私は、今会社の屋上に登っている。
あの人が最後に見た空は、私が今見ている空とは違うのだろう。こんなに、滲んで居なかっただろう。
私は、あの人が最後に見た空を見たかった。
光化学スモッグで汚れた空だが、あの人にはどんな風に映っていたのだろう。
空を見上げていた、口元は笑って居た。ただ、もう二度と、話をする事も笑顔を見ることもできない。
溢れ出る涙を拭って、部署に戻る。
もう一度空を見上げる。見上げた空は、何も変わっていなかった。
ここは、川崎駅から、南武線に乗って何駅か行った場所にある会社だ。小さいながらも自社ビルを持つIT企業が、私が務める会社なのだ。今、私は自宅謹慎になっている。私だけではない、私の部署全員が同じ境遇になっている。
自宅謹慎といっても、別に自宅に居なくてはならないわけではなく、連絡が付く場所にいれば良いと言われている。
私と同じ様に、自宅謹慎になっている人たちが、ちらほら会社に来ていた。私の部署は、会社の中では中規模な部署だ。人数は、20名ほどだが全員が実働部隊という珍しい部署だ。たいてい部署の中に専任の営業が居たり、ネットワーク屋が居たり、何かしらの専門家が居るのだが、私の部署は”プログラマ”だけの集まりになっていた。
こんな部隊を率いていたのが、倉橋さんだ。
私が、倉橋さんの部署に配属されたのは、社会人になってから2年ほど経ってからだ。
最初は戸惑う事が多かったが、鎮火作業に繰り出される事が多い部署だと話を聞いていた通り、作業はほぼ”火”が点いている現場だけだった。
そんな場所で、2年過ごせば、大抵の事はできるようになってくる。倉橋さんの部署に、専門家が居ない理由がよく分かる。専門家を置く必要が無いのだ。全員が、ある程度の事ができてしまうのだ。そうなるように、配置されていくのだ。現場に出てしまえば、”知りません”や”できません”は言えない場合が多い。そのために、専門家には敵わないのは当然だけど、ジェネラリストな対応が求められる。
私も、経験と同時に扱える言語の数が増えていった。DBも触れるようになり、サーバ周りの設定やサービスの設定も行えるようになっていた。
倉橋さんには、笑いながら
「業務履歴書にたくさん書き込めるぞ!」
と言われた。事実、私たちの業務履歴書はすごい事になっていた。
ただ、専門家ではないので、職種は”プログラマ”のままにしているのだ。
倉橋さんは、よく笑う人だ。理由を聞いたら、”笑わないで居ると心が潰れてしまうから”と、笑いながら教えてくれた。
39歳の誕生日を職場で迎えたと笑った笑顔を忘れない。
あれは、ある巨大システムの鎮火作業に携わった時だった。
そこは、今までの火付け現場とは違っていた。
今まで、私たちも巨大システムの火消しに携わった事があったが、それは根本が違っていた。
とある、大手SIerが、来春からオープンする病院のシステムを受注して、開発を行っていた。最初の火は小さな小さな物だったようだ。ハードウェアと連結する部分を担当していた、会社が飛んだのだ。
この業界、仕事をしながら会社が飛ぶという現実はよく発生している。
大きなシステムになればなるほど、間に入る会社が多ければ多いほど、支払いサイトが発生する。後で知った話だが、飛んだ会社は、翌末締めの翌々々末払いになっていた。支払いまで、120日かかる計算になる。しかし、そこで働かせている従業員には、末締め翌25日払いにしないと生活ができなくなってしまう。その間の約100日程度を会社が持ち出すのだ。
それだけなら銀行融資とかで繋ぐ方法も考えられる。しかし、火が付いてしまうと、受注会社は支払いを渋る傾向にある。1週間遅らせるだけで、小規模の会社は飛んでしまう。
こうして、1つの会社が仕事をしながら、飛んでしまって、火が具現化する。
要因はいろいろ有るだろう。中間会社の支払いが少し遅れただけで、下は大きな反動を喰らう事になる。
ここで、受注している会社が出てきてジャッジをすればほとんどの場合は鎮火する。しかし、中間会社が出てきて、こねくり回すと、間違いなく火が大きくなる。
この時にも、飛んでしまった事を隠した中間会社は、内部の人間で作業を継続する事を考えて実行する。
これで、火が少しだけ大きくなる。
大きくなった火を消すために、他のうまく行っている部署から人を集めて来て火消しを行う。
これを繰り返す。火がシステム全体に行き渡るのに、それほどの時間はかからない。
特に、病院の様なシステムでは、人を投入すれば火が消えるような場所ではない。”お上”から出される難解な点数表を読み解く力や、意味不明な業界用語や業界の常識を知らなければならない。
それがわかっていない”優秀なシステムエンジニア”たちが大量に投入され始める。
中間会社が集めてくる人材は優秀な人たちだが、一点だけ”業務知識”が足りなかったのだ。それも、バラバラの対応方法で、目先の鎮火作業を行っている。
その場所の火は小さくなって鎮火する。しかし、すぐ横に新たな火種が産まれる。
受注会社が対応に乗り出すが・・・時すでに遅く、火はシステム全体を覆うようになってしまっていた。
倉橋さんの部署にこの話が来た時の状況だ。倉橋さんに、まとめ役の1人になってほしいという事だ。私たちの部署は、このシステム案件に関わる事になる。部署の全員であたるのを、倉橋さんは渋ったようだが、会社の意向もあり、全員で現場に向かう事になった。
現場を見た私たちの感想は、皆同じだった・・・。
それほど長くこの現場は持たないだろう・・・と思った、いろいろな現場で鎮火作業をしてきたから解るが、悪い方に転がっている現場は、雰囲気が同じなのだ。
作業をしている会社同士が固まって、お互いに監視し合っている。
そして、話し声が聞こえないのだ。笑い声はもちろん誰も声を出さないで、モクモクと”自分が言われている”事だけをやっているのだ。指示を出す者も、自分たちの事しか考えていない。
そして、顧客との打ち合わせでは、淡々とスケジュール消化状況だけが報告されていく。
倉橋さんが、客との打ち合わせに呼ばれました。
この時に、悟りました。私たちが貧乏くじを引いたのだと・・・。
嫌な予感が的中しました。中間会社がスケープゴートにされて、リスケが発表されました。そして、私たちが鎮火部隊となり、作業を行う事になったのです。もちろん、受注会社は、顧客には火が付いているとは説明しません。
作業が遅れている言い訳を探していたのです。倉橋さんが来た事で、体制を作り変える事。施設の設備を使って、実際に動かしながらテストをする事を告げて、作業が遅れている事を隠したのです。
当初の計画では、施設の設備を使ってのテストは、運用を行う部署が担当するのですが、その時間を開発に使うのです。無茶苦茶な理論ですが、すんなりと承諾されてしまいます。不思議な事ですが、受注会社の手腕なのでしょう。
しかし、伸びたと言っても、数ヶ月です。
ここまで消費してしまった日数に比べれば微々たるものです。
ここで、1番の問題が発覚したのです。
私たち以上に、受注会社の担当者が内情を把握していなかったのです。把握しないで、客と話ができるのは不思議ですが、困った事にこれができてしまうのです。”詳しい事はお手元の資料を御覧ください”の魔法の言葉を乱発したのです。
資料には、小難しい言葉でごちゃごちゃと書かれています。遅れている事を、言葉を変えて説明しているのです。火付け現場でよくある事ですが、客に提出する資料を作って、作業が遅れていく、その遅れた時間を取り戻すために、現場が無茶をする。そして、現場から人が減って、営業が新しい”経験がない”者を投入して、現場が混乱して更に遅れる。
この現場でも、同じ事が発生していました。
しかし受注会社は顧客に遅れていると言えないために、この作業は継続させる必要があります。現場がまた更に圧迫されます。
そして、現場が、実際の施設を使いながら作業を行う事についての”論理的”な説明がされます。
そう・・・”できている物”を施設で動かして、確認しながら、実際に使う人に説明する。
これが新たな火種になります。
これまで、仕様を決めていたのは、”現場を知らない”事務方の人や経営者の人たちです。実際に現場の人の意見も入っているとは思いますが、現場の”直接”の意見ではありません。
現場からの意見。
実際に使う人の意見。
これが、どんな結果をもたらすのか、やる前からわかっていますが、やらないわけには行きません。それが、数ヶ月を手に入れた時の約束なのです。
これらの作業を、受注会社は私たちの作業としてくれたのです。ありがたくて涙が出てきます。
倉橋さんは、笑いながら、
「なんとかしよう。受注会社や中間会社や会社のためではなく、実際にシステムを必要として、実際にシステムを使う人のために、頑張ろう」
そう言って、私たちを鼓舞します。
私たちの現場は、顧客の施設の中に作ってもらった部屋です。将来的には、システム屋が常駐する部屋になります。そのための作業も平行して行っています。
私たちは、最前線に居ます。
顧客と膝を突き合わせて作業をしていますし、一人ひとりの顔がよく見えます。相手も同じです。毎日、挨拶して毎日会話をして、毎日対応している人たちには、優しくもなれます。
私たちは、現場に受け入れられたのです。しかし、それが受注会社には面白くないのです。本来なら、自分たちがやらなければならない事を、私たちにやらせておきながら、私たちがうまく回りだすと、営業を通して文句を言ってきます。
曰く
・作業時間が短いが本当に作業をしているのか?
女性陣は、9:00-23:00ですが何か?男性陣に関しては、9:00-5:00(始発)ですが何か?
・笑い声が聞こえると、苦情が入っているが?
顧客が来て笑っていますけど・・・誰からの苦情ですか?
・勝手にシャワーや仮眠室を使わないように
顧客に聞いたら使って問題ないと言われましたがなにか?
・車やバイクでの通勤は認めていない
最初にいい出したのは、受注会社の部長です。それも、私たちに確認と許可を取りに行かせていますけど?
現場と私たちの距離が近くなればなるほど、受注会社がひた隠しにしてきた事が捲れます。
開発が遅れている事がバレてしまったのです。
慌てたのは、受注会社です。私たちの責任にはできない状況です。私たちも必死で調整を行いますが、無理に近い状況で作業をしていて、これ以上に何ができる状況ではありません。
現場は、状況を薄々感じていたので、驚きはしませんが、上層部は違います。
受注会社を呼び出して、大激怒です。
受注会社は、ここで素直に謝罪しておけば良かったのでしょう。システムの稼働が遅れれば、困るのは顧客です。現状でも、だましだましなら使えるです。手作業が増えて困るのは現場です。でも、現場でもシステムがないと困るのは認識しています。ですので、手作業の部分を受注会社が肩代わりする事で、時間をもらう事はできたのです。事実、倉橋さんは、その様な提案を現場/上層部に投げて居ますし、感触は悪い物ではありませんでした。
しかし、受注会社は禁じ手に近い手法を使ったのです。
パッケージの導入です。
大抵の業種で、パッケージ商品があります。
マイナーな業種でも探せば誰かが作って売っていたりします。それを購入して可動させるという物です。
正直、私たちも最初はこれを検討して、いろいろなパッケージを出している会社に打診しました。しかし、結果はパッケージを導入しても、連結作業に時間が掛かってしまって、ハードウェアの選定からやり直す必要が出てくる可能性もあるので、意味がないという結論に達しています。受注会社にもその旨は伝えてあります。
しかし、受注会社はその手札を切ったのです。
そして、新たな火が燃える事になるのです。
パッケージですから、1つ1つは問題なく使えます。使えてしまうのです。顧客が巨大な病院です。部署も多ければ関連するパッケージも多くなります。それらを連結させなければなりません。それが新たな火種です。
部署単位で動いているので、それでは業務として流して見ましょうとなる。この段階で問題が多々見つかります。
もう時間との勝負になってきます。
受注会社の関係者が泊まり込みで作業を始めます。
倉橋さんは、私たちを交代で休ませたり、帰られそうにない時には、近くのホテルで休ませたりしてくれます。
大本の火には私たちは手出しできません。
受注会社が責任持って作業しますと言っています。そのために、私たちは主に顧客対応やパッケージ会社とのやり取りに終始し、テストを行ったりしています。
火付け現場では、食事に行く時間を削って作業をしているようです。
こんな状態が長続きするわけがありません。戦線離脱者が徐々に出てきています。悪循環が止まりません。
そんなタイミングで火災の中心部に、自分は安全な所にいながら、ガソリンの入ったタンクを置いていった者が居たのです。優秀な営業が顧客に対して、リップサービスのつもりだったのでしょう・・・だと思わないとやっていられませんが、これだけ巨大なシステムですからパッケージ化して販売を検討してみてはどうかと・・・。
まだ完全に動いていない状況で、こんな事をいい出した理由がわかりません。顧客が、他にも病院や施設を持っている事から、ここで発生した赤字を回収したいのかもしれません。
しかし、今のチグハグはシステムではそんな事は、夢のまた夢です。それに、パッケージを導入してしまっている事から、会社間の調整も必要になります。繋げたのは確かに受注会社ですが、それだけです。それに、仕様を決めなければならない部分がまだ多数残っています。専門性があるアプリケーションを作るのはそれほど難しくなりません。顧客との間で信頼性が確保されているのならです。しかし、汎用性がある物を作るには、業界の事を知らなければならない上に仕様的にも矛盾が出てきてしまう事が多々あります。
その優秀な営業が口走った言葉をきっかけに、受注会社は迷走し始めたのです。
赤字を回収する。確かに、必要な事でしょう。
結果・・・・二ヶ月間に続いた現場作業の”中断”が告げられた。
それだけではなく、全員に”帰宅命令”が下されたのです。顧客が、現場作業員の現状を憂いたのです。
作業員全員に、1~2日の休みが与えられたのです。私たちは、2日の休養が与えられました。
確かに、身体は疲れています。
久しぶりの休暇です。夕方の街を歩くのも久しぶりです。
そんな中で、倉橋さんが
「久しぶりに歩いたら疲れた。ちょっと休みたい」
近くに公園があるので、そこで休む事にしたのです。
すぐに帰って寝たい人も居るので、公園に行く組とすぐに帰る組に分かれます。私は、公園で少しだけやすんで帰る事にしました。実際問題として、夕方になっているので、帰宅時間と重なってしまって、満員電車で帰るのが少しじゃなく億劫に思えていたのです。
公園に残る人は最初はそれほど多くなかったのですが、帰宅ラッシュの事を思い出したのか、最終的には、18名が公園で時間を潰す事にしたのです。
倉橋さんが、
「悪いんだけど、そこのコンビニで、人数分の何か飲み物と軽く食べられる物を買ってきてくれ」
そういって、私を含めた若手数名に自分の財布を渡して、公園のブランコに座ったのです。
倉橋さんは確かに・・・財布を受け取った私に対して、
「流石にちょっと疲れたな」
そういったのです。
若手たちで、手分けして人数分の飲み物とスナック菓子やコンビニのお惣菜を買って帰って来て、残っている従業員に分けます。倉橋さんの右腕と称される真辺さんが、座るためのレジャーシートを数枚買ってきてくれました。
私たちは、そこに買ってきた物を広げて、各々座って時間を潰します。
「倉橋さん。いつものコーヒーでいいですか?ホットとアイスありますけど?」
「おっ悪いな。アイスをくれ・・・あっ余分にあるなら、ホットも置いておいてくれ」
「わかりました。あっお財布」
「あぁ足りたか?」
「大丈夫でした」
「そうか・・・それならいい」
ブランコに座りながら、アイスコーヒーを飲みんで居る。
倉橋さんを私は見つめるしかできない。この人がどんな大変な事をしているのか、私は片鱗しかわからない。でも、この人が私たちが大変だけど、しんどいけど、充実した日々になるように踏ん張ってくれているのは知っている。
私は、女として、倉橋さんの事が好きだ。年齢は離れている。告白なんてするつもりはない。今感じている気持ちも、よくわからない。憧れなのかもしれない。ただただ、この人の側に居たいと思う気持ちは、私の中で確固たる物だ。
「倉橋さん」
「ん?あぁこれから・・・そうだな。俺たちは・・・ほら、見てみろよ」
疲れているのだろう。
でも、笑顔がいつもの倉橋さんだ。
見てみろと言われたのは、夕焼けに染まった空だ。
「綺麗ですね」
「そうだな。空は、いつも同じだよ。俺たちが見ているのも・・・そうだよな。まだできる事はあるよな」
誰に言っているのでしょう?
私では無いのは解ります。倉橋さんは、ブランコに揺られながら、空を見上げて居ます。
「・・・くら」
「少し疲れたな。1時間くらい寝る。まだ大丈夫だよな?」
「え?あっはい。わかりました」
私もレジャーシートに座る若手の所に戻ります。
私が、倉橋さんの事を好きな事は誰にも言っていません。
1時間が過ぎちょっと肌寒くなって来たので、倉橋さんを起こして帰ろうかという話になりました。
真辺さんが、倉橋さんを起こしに行くようです。私たちは、レジャーシートを片づけて、周辺のゴミをまとめて、コンビニのゴミ箱に捨てに行ったのです。
その時に、真辺さんの怒鳴り声が聞こえます。
「おい!救急車!いや、病院まで誰か走って、医者呼んで来い。医者・・・たのむ、誰か医者を・・・救急車・・・」
真辺さんの声が、夕暮れも終わり、夜に入りかけている空に響いたのです。
倉橋さんが、見上げた綺麗だと認めてくれた空に虚しく声が吸い込まれて行くのです。
fin
私は、この図書館が好きだ。
でも、街の事情とやらでこの図書館は今月末で閉じることが決っている。
今日は、その月末だ。ほとんどの本が持ち出されている。近隣の図書館や学校に送られているのだと言っていた。残された本は、痛みが激しかったり、引き取り手が居なかった本達だ。
閉じることが知らされた時に、私は会社を休んで図書館を訪れることに決めていた。会社の同僚にはバカにされたが、自分が好きな場所がなくなるのだ、そのくらいはいいだろうと思っている。
図書館に残された本は、欲しい人が持ち帰っていい事となっていた。
ただもう痛みが激しかったりする本ばかりで価値があるとは思えない。それでも多くの人が図書館に訪れている。本を漁って内容も見ないで、汚れているか・・・だけを見て持って帰っている人たちが沢山居た。古本として売るつもりなのだろうか?
