ジェンダーレス男子と不器用ちゃん

「あー、真希ちゃん、いたいた」
「かのん君、こちら同僚の桜井さん」
「へー、写真よりかわいいねー。よろしくー」
「かっ、かのん君……顔ちっちゃ……」

 桜井さんの先程の勢いはどこへやら。小さく震える声で呟くと、かのん君の差し出した手をおずおずと握った。

「私達は生追加かな? かのん君はどうする?」
「うーんビール苦手なんだよね、苦いから……。これにする、カシスオレンジ」
「はーい」

 私が呼び出しボタンに手を伸ばそうとすると、桜井さんが小声で「かわいいかよ……カシオレ……かわいいかよ……」と呟いていた。桜井さんのSAN値が削れていっている!
 それから追加のおつまみも頼んで、三人の飲み会が始まった。

「あの、なんで長田とかのん君に接点が……?」

 桜井さんは意を決したようにかのん君に問いかけた。それは私自身も聞きたかった事だ。気が付いたら……朝だったし、酔っていたのは聞いていたけど具体的に自分がなにをやらかしたのか聞くのが怖いのもあって聞いてないのだ。

「ああ、拾ったの」
「ふえっ!?」
「かのん君! もうちょっと言い方ってものが!」

 桜井さんは呆然とし、私は恥ずかしさから裏返った声がでた。

「えーと、酔っ払った真希ちゃんが駅の前に座り込んでて、俺が水をあげたの」
「ほうほう」
「そしたらね、涙でぐっちゃぐちゃに泣いていて」
「ほうほう、でしょうな」
「桜井さん、近い近い」

 前のめりになる桜井さん。空のジョッキがガチンとテーブルに転がった。

「それで、いきなり真希ちゃんが俺を拝み出して」
「えっ、嘘!」
「ホントだよー。キレイ、かわいいって連呼して、お願いだから結婚してって言ったの。だから俺もいいよーって」
「長田ぁ!! 何やってんだてめぇ!」

 桜井さんが鬼の形相で振り返った。あばばば。

「お、覚えてないんですぅ……」
「それで、おうち帰れないっていうから俺のうちで寝かしつけたんだ。あ、手は出してないよ?」

 もう、私には桜井さんの方を向く勇気はなかった。顔が炎のように熱い。

「かわいいとか正直、俺言われ慣れてるけど、真希ちゃんが本当に宝物見つけたみたいに言ってくれたからうれしくて、つい」

 ……そんな事があったんだ。かのん君は本当に嬉しそうににっこり笑っている。

「ごめん、かのん君……私酔っ払ってて……その……」
「覚えてないんでしょー? もう、いやんなっちゃう」
「申し訳ない……」

 向日葵の種を詰めたハムスターみたいにふくれたかのん君。ああ、本当にかわいい。

「でも、多分本音だと思います、はい」
「だよね―? 真希ちゃん好きぴっ」

 かのん君ががばっと私の腕にすがりつく。あっちょっと、桜井さんもいるんだけど。

「ごほんごほん」
「あっ、ほらとん平焼き美味しいよ。かのん君も食べなよ」
「じゃあ、真希ちゃんがあーんして?」
「ごほんごほん!」

 桜井さんの咳払いが激しくなっていく。とん平焼きくらいは一人で食べてくださいかのん君。私はこれ以上、かのん君がひっつかないように職場のそんなに楽しくもない話でその場を濁した。それぞれ、三、四杯のお酒を飲み干した頃十時を回ったのでお開き、という事になった。

「はぁーっ、見せつけられたわー」
「すいません、桜井さん」
「ごめんねー、俺いっつもこんなんで」

 桜井さんはでっかいため息をつきながらも、ニコッっと笑った。

「でも良かったわ、長田がハッピーそうで」
「ははは……」
「よーし、私も彼氏作るぞー! かのん君いい人紹介してよ!」
「え? 俺の知り合いでいいのー?」

 気合い十分の桜井さんはかのん君に食らいついた。

「うんうん。きっとWデートとかも楽しいと思うなぁ?」
「Wデート……」

 ああっ、桜井さんが悪魔の囁きを! 

「かのん君、普通のデートもそんなにしてないのに」
「あっ、そっか。じゃあ桜井さん……誰か良さそうな人がいたら教えるよ」

 勝手にWデートの妄想をしはじめたかのん君を引き戻して、お会計を済まして店を出た。JRの駅の改札をくぐってそれぞれの家路へと向かう。とはいえ私とかのん君は近所なので同じ電車。
 火曜の夜だというのにまだ人の多い中央線でもまれていると、スマホにメッセージの着信があった。

「あ、桜井さんだ」
「なんて?」
「……今日は楽しかったって」
「そっかー、よかった」

 本当はそこには『長田 おぼえていろよ』と書いてあったんだけど。とほほ。
 今日は待ちに待った週末。かのん君とようやくゆっくりと過ごす事が出来る。待ち合わせはやっぱり駅前。また着るのはどうかと迷ったけれど、かのん君に買って貰ったワンピ―スを身につける。

「うわーそれ着てくれたんだ」
「うん、今一番気に入ってる服だし……」
「ありがと、真希ちゃん」
「えへ、今日はどうするの。かのん君」
「あー……あのね、本当はまったりおうちデートがしたかったんだけど……」

 はじめて見る、かのん君の申し訳なさそうな顔。一体どうしたんだろう。

「ちょっと、軽く仕事入っちゃって……」
「え、じゃあ早く行きなよ」
「うん、これから行くよ。さ、行こう」

 そう言ってかのん君は私の手を引いた。え? 仕事って言わなかった?

