ちょっとだけ切ない短編集

 僕は、雨が嫌いだ。

 この表現は、間違っていないが、合っているわけではない。
 正確に言うのなら、雨が降っているときに、差して一人で歩くのが嫌いだ。傘を差さないで移動することは、別に嫌いでもない。むしろ好きだと言える。雨に濡れながら歩くことで、思い出も、過去も、積み重なった想いも、全て流してくれる・・・そんな感じがする。

 雨の日は、僕の心の中にある、蓋さえも溶かしてしまう。
 思い出したくもない。でも、忘れたくない。そんな、蓋をしてしまい込んだ思い出を・・・。

 そう、あれは、僕が初めて人を好きになった瞬間でもある。今から、何年前かも思い出せない。古い話のようで、つい昨日のようにさえも思えてしまう。覚えているのは、強烈に刷り込まれたイメージだけだ。

 雨の中、小さな赤い傘をさして、僕を見て微笑む少女の顔を・・・。

 そこは、寂れた港町。港といっても、漁船が停泊しているだけの港で、これといった名産があるわけでもなく、寂れた港町で、港を出ればすぐに山という特殊な地形に囲まれている場所である。そんな地域に、私は住んでいた。

 僕の子供の頃の遊び場は、もっぱら、この寂れた港になっていくのは自然の流れである。
 雨の日には、雨の日の遊びを、晴れの日には晴れの日の遊びを、そして風の日には、風の日の遊びを、作り出しては、”友”と日々遊び過ごしていた。そこは、男の世界で、女の入る隙間さえも無いように思っていた。

 それが、錯覚だったとしても・・・。

 小学校6年生の夏休み前の雨の日。いつものように友人たちと、雨の日の遊びを楽しんでいた。そこに、同級生の女の子が何気なく現れた。そのあまりにも自然な登場と、普段学校では見ない姿に、そして、傘を差して歩いてくる姿に、そして、僕をみて一瞬微笑んだ”女性の顔'”に、一瞬にして目と心を奪われてしまった。

 その瞬間が、僕の初恋の瞬間だった・・・。

 今ならはっきりと言える。それからは、僕は、目で彼女を追うのが日課になっていった。彼女とは同じクラスだ。席も近く自然と話せる間柄だったのです。今までと違うのは、僕が彼女を、その他大勢の同級生の女の子ではなく、1人の女性として認識してしまった事だ。

 その気持ちは、自分の奥底に隠して、誰にもさとられないようにしまい込んでいた。

 僕が通っていた小学校は、夏休みに1つの課外授業がある。
 課外授業は、自主参加となっているが、小さな港町で、ほぼ全員が顔見知りのような場所なのだ、旅行に行くなどの予定が無い限り、皆参加する事になる。
 夏休み前には、参加の申請を行う。
 そして、クラスごとに、班が決められる。男女3人ずつの班だ。くじ引きで決めると言っていたが、先生が、全員参加なので、今の班のままで参加するようにしましょうといい出した。
 僕と、彼女は同じ班だ。2泊3日。彼女と一緒にいられる。僕の心臓は、今までにないくらいに早くなっていた。

 課外授業は、学校近くの700m程度の山の頂上付近にあるキャンプ場で過ごす。
 テントを張って、その中で寝泊まりする。男女ごろ寝だ。今では、考えられないことが平気で行われていた。

 私は、一番出口から遠い所を選んだ。
 そして、他の男子は奥に陣取った。自然と、女子が隣になる。私の隣には、彼女が寝る事になった。

 彼女が、二日連続で夜に起き出すハプニングがあった。彼女が起き出して、外に出ていく、必然と私も起こされた。キャンプ場で、外は月明かりがあるとはいえ、小学生女子が1人で歩くには怖い環境だ。そして、私たちがテントを張った場所は、同じ班に居た、私の親友がくじ引きで引いてきた、一番端だった。
 何が有ったのかは、覚えているが、思い出してはダメな事だ。この日を堺に彼女と私の距離が一気に縮まったのは間違いない。

 中学校に上がる頃には、僕と彼女は深まっていた。

 そして、”今更なこと”を彼女に告げた。

 ”好き”

 その言葉を絞り出すように告げた。
 今ならはっきりと分かる。告げてはダメな気持ちと言うのが存在する事を・・・。

 彼女は、私の気持ちを受け入れてくれた。これが、間違いの始まりだ。

 小さな町で、私たちの事はすぐに同級生だけではなく、近所の人も知ることになる。

 そして、中学校に通うようになる。僕と彼女の仲は変わらない。一緒に昼ごはんを食べて、お互いの家に遊びに行ったりしていた。

 僕は、彼女以外いらない。彼女も僕以外いらないはずだった。
 一年生の時には、違うクラスになった。二年生で同じクラスになった。

 そして、受験の足音が聞こえ始めた三年生になる前の春休みに1つの事件が発生した。

 違う。これは間違っている。
 事件は既に発生していた。僕が、それを見ようとしていなかったからだ。彼女は、部活で、先輩や同級生・・・そしてコーチからいじめをうけていた。辛いのならやめればと何度か言った。でも、彼女は笑って大丈夫と返してくれた。
 この頃には、僕の彼女はお互いの身体を何度も重ねていた。

 春休みに入ってすぐに、珍しく寒い夜。
 彼女から、僕に電話が入った。僕には、弟が居て、弟のサッカークラブの合否判定が来る夜で、話ができない。

 僕は、厚着をして、近くの公衆電話に急いだ。
 そこから、彼女の家に電話した。すぐに彼女が電話に出てくれた。

 でも、彼女は一言だけ僕に聞いた

「ねぇ私の事好き?」
「当たり前だろう」

 即座に返事を返す。僕に取っては、言わなくても解っている気持ちだと思っていた。

「違うの・・・ううん。違わないけど、違うの?」

 そして、しばしの沈黙が流れる。
 10円が消費されていく音が聞こえる。

「ねぇ・・・私の事、いつまでも好きで居てくれる?」
「もちろんだよ。僕は、君の事が好きだ。愛しているよ」
「嬉しい・・・ありがとう。でも・・・ううん。なんでもない。おやすみ。私も、大好きで、愛している。さようなら」

「うん。おやすみ。またね」
「・・・ごめん」

 そう掠れる声で一言だけ言って、彼女との短い電話は終わった。

 春休みが終わって、新中学3年生になった僕は、張り出されたクラス分けの紙を見て唖然とした、彼女の名前が無かった。
 先生に詰め寄っても、曖昧な答えしか帰ってこない。

 最後には、あとで話があるから職員室に来い。僕と、幼馴染が二人呼ばれた、周りの同級生はまた何かやったのだな程度に思っているのだろう。僕も幼馴染も、何度か二人揃って職員室に呼び出されている。
 しかし、今日は心当たりがない。

 先生は、そう言い残して、逃げるように、僕の前から居なくなっていた。他の先生も1人も居なくなっていた。

 そして、一通りの儀式を終えて、皆が帰り支度をして帰り始めてから、僕と幼なじみは、一緒に呼び出された職員室に向かった。

 そして、職員室について直ぐに先生に話しかけた。
 ここで無くて、校長室に一緒に来てくれ。そういって、深刻な顔をした先生は、ほかに何も言わずに、校長室に歩き出した。校長室には、何人か見たこともない人たちが深刻な顔でそこに居て、なにかを話している。

 僕が理解できたのは、彼女にもう二度と会うことができないことだけだ。
 そこから後、そこで何を言われたのかまったく覚えていない。覚えているのは、涙が止まらなかったこと、春休みの寒い夜彼女からかかってきた一本の電話の内容と、その時に聞いた”ごめん”の言葉。

 その言葉から悟ればよかった、彼女の家まで走ればよかった。彼女を、連れ出せばよかった。

 彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、僕はなにができた?僕が悪い。僕が、彼女を、彼女を、彼女を・・・

 幼かった自分への罪悪感と後悔の想いだけが残った。

 それから、暫くして彼女の実家も空き家となり、家が解体され、人手に渡って、私の心に風穴を開けた以外は、何事無かったように時だけが過ぎていって、誰も、そこに彼女の家族が住んでいた事。そして、僕と彼女が最後に話した電話。

 僕は、町を出た。居たくなかった。同級生は、僕の事を、哀れみで見る。幼馴染以外は・・・。僕は、町を捨てた・・・。僕が町に捨てられたのかも知れない。どちらでもいい。僕は、市の学校に進学した。学校なんてどこでも良かった。早く独立したくて、工業高校を選んだ。部活なんてやりたくなかった。でも寮がある部活があった。僕は、寮に入る選択をする。忙しく部活や勉強をしていれば、忘れられると思った。

 高校卒業を控えた時に、久しぶりに幼馴染から連絡が入った。
 電車で30分の距離が遠く感じる帰省だ。僕は、幼馴染と逢って話す事ができた。

 彼は、僕に隠していた事があると告白した。
 彼は、彼女に相談されていたとのこと、”いじめ”に合っていると・・・。僕も、話は聞いている。でも、聞いている話と、彼が話す話があまりにも違いすぎる。

 彼女は、僕にだけは言わないでほしいと懇願してきたと、彼は話した。

 原因が、僕にあるためだ。

 彼も詳しい話は知らない。と、前置きをして話し始めた。

 僕は、原因まで知らない。僕が知らない事を彼が知っている。その一点で、嫉妬心が芽生えなかったと言えば嘘になる。

 彼は、僕の気持ちが解るのか、ゆっくりと語りだす。
 
 彼は誰の事を話している?僕と彼女の事?

 彼は、彼が信じる真実を、僕に話してくれている。僕は、それを聞いている。僕の知らなかった彼女がそこに確かに存在している。彼女は、僕が、彼に話していると思って、僕と身体を重ねた事も話していたようだ。彼は、笑いながら、彼女に”奴から聞いたのは、キスした事までだ、それもファーストキスの場所は意地でも言わなかったぞ”と教えたら、彼女は真っ赤になって、忘れてと言ったそうだ。
 彼女は、彼に散々のろけたそうだ。彼もそれを黙って聞いてくれていただろう。

 いつしか、それが相談になっていったらしい。

 彼は、僕に聞いてきた。
「なぁ彼女を”いじめ”ていたグループのトップに心当たりはないか?」
「え?知らない。部活って話だから、部活の奴らを捕まえて問いただしても、”ごめん”としか言われなかった」
「そうか、部活・・・だと思っていたのか・・・」
「?」

 疑問符しか出てこない。
 彼は、どうしてそんな事を聞くのか?

 彼はゆっくりと、息を吐いてから、

 僕に、信じられない名前を告げます。彼が、人を貶めるような事をしないのは、僕が一番解っている。その彼が告げた名前が、僕には信じられなかった。

 その名前は、一学年上の先輩で、子供の頃”女性”とは知らずに、一緒に遊んでいた人物の名前でした。
 勿論、彼も先輩の事は知っていますし、幼馴染の1人で間違いない。よく遊んでいた”仲間”なのです。

 そんな人の名前を冗談でも出すような、彼ではない。

 僕には思い当たる理由が一つだけある。
 それを口にすることはできない。彼に告げて、声に出す事で、全てが崩れ去る。

 彼が、彼女の事を、先輩の事を好きだと知っている。

 彼は私の目を見たまま何も語らない。
 非難しているのでは無い。

 僕がこれから語る残酷な事実を受け入れると言っているように思える。

 彼の目を見ながら、時間だけが過ぎていく感覚がある。1分なのかも知れない。30分なのかもしれない。それを知る必要が無いことは、僕も彼も解っている。このまま、話を終わらせる事ができないことも解っている。

 僕は彼に向かって、答えを提示します。
「彼女。僕に好きだと言ってきた。その時に、僕は彼女が好き。そう答えたのが、原因なのか?」

 彼は、黙って頭を下げた。
 その瞬間、私の中で何かが弾けた。それから、彼にマシンガンの様に問いかけたのは覚えているが、何を問いと居かけたのを覚えていない。

 もう既に、その時の事を彼に問い返すことも、共有する事もできなくなってしまった。
 彼もまた、彼女の所に旅立ってしまった。

 彼と話をしてから1ヶ月1ヶ月。
 前日からふり続いている大雨で、何のかもが嫌になってしまった。

 そんな朝、寮に届いた新聞に、認識できない事実が載っていた。
「高校生が運転するバイクが、中央分離帯に激突。運転する高校生死亡」

 僕が、それを見ることを待っていたかのように、寮の電話がなり、近くに居た僕が電話に出た。

 電話は、彼のお兄さんからだ。
「昨日の夜、バイクで事故って、病院に運ばれる途中で息をひきとったんだ。それで、急で悪いんだけど、告別式をやるから来てくれないか?」

 そう冷静な声で言われて、なんの冗談かと現実の話か判断できないでいた。
 僕に、お兄さんは言葉を続けた。

「それで、もう一つお願いがあるんだ、救急車で運ばれていく最中・・・弟が、”君に余計な事を言った”とすごく気にしていて、謝りたいから、直ぐに呼んでくれって言っていたらしいんだ。それは、叶わなかったからせめて弟に君から言葉をかけてやってほしい。いいかな?