別にそれはそれでいいと思うだけど・・・これだけの人がいつも図書館に来てくれていたら・・・この半分でも図書館で本を読んでくれていたら、街も財政難を理由にしてこの図書館を閉じようとはしなかったかもしれない。
私は、空いていたテーブルに座って、そんな人たちを眺めていた。
喧騒と言うのだろうか、普段は静かな図書館が今日は話し声だけではなく・・・言い争いの様な声まで聞こえてくる。
顔なじみになった職員さんが話しかけてくれる
「今日で最後ですね」
「お疲れ様です。この後は?」
「私ですか?」
「えぇ」
「別の図書館で働く事も考えたのですが、そんな気持ちにもなれないので、どこかで”本”に関わる仕事を探す事にしますよ」
「そうなのですね」
「えぇこんな状態ですが、貴女に一冊の出会いがある事を祈っています」
「ありがとうございます」
一冊の出会い・・・かぁこの図書館では、本当にいろんな本を読んだ。始めてきたのは、小学校にあがる前だったと思う。お父さんに連れられて、”沢山本があるところに連れて行ってやる”と言われて喜んだ記憶がある。それから、何度か連れてきてくれた記憶があるけど・・・小学校に上がる頃には、もう1人で来ていた。あれ?1人だったのかな?誰かと一緒に来た事もあると思うけど・・・思い出せない。
辺りを見回すと、普段の図書館が戻りつつ有る。本がなくなった棚が寂しく見える以外は変わりがない風景が戻ってきた。
本の転売目的で来ていた人たちはほとんど姿を消していた。一冊十円にもならないだろう本を得るために、朝から並んで・・・ご苦労な事だな。
残っているのは普段から図書館を使っていた人たちだ。話をした事は無いが、よく見かける人たちだ。街中で見かけたら会釈くらいはする関係になっている。
皆、本が好きなのだろう。残された本を一冊一冊取り上げてページをめくっている。そして、そっと棚に戻している。
私と同じ考えなのだろう。誰か、他の人が持って帰るかもしれない。最後に残っていたら持って帰ろうと思っているのだろう。私は、いつものように本を持ってきてページをめくっている。何度か読んだことがある本だ。この本の面白いところは、犯人当てを、欄外で読者がやっている事だ。いたずら書きで犯人の名前を書き込む人が多い中少し違ったいたずら書きだ。”俺はここが伏線だと思う”という書き込みに、”残念ここは伏線ではない。伏線に見せたダミーで本当の伏線は少し前にある”とか書き込まれている。実際は、両方共伏線でもなんでもないのだが、そういう書き込みがされているのだ。いたずら書きはダメだが、ちょっとした遊び心が見られる書き込みは好きだ。
違う本には読めない漢字なのだろうか、マーカーで印を着けて欄外に読みを書いている小説もある。
夏休みの課題図書になっていた小説の最後に感想文が挟まれていた事もあった。
私は、この図書館でかなりの時間を過ごしてきたのだろう。沢山の本と出会った。そして、沢山の本を読んだ。沢山の人の考えにふれる事ができた・・・そして、沢山の事を知った。
今日この図書館は時間を止めてしまう。
私は残された本の中から一冊だけ持って帰ろうと思っている。どの本にするのかはまだ決めていない。
本を読みながら、最後に借りていく一冊を決めようと思っている。貸出禁止の本でも今日は大丈夫と聞いている。
何冊も本をめくっている。
私の近くに、常連さん達が本を持ってきて読み漁っている。そして、本の山が築かれている。持って帰るのかな?貸出は、3冊までだが今日は大丈夫なのかな?
ボロボロの本を、懐かしむように読んでいる人も居る。
古い古い雑誌を見つけて、笑顔でページをめくっている人も居る。
その人にしかわからない最高の一冊なのかもしれない。
どのくらい時間が経ったのだろう。
図書館に夕日が差し込んでくる。もう閉館の時間だろう。最後の一冊を選びきれていない。
図書館を最後に一周回ってみる事にした。普段足を向けない場所にも本は有る。
普段は、子供に読み聞かせをおこなっている場所がある。絵本や童話などが置かれていた。
棚に一冊のボロボロの絵本が残されていた。
私は懐かしさに絵本に手を伸ばす。子供の時に好きだった絵本だ。誰かと奪い合って読んだ記憶がある。あれが誰だったのか思い出さない。
絵本の発行年を見ると、かすれて見えないが、私が産まれた年のようだ。この本は、私と同い年なのだ。
図書館の貸出用のバーコードも剥がれてなくなってしまっている。
”間もなく閉館のお時間です。27年間本当にありがとうございました。職員一同感謝致しております”
27年間。
私も、図書館も、そしてこの絵本も同じ時間を過ごしてきた。
私と同い年だったのか・・・。私は、同い年の絵本を最後の一冊として借りていく事にした。皆、考える事は同じようで、図書館カードを取り出して、借りていく手続きを職員にやってもらっている。
バーコードが付いていない本は貸出禁止だが、今日は違う。書籍名で処理を行ってくれている。
今日で使えなくなってしまう図書館カードだが、お財布の中に入れてお守りのように持っていようと思う。
「サトザキ様ありがとうございます。返却は1週間後です。よろしくお願いいたします」
いつものセリフがありがたい。
絵本を受け取る。いつものように、一緒に渡した袋に入れてくれる。
「ありがとう。お疲れ様」
「はい。返却先はなくなってしまいますので、どうぞ末永くお手元において下さい」
「解りました。あっほかの子たちは?」
「大丈夫です。一冊も残さず職員たちが連れて帰ります」
「良かったです」
「はい。気にかけて頂きありがとうございます」
他の常連さん達も本の行く末は気になっていたようで、安堵の声が聞こえてくる。
職員さんは、本の傷一つ一つを慈しむように触ってから、常連さんに渡している。
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私が住んでいる家は、団地の中にある。母と二人暮らしだ。
「ただいま」
今日は、母のパートはお休みのはずだ。もしかしたら、人手不足だからって呼び出されたのかもしれない。
ダイニングと呼ぶには少し狭いが、母と二人なら十分の広さのテーブルに、借りてきた本を置いて自分の部屋に入る。
「ご飯どうしよう・・・なにか作って・・・その前に、連絡してみよう」
母にメッセージを送っておく。
1時間程度で連絡が来なければ、なにか適当に食べることにしよう。作る気分にならなかったら、外に食べに行ってもいいだろう。
着ている物を脱いでベッドに横になる。
今日の出来事を思い出しながら、枕元においてある読みかけの小説に手をのばす。
あぁ・・・そういえば・・・あの子も本が好きだったな・・・。
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「ただいま」
あの娘。
図書館に行くとは言っていたけど・・・。ご飯食べに行っていないの?
玄関に残されている、娘の靴を見て不審に思う。
たしか、私がパートに呼び出されて、すぐに娘からメッセージが来た。メッセージには、遅くなるから勝手になにか食べてと返している。
てっきり外に食べに行ったと思ったのだけど・・・なにか作ったのかな?
キッチンは使われた形跡が無い。
ダイニングには、図書館から借りた本をいれる袋が置かれている。
そう言えば、あの図書館ができたのは、あの娘が産まれた年だったな。
27年間・・・そのうち、21年間あの娘と二人暮らし。小学校に上がる年だったからな。
図書館から何を貰ってきたのだろう。
確か、今日で最後だから残った本は好きに持って帰っていいと告知されていたはずだ。あの娘の本好きは、あの人に似たのかな?違うかな?でも、3部屋ある一部屋があの娘の本で埋め尽くされているのは間違いない事実だ。
あの娘が今朝出かける時に、
「今日は、一冊だけ借りてくるよ」
「借りてくる?貰ってくるの間違いじゃないの?」
「ううん。借りてくる。返すことができるかわからないけど、やっぱり図書館からだから、本は借りてくるが正しいよ」
「そうね。行ってらっしゃい」
「うん。行ってくる!」
本好きのあの娘が選んだ最後の一冊か・・・。本をあまり読まない私にはわからない感覚なのだろうな。
何気なくどんな本なのか気になって確認した。
「え?」
その本は、一冊の絵本だった。
私に・・・ううん。私たち家族にとって、忘れられない絵本だ。あの人が娘にと買ってきた絵本だ。
この汚れて破れている表紙に見覚えがある。蝶になりたい芋虫姉弟の話だ。綺麗な蝶になりたい芋虫の姉弟が、蝶になるために、いろんな虫に方法を聞いて歩く。最後・・・どうなるのだっけ?
あの娘は、この本を覚えていて、この本を選んだの?
でも、覚えているとは思えない。あの人の事も、あの子の事も忘れてしまっている。
あの娘が5歳くらいで、あの子が3歳だったはず。
あの人に連れられて、図書館に行って・・・そして、あの人とあの子は帰ってこなかった。
今、どうしているのかわからない。生きているかもわからない。失踪届を出した時に一度連絡があった。
ただ一言だけの連絡だった。
それから、あの娘と二人暮らしだ。
芋虫姉弟の最後が気になって、ページを開いた。
気丈に振る舞う姉芋虫。泣き虫の弟芋虫を連れて歩く。
虫たちは、親切に教えてくれる虫もいれば、イジワルに嘘を教える虫も居る。
蛾に出会って、お父さん蝶とお母さん蝶に聞けば解るよと教えられる。
絵本はここでページが破られてしまっていた。
最後のページは、蝶になった姉弟が再会する場面で終わっている。
絵本の最後のページにメモが残されていた。
誰かのいたずらだろうか?汚れた本にふさわしくない綺麗なメモだ、最後に手にとった、あの娘に向けたメッセージなのだろうか?
これは見ないほうがいいだろう。
あの娘が本を読む時に、一緒に見せてもらおう。
「あれ?お母さん。おかえり、ごめん、寝ちゃった」
「いいよ。ご飯にしようか?」
「うーん。そうだ。お母さん。今日、私が出すから食べに行かない!?」
娘はそう言って私の手を引っ張って、駐車場に停めてある車に乗り込んで、近くの定食屋に連れて行った。
そして、今日一日のことを話してくれた。
沢山、本を読んだこと、本を読む人を見ていた事。
そして、図書館が無くなって寂しいという事。
最後に借りたのが”芋虫姉弟の大冒険”という絵本であること。なぜか、最後に一冊だけ絵本が残されていて、寂しそうだったからという事や、自分と同い年だったとか・・・いろいろ話を聞かせてくれた。
あの絵本は、娘にとって”最高の一冊”なのだろう。
家に帰って一緒に読もうと言ってくれた。覚えているとは思えない。娘が、泣きながら握っていたページを私は保管している。娘に、ページを見せながら、話してもいいかもしれない。
あの人の事や、あの子の事を・・・。
---
姉さんに謝らないと・・・。
姉さんが大事にしていた本・・・絵本を、僕が持ち出してしまったことを・・・。
もう20年以上前のことだが、昨日のように覚えている。
あの日は、姉さんと僕は父に連れられて図書館に行った。姉さんは、本が好きだった。僕は、姉さんが持っている本を横取りするのが好きだった。今なら解る。僕は姉さんにもっとかまってほしかった。だから、姉さんが読んでいる本を奪って居たのだと思う。
あの日も、父が、姉さんに向かって”本が一杯あるところに連れて行ってやる”と言っていたそして、姉さんはすごく喜んでいた。僕は、それがすごく不満だった。そんな場所では、姉さんと遊べない。姉さんの気を引きたくて、姉さんが大事にして毎晩読んでいた本を黙って持ち出した。
父は約束通りに図書館に連れて行った。
自分は、僕と姉さんを絵本がある部屋に預けると、どこかに行ってしまった。今なら解る・・・。浮気相手のところに行ったのだろう。姉さんは、沢山の本に囲まれて幸せそうにしていた。絵本の読み聞かせのような事をしていて、それを熱心に聞いていた。
僕は、姉さんが大事にしていた絵本を取り出して破いた。なんでそんな事をしたのかは覚えていないが、そうすれば姉さんが僕の方を見てくれると思った。
しかし、それは違っていた。
姉さんは、僕が破いたページを手にとって、泣き崩れたのだ。
それから・・・僕は、姉さんの絵本を持って、図書館を飛び出した。よく覚えていないが、それから父と一緒に生活する事になった。
その父が3年前にガンで死んだ。僕の大学卒業と就職を見届けてからだ。
僕は、父と二人暮らしになっていた。子供の頃には、新しいお母さんだと紹介された人も居たが、僕が小学校にあがる頃からは二人暮らしだった。
二十歳になった時に、父が教えてくれた。自分がガンだという事と一緒に・・・だ。
母さんだと思っていた人は、再婚だと・・・籍は入れていないから正確には再婚ではないらしい・・・姉さんは母さんの連れ子だ。あの日図書館に連れて行ったのは、姉さんを置き去りにして僕だけを連れ出すつもりだったのだと言っていた。その後、新しい人ともうまく行かなくて、僕と二人暮らしになった事を謝っていた。
それから二年。父は治療を拒否して、死んでいった。葬儀は、父が勤めていた会社の社長が手配してくれた。退職金が出せない代わりだと言ってくれた。
明日。
懐かしい街に行く事にしている。会社には、有給届を出した。上司は理由を聞かないで受理してくれた。
明日、僕と姉さんが別れた・・・最後に泣かせてしまった場所がなくなると聞いた。
あれから違う街に住んでいて、足を運ぶことが無かった場所だ。もし、姉さんが覚えていてくれたのなら、最後に図書館に来てくれるかもしれない。懐かしいこの本を手にとってくれるかもしれない。
そして、本を読んで・・・僕が残したメモを見てくれるかもしれない。
メモには、父と僕の名前と今住んでいる住所が書いてある。
ただそれだけのメモだ。本から落ちないように最後のページにしっかりと挟む。
---
僕は、疲れた身体を引きずりながら・・・玄関の鍵を開ける。就職して、父との部屋から引っ越した新しい部屋だ。ワンルームだが、寝るだけの部屋だと割り切っている。テレビも何もおいていない布団しかない部屋だ。
インターホンが光っている。
来客の予定なんてないし、セールスマンか、新聞の勧誘か、N○Kか、宗教の勧誘だろう・・・。
どうやら、違った・・・郵便のようだ。
なにか荷物が有ったようだ。マンションの1階にある宅配ボックスに預けたと伝言されていた。玄関に戻って、ポストを確認すると不在票と一緒に4桁の番号が書かれていた。宅配ボックスをあけるための番号なのだろう。
1階に戻って、宅配ボックスを開ける。
僕のマンションの郵便受けの口が小さくで入らないので、宅配ボックスに入れたようだ。
宛名は確かに僕になっている。裏側を見ても、差出人が書かれていない。
A4よりちょっと大きいサイズのようだ。手触りから、プチプチで巻かれているようだ。宛先は几帳面な字で女性のようだ。
受け取った荷物を持って、部屋に戻る。
荷物は・・・一冊の古い古い破れて汚れている”芋虫姉弟の大冒険”という絵本だ。
急いで取り出した。
便箋が入っていた。
姉さんだ!
しかし、何も書かれていない。
二枚目に、宛名書きと同じ几帳面な字で書かれていた事は、少なかった。
”話は、母から聞きました。忘れていてごめんなさい。でも、本を破った事は許しません。なおしてから返しに来なさい”
そう書かれていた。
そして、姉さんの名前と住所が書かれていた。
絵本には、破かれたページが挟まっていた。そこだけ時間が止まったかのように綺麗な色をしていた。
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僕は、本の修繕をしてくれる所を探した。
今日本が直ってきた。
姉さんのところに持っていこう。今日いきなり行って会えるかわからない。
それなら、また訪ねればいい。
会えたのなら・・・まず、姉さんが大事にしていた”芋虫姉弟の大冒険”を破ってしまった事を詫びよう。
そして、寂しかったと素直に言おう。
fin
私の会社は・・・私が就職した会社は、IT企業だ。とある大企業の子会社になる。
社長は関連会社と言っているがどう見ても子会社だ。資本関係がないので、子会社で無いのはわかっているが、役員などはとある大企業の元部長だとかが就任している。ちなみに、肩書だけなのか、会社でその姿を見た事がない。
別にそれを不満に思う事はない。仕事内容も別段大きな問題はない。ただ、システム会議に出ると、自分たちの立場を再認識させられるだけだ。私たちは、邪魔な存在だと現場では認識させられている。
なので、親会社の業績がダイレクトに自分たちに影響される。
私たちは、業績が良かった翌年採用組だ。その数、150名にものぼる。私たちの前年が50名の採用という事なので、その数からも異常な事はわかってもらえるのだろう。女子が60名。男子が90名の大所帯だ。
最初の一週間は、合宿という名前の研修会が6泊7日で行われた。大企業の保養所を借りて行われている。健康診断から始まって、仕事のやり方や考え方を詰め込み式で教えられる。
仲間同士の連携を強めるというなんだかよくわからないカリキュラムも組まれていた。
一年上の先輩や二年上の先輩たちも参加して、いろいろ教えてくれる。昼間の業務に関しての講義よりも、夕食後に行われるオリエンテーションで教えられた、会社内の人間関係の方が、これからの社会人生活で必要な知識だと思えた。
セクハラをナチュラルに働いてくる部長や、44歳童貞で目線が合えば自分に惚れていると勘違いする課長。言葉使いは乱暴だけど面倒見がいいリーダ。近づいてはダメな部署とフロア・・・そこの部長やリーダに見初められて引っ張られるとタイムカードがなくなる代わりに月の残業時間が150時間越えがデフォルトになる部署。
バカな副社長の話。見たこともない取締役の存在。
優しいけど狂気を感じる人達・・・。そんな会社内の事をいろいろ教えてくれた。
その後は、部署と仕事内容を教えてくれた。
表で説明された事とは違う内容が語られるのだった。
先輩たちが、笑いながら話している内容も衝撃的だった。
先輩たちの同期は50名と教えられていた。実際には、70名近く居たのだと教えてくれた。
それでは、居なくなった20名はどこに行ったのか・・・辞めていった人たちはまだましな方だと言っている。
正直、意味がわからない。
”飛ぶ”という言葉を教えられた。仕事を飛ばしたとか、あいつは飛んだとか、来週までにできなければ飛ぶとか、使い方はいろいろあるが、一番多いのが、”あいつ飛んだぞ”だと言っていた。伝わりにくい感じだったが、意味的には”あいつ失踪したぞ”が一番近いのではないだろうか?
