神崎から依頼を受けてから二日後。断りの連絡をしても良い頃合いになった。
 回答方法については、色々考えた結果、「電話」を選択した。ねつ造を交える場合、やり取りが残るメール連絡は避けるに越したことがない。

 意を決して電話を手に取った瞬間、逆にこちらの電話が着信した。
 後に悔やむこととなるが、焦りのためか、条件反射的に通話ボタンを押下した。
 
「寺岡です。お疲れ様です。今、大丈夫でしょうか?」

 よりにもよって、という相手からの電話だった。寺岡は必要最低限にしか連絡を取りたがらないタイプであり、電話での打ち合わせも高坂側からかけることしかない。寺岡側から電話をかけてくるのは極めて珍しいことだった。

「…大丈夫ですよ。どうしました?」
「ちょっと確認したいことがあってお電話しました」

 このタイミングで確認したいこと…嫌な予感しかしない。

「自分の地元をですね、知っている人に会ったんですよ。自分というかフクロウの地元ですね」

 いくら何でも拡散が早すぎる。
 いや、同じ街の住人という最もこの情報に興味を持つ層に伝えた情報だ。今にして思えば、なるべくしてなったということかもしれない。

「住所とか地元は公表していないはずなんです。そもそも何一つ個人情報は開示していないはずなんです」

 存じ上げております。

「となるとですね、漏れるとしたら出版社経由以外、考えにくいんですよね。というか、情報提供者曰く、フクロウの担当編集からの情報と言っている訳ですよ」

 完全にネタがあげられてしまっていた。どこにも逃げ場がなかった。

「心当たりありますよね?」

 寺岡の口調は、責めてはいるがあくまで穏やかだった。
 被害ゼロにはできないことが確定しているので、ダメージコントロールに切り替えることにした。

「すみません、実は中学の同窓会みたいなものがあってですね…ほら、私、寺岡さんと同郷って話をしたじゃないですか。つまり中学の同級生も寺岡さんと同郷なんです。それで地元の知られざるスターがいるぞ、という話を思わずしてしまいまして…」

 最大限に曇りのない反省の声色を絞り出す。電話なので関係はないが、神妙な顔つきを作ることも忘れない。

「本当に申し訳ありませんでした」

 シンプルな謝罪。謝罪に意外性は必要ない。
 電話越しでもきちんと頭を下げる。

「いや、ホント困るんで、今後注意してくださいね」

 寺岡の穏やかな口調は変わることがなかった。
 もしかして乗り切れたかな、と心の中で少しだけほくそ笑む。

 ここまで来たら神崎への義理立ても済ませるが吉であろう。「作家の時間を奪う行為」云々のくだりは建前というメッキを綺麗に剥がされていた。

「あの、頂いた電話で恐縮なのですが、実は私の方も寺岡さんに確認したいことがあってですね…」

 そう切り出すと、神崎から話が来たA県O市の市役所からのイベント出演依頼について、概略を説明した。

「でも大丈夫ですよ。期待値コントロールはしていますので、断ることは簡単です」

 コントロールをしていたのは期待値の方ではなく、ダメージの方ではあるが。

「お話はわかりました。もう地元を隠すことは諦めましたので、せめて地元貢献に協力的でありたいと思い始めたところでした」

 そういえば、寺岡は地元愛に溢れた人間であることを思い出す。

「ただ、覆面作家のラインは崩したくないんです。前向きに検討しますので、正式なお返事は少し待ってもらえないでしょうか」

 イベントには出席する。でも覆面作家は維持する。
 にわかには状況を理解できなかったので、失礼ながら「この人は何を言っているんだろう」と思わなくもなかったが、こちらがアレコレ言う立場にないことも事実だ。

「わかりました。依頼元には少し時間が欲しい旨を伝えておきますね」
「よろしくお願いします。あと、そのイベントについて現時点で分かっていることがあったらメールで送っておいてください」

 寺岡の依頼に快諾し、この日の電話は終了した。
 その二日後、寺岡から直接会えないかという打診があった。