「夜景がきれいだろう」

「いいですね。遠くまで見えますね。こちらは海の方向ですか?」

「天気の良い昼間だと東京湾がみえる」

「しばらく見ていていいですか」

「ああ、好きなだけ見ていていいよ」

篠原さんが立ち上がってこちらへ来る。緊張する。後ろから両肩を掴んだと思ったら突然抱き締められた。

「だめです。放してください。約束が違います」

「好きなんだ。気持ちがおかしくなるくらいに好きなんだ。こんな気持ちは初めてだ」

「私のどこが好きなのですか?」

「分からない。本能的にと言った方がよいかもしれない。理由なんか後から考えればいい」

「ほかの人にもそうおっしゃっているのでしょう」

「本当に好きなんだ、今日は泊っていってくれないか?」

「何をおっしゃっているんですか?」

「真面目に言っている。そうでないとおかしくなりそうなんだ」

「従妹さんが帰ってくるのでしょう」

「大丈夫だ。気にしないと思う。こっちへきて」

私の手を掴んで篠原さんの部屋の方へ引っ張って行く。抵抗しているが止めてくれない。とうとう部屋の中まで引き入れられた。そしてまた抱き締められた。どうしようと思った時にキスされた。もう頭の中が真っ白になっていた。

「泊まっていってほしい」

私を放してくれた。すぐに逃げ出すこともできたのに私はその場に留まった。足がすくんでいた訳でもなかった。

あんなに強く抱き締められて好きと言われたのは初めてだった。私は混乱していた。そして自分でも信じられない言葉を返してしまった。

「それほどおっしゃるのなら泊ります。シャワーを浴びさせてください」

言ってしまうと返って開き直ってしまったみたい。

「バスルームはそのドアの向こうにある。バスタオルはそこに置いてあるから」

私も意地になった。黙ってバスルームへ入った。服を脱いでゆっくりとシャワーの栓を開いた。お湯が勢いよく噴出してくる。シャワーを浴びるととっても心地よくて、いつも頭が空っぽになる。

彼がバスルームに入ってきた。もうなるようにしかならないと思って驚きもしなかった。

「すぐに替わります。少し待って下さい」

「ああ、ごめん」

私の言葉に気持ちをそがれたのか、私がシャワーを浴びるのを黙ってみていた。すると妙に気持ちが落ち着いて来た。そういえばこんな場面、元彼と昔あったことを思い出した。

バスタオルを身体に巻いてバスルームを出た。そして彼のベッドに腰かけた。いつもシーツと枕カバーを取り換えている見慣れたベッド。でもここで寝るのは初めてだ。

篠原さんはシャワーで身体を洗い終わるとキッチンへ行って冷たい飲み物を2本持ってきた。彼はそういう気づかいができるというか、そういうことに慣れている。

「飲む?」

「いただきます」

私は半分くらい一気に飲んでそのボトルをサイドテーブルに置いた。彼もボトルに口をつけて喉を潤した。それから私に手を伸ばして抱き締めた。私は冷静になって、彼の耳元で囁いた。

「ちゃんと避妊してください」

「ああ、分かっている。心配するな」

そう言われて、私は抱きついた。それからのことはよく覚えていない。私はすべてを忘れてしまいたかった。頭の中を空っぽにしたかった。快感に浸りたかった。

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気が付いて今の状況が分かってきた。私は彼に背中を向けて横になっている。彼は後ろから私を抱きかかえるようにして寝ている。抱えている手を握ってみると握り返してきた。

「悲しかったのか? ずっと泣いているのかと思った」

「いえ、よく覚えていません」

「ありがとう」

「私のことが分かりましたか?」

「いろいろなことが分かった。それでますます好きになった」

「でも私の一部しかまだ見ていません」

「付き合ってもっと見てみたいし見せてほしい」

「見る目がないと見えません。見ようとしないと見えません」

「面白いことを言うね。楽しみにしている」

「私をしっかり抱き締めて寝てください」

「ああ、いいよ」

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

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夢を見ていた。何の夢か分からないけど抱き締められていた。力が強くて苦しくて目が覚めた。目覚ましは4時を少し過ぎたところだった。彼が気が付かないうちに自分の部屋に戻ろう。

そっと、ベッドから抜け出して、服や下着集めて、静かに部屋を出た。それから自分の部屋に戻った。内鍵をかけるとホッとした。自分のベッドでもうひと眠り。

携帯の音で目が覚めた。メールが入っていた。篠原さんからだ。今起きたみたい。時計を見ると9時を過ぎていた。

[昨夜は泊ってくれてありがとう。黙って帰ったんだね]

すぐに返事を入れる。

[黙って帰ってごめんなさい。起こすと悪いと思って。始発で帰りました。昨夜はよい思い出になりました。ありがとうございました]

私も起きよう。朝食の用意をしよう。シャワーを浴びて、身繕いをする。リビングダイニングで朝食の支度をしていると篠原さんが出て来た。

「おはようございます」

「おはよう」

「昨夜は誰かお泊りでしたか?」

「ああ」

「そうですか。4時過ぎに玄関ドアの音がしてどなたかが出て行かれたようです」

「そうか、気が付かなかった。始発に合わせて出て行ったのかもしれない」

「白石さんは、昨夜は何時ごろ帰って来たんだ。連れて帰ると連絡しようと思ったけど、携帯がつながらなかった」

「カラオケで気が付かなかったのかも知れません。帰ってきたのは11時を過ぎていたと思います」

「また、女性を泊めたのですか?」

「まあ、そうだ」

「この前の恵理さん?」

「いや、別の娘だ」

「浮気症ですね」

「いや、今度は本気だ」

「そうなら、その人も喜んでいるでしょう」

「それが分からないんだ」

「つかみどころがない、不思議な娘なんだ」

「気になりますか?」

「ああ、仕事が手につかないくらいにね」

「うまくいくといいですね」

「そうだね、ありがとう」

篠原さんは全く気が付いていない。また、私だから本音を話してくれた。昨夜のこともあって、完全に絵里香が気に入っているみたい。本当のことを打ちあけた時の反応が予測できない。その時が怖い。当分は結衣と絵里香を演じ分けているほかはない。