天使試験に落ちた・・・。
彼女は自信があっただけにショックだった。
「あんなに一所懸命勉強したのにな・・」
天使は天界の中でも一番人気の仕事だ。よって競争率が高い。
でも彼女は頑張った。
ただ、死ぬまでの時間が僅かしかなかったから、勉強する時間が少かった・・・なんていうのはただの言い訳にしかならない。
彼女の名前はパレル。もちろん、天界(こちら)の世界での名前だ。
現世(まえ)の名前はもう憶えていない。
天使試験に落ちたパレルは、仕方なく死神になることになった。
「やっぱりやだな・・・死神なんて」
パレルは試験に落ちて以来、ずっと落ち込んでいた。
「パレル、そろそろ行くぞ」
声を掛けたのはジャンク。
ちょっとガラの悪そうなチンピラ風の死神で、彼女の教育担当役だ。
パレルはまだ死神研修中の見習いだ。
だからこのジャンクから死神の指導を受けている。
この研修を終えることにより、晴れて一人前の死神となれるのだ。
「なんだ。お前まだ落ち込んでんのか?」
「だって私、死神なんかになりたくなかったもん」
パレルはぼやくように言った。
「大体なあに、このダサイ黒い服・・・童話に出てくる悪役の魔女みたい」
パレルは自分が着ている死神の制服が気に入らなかった。
先の曲がった三角帽にヨレヨレの真っ黒な服、百年間変わっていないこの死神の制服は確かにダサく見えた。
「何言ってるんだ。これは我が死神族の由緒ある制服だぞ」
「こんな古臭いデザインの制服だから死神はいつまでたっても人気が無いんだよ。由緒とか伝統とか・・・要は変えるのが面倒なだけじゃないの?」
「そんなこと言うもんじゃねえ。まあこの死神の制服は神様が気に入ってるみたいだからしばらく変らないだろうな」
「神様もセンス無いね。それにさ、私の制服って何でこんなにダボダボなの?」
「今それしか無いんだってよ。我慢しな」
子供用の制服の数が少ないようで、パレルは大人用の一番小さい制服をあてがわれていた。
「せめてサイズくらい合わせて欲しかったな」
「まだ見習いだからしようがねえだろ」
「ふん。どうせ見習いですよお・・・天使試験も落ちましたよお・・・」
パレルはふてくされたように唇を尖がらせた。
道の正面から純白に輝く衣を纏った少女たちがパレルたちに近づいてくる。
天使と天使試験に合格したその研修生たちだ。
天使試験に落ちたパレルには、その白い制服はいっそう眩しく輝いて見えた。
「いいなあ・・・可愛いなあ・・・私も着たかったなあ、あの制服・・・」
パレルは羨ましそうに彼女たちを見つめた。
「ふん、俺はイケ好かないな、あんなインテリな制服。お前のその黒い制服のほうがよっぽど可愛いと思うぞ」
「ジャンク・・・」
「なんだ?」
「嘘、下手だね」
パレルは軽蔑の眼差しでジャンクを睨む。
「言っとくが俺たち死神は決して天使より身分が低い訳じゃないんだぞ。だから卑屈になるなよ。死神としてのプライドを持て!」
「プライドねえ・・・プライドより可愛い制服がいいな」
パレルはさらに唇を尖らせながら天使たちを羨望の眼差しで見つめた。
まるでアヒルのようだ。
「ねえ、ジャンクは死神になってどれくらいたつの?」
「ああ? うーん、よく覚えてねえけど二百五十年くらいかな・・・」
「天使になりたいと思ったことは無いの?」
「無いね! 俺はこの仕事は気に入ってんだ。まあ俺の成績じゃ元々天使になんてなれないけどな。それに、人気はないけど死神の仕事だってそんなに捨てたもんじゃないんだぞ」
死神の仕事は、死にゆく運命の人のところに出向き、人生の思い出を走馬灯のように見せることだ。そのあと、すみやかに召喚(しょうかん)させるのだ。
召喚とは人が天国に召されること、つまりは死ぬことを言う。
死んだあとに、その魂を現世から天国まで連れていくのは天使の仕事だ。
「今日もこれからまた死ぬ人のところに行くんでしょ。憂鬱だなあ・・・」
「お前、死神の仕事で一番大切なことは何だか分かるか?」
「分かってるよ。これから天国へと旅立つ人に 『いい人生だった』 って思いながら逝ってもらうことでしょ」
「そうだ。人が死ぬ時、直前に見る走馬灯のような景色、それを見せるのが我々死神の仕事だ。できるだけ楽しい思い出をたくさん集めてあげて、自分の人生がいい人生だったと思ってもらうんだ。俺たちの腕次第でその人が幸せな気持ちで天国へ旅立てるかどうかが決まるんだから、大切な仕事だぞ。天使にはできない仕事だ」
「ふーん・・・」
パレルは納得したようなしないような中途半端な返事をしながら顔を反対側に逸らした。
「あら、随分かっこいいこと言ってるじゃない」
一人の女性が二人の後ろから声をかけてきた。
振り向くと、そこにはモデルのようなスラッとした女性が立っている。
「なんだ。クレアか・・・」
少し焦った感じでジャンクは答えた。
「久しぶりね、ジャンク」
彼女は天使のクレア。天使の研修生の教育担当だ。
パレルは彼女のスタイルと美しさに茫然とした。まさに天使という名がぴったりの女性だ。
クレアは天使の真新しい制服を着た女の子を一人連れていた。
その女の子はちょっと怯えたようにクレアの後ろに隠れるように立っている。どうやら天使の研修生のようだ。
「何か用か?」
ジャンクは目を合わせるのを避けるように右斜め上に視線を逸らす。
「何か用かじゃないわよ。今日はジャンク(あなた)のところと一緒にユニットでしょ。シフト表見てないの?」
「ああ、そうだったっけ?」
死神と天使はユニットで仕事を行うのが基本になっている。
死神は天国に召喚する人に最期の記憶を見せたあと息を引き取らせる。
そしてその人を天国へと連れていくのが天使の仕事だ。
「あら? お隣の可愛い子は死神(そちら)の研修生?」
クレアはジャンクの後ろに隠れるように下がっているパレルを覗き込んだ。
「ああ、そうだ。パレルっていうんだ」
「こんにちは、パレル。私はクレア。こっちはあなたと同じ研修生のクライネスよ。よろしくね」
