したお店。でも、貴方は・・・。あの時に、お礼は必要ないと言った。
忘れていた。
懐かしい。
覚えている。貴方に会う前には何度も訪れていた。最初は仕事だった。仕事で疲れた時に来るようになったお店。山の中にある。何処にでもあるような、でも何処にも同じような店がない不思議なお店。
窓際の席に案内された。
本当に予約していた。
思い出した。
私は、このあとバスで・・・。二階滝に向かった。
なんで、向かったのか覚えていない。
店員が夜になるとバスがなくなるから辞めた方がいいと教えてくれたのを覚えている。
それでも、私は自分の意思で向かった。
晴れているから月明りでも十分だと思っていた。
歩けば、時間がかかるけど・・・。大丈夫だと思っていた。終電の時間までには、駅に辿り着けばいいと思っていた。
公園のベンチに座って、何を考えていただろう?
”死”とは違う。死ぬつもりはなかった。ただ、何もかも忘れたかった。
そう・・・。
二階滝の近くの公園で、あの子に出会うまで・・・。
あの子は、ベンチで丸くなっていた。
細くて弱弱しそうで・・・。
自分と重なった。
スポットライトのように、月明りがあの子を照らしていた。
私が近づいても、あの子は、私が横に座っても・・・。
生命の灯火が・・・。
何を考えていたのかわからない。
わからないけど、あの子を死なせたくなかった。
あの子を抱きしめて走った。月明りだけを頼りに・・・。走った。どこに走ればいいのか解らなかった。でも、走った。
何をしていいのか、どうしたら助けられるのか?私の腕の中で、弱弱しく声をだした、あの子を死なせたくなかった。温かいあの子を・・・。
貴方が通りかかったのは、この時だった。
私は必死に貴方に縋りついた。
貴方は、近くに写真を撮りに来たと言った。取材だと・・・。
この子を助けてと縋った。泣いていたかもしれない。貴方を叩いたかもしれない。必死だった。なぜ必死になったのか覚えていない。死んでほしくなかった。
貴方は、何も聞かないで、私の手を引っ張った。そして、私を助手席に乗せた。
そして、電話をかけた。時間外だと言っている声が聞こえた。
貴方は、そんな電話相手に、開けて待っていろとだけ伝えて、車を走らせた。
車の中で、獣医に連絡した。と教えてくれた。
道を知っていたの?
獣医に到着した。獣医は、開けて待っていてくれた。先生が貴方を呼んでいるのを聞いて、貴方の名前を初めて知った。
車の中で、私は何を話したの?
二階滝に言った理由?あの日の行動?何か、話していないと不安だったのは覚えている。最初は私の腕の中で動いていたあの子が徐々に動かなくなってきた。
獣医さんは、あと少し・・・。数時間遅かったら助けられなかった。”ありがとう”と言ってくれた。
あの子は、私が引き取ろうとした。
でも、私の家はペット禁止。迷っていると、貴方が自分は、自宅で一軒家だから大丈夫だと・・・。それだけしか教えてくれなかった。
月夜に遭遇した。貴方とあの子。
貴方は、月夜が終わりを告げるまで一緒にあの子を見ていてくれた。
始発が動き出す時間になってから、私を三島まで送ってくれた。
元気になったあの子の写真を送ってくれた。
ぶっきらぼうで、写真だけのメールが、何か貴方らしいと思えた。
こっそりと、獣医さんに連絡をして、治療費を払おうとしたら、貴方が既に支払っていると教えられた。
そして、よくある事だから気にしなくていいと・・・。貴方は・・・。本当に勝手な人。獣医さんに聞いたから私は知っていたのよ?
あの子は長くないと・・・。でも、貴方がそれでも引き取ったと・・・。
でも、あの子は17年も生きた。
人間で言えば、84歳よ?もしかしたら、88歳くらい?