失踪できるのならまだ幸せな方だとも教えられた。
”心が飛んだ”人も沢山見てきた、”心が逝ってしまった”人も沢山見てきた。居なくなった20名のうち半数は、会社を自主的に辞めていった者たちだが、残りの半数は”飛んでしまった”人たちのようだ。
そんな中、先輩たちが忘れられない人が1人居るのだと言っていた。
毎日、決められた時間に、決められた場所に出社して、”青い鳥”をひたすら待っているのだ。
”心が壊れて”しまった人なのだ。
その人は、寒い地方出身の人で、大学卒業後に親会社に入社した。
親会社の人事異動の噂を聞いて、自分の首が切られると思いこんでしまった。優秀な人だったようだ。大企業に入られるくらいなのだが優秀だったのだろう。学校の成績も良かったと言っている。
人事異動の噂を聞いて、リストラの恐怖に怯え・・・そして、心を壊してしまった。
親会社には”置いておけなくなって”関連会社に出向の形で、私が入った会社に押し付けられた人。給与面を始め、会社にもメリットがある。
毎朝出勤してきて、窓際の部長席に座って、窓の外を見て”青い鳥”が自分の所に来てくれるのをひたすら待っている。
肩書は、部長。
部下は、飛んでしまったがすぐに首にできない者たち。部長以外出社してこない部署。社内コード”BB”と呼ばれている。
BB部長は時間には正確だ。
9時10分前に出社してくる。遅れるのは、電車が遅れたりしたときだけ・・・。何がそうさせているのかわからない。わからないが、毎日窓の外を飛んでいく鳥を眺めている。そして、青い鳥をが来てくれると信じて・・・待っている。
私たちの研修が終わって各部署に配属されていく、150名居た同期が、130名に減っている。
あれだけ辛かった就職活動を乗り越えたのに、たった3ヶ月の研修期間の途中で心が折れてしまっているのだ。
3ヶ月の研修期間は、ひたすら出される課題をこなしていくだけの日々だ。
最初の一ヶ月はプログラムの基礎を叩き込まれる。プログラムに関しての初心者も居るために、二つ別れての講習だ。私は、初心者コースを選択した、学校でプログラムを習っていたが、合宿中に聞いた話しで、学校でのプログラムと実践のプログラムは別物と教わった。自信が無いわけではなかったが、私は初心者コースを選択した。この選択が間違っていなかった事を実感した。
学校で習っていた/できている気になっていたプログラムでは役に立たない。
根本的に違うのだ。ブラックボックスを作っても、動かさなければならない。学生のときには、動いた時点で作業の8割か9割が終了していた。仕事とする場合には、動いて当たり前、そこからが勝負だと教えられた。動かなければ無価値。動いて当たり前。だから、まず動かす事が目的になってくる。
その上で、付加価値を付けていく。メンテナンス性を高めたり、ソースコードの流用性を考えたり、ドキュメントを入れる事も当然なことだが、単純に読みやすいソースコードではなく、難読性を持ったソースコードにしなければならない。自分だけのソースコードにしろと言われた、独自性が大事だと言われた。
動かすだけなら自信が有ったが、その後のことなど考えても居なかった。
初心者コースでこれなのだから、実践コースはさぞすごいだろうと同期に話を聞いた。
私の予想とは違っていた。実践コースでは、先輩が客になり、同期たちはチームを組んで仕事を受ける事から始めているようだ。プログラムの”プ”の字も出てきていないと言っていた。
2ヶ月が過ぎた時に、私たちは実践コースに合流した。
私たち初心者コースがプログラムを作成する事になる。ここで、逆転現象が発生する。実践コースに居た同期は、少なからずプログラムに自信があったメンバーなのは間違いはない。だが、彼らの作るプログラムが使い物にならないのだ。二ヶ月間ひたすら作り続けてきた私たち初心者コースのプログラムの方が仕事として依頼されている事をカバーできているのだ。
万全ではないのはわかっているが、それでも実践コースの者たちよりも”まし”なのだ。先輩方もそれは認めてくれている。認めないのは、実践コースに居たプログラムに自信があった人たちだ。
そして、彼らの中から有名大学を出て、プログラムに自信があると言っていた自慢していた同期が壊れた。
出社時間になっても出社してこない。
私たちは慌てるが、先輩方は、”またか”程度の反応しか示していない。そして翌日先輩から”自殺未遂をした”事を教えられた。発見が早くて命に別状は無いらしいが、まともに会話ができない状況だという事だ。しばらくBB部署に席を移して、タイミングを見て本人に確認するということだ。首宣言にほかならない。
その事実を聞いて、翌日から来なくなった人たちが出た。
辞表を提出してきた者はまだましだと言っている。メールで”辞めます”と言ってきたり、母親や父親が怒鳴り込んできた場合もあった。
翌週、私たちは研修を終えて、部署に配属された。
先輩たちもこの状況になるのがわかっていたのか、対応が早い。
心が壊れてしまった人たちは、BB部署に移動となった。彼らの中にも出社してくる者も居る。
仕事をしていないわけではない。モンキーテストと呼んでいたが、同じことをひたすらやったりするテストを担当していたりする。人手は欲しいのだ。部署によっては、重宝している場合も多い。私が所属した部署でも、BB部署に仕事を依頼する事がある。
BB部長は相変わらず、青い鳥を待っている。私たちが頼んだのは、今担当している仕事が、毎週の様に会議があり、会議の資料を大量に印刷して紐で閉じる作業を行うのだ。BB部署に手伝ってもらっている。全面的に任せるなと言われていて、私が彼らとの橋渡しをしている。
BB部長は、本当に正確だ。
時計を見ないでも、決まった時間に出社して、決まった時間にトイレに行き、決まった時間に昼ごはんを食べて、決まった時間に帰っていく。
私は、そんな部長を出社してくるのを待つ事から始まる。
挨拶にも返事を返してくれる。ただひたすら”青い鳥を待っている”以外は普通なのだ・・・。BB部長に何が有ったのかは聞いている。BB部署に配属された同期がどうなっかも聞いている。
私は、”青い鳥を待つ”ことはできないだろう。きっと探しに行く方を選ぶだろう。
”待つ人”を見ながら、待つことができない仕事を行う。
そんな、”待つ人”が居るBB部署が、閉じられる事が決まった。
親会社が、BB部長に出していた仕事を打ち切る事を決めたのだ。
それにあわせて、私の会社でも、BB部署を解体する事が決まった。部署に居た人たちは、自宅待機が言い渡されて、3ヶ月後に自主退社に追い込まれる事になる。
待つ状態になっている人たちは、親兄弟に連絡をして事情を説明する。
BB部署はこの時点で13名。全員が、親御さんに引き取られるように、会社を辞めていった。
BB部署が解体されていから、初めての春。新人たちも入ってくる。
私は研修を担当する事になった。その時の新入社員は約30名。私たちのときとは規模が違っていた。
それでもやることは変わらない。
私たちの”部下を持つ事への試験”でもあるのだ。
合宿を終えて、研修が始まった。
”待つ”ことの難しさを知った。
自分たちなら1日あればできる事が3日経ってもできてこない。二日間遊んでいるわけではない。真剣にやっているのだ。
たった1~2年の違いでここまで差が出る事なのか?
それが信じられなくて、他の部署の先輩方に話を聞きに行った。答えは同じだ。そんな物だと・・・。
自分たちではできていたと思っていたが、同じ様な感じに見えていたのだろう。
研修も私たちの仕事は、待つ事だ。もちろん、自分が実際に担当している仕事もある。それをやりつつの研修なのだ。
先輩たちはもっと上手くやっていたのでは無いだろうか?
新人だった私たちに笑いかけてくれていたのではないか?
日々の仕事をこなしつつ研修を行う。
追い込まれていく、既に教官だった同期が3名辞めた。
新人も、6人が辞めていった。それでも私たちは仕事をして研修を行う。
来週で研修が終わる。
週明けには、新人たちの配属先が決定する。私たちも、配属会議には出席している。
新人の中に不穏な噂が流れている。BB部署の話だ。
部署は解体されているし、はじめからその部署に配属される事はない。そう言っても、噂のほうが声が大きいようだ。今年誰かが、最初からBB部署に配属されるという話だ・・・配属会議でもそんな話にはなっていない。
教官が、配属部署を決めているとさえ噂が流れている。
週明けになれば、そんな噂が嘘だった事が証明される。
私たちはそう考えていた。
月曜日の朝。
私は、営業の篠原さんからの電話で起こされた。
時計を確認するが、朝の6時。間違いない。何度も確認した。10時までに出社すればいいので、私は朝は7時30分に目覚ましをかけている。
「はい」
「寝ていたか?」
「はい。いえ、大丈夫です」
「寝起きの女性にこんな事を頼むのは悪いのだけど、10分で支度して会社に来てくれ」
「え?あっわかりました」
「理由は、メールしておく、9時前には必ず来てくれ」
「わかりました」
篠原部長の無茶振りは有名だ。
一番の被害者である真辺部長が嘆いていた。無茶振りはするが、無駄な事はしないと言われている。何らかの問題が発生したのだろう。篠原部長からの連絡だと考えると、新人絡みなのだろう。仕事なら、部長から連絡が入るはずだ。
言われた通りにしようと思ったが、準備に15分かかってしまった。
丁度、お父さんが起きていたので、駅までの10分を車で送ってもらう事で短縮する事にした。8時40分には会社につけるだろう。
篠原部長からメールが入った。
内容は簡潔に書かれていた。
”新人の田中が、教官をしていた佐藤を刺して、その場で自殺した”
という内容だ。
田中と言われてピンと来なかった。佐藤はわかる。同期だ。正直苦手なタイプだ。BB部署の事を負け犬などと平然と言っていた。鼻持ちならない言い方をするやつだ。でも、刺されるような事はない・・・と思う。
会社前には、数名の知らない人と社長と副社長と数名の部長だ居た。
新人は1人も居ない。教官役をしていた同期が数名居るだけだ。
知らない人たちは、警察だった。
私たちの話を聞くために待っていたのだ。会社の一室を使って、警察が教官一人ひとりに話を聞いている。私はここで暫く待って欲しいと言われた。刺された同期は命に別状はないらしいが、自殺した新人は手遅れだったようだ。
遺書も無ければ、今日も普通に出社するといって家を出たのだという事だ。
彼は、何を見て、何を考えて、自殺などという行為を選んだのか?
警察の問いかけに、私は知っている事を答えるだけで精一杯だった。
そして、警察が使っていた部屋が、BB部署の、BB部長の机だ。
今での、BB部長は”青い鳥を待っている”のだろうか?それとも、待つことを辞めて探しに行ったのだろうか?
同期を刺した新人は、待つのではなく、探しに出かけたのかも知れない。
この事件をきっかけに、150名居た同期で残ったのは、17名。新人は3名だけになっていた。
親が怒鳴り込んできたパターンもあった、泣きながら辞表を提出した同期も居た。次は自分が刺されるのではないかと、恐怖におびえている同期もいた。
私は、それでもこの仕事を続けていこうと思った。
まだ自分なりの答えが見つかっていない。答えが見つかるまでは、この場所で青い鳥を待つのもいいかも知れない。
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「おい。ナベ。お前の所で預かってほしい奴が居るけど大丈夫か?」
「旦那。わかっていますか?俺の所は、火消し部隊ですよ?」
「少し問題が有るからな」
「問題?」
「この前の話は聞いたか?」
「えぇ聞きましたよ。あれは、教官が悪いですね」
「そういうお前だから頼みたい」
「って言うからには、教官の1人ですか?」
「あぁ正確には、1人だけ残った教官だな」
「そりゃぁ確かに、他の部署じゃ扱えないですね。爆弾を中に抱え込むような物ですからね」
「あぁそうだ」
「わかりました。最終的には、会って話を聞いてからですがいいですよね?」
「あぁもちろんだ。今、彼女はBBで待たせている」
「BBで?待たせている?どのくらい?」
「あぁ彼女が自ら望んだことだ。BBで、待ちたいとな。青い鳥でも来てくれるのを待っているのかも知れないな」
「笑えない冗談はやめてくださいよ。でも、わかりました。それで心が残っているようなら、俺が鍛えますよ」
「頼む」
「そうだ・・・名前は?」
「石川だ。今年3年目だ」
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私は待っている。
青い鳥を?
違う。違う。違う。
私は、青い鳥なんて待っていない。
私が待っているのは、火消し部隊の真辺真一部長だ。
変わり者だと噂されている。
私が次に配属される部署の部長を待っている。篠原部長が言うには、前の部署には戻れないと言われた。理由はわかるだろうとも言われた、正直わからなかったが、わかりますと答えた。篠原部長から提案されたのが、真辺部長の部署に移動する事だ。
それでも必ず移動できるわけではないと言われた。厳しいことを言うようだけど、あの部署は特殊な部署で即戦力しかいらない部署だとも教えられた。真辺部長自らがスカウトしたり、他の会社から引き抜いた人たちで構成されている特殊な部署だという事だ。
篠原部長から”火消し部隊”の説明と、真辺部長の説明を受けた。
考える時間をあげると言われた。会社内のどこで待っていてもいい。2時間後に真辺部長と面談する事になる。
私の心は決まっている。
火消し部隊だろうと何であろうと逃げないと決めた。その決意表明の意味も込めて、篠原部長には
”元BB部署で待っています”
と告げた。
私にとっての青い鳥が真辺部長かわからないが、今、私は真辺部長が来るのを待っている。
fin
今日も目が覚めた、白い天井を見つめる。
目が覚めなければいいと本気で思った。私が死んでも誰も困らないし、悲しみもしないだろう。
両親は殺された・・・。弟も殺された・・・。祖父母も殺された・・・。なんで、私も一緒に連れて行ってくれなかったの?
マスコミを名乗る狂人が今日も家の外に居る。
あの人達は、私が死んだほうが良かったと思っているに違いない。窓からカーテンを少し開けて外を見る。やはり、狂人が沢山居る。そんなに、私が生き残った事が不満なのだろうか?
学校からもやんわりとだけど、登校してこないように言われた。
もともと、学校なんて面子で行っていたような物だ。こんな状況で行こうなんて思わない。
スマホも解約した。
もともと、メッセのやり取りをする友達も、心配して電話をかけてくる友達も居なかった。
私の両親と弟と祖父母を殺した奴が捕まった。
ただ、そこに居てむしゃくしゃしたから殺した。たったそれだけの理由だ。
狂人の中の1人が面白そうに教えてくれた。
私に何を言えというのだろう。悲しいですか?って聞かれて、悲しくないと答えるとでも思っているのか?
私の両親と祖父母が多額の保険金に入っていた事がわかった。
全員で2億円にもなるようだ。これも、狂人が嬉しそうに笑いながら教えてくれた。
嬉しいですか?