クレアはクライネスの肩をそっと抱きながらにこりと微笑んだ。
「こ、こんにちは。クライネス・・・です」
クライネスはとても緊張した様子で怯えながら小さな声で挨拶をした。
大人しく、とても気が弱そうな少女だった。
真新しい天使の白い制服がとてもよく似合っている。
一方パレルはというと、不機嫌そうな顔で二人を上目でじっと睨んでいた。
「・・・こんちは」
パレルはボソッとした声で呟いた。
「なんだお前。どうしたあ?」
ジャンクがあからさまにふて腐れているパレルに呆れた顔をする。
「別に、なんでもないよっ!」
天使試験に落ちたパレルには、やはり天使の制服が眩しすぎたようた。
試験に合格したクライネスを前に劣等感が湧き出てしまったのだろう。
美人のクレアに対するジャンクの態度も気に入らなかったのかもしれない。
「あら、なにか今日はご機嫌が悪いのかしら?」
「ああ、コイツ本当は天使(そっち)に行きたかったんだけど、試験落ちちゃったんだよ。それでずーっと落ち込んでるんだ」
「そうだったの。それは残念だったわね」
「ジャンク、余計なこと言わないでよ!」
パレルは頬を膨らませながら横を向いた。
さらに機嫌が悪くなったようだ。
「余計なことってなんだよ。お前、編入試験受けてでも天使を目指すんだろ」
「あら、そうなの。じゃあ頑張ってね。あなたはとてもいい目をしているわ。次はきっと大丈夫よ」
パレルは突然立ち上がったと思うと、、そのままそそくさと歩いて行ってしまった。
「おい、パレル! どこ行くんだよ!」
でも、その声はパレルの耳には届いていないようだ。
「・・・ったく。しょうがねえな。どうしたんだ、あいつ」
「ごめんなさい。私、何か悪いこと言っちゃったのかしら?」
「気にすんな。いつまでも落ち込んでるタイプじゃないから大丈夫だ」
「そう。でもジャンクもよかったわね。あの件以来、もう死神には戻れないかと思ったわ」
ジャンクはふっと苦笑いをして視線を逸らした。
*****
クレアはある日の光景を思い返す。
クレアとジャンクがユニットになり、ある子供の召喚、つまり死に立ち会った日のことだ。
クレアとジャンクの目の前にその子供は倒れていた。
その子を天国へ連れて行く・・・それが二人の仕事だった。
もちろん、その子がここで死ぬことは運命で決まっていた。
「こんなのあるかよ!」
倒れている子供を目の前にしてジャンクは叫んだ。
その子供はかすかに息をしていた。だが助かるかる見込みはもう無いだろう。
「ジャンク、しっかりして!」
取り乱しているジャンクをクレアが懸命になだめていた。
「この子が何をしたっていうんだよ!」
「これがこの子の運命なの!」
「そんな運命、俺は許さねえ! ゼウスに言ってやめさせる! この子は俺が死なせない!」
ゼウスとは全て人の運命を決める天界と現世を司る神の名だ。
「そんなことできるわけないでしょ! あなたが一番分かってるはずよ!」
もちろん、クレアも助けられるものなら助けたかった。
しかし、ゼウスが決めた運命は変えられないことは分かっていた。
「だってこんなの酷すぎる・・・なんで・・・こんな目の前で・・・」
ジャンクの目から涙が溢れ出した。
「さあジャンク、早く。間に合わなくなるわ。あなたがやるしかないの!」
人の一生の最期、召喚者を安らかに息を引き取らせるのが死神の役目だ。
それがうまくいかないと、その魂は天国へとは召されず、現世を永遠に彷徨うことになりかねない。
「俺には・・・できねえよ・・・」
「あなたがしっかりしないでどうするの!」
「俺・・・ダメだ・・・できねえ・・・」
ジャンクは目の前で死んでいく子供に何もできない無力の自分に絶望した。
ジャンクはそのまま泣き崩れ動けなくなった。
クレアは思い出から我に返り、フッと笑った。
「あの時は迷惑かけて悪かったな」
申し訳なさそうにジャンクはクレアに詫びのセリフを入れた。
「そうね。大変だったわ、あの時は・・・」
ジャンクはその時に死神を辞めようと思っていた。
人には様々な人生があるが、最後は必ず死ぬ。それは全ての人が同じだ。
しかし、幸福に包まれながら天に召される者もいれば、突然、死の恐怖や苦しみに怯えながら死んでいく者もいる。
それはその人自身は選ぶことができない。
それを導く死神ですら、選ぶことはできない。
それを決めていのは“運命”というルールだった。
“運命”それは神様が決めた唯一無二のルール。
その運命に従い、人を死に導くのが死神の役目だ。
その役目の重圧にジャンクは押し潰されそうになったのだ。
それは死神失格を意味した。
「ジャンク。死神、やっていけそう?」
クレアが心配そうに問いかける。
「ああ、もう少し頑張ってみるよ」
ジャンクは苦笑いをしながら答えた。
「後輩の指導もなかなか大変でしょ?」
「まあな。俺が後輩に指導なんて笑っちゃうけどな」
「本当。逆に後輩に教わっちゃうんじゃない?」
「違いねえ!」
「あのさ、ここはあなたは怒るところだよ」
「え、そうだったのか?・・・」
いつもながら冗談が通じないジャンクに呆れながら笑った。
「そうね、ついこの間 『俺には死神なんてできねえ!』 って叫んでいた人がねぇ」
「それを言うんじゃねえ!」
ジャンクがクレアを睨みつけた。
「ごめん、ごめん。ここでは怒るんだ」
クレアは笑いながら両手で口を塞いだ。
「ところでジャンク、もしかしてあの子・・・」
「じゃあ、俺そろそろ行くわ。あいつ捜して仕事に行かねえと」
ジャンクはクレアの声を遮るように立ち上がった。
「ああ・・・うん。じゃあ、あとでね」
ジャンクは別れを告げると足早に去っていった。
クレアはちょっと腑に落ちない顔をしながらもジャンクに小さく手を振った。
ジャンクはパレルのあとを追った。しかしパレルの姿はなかった。
どうやら見失ってしまったようだ。
ジャンクはパレルが何をふて腐れてるのか理解できないでいた。
「あいつ、どこ行った? これから仕事だっていうのに」