ありがとう。
あの子には、何度も、何度も、何度も、伝えてきた。
でも、今日は貴方に伝える。
「ありがとう」
「どうした?」
「ううん。何でもない。あの子にお別れを言っていたの」
「そうか・・・。このあと、アイツの所に行くけど、いいか?」
「もちろん。あの子を救ってくれた先生よね。お礼が言いたい」
「お礼は必要ない。そもそも、伝えられない」
「え?」
「あいつは、先週。死んだ」
「え?うそ?」
「本当だ。もしかしたら・・・」
「何?」
「なんでもない。もういいのか?」
「・・・。うん」
「いくぞ。勝手に死んだ奴の墓参りだ」
本当に勝手な人・・・。こんな月が出ている時に墓参り?
私とあの子と貴方。先生に会いに行くのには、月夜が合っているのかもしれない。
あの日も、綺麗な月夜だった。
月夜にあの子と遭遇して、貴方に助けられて・・・。
私は幸せです。
彼女が僕のところに帰ってきた。
でも、彼女は哀しそうな、もうしわけなさそうな、それでいて怒った表情をするだけで、僕には彼女が何を言っているのかわからない。
彼女が居なくなってから、たったの1週間だ。
その間に彼女に何があったのか、彼女の家族は教えてくれなかった。
親切な隣人たちが、僕にいろいろと教えてくれた。
教えてくれるだけなら親切な人だと感謝もするが、聞いてもない彼女の家族のことを教えてくれる。
僕が可哀そうな人になってしまっている。
マスコミを名乗るゴミのような人間までも寄ってくる。そして、”今の気持ちは?”くだらないことを聞いてくる。ハッピーだと答えたらいいのか?”くだらない質問ばかりで気がめいっている”とでも答えればいいのか?
何も答えないでいれば、彼女が悪人のようになってしまう。
家族に虐待されていた?
学校でイジメに合っていた?
友達が居なかった?
僕から何も引き出せないとわかったマスコミは通り一遍の質問をして、いつのまにか僕の周りから消えていた。
そして、僕の存在を消して、皆が彼女を独りで頑張っていた可哀そうな人にしてしまっている。
彼女は逃げ出したのではない。
彼女は僕と新しい生活を送るはずだった。
マスコミが、近隣の親切な人が、彼女を可哀そうな人にして、僕を居ない者として扱い始めた。
僕と彼女の思い出を必要ないとばかりに黒く塗りつぶしていく、僕の存在が消えていくたびに、心が黒く染まっていくのがわかる。
何も感じない。
手の中にあるのが、彼女が実在していた証拠だ。
僕の手元に残ったのは、ひとふさの髪の毛だけ。漆黒と表現するのが正しい彼女の髪の毛だ。
彼女の家族から、渡された形見分けだ。
彼女の家族とも会って話をした。彼女が僕の存在を伝えてくれた。そして、家を出て僕との生活を始めることも告げていた。家族は賛成も反対もしていない。彼女に興味がないだけだ。居ない者として扱っていた。それが虐待だと何も知らないマスコミが騒いでいる。
彼女の気持ちも知らないで、マスコミは”世間”や”民衆”を代表して伝えている。間違っているとは思わないが、知らないのなら調べればいい。何も調べないで、近隣の親切な人たちの話を鵜呑みにして悪意を垂れ流す。
彼女は、死んでからもマスコミにレイプされてしまっている。
学校でのイジメも表現が柔らかくなっている。
イジメではない。脅迫であり暴行だ。
彼女は死んだのではない。殺されたのだ。
黒く染まってしまった心が訴えかけてくる、彼女を殺したやつを、死んだあとでレイプをしている連中を同じ目に合わせよう。
彼女の復讐ではない。
僕の復讐だ。
僕の思い描いた、彼女との未来を奪った連中への仕返しだ。
僕を止めていた彼女はもう居ない。
僕を止める者は”どこ”にもいない。
邪魔をする者は、僕の敵であり殺すべき相手だ。
黒く染まってしまった心には、何色を上から塗っても変わらない。
僕の心は”黒”から変わらない。
全てが終わった後で、僕の心は白くなるのかな?