「私も行くの?」
「うん、急な依頼だったから彼女も連れてくよって言っちゃった」
「そんな強引な……ってどこに行くのよ」

 かのん君はいたずらっぽい顔をして、掌を顔の前で交差してひらひらとさせる。

「なんとー、これからネイルサロンに行きますー」
「えっ、私行った事ない……」
「じゃないかなーって思った。真希ちゃんの施術も頼んどいたから」
「えー、でも会社が……」
「飲食って訳じゃないんでしょ? 地味なオフィス向けのデザインにして貰えば大丈夫だよ」

 そう言われると、会社でネイルをしている人なんていくらもいる。ええい、これも経験かな?

「わかった。私なんにも分からないから、かのん君またアドバイスしてくれる?」
「もちろん。よろこんで」

 私達は表参道にあるというそのネイルサロンに向かうため電車に乗る。今日のかのん君のコーディネートは薄紫の大きめロゴの入ったトレーナーに黒のスキニーパンツに厚底スニーカーを履いている。髪の色と相まって妖精さんみたいだ。

「さ、ここだよー」
「どうみてもただのマンションのおうちじゃない?」
「個人サロンだもん」

 かのん君はオートロックマンションのインターホンを押した。

「はーい」
「かのんですー。ついたよー」
「はい開けますー」

 その声とともに自動ドアが開く。エレベーターを上がると、ドアを開いて女性がこちらを見つめていた。

「どうもー、ごめんね。無理言っちゃって」
「ほんとだよ、デートだったんだから」
「彼女さんの分もサービスしますから! あ、私田村っていいます。このネイルサロンのオーナーです」

 深々と頭をさげた田村さん。サラサラのボブカットが大人っぽい美人だ。

「うちは男性用ネイルも出来るのを売りにしてるんです。けどモデルの子が、急に体調崩しちゃって」

 そう言いながら田村さんは部屋の中に招き入れてくれる。貝殻の形のソファーの横には机と様々なネイル器具を収めてあると思われる棚が置かれている。

「先にかのん君の分、やっちゃうから。これ飲んで、カタログ見ながら待っていて貰えるかしら」
「はい、ありがとうございます」

 田村さんが出してくれたのはハーブティー。ほーっと落ち着く香りがする。それを頂きながらずっしり重いネイルのチップの束を覗き混む。うわあ……色々あるなぁ。どうしよう。

「じゃあ、かのん君。まずはネイルオフからね」
「はーい。今回はどうするの?」
「テーマは宇宙!」
「何それ―」

 キーンとなにやら小さいドリル……電動のやすりかな、あれは。それでかのん君の爪が削られていく。

「この間の『MIRAN』見たよー。決まってたねー」
「うん、次に狙うは表紙だねー」
「かのん君ならすぐだよ」

 田村さんとかのん君の世間話をBGMに私はネイルデザインの海にまた目を落とす。どれにしよう。これはカワイイけど大きなパーツがどっかに引っ掛かりそうで怖い。こっちは素敵だけどちょっと派手すぎる。あの怖い主任に目を付けられそうだ。……はぁ、なんだかクラクラしてした。


「真希ちゃん! まーきーちゃん!」
「ふぁっ!」
「ふふっ、振り向いたら寝ちゃってるんだもん」
「うわ、かのん君ネイルは?」
「もう終わった。ほら」

 かのん君の爪は深い藍色に染められ、金色の線の左右に貝殻の真珠層のようなパーツが配置されていた。

「わー、ちょっと夏っぽい?」
「うん、6月のカタログ見本だからね。真希ちゃんは、デザイン決まった?」
「それが全然……普通にピンク一色にしてもらおうかと……。あ」
「どうしたの?」
「そのかのん君のしているパーツ……私もつけたい」

 藍色のネイルには出来ないけど、ちょっとだけよくみないと分からないけど……かのん君とおそろい。

「田村さん、ピンク基調にシェルのパーツ付けたいって」
「OK、まかせて」

 田村さんの柔らかい手が私の手を取る。甘皮を処理して薄いピンクを塗る。そして貝殻のパーツが乗せられる。掌に咲いた、サクラ貝の魔法。

「さ、出来上がり」
「うわぁ……」

 かのん君が出来上がった私のネイルに重ねるようにして指を出す。

「おそろい、ね」
「うん」

 この爪を見る度に、私はかのん君と一緒にいるような気分になれるかしら。
「うふ……」

思わず笑みがこぼれる。パソコンで文字を入力するたびにうっすらと爪先のパーツが光る。ネイルがこんなにテンションの上がる物とは思わなかった。テンションが上がっているのはかのん君のせいってのも大きいだろうけど。