 受話器を持つのが精一杯の僕にお兄さんは言葉を続けた
「返事は、来てくれた時で構わないから。最後にひと目だけもで、君に逢いたいだろうと思うから、来てくれると嬉しいよ」

 そういって、僕の返事を待たずに、お兄さんは電話を切った。

 僕は、逃げるようにその場を離れ、雨のなか何も持たずに、地元へ向かう電車に飛び乗った。

 電車を降りた所で、警察を名乗る人物に話しかけられた。
 彼の乗るバイクのブレーキに細工された痕跡が見つかった。何か心当たりは無いかと聞かれた。

 心当たりも何も、彼がバイクに乗っている事も知らなかった事を告げた。
 警官は、なにか考えてから、なにか思い出したら、一報下さいと、電話番号が入った名刺を僕に渡してきた。

 僕は、雨降るなら、僕の事を、置いていってしまった、彼女と彼との思い出だけが残っている 寂れた港に向かっていた。なぜ、そこに足を運んだのかわからない。でも、港に近づくと、港から、彼の声が聞こえるのではないかと思っていた。彼女と初めてキスをした場所は、彼女が雨の日に僕に微笑んでくれた場所だ。その場所も、あの頃と変わらないで残っている。

 死のうとは思っていなかった、死んでいってしまった者たちを恨む気持ちは無い。
 ただ、ただ、独りになってしまった事への寂しさだけが込み上げてくる。こみ上げてきては、雨に流されて、波に飲まれていく。そして、新たな思い出がこみ上げてきて、雨に流されていく、想いや思い出が昇華されるかのように、繰り返される。それでも、彼女への想いは消える事がない。彼との思い出がなくなる事はない。

 僕は、雨に打たれながら・・・・。

 そして、雨に流されながら・・・・。

 そして、1人の女性が傘を持ち、僕に微笑みかけてくれた・・・。

 違う。彼女ではない。彼女をいじめという最低な方法で追い詰めて、自殺という最悪な結末まで持っていった女だ。
 右手で、彼女と同じ赤い傘を持ち、左手にナイフを握って、僕を見ている。彼女と同じ様に、微笑んでいる。ナイフは、鈍く光っている。まるで、工業オイルの管を切った時のように、ナイフが汚れているのだろう。

 女は、僕の方に歩いてくる。
 僕は、雨に打たれながら、女が側に来るのを待った。

 女は僕の近くに来ると、ナイフを振りかざした。
「君が悪いんだよ。あんな女。私から、君を奪った、あの女が全て!!!」
「すべて、君が悪いんだよ。彼が死んだのも、君が私の町から出ていったのも、彼がいじめたからでしょう?大丈夫。もう排除したから、だから、安心して帰って来て、どこにもいかないように、縛り付けて、私だけを感じさせてあげる。いつもしているように、沢山気持ちよくしてあげるよ。あんな女の事なんか忘れさせてあげるよ。だから、だからぁぁ、もうぅぅぅぅどこにぃぃぃxも、いかないってぇぇぇやくそくぅぅしなぁぁぁさい!!!」

 女の左手が僕の身体を狙っている。
 すごくスローモーションだ。

”ゴン!”

 なにが起こった?
 女が持っていた、彼女が好きだった傘と同じ赤い傘が、海に浮かんで波にもてあそばれている。女は、その場で倒れ込んでいる。

 手に持っていたナイフは、海とは反対方向に投げ出されていた。

 雨が僕に味方してくれた?
 わからない。わからないが、目の前では、警官が彼女を拘束して連れていく・・・。

 これで終わったの?
 彼にそう報告していいの?

 そうだ、警察なら、彼女のご両親の事を知っているかもしれない。引越し先がわからなかった。でも、彼女を追い詰めた奴が解った事を教えてあげないと・・・余計なお世話かも知れないけど・・・。

 僕は、雨に打たれながら、雨が涙を流しているのを感じながら・・・。赤い傘が、波にもてあそばれて、沈んでいくのを眺めていた。

fin

 そこは終末医療専門の病院だ。
 誰も訪ねてくる事もなく、ただ死を待つだけの人たちが、最後の時を心安らか過ごす場所だ。冥界に旅立つその時まで、サポートを行う病院なのだ。

 1人の女性が運び込まれた。
 身寄りのない女性。女性というには幼い。少女と言ってもいい年齢だ。

「先生」
「もって1ヶ月と言われている」
「でも、なんでここに?」

 看護師が不思議に思うのも当然だ。
 ここは救いのない病院。少女が最後を迎えるのに相応しいとは思えない。

「彼女の希望だ」
「え?」
「彼女は、とある事件の被害者の家族で、唯一の生き残りで、マスコミがまだ追っている」
「それで・・・」
「それに、彼女は残された遺産を全部この病院と隣接する孤児院に寄付すると言っている」
「孤児院の事も知っているのですか?」
「そうだ。なぜ知っているのかは教えてくれなかったけどな」
「そうなのですね。不思議ですね」

 医師と看護師が不思議がるのも当然なのだ。
 終末医療を行っている病院と孤児院をつなげて考える人は少ないだろう。管理母体が違うので当然なのだが、孤児院の49%の株は医師が持っている。そして、若くして(30代や40代)でこの病院に来てしまった場合に残された子供の事を安心させるために、孤児院を運営しているのだ。

「それであの部屋なのですね」
「彼女が希望したからな」

 その部屋は、暗い深い森に面しているが、近くにある山の影響で、麓にある孤児院からの声が聞こえてくる。
 患者にとってはあまり気持ちがいい部屋ではない。暗い深い森は、”死”を連想させる。それを見ながら、将来ある子供たちの声を感じるのだ。子どもたちの声だけなら、思い出に浸る事ができる。しかし、”死”を感じながら未来を、将来を考える事などできない。

 防音された個室に入る事もできた。しかし、彼女は自らその部屋を望んだ。

---

「先生!」

 今日、5回目のナースコールが鳴り響く。
 どこかの部屋の患者が冥界に旅立ったのだろう。

 私は、この病院に務めるようになって希望を持つ事を辞めた。
 先生は立派な人だ。私は、まだ患者さんに向き合う事ができないでいる。患者さんの名前を覚えない。これが、この病院でやっていくための鉄則なのだ。看護師の先輩たちの中には薬に手を出した人も多くいる。それだけ精神に負担がかかるのだ。

 これは、私の罪滅ぼし。
 娘を救えなかった私に課せられた罰なのだ。

「先生。森の女性が、お薬が欲しいと言っています。どうしますか?」
「痛み止めを処方する」
「わかりました」

 森の女性。余命1ヶ月と宣告された少女。いつも、森を眺めて、子どもたちの声を聞いている少女を、私たちは”森の女性”と呼んでいる。
 その少女が痛みに耐えられなくなって、薬を求めるようになったのは昨日のことだ。

 処方された薬で、ゆっくりと寝られるようだ。

 今日も、薬を入れた事で、寝てくれた。

 肩が冷えないように、布団をかける。
 彼女の希望で、窓は空けておく、夜の風が、朝の風が、森の匂いが、森からの音を聞いていたいのだと言っていた。

 彼女から寝息が聞こえてきたので、私は部屋を出た。

---

 僕は、あと何回・・・朝を迎えられるのだろうか?
 1回?2回?

 気にしてもしょうがない。僕は、早く父と母と弟が待つ場所に行きたい。でも、自分で旅立つのはダメだ。父に言われている。自ら命を断ってしまうと、父と母と弟が待つ場所に行く事はできない。でも、もうすぐ旅立てる。

 僕が、この部屋を選んだのは、森からの使者が訪れるのを期待しているからだ。
 この森には・・・彼の使者が住んでいた。僕に、この病院と孤児院の事を教えてくれた、男の子・・・。僕の初恋で、僕の初めての人。彼は僕に、自分が孤児院で育った事を教えてくれた。山の麓にある孤児院。彼は、病院の事も知っていた。

 でも、僕は、彼に僕の身体の事を告げていない。別れも告げていない。全身の痛みに耐えながら、彼と初めてのキスをした日に僕は彼の前から姿を消した。

 僕は、最初で最後のキスをした彼の事を思いながら、迎えが来てくれるのを待っている。

”ほぉーほぉーほぉー”

 フクロウ?
 痛み止めが効いたのか寝てしまっていた。看護師さんからは『虫が入ってくるから閉めましょう』と言われたけど、風を感じたいと・・・。無理を言って開けてもらっている。

 身体を起こして外を見ると、真っ白いフクロウが、僕の髪の毛と同じ色のフクロウがこっちを見ている。

「君が迎えなの?」

 もちろん、フクロウは何も答えてくれない。

 黙って、窓に止まって僕を見ている。
 僕を見つめるフクロウの目が、彼を思い出させられてしまう。真っ直ぐな視線で彼と同じ様に僕を見つめている。

 彼は今何をしているのだろう?
 僕の事を少しでも覚えていてくれたら嬉しい。僕はずるい。彼に忘れられたくなくて、彼に何も言わずに彼の前から消える事にした。

 彼は、僕の事を覚えていてくれるだろうか?僕の事を探してくれるのだろうか?

 あっ・・・。
 フクロウは何も言わないで窓から飛び立ってしまった。

 あれから毎晩、フクロウは僕のところにやってくる。
 寝ている僕を起こすかのように鳴いて、僕の他愛もない話を聞いてから、帰っていく、まるで彼に僕の事を告げに行くかのように・・・。

 僕を連れに来た使者ではないのか?
 夜中の訪問者が来てから、痛み止めを入れなくても、寝られるようになった。身体の調子がいいわけではない。徐々に悪くなっているのも自分でもわかる。昨日できた事ができなくなっている。

 僕は、もう長くないだろう。
 僕の事は僕が一番わかっている。

 僕が旅立ったら、フクロウはあの部屋に来るのだろうか?

 夜目が効くフクロウだから、僕のところに来てくれたのだろうか?

 フクロウは、アテナの使者。僕をアテナのところに連れて行ってくれるのだろうか?

 戦いの女神の使者が僕のところに来るはずがない。僕は、負け戦を戦っているのだ。

 違う!!僕は、負けるわけではない。僕は、負けない。僕は、自ら命を断つ戦いに勝っている。苦しい状況でも、彼の事を考えて、待っている家族の事を考えて、僕はひたすら戦っている。
 戦いの女神の使者であるフクロウが見ている、見に来ているところで無様な戦いはできない。

”ほぉーほぉーほぉー”

 今日も、フクロウは僕の戦いを確認しに来てくれた。
 僕は、負けない。父に母に弟にあう為に、僕は自ら命を絶たない。

 アテナの使者に僕は告げる。

「僕は、負けない!冥界に旅立つその時まで、僕は僕だ。僕のまま死んでいく!!」

「彼に・・・会いたい。僕の唯一の・・・彼に・・・」

”ほぉーほぉー”

 僕は何を・・・願った?彼に・・・?

