土曜日だったが、高坂は出社して雑務をこなしていた。働き方改革という都市伝説はあいにく我が社とは違う世界線のお話らしい。
 今日は寺岡と会う約束をした日だった。寺岡はA県在住であるが、わざわざ出版社のある東京まで出てくるという。こちらの仕事の都合もあって、打ち合わせ開始は午後七時となった。
 土曜日出社は憂鬱ではあるものの、基本的に仕事は増えることなく、やればやるほど減るのがありがたかった。「土曜日出社は癖になる」という先輩の格言が心に響く。不本意にも快適に雑務をこなしていると、約束の時間を迎えた。
 受付に到着した、という寺岡からの連絡は、約束の時間ピッタリだった。

 来客者用の会議室に案内し、早速打ち合わせを開始する。

「それで…どうしましょうか?」

 寺岡自身が何かしらの考えを持って来ているに違いないので、発言を促すことに徹することにした。

「笑わないで聞いてくださいね」

 寺岡は淡々とした表情で、淡々と語り始めた。

「シンポジウムに出ようと思います。出ようとは思うんですけど…、一つ条件を出したいと思っています」
「条件と仰いますと…」
「覆面をかぶりたいんです」

 覆面作家が覆面?思わず聞き返した。

「覆面って言いました?」
「そう、覆面」
「あの…ギャングとかがかぶっている目出し帽のようなやつですか?」
「そうですね、まだ細かいところまで考えてはいませんが」

 高坂は直感的に「良くない」と思った。
 フクロウの作風であり、ウリは、作品全体に漂う温かい雰囲気にある。意外な展開を織り込んでグイグイと読み進めさせる推進力も魅力ではあるが、結局は溢れんばかりの温かみとか上品さが読者を惹きつけていることは間違いなかった。
 ネットの反応を見ていると、読者が思い描いているフクロウ像は、人格者、常識人、博愛主義あたりが主流だ。
 そんなイメージの作家が、公の場でギャングのような格好で初登場。ファン心理と衝突を起こすことが確実であり、フクロウという作家のブランディングにはマイナスしかない。

「私は断固反対します」
「いや、高坂さんの許可を求めているわけではなくてですね」
「反対です。ふざけすぎと炎上するかもしれません」

 普段は作家の意思が最優先だが、大事な看板作家の暴走を見過ごすわけにはいかない。ここは折れるわけにはいかなかった。

「顔は絶対に隠したいんです」
「でもギャング姿はフクロウのイメージとギャップがありすぎます」
「ギャングの覆面をかぶりたいとは一言も言ってません。顔が隠れれば何でもいいんです」
「じゃあ…せめてサングラスとマスクでどうですか?」

 最大限の譲歩だった。

「それはそれで非常識な感じはしますが…」
「それは、ほら、日光に弱いとか、花粉症だとか、いくらでも逃げ道はあるもの。でも覆面には必然性の説明がつきません」
「ただ、マスクとサングラスではなんとなく顔がわかってしまうじゃないですか。それすら避けたいんです」

 寺岡がここまでこだわるのだから、説得は厳しいかもしれないと思い始めた。

「わかりました。じゃあギャング覆面は止めませんか?」
「先ほども申し上げた通り、覆面の種類にこだわりはありません」
「もうちょっとかわいいのにしましょう。ほら、動物とかの」

 手元にあるスマホで画像検索を行い、寺岡にそれを見せる。

「ほら、こんな感じのやつです」
「馬のやつとかはテレビでもよく見ますね。でもふざけている感じになったりしませんかね…」

 確かに動物の覆面はバラエティ番組で用いられることも多いため、ふざけて見えてしまうリスクはあった。となると、

「フクロウでいいじゃないですか?」
「何の話をしてます?」
「覆面ですよ。フクロウの覆面」
「フクロウがフクロウの覆面?」
「ちょうどいいじゃないですか。そのまんまだから納得感も生みやすいし、ブランディング的にもまあギリギリです」
「フクロウの覆面なんて見たことないのですが、売ってますかね…?」
「なければ特注ですね」
「特注って、作ってくれるということですか?」
「いや、流石に経費で落とすのは難しいので、ご自身で調達頂くことになりますが。あるいは依頼元に頼むとかですかね?」

 市役所にそんなこと頼めないと寺岡はつぶやきながら、しばらく悩む様子であったが、腹を決めたのか、どこかすがすがしい顔に変わり始めた。

「わかりました。フクロウの覆面ということで結構なので、このラインで問題ないか、先方と調整をお願いします」
「覆面の用意はどうします?」
「それはこちらで検討しておきます」

 不安は残るが、最悪の展開を回避できたことにほっとしていた。ただ、そもそも覆面をかぶること自体、市役所側が難色を示す可能性もある。
 神崎はなんて言うだろうか。調整の腕の見せ所だった。