ジャンクがようやくパレルを見つけたのはマカルトと呼ばれる広場だった。
「ここに居たのか」
ジャンクはほっと肩を撫で下ろす。
マカルトのいうのは天界人のための公園みたいなところだ。
地上にあるが、もちろん現世の人間には見えない場所だ。
天界の人間が仕事の待ち合わせや、休憩に利用している場所だ。
パレルはベンチのような椅子に座りながらぼうっとしていた。
ジャンクはパレルの横に体を押しつけながら座った。
「よいしょっと! 捜したぞ、パレル」
パレルは黙ったまま遠くを見つめている。
「お前、何怒ってるんだよ?」
「私、怒ってないしい・・・怒る理由も無いしい・・・」
パレルのぎょろっと大きく見開いた目が只ならぬ怒りを物語っていた。
「どう見ても怒ってんじゃねえか・・・」
「そっかあ・・・ジャンクはああいうのがいいんだあ・・・」
「はあ?」
「ああいう、ボン・キュッ・パ!・・・が、いいんだあ・・・」
「な、なに言ってんだよお前・・・別にそんな俺は・・・」
パレルは美人でスタイル抜群のクレアにヤキモチを焼いているようだ。
「やっぱりウソ下手だね・・・ジャンク」
パレルは焦るジャンクを横目で睨んだ。
「ごめんね。私、ボン・キュッ・パ!じゃなくて。大人になる前に死んじゃったからさ」
「シャレになんないこと言うなよ。答えに困るじゃねえか」
しばらく二人の間に沈黙が続いた。
「さっきの天使の研修生さ・・・」
弱々しい声でパレルが呟いた。
「うん? ああ、確かクライネスって言ったっけ?」
「あの娘、頭良さそうだったね」
「どうしたんだよ、急に」
「なんか自信無くなっちゃったな。すごい可愛かったし・・・」
「顔は関係ねえだろ?」
「だよね! 顔で決められたら、ジャンクなんて地獄行きだもんね」
「ハハ、違いねえ!」
さらりと認めるジャンクにパレルは呆れる。
「あのさジャンク、ここは怒るとこだと思うよ」
「お前、同じこと言うなよ・・・」
今度はジャンクが呆れた顔で言った。
「え? 誰と?」
二人はポカンと顔を見合わせた。
「ぷっ! ふふふ」
先に吹き出し、笑い出したのはパレルだ。
ジャンクも一緒に笑い出した。
「やっと笑ったな、パレル」
ジャンクはようやくほっとした表情になる。
「え?」
「お前なら大丈夫だよ。絶対になれるよ天使に。だから頑張れ」
「どうしたのジャンク。急に優しいこと言って」
パレルは今まで聞いたことが無いジャンクの優しい言葉に目を白黒させた。
「俺が優しくちゃおかしいかよ?」
「おかしい!」
「即答かよ!」
また二人とも腹を抱えて大笑いした。
ジャンクがすっと立ち上がる。
「さあて、行くか!」
「うん、そうするか!」
パレルはジャンクの言い真似をしながら返事をした。
パレルはちょっぴり元気になったようだ。
二人は今日の仕事場へと歩き出した。
「ここが今日の最初の仕事場だ」
二人が着いたのは地方にある小さな病院だ。
病室に一人の男性の老人がベッドに横たわっていた。
そのベッドの脇にはその老人の息子夫婦と孫の男の子が座っていた。
「父さん! しっかり!」
老人の息子が声を掛けている。
「この人が今日の召喚者だ」
ジャンクがパレルに言った。
召喚者とはこれから天国へと旅立つ人のことだ。
「この人は早くに奥さんを亡くして男手ひとつでこの息子を育ててきたんだ。でも孫もいるし、まあまあ幸せな人生だったんじゃないかな」
その老人はもう意識が無いようだ。
「ジャンク。このおじいさん、もう死ぬの?」
「ああ、あともう少しだな。さあパレル、仕事だぞ」
「わかった」
パレルはその老人のすぐ横について顔を近づけた。そしてその老人の思い出を読み取っていく。
「うん、見える見える。このおじいさんの人生が・・・」
「よし、いいぞ。できるだけ楽しい思い出を捜してやれ」
「小さい時はまだ戦争中で、生活はけっこう大変だったみたいだね」
パレルの脳裏にその老人の人生が映画のように映し出されていく。
「あっ!女の人と出逢ったよ。奥さんみたい。初めてのデートかな。おじいさん緊張しまくってるけど、すっごく楽しそうだよ。これキープね」
しばらくすると、なぜかしら突然に記憶の映像がぼやけ始めた。
「ジャンク、どうしたんだろう・・・だめだ、映像(きおく)が見えなくなっちゃったよ」
「もうかなり齢がいってるからな。記憶が固まってるんだろう。頑張るんだパレル」
人間、歳をとると記憶は固まって塊のようになる。
人の記憶というのは決して消えることはない。
だが、使っていない記憶ほど塊のようになり、読み取りづらくなるのだ。
これが忘れるというメカニズムだ。
パレルはもう一度老人の記憶の中へと入り込み、懸命に塊となった記憶を溶かそうとする。
しかし、コチコチに固まった記憶を溶かすのは容易ではなかった。その記憶が古ければ古いほどそれは困難で、集中力と根気が必要になる。
「あっ、見えてきた見えてきた。よかったあ!」
何とか記憶の塊を溶かすことに成功したようだ。
赤ちゃんの誕生、息子さんとのキャッチボール、家族みんなでの旅行、初孫、その老人からいろいろな思い出が流れ出てくる。
空襲、戦地での辛い戦い、戦争中の苦しい記憶もあるが、これには触らないで置こう。
パレルはこの記憶の中から楽しそうな思い出を懸命に集めて老人に見せ始めた。
「よーし、いいぞ。その調子だパレル」
「おじいさん、見えてるかなあ?」
老人の顔が微笑んでいる。
『父さん。笑ってる・・・』
息子が優しい顔で呟いた。
老人につながれたケーブルの先にある医療機器の警報音(アラーム)が大きく鳴り響いた。
付き添っていた医師が老人の目の中を確認する。
『ご臨終です・・・』
医師が静かに囁いた。
「ごくろうさま」
「わっ、びっくりした!」
突然の声にパレルは思わず叫んでしまった。
すぐ横に天使のクレアと研修生のクライネスが召喚者の迎えに来ていた。
「とってもよかったわよ、パレル」
クレアが優しく微笑みかける。
「ありがとうございます」