「長田、顔がやばいよ」

突然、社内メッセージのポップアップが上がる。桜井さんからだ。向かいの桜井さんを見ると、彼女は小さく頷いて席を立った。私も少しだけタイミングをずらして席を立つ。桜井さんは休憩室でコーヒーを淹れていた。

「はい、ブラック」
「ありがと桜井さん」
「で、今日のにやにやはなんな訳」
「えっと……これ」

 私は爪を桜井さんに差し出した。

「お、長田が珍しい。ネイルかわいいじゃん」
「週末にかのん君と一緒にやってもらったの」
「さすが、ジェンダーレス男子。ネイルもバッチリなのね。どれ、SNSに上げてるかな。ほうほう。表参道のサロンとな」

 桜井さんはかのん君のアカウントを表示するとチェックしはじめた。そういえば、私かのん君のSNSチェックをした事ないや。チェックするまでもなく鬼メッセくるしね。大量にハッシュタグの付いたその画像を見ていると私の知っているかのん君とは別な人に思えてくる。

「いろんな人がかのん君を知ってるんだよね……」
「そらそうよ。あんた、油断してるとガチ恋勢に殺されるわよ」
「ガチ恋……?」

 桜井さんは、本当に何も知らないのねーと呆れながら私に説明してくれた。
「本当にかのん君に恋心抱いちゃってる人たちのこと」
「え、だって会った事もないのに?」
「でもSNSの情報や雑誌でかのん君の内面も知ってる訳じゃない。私が会った感じだとかのん君は猫かぶってる感じでもなかったしさ。それよりも何にも知らないで付き合うことになったあんたの方が異常っちゃ異常よ」

 そうか……。かのん君の仕事の事も考えなきゃなのかな。おうちでデートとかがやっぱ無難なのかも知れない。

「私がガチ勢じゃなくてよかったねー」
「そっか……気を付ける」

 そして仕事を終えた帰り道。急にかのん君に会いたくなった。スマホのスタートボタンを押すとすぐにかのん君にメッセージを送る。

『あいたい』

 それだけ入力して駅前のコーヒー店に入る。仕事終わりのコーヒーは私の癖みたいなものだ。仕事とプライベートを分ける為の。
 かのん君に会った時もべろべろに酔っ払いながら、きっとこのコーヒー店に入ったんだろうな。
 口をつけるとコーヒーの香りと温かさが伝わってくる。張り詰めていた脳のどこかがこれでほぐれていく。

『真希ちゃん、今どこ?』

 かのん君から返信が来た。私はちょっと迷ってこう返信した。

『駅前のコーヒー屋さん。かのん君の家に行ってもいい?』

 すぐにピコン、とスマホが反応する。そこにはすごい勢いでうなずくウサギが『OK!』と主張していた。私はまだ少しコーヒーを残したまま店を出た。

「どうしたのー? 真希ちゃんから会いたいなんて俺うれしいんですけど」
「うーん、なんと申したものやら」

 なんとも歯切れの悪い返答をしながら、かのん君の部屋に入る。

「ここ、座って。夕飯は?」
「まだ食べてない」
「そっか、カレーあるけど食べる?」
「うん!!」

 かのん君が出してくれたカレーは雑穀米のキーマカレーだった。すごい。普通のおうちカレーだと思った。

「おいしい……こんなの家で出来るんだ」
「えー? 簡単だよこんなの」

 いちいちオシャレなんだよね。そっかこれがネットの向こうから見えているかのん君か。

「今度のデートどうしようか? 水族館とかどう? 日曜は休みなんだけど」
「あっ、それなんだけど……おうちでとかどうかな?」
「えー、そんなー。まだまだ色んな所に行きたいのに」
「その、周りの目が、ね」

 そう言った瞬間、かのん君の表情が真顔になった。はじめてだ、こんな顔のかのん君は。

「もしかして、俺と一緒に歩くの恥ずかしい?」

 とても悲しそうにかのん君は呟いた。そっか、かのん君はいつも自信満々に見えるけど人と違うことで色々言われることもきっと多いに違いない。

「違うよ、そんな事思った事ないよ。ただ……かのん君モデルでしょ? 人気商売ってやつでしょ? 私とフラフラ出歩いたりして大丈夫かなって」
「なんだー、そんなこと」

 かのん君はほっとしたように微笑むと、ソファーに放り投げてたスマホを取りにいった。

「はい、真希ちゃんチーズ!」

 私の肩を組むと、かのん君はセルフィーを撮り始めた。何度かやり直しをして、スタンプで私の顔を隠すとそれをSNSにアップした。『俺のだいすき彼女』というコメントを付けて。