そう聞かれて本当に狂人だと思った。2億円。確かに大金だ。大金だが、私は2億円を得るよりも、両親と一緒に約束していた京都旅行に行きたかった、冬に白くなる庭を眺めながらこたつに入って祖父母とみかんを食べたかった。弟と喧嘩しながら楽しくゲームを楽しみたい。
そんな些細な幸せを、たった2億円で売り渡すとでも思っているのか?聞いてみたい”貴方に2億円全部上げるから、両親と弟と祖父母を殺させてくれ”と、狂人なら喜んで許可してくれるかも知れない。
立ち止まって睨もうかと思った。
狂人には何を言っても通用しない。彼らは、私の反応を楽しんでいるだけなのだ。
狂人は”私が2億円をもらう事がわかった”と記事した、そして”せめてもの慰め”なんてもっともらしい言葉を付けてくれた。
それから、親戚を名乗るハイエナからひっきりなしに連絡が来た。
私は電話を解約した。
父親がやっていた会社から弁護士を名乗る人物がやってきた。
会社を専務達が買い取りたいということだ。私に、17歳の女子高校生に会社経営なんかできるわけがない。そんなことくらい私にも理解できる。理解できるが納得できる事ではない。祖父母が立ち上げて、父が大きくした会社を何もしていなかった人たちが後を継ぐなんて考えられない。
最初にそう伝えた。次に、条件なる物を持って弁護士が訪ねてきた。
会社の時価総額の倍で買い取りたいと言ってきた。
専務たちがマスコミを名乗る狂人に私が理不尽に値段を釣り上げていると情報を流した。
そして、法律的な事を偉そうに2時間に渡って話していった。
私は、会社名を変更することを条件に相場で会社の売り渡しを承諾した。
祖父母と両親と弟が眠るお墓の掃除をして、49日法要を行ったときに、専務達は1人も現れなかった。祖父母の時代から会社に尽くしてくれた人たちだけが集まって、祖父母との苦労はなしを面白おかしく話してくれた。
残っていた、祖父母の時代から会社に尽くしてくれた人たちが集まって”新しい会社を作りたい”と相談してきた。私は話を聞いて承諾した、専務たちから貰ったお金を全部渡した。
それをおもしろおかしく狂人たちは”報道”という言葉の暴力で私を殴り続けた。
私が苦しんでいるときに、手を差し伸べてくれたのは、学校の先生でも、友達面した知り合いでも、声さえ聞いたことがない親戚でも、家の前に張り付いている狂人でもなく、祖父母と苦楽をともした他人だった。
他人は、私に優しいだけではなかった。厳しくもあった。
他人だという事が解っていて、それでも親切にしてくれる。そこには、祖父母から受けた恩を返すためだという言葉が付けられる。
祖父母の所から巣立って会社を立ち上げた人が私の相談に乗ってくれた。
助言に従って、私は街を離れる事にした。
この国はおかしい。加害者を保護する制度は充実しているのに、被害者が保護されない。私は、引っ越しを行ってもすぐに狂人や狂人予備軍に追いかけられる。
私は、私を知らない場所で静かに暮らしたい。
私の願いが聞き届けられる事はなかった。
それだけ、ショッキングな事件だったのだ。
犯人が捕まってからも、連日報道されているようだ。私の声は誰にも届かない。
私が、加害者なら保護されたの?
私は、祖父母も両親も弟も殺されたのだよね?私が殺したの?
狂人どもはインターホン越しに状況を面白そうに話してくる。
私が求めていないことまでいろいろだ。
犯人の名前を聞いて、何を答えらた満足するの?
犯人の人相を見て、知っていますか?だって馬鹿じゃないの?
犯人の母親や父親に言いたい事?有ると思っているの?
犯人の生い立ちを聞いて私にどうしろと言うの?
刑事を名乗る人が何度か訪ねてきた。狂人が家の前に居ると知ると、警察署に来てくれないかと言われた。家に電話もスマホも無い事を告げると、無いと不便ですと言われた。不便かどうかを警察が決めるの?
警察も狂人が居る所に来たくないのだろう。数回来ただけで来なくなった。そのかわりに、手紙が投函されるようになった。それも煩わしくなって、ポストを塞いだ。
宗教家を名乗る人たちも沢山来た。
祖父母と両親と弟を霊界から呼び戻すと言われた。馬鹿じゃないの?そんな事で、1億も払うと思っているの?頭の中にウジ虫でも詰まっているのかと本気で思った。死んだ者は生き返らない。歴史が証明している。
犯人が捕まれば落ち着くかと思ったが、そうはならなかった。
犯人は少年犯罪で服役した前科を持っていた。再犯だったのだ。それで、また狂人が騒ぎ出す。
私は、被害者だよね?
被害者面するなと怒鳴られる。どうしたらいいの?私も両親や祖父母や弟と一緒に殺されれば満足だったの?それとも、自殺したら、この狂人たちは満足してくれるの?
やっと静かになった・・・。
私の周りに平穏が訪れる。
はずだった・・・。
今度は、2億の金がほしいのか、いろんな人たちが現れる。
小娘1人説得できないような稚拙な詐欺話や、困っている人に寄付してくださいとかいうふざけた話。
私は、自分が一番不幸だとは思わない。
思わないが、目の前に座って、寄付の重要性を説いている、両手に高そうな指輪をはめて、安っぽい香水の匂いをばらまいて、2cmはあろうかと思う化粧をして、ブランド物の服とバッグを持った人よりは不幸だと思っている。寄付するにしても、こんな女性が理事をしている団体よりは、犬猫の里親を募集しているような団体に、殺処分をなくすために活動している団体に寄付する。弟が好きだった猫を一匹でも救うほうが喜ばれるだろう。
私が首を立てに振らないとわかると悪態を吐きながら帰っていく。
そんな黒く汚い人たちを見ていた。
1年が過ぎて、学校から退学通知が届いた。
自分たちから来なくていいといいておきながら、本当に通わなくなったら、退学にする学校に未練なんてなかった。祖父母の仲間に相談して紹介して貰った弁護士に学校に質問状を出してもらった。
学校からは期限中に返事をもらえなかった。
弁護士に礼金を払おうと金額を聞いたら、すでに貰っているから大丈夫と言われた。
2年が過ぎて、裁判が始まった。
そこで、また狂人が騒ぎ出す。同じことの繰り返しになるのがイヤで、弁護士に相談した。
今度は、私がお金を払って雇う事にした・・・が、お金はすでに貰っていると言われてしまった。狂人への対応を全て行ってくれる事で、私の周りは平穏になっていた。
裁判は、意味がわからない状況で推移していく。
最低でも極刑、最高でも極刑だと考えていた。薬をやっていて、心神耗弱?意味がわからない。たった9年。9年の服役で奴は罪を赦される?
少年犯罪の加害者で、内緒にして勤めていて、職場にバレて薬に手を出して、むしゃくしゃして殺した?
殺したときには、”むしゃくしゃ”していたのでしょ?それなら、責任能力があると判断できないの?
21歳の奴は9年後に30歳。十分やり直せるだろうだって・・・笑っちゃう。
法廷でそれを聞いたあとで狂人が感想を求めてきた。
笑ってしまいそうになった。何を言ったら満足するの?私に何を言えというの?狂人は何年経っても狂人のままで安心した。何も答えない私に文句を言い出す狂人も居る。なんとか言えとか言われても貴方が同じ立場になったときに、是非その答えを聞きたい。
9年・・・9年・・・私から些細な幸せを奪った男が、9年で許される。贖罪を済ませて白い身体になって出てくる。
そうだ、狂人を利用しよう。
私は決めた。私が被害者だから、誰も何もしてくれない。なら、私が被害者以上に異常な状態になればいい。私が悲しみに泣いて苦しめばいいのだ。
まずは手始めに、加害者の両親に会おう。生きているのなら祖父母にも会いたい。
狂人にそう告げると、喜んで動いてくれる。
彼の両親は、泣きながら私の前で土下座した。
別に土下座なんてしてくれなくていい。土下座されて、泣かれても、私が被害者である事実は変わらない。私が被害者だから、狂人がわけのわからない質問をしてくるのだし、9年後にまた苦しまなければならない。私は加害者になりたいのだ。そう、両親と祖父母と弟を殺して、私を殺さなかった彼を殺して、私が加害者になる。
彼の両親から、お金を渡された。
一度受け取ってから、土下座する彼の両親の目の前に座ってお金を両親に返した。
そして、耳元で囁く”謝罪は受け取りました。お金も受け取りました。祖父母と両親と弟の値段がはっきりしました。ありがとうございます。そして、このお金で、あなた方の息子さんを買い取ります。9年後に私が彼を殺します。お許し頂けますよね?”
呆然とする両親を残して、私は帰路についた。
これで、あとは9年後に彼が出てきたら殺せば私が加害者になれる。彼の両親の真意はわからない。わからないが、謝罪がお金になるのなら、私が持っているお金全部渡すから、彼を殺させてくれと願うだけだ。
彼の両親の承諾も取れた。彼を殺す準備を始めないとならない。
それからも何度か、彼の両親が私に会いたいと言ってきたが、もう話す事はないし、謝罪の必要もない。狂人だけではなく、弁護士を通して話をしても結果は同じだ。
警察が訪ねてきた。
彼の両親が相談したようだ。馬鹿だな。警察にそんな正直に話すわけ無いでしょ?
私は、悲しみで気が狂っただけだと狂人も言っている。警察が来たら普通に話すだけだ。
私は、まだ被害者でしかない。加害者になれていない。加害者になれば国が守ってくれる。
私は可哀想な被害者だ。狂人が話している声が聞こえる。私の事を気が狂ったといい始めている。
彼の両親に承諾を取ってから、1年。狂人も姿を見せなくなった。
定期的にたずねてくる1人の狂人以外は誰も来なくなった。
9年が経った。
やっと明日私は加害者になれる。
生命保険で手に入れた2億円は一円も手を付けないで、弟が好きだった猫の殺処分をなくす団体に寄付をした。昨日、入り直した高校の定時制も無事卒業できた。バイトとして雇ってくれたお弁当屋さんも辞めてきた。迷惑がかかるかも知れないと最初に言ったのに雇ってくれた。最後にもう一度だけ唐揚げ弁当を買ってこよう。贅沢に”のりから”にしようかな?そうだ、味噌汁じゃなくて、奥さんが作っている豚汁にしよう。
彼が出てくるまで外で待たないとならないからね。身体が冷えたら、いざってときに動けないと困るからね。
彼の出所は、優しくも愚かな狂人が教えてくれた。私が加害者になる事を諦めたと思ったようだ。
そして、当時の事を思い出しながら、気持ちが落ち着いたと話したら、いろいろ教えてくれるようになった。私も彼女にはいろいろ話をした。家族の事や彼の事をどう思うのか・・・。そして、2億円の使いみちも彼女にだけは教えた。この部屋も彼女が手配してくれた。
白い壁が印象的な部屋だ。
天井がすごく気に入っている。高校生の時に住んでいた部屋と同じ、真っ白な天井だ。部屋の中の物も処分した。残っているのは、祖父母が好きだった白色のテーブルと母が使っていた白いドレッサーとタンスだけだ。
テーブルの上には、部屋の鍵と彼女に宛てた手紙と、彼のご両親に向けた手紙と、眠っている家族への手紙を残した。テレビも何もない部屋。でも、私はここで過ごした加害者になる事だけを考えて過ごしていた。
あぁ待ち遠しい。
”のりから”美味しいな。明日から食べられなくなると思うと少し悲しいけどしょうがないよね。豚汁も最高だな。寒いときにはぴったりだよね。いつくらいに出てくるのだろう?
教えられた通りだといいな。彼女の話だと、彼は両親にも連絡していないらしい。今日がいい天気で良かったな。昨日買ったナイフもしっかり持ってきた、胸を刺すよりも首を狙ったほうがいいって本で読んだ。
そう言えば、あの図書館来年には無くなってしまうって言っていたな。時間が有るときに何度も通った図書館がなくなるのは寂しいな。
朝から雪とか言っていたけど、そんな事もなくてよかった。
寒いのは苦手だけど、吐く息が白くなるのはなんだか嬉しい。私が加害者になっても、吐く息は白いままなのかな?
しっかり、彼にわかるように、あの時と同じ服を着てきたけど気がついてくれるかな?
白い服。そうか、彼は白い色が見えないのかな?
両親も祖父母も弟も色が付いた服だったからな。私だけ白い服を着ていたから、私が見えなくて、私を殺してくれなかったのかな?私を被害者のままにしておくなんて酷い人だよね。私も一緒に殺してくれたら、私が加害者になる事もなかったのにね。
あぁ彼が出てきた。
白いシャツを着て、黒っぽいズボンを履いている。
あぁ伸びをしている・・・これで、真っ白な身体になれたのだね。良かったね。これから、被害者になれるのだよ。私と立場が逆になって嬉しいよね。
しっかり、彼を殺さないとね。彼が、被害者になって狂人に囲まれるのは可哀想だよね。
大丈夫、しっかり練習してきたから!
しっかり殺してあげるよ。
白いシャツを真っ赤に染め上げてあげる。彼がやったように、私の両親と祖父母と弟を殺した時と同じ様に、しっかりと殺してあげる。
そうしないと、彼が私と同じ苦しみを味わってしまうからね。
私の白いシャツを彼の血で染めて、それから、私自身の血で白い服を真っ赤に綺麗にしないとね。
fin
背中に感じていたぬくもりがなくなってから、5年が経過していると教えられた。
冬になると実感として感じてしまう。
ついこの間までは、背中に当たる彼の背中から確かなぬくもりを感じる事ができていた。
そして、途中から加わったもう一つのぬくもりが・・・。
本当に、それだけで良かった。
私には、彼から感じるぬくもりと、彼と私が望んだぬくもりの二つがあれば十分だった。そして、新たに加わるはずだったぬくもり。ぬくもりの数だけ幸せを感じる事ができた。
たったそれだけのことだったのに、私が寒くて凍えそうなのに、なんで誰もぬくもりをくれないの?
ううん違う。私は、そう、私は、彼からのぬくもりと、私が彼から貰った宝物。ぬくもりが欲しいだけなの?
どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして。ねぇ誰か教えて。5年経ったなんて嘘だよね。明日にはぬくもりを返してくれるのよね?
私の私の私の私の私のぬくもりを返してよ!
早く、ぬくもりを返して、私が凍えてしまう前に、奪っていったぬくもりを、赤く赤く赤く赤く染まったぬくもりを返してよ!
冷たくなってしまった。赤く赤く赤いぬくもりを返して!!!!
そうか・・・奪った人にかえしてもらえばいいよね。
赤く赤く流れるぬくもりを返してくれれば、彼と宝物から奪ったぬくもりを返してもらおう。そうしたら、明日から寒くないよね。凍えなくていいよね。そうだ。返してくれないのから、奪い返せばいいよね。
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景子の心が壊れてしまって2年が過ぎた。
儂も妻も老い先短い。棺桶に片足を突っ込んでいる状態だ。
景子に何かしてやりたい。してやりたいのだが、何もできない。
「アナタ」
「わかっている」
今日も刑事が景子を訪ねてきた。
毎日、景子の様子を見に来るという理由を付けているが、健二くんと愛菜を殺した犯人の事を思い出さないか聞き出したいのだろう。2年。2年経っても警察は手がかりさえも掴めていない。
寝ていた、健二くんと愛菜を殺した憎むべき犯人。
景子は、風邪をひいて別室で休んでいた。普段なら、景子と健二くんと愛菜は並んで寝ていた。そうしたら、3人とも殺されていたのかも知れない。
儂にはわからない。わからないが、景子からぬくもりを奪った奴を許す事ができない。儂と妻からもぬくもりを奪っていったのだ。
景子の心をそして3人を殺した。
儂と妻のぬくもりを、唯一と言っていい楽しみにしていた孫娘と産まれてくる予定だった孫を抱きしめて、ぬくもりを噛みしめるという些細な楽しみを夢を奪った奴をどうして許せるものか!!
---
今日も怒られた。
生き残った私が悪いの?
風邪をひいた私が悪いの?