パレルはペコリと頭を下げた。
「おう、お疲れ!」
ジャンクがクレアに軽い挨拶する。
ここで仕事は死神から天使へと引き継がれる。
ここからは天使の仕事だ。
「あとは私たち天使の仕事ね。任せて」
「ああ、よろしくな」
「さあクライネス、次はあなたの番よ。いつも通りにやれば大丈夫」
「は、はい・・・」
クライネスは小さな声で返事をした。だが、ちょっと自信が無さそうだ。
天使の仕事は、この老人を一緒に天国まで連れていくことだ。
クライネスは緊張からなのか、かなり硬くなっているように見えた。
パレルはその様子を見てちょっと心配になった。
「大丈夫かな? クライネス・・・」
老人の体から透き通った老人がゆっくりと浮き出てきた。
これはプシュケーと呼ばれる幽体、いわゆる霊魂だ。
「さあクライネス、今よ!」
「はい・・・」
クレアの掛け声と共にクライネスは老人の手を取る
「さあ、おじいさん、参りましょう・・・」
そう言うクライネスの手が震えている。
やはり緊張にせいだろうか、手がおぼつかず、なかなか浮き上がれない。
「頑張って! クライネス!」
パレルは両手をギュッと握りながら声を掛けた。
「はい。ありがとうございます」
クライネスはその声に優しく微笑んだ。
パレルの応援の声が効いたのか、だんだんと老人とクライネスの身体が宙に浮き始めた。
「やったあ!」
パレルがジャンクに抱きつきながら叫んだ。
老人はクライネスに手を取られながら、ゆっくりと空へと昇っていく。
老人がパレルに向かって笑いかける。
「おじょうさん、いい思い出をありがとう」
老人はお礼を言いながら手を振っていた。
パレルも老人に見えるように大きく手を振った。
「よかった。おじいさん、喜んでくれたみたい。クライネスもよく頑張ったね」
「ああ、そうだな。どうだ? 死神の仕事もそう悪くないだろ?」
ちょっと自慢げな顔でジャンクが訊いた。
「うん。そうだね」
パレルの顔から迷いが消え、何か自信を持った顔つきになったように見えた。
「さあ、次行くぞ」
「えっ、もう次? 休憩とか、もぐもぐタイムとか無いの?」
「そんな暇あるわけねえだろ。一日に何人の人が亡くなってると思ってんだ? 大体なんだよ、もぐもぐタイムって?」
「もぐもぐタイム知らないんだ。遅れてるね」
「悪かったなあ!」
ジャンクは馬鹿にされたような気がしたのか、ちょっとふて腐れた。
「死神って、けっこうブラックなんだね」
「ブラックって何だ?。まあ死神のイメージカラーは確かにブラックだけどな」
パレルは呆れたようにふっとため息をついた。
「まあいっか。この制服の色を見た時から嫌な予感はしてたんだ・・・」
ブツブツ言いながら二人は次の召喚者のところへ向かった。
次に着いたのは都会にある大きな病院だった。
「ここだ」
「また病院?」
「まあ突然の事故でない限り病院で亡くなる人が多いからな」
病室のベッドには一人の女性が寝ていた。
歳は五十歳くらいだろうか。女性の身体には大量の管と医療機器のケーブルが繋がれている。
その脇には医師と看護師の他に、五十歳くらいの男性が一人と高校生の女の子が並んで立っていた。この女性の夫と娘だ。
その女性の意識は全く無かった。
「ジャンク、これから亡くなるのは、この女の人?」
「そうだ。重い脳障害でかなり前から意識不明が続いてる。ずっと植物人間状態だ」
夫は黙ったまま、動かない妻を見つめている。
娘も何か思いつめたように母親の顔を見つめていた。
何か言いたそうだが声が出ない、そんな感じだった。
「では、よろしいですか?」
医師が夫に尋ねた。
「はい・・・よろしくお願いします」
静かな声で夫は答えた。
パレルは医師と夫の会話に違和感を感じた。
「お願いしますって、どういうこと? これから何が始まるの?」
「これからこの人の生命維持装置を外すんだよ」
ジャンクは女性のほうを見ていなかった。いや、見られなかったのだろう。
「外すと・・・どうなるの?」
「この人は死ぬ・・・」
「何それ? 意味わかんないよ」
「この人は脳障害が酷くてもう回復の見込みが無い。今はこの機械のおかげで、ただ呼吸をして心臓が動いているだけだ」
「心臓が動いてるだけ?」
「そう。この人はもう目を覚ますことは無い。だから家族で決めたんだ。こんなたくさんのケーブルに繋がれたお母さんをもう楽にしてあげようってな」
「そんな・・・せめて最期に一言くらい家族とお話しさせてあげられないの?」
「無理だ。もう話すことはもちろん、見ることも、聞くこともできない」
「そんな・・・」
パレルは俯いたまま何も言えなくなった。
「さあパレル、時間がない。この人の記憶の中に入れ。家族と会話はさせてやれなくても、家族との楽しい思い出は見せてやることはできる。」
「うん。わかった」
吹っ切れたようにパレルは起き上がる。そして、すぐに女性の顔に自分の頭を近づけた。
パレルが女性の頭の中の記憶に入り込む。
「うん。見えてきた。この人の記憶が」
パレルの頭の中にこの女性の思い出が映し出されていく。
家族三人が一緒の楽しい思い出を捜した。
しかし、そこに映し出された記憶は楽しい思い出ではなかった。
娘がこの母親に反抗している記憶ばかりだ。
あまり平穏な家庭環境ではなかったようだ。
ある日の記憶が映像として映し出される。
夕飯の支度をしているところにこの娘が帰ってきた。
この女性の声が聞こえる。
『奈美ちゃん、おかえりなさい』
奈美、この娘の名前だろう。
でも娘は返事をしなかった。
『ごはんは? 奈美ちゃん』
母親がまた呼び掛ける。すると奈美は母親を強く睨みつけた。
『あんたが作ったものなんかいらない。それにその名前、気安く呼ばないで!』
「どういうこと? 親子なのに何でこんなに仲が悪いの?」
パレルは不思議に思った。
何とか親子の楽しい思い出を見つけよう、パレルはそう思い、懸命に記憶の中を捜しまわる。
でも、出てくる思い出は娘が反抗しているものばかりだ。