「これでいいでしょ? 俺、彼女を隠してまでモデルはしたくないもん」

 そう言うかのん君は私にはいつになく男っぽく逞しく見えたのでした。
 かのん君の大胆な彼女いる宣言。さすがにその反応が気になって、私はとうとうやってなかったSNSアプリを入れた。クマのスタンプで顔を隠された私とのツーショット写真には大量のいいねとコメントがついていた。『おめでとう!』『かのん君しあわせに』という祝福の言葉もあったが、やはり『失望しました』『かのん君が誰かの物になるなんて信じられない』とかいう否定的なコメントも沢山見受けられた。

「本当にこれでよかったのかな?」

 スマホの画面を覗き混みながら、私がそう言うと。かのん君はなんでも無いように笑って言った。

「こういうのはこそこそしている方が反感買うもんだよ。真希ちゃんがお堅い会社員じゃなかったら顔出ししたい位だけど」
「えー……お堅くなくてもそれは無理だよぉ……」

 スタンプ越しの私の顔でも、かのん君より大きいのが分かる。自分の顔がそんなに大きいとは思ってこなかったけど、かのん君が小さすぎるんだよなぁ……。

「で、今度の日曜日は水族館……でいいかな?」
「うん、いいよ」
「じゃあ決まり!」

 次のデートは水族館か。確か都内にいくつかあった気がする。元彼は出不精で、あんまりそういう所に行った事ないんだけど。あの誕生日の食事会も本当に久々の外デートだったのに……あ、今更だけど怒りが湧いてきた。

「……で、今日は泊ってくの?」
「え? いや仕事あるし……」

 頭の中の水族館の数をピックアップしていると、ふいにかのん君が少し掠れた声で聞いてきた。こ、これは……この雰囲気は……。かのん君の手が私の腰に回される。

「かのん君っ、私まだ、その!」

 まずいまずい。私の心の準備がまだ出来ていない。私はのしかかってくるかのん君をやんわりと押し戻した。ほのかに香るバニラの匂いに私の理性もグラグラと揺れる。この香り、いつもかのん君からするけど一体なんの匂いなんだろう。

「俺のこと、嫌?」
「ううん、違うんだけど……いきなりってのは……」

 ごめんなさい、かのん君。ぶっちゃけ正直な事をいうと、女にも色々こういう事には準備ってものがいるの。気持ち以外にもね。

「そおっかぁ……。うん、分かった」

 パッとかのん君の手が私から離れる。現金な事にそれを少し残念に思いながら、かのん君も男の子よねぇ……と思った。それでも最初に出会った時も変な事しなかったし、彼は紳士だ。

「でも、ちょっとだけ味見しよっかな」
「ちょっと……かのん君」

 前言撤回。かのん君からたっぷりとキスの雨を降らされてからようやく私は自宅に帰る事ができた。



 そして来たる日曜日。おなじみの駅前集合をして電車に乗り、水族館へと向かう。

「真希ちゃんの調べてきた水族館、HP見たけど凄いね」
「うん、イルカショーが見たくて」
「メリーゴーランドもあるって書いてあったよ?」
「え、ほんと?」

 メリーゴーランドとかのん君。やだ、超似合う。写真に撮りたい。……なんだか私もかのん君に似てきたかな。休日の駅はそこそこの人混みだ。

「とりあえずなんか食べようか。えーと、あー館内にレストランないのか」
「あらっ、そうなんだ。しまったなー」

 自宅でも外でもかのん君は食事に気を遣ってるのがよく分かる。その辺のファーストフードですまそうって提案はしにくい。

「そうだ、そこのホテル行こう」
「ホテルッ!?」

 私は先日の事を思い出して裏返った声を出してしまった。そんな私をかのん君がじとーっと見る。そして、少し意地悪い声でこう言った。

「真希ちゃん、今ちょっとやーらしい事考えたでしょうー」
「んっな……」
「そこのホテルでスイーツビュッフェやってるんだってさ」
「そ、そっかー! じゃあそれに行こう」

 はー、もうやだ恥ずかしい……。慌てている自分を誤魔化す為、私はかのん君となりゆきでホテルのスイーツビュッフェへと向かったのだった。
「わぁお!」

 思わず感嘆の声が出る。色とりどりの宝石の様なケーキ達が私達を迎えてくれている。お値段三千八百円にはびっくりだけど。うん、いっぱい食べちゃお。元を取らないとね。

「よーし、さっそく取ってこよう」
「うん」

 私はイチゴのケーキめがけてウキウキとビュッフェのテーブルに向かった。あ、あの生クリームいっぱいのムースケーキがおいしそう。あ、でもあっちのロールケーキもふわふわスフレだって。気になる!