---

「先生」
「もう長くないだろう」

 少女に処方する痛み止めの量が日増しに増えている。
 寝て過ごす日々が続いている。窓も締め切って、一定の温度になるように空調を入れている。

 少女は、天涯孤独で、引き取り手も連絡をする相手も居ない。

「そう言えば、彼女の部屋の窓を開けていないよな?」
「はい。以前は開けていましたが、ここ1週間は開けていません」
「そうか・・・」
「どうかされましたか?」
「いや、昨日も今日も枕元に鳥の羽が落ちていたからな」
「え?本当ですか?」
「白い・・・。真っ白な大きな羽が落ちていたから不思議に感じていて、なにか知らないかと思ったのだけどな」
「掃除したときには気が付きませんでしたが?」
「そうか・・・患者の誰かが持ってきたのかも知れないな」
「そうですね」

---

 深夜にナースコールが鳴り響いた。

「先生。森の女性です」
「わかった。急げ!」
「はい!」

 多分、痛みで起きたのだろう。
 痛みの間隔が短くなってきてしまっているのか、苦しんでいるのを何度も見かけた。

 今日が・・・。

 心を閉ざす。少女の事を、考えてはダメ。感情に自分が引きずられる。

「先生!」

「あぁぁぁぁぁ来てくれた!!!!!ありがとう!」

 少女が、窓の外を見てつぶやいている。
 誰かが居るわけではない。この病院ではよくある事だ。最後が迫ってきているのは間違いない。

「あのね。僕、頑張ったよ。今日まで、貴方が来てくれるまで、頑張って死なないでいたよ!」

 ()()()()()()()

 少女の言葉が胸をえぐっていく。少女は自分の死期を悟って、悟った上でなにか(貴方)を待っていた。

 少女の目は、窓の外をはっきりと捕らえて動かない。

「先生!」
「・・・・」

 先生は、首を横にふるだけだ。
 私もわかっている。彼女に、医者が、看護師ができることなど何もない・・・。

 痛みも感じなくなったであろう身体を優しく支える事しかできない。

「あぁぁぁぁぁ。嬉しい。僕の事を覚えていてくれたのだね」

「もちろんだよ。僕も、貴方の事だけを考えていた」

「でも、お別れだね。僕には、時間がない・・・。みたいだから・・・。もっと、もっと、いろいろ・・・。話したいけど・・・。いざ、目の前に、貴方がいると・・・。言葉が出てこない」

「ほんとう?同じだね。ごめんなさい。僕の事・・・。忘れてほしくなくて」

「ゆるして・・・くれるの?」

「でも・・・もう・・・だめ・・・。こんど・・・でも・・・すぐじゃなくて・・・いいよ・・・ぼく・・・まって・・・い・・・る・・・から・・・ね」

 少女は最後の力を振り絞るかの様に窓に手をのばす。何もない虚空を掴んでから力尽きた

”ほぉーほぉーほぉー”

 え?嘘?どこに居たの?
 少女が見つめていた窓の外を、大きな大きな大きなフクロウが1羽・・・。大きな翼をはためかせて、なにかを掴んで空に登っていく・・・。
 もしかして、彼女を迎えに来たの?

---

「大和!」
「大和なら、ほら・・・例の・・・」
「そうか、フクロウが死んだとか言っていたな」
「そっちじゃなくて・・・。そっちもだけど」
「??」
「探していた彼女が見つかったらしくて、病院に行ったらしいぞ?」
「そうなのか?」
「フクロウが、知らせてくれたとは言っていたぞ」
「そうか、不思議な真っ白なフクロウだったからな」
「そうだな。彼女と同じ色だとか言っていたな」

fin

 俺には長男だけど二番目の子供だ。

 当然の事だと思う。
 俺は少しだけ複雑な子供だ。

 俺の父はバツ1なのだ。
 父の再婚相手が、俺の産みの母で、産みの母の最初の配偶者が本当の父なのだ。

 ようするに、俺が今『父』『母』と呼んでいる両親とは血が繋がっていない。

 本当の両親が、どうなったのかは知らない・・・ことになっている。

 一度酔った父が話してくれた。

 俺の本当の父は、父の友人だった人物ですでに死去している。産みの母も、父と再婚して2年後に死去した。
 自殺だと言っていた。父は、本当の母の死を自分たちの責任だと悔やんでいる。

 父は友人に産みの母を頼まれたようだ。
 死ぬ間際に頼まれたのだと言っていた。理由は話してくれなかった。

 どういう経緯で母と結婚したのかはわからないが、母も産みの母を知っているようだ。
 全員が、幼馴染と言ってもいい関係だったようなのだ。

 そんな不思議な環境の中で、俺は二番目として生活してきた。
 父の事も、母の事も、感謝しているし、尊敬もしている。弟の事も大事だ。しかし俺は、この家では2番目の存在でしか無いのだ。小さいときには、弟に嫉妬した事もある。でも、酔った父に真相を聞かされた時に、納得してしまった。

 グレるという選択肢は俺にはなかった。本当の両親と、育ててくれた両親。どちらも俺にとっては両親なのだ。今の両親が二番目の両親などと考えていない。

 明日、卒業式が終わったら、俺は家を出て一人暮らしを始める。
 街に出て働くことになっている。就職先の寮に入る事が決まっている。

「父さん?なに?」

 家を出る前に、父に呼ばれている。
 部屋のリビングで、父さんの対面の椅子に座る。

「・・・」

 なんかいいにくそうにしている。
 もしかしたら、本当の両親の事を教えてくれようとしているのか?

(さとし)。明日の準備は終わっているのか?」

 笑いそうになってしまう。
 荷物をまとめて寮に運んである。父さんに運んでもらった。
 そんな事も考えられないほど動揺しているのか?

「大丈夫。もう寮に運んだから、明日は着替えを少し持っていくだけだよ」
「あっそうだったな。・・・それでな」
「なに?」

 話しにくそうにしているけど、チラチラとリビングからキッチンの方を見ている。
 母がそっちで聞き耳を立てているのがわかる。

「あのな。慧」
「うん」

 長い沈黙だ。

 パタパタとキッチンから母が出てきたのがわかる。

「アナタ。慧が困惑しているでしょ」
「そう言っても・・・」
「もう。いいわね。私が」
「ダメだ!これは、俺の役目だ!」

 びっくりした。
 温和な父が母を怒鳴るなんて・・・。それほど、大事に思っていてくれたのか?

 もしかして、二番目なんて思っていたのは、俺の勘違いだったのか?

「そ、そうね。アナタの役目ね。ごめんなさい。慧。少し、パパとママの話を聞いてくれる?」

 母は、父の隣に座って、お茶を俺の前と自分と父の前に置く。

「もちろん。俺に関係する事?この目に関係する?」

 両親が話しやすいように、目の話をする。
 俺の目は、茶色と濃い青だ。父と母は、びっくりするくらいの黒色だ。この両親から、俺の様な目を持つ子供が産まれるわけがない。

 両親は身体を少しだけ強張らせる。
 大丈夫。俺は知っている、知っていて、父と母を、父さん。母さんと呼ぶ。呼んでいたいと思っている。

「慧。お前は、俺と母さんの本当の子供じゃない」
「うん。知っていたよ。だって、目が違いすぎるし、髪の毛の色も俺だけ違うからね」

 わかっていた事だが、父にはっきりと言われるとやはり心に・・・来る。

「慧!でも、お前は、俺の子供だ。血が繋がっていなくても、俺と母さんの子供だ!」
「うん。ありがとう」

 ダメだ。
 泣くな!泣いちゃダメだ。涙を見せるな。哀しいわけじゃない。教えてもらえて嬉しいと思え!

「サトちゃん。あのね。私とパパの」「母さん!」

 父が、母のセリフを止める。これも珍しい。

「そうね。私が言ってはダメね。ごめんなさい」

 なにか事情があるのだろう。

「慧。お前の父親は、俺の同級生だった男だ」

 父から、本当の父の学生時代の事を聞く。これは、ある意味・・・拷問に違いない。
 なぜ顔も知らなければ、有ったこともない、父親の話を育ててくれた父から聞かなければならない。
 学生時代の出来事なんて話の筋として関係ないだろう?

「アナタ」
「おっすまん。奴は、憎たらしいが、そんな男だった」
「そうだったのですね」
「他人事だな?」
「え?だって、俺の父さんは目の前に座っている人だけですからね。あった事もない人の事を父とは思えないですよ?」
「・・・。それで、お前の生みの・・・、本当の母親なのだが・・・」

 ちらっと母を見る。
 母が気にすると思っているのだろうか?それなら、杞憂だと先に話したほうがいいかも知れない

「そうね。加奈子の事は、私から話したほうがいいね」
「加奈子?」
「そうよ。慧の生みの親だけど・・・心が弱かったのね」
「??」
「加奈子は、慧を産んで、次の子を身ごもった時に、あの人が事件で死んでしまって・・・」
「え?」
「それはいいのだけど・・・」

 事件?
 死んだとは知っていたけど、なにかに巻き込まれて死んだのか?

「うん」
「優しいのね。そういうところは、加奈子にそっくりね。加奈子は、慧の妹になる女の子を産むはずだったのに・・・」
「死産だったの?」
「そうね。死産・・・かな。よほど、ショックだったのだろうね」
「でも、それだと・・・」
「そう、パパは、あの人に頼まれて、心が壊れた加奈子と結婚したのよ」
「え?」
「私との結婚が決まっていたけど、アナタを実子として向かい入れる為に、私との結婚を先延ばしにしたの」
「え?母さんはそれで」
「良くないけど、しょうがなかったのよ。加奈子には、パパも私も返しきれない恩があるのよ」
「え?それじゃ俺の事は・・・恩を返す・・・ため・・・なのか?」

 自分で言っていて悲しくなってくる。
 違うと否定して欲しい。でも、今の言い方じゃ・・・。

「サトちゃん。違うわよ!貴方は、私とパパの子供!これは間違いない!あの人や加奈子が生き返っても渡さない。私の、パパの宝物!」

 俺もしっかり愛されていた・・・のだ・・・。二番目でもいい。俺の両親は、この二人だ。

「慧。すまんな。混乱させてしまって、こんな話は、しないほうが良かった・・・」
「父さん。母さん。俺、二人の子供で良かった」
「慧」「サトちゃん」

「知らない両親の事なんかどうでもいい。二人の馴れ初めとかのほうが気になるよ」
「サトちゃん。それは、サトちゃんがお嫁さんを連れてきた時に、お嫁さんにだけ話してあげますよ」

「ハハハ。それじゃ、隠し事ができない嫁さんを見つけないとな。その前に彼女を探してこないとな」
「そうだな」

 少しだけ気になった事を聞いておく。
 父と母が話したくなければ無理に話さなくて良いと先に言ってから聞くことにしよう。

「父さん。母さん。話しにくかったら話さなくてもいい。俺の両親は、父さんと母さんだから・・・。でも、教えて欲しい事がある」

 ここで一息入れる。
 父も母も俺をまっすぐ見てくれている。

「俺の産みの両親だけど、なんで死んだの?」

 聞いてしまった。
 本当なら、聞かないほうが良かったかも知れない。

「そうだな。お前には知る権利があるだろうな」

 そう、父が語り始める。
 学生のときの話だ。本当の母(加奈子母さん)と父と母の3人は幼馴染だったらしい。
 本当の父の家は、裕福だったようだ。

 父と母の家も、加奈子と呼ばれた加奈子母さんの家も貧乏だったようだ。
 不愉快になる話であるが、加奈子母さんは資金援助と引き換えに、本当の父(クズ)のところに嫁入りしたようだ。その資金で、父も母も家族が残した借金を完済したようだ。だから、父も母も親戚の付き合いが殆ど無いのだな。

 本当の父は家に来ていたお手伝いさんに刺された。事情は、結局わからなかったらしい。父の表情から、なにか知っているのはわかるが、わからなかったと言っている父の言葉を信じる事にする。

 暫く生死の境を彷徨ったクズは、父と母を呼んで加奈子母さんを娶ってくれとお願いしたと言っている。
 実際には、お願いではなく、命令なのだろう。この時点で、加奈子母さんは心が壊れてしまっている。クズの実家は、加奈子母さんと俺を家から追い出した。心が壊れて何もわからない状態の加奈子母さんに財産を放棄させている。

 そして、父は加奈子母さんと結婚して、俺を引き取った。
 加奈子母さんを、父と母の二人で面倒を見ていた。そして、俺が3歳になった時に、加奈子母さんは自ら命を断った。理由はわからなかったらしい。

 加奈子母さんは父と母に、クズからの手紙を渡したのだと、俺に向けての手紙ではなく、父に向けての手紙だ。その時に、加奈子母さんの手はやけどしていたらしい。

 封は切られていない。父も母も読みたくないのだろう。
 俺に処分を任せると言って渡してくれた。

 その場で破いて燃やす事もできたが、父と母が知らない事情が書かれているかも知れない。
 好奇心を抑える事ができなかった。
--- 
 親愛なる我が友へ

 俺は、お前に勝ちたかった。お前は、俺が持っていない物を全部持っている。
 俺が好きになった女は、お前の事が好きだった。
 お前にとって二番目の女なのだろう。
 俺が金の力で娶った。
 加奈子は、俺の子供を産んだ後もお前の事を愛していると泣いていた。子供は、お前の子供だと思っているぞ?

 子供を産んだ後にすぐに犯して子供を作った。
 二番目を産んだ後でお前に返すつもりだ。もらってくれるよな?