時には暴力まがいのものもあった。
辛い記憶しか見つからない。
「どうして?・・・」
記憶を遡っていくと、その理由が分かった。
夫が奈美にこの女性を新しいお母さんだと紹介している。
この女性は継母だったのだ。
奈美はすでに高校生になっていた。
どうやら奈美はこの新しいお母さんに馴染めなかったようだ。この人をお母さんと認めたくなかったのだろう。
でも、彼女は奈美に気に入られようと懸命にがんばっていた。
どんな酷い言葉を掛けられても、笑顔で接し続けて・・・。
しかし、ダメだったようだ。
「やっぱりダメか。そう、この母娘、はっきり言ってうまくいってなかったんだ」
ジャンクが心配そうに声を掛けた。
「ジャンク、知ってたの?」
「ああ、ある程度の情報はな。三人の楽しい思い出が無いんならしようがない。出会う前のもっと昔の思い出でいいから捜せ」
「うん、分かった。可哀そうだけど仕方ないよね」
パレルは諦めて、もっと昔の記憶を捜そうとした。
その時、パレルはすぐ横にいた奈美の異変に気が付いた。
「あれ、この子、泣いてる? なんでだろう。お母さんのこと嫌いじゃなかったのかな?」
奈美が何か呟いている。
「ごめんなさい・・・お母さん・・・」
とても小さい声だが、パレルにははっきりと聞こえた。
「え?」
奈美の目から涙が溢れていた。
「お母さん、目を覚まして。このまま逝かないで。私、あなたを一度もお母さんって呼んでない・・・」
パレルは確信した。
「この娘は決してこの母親を憎んでいなかった。ずっと謝りたかったんだ」
そう。奈美は決してこの母親を嫌いではなかった。でも素直になれなかったのだ。
本当の母親も忘れられず、新しい母親を認めたくなかった。
でも、とても優しく接してくれるこの人を心では嫌ってはいなかった。
『お母さん』と呼びたかった。
でも呼べなかった。
母親が懸命に娘と仲良くしようとすればするほど反抗してしまっていたのだ。義理の、いや、たとえ血が繋がっていたとしても、親子とはそういうものなのかもしれない。
奈美は、母親が病気になって以来、ずっとそれを悔やんでいた。
一言でいい、『お母さん』と呼びたい、謝りたい、そう思っていた。
「ジャンク! この人、死ぬ前にちょっとでもいいから意識を戻すことできない?」
「バカ言うな!」
「だって・・・だって何とかしてあげようよ。一言でいいからこの娘(こ)の声を聞かせてあげようよ!」
「そんなことできる訳ないだろう!」
「やだよ! このままじゃ絶対にやだ! 何か方法あるでしょ!」
ジャンクは大きなため息をふっとついた。死神の役目は人を死に導くことで、生き返らせることではない。
ジャンクは悩んだ顔でしばらく下を向いて考えていた。そして、何か決意をしたかようにパレルのほうを見る。
「ひとつだけ・・・方法があることはある。僅かな時間だけなら意識を戻す方法が・・・」
「どうするの? やろう! 私、何でもやるよ!」
「俺たち死神は人が亡くなる時に思い出を見せてるだろう。この時、俺たちはその人が安らかに逝ってもらうためにプラーナというオーラを出してるんだ。これを浴びることで人の生命は最期を迎える」
「私たち、そんなオーラを出してるの?」
「ああ、そうだ。そのプラーナを逆流させることで、その人に一時的だが生命力を与えることができる。ほんの一瞬だけどな。リヴァイブと呼んでいるが・・・だが、簡単じゃあない」
『リヴァイブ』
それは死を直前にした人間に生命エネルギーを与えて一時的に蘇生させる術。
死神が召喚者を逝かせるために出すプラーナというオーラを逆流させて放射する。
そうすることで僅かな時間だが、意識不明の人間であっても蘇生させることができるのだ。
しかし、とてもイレギュラーな行為であり、誰にでもできる術(わざ)ではなかった。
天界のベテランの天使や死神であっても、成功できるものはごく僅かだった。
精神的、体力的な負担も並大抵なものではない。
「私やってみる!」
「かなりハードな術だぞ」
「大丈夫! 私やる。やらせて!」
「分かった。お前がそこまで言うならやってみるか。だたし、うまくいくかどうかは保証しねえぞ。俺も実際に成功したのは見たことねえ」
「分かってる。やるだけのことはやってみたいの!」
パレルは母親の顔にピタリと頭を近づける。
「いいか? この人の記憶の中心に集中して『生きろ』と念じろ! いつもは安らかに逝くように念じてるだろうが、今回はその全く逆だ。難しいぞ」
「分かった!」
パレルは大きな声で返事をする。
その目は鋭く研ぎ澄まされていた。
ジャンクは思った。
「ひょっとしたら、こいつならできるかもしれねえ・・・」
パレルは目を瞑り、意識を集中し念じ続ける。
「生きて・・・目を覚まして・・・」
パレルの顔がだんだんと赤く染まってくる。
「もっとだパレル。もっと意識を集中させろ!」
「了解!」
パレルは意識をさらに集中させる。
しばらくの時が経過した。
昏睡状態の母親の体は動く気配がない。
やはり、そう簡単なものではないようだ。
「パレル、そのままだ、そのまま頑張れ!」
「・・・うん」
パレルの声が少し苦しそうになってきた。
体力が徐々に奪われつつあった。
パレルはさらに強く念じ続けた。
「目を・・・お願い、目を覚まして・・・」
パレルの顔がかなり紅潮している。
息が上がり、顔もかなり苦しそうになってきた。
パレルの幼い体はもう限界に達していた。
意識がもうろうとなる。
ジャンクが、もう限界かと諦めかけたその時だ。母親の目がピクリと動いた。
「う・・・動いた?」
娘が叫んだ。
その声に横にいた医師が驚きながら言う。
「ばかな。もうほぼ脳死状態です。動くことはありえない・・・」
「いいえ、今、確かに目が動きました」
娘が懸命に声を掛け始める。
「お母さん! お母さん! 分かる?」
その懸命な娘の姿を父親と医師はやりきれない気持ちで見つめていた。
「もう少しだ! パレル!」
ジャンクが叫ぶ!