「うーん、どれも美味しそう……ってあれ?」

 気が付くと近くにいたかのん君が居ない。辺りを見渡すと、かのん君はお皿にサラダを盛っていた。

「このサラダ、梅の香りだってー。おいしそうだね」
「あ、うん。そうだね」

 私はイチゴケーキに向かっていた足をくるりと回してサラダへと向かった。僅かなりとも私にも女の子の矜持があるのだ。


「ほら、かのん君。サーモンのマリネもあるよ! タンパク質!」
「ほんとだー」

 待っていろ、ケーキめ。こいつを平らげたら端から戴いてやるからな。私もサラダとマリネを皿に盛るとすました顔をして席に着いた。

「うん、美味しい」

 かのん君はサラダを食べて満足そうにしている。ごめん、私はこれは前哨戦に過ぎない。

「じゃ、私あっち行ってくる」

 お待ちかねのケーキをお皿に乗るだけ乗せて私が席に戻ると、かのん君が恨めしそうな顔をしていた。ごめんね……でもスイーツビュッフェに来てケーキ食べない選択とか、あり得ないでしょう。

「すごいケーキ……」
「だってスイーツビュッフェだよ? ケーキ食べないと」
「だって太るもん……」

 悪いけど、実は私食べてもたいして太らない体質なんだよね。会社の同僚の桜井さんには凄いうらやましがられる。

「これから水族館で一杯歩くから大丈夫だよ」
「うーん、そうだけどー」
「じゃあ、これ一口ずつ食べていいから」

 太りたくない、色々食べたい。そんなかのん君の為に私はそう提案した。途端にぱっとかのん君の顔が輝いた。

「真希ちゃんはほんと天使だぁ……」
「大げさだよ……」

 私もその分、まだコンプリートしてない残りのケーキに手を出せるし。ウインウインだよ。

「あ、これ甘酸っぱくて好きかも」
「そう、こっちのピスタチオのもクリーミーで美味しいよ」

 私達はそれぞれお皿の上のケーキの感想を言い合う。こうしてるとまるで女の子と一緒にいるような気がする。けど、この間みたいな男の面もあるわけで。

「……真希ちゃん? どうしたの?」
「いや、その……かのん君といると、なんていうか。うーん」
「なになに」
「お得? みたいな気持ちになる」
「お得?」

 かのん君が首を傾げる。うん、私もうまい言い回しがどうも見つからない。でも、なにか正直に伝えなくちゃって気持ちが沸き上がって。たどたどしくも見つからないなりに自分の言葉を探し出す。

「こういうところにも喜んで来られるし、私の知らないところに連れて行ってくれるし、それに……」
「それに?」
「……あと、かっこいいところもある」

 そういうと、かのん君は不敵に笑って私の頬をつまんだ。

「ちょっ……」

 いくらなんでもホテルのレストランなんですけど。そう思って身体を引こうをすると、そのままクイと指が動いて離れた。

「クリーム、ついてる」

 そういって、真っ赤になっている私を見て……かのん君はおかしそうにくっくっと笑った。

「そうやってまたからかう」
「ごめん、真希ちゃんがカワイイから。さ、そろそろ行こう。水族館がメインでしょ?」

 そうでした。まだご飯を食べただけ。ロマンチック(仮)水族館デートはこれからだ。ああ、でも保つかしら私の心臓。そうして、私達はようやく水族館のゲートへと向かうのだった。
「うわーっ、お魚がきらきらしてる」
「キレイだね、かのん君」

 エントランスから、水槽に映像と光で魚達が美しく演出されている。最近の水族館ってすごいんだなぁ……。私もかのん君も思わずぽかんと口を開けて入り口を見つめたまま動けなくなっていた。

「なんか、すごそうな所だねかのん君」
「うん、まだ時間もたっぷりあるしゆっくり回ろうね」

 そこから進んだ先には液晶パネル付きの水槽があった。つつつ……と指を這わせると、幻のようにデジタルの魚が動き出す。
 次のゾーンは色とりどりにオシャレに配置された水槽がいくつも。

「わぁ……」

 かのん君はスマホを片手に写真を撮っている。魚を見ないの? って私は思ったけど、もうこれは癖みたいなもんなんだろうな。とても楽しそうではある。次は、ほうほう。かのん君が言っていたメリーゴーランドのゾーンか。

「うわうわっ、かわいい!」

 メルヘンだー! 青い光に包まれたイルカやタツノオトシゴに乗って子供達が楽しそうにくるくると回っている。

「真希ちゃん、乗ろうよ」
「私はいいやー、見てるだけで十分」
「えー?」

 かのん君はせっかく来たのに、と不満そうだ。

「かのん君は乗って来なよ。そんで私が写真撮ったげる」
「えっ!?」
「二人一緒に乗ったら写真とれないじゃん、ね?」
「そ、そう?」

 隠しきれない嬉しさが顔に出てますよ、かのん君。さて、私はカメラマンに徹するにあたって最高の一枚を撮らなくちゃ。かのん君は受付でお金を払うと、イルカを選んで跨がった。ははは、笑えるくらい似合ってる。

「かのんくーん! こっち向いてー」

 私はまるで保護者のようにスマホでバシャバシャとくるくる回転していくかのん君を追いかけながら撮影した。数打てば、納得の一枚もきっと撮れるはず!