 加奈子の目の前で、他の女を犯すのも楽しかったぞ。
 お前はいつまでも二番目だと思い知らせてやった。
---

 素晴らしくクズな内容が長々と書かれていた。素晴らしくクズな内容で、手紙を燃やす事に戸惑いはなかった。

 父と母にとっては、加奈子母さんの変わりかも知れない。
 二番目の愛情なのかもしれない。
 加奈子母さんからも、父からも母からも愛情を受けている。

 加奈子母さんは本当に心が壊れていたのだろうか?

fin

 その女性の住む部屋は、古いアパートだだ。

(はぁ今日も疲れた)

 誰も待っていない部屋に女性が入っていく。手に持っているのは、近くにある弁当屋さんの袋だ。

 部屋に入って、仕事場にしていくポニーテールを解いて、髪の毛を下ろす。

(どんどん。好きだけど・・・今日も、隣の部屋からはいい匂いがしている)

 アパートと言っても、女性の一人暮らしだ。セキュリティには気を使った。
 部屋を借りる時に、隣に音が聞こえないようにとか、周りにどんな人が住んでいるのかを確認していた。

 しかし、匂いまでは気にしていなかったのだ。キッチンは通路側ではなく、ベランダ側になっている。少し変則的な2LDKの作りになっている。
 そのために、ベランダ越しに匂いが漂ってくるのだ。

(美味しそうな匂いだな。今日は、何を作っているのだろう?焼きそばかな?)

 女性は隣に住んでいるのが、一つ年上の男性だと教えられている。

(まさか、美味しそうな匂いさせやがってと怒れないよな)

 買ってきた、”舞茸のり弁”を袋から取り出す。

(私も料理したら。時間がないから無理!)

 という言い訳をし続けて、もうすぐ1年が経つ。
 その間、キッチンを使ったのは3回だけ。

 キッチンではお湯を沸かすだけになってしまっている。

(ゴミ捨てとかでお隣さんに会うけど、料理なんてしているように見えないけどな。でも、ギャップがいいなぁ。彼女とか居るのかな?イケメンってよりは、かわいい系?古川慎くん似で好みだな)

 彼氏居ない歴=年齢の女性には隣の男性に声をかけるなどという高難易度のミッションをこなすことなどできない。

---

(はぁ今日もお隣さんは、美味しそうな物を作っているな。ソースのいい匂いだな)

 男性は、綺麗なキッチンで、封を切ったカップラーメンにお湯を注いでいる。
 3分待てばできるやつだ。

 仕事場から近くだからと借りた部屋だったが、その仕事場が不況の煽りを受けて、田舎に引っ越してしまった。
 せっかく入った会社なので、男性は辞める事なく勤めている。

(通勤時間5分。夢の生活だと思ったのに、いきなり通勤時間30分だからな。それでも幸せだと思わないとな)

 男性が部屋を決めたのは、裏に駐車場がついている事だ。隣は空き部屋だと教えられた、角部屋とそうじゃない部屋のどちらでも大丈夫だと言われたが、角部屋の方が家賃が高くなっているし、駐車場もついていないと言われた。

 男性が部屋を決めてから3ヶ月後に、空き部屋の一つに女性が引っ越してきた。

 年齢=彼女いない歴の男性は、今日もカップ麺をすすって餓えをしのいでいた。

(ごちそうさま!ゴミ出しの時に会う様な子が作った料理ならもっとうまいのだろうな)

---

 今日は近くのスーパーの安売りをしている日だ。男性はカップ麺を求めてスーパーに来ていた。

「あれ?大家さん?」
「古川さん?」

 大荷物を抱えた、大家さんが男性の前でレジを行っていた。

「古川さんも、買い物?」
「はい。安売りだったので」
「それにしては、あまり買っていないようだね」
「えぇ一人暮らしですから、こんな物じゃないですか?」
「そうなのね?」

 二人は無人のレジで支払いを済ませた。

「そうだ。大家さん。車で来ていますから送っていきますよ。荷物もあるし歩いて帰るよりはいいでしょ?同じ場所に帰るのだし」
「そうじゃね。お言葉に甘えましょうかね」
「はい。正面に車を廻してきますね。あっ。荷物、持っていきますね車に積んでおきますよ」
「それなら、私も一緒に行きますよ」

 二人は並んであるき始めた。
 男性は、自分の買い物を手に持って、カートには大量に買っていた、大家さんの荷物を入れている。日用品も多いが、食料も多い。男性から見たら、何ができるのかわからないような、肉や野菜や魚介類が大量にカートに積み込まれている。

「大家さん。こんなに食べられるのですか?」
「ハハハ。孫が、今度遊びに来るからな。その時に出す料理の材料じゃよ」
「あぁそうなのですね。それで、調味料とかも沢山あるのですね」
「なんと言ったかな、あの板みたいな奴。孫娘が持ってきて、これでレシピがいろいろ見られるからって置いていってから、試しにやってみているのですよ」
「へぇそうなのですね」

 男性は、車に大家さんが買った物を積み込んで家まで帰る事にした。

 暫く車を走らせたら
「あっ!古川さん。ちょっと停めて!」
「どうしました?」
「孫娘が高校合格したお祝いを予約してくる!」

 近くのケーキ屋さんで予約をするようだ。

「それなら待っていますよ」
「後で取りに行くから買い物したものをお願いしていいかい?」
「問題ないですよ。冷蔵庫には余裕がありますから」

 男性は自虐的に少しだけ笑ってから停めた車を走らせた。

 駐車場について、大家さんが買った大量の食材や調味料を抱えながら、自分のカップ麺が入った袋を持って部屋に戻る事になった。

「あっこんばんは」

(え?普段はポニーテールだと思っていたけど、学校?に行くときだけど?普段は下ろしている?こんな時間に、デートなのかな?やっぱり彼氏が居るのだろうな)

---

 女性は、今日は仕事が休みだったので、一日部屋で過ごしていた。
 さすがに何も食べないのは辛いがせっかくの休日にお弁当では気分が滅入ってしまう。そう考えて、夕方に外に食事に出かける事にした。自分で作るという発想は女性の頭からすっかり消えている状態なのだ。

「あっこんばんは」

(え?)
「あっこんばんは」

 女性は、荷物を抱えた男性とすれ違った。

 男性が持っていた物を女性が見て少しだけ残念な気分になってしまった。

(やはり、料理を作っているのね。それに、あの量。やっぱり、彼女が居るのね)
(こんなすっぴんで、髪の毛に縛った跡を残して、普段着のまま近くの定食屋に食事に出かけるような女じゃ彼女にはなれないよね)

 女性は、マンションの敷地から出て、どっちに行こうか迷っていた。駅方面に向かうか、スーパー方面に向かうかだ。

 スーパー方面から小柄な女性が歩いてきた。

「大家さん。こんばんは」
「はい。こんばんは。森川さん。今からデートかい?」
「違いますよ。今日お休みだったから、なにか買ってくるか、食べてこようか、考えていたところですよ」
「そうなのかい?」
「はい」

 大家さんは少しだけ考えていた。
 女性は、孫娘よりも少しだけ上だが、最近の女性には違いない。

 大家さんから見たら、15歳も23歳も大した違いはない。

「そうかい。森川さん。ちょっと私の手伝いしてくれないかい?」
「手伝いですか?」
「孫娘の合格パーティを開くのだけど、その時に出す料理を食べてみて感想が欲しいのだけどダメかい?」

 女性は少しだけ躊躇したが、以前に食べた大家さんからもらった”お煮しめ”の味を思い出して、承諾してしまう。
 そして、外食をするという計画から、大家さんの家で食事をするという話になってしまった。

 一通りの食事を終えて、女性は食事代を払うと大家さんに言ったのだが
「いいよ。意見ももらったし、食事代なんていらないよ」
「そう言われても」
「そうかい?」
「はい」

 大家さんは少しだけ考えてから
「それなら、明日ゴミの日だろう。ゴミ出しを頼めるかい?」
「もちろんです」

 女性は、明日の朝のゴミ出しの約束をして、少しだけ幸せの気分で部屋に帰った。

--- 翌朝

 男性はいつもの時間に起きて、いつもの様に支度をして、部屋を出る。ゴミの日なのはわかっているが自炊をしていない男性の1人ぐらいではゴミは殆ど出ない。月に一回程度で十分なのだ。

 女性はいつもよりも早く起きて、大家さんの部屋に行った。
 約束していたゴミ出しをするためだ。

「おっ」

 男性が扉を開けると、大きなゴミ袋を持った女性がドアにぶつかりそうになっていた。

「あっ申し訳ない」
(やっぱり、あの匂いは、この子からだったのか?大学生なのに毎日料理を作るなんて)

「いえ、大丈夫です」
(社会人だと聞いていたけど、魚とか匂いがしてくる、やっぱり料理しているみたいだね)

「おはようございます。ゴミ。持ちましょうか?」
(少しでも話せるチャンスだからな。彼氏が居るとは思うけど)

「いえ・・・。あっそれなら、これお願いします」
(そんな捨てられた子犬みたいな顔されたら・・・。私のゴミは恥ずかしいけど、大家さんのゴミなら・・・)

「わかりました」
(生ゴミって事は、昨日の夜に作ったのかな?)

「あっありがとうございます」
(優しいな。勘違いしちゃいそう)

(話が続かない・・)
(なにか話さないと・・)

 二人は黙って、階段の方に歩いていく。

「あっ」
「どうしました?」
(私、なにかまずかった?)

「いえ、なんでもないです。学生さんですよね?」
(俺は、いきなり何を聞いている!?馬鹿なの?馬鹿なの?ほら、困っている)

(え?私の事?)
「え・・・いえ、働いています。社会人一年目です」

(え?)
「そうなのですか?」
「はい。あっゴミ重くないですか?」
(・・・。大家さんのゴミだから大変かな?)

「いえ?平気ですよ。でもすごいですね。一年目で、しっかりされていて」
(すごいな。一年目なんて大変なのに、料理を毎日しているみたいだし)

「いえ、そうでもないです」
(仕事は慣れちゃったけど、食べ物が・・・なぁ)

 二人は黙ってゴミ捨て場まで歩いた。
 ゴミ捨て場では、大家さんが掃除をしていた。

「あれぇ二人ともおはようさん」
「おはようございます」「おはようございます」
「古川さん。昨日は荷物ありがとうね。森川さん。ゴミ捨てありがとう。帰りに寄ってね。お煮しめ作っておくから!」

 大家さんは掃除をしながら、昨日お互いに聞いた、料理をしない話や彼氏や彼女が居ないと言った話をしてしまった。

「え?」
「え?」

 二人に微妙な空気が流れる。
 お互いの勘違いが一気に解消されていった。

 一年後に角部屋の表札が”古川・森川”という物から”古川”に変わった。
 そして、使い込んだキッチンからは匂いではなく二人の笑い声が聞こえてくる。

fin

 そこは、寂しい港町。始発を待つ者は誰も居ない。

 誰も居ないと解っていながら、1人の男性は毎日ホームに立つ。

 ホームで始発電車が到着するのを待っている。

 男が持つメモ用紙には、電車の時刻表と到着時間がメモされている。

 ホームに電車が滑り込んでくるのを待っている。

 数分後に、電車がホームに滑り込んできた。
 男は、ホームに吊り下げられている時計を見る。毎朝、男が調整している時計だ。

 電車が止まって扉が開く。
 寂れた港町の駅では降りる客も少ない。

 始発となれば、0人が規定の数字だ。

 男は、ホームで客を見ている。
 改札は自動改札が導入されている。それでも、お年寄りが多い港町なので、男の手伝いが必要になる場合がある。

 男は、誰も降りてこない事を確認した。
 男は、ホームから電車が離れたのを確認して娘が残した唯一のペンで、メモ用紙に電車が止まった時刻と利用者数を書き示す。

 男の仕事は、駅長となっている。男1人で廻しているような小さな駅だ。

 男は、天涯孤独だ。元々は、妻と小学5年生になる娘が居た。男の娘は、学校でいじめられていた。
 男が知ったのは、娘が海に身を投げてからだ。男が仕事をしている最中の出来事だ。
 そして、身体が弱かった妻が娘の自殺を知って・・・。翌日に自分で、自分の人生の幕引きを行った。

 男は、いじめで宝物だった娘と最愛の妻を失った。
 男は、止める周りの言葉を無視して翌日から業務に戻った。心に決めた事がある。誰にも話していない、誰にも相談していない事だ。