パレルは残りわずかな気力で意識を集中し続けた。
しかし、それ以上は母親の体は動くことはなかった。
だんだんとパレルの息遣いが荒くなってくる。
その時、後ろから突然女性の叫び声が掛かった。
「何をしてるの?」
天使のクレアだ。
この母親の召喚のためやってきたのだ。
「ジャンク! あなたパレルに何をさせてるの?」
「見ての通り、召喚者を蘇生させてるんだ」
「まさか、リヴァイブ? そんなことできるわけないでしょ! ましてパレルはまだ研修生よ」
「できる! パレル(あいつ)なら!」
パレルはほぼ気を失いかけていた。
クレアはこれを見て、かなり危険な状況であることを察知した。
「すぐ止めさせなさい! ジャンク」
「うるせえ! お前は黙ってろ!」
ジャンクは思った。ここで止めたら今までのパレルの苦しみが全て無駄になる。絶対に成功させるんだと。
「パレル、無茶よ! やめなさい!」
クレアは必死に呼びかけた。
「無茶は最初から承知だ! やれるなパレル!」
「うん・・・平気・・・」
パレルはジャンクの呼び掛けに苦しみながらも返事を返した。
でもその声はかなり弱っている。
「ダメよパレル。これ以上はあなたの精神(からだ)がもたない」
「大丈夫、クレアさん、やらせて!」
パレルはめいっぱいに振り絞った声で叫んだ。
「パレル・・・あなたって子は・・・」
リヴァイブは大量を精神力を消耗する。
ベテランの天使や死神でも精神に相当な負担がかかる大変危険な行為だった。
肉体を持たない天界人はいわゆる精神体だ。
そのため精神の崩壊は最悪の場合、魂そのものが分解して消滅する。
パレルの意識はほぼ無くなり、僅かな気力だけで動いていた。
「パレル! もうちょっとだ!」
ジャンクも懸命に呼び掛ける。
パレルの体はもう限界を過ぎていた。
しかし、パレルは念じ続けた。
「やめて! パレル! もう無理よ」
クレアは泣き叫ぶように呼び掛けた。
もうこれ以上は危険なのは明らかだった。
パレルの意識が遠のいていくのが見えた。
「くそっ・・・やっぱり駄目か・・・」
絶望したようにジャンクは俯いた。
パレルのまぶたがゆっくりと閉じらてれていく。
横にいたクライネスもその姿を真っ直ぐに見ることができずにずっと俯いている。
その目に涙が溢れた。
「パレルさん、無理です。もうやめて下さい・・」
クライネスは祈るように呟き、パレルと母親のほうに目をやった。
母親の顎がピクっと動く。
「う・・・動いた?」
その僅かな動きをクライネスは見逃さなかった。
「行ける・・・」
クライネスが微かな声で呟く。
「え?」
クレアが驚いた顔でクライネスを見た。
「パレルさん行けます! もう少しです!」
クライネスはめいっぱいの大声で叫んだ!
いつもの大人しいクライネスには考えられないような大きな叫びだ。
「クライネス! 何を言うの!」
クレアも思わず叫んだ。
しかし、そのクライネスの声が聞こえたのか、パレルの目が再び開き、鋭く光った。
「くううう・・・」
パレルの最後の気力が絞り出される。
その時だ。母親の目がゆっくりと、ゆっくりと開き始めた。
「え???」
母親のまわりにいた全ての人が、その奇跡に茫然と固まった。
「おかあ・・・さん?」
娘がゆっくりと呼びかけた。
「なみ・・・ちゃん?・・・」
小さな、かすかな声が病室内に響いた。
「バカな! ありえない!」
医師は思わず叫んだ。
母親は間違いなく脳死の状態であったため、意識が戻ることは医学的には考えられないことだった。
「やったぜ! 本当にやりやがった!」
ジャンクの目からも涙が溢れ出した。
「嘘? 信じられない・・・本当にリヴァイブできたの・・・」
クレアも驚きで茫然とせざるえなかった。
クライネスはもう何も言えず、横でただ泣いていた。
「おかあさん!」
もう一度娘が叫んだ。そして母親の顔に抱きついた。
「ごめんなさい、おかあさん! 今までありがとう」
娘は母親の体を抱きしめながら叫んだ。その声に母親が残り少ない僅かな気力で懸命に答える。
「あり・・が・・・とう・・おかあ・・さ・・呼んで・・くれて・・・」
微かな・・・ほんの微かな声だった。でもその声はしっかりと娘に届いた。
そして、その母親の目は再びゆっくりと閉じられた。
その閉じた目からはひと滴の涙が頬を伝わり・・・流れ落ちた。
病室内に心停止の警告音(アラーム)が鳴る。
「おかあさん・・・・」
母親は静かに息を引き取った。
でもその顔はとても安らかに微笑んでいた。
「パレル! やったな!」
ジャンクがパレルに呼びかけた。しかし、パレルの返事はない。
「おい!パレル?」
パレルは母親の脇で倒れていた。
「パレル! 大丈夫か?」
ジャンクは慌ててパレルを抱き上げた。
すぐにパレルの身体の状態を見る。
「大丈夫だ。気を失っているだけだ」
「無理させ過ぎよジャンク。この子はまだ研修生よ」
「でも、できただろ、リヴァイブ」
「ええ、確かに。私も実際に成功したのを見るのは初めてよ。この子、いったい何者なの?」
ジャンクはふっと笑いながら言った。
「天使試験に落ちた、ただの劣等生だよ」
母親の体からプシュケーの霊体が出てきた。
「ほら、このあとはお前らの仕事だぜ」
「本当にありがとうございました。これで心残り無く向こうへ行けます」
母親は涙ぐみながら大きく頭を下げた。
「お礼ならあの死神の子に言って下さい。懸命にあなたの意識を戻したんです」
クレアが気を失っているパレルのほうに顔を向けた。
「あの子が・・・本当にありがとうございました」
母親はさらに深く頭を下げた。
そしてクレアとクライネスに連れられて、ゆっくりと天へと昇っていった。