ねぇ教えてよ。
---
「森下さん。なんで被害者家族に何度も会うのですか?彼女・・・奥さん、心が壊れてしまって、犯人の事も、事件当夜の事も覚えていないのですよね」
なんで、森下さんが、3年間毎月同じ日にあの家に行くのかわからない。自費で見舞いの品を買っていっているのも知っている。
当初、300人体制の操作も初動捜査のミスが重なって、犯人逮捕にいたらなかった。
それから、俺たちの部署に回ってきた。森下さんは、なぜかこういう事件を担当させられる事が多い。いじめの末にいじめられていた女の子が家族といじめていた生徒や先生を殺してしまった事件や、車と大量の血痕だけを残して人が消えてしまった事件や、ヤク中が街中で無差別殺人をした時の被害者が殺人を行った事件を担当している。
被害者と加害者がわからないような事件を多く担当している。
「わからないか?」
「はい」
「素直だな」
「それだけが取り柄です」
「取り柄じゃないからな。それは・・・。まぁいい。あの奥さん犯人を知っているぞ」
「え?本当ですか?」
「俺はそう考えている」
なんだ感か・・・びっくりした
「感じゃないぞ」
「え?」
「お前の顔に、”なんだ感か”って書いてあった」
「え?嘘ですよね?」
「どうだろうな。帰って資料と遺留品をもう一度調べるぞ」
「はい!」
この事件は、空き巣被害が頻発していた地域で発生した殺人事件だ。空き巣捜査のために、制服警官も家を訪ね歩いていた。そんな中で発生した殺人事件だったのだ。当初、空き巣犯が住民に見つかって殺人におよんだと考えられた。
空き巣犯が捕まった。正確には、空き巣犯グループだった。地域の自警団を組織していた者たちが空き巣を繰り返していたのだ、マスコミはその情報に飛びついた。自警団を組織して、地域の防犯意識を高めていた者たちだ、住民も話しかけられば答えるし、旅行計画なんかもよく話していた。皆、まさかという雰囲気だった。
しかし、空き巣グループは殺人事件だけは絶対にやっていないと言いはった。事実、空き巣グループの全員にアリバイが有ったのだ。全員で某国に売春旅行に出かけていたのだ。パスポートという証拠もあり、殺人事件だけが降り出しに戻ってしまった。
しかし、この時点ですでに1年が過ぎてしまっていて、初動捜査のミスは隠しきれない状況だ。空き巣犯を捕まえさえすれば事件は解決と思っていたために、地取り捜査や証拠探しがおろそかになってしまっていた。警察内部の縄張り争いも発生していた。
問題はそれだけではなかった。発見当時の状況がマスコミにリークされてしまったのだ。
旦那さんと娘さんは合計で79ヵ所の刺し傷が有った。辺り一面血の海になっていただろう。旦那さんは背中から刺されている。状況的に娘さんをかばって後ろから刺されたのだろうと考えられていた。しかし致命傷になったのは、頭を殴られた事による頭蓋骨骨折だった。犯人は死んでから刺した事になる。怨恨の可能も出ていたのだ。
発見の状況もこの事件を難しくしてしまっている。
奥さんが第一発見者であるのは間違いないのだろうが、通報者は近所をジョギングしていた人だ。朝いつものジョギングコースを走っていて、窓ガラスが割れている事に気がついて、ふと覗き込むと、部屋を赤黒く染めている物と、奥さんが子供の亡骸を抱きしめて居る状態で外を眺めていたのだ。
警察が来るまで・・・いや、警察が来ても奥さんがその場を離れようとはしなかった。”寒い寒い”と繰り返すばかりだ。異様だったのはそれだけではなく、奥さんは体中に血を浴びていたのだ。後でわかったのだが、旦那さんの血を浴びていたようだ。
空き巣犯と奥さんの犯行説が出たが、殴った物も刺した凶器も見つかっていない事。奥さんが処方された薬を飲んで寝ていたことがパソコンで確認できた事から、空き巣犯説が有力となった。
旦那さんと娘さんは、夫婦の寝室で寝て、奥さんは客間で寝ていた。風邪をひいて別々に寝ていた。
心が壊れた奥さんにこれだけの事は証言できない。警察がこの事を知ったのは、奥さんのお父さんが娘さんやお孫さんとビデオ通話をしていた記憶が残されていたからだ。そして、そのビデオ通話は、奥さんが途中で起きてきたら、わかるようになっていて、殺害時刻は寝ていた事が確認されたのだ。それでも可能性があるという事で捜査対象になってしまった。
それを、マスコミにリークした奴が居て、奥さんが旦那さんと娘さんを殺して、自分が死にきれなかった無理心中であるかのように報道された。
心が壊れてしまった奥さんは1人では生活できないために、まだ存命の両親に引き取られた。
刺し傷から凶器はわかっている。殴った物も、スパナ状の物だろうと思われている。この事から、空き巣犯が普段犯罪に使っている物を使って殺したと思われていた。
刺し傷の多さは疑問視されたが、犯人が死んでいるのか解らなくて刺し続けたのだろうという結論になった。
そして、事件から2年が過ぎて、犯人逮捕どころか有力な手がかりがないまま捜査本部は解散となった。
俺たちのところに事件が回されてきて、俺と森下さんが担当する事になったのは2年前。捜査本部が解散されてすぐだった。
被害者家族は、田舎町に住んでいる。
月命日に、旦那さんと娘さんが眠る墓に手を合わせてから、奥さんの様子を電話で訊ねてから訪問する。
刑事として、奥さんに話を聞くための訪問だが、『旦那さんの同僚が月命日にたずねてくる事にしてほしい』と、奥さんのご両親にお願いしていた。
遺留品はたった一つ。誰のものなのかわからないどこにでも売っているボタンだけだ。
森下さんは、そのボタンをよく眺めている。
「森下さん。聞いていいですか?」
「なんだ?」
「答えが返ってこないのになんで毎回同じ事を聞くのですか?違う事を聞いたら、何か思い出すかも知れないのに?」
「お前はそう教わったのか?」
「はい。少しずつ質問を変えていけば、嘘ならどこかで破綻すると教わりました」
「そうか、そうだな。でも、今回はそれはできないな」
「なぜですか?」
「それくらい自分で考えろよ」
考えろと言われても・・・な。
「本当に、お前は素直でかわいいよ」
「褒めていただいてありがとうございます」
「別に褒めてないからな。彼女は、何か喋ったか?」
「いえ」
「彼女は犯人か?」
「多分違うと思います」
「なぜ?」
「なぜ?捜査本部でそう結論が出ていますよね?」
「違う、なぜお前がそう思うのかと聞いている」
「え?なんとなく・・・では、ダメですよね」
「ダメじゃない。捜査本部云々と言われるよりも、その方が納得できる。まぁいい。次に、彼女の両親は犯人か?」
「違います。アリバイがあります。距離的にも動機的にも違うと思います」
「そうだな。俺が、毎回同じ質問をしているのは、彼女の反応を待っているからというのもあるが、彼女の両親が何か思い出さないかと思っているからだ」
「両親?犯人じゃないですよね?」
「そうだ。さっきの話に戻るけど、俺は彼女が犯人を知っていると思っている」
「えぇそう聞きました。何度も聞いています」
「彼女たちと両親は良好な関係だったのだろう?」
「はい。近所の話でもそうなっています」
「ほらな。後は、自分で考えろ」
また、森下さんはボタンを眺めながら黙ってしまった。
こうなったら、暫くは自分の世界に入り込んでしまう。
---
自警団の奴らの裁判が始まる。
空き巣犯。それは許されない犯罪だ。
でも、儂の目的は違う。
最初の一年目は毎日の様に刑事が訊ねてきて娘を犯人の様に扱った。憤慨もしたが、知り合いの弁護士に相談する事で状況が代わった。空き巣犯グループが捕まって、さらに状況は変わった。刑事が来なくなった代わりに、マスコミを名乗る狂人どもが娘を追いかけるようになった。
報道する自由があるとか喚いていた。これは、地元から出ている代議士先生に相談したらピタリと止んだ。そのかわり、今度はTVで毎日の様にコメンテータを名乗る狂人が自分勝手な感想を付けながらしたり顔で御高説を垂れ流している。ネットとかいう暇人の集まりにも酷い事が書かれていると教えてくれる狂人も居たが、そちらは気にしない様にした。
警察が捜査本部を解散するとそれらも興味が無くなっかのように流れなくなった。
自警団の奴らは、人数も7名と多い上に都度面子が変わったりして全容が掴めていなかったようだ。3年経ってやっと裁判が始まった。
捜査本部が解散してから現れた森下という刑事は変わっていた、健二くんの同僚という事にしてほしいといい。訊ねてくるのは、決まって月命日だけ・・・事件があった日付だけだ。そして、必ず遠方にある健二くんと愛菜の墓参りをしてから、一報入れてから訊ねてくる。若い刑事も連れているが、今までの刑事とは違っていた。
娘を被害者として見ていない。うまく言えないが、彼は娘を可哀想な人として見ていないのだ。普通に話しかける。娘は反応しない。意味不明な言葉を発するだけだ。でも、彼はそんな娘と会話を楽しんでいるように話をして、同じ質問をして帰っていく。
『旅行に行く前日か前々日に知っている人に会いませんでしたか?』
森下刑事は同じ事を最後に聞いていくのが不思議だった、妻が森下刑事に聞いたら”何かを思い出すかも知れない”と教えてくれたと言っていた。
今までの刑事は、”事件の日”というが、彼は”旅行に行く”と言い換えている。
そして、犯人ではなくて、”知っている人”と言っている。
彼は帰り際に独り言の様につぶやいた
”犯人は奥さんが知っている人”
確かに、そうつぶやいた。
それから、彼の言葉を注意深く聞いていると、気にしているのは、前日と前々日の話だ。
彼は、儂や妻にヒントを与え続けている。
儂と妻から、娘から、ぬくもりを奪った犯人のヒントをくれているのではないか?
そう考えるようになっていた。まずは、情報がほしかった。なんでもいいから情報がほしかった。
当時の新聞雑誌は、図書館で手に入れた。ニュース番組は、知り合いの弁護士に言ったら入手してくれた。全部ではないがかなりの情報量だが、儂と妻は情報を精査し始めた。
ニュースになった物や当時の新聞雑誌で書かれている被害状況から自警団の奴らの犯罪状況を調べた。
全部で、57件が被害状況だ。
裁判で、明らかになった物を潰していく。
思った通りだ。
被害状況のなから、5件だけは自警団の犯罪ではない物が出てきている。模倣犯なのか?
しかし、雑誌や新聞にかかれている被害状況から、手口が似ているのだ、旅行や家族揃っての食事に出かけているときに狙われている。5件全部が偶然とは考えられない。
この事を、森下刑事は言いたかったのかも知れない。
そして、娘たちが旅行に行くと決めたのは数ヶ月前、儂たちも誘われていた。健二くんのご実家に行く事になっていた。前々日になって、第二子の懐妊が判明した。そして、前日に熱っぽい事から、悪化したら大変だという事で、産婦人科に行って、薬を貰いに行って、熱が治まるまで旅行は延期する事になった。
孫娘は残念だったようだが、お姉ちゃんになるのだからと言ったら喜んでいた。
娘や孫娘は、毎日の様にその日に有ったことをTV電話で話してくれる。
健二くんが設定してくれて、通話は全部娘の家にあるパソコンに録画されていた。警察に押収されていたが弁護士が取り戻してくれた。
孫娘が1週間前に学校から帰ってくるときに、自警団の連中に有って、旅行に行く事を話したと言っていた。
そうしたら、自警団の連中も”海外旅行に行くと自慢された”とプンプン怒っていた。
娘も自警団から予定を聞かれたらしい。なんと答えたのかはわからない。
儂は、心が壊れた娘に聞いた。
「誰かに旅行の事を話したか?」
---
「森下さん!!!」
「どうした。慌てて、世の中慌てるような事なんて多くないぞ?」
「そう言っても、今は慌てていいと思いますよ」
「それじゃ、慌ててついで、”答え”を当ててやろうか?」
「え?」
「景子さんが、ご両親と一緒にあの街のPBの警官を殺したのだろう?(遅かったか・・・)」
「え?あっ?へ?なんで?」
「どっちだ?」
「どっち?」
「あのPBは2人居るだろう?年配の方か?若い方か?」
「あっ若いほうです」
「そうか・・・遅かったな。それで、奥さんもご両親も自殺したのか?」
「・・・状況的に・・・そうだと思います」
「嘘言うなよ?調べればすぐに解るからな」
「・・・」
「ご両親のどちらかが、奥さんを殺したのだろう?あっ違うな。奥さんが欲しがっていた物を取り返したのなら、ご両親が若い奴を殺して、奥さんが満足するのを見届けてから旦那さんが2人を殺した後で自殺ってところか?」
「・・・まるで見てきたかのように言うのですね」
「奥さんが話してくれていたからな。”ぬくもりが欲しい。赤い赤いぬくもりを彼に戻してほしい。宝物に戻してほしい”ってな」
「・・・」
「おい。神楽坂。タバコ持っているか?」
「え?ここは禁煙ですよ」
「つまらないことを気にするなよ」
ふらっと立ち上がっていつも持っている墓参りセットを持って部屋から出ていく。
「どこに?」
「あ?決まっているだろう?今日は何日だ?」
「え?」
今日は、事件があった当日。命日だ。
「お供します!」
fin
僕の左手首には、古い傷がある。
手首に横一文字に切られた傷だ。リストカットをしたかのように見える。
高校受験のときに、担任から傷の事で注意を受けた。
「平田。その傷は隠しておけよ」
「なんでですか?」
「俺は、お前が自殺なんてしていないのは知っているが、始めて会う人には伝わらないだろう?不快に思う人が居るかもしれないからだ」
「そんな高校には行きたくありません」
「お前な」
「だってこの傷は、ママが僕を守ってくれた証拠です」
最後までしっかり言えたと思う。思うけど、涙が出てきてしまう。
「わかった。わかった。内申にそう記載しておく」
「ありがとうございます」
「平田。それから、面接では、”私”と答えるように、僕はダメだからな」
「はい!」
僕には、両親が居ない。ママは、僕が子供のときに、僕をかばって死んでしまったと、祖父母に教えられた。パパも、そのときに死んだと教えられた。
僕は、祖父母に育てられた。優しくも厳しかった祖父母はもう居ない。祖父は、僕の中学校の入学を見届けるように病気で死んでしまった。祖母は、中学二年のときに乗ったタクシーの事故に巻き込まれて病院から帰ってこなかった。
パパの事はよくわからない。祖父母に聞いても教えてくれなかった。つらそうな表情を見せられるので、それ以上聞くことが出来なかった。
祖父母は、生前に死んだらこの人を頼りなさいと言い残してくれている。
毎年”ママ”宛てに年賀状を送ってくれている人だ。旧姓松原美和。今は森下美和となっている。僕と同い年の女の子が居る女性だ。弁護士をやっている。ママの同級生だと教えられた。
祖母の葬儀を終えて、その事を思い出して連絡をした。
隣町に住んでいて、すぐに駆けつけてくれた。そして、遺産相続や学校の事、これから発生するであろう事を教えてくれた。
美和さんの予想通り、パパの親戚を名乗る人や、ママやパパの友達を名乗って貸した物を返して欲しいと言ってきた。来るのがわかっていれば対処もできる。知らないと突っぱねる。それでも帰らない人は、名前と連絡先を聞いて、美和さんが話をしてくれる事になった。
そして、僕はパパの名字ではなく、ママの名字の”朝日”を名乗って高校受験する事になった。
志望校に合格ができた。ママと祖父母に報告をした。
学校近くのマンションで一人暮らしになっている。
高校でも友達は出来なかった。両親も祖父母に居ない事から腫れ物に触るように接してくる。
僕は左手首に付いた、ママから貰った古い傷を触っている。
この傷を触っていると、ママが側に居てくれるような感じがして落ち着くのだ。
僕が入った学校は、部活に入らなければならなかった。バイトも禁止されている。
でも、僕はバイトしなければ生活が出来ない。部活をやっているとその時間が取れないのだ。美和さんが自分の所で事務の手伝いをしないかと誘ってくれたが断った。美和さんには十分良くしてもらっている。
今の部屋も美和さんが借りてくれた部屋だ。祖父母の遺産とママが残してくれた預貯金で、僕が高校と大学卒業するくらいまでは家賃は生活できるらしい。美和さんから説明されたのだが、僕はお金にはなるべく手を付けたくなかった。
お金は預かってもらう事にした。祖父母の家は広いけど、学校から遠かったので、市内に部屋を借りてそこから学校に通っている。家賃は払えそうになかったので、美和さんにお願いして遺産から払ってもらう事にした。
家賃はしょうがないとしても、生活費はバイトで稼ぎたかった。
理由を申請すれば部活の免除とバイトの許可をくれる事がわかった。僕は学校に申請を出して、許可を貰った。
友達と遊びに行く時間は殆ど無い。部活にも入っていない。
友達を作るチャンスは殆ど無い事になる。僕は、別にそれでいいと思っている。ママがくれた傷を馬鹿にするような人たちとは仲良く慣れるはずがないからだ。
高校2年の夏休みに僕にちょっとした事件が起きた。
バイト先がTVで紹介されたのだ。それは問題はなかったのだが、大将が出す料理が美味しいと評判になって、取材を受けたのだ。大将の所は、奥さんの2人しか居ない。お子さんも居たと常連さんが言っていたが、詳しい話は教えてくれない。どうやら、なにかに巻き込まれて殺されてしまったということらしい。
奥さんは僕にすごく良くしてくれる。手首の傷も何も言わないで受け入れてくれた。
優しく撫でてくれるのがすごく暖かくて、すごく嬉しかった。ママに撫でられたらこんな気持ちだったのだろうとさえも思えた。
新しいママとパパとさえ思えた。
そのバイト先の大将の店がTVで紹介された。
僕が住んでいる場所は夕方の情報番組で美味しい店や話題の店を紹介しているので、TVに出る事は珍しくない。
僕が”事件”と表現したのは、奥さんが僕を真ん中に入れて挨拶をしたいといい出したのだ。
撮影前に、学校には許可を求めた。学校名をどうしたらいいのか確認するためだ。担任が学校側に掛け合ってくれて許可がもらえた。
放送時に、学校名はふせられた、学校はどちらでも大丈夫という事だった。TVの演出なのかわからないけど、制服で真ん中に入ってほしいと言われた。奥さんもそうしてほしいと言ったので素直に従った。
放送後に問題が発生した。
僕の事情を知らない。他の科の先生が、バイトは禁止されているはずで、両親の店と言っても、バイトは許されないといい出したようだ。僕の担任は僕の事情を説明してくれたが、振り上げた拳は簡単におさめる事が出来なかったようだ。
僕は、関係がない科の職員室に呼び出されて説明しなければならなくなった。
ヒステリックに怒鳴る女性教諭の前で2時間怒られ続けた。
僕がなに言おうとしても聞いてはもらえない。僕が全面的に悪いということだ。馬鹿らしく思えてきた。態度に出たのだろう。女性教諭は、手をあげそうになった。そこに、丁度居た体育の教諭がそれを制してくれていなかったら殴られていたかもしれない。
その事を、担任に相談した。
「先生。僕、バイト辞めたほうがいいですか?」
「朝日は、辞めたら困るだろう?」
「うん。生活ができなくなるから、学校やめるかもしれない」
「それはダメだ。せっかく入ったのだし、学校も許可をしている。気にするな。俺から、あの人には言っておく」
「ウンノ先生。お願いします」
どうやら、あの科の女性教諭は今までも同様の問題を起こしている。
ただ粘着質だから気をつけろと言われたが、僕に何ができるわけではない。
TVの影響なのか、僕に話しかけてくれる級友が増えた。
友達とは言わないとは思うが、僕の新しい人脈ができた。美和さんと大将と奥さんの数名の常連さんと大家さんと不動産屋さんとよく使う店の連絡先しか入っていなかった連絡帳に、新しい連絡先が登録されてた。
部屋に帰ってからそれを見るのが日課になっていた。連絡をするわけではないが、並んでいる連絡先が何故か嬉しかった。
僕の連絡先が相手にも登録されているのかと思うだけで嬉しく思えた。
高校3年生になった。
僕は進路を決めかねている。担任の話では、大学への推薦が取れるという事だ。
僕が相談できる大人は、美和さんと大将と奥さんと担任だけだ。
でも、やはり他人なのだ。皆が僕の意思を先に確認してくれる。当然の事だが、なんだか寂しい感じがする。美和さんが、娘さんを紹介してくれた。幼馴染だと言っている男子も一緒に紹介された。
学校以外では初めての同世代の知り合いだ。
「ユウキさんは進路はどうするのですか?」
「真帆。だから、僕の事は、ユウキって呼び捨てにしてよ。友達でしょ?タクミの事も呼び捨てでいいからね」
「ユウキ。朝日さんが困っているだろう。お前は、いつもそうなのだから距離感って物が有るだろう?」
「タクミは黙っていて!」
2人が口喧嘩を始めるが、お互いに信頼しているのだろう。
陰険な感じがしない。本当に相手のことを思っているのだろうとさえ思えてくる。温かい空気の中に入りたいとさえ思った。
「僕は、就職かな?真帆は?」
「私は、まだ悩んでいる・・・のです。篠崎さんは大学ですか?」
「ん?俺?俺は、大学には行かないよ」
「そうなのですか?」
「あぁ大学に行くよりも面白い事がありそうだから、オヤジの手伝いをする事になっている」
「あのね。真帆。タクミ、ママの所を手伝ったり、克己さんの下請けのようなことをするみたいなんだよね」
「おい。ユウキ!」
「え?どこかにお勤めになるのでは無いのですか?」
「あぁ会社はもう作ってあるし、暫くやって、ダメならそこから大学に入ろうかと思っている」
「え?会社ってそんな・・・?」
「そうだな。俺とあと一人くらいなら食べていけるくらいは稼げると思うからな」
「え!」
ユウキが下を向いて顔を赤くする。
そういう事なのだろう。
実は、2人の関係は美和さんから聞いている。
一軒家を篠崎さんのお父さんたちから渡されて、そこで2人で生活する事になっているようなのだ。
羨ましくもあるが、僕が求めている物とは違う。
彼らの側は心地よさそうだけど、何かが違う。
大将に相談した。
「大将」
「なんだ?」
「ちょっと相談したい事が」
「進路の事なら俺は何も言わないぞ?」
「あっわかっています」
厨房にいた奥さんから声がかかる
「真帆。このままうちの子になる?部屋も空いているから、歓迎するわよ?」
「え?」
「おい。真帆が困るだろう。冗談はほどほどにしろよ」
「あら、私は冗談じゃ無いわよ。貴方もそうでしょ。真帆なら歓迎だって言っていたでしょ?」
「おい!今、そんなことをいうな!」
大将と奥さんの話が信じられなかった。
僕を?子どもに?え?
