例えばいつものように作ってくれたごはんを食べるとして、彼がニコニコと笑いながら私の事を見ていると、彼が好きだと自覚してしまった今、より恥ずかしく思える。隣に来ただけで、手が触れそうになるだけでびっくりしてしまう。それはどれだけ動じない人間でも同じことで、ポーカーフェイスを保てるのは時間の問題なのだ。

「ゆな……もしかして具合悪い?」
「な、ななんでもないけど!?」

 学校に行く前の朝ごはん。カリッと焼けたトーストに、スクランブルエッグとソーセージ。ミニサラダにはオリーブオイルと塩コショウしかかかっていない。これがまた美味しい。いつもと変わらない朝ごはんの中でも、隣にいるリツが心配そうに顔を覗き込んで来る。
 自覚してしまった気持ちを隠そうとしても、どうやら私は顔に出てしまうようで、鏡を見たわけでもないのに顔が熱いのがわかる。

「だって顔、真っ赤だぜ? 熱でもあるんじゃ……」
「ないって!」
「そうか? じゃあ……」

 そう言って、リツは私の前髪をかき上げ、自分の顔を近づけた。――その瞬間、私は反射的に彼の頬を叩いた。勢いが強かったのか、バチンッと部屋に良い音が響くと同時に、リツは後ろの壁に吹き飛んだ。私は慌てて彼の元に寄る。

「リ、リツ!? 大丈夫!?」
「……いってぇ……」

 強打したであろう後頭部をさすりながら、リツはゆっくり起き上がる。そして涙目で私を軽く睨むと、そっぽを向いた。

「……人が心配してるっつうのにお前は……」
「ごめん! あんなに強く叩いたつもりじゃなかったの!」
「まあ、お前から触れることはできねぇから、反発してもしょうがねえか」

 『人間は悪魔に触れられない』――悪魔は囁いて唆すだけの存在だと、ずっと前にリツが言っていた。難しいことは教えてくれなかったのは、リツ本人もあまり理解していないのだと思う。人間の時のリツは触れられるのに。

「……でも悪魔から人間に一方的に触れられるのはちょっとズルいかも」
「どういう意味だよ?」
「だって、人間に気付かれないように悪さができるでしょ? そしたら悪戯し放題じゃない?」
「……本気でそんなこと思ってんの?」
「え……?」

軽い愚痴のつもりだった。ふと彼を見ると、眉間にしわを寄せて怒りを露わにしているのはわかる。初めて見る、彼の怒った顔。

「例え話だったとしても笑えねぇぞ。人間に悪さを唆したとして、そいつが死んじまったら意味ねぇだろ」
「あ……ご、ごめん」
「お前がそんなヤツだとは思わなかった。……まあ、そろそろ潮時か」

 リツはそう寂しそうに呟いてカレンダーを見る。彼と出会ってもうすぐ半年だ。

「契約は半年。今日を含めあと二週間だ。それが終わればお前はやっと、『普通の日常』に戻れる。……それまでよろしくな、『住居者サン』」

 彼はそう言って、窓から外へ出て行ってしまった。今まで見たことがない、泣きそうな横顔をしていた気がする。私は先程見ていたカレンダーに目を向ける。
 あと二週間――慣れてしまったリツのいる日常が『非日常』だと彼は言っているようで、どこか寂しく思えた。もう家を出ないと授業に間に合わないのに、食べかけの朝食が喉を通らない。

「……もっと一緒にいたいよ」

 小さく呟いた私の願いは、誰にも聞こえなかった。


 それから一週間、私はリツに避けられていた。
 朝起きた時、家から帰って来た時には出来立ての料理がテーブルに並んでいるのに、リツの姿はどこにも見当たらない。近くを散歩したり、少しだけ夜遅くに帰ってきたりしても彼が一向に姿を見せない。嫌われてしまったのだろうか。
 
 ある日の休日。用意してくれた朝ごはんを食べて皿を洗った後、私はテーブルの上に授業で使っているノートとレシピ集を広げた。リツと出かけた日に、「一緒に料理を作りたい」と言ってくれた言葉を思い出して、かき集めてきた。こうしていれば、後ろから彼が覗いてくるかもなんて小さな期待を持ちながら、一ページずつ捲っていく。
 一枚、一枚。じっくり目を通していると、後ろから視線を感じた。そっと横目で見てみると、カーテン越しにこちらを覗いてみているリツの姿があった。

「リツ」
「っ!」

 私が名前を呼ぶと、彼はカーテンの裏に隠れてしまう。

「リツ、こっちおいで。一緒にレシピ見ようよ。それで今日の夕飯、一緒に作ろう」
「…………」

 いくら声をかけても、リツは出てきてくれない。今まで沢山話してきて心を許せた人、尚且つ好きな人に無視されて最初はもうどん底に堕ちるくらい気が滅入っていた。それでももう、ちゃんと話さなきゃ。私は立ちあがり、彼の前に行く。

「一緒に作れる機会、もうないかもしれないんだよ?」
「…………」
「……じゃあ分かった!」 

 何言っても聞いてくれない。こうなったら強行手段だ。

「リツ! 今日の夕ご飯は私が作るよ!」
「……はっ!?」

 一週間ぶりの彼の声は、とてもとぼけていた。あまりに驚いたのか、カーテンの裏から身を乗り出して見ている。

「丁度授業の実技テストの練習しようと思っていたんだよね。包丁も学校から持ち帰ってきたのがあるし……」
「……お、おい」
「リツが思ってるより、私はちゃんとしてるよ」
「……そう言って、最初の頃に盛大に指を切ったのは誰だ」

 「最初の頃」――懐かしいことを引っ張り出して来た。覚えていてくれたことが少し嬉しくて、私は彼に向かって笑って言う。

「そうだね。だからリツは私が指を切らないように隣にいてくれる?」
「……反則だろ」

 ――そんなこと言われたら、拗ねていられねぇじゃん。

 リツはのそのそとカーテンの裏から出てくると、私が座っていた座椅子の隣にしゃがみこみ、レシピを見始めた。変わらない仏頂面を久々に見たこの直後、キャベツの千切りで私が指を切ったのは内緒の話だ。
 最後の日まで、あと一週間。