ジャンクが意識の無くなったパレルの体を抱き上げる。
「まったく、大したヤツだぜ! お前は」
ジャンクがパレルをおぶりなから歩いている。
「う・・ううん・・・」
パレルが目を覚ましたようだ。
「目が覚めたか、パレル」
「あ、ジャンク。さっきの女の人は?」
「ああ、お前のリヴァイブで目を覚ますことができた。一瞬だけどな。僅かな時間だが、お母さんと娘さんは最期の話をすることができたぞ。お前のおかげだ」
「本当?」
「ああ、すごくお前に感謝して天国へ昇っていったぞ」
「よかった・・・」
パレルはとても嬉しそうな顔をしながらジャンクの背中をぎゅっと掴んだ。
「ジャンク。ずっと私をおぶって歩いててくれてたの?」
「ああ。そうだ」
「・・・」
「ジャンク・・・」
「何だ?」
「お尻触ったでしょ?」
「ばっ・・・馬鹿! 触ってねえよ!」
ジャンクは慌てて危うくパレルを落としそうになる。
「降ろして。もう大丈夫だよ。歩ける」
「ふん、遠慮すんな。今日はゆっくり休め。明日は研修の最終日だぞ。この研修が終わったらお前も一人前の死神だ」
パレルは何も返事をしなかった。
「・・・ああ、そうだったな。お前は死神になりたくなかったんだよな」
「ううん。死神も悪くないかなあって思ってたとこ」
パレルはにこっと笑いながらまたジャンクの背中をぎゅっと掴んだ。
「おい! 苦しいよ!」
ジャンクはそう言いながら、まんざらでもないようで嬉しそうに笑っていた。
パレルの死神研修が始まってからひと月が過ぎた。
今日は天界の研修生の研修最終の日だ。
この日が終わると見習い期間が終わり、晴れて天使研修生は天使に、死神研修生は死神となって一人前となり巣立っていくことになる。
ジャンクは今日の待ち合わせ場所のマカルト広場にやってきた。
先にベンチに座っているパレルを見つけてびっくりする。
自分より早く来ているなんて初めてのことだったからだ。
「よう、パレル。めずらしく早えじゃねえか」
「おはよ・・・ジャンク」
元気の無い返事がパレルから返る。何か思いつめたように遠くを見つめている。
「どうした? 元気無いな」
パレルは黙ったまま首を横に振った。いつもと様子が違うとジャンクは感じた。
「今日は研修の最終日だぜ。これが終わったらお前も一人前の死神だ」
パレルはやはり何も言わなかった。
「ああ、そうだったな。お前は死神にはなりたくなかったんだもんな・・・」
ジャンクは少し寂しそうな顔になった。
「この研修が終わったら、ジャンクはもう私の教育担当じゃなくなっちゃうんだよね」
「ああ、天界研修が終わったら死神も天使もみんな独り立ちするんだ」
「そっかあ・・・じゃあジャンクとも今日でお別れなのか・・・」
ジャンクはパレルをじっと見つめた。
「何だ、寂しいのか? さては俺に惚れたな?」
「ばっかじゃないの!」
パレルは慌てて顔を背けた。
マカルト広場はいつも多くの天界人で賑わっている。
この天界に来てからパレルにはずっと気になっていることがあった。
「ねえジャンク。なんで天界の人にはお年寄りがいないの? お年寄りで亡くなってる人、多いよね?」
「ああそうか。お前はまだ知らなかったんだな。この天界に老人がいない理由か。それはな、人が召喚して天界に来ると、その人の本来あるべき姿に戻るからなんだ」
「人の本来あるべき姿って?」
その人の本来あるべき姿。それはちょうど成人になったころを指す。通常は十八歳から二十歳くらいの姿だ。
「あのさ、じゃあ私は何で子供の姿なの?」
その問いにジャンクは急に黙り込んだ。
「大人になる前に死んだってことだ・・・」
「え?」
「成人する前に召喚したものは死んだ時の姿でそのまま天界に来るんだ」
「じゃあ、私は子供の時、死んじゃったんだ」
「ああ・・・そういうことだ」
パレルはちょっとショックだった。
ジャンクも悲しそうな顔でパレルを見つめていた。
「そう言えば私って、どうして死んじゃったのかなあ? 病気かなあ? ジャンクは知ってる?」
「いや、知らねえよ。今は故人情報保護法ってのがあってな。他の人の死の理由とかについては簡単に分からないようになってるんだ」
「コジンジョーホーホゴホー? 何か早口言葉みたいだね」
個人の情報保護の波は天界まで広がっていた。
「私さ、現世の時のこと全然覚えてないんだ」
「みんなそうだ。現世の時のことは天界では憶えていない。逆に天界でのことは現世に生まれ変わったら全て忘れる」
「私達って生まれ変れるの?」
パレルは思わずびっくりする。
「もちろんさ。だけど天界での成績によって現世に戻れるまでの期間が決まるんだ」
天国に召喚された人、つまり亡くなった人は一定の期間を天界で過ごし、その後また現世に生まれ変わることができる。これを召還という。
召還できるまでの期間は人によって違う。成績がいいと数十年で現世に召還されることもあるし、成績が悪いと数百年以上現世に戻れない人もいる。
「そっかあ。じゃあ私、試験成績悪かったからダメだね・・・」
「そんなこたねえよ。死神だって頑張れば、いずれ現世に召還できる」
「だったら何でジャンクは何百年も死神やってんのさ?」
「何度も言わせんじゃねえ。俺は死神が好きでやってんだ!」
「ごめんごめん。そうだったね」
しばらくすると、そこにクレアとクライネスがやってきた。
「おはよう、ジャンク、パレル」
「おはようございます。ジャンクさん、パレルさん」
二人が明るく挨拶をする。
今日もこの二人と一緒のユニットになるようだ。
「よう!」
「おはようございます。クレアさん、クライネス」
二人も挨拶を返した。