 それから、男は1人で過ごしている。死ぬことを考えた、しかし死ぬのを辞めた。辞めたと言うのは間違っている。男は、ある事を心に決めているのだ。それから、電車の時刻と利用者数を書き始めた。そして、時々利用者数の数字を4色で印を付けている。数字を○で囲んでいる。

 1日1枚のメモ用紙を使って、娘が修学旅行で買ってきた唯一の形見であるペンを使って、時刻と電車と利用者数と丸印を付けている。

 男が、メモ用紙にメモを作り始めて、7年。娘が本来なら高校を卒業する年になっていた。
 毎日付けていたメモも溜まっている。

 男は、終電が出ていくまで同じことを繰り返す。時間帯によっては、利用者の人数が数えられない事もある。その場合には、自動改札のデータを見る事にしている。

 そして、利用者が減っている事が解っている。

 7年。男にとっては長くも短くもあった7年がすぎた。形見である娘からもらったペンも修理をしながら使っている。メモ用紙も大量になっている。大量の紙とペンで記された印を見ながら、男は決心した。

 男は、娘をいじめた奴らが、娘が高校卒業するまでに、娘に詫びを入れてくる事を期待していた。
 そして、校長を除く学校関係者が1人でも謝罪に現れる事を期待していた。

 学校側もいじめの事実を認めた。男は、学校側が謝罪してくれるものとして、謝罪を聞いてから、娘と妻が待つ場所に向かおうと考えていた。しかし、学校だけじゃなくいじめていた本人たちやその親の1人も、謝罪に現れなかった。

 ただ1人、校長だけが・・・校長として謝罪に現れた。
 校長は、学校を辞めた。自分なりのけじめをとったのだ。男が嬉しかったのは、校長が自分の事を覚えていてくれたことだ。男は、校長がまだ新人と言われる年齢の時に、男の担任だった人物だ。
 涙を流しながら謝罪してくれた。そして、命日には毎年墓前を清掃して、仏壇にも謝罪に来てくれている。妻にも同じ様に謝罪してくれている。

 関係者の中で校長だけは許そうと男は考えた。

(まずは娘の担任の女性だ)

 7年間、担任は学校には電車を使って通っている。
 毎日顔を合わせておきながら会釈もしない。男が一番許す事ができない人物なのだ。

 メモから剥がして、大量になった紙の中から、担任の印を探す。
 担任は、今年に入ってから木曜日に遅くなる事が解っている。

「結城さん」
「え?」

 男は、担任を拉致して、県境を越えた山の中に生きたまま放置する事にしている。
 娘と妻が眠る海から遠ざけたかったのだ。

「結城さん。私の事がわかりますか?」
「なっ・・・。なんで・・・。こんな辞めて・・・。私が何をしたって言うのよ!離しなさい!」

 担任がヒステリックな声をあげる。
 男は、うるさそうにしながら話を続ける。

「そんな、ヒステリックにならないでください。私の事がわかりますか?」
「あんたなんか知らないわよ!早く、私を離しなさい」
「はぁ・・・。そうですか。残念です。私の事がわからないのなら、目は必要ないですよね」

 男は、持っていたペンで、娘の形見とは違うペンで、担任の目を潰す。
 担任の絶叫が響き渡る。心地よい音を聞いているかのように、男の心には揺らがない。

「うるさいですね。こんな人だったのですね。残念です。それに、謝罪するつもりが無いのなら、必要ないでしょう」
「し・・・ゃ・・ざ・・・い?」
「まだわかりませんか?本当に、残念な人ですね」

 男は、口枷をする。
 口枷が取れないように、顔に瞬間接着剤で固定する。手枷をして、足枷をして、小屋を出る。
 顔が判断できないように、薬剤を顔にかける。別に、これで死ななくてもどうでもよかった。事情を知ってから苦しんでもらっても構わない。男を恨んでくれても構わない。そう考えているのだ。
 小屋は男が購入したものだ。男は、自分がやりたい事が終われば、その後の事など考えていない。

「簡単に死なないですから安心してください。私はそろそろ帰らないと朝の業務に遅れてしまいます」

「それでは、結城()()。さようなら」

 男は、また翌朝から同じ事を行う。
 ホームや待合室から聞こえてくる噂話に耳を傾ける。

「結城先生が今日無断欠勤したけど、なにか聞いているか?」
「うーん。またじゃないのか?あの人、月に何回か同じ事をするからな」
「だよな。それに心配してもしょうがないだろうな」
「あぁそうだな。口うるさいヒステリックな人が居なくて静かで良かったよな」

 そんな話声が聞こえてくる。
 男がつける印の色がその日から減った。

 男が付けている印はあと3つ。
 娘からもらったペンで付けられ色は全部で5つ。一つは、これで使わなくなる。

 男は、そっと、ペンからその色を抜き取って、元々入っていた。使えなくなってしまったインクをペンに戻す。

(次は誰にしましょうか?決まった行動をしている人からにしましょう。そうなると、こっちの男ですね。この女は最後にしたほうがいいでしょう。早くしないと、娘と妻に合うのが遅くなってしまいます)

 男は、定期的に電車を使っている、二人の男を順番に拉致する事にした。
 男は、二人の男性を観察していた。それこそ、7年間毎日の様に観察していた。1人は、力があるように思えたので、男は考えて身体を鍛えた。力負けをしたら計画自体がダメになってしまう。

 インターネット通販で気絶させる事ができるほどの威力になっている違法なスタンガンを購入している。
 同じ様に、大量の違法薬物も入手している。自分で使うためではない。

 まず、男は、男性を拉致する。
 スタンガンで気絶させて、担任が待っている場所につれていく。首輪をして目隠しと口枷と手枷をしてある。首輪や目隠しや口枷や手枷を外すと電流が流れる仕組みになっている事を教える。実際に電流は流れるが死ぬほどではない・・・と、考えていた。

 男は次の日に、もうひとりの男を拉致する。
 そして、同じ様に首輪を目隠しと口枷と手枷をする。餌も何も与えない。必要ないと思っている。

 担任はまだ生きている。顔を潰した状態で二人の男の前に全裸で放置している。

 翌日、男は、娘を自殺にまで追いやった女を拉致する。

 男は、担任以外の口枷を外す。手枷を外して、男は姿を見せないで、3人に問う。

「7年前に自分たちが何をしたか覚えているのか?」

 3人から期待した言葉は返ってこない。

 男は、黒色以外をもとに戻したペンで、持ってきた紙に言葉を書く。

”思い出したら言ってくれ、明日また来る”

 そして、目隠しを外して、その場を立ち去る。
 用意してある食べ物や飲み物には、大量の媚薬が混ぜ込んである。
 同じ様に、部屋を温める為に用意した囲炉裏には違法薬物が混ぜ込まれた草木が置いてある。火をつければ幻覚作用がある煙が出るようになっている。

 最後の女は、全裸で首輪だけの状態になっている。
 どうなろうと関係ないと、男は思っている。

 翌日、男が小屋を尋ねると、予想通りの展開になっている。
 首輪を外そうと頑張った形跡もあるのだが、無理だったようだ。

 鉄の鎖で首を覆っているだけではなく首の周りも鉄製の者を使っている。

 男は、昨日と同じ様に、新しい紙に娘のペンで言葉を綴る。

 最初に死んだのは、担任だったようだ。
 男と女に食事を与えられなくて、何度も犯されてから死んだ。

 次は、片方の男だ。もうひとりの男に殺された。

 次は男が死んだ。
 女が最後に残ったのにはわけがある。

 男が、男と女だけになった時に、女にナイフを渡した。

 女は、男を刺して、自分の首輪を外そうとしていたができない。男に、懇願したが、男が求めている言葉ではなかった。

 男は、女の様子を観察した。そして、ヒントを与えたが女が思い出す事はなかった。
 女は最後まで、謝罪の言葉を口にする事はできなかった。でも、女は生きていた。

 男は、監禁してから、7日目に男のところに警察が来た。

 男は、翌日に娘が自殺した港から身を投げた。

 男は、詳細にメモを残していた。
 警察がたどり着く時に、女が生きていようと死んでいようと関係ないと書きながら・・・だ。

 女は、娘の友達だと、娘が紹介した女だからだ。
 男は、娘の友達が助かるのか、死んでしまうのか、どちらでもいいと考えていた。

---

 男の遺体はすぐに見つかった。
 男は、娘のペンと、妻が残した紙を持って、海に浮かんでいた。

 男の顔は穏やかだった。

 男が使っていた部屋には、男がメモに使った紙とインクが無くなったペン先と復讐の為に使った道具が残されてた。

fin

 何気ない日常の何気ない時間。
 それが僕にとってかけがえのない物だったと知ったのは、何もかも・・・。”自分の身体”と”君への想い”と”君と決めたルール”だけが残された日だった。

 君は、僕にそんな事を望んでいないだろう。
 僕は、初めて、君との約束を僕の都合で破る事にする。

 君と決めたルールは4つ。この4つは何が有っても変えないと二人で決めた。
1.嫌がる事はしない
2.他人に迷惑をかけない
3.辛くても笑おう
4.大切にする
 だ。
 今から1番と4番のルールを破る。

---
 高校1年の最初の席決めの時に、隣に座ったのが君で良かった。
 最初にルールを決めようと言ったのは君だった。どうせ、1学期だけだと思って、僕は承諾した。

 それから、君は高校3年間ずぅーと僕の隣だった。
 数え切れないほど、君はルールを決めた。

 明日持ってくるお弁当をルールで縛った事も有った。
 君はルールという名前のゲームを楽しんでいるようだった。僕も、君と決めたルールを守るのが嬉しかった。

 ルールで君と繋がっているのがわかったからだ。

 最初のキスも、君が決めたルールだった。

 初めて身体を重ねたのは、僕が決めたルールと罰で、君がわざと破って罰を実行する事にしたからだったよね。

 お互いにルールを決めて、ゲームを楽しんだ。
 僕たちは、高校3年間で数えきれないルールを決めた。

 僕たちは、高校3年間の高校生活をルールに則った恋愛ゲームを本気で楽しんだ。

---
 私は、君に恋をした。
 私は、君を最初から好きだった。

 私は、最初から君を求めていた。

 私は、最後まで君を守るつもりだ。

 私は、ルールを決める事で、君を守りたい。

 君は、私のすべて。私が、君のすべてじゃなくてもいい。私のすべては君の物。
 私が、私で決めたルールだ。

---
 男と女は、高校卒業して、就職した。

 男の両親も女の両親も、高校卒業後に二人がプレゼントした旅行で・・・。飛行機事故で帰らぬ人となった。
 それから、二人はお互いしか居ないと、より強く思うようになった。

 高校時代から続けているお互いのルールでお互いを縛った。

 二人しか居なくなった、男と女は自然な流れで、結婚した。

 言葉は少なかった。
 お互いが決めたルールではなく、社会的なルールには興味がなかった。

「結婚しよう」
「うん」

 これだけだった。

 二人だけの小さな小さな結婚式をあげた。職場の人も、古くからの友人も、誰も呼ばない二人だけの結婚式だ。

 それが周りから見て異常な事だとしても、お互いは二人だけが決めたルールに従っている。

 男と女には、社会が決めたルールに従って、多額のお金が舞い込んできた。
 しかし、男と女は、そのお金を全額寄付してしまった。自分たちの決めたルール。

・お金は自分たちで稼いだ分だけを使う。

 したがって、お互いに稼いでいないお金は必要がない物だった。
 自分たちと同じ様に両親を無くした子供たちが居る事を知って、その子たちが過ごす児童養護施設に寄付する事に決めた。

 もともと、肉親への興味が薄かった二人は、お互い以外は必要としていなかった。

 そんな二人が決めたルールは、4つのルールの上に成り立っていた。
1.嫌がる事はしない
2.他人に迷惑をかけない
3.辛くても笑おう
4.大切にする

 二人だけが解る二人だけのルールだ。

---
 男は暗い部屋に通された。頭に巻いた包帯が痛々しい。

「細川さん。落ち着いて聞いてください」
「大丈夫です。落ち着いています」
「奥様・・・。真帆さんで間違いありませんか?」
「・・・。刑事さん。教えてください。僕が、ここで、真帆じゃありませんと言ったら、真帆は帰ってきますか?」
「・・・。細川さん」
「大丈夫です。落ち着いています。真帆と決めたルールで、いつだったかな・・・。そうだ、高校の文化祭で決めた物だ。”取り乱さない”と決めました。そうだ。破ったら、相手の望む所にキスをするだったかな・・・。ねぇ刑事さん。教えてください。僕が、ルールを守らないから、真帆は寝たままなのですか?」