「真帆!」
大将が僕の肩を掴んだ。
「・・・」
「真帆。俺達夫婦は子どもは居ない」
「はい」
「真帆が、どこまで聞いているのか俺達は知らない」
「・・・」
何を大将は・・・。
聞いているのか?
「大将?」
奥さんも厨房から出てきた。
僕の肩に置かれていた大将の手を優しく掴んでから、僕の肩から離した。僕を近くの椅子に座らせてくれた。
それから、お茶を持ってきて、大将の僕の前に置いた。奥さんは、大将の隣に座った。
「朝日真帆。ううん。平田真帆さん」
奥さんが、僕の旧姓?を呼んだ。久しぶりに聞いた。パパの名字だ。
どのくらい時間が経ったのだろう。
何もしゃべらない大将と奥さん。僕は、そんな2人の前で冷めていくお茶を見ている。湯気が減っていく。冬の日差しが差し込んできて、明るかった手元が少しだけ影になったときに、店のドアが開いた。
美和さんと大家さんが店に入ってきた?
美和さんはなんとなく解る。でも、大家さん?確かに、僕のことを気にかけてくれている。部屋も相当に格安で貸してくれているはずだ。必要ないのに、駐車場もキープしてくれている。
「望月さん。ご連絡いただきましてありがとうございます」
「いえ、先生。急にお呼びだてして申し訳ありません」
「構いません」
「海野先生も申し訳ありません」
「かまいません。それに、私にも関係している事です。私からお願いしたいくらいです」
大将と奥さんが望月なのは知っていた。
海野?マンション名が”シーフィールド”だから、大家さんは海野なのだろう?でも、大家さんが先生?
僕は、頭の中でいくつもの”?”が飛び交うという漫画のような経験をしている。
「望月さん。海野さん。真帆さんが混乱してしまいます。ご説明はまだしていないのですね?」
大将と奥さんが、罰が悪そうな顔でうなずいている。
すっかり冷めきってしまっているお茶をすすっている。奥さんが新しいお茶を淹れてくれる。
僕の前。大家さんの前。美和さんの前。大将と自分の前。そして、あと3つの湯呑を持ってきている。僕の両脇においた。
そして、大家さんの横に一つ置く。僕の両隣は、両親の分なのだろう。両親にも関係がある話なのだろう。
店のドアがまた開けられた。
え?なんで?
入ってきたのは、担任の”ウンノ先生”だ。
「おふくろ!どういう事だ。真帆に話すって!俺に任された事じゃないのか?!」
「馬鹿だね。お前がさっさとしないから、望月さんたちが動き出したのがわからないのかい。いいから、座りな!真帆さんごめんね。家のバカ息子が担任なんて災難だったね」
「おふくろ!あんたが校長を動かしたのだろう!?今更何を言っている!」
「そりゃぁそうだよ。事情も知らないクズがいる学校に、大事な大事な真帆さんを一人にしておくわけには行かないからな。あんたも納得していただろう」
「当たり前だ!俺達は、真帆に返しきれない恩がある!」
え?
「海野先生。真帆ちゃんが混乱するだけだから順序立てて説明しましょう」
美和さんが僕の方を見て笑いかけてくれる。
そして、美和さんがバッグから少し古い新聞の切り抜きを取り出して、僕に見せてきた。
え?
なに・・・これ?うそ?
うそ・・・だよ・・・ね?
ママ・・・パパ・・・?
16年前の日付の新聞だ。
アクセルとブレーキを踏み間違えた車が、ショッピングセンターに突っ込んだ。よく聞く話だ。
この後が違っていた。運転していたのは、高齢の夫婦だった。夫婦は胸を激しく打って死亡したと書かれていた。その後が問題だ、後部座席に座っていた、男性が車から降りて暴れたのだ。持っていたのか、ショッピングセンターにあったものなのかは書かれていないが、包丁を持って、店の中に居た客や店員を切りつけたのだ。
運転していた夫婦を除く死亡者6名。傷者2名。
犯人は、その場で殺された。現行犯逮捕されたのは、犯人に奥さんを殺されて、娘の手首を包丁で切られた男性だった。男性は、犯人から包丁を取り上げて、犯人を刺したのだ。
怪我をしたのが、僕と担任の先生だ。僕は産まれてまだ2歳にもなっていない。先生もまだ未成年だった事もあり名前は書かれていない。
死亡した人の中に、望月一歩。海野和幸。海野花菜。の、名前がある。大将の娘さんと、先生の父親と妹だと教えられた。
「美・・・和・・・さん?」
「そう、貴女のお父様は、このときには死ななかった」
「え?」
「貴女のお母さん。朝日さんは、死ぬ時・・・ううん。死んでからも、貴女の手首を掴んで離さなかった。私が事件を聞いて駆けつけた時に、沙菜さんから聞いた話では朝日さんが貴女の手首を抑えて止血していなければ・・・」
「そう・・・なのですね。僕は、本当の意味でお母さんに救われたのですね」
先生が僕の方を向いて
「真帆違う。真帆だけじゃなくて、俺も、そしてそれより多くの人が、真帆の両親に救われた。俺は、あの場にいた。あいつが俺を見て笑ったのを今でも覚えている。あいつが俺に包丁を向けたときに、助けてくれた真帆のお父様は俺のヒーローだ!」
大家さんが先生の頭を殴る。
落ち着かせて、座らせる。
「この子の話は別にして・・・。真帆さん貴女のお父さんはこの子を息子を救ってくれた。そして、犯人ともみ合って殺してしまった・・・ごめんなさい。謝って済む事ではないのはわかっている。わかっているけど、私には貴女に謝るしかできない」
「大家さん・・・ちがう。ぼく・・・ばかだけど、わかる。大家さんも先生も大将も奥さんもわるく・・・ない。わるいのは・・・この犯人。僕。美和さん。パパは?捕まって刑務所?殺人犯?」
「いいえ、逮捕はされたけど、正当防衛が認められた」
「それじゃ!!」
「・・・」
「美和さん?」
皆が一斉につらそうな顔をする。
祖父母にパパのことを聞いた時と同じだ。
「美和さん!」
「森下先生。俺から話をしていいか?」
今まで黙っていた大将がにが虫を数百匹噛み潰したような顔をしている。
その顔で、パパにはもう会えない事がわかった。
「真帆。お前の父親は、無罪になった」
「うん」
「でもな、マスコミを名乗る無責任なゴミどもが面白おかしく騒いだ。正当防衛だと言っているのに、俺はその場に居られなかった。娘が殺された立場だ。それでも、真帆の父親がお前と多くの者を守ったのは解る。それを理解しようとしないコメンテータとかいう奴らが無責任に言い立てる。真帆、父親が何をしていた人か聞いた事はあるか?」
首を横にふる。
「そうか、真帆。お前の父親は、元自衛官だ。任務中の怪我で退官して、タクシーの運転手をしていた」
そうか・・・マスコミが好きそうなネタだ。
自衛官が家族を僕を守るために、民間人を殺した。そう報道したのだろう。
「それで?」
「想像できるだろう」
「うん。でも、それなら、パパは生きているの?」
大将は首を横にふる。
パパは、無実になった後もマスコミからの取材という狂気にさらされながら生活をしていた。僕を祖父母にあずけて、娘も死んだことにしていた。足の悪かった、祖母を病院まで送り迎えしてくれたいつも決まったタクシーが居た。あれが・・・パパだった。
僕は、パパに守られていた。そうか、祖母の事故はパパのタクシーに乗っていた時・・・で、パパも一緒に・・・。
「パパが祖母を殺したの?」
「違う!違う!真帆。それは違う!」
先生が怒鳴るように訂正した。
まくしたてるように説明してくれた。パパのタクシーは後ろから酔っぱらいの車に追突されて、そのままタンクローリーを巻き込んだ事故になってしまった。パパは、後ろに乗る祖母を車の外に出すだけで精一杯だったようだ。
パパはその場で火にまかれて死んでしまった。祖母は、事故のショックから悪かった心臓が悪化して、手術中に死亡した。
そして・・・その車を運転していたのが、ヒステリックに怒鳴り散らす先生の弟だった。
あの先生も、その事故の前ではまともな先生だったらしいが、事故の後でマスコミに追いかけられて性格が変わってしまったという事だ。先生は、つらそうな顔をしながら、”あの人は不幸だが、そこで止まってしまった”
そうなのだろう。マスコミの狂気にさらされて、狂気が正しいと思ってしまったのだろう。
皆が僕に一歩引いた距離感で、僕にすごく良くしてくれた理由がわかった。
僕は、ママに命を救われて、パパの行動で僕は救われた。
古い傷は、ママとの繋がり。新しい絆は、パパが僕に残してくれた物なのだ。それから、僕は何を話したのかわからない。泣きはらしたのは覚えている。大将も奥さんも大家さんも先生も美和さんもみんな僕の話しを聞いてくれた。
進路が決まったわけじゃない。でも、新しい道を見つける事はできそうだ。
店を出て少し頭を冷やしてこよう。それから、相談しよう。
え?なんで・・・?
僕?
お腹が熱い。
「キャハハハ!!!弟の仇を討った!!!!これで、弟の無実も、私の正しさも証明された!!!!!」
ママ・・・パパ・・・
不思議と痛くないよ・・・僕・・・僕・・・頑張るよ。
---
病院のベッドの上で、僕はお腹にできた新しい傷を撫でながら、将来のことを考えている。
美和さんの様になりたい。大将や奥さんのようにもなりたい。先生のようにもなりたい。
新しい傷は、僕の過去の秘密と現在を切り離してくれた。
僕は、パパとママの子どもだ。古い傷と新しい傷を合わせて、僕なのだ。僕は、僕だ。僕以外にはなれない。
fin
俺は、心霊現象と言われる類の物が好きになれない。
怖いからではない。見えてしまうからだ。
いつ頃からだろうか?
俺は、心霊現象を認知する事ができる。幽霊と言われる物がはっきりと見えてしまうのだ。相手も、俺が見えている事が解るのだろう。コンタクトを取ってきたりする。
「田村!どうした?疲れ切っているぞ?」
「うるさい。話しかけるな」
「おっおぉ・・・」
会社の同僚の村田だ。
同期だという事もあり、よく飲みに行ったりしている。お互いの事情もある程度は知っている。
違うな。奴の事情は、奴から聞いたわけでも聞き出したわけでも調べたわけでもない。
俺の耳元でピーチクパーチク話をしてくる奴から聞いたのだ。
奴に取り付いているわけではないとそいつは言っている。自分の事は一切話をしないのに、村田の事は、子供の頃から、それこそ産まれた頃の事から話を、聞いても居ないのに教えてくれる。
そのおかげで、俺は村田が小学校二年生の時に学校の帰りにおもらししたのを知っている。別にどうでもいい話だが、この幽霊は楽しそうに話してくる。俺が話を聞かないと、心霊現象を起こしやがる。
一度、何が気に入らなかったのか、癇癪を起こしやがって、会社中のパソコンの電源を落としやがった。
それから、俺は面倒だとは思いながらも、こいつの話を聞くようにしている。
「田村。調子が悪いのなら今日は帰れよ」
「大丈夫だ。体調が悪いわけじゃない。たんなる寝不足だ」
知っていたか?
誰に話しかけるでもなく、俺は話す。
幽霊もセックスをするのだ。子どもが産まれるわけでは無いらしいが、そんなわけで、俺が住んでいるマンションでは、取り付いている幽霊同士が乱交騒ぎをしている。次の休みには、体調を崩した住民がマンションから出ていくので、その騒ぎは収まるようだ。
そんな事もあって俺は寝不足のまま会社に来ている。
幸いな事に喫緊の仕事はない。デバッグ作業を今月末までに行えばいいだけだ。俺が担当している部分はすでに終わっている。今は、他の奴の部分を手伝って居る状況で、バグが見つかれば担当者に連絡して修正待ちになる。
それが解っているのか、村田に付いている奴が朝から話しかけてくる。
今日は、村田の恋愛遍歴のようだ。
どこから、そんな情報を仕入れてくるのかわからないが、詳しく話してくれている。別に知りたくもなかった、村田の初体験の時期まで教えてくれる。高校三年生、俺よりも2年ほど遅かったのがせめてもの救いだ。
それから、奴が今付き合っているのは職場の女の子の様だ。
社内恋愛が禁止されているわけではないので、別に問題ではないが、その相手が美人で有名な営業補佐だ。皆が狙っていると噂されていたのだが、どうやら我が同僚が姫の心を射止めたようだ。
この奴らの声が聞こえる力は、高校の頃は煩わしかった。
試験の時に答えを教えてくれればいいのに、昨日何時まで勉強していただの、勉強しないで漫画を読んでいただの、どうでもいい話しかしてこない。同級生が勉強中に自慰をしたとか聞きたくもない話だ・・・それも、女の子に付いている奴からだ。学生の時には、こんな話ばかりされた。
社会に出ても、話される内容はそう変わらない。
しかし、受け手である俺が変わったのかもしれない。有効に使う事ができる。
客先に赴いた。その会社は先代の社長からよくしてもらっていた、その先代が死んで息子が跡を継いだ。
その息子との初会合の場に俺も出るように言われた。俺が、その会社との仕事を一番多く行っていたからだ。
新社長の息子に付いている奴が話かけてきた
『ねぇねぇ貴方よく見るね』
よくラノベ設定にある俺の心を読むような能力はこいつらには無い。声に出して返事しないとダメなのだ。子供の頃は、返事をしてしまって、周りから気持ち悪いような目で見られた事が一度や二度ではない。彼女と行為の最中に話しかけられて、返事してしまった事もある。
『この人、父親を殺しているわよ?』
「え?」
声を出してしまった。皆の視線が俺に集まる。
今後の事を話している最中に、否定的な言葉を出したのだ当然だろう。
「どうした?田村。何か不明な事でもあるのか?」
『キャハハ。やっぱり驚くわよね。この人の父親。この人じゃなくて、副社長に会社を譲りたかったみたい!でも、この人はそれが許せなくてね、病気で入院している父親のなんとかって機械を止めたのよ』
「いえ、数字が俺が覚えているのと違ったので、少し驚いただけです」
「そうか?どう違う?」
「俺が覚えていた数字のほうが小さいのですが・・・そうですよね。俺だけが請け負っていたわけじゃないので当然ですよね。申し訳ありません」
皆に謝罪してこの場をおさめる。
どういう事だ?
確か、先代は仕事中に倒れて、病院に運ばれて、そのまま死んたと聞かされている。
目の前に座る奴が殺したとしたら話しが違ってくる。副社長はまだ残っているのだが、今代の社長と確執がある、早々に離脱するかもしれない。多くの優秀な社員は副社長に付いていくだろう。俺でもそうする。
会議の最中に副社長が席を立つ。理由を見つけて、副社長の後を追う。
副社長に付いている奴から
『ねぇねぇこの人、刑事って人に会っていたよ』
え?刑事?告発でもするのか?