「どうだったー」
「かのん君かわいかったよ。写真もほらこんなに撮っちゃった」
「多すぎだよ、真希ちゃん……これとかぶれてるし」

 くすくすと笑いながら写真をチェックしているかのん君。なんか、かわいいとかかっこいいとか私、いつの間にか平気で口に出すようになってる。堂々と、『俺はキレイ』を貫いているかのん君相手だからなのかもしれないけど。

「あ……」
「どうしたの、真希ちゃん」
「私、あれ乗りたい」

 私が指し示したのは大きな海賊船の形のアトラクションだ。左右に揺れてお客さんの悲鳴が上がっている。

「え……あ……」
「どうしたの、かのん君」
「いや、真希ちゃん。俺、これはいいかな」
「なんでー? 一緒に乗ろうよ」

 かのん君はちょっと怖いようだ。ふふふっ、逃がさないよー。私は絶叫系大好きだもん。ここのはちょっと物足りなさそうだけど。

「あああああ!」
「ひゃっふーっ! 気持ち良い!」

 結局押し切られたかのん君は目をむいて悲鳴を上げ、私は浮遊感と前髪を巻き上げる風に歓声をあげた。

「はぁ……ひどいよ真希ちゃん」
「そんなダメだった? ごめんね?」

 降りた後のかのん君はグッタリとしていた。ちょっと調子に乗りすぎたかな?

「あそこに売店みたいなのあるかなちょっとなにか飲み物でも飲もうか」
「うん、そうする……」

 私達はそこでかのん君はコーラ、私はアイスコーヒーを頼んだ。

「ふう、まだまだ一杯展示があるんだね」

 興奮した後の冷たいコーヒーは美味しい。ここではじめて館内パンフレットを開いて、MAPを見ると他にも沢山の展示がある事に気づいた。うーん、序盤から飛ばし過ぎたかな?

「四時のイルカショーは見たいね」
「本当だ、これは見なきゃ」

 ここのドリンクはボトルに入っていて、そのまま飲みながら移動していいそうなので私達は次の展示に向かって歩を進めた。次の展示はクラゲのコーナー。

「わあぁ……」
「宝石みたい」

 円柱形の水槽でゆらゆらとゆれるクラゲ達。ここも幻想的な照明が効果的に使われていて、まるで夢の中にいるようだ。

「ちょっと欲しくなっちゃった」
「クラゲ?」
「うん。おうちで飼いたい。でもクラゲって何食べるんだろ」
「なんだろうねぇ……」

 そんな事を言いながら私達は二階の展示エリアへと向かったのだった。
 二階のフロアに上がると、沢山の水槽が私達を出迎えた。ほう、やっといかにも水族館って感じ。

「ほらクマノミがいるよ」
「本当だ。私、沖縄で見た事あるよ。ダイビングで」
「ダイビング? 真希ちゃんダイビングもするんだ」
「そう。これでも一応ライセンス持ってるの。忙しくてなかなか潜りには行けないけど。海が真っ青でサンゴもいっぱいで楽しかったよ」

 ちょこちょことイソギンチャクの間から顔を出すクマノミ。いつか、かのん君とあの海を一緒に見てみたいな。

「真希ちゃん、登山もするって言ってたよね、結構アクティブなんだぁ」
「かのん君だって」
「俺は……なんていうか都会限定。インドア派だもん」
「じゃあどっか山か海か行かない?」
「ええ?」

 ふふ、ちょっと困った顔をしている。かのん君が私に見た事ない景色を見せてくれたように、私も私が知っている素敵なものを見せてあげたい。

「それにね、登山ウェアとか今すごいカラフルでカワイイんだよ」
「へー」
「機能的で動きやすいし速乾性とかもあるから、私部屋着にしたりしてるの」

 私の休日で外出の予定の無い日はもっぱら山ファッションだ。楽だし、近所ならそのまま出かけられるし。

「そっかー。今度見てみようかな」
「うん、ウェア見るだけでも楽しいから。一緒に行こう」

 うんうん。そしたらきっと山にも登って見たくなるから。かのん君は私の裏の計画など知らずにうんうんと頷いている。
 それから愛嬌のあるチンアナゴを眺めたりとのんびりそのエリアを抜けた。
 そして広がる明るい陽光。トンネルの水槽だ。まるで海の中にいるみたい。
 色々な魚やエイやサメが悠々と泳いでいる。

