いつまでも地味な結衣と可愛い絵里香を演じ分けていることができなくなる事態になった。大変なことを頼まれてしまった。

「白石さん、お願いがあるんだけど、リビングダイニングに来てくれないか?」

「どうしたんですか?」

呼ばれて出て行くとこのトレーナースタイルをじっと見られた。これが部屋で一番着ていて楽でリラックスできる。

「親父とお袋がこの週末にここに押しかけてくることになった」

「それがどうかしたのですか?」

「故郷へ帰って見合い結婚をして、実家の後を継げとうるさいんだ」

「私とは関係のない話ですが」

「俺がここを出ていくと白石さんもここを出ていかなければならなくなるぞ。それでもいいのか?」

「いつかはそうなるでしょうから、覚悟はできています。でも今すぐと言う話でもないでしょう」

「そのとおり。今、俺はその気がない。好きな娘ができたんだ。だから時間が必要なんだ」

「その人とちゃんと付き合っているんですか?」

「何で俺が君に彼女との関係を説明しなければならないんだ」

「私にお願いってなんですか?」

「彼女の代わりに俺の恋人になって両親に会ってもらいたいんだ」

「本人に頼めばいいじゃないですか」

「頼めるくらいなら君に頼んだりしないだろう」

「ほかに何人も恋人の役を引き受けてくれる人がいるじゃないですか? あの恵理さんに頼んだらどうですか?」

「恵理に頼んで本気になったらどうする。後始末がもっと大変だ」

「私なら、後始末は簡単だとおっしゃるんですか?」

「もともと恋愛関係にはならないと賃貸雇用契約書に書いてある」

「確かに書いてあります」

「衣服や準備にかかる費用は俺がすべて負担する」

「私ならお金で済むと言う訳ですか?」

「契約の範囲内だと思うけど、時給は10倍出してもいいから、どうしても引き受けてくれないか?」

「引き受けた後はもっと難しいことになるかもしれませんが、良いのですか?」

「どういう意味だ? 俺の恋人になりたいのか?」

「いいえ、私よりもあなたの問題です」

「お引き受けする前に聞いておきたいのですが、あなたはその人のことをどう思っているのですか?」

「本当は俺にもよく分からないんだ。でも彼女にとても惹かれるんだ。初めての経験だから何と言って良いか分からない」

「気持ちが固まっている訳ではないんですか?」

「よく分からないんだ。だから時間が欲しい」

「時間稼ぎのためですか?」

「親に恋人と同棲しているところを見せると少なくともお見合いはあきらめるだろう。今はそんな気にはなれない。時間稼ぎと言えばそうかもしれない」

「私はどうすればいいんですか?」

「両親は俺の好みを知っている。俺の好みの服装、髪形などをそれらしくしてほしい。きっと信じる」

「両親はいつここへいらっしゃるんですか?」

「土曜日の3時に来ると言っている。そしてここに泊まりたいと言っている」

「ここに泊まるんですか?」

「そうだ」

「私との同居を言っていないのですか?」

「言う訳ないだろう」

「じゃあ、私はどうすればいいのですか?」

「両親は俺の部屋に泊める。ダブルベッドだから二人でも寝られるし、俺が来る前はそうしていたらしい」

「あなたはどうするんですか」

「ソファーでもいいが、それはまずい、恋人と一緒に住んでいるということにしたいから、君の部屋に泊めてくれ」

「困ります」

「頼むよ、誓って何もしないから」

「少し考えさせてください」

私は自分の部屋に戻ってきた。篠原さんはこの私に絵里香の代役をしてほしいと言っている。引き受けるのは簡単だけど、そのあとはどうなるだろう。

まず、この地味な私があの絵里香と分かって動転することは間違いない。それから両親になんと言って紹介するのだろう。恋人の白石結衣と言うのか、それとも石野絵里香と紹介するのだろうか?

恋人と同棲していると言ったら、ご両親はどういう反応をするだろう。すぐには認めないに違いない。だってお見合いの話を持ってくるのだから、そういう人と結婚させたいに決まっている。

その場で言い合いになるのは目に見えている。そして喧嘩別れ。篠原さんの計画どおり時間稼ぎはできる。それからの展開は予想できない。彼が私に対してどういう態度をとるか? 私もどうしてよいか分からない。

いずれにしても、遅かれ早かれいつかは私が絵里香だと篠原さんに言わなければならない。それが今度の土曜日なだけと考えよう。いくら考えてもなるようにしかならない。

そう思って、部屋からリビングダイニングへ出てきた。篠原さんはコーヒーを飲んで待っていた。

「お引き受けします。土曜日の午前中に一緒に出掛けてあなたの気に入った服を買って下さい。帰ってから準備します」

「ありがとう」

「これはあなたの責任ですることです。これだけは承知しておいてください」

彼は引き受けることで安心したようで、この言葉の意味は全く理解していなかった。

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土曜日は、篠原さんの実家から電話が入って、来ることが確認できたら、ショッピングに出かける予定にしていた。9時に電話があって、こちらに着くのは3時頃だと言うので、すぐに出かけることになった。

二人で渋谷まで出かけて服を選んだ。彼は絵里香に似合いそうだと言ってシックなワンピースを選んだ。試着してみても、まあ、センスは悪くない。迷っている時間はない。すぐそれに決めた。彼が支払いを済ませた。

それから絵里香がしていたような髪形を私に説明して同じ髪形にしてくれと頼まれた。それはお安い御用、私は髪をカットして帰るといってその場で分かれた。彼は私に必要額を渡してくれて、一人でマンションに戻った。

カットはすぐに終わった。すこし髪が長くなっていたので丁度良かった。12時過ぎにはマンションに帰ってくることができた。

「お昼は何か召し上がりましたか?」

「いや、余り食欲がない」

「サンドイッチを買って来ました。一緒に食べませんか?」

「ああ、一切れもらうとするか? コーヒーを入れてあげよう」

「ありがとうございます」

篠原さんはサンドイッチを一切れ食べただけで、食欲がないみたい。私は気合を入れておかないといけないので、しっかり食べた。

「それで、これからのことだけど、両親が3時ごろに来るから、これから準備をして、俺が呼ぶまで自分の部屋にいてほしい。両親に事前の説明を終えてから、君を紹介するから、恋人の振りをしてくれていればいい。特段、話もしなくていい。すべて俺が話す。いいね」

「分かりました」

「ああ、それからもちろんメガネは外してね。それにお化粧もしっかりしてね、頼むよ。成否は白石さんにかかっているから」

「分かっています」

私は準備のために部屋に戻ってきた。これから絵里香に変身する。ご期待にお応えして立派に絵里香を演じますとも! でもあとは知らないから!