それとも、彼女の髪の毛のように、黒いままなの?
もう笑いかけてくれない彼女の髪の毛に、僕は問いかける。
今からやろうとしていることに、正義はない。
僕の正義があるだけだ。だれにも理解してほしいとは思わない。僕の黒くなってしまった心を変えられる彼女は”どこ”にもいない。
漆黒の髪を・・・。彼女が残してくれた、ひとふさの髪だけを握って、僕は心と同じどこまでも黒が続く場所に足を踏み入れた。
雨上がりの彼女は目立つ。そして目を引く。
ずぶ濡れなのに、持っている赤い傘は濡れていない。拭いた様子はない。傘としての役割を放棄しているようにも思える。
彼女は自分が濡れているのを気にしている様子はない。
決まった道順を歩いて、決まった場所で立ち止まって・・・。傘を前に出す。彼女にだけ見えている者に話しかけてから、傘を大事そうに抱えて決まった道順で帰る。
雨上がり、彼女が持つ”赤い傘”だけが濡れていない。
僕は、彼女に話しかけることにした。僕の想像が間違っていることを・・・。祈って・・・。届かない祈りだとわかっていても・・・。
「ねぇどうして傘を差さないの?君が濡れてしまっているよ?」
「え?だって、傘が濡れたら抱えられないよ?」
「そうだね。でも、傘は君を濡らさないようにするものだよね?それにさっきまで雨が降っていたよね?」
「そう?気が付かなかった?今は、あの時と同じ雨上がり?」
「え?」
「ありがとう。教えてくれて!私、今が雨上がりだと気が付かなかった!」
彼女は僕に笑いかけてからいつものように歩き始めた。
僕は慌てて彼女の後を追った。確かめなければならない。彼女のためではない。僕のためだ。わかっている自己満足なのだと、彼女からしたら迷惑なことだろう。わかっている。わかっている。わかっている。でも、もう・・・。止められない。
彼女はいつもの場所で止まって、来た道とは違う路地の先を見つめる。
「まい。お姉ちゃんに傘を貸してくれてありがとう。もう雨も上がったから、大丈夫よ」
彼女は、見えない誰かに話しかけるように傘を差し出す。
誰も受け取ってくれないとわかると、彼女は持っていた傘を大切に抱えてから、いつもの道に戻る。
「その傘は、妹さんの物なの?」
「え?」
「だって、さっき、お姉ちゃんに貸してくれて・・・。と、言っていたよね」
「そう。私の妹。優しい妹。私が傘も持っていないからと、パパに買ってもらったばかりの大切な傘を貸してくれた・・・。まいに、返さないと、いつまでも、まいとパパとママが帰って来ない」
「・・・」
「ママに買ってもらった、私の傘は学校で盗まれちゃった。だから、まいが傘を貸してくれた。私が濡れて風邪をひかないように・・・。だから、傘を畳んで、まいに返さないと・・・。あの日と同じ雨上がりの今日なら・・・。ほら、あの日と同じで虹が出ている!まいとパパとママが来る!」
道路に飛び出そうとしている彼女の手をとっさに握ってしまった。
「危ないよ」
「どうして?」
「・・・。そうだ。大切な妹さんの傘が車に轢かれたら壊れてしまうよ。大切な物なのでしょ?」
「え?あっ・・・。うん。そう。まいが欲しがった私の傘と同じ”赤い傘”。パパがまいに買ってくれた。私にはもう何も残っていない。この赤い傘だけが・・・。だから、まいに返さないと・・・。あの子、意地っ張りだから・・・。もう大丈夫だと知らせないと、受け取ってくれない。私は大丈夫。濡れても風邪なんか・・・。だから、まいに返さないと・・・」
「・・・」
「ねぇ。私、大丈夫だよね?笑えているよね?パパもママもまいも居なくなっちゃったけど、私、大丈夫だよね?」
握った手を握り返されてしまった。
僕には答えられない。
彼女から父親と母親と妹を奪ったのは、僕の父だ。