「ふふ、真希ちゃん首が取れちゃいそう」
「あー、全然前見てなかった」
「危ないよ、ほら」

 そう言ってかのん君が私に手を伸ばす。私は自然とその手を握る。二人、手を繋ぎながら光る水のトンネルを抜けていく。

「素敵……」
「うん」

 水族館は動物園と違ってちょっと薄暗い。その薄暗さが私をいつもより大胆にさせている気がした。そのまま展示を眺めていると明るいエリアに突入した。

「んふーっ、カピパラだ」
「眠そうなかおしてるね、かのん君」

 いきなり雰囲気は変わってジャングルのような雰囲気。グリーンイグアナもいた。

「ほら、かのん君と同じ緑色」
「えー? ちょっと、俺の真似しないでよね」

 イグアナ相手におどけてみせるかのん君。そしてその先にいたのは……アザラシに! オットセイ! そしてペンギン! 海のカワイイ生き物勢揃いだ。

「このアザラシは真希ちゃんに似てるね」
「えっ、どこが?」
「黒目がとってもキレイ」
「やーだー」

 こんな時も私を褒めることを忘れないマメなかのん君。彼氏の鏡です、私は幸せです。そんな気持ちを噛みしめながら、今度は屋外に出た。

「真希ちゃん! あれ見て」
「わ、アシカが芸してる」

 外ではアシカのミニショーが行われていた。わっかをくぐったりボールを運んだり、器用なものだ。

「いい時に来たね?」
「本当ね」

 パンフレットに夜とイルカショーは四時からのようなので、それに合わせて動いていたのだけど、たまたまショーにかち合ったようだ。

「それじゃあ、次は真希ちゃんが楽しみにしていたイルカショーか」
「うん、前の方で見たいなー」
「じゃあちょっと早いけどもうそっちに行こう」

 私達はイルカショーが行われるスタジアムに向かって少し急ぎ足で向かった。
「わぁー!」

 私と、かのん君がイルカショーが開催されるというスタジアムに足を踏み入れると、その名にふさわしい360度から見渡せる円形のプールが私達を出迎えた。

「前は結構濡れるみたいだよ。これを着て、真希ちゃん」
「うん。楽しみ!」

 かのん君が係員から受け取った水濡れ防止のポンチョのような物を渡される。私達はウキウキと最前列に陣取る。
 光の演出に合わせて高くジャンプするイルカ達。飼育員さんとの息のあったダンスも素晴らしい。

「ここで、今日皆様にお知らせしたいことがございます」

 そんなショーに感動していると、司会の女性が突然言いだした。なんだろう……。そう思っていると、客席にスポットライトが当たった。一組の男女が階段を降りてくる。

「今日、このお二人がご結婚され幸せの一歩を踏み出しました。どうか皆様祝福の拍手を!」

 会場中に拍手の渦が湧き上がる。ウェディングドレス姿の新婦とスーツの新郎がはにかみながらその祝福を受け取っていた。
 そして、新郎新婦が合図を送ると、イルカ達がジャンプをした。