どうやらそれだけではなく、会社を辞めて別の会社を立ち上げるようだ。俺の予想が当たった。
副社長の真意は聞けなかったが、事情を奴から聞く事ができた。
こういう事が何度か続いた。
受け手側の、俺がいろいろ考える事ができるようになってきたからだ。
暇になるといろいろ考えてしまう。
一番の疑問は、俺に付いている奴と話をした記憶が殆ど無い。子供の頃に話を聞いた記憶はある。記憶が有るのだが思い出せない。そもそも、俺は、高校以前の記憶が曖昧なのだ。両親や祖父母や姉が居たのは覚えている。覚えているが、高校では一人暮らしだった。支援者と名乗る人が毎月様子を伺いに来た。俺自身が記憶が曖昧だというと、悲しそうな顔をして違う話を始める。そんな事が数回行われてから、俺は俺の事や家族のことを聞くことを辞めた。どうやら、俺は本当の名前が違うようだ。名前が変わっているようだ。これは、社会に出てから気がついた事だが、それで問題はない。大人たちが隠した過去を調べても、ろくな結果にならないのは解っている。
「田村。この後は?」
上司の一人だ。
奴らの話では取引先の女性と不倫をしているようだ。俺を誘うのも、断られるのが解っているからだ。そして、できた時間に不倫相手を呼び出すのだ。
勝手にしてくれと思ってしまう。
「いや、今日は用事があります。でも、食事くらいなら付き合いますよ」
これが正しい答えのようだ。
食事をして別れたという言い訳になる。上司は妻に俺と飲んでいるという事ができる。
「そうか、それじゃいつもの店だな」
「了解しました。俺、用事がないから先に行って席を取っておきましょうか?」
「そうだな頼む」
これが奴らから聞いた最上の答えなのだ。上司は、店には現れない。用事ができたと連絡が入る。不倫相手とラブホにでも行っているのだろう。この店は、俺が今の会社に努めてから贔屓にしている独立系の居酒屋で席が全部半個室になっている。
店主とも顔なじみで、別の客がしていた、デポジットを申し出たら了承してくれた。上司も何度か連れてきた。上司が俺をアリバイに使っている事を後ろめたい気持ちなっていたのも奴らから聞いていたので、”デポジットを入れてくださいよ”と、お願いしたら、定期的に入れてくれるようになった。
そう言えば、あの客・・・ナベさんとか呼ばれていたけど、最近見ないな。同業者らしいけど、デスマーチに捕まったのか?
いつものように、店長のおすすめを頼んだ所で、いつもの連絡が入る。
急な用事でいけなくなったという事だ。ボトルを勝手に飲んでいいと言われた。支払いは、デポジットからしておくと伝えたら、笑いながら明日にでも追加しておくと言われた。良い上司だ。上司としてだけだが・・・。俺は、奥さんに浮気が発覚しない事を祈っておこう。主に、俺のデポジットの為に!
飲む気分ではなかったので、食事だけして店を出た。
黄色い電車に乗って部屋に帰る。この電車が苦痛なのだ。皆から話しかけられまくるのだ。ヘッドフォンをしてもなぜか効き目がない。頭の中に響いてくる。
部屋について、TVをつける。
特に見たい番組が有るわけではない。丁度、夜のニュース番組がやっている。
”女性の白骨化した・・・”
俺・・・。この場所を知っている。行った事がない県の小さな街の・・・。知らない山。標高707mの小さな山。覚えはない。覚えは無いが、知っている。
心がざわついている。
落ち着かない。
スマホを取り出して、上司にメールする。明日は、土曜日・・・。出勤する予定はない。
土日で行って、月曜日には帰ってくる。デスマが進行中の部署があり、駆り出される可能性がある為に、連絡だけは入れておく。
数分後、上司から了承すると連絡が来た。
それから、溜まっている有給休暇の消化の為に、できれば水曜日まで休め・・来週から月内は休めと言われた。約20日程度だ。上司としては、仕事がない今のうちに休ませておきたいらしい。
もう終電には間に合わない。深夜バスという手段もあるが、はじめての場所でホテルがあるか・・・。そうだ、泊まる場所。慌てて、愛用しているホテル予約サイトを起動する。目的の町には、ホテルは無い。民宿が数軒有るだけのようだ。
ニュースで”市”と言っていたから大きいと思っていたら、平成の大合併で市に吸収されただけのようだ。調べると、市から電車で20分程度の様だ。サッカーとちびまる子とマグロが有名な市の駅前に有るホテルに予約した。閑散期で部屋はスムーズに予約できた。
俺は、圧倒的な潮の匂いがする駅に降り立った。
そこは、田舎町という言葉が似合う場所だ。
初めて来る場所のハズなのに、知っている。何かと比較している自分が居るが、絶対に折れは知っていなければならない場所だ。駅前にレンタカーがあると思ったのだが、そんな施設が見当たらない。
改札を出ると、左手にタクシー乗り場があり、2台ほどタクシーが客待ちをしている。無人駅ではないが、無人駅のような場所だ。
『久しぶり。久しぶり!』
え?
いつものように奴らが話しかけてくる。
駅のベンチで寝ているおばちゃん2人のどちらかに付いている奴だ。
俺が驚いて、おばちゃんを見る。
知っている顔ではない。知らないはずだ・・・よな。奴らには救われた事がある。顔を忘れた知人のことを思い出させるきっかけをくれる事がある。今回も同じだと思った・・・が、知らない顔だ。
『本当に久しぶり20年ぶりくらい?あれ?でも、妹が一緒じゃないの?』
え?
妹?俺に?誰かと間違えているわけがない。奴らは、なぜかそういう事を間違えない。
白骨が見つかったという山に向かう。正直怖い。
でも、行かないとダメだ。怖い、なぜ俺は山への道を知っている?
時折通る車をよけて狭い田舎道を歩く。
この坂道を登ると、高台になった場所に家が並んでいる。なぜそう思ったのかはわからない。でも、そう思える。最初は緩やかなな上り坂で途中から急になる。俺は覚えている。ここを子供の頃に駆け上がった。二車線の道路に出る。
信号のない横断歩道を渡る。右に進めばいい。心と身体が覚えている。この道を、サッカーボールを蹴って通学したことを・・・。
しばらく進むと信号が有る。古びた信号で押しボタン式だ。ここで、誰かと待ち合わせをした。
山に向かうには、もう少し先に進んだ所から上がっていくのだが、ここから曲がっていくのが近道なのだ。
なぜ俺は近道を知っている?俺は、ここを歩いていた。スマホを立ち上げて確認する。そうだ、小学校に通っていた。いつまで?思い出せない。
俺は・・・。細い。細い。人が一人通れる道を進む。ここを曲がった先にプールが・・・ある。プールの横の路地を抜けていく、見覚えがある。俺はここを通った・・・はずだ。路地を抜けると、車一台が通られる道に出る。
山の方に向かう道がある。少し行くと左手に・・・お寺が・・・あった。
俺は、この小さな町を知っている。
寺の前には小さな小さな川が流れている。今はコンクリートに覆われているが、ここで遊んだ。誰と?思い出さない。
道は山に続いている。左右はみかん畑だ。夏みかんのはずだ。小高くなっている部分を抜けると、そこには新幹線が通っている。誰かとここで新幹線が来るのを待っていた。一瞬で通り過ぎる新幹線を見ていた。そして時々通るドクターイエローを見るのが好きだった。誰が?俺か?違う。俺じゃない。俺じゃない誰かが俺に話しかけている。誰だ?
新幹線の高架を抜けると、左手に駄菓子屋があった・・・。今は、何も無いが確かにここに駄菓子屋があった。赤いポストは今でもある。公衆電話がある今住んでいる場所では見かけなくなったピンクの電話だ。俺は、あそこで電話をした事がある。いつだ。思い出せない。誰かを呼び出した。誰を?
そこから、山の方向に向かう。
道は解っている。
ふぅ・・・。俺は、ここで生活していた。
間違いない。だが、どうして思い出さない。頭の中にモヤが掛かっているようで、何も見えない。
キャンプ場がある。
覚えている。誰かと・・・違う。学校の行事で来た。俺が?俺たちが来た。
ニュースでやっていた場所は解っている。
足を向けると、非常線が張られている。警官が数名立って監視をしている。
昨日の今日だから当然といえば当然だ。
キャンプ場に戻って、木の切り株に座る。
俺は何者だ?俺は誰だ?
「須賀谷那由太さんですよね?」
俺の事か?
『クスクス。君だよ。君。疑うよ!』
え?疑われる?
「違います。俺は、田村保です」
「そうでしたね。今は、田村さんでしたよね。今日はなぜここに?あっ私」
警察手帳を見せて名乗ってくれる。
刑事だと言っている。
「あの・・・。俺の事を、須賀谷と呼びましたが?」
「えぇそうですよ。須賀谷真帆さんのお兄さんですよね?」
「え?」
須賀谷真帆?
『ナユ兄。あぁせっかくナユ兄の記憶がなくなったから、私が消えていたのに・・・もう台無し!』
え?
あぁぁぁぁぁ・・・・・。
俺は、那由太。真帆の兄で、真帆をいじめていたやつを殴りに行って・・・。そうだ。真帆が失踪したと聞いた。帰ってこなかった。あいつらを殺そうと思った。姉に止められた。柚姉を傷つけた。アイツラと同じ・・・。あいつら・・・親父とおふくろを・・・じいちゃんとばあちゃんも、全部俺がわるいのか?
俺が俺が俺が俺が・・・・。
『あぁぁこうなるから、ナユ兄には来てほしきなかったのにな』
「真帆ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
『ナユ兄。安心して、復讐は終わったから!あとは、ナユ兄がこっちに来るのをみんなでゆっくり待っているよ』
「真帆ぉぉぉぉぉどういう事だぁぁぁぁぁ柚姉ぇぇぇぇぇぇ親父ぃぃぃぃぃおふくろぉぉぉぉ!!!答えろ!!!誰でもいい!!!答えろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
---
「桜さん。またその聴取ですか?」
「あぁ不思議だからな」
「そうですね。被害者であり、ある事件の加害者でもあった、男性が現場に現れたのですよね?」
「そうだな。それだけじゃなくて、記憶をなくして居たらしいという証言もある」
「アリバイは有ったのですよね?」
「あったぞ。東京に居た、会社にもいたし、出勤していた証拠もある」
「それならなぜ?20日も勾留されたのですか?」
「秘密の暴露を大量に喋ったからだな」
「え?それなら犯人では?」
「無理だよ」
「なぜ?」
「最初の事件の時に、彼は海外に行ってた。間違いない」
「え?他には?」
「全部アリバイが、確実なアリバイがある」
「え?これが、推理ドラマならアリバイトリックが有るのでしょうけど」
「無理だな」
「やっぱり」
「あぁ」
それ以降、桜さんは書類を見ながら黙ってしまった。
桜さんはこの事件を担当する事ができない。知り合いが絡んでいるからだ。
新たに発覚した事実は何も無い。
でも、新たに発覚した事で、”死んだ者”の復讐ではないかと言われてしまっている。
発覚した事実。
白骨で見つかった、須賀谷真帆さんがいじめられていた事。いじめていたの子どもの親が今の県警のトップである事。そして、いじめていたと思われる全員が原因がわからない状況で死んでいる。
白骨遺体を見つけた一般人。
誘われていた当時の先生が未だ行方不明であること。
そして、20日勾留された須賀谷真帆さんのお兄さんが釈放された日に、行方不明だった先生が頭が潰れた状態で発見された。遺書のような物が残されていた。そこには、須賀谷真帆さんをいじめていた生徒の親に脅迫されていた事が書かれていた。
この名簿がなぜかマスコミに流れて、大騒ぎになっている。
名簿は僕の前で書類を読んでいる人がマスコミにリークしたのを知っている。
「桜さん。名簿の事を黙っていて欲しかったら、お昼をおごってくださいね」
「ふざけるなよ。俺が発覚させたという証拠でもあるのか?」
「ありますよ」
「どこに?」
「僕は、タクミ君やユウキちゃんとも知り合いですよ?」
「っち。アイツらか・・・。わかった、何が食べたい」
「僕は良い上司に恵まれて嬉しいですよ」
「言ってろ」
桜さんは、お兄さんの聴取した書類を伏せてから、壁にかけてあった春用のコートを手に持った。
「桜さん。今日は、そんなに寒くないですよ」
「そうか・・・あっそうだ、同じ口止めするなら一度のほうがいいな。タクミの奴とユウキを呼び出して・・・。そうなると、昼じゃなくて、夕方のほうがいいか?」
今日は、他にも奥さんやマスコミの人間も呼ぶことになるだろう。僕の上司はそういう人だ。
fin
俺が通う高校までは電車で30分くらいかかる。
朝早い電車で駅員が居ない日もある。
市にある工業高校に通っている。そこで、部活をやっている。
最寄り駅までは、家から自転車で通っている。
自転車置場はすぐにいっぱいになってしまうのだが、朝練に向かうような早い時間帯なら自転車置き場も空いている。
毎日、電車に乗るわけでも無いのに、ベンチに座って居る2人のおばちゃんにも挨拶をする。
寝ているのか起きているのかわからないけど、挨拶しないでいると後で思いっきり怒られたりする。
「隆史今日も部活か?」
今日はおばちゃんは起きているようだ。
俺が挨拶する前に話しかけてきた。
「おはよう。朝練だよ」
「そうか、そうか、感心。感心。頑張るのじゃよ」
「解っているよ。それじゃ行ってくる!」
今日は土曜日。部活が終われば、明日は休みだ。強豪校でもないので、日曜日は練習試合や公式戦がなければ休みになる。
1年半、こんな生活をしている。最初の頃は、祖母も朝起きて朝食や弁当を作ってくれていたが、負担が大きいのは解っている。そこで、学校に申告して、朝の1時間と夕方(夜)の2時間だけバイトする事の許可を貰った。
家計を助けるとかではなく、祖父母に金銭面で負担をかけたくなかった。
朝は、学校の近くにあるパン屋でバイトをする。
先輩の実家だったこともあり問題なく雇ってもらえた。それだけではなく、朝練の終わりや昼飯の足しにしろと大量の”焼き仕損じた”事になっているパンをくれる。
同級生や下級生に配っても十分余る。
身体が辛くないと言えば嘘になるが、充実した日々を過ごしていた。
殺された弟や、死んでしまった両親のことを思い出さなくて済むくらいには充実していた。
「おはようございます」
「伊吹くん。おはよう。早速悪いけど頼むね」
「はい。大丈夫です!」
作業服に着替えて、工房に入る。
「あっ先輩。おはようございます」
「おっブキ。今日も早いな」
「はい。貴重な食料ですから!」
「違いない」
「先輩。あっもう春休みですか?」
「あぁ」
「そういえば、先輩たちは大学には進まないのですよね?」
「俺はそのつもりだ。モリやハニーはわからないけどな」
「そうなのですね」
「お前は?成績だけなら大学に行けるのだろう?」
「どうでしょう?」
「伊吹くん、パン屋をやればいいよ。なんなら、家の奴と変わってくれてもいいよ」
「ハハハ。それもいいですね」
「ブキ。お前な。でも、パン屋をやりたければ言えよ。修行先くらいなんとでもするからな」
「えぇわかりました」
いつものように繰り返される会話。俺の心を軽くしてくれる。
弟は、学校でいじめられて自殺した事になっている。父親と母親は、人に会う道中でトラックに跳ねられて死亡した。
俺が学校に通えているのは、祖父母が居たのはもちろんだが、俺が死を享受しようとした時に引き戻してくれた幼馴染が居たからだ。奴には感謝してる。絶対に本人には言わないが、心の底から感謝している。
「ブキ。そう言えば、お前彼女は?」
「いませんよ?作る暇があると思いますか?」
「そうだな・・・。無理だな。すまん」
「謝らないでくださいよ。切なくなりますよ」
雑談をしながら、焼き上がったパンを並べる。
地元の人気店なので、朝から結構な客が買いに来る。学校の近くなので、朝早くから出勤してくる先生もよく見かける。
昼に焼くパンの仕込みを終えたら、部活に向かう。
バイトの許可をもらう時の条件が、部活に入る事と、部活を休まない事だったので、1年の夏休み明けから毎日バイトをしてから部活に出て、授業を受けて、部活をしてから、先生に紹介してもらったお好み焼き屋でバイトをして帰る。
お好み焼き屋も直接は知らないが、学校の卒業生がやっている店なので、暇な時にはレポートを書いていても怒られることはない。俺は、十分恵まれた環境に居る。
帰りの電車は21時近くになってしまう事もある。
この帰りの電車が一番つらい。
眠気との戦いだ。なので、基本立って帰る事にしている。一度眠ってしまって、最寄り駅を通り過ぎて、少し離れた駅まで連れて行かれる。
以前通り過ぎたときには、駅員に事情を説明して、駅舎に泊めてもらった。
今日も無事に最寄り駅で降りられた。
明日は休みだが、昼からお好み焼き屋のバイトが入っている。食事も出るので、俺としては嬉しい。最初は夕方だけだったが、店長が休みの時に来て欲しいと言われた。
1年半くらいのバイトで、そこそこの金額が溜まった。
祖父母に渡したのだが、半年が過ぎたくらいで俺名義の通帳とカードを渡された。バイト代が全部振り込まれていた。それだけではなく、俺が渡した両親の保険も一円も使われない状態で残されていた。
祖父母は、年齢的な事があるので、俺をひとり残して逝ってしまう事を何度も何度も謝ってきた。お金の事だけでも苦労して欲しくないと言っている。
そんな事・・・。祖父母が居なければ、俺は、弟を自殺に追い込んだ奴と、両親を殺した奴を殺して、自殺していただろう。そうしなかったのは、祖父母の存在と、3歳年上の幼馴染の奴が居たからだ。
奴は、商業高校を卒業後に地元の新聞社に入社した。コネだと笑っていたが、すごく頑張っていたのを俺は知っている。恋人のひとりでも居てもおかしくない容姿なのだが、子供の時から浮いた話が一切ない。新聞社に入ってからは、会う事が少なくなった。なにかスクープを狙っていると張り切っていると、奴の両親が笑いながら教えてくれた。