 男は、泣くわけでもなく、喚くわけでもなく、淡々と刑事に質問していた。
 刑事が答えられるわけもなく・・・。時間だけが流れていった。

 男は、唯一人の理解者で、ただ1人の肉親を失った。
 通り魔に殺されたのだ。

---

 お互いの休みを利用して、買い物にでかけた。二人で街にあるスーパーにでかけた。買い物をすませた帰り道。

「真帆!」

 ナイフを振り回す男が、男の目に映った。
 男は、女と男の間に身体を入れた。女は振り返って、ナイフを持った男が自分の半身を世界で一番大切な男に向かって、ナイフを振りかざしたのを見た。

 女は、咄嗟に男を抱きしめて、身体を回転させた。
 ナイフは、女の背中に刺さった。ナイフを持った男は、ナイフを抜いて、女を何度も刺した。骨にナイフがあたって折れるまで何度も何度も刺した。男は、倒れ込む女を支えて、地面に頭を打ち付けて意識を飛ばした。

「よかった・・・りゅうちゃんを守れた・・・。よかった。ルールを・・・わたし・・・守れたよ・・・りゅ・・・うちゃ・・・ん」

 女は自分が死ぬ事が怖かった。
 最愛の竜司に会えなくなるのが怖かった。

 竜司が守れたのが嬉しかった。

---

 竜司は1人だけになってしまった家に戻った。
 笑っている真帆の写真を見つけて、部屋に飾ってある。

 遺影は、二人で決めていた。
 お互いにいつ死んでもいいようにルールを決めていた。

 竜司は、真帆の生命保険を全額寄付した。二人が決めたルールを守ったのだ。
 翌日から仕事に出た竜司を同僚や上司は心配した。でも、竜司は、真帆以外から心配されても嬉しくなった。

 毎日のように流れるニュースにも興味がなかった。
 犯人が解っても、真帆が帰ってくるわけではない。
 犯人の父親が偉い議員の先生だからと言って、真帆が新しいルールを決めてくれるわけではない。
 犯人の父親が代理人を通して慰謝料を持ってきたからって、真帆が自分のルールを守ってくれるわけではない。

 竜司の顔は、笑顔で愛想笑いの状態で固まってしまったかのようになっている。
 真帆と決めたルールの三番目を実行している。”辛くても笑おう”

 親戚を名乗る者たちや、竜司と真帆の事を知っていると言っている者たちがマスコミを賑わしている。そんな話を聞きながら、竜司は笑って過ごしている。

 竜司は、真帆と一緒に過ごした時間を大切にしたいだけなのだ。

 マスコミや世間が、竜司を追い詰めていった。
 竜司は、いつの間にか、壊れていた。

 竜司は、真帆が眠る場所を毎日訪れて話しかけるのが日課になった。
 高校の出会いから、真帆と最後に買い物に行った日までを繰り返している。

 そして、真帆のルールを思い出して、最後に笑ってその場を立ち去る。
 まるで、なにかやらなければならない事を思い出したかのように、にこやかに笑って立ち去るのだ。

(真帆。僕は、君と決めたルールを守るよ。でも、君はルールを守ってくれなかったよね。だから、僕もルールを破る。君と決めた罰を君は実行してくれるのだろう?)

---
 男は、2つのルールを破る事に決めた。

 ”嫌がる事はしない”
 男は、女が自分の復讐なんて望んでいない事は解っていた。嫌がるだろう事も解っていた。でも、自分の気持ちが抑えられないのだ。妻を、最愛の女性を、世界で唯一人の身内を奪った犯人(ゴミ)が許せない。

 ”大切にする”
 男と女は、決めていた。お互いの身体を大切にする事。自分の身体も心も大切にして、疲れたら休む事。自分の身体を傷つけない事。男は、復讐を果たした後で女の所に旅立とうと思っている。もしかしたら、会えない旅路かもしれない。長い長い旅路になるかも知れない。そう思っていても、男は女が居る場所に行くために、旅立つ決心した。

 男と女のルールには、破った時の罰則がある。

 4つの基本のルールを破ったら

 男は言った
「死んでも許さない。ずぅーと一緒に居る」

 女は言った
「ルールを破ったら、探してずぅーと側に居る」

---
「また、その事件ですか?」
「・・・。不思議な事が多いからな」
「そうですよね」

 二人の刑事が見ている調書は、被疑者死亡で終わった事件だ。

 被害者は、5年前に通り魔殺人事件を起こしている。
 薬をやっていて、善悪の判断ができていなかったという理由で無罪になっている。父親が有名な議員先生だった事も影響しているのかも知れない。マスコミも、事件当初は通り魔事件と大々的に報じたが、犯人が解ってからは報道を自粛するようになった。

 厚生施設に送られていた男が、遠い施設に移される事が決まった当日。

 通り魔事件で唯一死亡した女性の旦那が通り魔犯を殺害した。

 自分の妻が刺された場所をと寸分違わない場所を刺していた。背中を9箇所刺した。

 警官の護衛も居た。少ないがマスコミも居た。

 だが、誰一人として犯行現場を見ていなかった。
 白昼の空白。そんな言葉が皆の頭によぎった。

 男は、最愛の妻が眠る墓地の前で、墓地を汚さないように、布をかけて、墓地に寄り添うように自分で腹を切って自殺した。自分の血で墓地や地面が汚れないように、細心の注意がされていた。墓地とノートを抱きしめて眠るように死んでいた。

 墓の前には、几帳面な字で事件を起こした事の謝罪と経緯が細かく書かれていた。
 議員の息子が何時出てくるのかを知るために、男は議員の事務所で働き始めた事も書かれていた。議員の不正も全部メモとして残していた。

 ”他人に迷惑をかけない”
 自分の死後に、警察が調べたりする手間を省いたのだ。男は女の決めたルールを守っただけなのだ。
 墓地が汚れたりしたら迷惑をかけると思ったから、男は細心の注意をはらった。

 男は、ルールを書いた、三冊にも及ぶノートを胸に抱いて、眠るように旅立った。

「どうやって殺したのか?」
「そうですよね。マスコミもいたし、警察も居たのですよね?」
「・・・。それに、刺し傷が全部同じなんてあり得るか?」
「無理ですよね。それに、事件現場から見つかる場所までもかなりありますよね?」
「あぁまるで誰かが助けたようだよな」

 二人は持っていた調書を閉じた。

fin

 私と彼の距離を表現するのに、一番適切な言葉は、紅茶が冷めない距離。

 彼は隣の部屋に住んでいる。
 それは偶然だった。

 中学卒業までは、一緒の学校に通っていた。
 高校になったら、彼のご家族は引っ越してしまった。何か理由が有ったのだろう。

 中学卒業の時に彼に告白しようと思っていた。でも、告白ができなかった。
 学校で一番可愛いと言われている子に告白されていた。受け入れると思っていた。

「紀子!」
「え?」
「一緒に帰ろう。オヤジとオフクロとお前のご両親は先に帰ると言っていたぞ」
「なんで?」
「ん?なにが?」
「だって、さっき」
「見ていたのか?」
「うん」

 ダメ。泣いちゃダメ。

「紀子。俺は明日引っ越しをする」
「うん。聞いている」
「だからな」
「うん」
「あぁもう。俺は、お前が好きだ」
「え?なに?」
「聞こえただろう。もう一度なんて言わない」
「わたしのことがすき?」
「なんも言わない!」
「明、わたしも、好き」
「よかった」

 明は、彼は、高校は別々になったけど、会いに来ると約束してくれた。
 私も会いに行くと約束をした。明の新しい住所も私にだけ教えると言ってくれた。

 交際が始まった。

 そして、お互い都会の大学に合格した。
 別々の大学だ。明は、大学の寮に入ると言っていた。私は、一人暮らしをする事にした。

 引っ越しをした。
 隣も同じ地方の高校から、都会の大学に入った人が来ると教えられた。
 気にしてもしょうがないので、自分の荷解きをしていた。

 インターホンがなった。
(だれ?)

 確認したが姿が見えない。

「隣に引っ越してきた者です」

 聞き覚えがある声だがわからない。
 姿をわざと見せなくしているのだろうか?

「紀子。久しぶり。いや、5日ぶりか?」
「え?」

 そこには、満面の笑みで明が立っていた。
 夢じゃないよね?

「え?どうして?」
「隣に引っ越してきたからだぞ?」
「え?だって、寮に」
「最初は、寮に申請出していたけど、許可が出なかった。おじさんに相談したら、紀子が借りた部屋の隣が空いているからと言われて、オフクロもそれならと言ったからな」
「え?え?誰も教えてくれなかったよ?」
「俺が黙っていてくれとお願いした。実際、寮が空くかも知れないからな」
「!」
「紀子?」

 泣き出しそうだ。

「紀子。なくなよ。悪かった。そうだ。紅茶でも飲まないか?ほら、デートした時に飲んだやつあるだろう?お前が美味しいって言っていたやつだよ。あれがうまく入れられるようになったからな」
「へ?」
「ほら来いよ。俺の片付けは終わっているから、一緒に飲もう!」
「うん?」

 明に手をひかれるまま隣の部屋にはいる。
 明が隣に引っ越してきた?

「明?」
「なに?」
「紅茶の入れ方教えてくれる?」
「ん?いいけど?」
「ほら、この前、明が美味しいと言った・・・ほら、あの紅茶?」
「オータムナルか?」
「そうそう、そのオーなんとかが美味しかった!」
「わかった。でも、お前、紅茶よりも緑茶だろう?」
「そうだよ?でも、明と飲むなら紅茶の方がいい!」
「そうだな!紀子。今度の休みに、買いに行こう。合格祝いをしていなかったよな?」
「え?それなら、明にだって、私何もしてないよ?」
「ううん。紀子からは、俺が欲しかった物がもらえたから必要ない」
「え?なにか?」

 明がニヤニヤしている。
 この顔の時は、私の嫌がる事を言わせようとしている時か、恥ずかしがるような事をするときの顔だ。

 あ!

 引っ越しをする前、両家の家族公認で、私と明は、2泊旅行にでかけた。
 初めての二人だけの旅行だ。明は受験が終わってからバイトを始めた。貯めたお金で、伊豆旅行を計画してくれていた。卒業祝いだと両親を説得した。私の両親もどうやって説得したのかわからないが、了承してくれた。

 そしてでかけた伊豆旅行で初めて私は明に抱かれた。
 それまでキスしたりや触り合ったりはしていたが、そこまでだった。明なりの誠意だと言っていた。でも、伊豆旅行で初めて、明を迎い入れた。すごく痛かったが、すごく嬉しかった。明と一つになれたのが嬉しかった。

 旅行では、土産物屋さんで見つけた3分が測れる砂時計を買った。
 明が好きな紅茶を入れるのに必要などだと言っていた。

 ”最後の3分”
 明が私に教えてくれた紅茶を入れる時に一番大事な時間だ。

 準備の時間は必要だ。
 茶葉が開いて紅茶が出てくる3分間が、明が言っている”最後の3分”。この間に話をしながら、紅茶と対面に座る人の事を考える時間なのだと言っている。

 それから、私と明は、何度も何度も、”最後の3分”を楽しむ。

 明が部屋に帰ってくる。
 私が部屋に居るのを確認するかのように、そっけないメッセージが届く。

”今から行く”

 これだけで十分だ。
 私は、メッセージに”紅茶?”とだけ返す。

 部屋に居ないときには、部屋に居ないと返事を返す事になっている。

 明らからは一言だけの返事が返される。
 ここで明の気分が解る。絵文字の時もあれば、長文の時もある。一言の時が多い。でも、それで十分だ。

 明は鍵を持っているのに、わざわざインターホンを鳴らす。

 私は、明が来る前に紅茶の準備を始める。
 教えられたように、教えられた通りに、明が喜んでくれる事を期待して。

--
「これも片付けていいですか?」
「お願いします」

 疲れ切った老夫婦が、業者の問いかけに答えを返す。

 10月に差し掛かろうとしている時期。今年も気温が落ち着かずに夏のように暑い。
 都会の片隅の大学生が多く住むマンションの一室で片付けが行われている。

 この部屋に住んでいた。男子大学生が危険ドラッグをキメて運転していた車に跳ねられて死亡した。

 マンションまで3分くらいの場所だ。

 大学生は、彼女の為に予約していた、ケーキを取りに外に出て、事故にあってしまったのだ。

 些細な事で喧嘩していた大学生は、仲直りのためにケーキを予約していたのだ。大学生は、彼女にケーキを予約してある事を告げて、紅茶を用意しておいて欲しいと彼女にお願いした。彼らなりの仲直りの方法なのだ。