「お二人のはじめての共同作業です!」

 再び会場から拍手が湧き上がる。光がキラキラと輝き、サプライズなウェディングイベントは終了した。

「あーびっくりしたー」
「すごかったね、かのん君」
「でもいいなー、知らない人にも祝って貰えて」
「うん、そうだね」
「俺達も……ああいうのしようか」

 ああ、また。かのん君の甘い囁き。あまのじゃくな私はついその言葉に素直になれずにつれない態度をとってしまう。

「まだ、そんなの早いよー」
「いいじゃん、色々妄想するのも楽しいじゃん」

 かのん君がきゅっと私の手を握りながら、顔を覗いてくる。カラーコンタクトの金の瞳はいつも少しだけ本音が伺いにくい。

「……に、しても……」
「結構、濡れたね」

 調子にのって最前線にいた私達は服こそ濡れなかったが顔に水をバシャバシャ浴びた。お化粧がやばい。かのん君のメイクもちょっと滲んでしまっている。

「ちょっと化粧直ししてくる」
「俺も」

 かのん君なら化粧直しタイムにお待たせする事もないのだ。と、言う訳でトイレで軽く化粧を直した。

「おまたせ、かのん君……かのん君?」

 トイレから出るとかのん君の姿が見えない。それから五分後くらいにかのん君は現れた。まさかの私の方が待たされるとは。

「ごめんー! 待った?」

 出てきたかのん君のリップはツヤツヤ。サクランボみたいな赤リップが似合うのは世界でかのん君だけかもしれない。

「ううん、さっき出てきたところ」
「じゃあ、あっちの売店行かない?」
「そうだね、会社にお土産買おう」

 水族館の売店で私はクッキーのセットを買った。みんなのおやつにして貰おう。

「これかわいい。桜井さんへのおみやげにしようかな」

 チンアナゴのストラップも追加で購入する。

「俺、これ買っちゃおうかなっ」

 かのん君はクラゲのぬいぐるみを抱きしめている。気に入ってたもんね。ああ可愛すぎる。

「イルカはいいの?」
「あーそれもあるかー。そうだ、真希ちゃんおそろいで買おう?」
「え……う、うん」

 ちょっとだけ躊躇ったのは、自分のお部屋におそろいのぬいぐるみがあったらいつもかのん君の事を思い出してしまいそうだったから。


「それでこれがあたしへのお土産だって?」
「うん、可愛かったよチンアナゴ」
「ふーん、まぁありがたく貰っとくわ。なんか御利益ありそうだし」

 会社で休み時間に桜井さんにお土産を渡すと、彼女はそんな事を言いながらも家の鍵にさっそくつけてくれた。

『お土産よろこんで貰えた!』

 終業後の帰り道、かのん君にそうメッセージを送る。かのん君の返信が来ないかな、と電車に揺られながら画面を眺めていると通知が来た。

『お前、いつまで連絡寄越さないつもりだよ』

 しかし、それは私の望んだものではなかった。トーク画面の表示は『藤田 春雄』。
二週間前に別れたはずの元彼ハルオからのメッセージだった。

「次は高円寺―。高円寺―」

 電車のアナウンスでハッと私は顔をあげた。もやもやとした気持ちを抱えながら電車を降りる。

「今更……どういうつもり?」

 楽しかったデートの余韻がかき消されて行くのを感じる。既読の印は付いてしまった。無視するべきか……それとも。私は電車のホームでしばらく考え込んでしまったのだった。
『お前、いつまで連絡寄越さないつもりだよ』

 元彼ハルオが送ってきた文面を、意味も無く何度も読み返す。いつまでって永遠にだよ。そう心では思う。それをそのまま送ってしまおうか。それとも文句のひとつも言ってやろうか。

「ま、既読無視が一番か」

 下手に連絡とるのも、かのん君に対して不誠実かもしれない。うん、きっとそうだ。私はハルオへの返信をやめることにした。このままブロックしてしまおう。そうすれば二度と連絡を寄越す事もないだろう。私はハルオの連絡先をブロックの操作をした。はぁ、せいせいした。
 どっと疲れて帰宅した私は、鞄を放り投げて着替えもせずにベッドに転がる。頭を過ぎるのは誕生日のあの日。

「真希、お前に伝えたい事がある。ごめん、俺別に好きな娘ができたんだよね」
「は? どうしたの」
「だから会うのは今日でお仕舞いってことで」

 誕生日プレゼントに寄越されたのは別れの言葉だった。元々自分勝手なところがある人だったけれど、もしやプロポーズと構えていた自分には相当なダメージがあった。
 誕生日に予約していたイタリアンから、どうやって高円寺まで帰って来たのかも、べろべろに酔いつぶれるまでどこでどうしていたのかもショックで曖昧だ。

「あー、あー忘れよ」

 振り払うように大きな声をだすと、スマホに通知が届いた。

『よかったね!』

 かのん君からのメッセージ。さっきの喜んで貰えたっていうメッセージテンションの高いウサギのスタンプが踊っている。

『うん』

 そう返して、言葉を打つのは恥ずかしいのでハートのスタンプを送った。それでようやく安心して、私はお風呂に入って残り物で適当に夕飯を済ませ早々に眠ってしまった。

 それが、のちの騒動につながるとはつゆとも知らずに……。



「ええーっ!?」

 翌日、ハルオから連絡があった事を職場で桜井さんに伝えるとまるで毛虫を見つけたような顔をして、彼女は顔をしかめた。

「だって別れてるんでしょ?」
「うん、他に好きな人が出来たって。この間もにも言ったけどさ」
「……あんた、気を付けなよ」

 桜井さんはちょっと低い声で私に囁いた。

「そんなメッセ寄越してくるなんて、ハルオの中では別れてるって事になってないんじゃないの?」
「まさかー」
「あんまり人の言う事聞くタイプじゃないじゃない、うかつな事してないでしょうね」
「……ブロックしちゃった」

 それを聞いた桜井さんは盛大に息を吐いた。私を見る目が冷たい……。

「心配だから、あんたしばらくかのん君と一緒に家まで帰りなさいよ」
「それは大げさじゃない?」
「念の為よ」

 うーん、桜井さんが私を案じてるのは伝わってくる。まぁ元は彼氏だった訳で、私の自宅はハルオには知られてる。はーあ、かのん君に状況を説明しないとかぁ……。そっか、ブロックまでは行きすぎだったか。心配をかけてしまうなぁ。

「わかった、相談してみる」

 私はそう言うと、かのん君に電話をかけて事の次第としばらくの付き添いをお願いした。

「そういう訳で、しばらくでいいから一緒におうちに帰ってくれないかな」
「そういう事は早く言ってよね。もう」
「ごめん……」
「怒ってるわけじゃないよ、真希ちゃん。それじゃ、お互い仕事が終わったら駅前のコーヒー店で待ち合わせしよ」

 そうして通話は切れた。無機質な通話時間の表示文字が今は痛い。続いて、送信されたのはかのん君の自撮り写真だった。

『これ、お守り』

 私はその画像を即、保存した。待ち受けにしよう。
『ごめんね、かのん君』
『大丈夫、だって俺が真希ちゃんの彼氏なんだから』

 いつものウサギのスタンプとともにメッセージが届く。今度はそれに温かい気遣いを感じて、私はスマホの画面にそっと頬を寄せた。