少し早足で自転車置き場に向かう。
自転車のピックアップに失敗した。
少し遅かったようだ。駐輪場が閉まってしまっていた。しょうがない。歩いて帰ろう。点々と街灯が光っている道を歩いて帰る。時々通る車のヘッドライトが俺を照らす。後ろから来るだけならいいが正面から来ると、眩しくて目を細めてしまう。
前から来た車が、すれ違った先でUターンした、俺を追い越した所で止まった。
「タカ!」
「ん?あぁ」
幼馴染だ。そう言えば、車を買ったとか言っていたな。
「ん?ハル?」
「自転車は?」
「間に合わなかった」
「乗りなよ」
「悪いな」
助手席に乗り込む。
車なら、数分で着く疲れた身体には丁度いい。
「ハル。仕事が終わったのか?それにその格好?」
喪服のようだ
「先輩の葬儀に行ってきた」
「そうか・・・」
「大丈夫だぞ、お清めの塩はかけてあるからな」
「そんなことを気にしたわけじゃない」
「そうだ。タカ」
「ん?」
なにか、いいにくそうだ。
「なんだよ?」
「あとでお邪魔していいか?」
「いいけど、玄関からこいよ?」
「はいはい」
「風呂に入るから、1時間後くらいが嬉しい」
「わかった。おばさんたちにも話があるから早めに行く」
「わかった。ばーちゃんとじーさんに言っておく」
「ありがとう」
俺達の家は少し特殊な感じになっている。
国道に面しているのだが、高台になっている場所に家が並んでいる。駐車場は、高台の部分を掘って作られているのだが、そこから家には行けなくて、一度道路に出てから、高台を登る必要がある。一番奥が奴の家で隣が俺の家になっている。長屋ではないが、勝手口がつながっている構造になっている。俺と奴の部屋は隣り合っている。
部屋に入って、ジャージに着替えてから、風呂に向かう。
風呂はこのサイズの家には似合わない広い感じになっている。175cm(自称)の俺が肩まで使って足を伸ばせるくらいには広い。洗い場も3人程度なら並んで入られる。子供のときには、ユウと奴と俺で風呂に入った。
俺が風呂に入ろうとした時に、奴が訪ねてきた。
祖父母には奴が訪ねてくる事は伝えていた。最近、よく来て居るようだ。祖父母も要件が解っているのだろう、了承していた。夕飯は、バイト先で食べる事を告げているので用意はされていないのだが、奴がなにか食べるかもしれないと、風呂から出たら冷蔵庫を漁って簡単に作られる物を用意しようと思っている。
祖父母もそのほうがいいだろうと言ってくれている。そう言えば、俺が作る料理を食べさせることが殆どで奴が作った料理は食べた事がなかったな。
風呂から出て、冷蔵庫を開けたら、祖父母が俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ハルちゃんが今日は帰るってよ」
「え?今からなにか作ろうと思ったのに!」
「タカいいよ。明日はダメだけど・・・そうだ、14日に時間貰える?」
「14日?」
「予定でもあるの?」
「バイト終わりでいいか?」
「問題ない。今日くらいだろう?」
「そうなる」
「わかった。駅まで迎えに行く。それでいい?」
「わかった」
祖父母に挨拶して帰っていった。
「ハルの奴、なにか有ったのか?顔色が悪かったけど?」
「そうじゃな。いろいろ仕事が忙しいのだろうな」
それ以降、祖父母は黙ってしまった。
何を話していたのか気になるのだが、聞けるような雰囲気ではなかった。
14日。2月14日。セントバレンタインとかいうらしい。
俺には呪われた日として記憶されている。
弟と両親を無くした日だ。
---
その日は、俺はハルと数名の同級生と遊びに行っていた。帰って来ても誰も居ない。ユウが帰ってきているはずだと思って、ユウの部屋に向かうがランドセルも無ければ、帰ってきた形跡がなかった。
どっかで寄り道でもしているのだろうと深く考えなかった。
日が暮れて、それでも帰ってこないユウを心配して探しに行く事にした。俺とハルは港を探すことにした。ユウが学校でいじめられているのは知っていた。俺もハルも両親も祖父母も学校なんて通わなくていいと言っていたのだが、ユウは学校に通うことを選択していた。
そして・・・
「タカ!」
「ハル?ユウは居た?」
「ダメだ。灯台の方は?」
「居なかった、直ちゃんが居たから聞いたけど、ユウを見ていない、来ていないって言っているよ」
「え?おっちゃん今日もサボっていたの?」
「らしい。それよりも!」
俺達は30分かけて港を探した。
「ハル!」
「ここじゃないのかも?それとも、もう帰って・・・」
「ハル!」
「ごめん」
「・・・。ハル・・・。懐中電灯・・・。ちが・・ぜ・・・ぜったい・・・違う!!!!!!!!」
「タカ?」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!ユウぅぅぅぅぅ!!!!!嘘だぁぁぁぁっぁぁ!!!!」
---
ユウは自殺と判断された。
翌日には、遺体は”警察”が処理をしたと教えられた。両親は抗議したが聞き入れられなかった。
学校もいじめの事実を隠蔽した。
生徒同士のコミュニケーションの食い違いと発表していた。
コミュニケーションの食い違いで、身体に痣を作って帰ってくるか?教科書が破れるのか?体操服に死ねとか書かれるのか?両親は、校長や教育委員会に足を運んで状況を問い合わせた。
結局は何も変わらない。
そもそも、ユウは本当に自殺だったのか?
なんでユウと一緒に海に落ちたランドセルの中から、濡れていない。しっかりした状態の遺書が発見される?
なんでユウは足首がない状態で海に浮かんでいた?
なんでユウは体中に痣があった?
ユウのランドセルに括り付けられていた家の鍵だけがなんで見つかっていない?
なんでユウの左足首が見つかっていない?
なんでユウの右足首に石がく括り付けられている?
なんでユウの飛び込んだ場所が特定出来ていない?
なんで港で俺とハルが見つけた血痕がユウのものでないと断定された?
なんで、なんで、なんで・・・。
何も、進展がないまま1年が過ぎようとしていた。
両親は少し前から、地元の警察では話を聞いてくれないので、知り合いを頼って東京の出版社の人と話をしていた。その流れで、検察の人に会う事になった。
東京に行く当日に最寄り駅に向かう最中にトラックに跳ねられて両親が死んだ。
トラックの運転手は、覚醒剤中毒者でトラックを盗んで暴走して、両親を跳ねたと言われていた。不幸な事故だと・・・。
---
今年の14日は木曜日だ。
いつものように、パン屋でバイトして、朝練に参加して、授業を受けて、部活に出てから、お好み焼き屋でバイトして帰る。
この前よりは早い電車で帰る事ができた。
夜に奴と待ち合わせしているので、今日は自転車で来ていない。送ってもらう気まんまんで待っている。
明確に約束の時間を決めていたわけではない。
「隆史どうした?」
「あぁハルと待ち合わせしているけど、遅れているみたいなだけだよ」
「そうか、寒いから早く来るといいな」
「そうだな。おばちゃんたちも早く帰らないと風邪を引くぞ」
「そうだな。ワシらは帰るとするか」
2人のおばちゃんは自分の家に帰っていった。
終電までには時間がある。
何本かの電車が到着しては、客を降ろして、出ていく。
顔見知りが多いから、簡単な挨拶をして一言二言交わして分かれる。
またすぐに会えるだろうと思って、挨拶を交わす。
スマホを確認するが、連絡が入っていない。
遅くなりそうだったから、家に電話をするが祖父母とも出ない。しょうがないから、メールしておく。この仕組は、先輩に教えてもらった。特定のメールを受けたら、ディスプレイに表示するという物だ。先輩に、俺の事情を説明したら、一工夫してくれて、タッチパネルのディスプレイを電話の横に設置してくれた。メールをタップすると、俺にメールが返されるという物だ。
メールを出す時に、俺が期待する答えを決められたフォーマットでいくつかの選択肢にして出す事で、祖父母は選択肢を選ぶ事で返事が出せるという物だ。
しばらく待っても返事が来ない。
先に寝てしまったのかもしれない。部屋の明かりに比例して電話の呼び出し音がなる仕組みなのだ。これも先輩が実験的に作った物をもらって導入したのだ。
2時間くらい駅でハルを待っていたのだが現れなかった。
なんだよ。用事ができたのなら連絡の一本でも入れてくれたら助かるのに・・・。
そう思いながら、駅の掲示板にハルが来た時の為にメッセージを残しておく。
俺の名前と、ハル宛てである事と、家に帰るとだけ残した。これで解るだろう。
坂道を上がると、俺の家が見えてくる。
え?
は?
なに?
なんで?
なにがあった?
誰か、馬鹿な俺にわかりやすく説明してくれ?
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2月14日。
俺は、弟と両親と祖父母と幼馴染を失った。
葬儀は、ハルの両親が仕切ってくれた。
葬儀が終わって、ハルの両親に呼び出された。
「隆史君」
「・・・」
「隆史君」
「大丈夫です。聞こえています」
「よかった。おばさんとおじさんは強盗に殺された。それは間違いない」
「えぇ警察にそう言われました」
「その強盗が春子を・・・春子を・・・」
「そうなのですか?」
祖父母は、どこかに出かけようとしていたらしい。
俺が丁度帰りの電車に乗った時だ。押し入ってきた強盗と揉み合いになって・・・。
警察が駆けつけたときにはすでに強盗は居なかったらしい。
その時点で俺に連絡が来てもおかしくなかった。警察は、俺に連絡してこなかった。理由はわからない。部屋が荒らされていて、連絡先がわからなかったと言われた。そんなわけない。電話やタッチパネルには連絡先が表示されている。
警察は嘘をついている。リビングだけではなく、俺の部屋まで荒らされていた。そして、使っていない両親の部屋やユウの部屋まで・・・。まるで何かを探していたようだ。
ハルを殺したのも同じ犯人だという事だ。
犯人がそう自供している。祖父母を殺して、慌てて逃げ出した強盗犯は、ハルに逃げる所を見られて、襲って殺したと自供したらしい。しかし、距離の問題もある。ハルが発見されたのは、隣町のコンビニの駐車場で、ポストにより掛かるように倒れていたらしい。
犯人の供述が正しければ、ハルは犯人に刺されてから、自分で車を運転して、コンビニに移動して、そこで倒れた事になる。なんでそんなことをしたのだ。
おばさんとおじさんには心当たりがないという。
憔悴仕切っている2人から、俺が渡した通帳が返された。
「これは隆史君が持っていなさい。これから必要だろう?」
「これから?」
「そう、これからだ!いいか、隆史君。君は生きている。生きている」
そうか・・・俺は、生きている。
これからも、飯を食って、糞をして、オナニーをして寝る。朝起きて、歯を磨いて・・・。
なぁ・・・俺、生きている必要あるのか?ハル?教えてくれよ。
「隆史君」
「・・・」
「隆史君。春子が君の事を好きだったのは気がついていたか?」
「え?」
「やっぱりな。ほら、春子は”これ”を取りに家に戻ってきて・・・・」
「え?これ・・・チョコレート?」
「あぁ春子の初めてのチョコレートのハズだよ」
「お・・俺に?」
「そうだよ。君にだよ。2日くらい前から作って居たよ。君に渡すと言っていたよ『受け取ってくれるかわからないけど、これから始めないとダメ』と言ってね」
「・・・なんで?始める?」
「あっそれは春子の気持ちだろう」
違う。おばさんはなにかを隠した。
でも、ハルが俺のことを?でも?でも?
心当たりがないと言えば嘘になる。近すぎて考えなかった、今ははっきりといえる俺もハルの事が好きだ。
「なぁおばさん。ハル・・・。料理できたのか?」
「・・・。もう少ししっかり教えておくべきだったよ」
「だよな・・・」
いびつな形になっているチョコレート。
袋を開けると、ハルの手書きのメッセージが入っていた。
”タカへ。気がついていないと思うけど、子どもの頃から好きだ。どんどん大人になっていくタカが眩しかった。女の子と一緒に居るところを見ると嫉妬した。やっとタカに報告できる状況になった。だから、その前に私の気持ちを伝える。隆史。好きだ。春子”
「ハハハ。ハル。これはずるいよ。おばさん」
「解っている。でも、隆史君」
「大丈夫。死のうなんて思わないよ。ハルに怒られたくないからね」
「うん。うん」
「おばさん。もっと・・・ハルに・・・料理を教えておいてよ・・・」
「そうだね」
「おばさん。これじゃ・・・ハルと結婚・・・したら・・・俺が・・・毎日・・・料理を作らないと・・・」
「そうしてくれるか?」
「りょ・・・うかいだよ。チョコレートを・・・こんなに、しょっぱく作る・・・ハルに・・・まかせ・・・られない。あま・・・い。チョコかと思ったら……」
おばさんにも食べてもらう。
「うううう。隆史君。そうだね。あの子・・・チョコレートをこんなに水っぽくして・・・料理の才能・・・ないようね」
「・・・・ハルぅぅぅぅ・・・・」
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俺は、惰性で学校に通った。
バイトも続けている。もちろん部活もだ。警察は、犯人が覚せい剤をやっていて、金欲しさに強盗に入ったと決めつけた。ハルは刺されて逃げた先で死んだと言われた。
どうでもいい。犯人を殺しても、祖父母もハルも帰ってこない。
卒業したタクミ先輩とユウキ先輩に呼ばれている。
在学中にいろいろと伝説を残した先輩たちで、俺も何度か世話になった。
待ち合わせ場所に行くと、先輩たちの他に1人の男性が居た。ユウキ先輩の父親だと名乗った。
一つの封筒を渡された。
ハルが、ユウキ先輩に出した封書の様だ。開けられている。中身を確認して、俺にわたすのが適切だろうと判断したようだ。
え?
先輩たちを見る。嘘ではないようだ。先輩の父親は警官だと言った。そして、謝ってきた。
この書類をどうするのかは俺にまかせてくれるらしい。
迷わず先輩たちに預けた。
全部を読んでしまうと、俺はきっと・・・。大量殺人者になってしまう。
ハル・・・。これでいいよな?
fin
弟:『姉さん。前見て歩かないと危ないよ』
弟:『ほら、食べながら歩かなくても・・・』
弟:『もちろん。ホットドックは大好きだよ』
弟:『うん。解っているよ。美味しいよね』
マスタードが苦手なにの、そんなに付けたら・・・。
皆が姉さんを見ている。
僕の自慢の姉さんだ。でも、誰にもやらない!
もう僕には姉さんしかない。他には何もいらない。
弟:『ほら、よそ見しながら、話しかけたくてもいいから、食べながらでもいいから、前向いて歩いてよ。危ないよ』
姉さんはいつもそうだ。
僕のことを弟だと言って世話を焼く。もう僕は、大丈夫だよ。姉さん。
僕の大切な大切な人。
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姉:「おばちゃん。ホットドック2つ頂戴」
「今日も2つ?」
姉:「うん。ユウと食べるからね!」
うん。美味しい!
姉:「おばちゃんのホットドックは、ユウが大好きだからね」
一つはユウが食べる。
姉:「そうだ、今日はパパとママにもなにか買って行こう!」
姉:「ね。ユウ。それがいいよね?」
弟のくせに、私のことを、危ないとか言って世話を焼いてくる。
私は大丈夫だよ。ユウ。ほら、ホットドックもしっかり食べられるようになったよ。マスタードも平気だよ。
ママの連れ子だと教えられた。でも、私の弟。世界で一番大切な大切な大切な人。
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「今日も、あの子」
「そうね」
店番をしている女性たちの間で、女の子は有名人だ。
毎日決まった時間に、同じホットドックを2つ買っていく。
それこそ、雨が振っていても、雪が振っていても・・・。
以前は、同い年くらいの男の子と買いに来たり、両親と思われる夫婦と一緒に買いに来たりしていた。
しばらく買いに来ないなと思っていたら、何時の頃からか女の子1人で買いに来ている。
そして、ホットドックを買う時に別々に袋に入れて欲しいとお願いしてきた。
一つは、弟に渡すのだと言っていた。
しかし、女の子は一つを歩きながら食べて、時々後ろを振り返って、そこに男の子が存在するかのように話しかけている。一つのホットドックを食べ終わると、すごく悲しそうな顔をして、近くの教会まで歩いて、残っているホットドックと共に祈りを捧げている。
毎日のように繰り返される行為。
ホットドック以外に、果物を捧げる事もある。
教会から出てくる時には、晴れやかな顔に戻っている。
そして、女の子はいつも後ろを歩いていた、男の子に話しかけながら、父親と母親が待っていた家に帰っていく。
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ねぇユウ。
一年が経っちゃったよ。私、ユウより1歳お姉さんだよ!
ねぇパパ。
なんで、ユウだけ連れて行ったの?
ねぇママ。
なんで、私だけ生きているの?
ねぇねぇねぇ
私、笑えているよ。
ユウが一緒だからね。
ユウ。またホットドックを食べようね。
ユウ。雪の中で食べるホットドックは美味しいよね。
ユウ。私のバッグのなか、ユウで一杯だよ!
ユウが失敗したホットドックの袋。私、ゴミ箱に入れられたよ!
ユウが買ってくれた手袋・・・。汚しちゃったから怒ったの?
ユウ。私のマフラー上げるから、寒くないから、早く戻ってきてよ・・・。私1人じゃ寂しいよ。
fin.