 彼女は、了承するまで3分間ぐずった。自分が無茶な事を言っているのは解っていた。でも、彼には解ってほしかった。彼とインターホン越しに話をした。彼が条件を出したが納得してくれた。彼女は、彼に謝罪して、彼も納得してくれた。

 彼女は、紅茶を入れる準備を始める。
 彼は、ケーキを受け取りに外にでかけた。

 たった3分。
 されど3分。

 かれを引き止めた3分で、彼女は彼を失ってしまった。
 引き止めないで、部屋に入れてから話せばよかったと彼女は悔やんだ。

 彼女は、彼から送られたメッセージとインターホンに残された、彼との最後の3分間に交わされた会話が彼女に残された物だった。

--
 彼が隣に居るのが当たり前だと思っていた。

”今から行く”

 彼は私にそっけないメッセージをくれる。

 これから、彼が好きなオータムナルの準備を始める。

 ポットに入る分量と二人分のお湯を沸かす。
 それから、二人分の茶葉を取り出して、軽く振るいにかける。小さな茶葉やゴミを取り除くためだ。

 一度目のお湯は、ポットとカップを温めるのに使用する。
 少しだけもったいないが、彼がこの方法が好きなのだ。

 二度目のお湯を沸かす。
 今度は、たっぷりと沸かす。

 お湯がフツフツと言ってきたら一旦火を止める。お湯を休ませるのがいいそうだ。
 その間に、オータムナルによく合うミルクを作る。

 ダージリンとしては茶葉も厚くてしっかりしているし、渋めになる。
 彼は、これに、甘めに作ったミルクを入れて飲むのが好きなのだ。

 ミルク人肌くらいまで温めた所で、インターホンがなる。
 スペアキーも渡しているし、部屋の番号も解っている。下のセキュリティロックの方法も解っているのに、彼は必ずインターホンを鳴らす。私は、インターホンを確認してロックを外す。

 休めていたお湯に火を入れる。

 彼の到着と同時くらいに、お湯が湧くのだ。
 彼を出迎えに玄関に行く。その時に、お湯を火から下ろす。

 持ってきてくれたケーキを受け取る。

 最初の3分間は準備の時間だ。

 ポットとカップをお湯から取り出す。
 ケーキをお皿に並べる。

 湧いたばかりのお湯をもう一度カップに注ぐ。
 二人分の茶葉とポットを持っていく。

 慣れた手付きで紅茶の準備を始める。
 茶葉を見て、お湯の量を調整する。少しだけお湯が熱いと感じると、ここでお湯を冷ますのだ。

 この間に、話しかけてはだめ。私だけが楽しめる。ゆっくりと眺めている事が許される時間なのだ。

 茶葉を入れたポットにお湯を注ぐ。
 そして、用意している砂時計をひっくり返す。

 最高の3分が開始される。

 私は、話をする。
 紅茶ができるまでの3分間。開き始める茶葉からの匂いを感じながら、話をする。

 3分間が終わってしまった。

 紅茶が冷めたら居なくなってしまう。湯気が上がらなくなったら、彼を感じられなくなる。
 
 残された3分。
 私が彼を感じていられる最後の時間。

 これは、私への罰。
 私が、あんな事を言わなければ、彼との距離はもっと近くなっていた。

 私は、永遠に彼と交わした”最後の3分”のために紅茶を入れる。
 彼が美味しいと言ってくれた、彼が私に教えてくれた、彼が私に残してくれた物のために、私は”最後の3分”を楽しむ。

 茶葉が開く3分間。
 私が、彼と言葉を交わした、最後の3分。

 彼が残してくれた。私の唯一の希望。

--
「なぁ母さん」
「なんですか?」
「のりちゃん」
「えぇ妊娠していて、産んで育てると言っているそうですよ」
「そうか、明の子供か」
「そうね。こんなに、哀しい初孫なんて」
「小野さんは?」
「賛成しているわ。謝罪しに行ったら怒られたわ。結婚を認めているから、子供を産ませますと言ってくれているわよ」
「そうか。嬉しいな。明の子供か。のりちゃんは抱かせてくれるかな」
「大丈夫よ。でも、明に似て、紅茶が好きになったら、この荷物を渡しましょう」
「そうだな」

「荷物片付け終わりました!」
「ありがとう」「今、行きます」

 老夫婦は何もなくなった部屋を確認してから、そっとドアを閉めた。

fin

 今日も憂鬱な一日が始まる。
 最低な目覚めだ。

「太輔!太輔!朝だよ。早く起きて、ご飯を食べちゃいな!」
「解っている。起きるよ」

 ほら、こうして、無理矢理起こされる。勉強なんてしてもしなくてもさほど変わる事はない。
 母親も父親も弟も妹も幼馴染のあいつも俺に何を期待している。

 どうせ、今更勉強しても変わらない。
 中堅の大学に入って、運が良ければどっかの公務員にでもなれるだろう。そうじゃなかったら、俺程度が入られる会社なら、大した仕事もさせてもらえないだろう。楽しくもない仕事を、もらえる賃金で釣り合いを取りながら、休日を楽しむのだろう。

「大兄!早く起きないと、ゆっこ姉にまた怒られるよ」

 妹も、中学に入ってから急に色気づいてきた。
 隣に住んでいる由紀子とたまに遊びに行っているようだ。どうせ、俺の悪口を言っているのだろう。

「わかった。わかった。楓。お前、また化粧なんかして」
「だって・・・みんな、しているよ?」
「みんなって誰だよ?」
「みんなはみんなだよ!」
「わかったから、布団をとるな。起きるよ」
「解ればよろしい。大兄も、ちょっと身嗜みを気にしようよ。ゆっこ姉に嫌われちゃうよ」
「はぁ?なんで、ここで由紀子の名前が出てくる」
「高校生にもなって、まだそんな事を言っているの?いいの?ゆっこ姉に彼氏ができても?」
「はぁ無理だろう?由紀子だぞ?」
「はぁ・・・。これだから、大兄にだけはわからないのだろうね」
「はぁ?由紀子だぞ?俺に所構わずに蹴りを入れたり、殴ったり、あんな暴力女に彼氏?無理だな!」
「大兄本気??」

 お?
 なんか、とてつもなく、妹に蔑まれた目で見られた気がする。
 確かに、由紀子は可愛いと思う。口を開かなくて、動かなければ、だけどな。

「大輔!楓!なにしているの?早く、朝ごはんを食べて、さっさと学校に行きなさい!」
「ママ。大兄が悪いの!私は悪くない!」
「楓!お前!」
「いいから、早く食べなさい!」

 リビングに行くと、さも当然な顔で、弟が座って1人だけパンを食べている。

「雄輔」
「なんですか?お兄様?」
「なんでもない。お前だけパンなのか?」
「はい。僕は、お兄様や楓と違って、朝起きて、新聞配達をして自分で稼いだお金で食事をしています。文句があるのなら、いつまでも惰眠を貪るご自分を責めるべきではないでしょうか?」
「はい。はい。そうですね。俺が悪かった。オフクロ。メシ!」

「うるさい。自分で取りなさい。炊けているから!」
「あっおばさん。私が、大ちゃんのご飯を渡しますね」
「悪いね。由紀子ちゃん」
「いえ、いえ」

 こっちもさも当然の様に、朝から我が家に居る、隣に住んでいるはずの由紀子だ。

「由紀子。なんで居る?」
「なんで?迎えに来たのに、まだ寝ているって言うし、暇だから手伝っているだけだよ。それよりも、早く食べてよね」
「え?なに?なんで?」
「はぁ忘れたの?」
「えぇ・・・と??」

「ゆっこ姉。馬鹿兄貴には、はっきりと言わないとダメですよ」
「そうね。覚えているとは、思っていなかったけど、本当に忘れているとは思わなかった」
「だから、なんだよ?」
「今日、会長選があるから、早くに行かなきゃならないのでしょ?」
「・・・・あ!!!今日か?」
「今日よ」
「なんで・・・」

 ダメだ。これ以上いうと墓穴を掘る。
 急ごう。

 由紀子から茶碗を奪い取って、シーチキンの缶を開けて、油を捨てて味の素を振って、醤油を適量垂らす。それを、ご飯の上に掛けてかき混ぜてから、2枚の海苔に乗せてから伸ばして巻く。簡易的なシーチキン巻きが出来上がる。
 二本を味噌汁と一緒に流し込んだ。

「オヤジは!」
「もう仕事に行った」

 弟が答えてくれる。
 電車で行ったのか?朝早くに出ていったのなら、乗って行っていないだろう。

「バイクは?」
「あるよ」
「由紀子。俺は、バイクで行く。どうする?」
「大ちゃんだけ行っても、なんにもできないでしょ。一緒に行くよ」
「わかった。着替えてきてくれ」
「大丈夫。そうなると思って持ってきているし、着ているよ」

 制服のスカートをめくって中を見せる。
 確かに、ライダースーツを着ている。
 それなら、スカートは意味ないよな?と思ったけど、口にだすほど野暮じゃない。

 オヤジのCB400SF。30年近く前のバイクだが、オヤジが好きで転がしている。
 今では俺が乗る事が多い。

 免許を、一発免許で受かれば貸してくれると言って、3度目に合格して勝ち取った。
 16で原付きの免許をとって、18でバイクの免許を取得した。

 学校は、バイクでの通学も許されている。
 許可は必要だが、距離的な事や事情を説明すれば案外簡単に許可が降りるのだ。

 後ろに、由紀子を乗せて学校に急ぐ。
 この選挙を仕切っているのが、タクミとユウキだ。奴らには逆らわない方がいいのは間違いない。
 会長でもないのに、会長選を仕切っているのは、タクミだ。本人は押し付けられたと言っているが、そうじゃないことも、裏の事情もユウキから聞いて知っている。

 それにしても、由紀子。いい匂いさせているな。
 それに、こんなに大きかったか?

「大輔!遅いぞ!」
「すまん。タクミは?」
「もう準備が終わって、待っているぞ」
「わかった。急ぐ」

「大ちゃん私は着替えてから行くね。ねぇユウキは?」
「ユウキも、タクミの後ろに乗ってきて、着替えてから行くと言っていたぞ」
「わかった。ありがとう」

 門番が答えてくれた。たしか、生徒会の役員だったはずだ。

 CB400の独特のエンジン音を聞けば、タクミなら俺が学校に到着した事くらいは解るだろう。
 学校も普段の喧騒が嘘のように静かだ。

「タクミ!悪い。遅れた」
「いや、大丈夫だ。それよりも、大輔。CB400だけど、回転数を落としたのか?」
「ん?いつもと同じだぞ?」
「そうか・・・。あぁ隣の姫を乗せていたのか?」
「あぁだから、何度もいうけど、由紀子は彼女じゃねぇ!」
「お前は、そういうけど、周りはそうは考えていないぞ?」
「え?」
「なんだ、知らないのか?」
「何がだよ?」
「工業の二大美女の話だよ」
「知らない?なんだよそれ?由紀子が美人?そんな事があると・・・・え?まじ?」

 タクミが、この手の冗談を言わないのは知っている。
 そもそも、二大と言っているが、由紀子が1人だとしたら、もうひとりはユウキで間違いない。
 そして、ユウキの彼氏は目の前で座って3台のパソコンを操っている変わり者だ。

「まぁそんな事はいい。それよりも、お前の準備はいいのか?」
「大丈夫だ」
「そうか、お前が最初だからな。最初からつまずいたら、いい笑いものだからな」
「そうおもうのなら、お前がやれよ」
「やってもいいけど、お前が操作してくれるのか?」
「わるい。無理だ」
「だろう?」

 それから、タクミと立候補者と応援演説をする奴らの所に移動する。
 平凡な俺にそんな大役を任せたのは、由紀子だ。俺が司会をする事がいつの間にか決まっていた。確かに、もうバイトもしていないし、部活もしていない。なにより、由紀子に頼まれてしまったのだ。昔から、由紀子の頼み事が断れない。昔の話を切り出して脅してくるからだ。

 つつがなく、会長選も終わった。
 無投票での決着だが、一通りの儀式は必要になる。

 クソみたいな授業を受けて、友達と言われる者たちといつものような話をして、家に帰る。

 たまにある。イベント事はクソみたいな日常に刺激を追加してくれる。

 夜。由紀子からのメッセージに返事を出して、布団に潜り込む。

 弟は、今日も遅くまで勉強するようだ。たしか、小学校の七夕で、雄輔が書いた短冊の事で、両親が呼び出されていたな。
”学力が欲しい”
 だったかな?小学生が考える事じゃないとか言われていたのを思い出す。

 妹が、彼氏ができたと喜んで見せてきた写真が、大学生のチャラ男の写真だったときには、本気で怒った。相手を呼び出したら、小学生が出てきて二度びっくりした。写真写りを研究していると言っていた。

 オヤジの仕事を手伝うと言った時には笑って必要ないとだけ言われたな。

 オフクロは、もう少し料理がうまくなって、洗濯で色物を分けてくれて、掃除機の使い方を覚えてくれたら完璧なのだけどな。オヤジの話では、お嬢様だったからしょうがないのかな?