事業に失敗したと思い込んだ父は、母と兄を殺して、帰宅した僕を殺して自分も死のうとした。僕は、殺されたくなくて必死に逃げた。父は、僕を車でひき殺そうと無謀な運転をした。
ハンドル操作を誤ったのかよくわからない。雨上がりで路面が濡れていて滑ったのではないかと警察は言っていた。
僕は父親が運転する車から逃げることができた。でも、代わりに姉を迎えに来ていた、一組の家族の両親と幼い子供の命を奪った。
僕が逃げ出さなければ、彼女の両親と妹さんは死なずに済んだ。
僕が、彼女の両親と妹さんを殺した。
僕の贖罪は終わらない。僕の行為は善行ではない。ただの自己満足だ。
彼女が、雨上がりに妹さんに傘を返せるまで、僕は彼女と一緒に過ごすことを決めた。彼女が望んでいるのかわからない。でも、僕にできるのは、彼女の話を聞くことだけだ。
雨上がりの虹が奇麗でも、彼女の目には映らない。
彼女の目には、雨上がりに両親と一緒に彼女を迎えに来る妹さんしか映っていない。
父さんとの約束がやっと果たせる。
心残りは・・・。ない。
穢された約束の場所を20年かけて磨き続けた。
毎日。俺は、家族が大切にしていた場所を磨き続けた。
町からなにやら表彰されたが嬉しくなかった。
こうなる前に、町が市が県が国が動いてくれればよかった。
40年前は人であふれかえっていた。
30年前の事件から人が寄り付かなくなった。
父さんとの約束を思い出した20年前に俺は母さんが愛した場所を購入した。二束三文という言葉が正しいような金額で落札ができた。
弟が眠る場所。
母さんが最後に俺を抱きしめてくれた場所。
父さんが皆で行こうと約束してくれた場所。
俺だけが残されてしまった場所。
俺から全てを奪って、約束の場所を穢したやつらがいる。
許せるわけがない。やっと舞台が出来上がった。
奴らは、弟を跳ね殺して、母さんを轢き殺して、助けに入った父さんを笑いながら殺した。その時に、俺も殺された。でも死ねなかった。俺を助けてしまった医者が言っていた。あと、数センチ。数ミリずれていたら助けられなかった。
医者に”なぜ俺を助けた”と涙を流しながら医者を問い詰めた。
医者は掴まれている胸倉の手に自分の手を合わせて、
「キミの父親に頼まれた」
医者が教えてくれた。
俺を助けてしまった医者は、約束の場所に観光で来ていた。少ない休みに近場で家族と過ごすにはちょうど良かったのだと笑っていた。そして、あの事件が発生した。
医者はすぐに父さんと母さんと弟が殺された場所に駆け寄った。そして、母さんと弟がもう手遅れだとわかると、俺と父さんを避難させようとした。俺たちを殺したやつは、乗ってきた車で次のターゲットを探すように走り去っていた。
医者は、父さんの方が危ないと見て手当を始めようとした。休暇で来ていて必要な道具はない。
父さんは、医者に自分は長くないと悟って、自分よりも息子を助けてほしいと懇願した。
そして、医者は俺を助けて、父さんは別の医者が殺した。
また来ようと母さんと約束した場所。
弟が大きくなったらまた来たいと言った場所。
父さんが次に来た時に秘密の場所を教えてくれると言った約束の場所。
全てが無くなってしまった。
俺は、施設に預けられた。助かった俺にゴミのような連中が集ってきた。どうやら、俺は悲劇の人のようだ。マスゴミが一周すると、今度は宗教を騙るクズどもや、何たら法人を名乗る詐欺師たちが集まってきた。
俺は、家族を一瞬で亡くした悲劇の人だ。そして、法律上の相続人でもある。クズや詐欺師たちは、俺が得るであろう金が目的のようだ。相談できる人がいない俺はネギを背負ったカモに見えるのだろう。
相手が頭のおかしな連中なら、俺は奴らよりも頭がおかしなふりをすればいい。
施設でも俺は演技を続けた。
数カ月、俺は可哀そうな悲劇の人で過ごせた。
1年後には、家族を失ったショックで精神がおかしくなった人になっていた。
数年後、成人した俺をが施設を出ようとしても止める人はいなかった。
医療事故の示談金や、父さんと母さんの保険や、父さんの事業を売り払った金を元手に俺は約束の場所を落札した。
二束三文で、東京ドームで言えば10個以上が収まる広大な土地を手に入れた。余った金で公園や施設を整備しようとかんがえた。
俺は、生活の拠点を約束の場所に隣接する施設に移した。
施設も荒れ経てていた。
あの事件から、美しかった公園も整備されていた道も、すべてが破壊され穢されていた。
俺は、施設を整備して、公園を元の姿に戻す活動を始めた。皆が”無理”だと教えてくれた。親切な人は”無駄”だと諭してくれた。それでも、俺には家族の”約束の場所”を取り戻すことしか考えられなかった。
公園が施設がきれいになって約束の場所が戻ってきた。
しかし、約束の場所には大切な人の姿がない。当然だ。すでに、30年以上の年月が流れている。
町から区に変わって、市から公園を開放してほしいという要望が届いた。
俺は、ある条件を提示した。約束の場所は、蘇ったが完全ではない。
完全にするための儀式が残っている。
父さんと母さんが好きだった場所。弟が楽しみにしていた場所を穢した奴らが許せない。だが、同じくらい、俺がこの場所を穢すことができない。
市は俺が出した条件を飲んだ。飲まなくても、俺は別に構わない。どうせ、俺の命は半年も持たない。そうなれば、この施設も公園もまた競売にかけられる。今度は、二束三文という値段での落札は無理だろう。数十倍・・・。もしかしたら数百倍の値段になっている。それだけのことを20年かけて行った。
さぁ最後の仕上げをしよう。
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公園の名前は、つけられていた名前から男性が望んだ「約束の場所」にあらためられた。そして、男性の望み通り車での来園はできない。1キロ以上離れた場所にある駐車場から歩かなければならない。
しかし、駐車場から公園までの道には、男性が植えた草木が四季を楽しませてくれる。
男性が望んだのは、公園の一角にモニュメントを置くことだった。
柔和な表情をした男性と小さな子供が手をつないでいる。子供の横には、優しくほほえむ女性が膝をついて両手を広げている。子供は、手をつないでいなければ今にでも走りだしそうな雰囲気だ。家族が、誰かを見つけて駆け寄ってくるのを待っているようにも見える。
そんな銅像の後ろには、石碑が置かれている。
モニュメントには、公園の名前で「約束の場所」と書かれている。そして、銅像の名前は「父親と母親と兄と弟」と銘がうたれている。
石碑の裏側には、30年前に発生した事件が実名で彫られていた。
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公園が公開されてから、数日後に男性は、まるで誰かに抱かれるような恰好で命のともし火を消していた。
男性が居なくなった公園で、男性が残した石碑が問題になっていた。
市は石碑を撤去しようとしたが、男性が委託した弁護士がそれを拒否した。市には、世間が石碑に気が付いて、問題が表面化するまに撤去しなければならない理由があった。
しかし、市が考えているよりも早く石碑は世間から注目を集めた。
最後に男性が行った、「父さんが約束してくれた、秘密の場所に残された財産をすべて隠した」と投稿をSNSに行い。「約束の場所」という新しく整備された公園の名前を告げた。