 眠いな。
 そうだよな。由紀子が・・・。あの男からの告白を断ったのを聞いて、安心したよな?なぜだろう?
 俺の横に由紀子が居なくなると思ったら悲しくなったのだよな。俺、由紀子の事が好きなのかな?そんな事が有るのか?

 ゆっくりと目を閉じる。由紀子からのメッセージが届いた。音を変えているから解る。あの音は、由紀子が好きな曲だ。なんと言ったかな。そうだ、ヴェルレクだ。ヴェルディが作曲した曲だ。由紀子からそう教えられた。

 明日の目覚めも最悪なのだろうな。
 最悪な目覚めで、いつもの憂鬱な日々が繰り返される。

---
「教授。この被験者は、これが最良の夢で、最高の目覚めなのでしょうか?」
「この被験者のステータスは見たかね?」
「はい。34歳で自殺」
「そこじゃない」
「えぇーと。22歳の時に、夢に出てきた、由紀子という幼馴染と結婚。翌年・・・え?」
「そう、この男性は、22歳で結婚した。翌年、産まれてくるはずの子供と一緒に最愛の妻を殺された、ただ覚せい剤という薬が欲しいという理由で、家に泥棒に入った男に、妻と弟と妹夫婦と両親を殺された」
「教授。でも、わかりません、なぜこれが”最高の目覚め”なのですか?」
「それは、君たちが考えなさい。今日のレポートにします。来週までにまとめて来なさい」
『えぇぇぇーーー』

 教授と呼ばれた男性は、踵を返して部屋を出ていった。
 残された生徒は、友達と今見た夢の話をして、考察を行っている。

 大輔が自殺してから、約250年。
 脳の一部から記憶を読み取る技術が確立した未来。

 大輔は、最低だと思って居た日常が、最高の日々で毎日母親や妹や幼馴染に起こされるのが最高の目覚めだと未来になって知らされる事になる。

fin

 高校生の男子が1人で住むには、少しだけ不釣り合いなマンションだが、大城(おおしろ)和義(かずよし)は一人暮らしをしている。
 よくある理由で、不幸が重なったからだけだ。

 高校2年になっているが、部活もバイトもしていない和義は、学校からまっすぐに部屋に帰ってくる。
 マンションはオートロック機能がついている上に常時人が居る状態になっている。その上、部屋のドアには監視カメラがついていて、帰ってからでも訪ねてきた人を確認できる状態になっている。

 和義が部屋のドアを開けると、白い1枚のチラシが床に落ちた。拾い上げて部屋にはいる。

(なんだろう?)

 チラシの一部はなにか書き込めるようになっているようだ。

(え?)

 チラシの印刷面には、いたずらとしか考えられない言葉が並んでいた。

--
 この地で開業して、来週で3周年。
 普段では、1人殺すのに、500万円+実費がかかる所を、このチラシの下部に名前を書いていただければ、3名まで無料で承ります。3名の殺人依頼が完遂してから24時間以内に、もう一人を決定していただければ、料金は発生いたしません。

 殺し一筋20年
 殺しの専門家、殺し屋本舗 代表:八本(やもと)聖人(まさと)

名前:      理由:
名前:      理由:
名前:      理由:

最後の1人
名前:

--

(は?)

 ふざけているとしか思えない。
 しかし和義にはこのチラシを簡単に捨てるにはもったいない気持ちになっていた。

 オートロックのマンション内に入って来た事実。
 そして、防犯カメラに何も映し出されて居ないのだ。

 ドアの近くに立たなければ、チラシを挟むことはできない。オートロックはいくらでもやり方があるが、防犯カメラに撮影されないで、チラシを挟むことは不可能だと思われる。

(いたずらにしては手が込んでいる)

 和義は、学校でいじめられていた。
 男子3名から暴力だけではなく、噂を流されるなどの行為を受けていた。

 最初は些細な意見の食い違いだった。本人たちもよく覚えていないだろう。
 それが、いじめに発展していった。

 和義は、チラシをリビングのテーブルに置いた。

(父さんと母さんが死んでから3年か・・・)

 両親は、車の事故だった。両親が運転していた所に、酔っぱらい運転の車が突っ込んだ。そのままガードレールに挟まられる形になってしまった。事故を起こした運転手は逃げ出したらしいのだが、荷物が悪かった。
 灯油を運んでいた。事故の衝撃で灯油に引火して、両親は逃げ出す事ができない状況で死んでしまった。

 保険の全額と、相手からの賠償金と和解金が払われた。
 両親には親も兄弟も居なかった事もあり、全額和義が相続する形になった。和義は、担当してくれた弁護士の勧めもあって今住んでいるマンションを購入した。
 それでも、贅沢しなければ、大学卒業するまでの資金が残される。大学を卒業した後で、有名なドイツ車のCクラスクーペをフル装備の新車を即金で買っても大丈夫なくらいには余裕がある。

 数日、和義もチラシの事を忘れて生活をしていた。
 日々続けられるいじめも淡々と受けて過ごしている。暴力は嫌だけど、相手にするのも馬鹿らしいと思ってしまっている。それが、相手を余計に苛つかせているとは考えもしていなかった。

 チラシが挟まれてから5日後。
 和義の部屋にまたチラシが挟まれた。

 その日は、学校が休みでどこに行くわけでもなく部屋に引きこもっていた。誰も部屋を訪問してきていないのは確かだ。防犯カメラにも誰も写り込んでいない。

--
 3周年記念企画

 終了間近
--

 内容がほぼ同じチラシだ。
 最初の書き出しだけが変わっている。

 翌日、3周年記念のチラシに、和義は同級生3名の名前を書く。

 その日、学校には行ったものの体調が良くなかった和義は保健室で休んでいた。いじめに有っているのは、先生たちも認識している。保健室で休むと言われると拒否できない。

 和義が保健室で休んでいるとは知らない3名がやはりサボりの意味で、保健室を使ったのは偶然だったのだろう。
 しかし、その時の会話を聞いてしまった和義の心情は偶然では済ます事ができる類の事ではなかった。

 和義が偶然聞いた3人の会話から、父親と母親が殺された事。
 3人が薬をやっているのを注意されて、両親が証拠を持った状態で警察に駆け込もうとしていた。それを知った3人は、自身の父親に泣きついた。泣きつかれた父親は、息子たちを叱るのではなく、証拠もろとも消す方法を考えて実行に移した。
 本来なら、運転手も殺す手はずだったのだが、運転手が生き残ってしまった。
 口止め料を払うと行って呼び出して、殺したようだが、そのために余計に金がかかってしまって、自分たちが自由に使える金が減ったと憤慨していた。

(父さんと母さんは殺された?)

 午後の授業には出られる気分にはならなかった。
 和義は、そのまま部屋に帰って、リビングのテーブルの上に置いてあった”3周年チラシ”に空欄に3人の同級生の名前を書き込んで、理由の欄に、”父と母を殺した”とだけ書いた。

 そのままベッドに横になり寝てしまった。
 夜中に、喉の渇きで起き出して、買ってきていたペットボトルで喉を潤した。

 リビングのテーブルの上に置いてあったチラシを探したが見当たらない。
 寝ぼけて捨ててしまったのだろう。気にしてもしょうがないと思い、和義はベッドに倒れ込むように寝てしまった。

 翌日も、気分が優れない事から、学校を休んでしまった。

 夕方まで、ベッドで横になっていた。
 3人の同級生にあった時に、どういう顔をすればいいのかまだ考えがまとまっていなかった。彼らの話しが真実だとして、証拠は何もない。問い詰めても言い逃れはいくらでもできてしまう。

 言い逃れを言ってくる彼らを和義は受け入れられる自身がなかった。
 護身用に携帯しているナイフを眺めてみても、同じ結論にしか到達しない。

(殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す)
(父さんと母さんを、そして俺を)

 和義は、ナイフを閉まって、起き上がった。
 昨日探して見つからなかったチラシがリビングのテーブルの上に戻っている。和義には、戻ってきているという印象が正しい。テーブルの上に無いのは、ベッドで横になる前にも確認している。

 チラシを手にとった。

(え?)

 チラシには、昨日3名の名前を書いた。
 理由も明確では無いが書いた。

 それ以外は何も書いていないはずなのに、チラシには、”受諾”のハンコが押されている。

 空いているスペースに一人目と二人目には今日の日付が書かれている。

 和義は、慌ててスマホを取り上げるが、3人の連絡先を知るはずもなかったが、学校の知人で唯一知っている連絡先に、メールを送った。

 聞ける事は少ない。
 ”学校でなにか変わった事が有った?”
 だけだ。

 返事は、すぐに返ってこない
 10分待っても返事が来る事がなかった。

 翌朝。
 気になってチラシを見ると、最後の1人の所に昨日の日付が書き込まれていた。
 3人に同じ日付が書かれた事になる。

 和義は、学校に行く決心をした。ナイフはベッドの上に投げておく。
 持っていくと、奴らを殺してしまうかも知れないからだ。

 インターホンが鳴った。
大城(おおしろ)和義(かずよし)さんですか?」
「はい。そうです」
「警察署の者です」
「え?」
「朝早くから申し訳ありません。同級生の○さんと○さんと○さんの事をお聞きしたく伺いました。お手間は取らせません。少しお話を伺ってよろしいですか?」

 和義が振り返って、テーブルの上を見ると、さっきまで有ったはずのチラシがなくなっていた。

「はい。学校の時間までなら大丈夫です」
「ありがとうございます」
「あっそうですね。開けますね」
「はい」

 5分ほどして、二人の警官が和義の部屋を訪ねてきた。
 ドア越しの話しもおかしいので、部屋に入ってもらった。警察は、もし学校に遅れそうなら、送っていくとまで言ってくれている。

「最初にお伺いしたいのは・・・」
「調べてきたのでしょう?俺は、奴ら3人にいじめられていました」
「それだけですか?」
「どういう事でしょうか?」
「彼らの部屋から、貴方のご両親を殺害するように依頼する書類が見つかっています」
「え!父さんと母さんは事故で・・・。殺された?本当・・・ですか?でも・・・なんで・・・?」
「それを調べています」
「そうなのですね。でも、俺は何も・・・。知りません。それよりも、奴らがなにかしたのですか?」
「彼らは・・・死にました。殺された可能性も有るために、調べています」
「え?死んだ?殺された?誰に?え?もしかして・・・」
「えぇ貴方を疑っていましたが、死亡時刻に貴方がこの部屋に居たのはほぼ確実です」
「え?そんな・・・でも、何時なのですか?」
「一応聞きますが、貴方は昨日どこにいらっしゃいましたか?」
「昨日ですか、体調が悪くて寝ていました。でも、誰もそれを証明してくれる人はいないと思います」
「そうですね。でも、このマンションは防犯カメラが沢山あります。死亡時刻の前後に貴方が防犯カメラに映っていないのは確実です。ですので、貴方のアリバイは成立していると考えています」
「・・。それで、奴らはどうやって・・・」
「焼死です」
「え?」
「手足を縛られた状態で、煙が出ない状態で火炙りにされていました」
「・・・。それで、俺を疑ったのですね」
「そうです」

 警察は、指紋とDNAの提出を求めてきた。
 すべての要求を受けた。警察が部屋から出ていってから、和義はテーブルを見た。

 やはり
”3周年チラシ”は戻ってきていた。
 最後の1人に、自分の名前を書いて、空白に苦しまないように殺して欲しいとだけ書き込んだ。

 和義は、学校に行って、戻ってこなかった。

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「聖人。本当に、ここ貰っていいの?」
「正当な報酬です」
「遠慮しないからね」
「はい。それでは、これで契約は完了で問題ないですよね?」
「うん。本当に、3周年チラシにかかれていた通りだね」
「えぇ嘘は書きません」
「うん。それじゃね。聖人」
「はい。今日から、貴方が和義さんですね。また何かご入用のときにはお声がけください」

fin