「いよいよ最終日ね。今日も一日よろしくね」
クレアがニコリと微笑んだ。
「はい。よろしくお願いします。今日は最終日だもんね。クライネス、一緒にがんばろうね!」
パレルはクライネスにピースサインをする。
「はい・・・パレルさん」
元気の無い、呟くような小さな返事だった。
「大丈夫? クライネス。何か元気無いね」
パレルはクライネスの様子が気になった。
クライネスは一人前の天使になる自信をまだ持てないでいた。
「パレルさん、ひとつ訊いていいですか?」
「なあに?」
「パレルさんは、どうしてそんなに自信を持てるんですか?」
「え? 何でそんなこと?」
「私、全然自信無いんです。私に天使なんて無理じゃないかって・・・」
「フフ、私だって自信なんか無いよ。大体、天使試験落ちてるし。でも、試験落ちてからずっと落ち込んでたんだけど、教育係(ジャンク)と一緒にいたら、何か落ち込んでるのがバカバカしくなっちゃってね、怖いもの知らずの開き直りってやつかなあ」
クライネスは黙ったまま、じっとパレルを見つめていた。
「自信なんてあっても無くてもいいんだよ。自分ができることをやればいいんじゃない。どっちみち、できることしかできないんだから」
「できることを・・・ですか?」
「そう! 自分ができることを精一杯やって、それでダメならしようがないじゃない。気楽に行こうよ」
「はい、そうですね」
「あっ、ごめんね。天使試験落ちた私が天使さんに偉そうなこと言って」
「いいえ、やっぱりすごいです、パレルさんは。何で試験落ちたのか不思議です」
それを聞いたパレルはちょっと落ち込んだ顔になった。
「あっ、すいません。私、失礼なこと言ちゃって・・・」
「いいよいいよ。気にしないで」
「何笑ってんだ? そろそろ行くぞ」
ジャンクが二人に声を掛けた。
四人は最後の研修となる今日の召喚者の場所へと向かった。
二人が着いたのは都会にある、かなり大きな病院だった。
「ここだ」
「今日もまた病院?」
「ああ、そうだ」
その病院の中に入ると、手術台の上で赤ちゃんが手術を受けていた。
そのすぐ横で若い夫婦が手術着を着て立ち会っている。
この赤ちゃんの両親だ。
赤ちゃんの意識は無い。
母親は顔を伏せたまま泣いていた。
もうこれが最期ということなのだろう。
「ジャンク、まさかこの赤ちゃんが?」
「そうだ・・・」
「そうだって・・・この子、まだ生まれたばかりじゃないの?」
「ああ、生後一週間しかたってない」
「どうして?」
「出産の時に母体にトラブルがあってな。正常な分娩じゃなかったんだ」
「でも・・・たった一週間って・・なんとかもう少し延せないの?」
「ダメだ。人の寿命は生まれた時に既に決まっているんだ。これはどうしようもねえ」
「だって・・・だってかわいそうだよ! たった一週間なんて!」
「それがこの子の運命なんだ」
人の寿命という運命は誰にも変えることはできなかった。
「この子のパパとママもかわいそう。一週間だけなんて酷すぎるよ」
「そうだな・・・実はこの夫婦には前にも娘がいたんだけど、六歳の時に亡くしてるんだ」
「えっ! そうなの。それなにのまた・・」
「さあパレル、仕事だ。この子に楽しい思い出を見せてあげろ」
「だって生まれてたった一週間だよ! 思い出なんて何も無いじゃない!」
「そんなこたねえ。さあ」
「・・・ダメだよ。私には無理だよ」
思い出を集めて見せることは、召喚者が若ければ若いほど難しい。記憶の量が少ないためだ。
このような生まれて間もない赤ちゃんはベテランの死神でも難しい仕事だった。
「やるんだパレル! お前しかこの子を救えねえんだ」
「救う? 救うって、どうせこの子死んじゃうんでしょ!」
パレルの目からぽろぽろと涙がこぼれ出した。
「この子を寂しいまま死なせてしまっていいのか?一週間とはいえ、この夫婦に愛情をいっぱい注いでもらったはずだ。その愛情が思い出になるんだ」
パレルは泣いたまま、まだ動けない。
「パレル! お前しかできねえんだよ! やるんだ!」
ジャンクの強い口調にパレルは覚悟を決めた。
「わかったよ・・・」
パレルは涙をぬぐいながら赤ちゃんに顔を近づけて目をつむった。
赤ちゃんの記憶がパレルの頭に入ってくる。
しかし、見える記憶の映像は薄暗くよく見えなかった。
「ジャンク、どうなってんの? 暗いし、ぼやけてよく見えないよ」
「ああ、生まれたばかりだから、まだよく目が見えないんだ」
「見えないって・・・どうすればいいの?」
「声だ。声が聞こえるだろう?」
「声?」
確かに聞こえる。パパとママの声だろう。
とても喜んでいる弾んだ声だ。
薄暗くぼーっとしか顔は見えないけど、両親のいっぱいの愛情が強く伝わってくる。
その溢れてくる愛情を赤ちゃんに伝えるしかない。
「お願い・・・少しでも幸せな気持ちを感じて・・・」
パレルは祈りながら心の中で叫んだ。
その時、薄暗くも微かに見えていた記憶が突然、真っ暗な暗闇になった。
「どうしたんだろう?真っ暗になっちゃった。それに声も聞こえない」
パレルは途方に暮れた。
「ジャンク、どうしよう? 何も見えないよ」
呼びかけたがジャンクからの返事は無い。
しばらくすると、突然、記憶が再び映り始めた。
「よかった。見えてきた」
パレルはホッとしてあたりを見渡した。
そこには広い芝生が生い茂り、まわりの花壇には色とりどりの花が咲き乱れていた。
どこかの家の庭だろう。とても綺麗だ。
「パパとママが二人で笑ってる」
どうやら両親とボール遊びをしているようだ。
「あれ? そう言えばこの子、目が見えてる? それに生まれて間もないはずなのにもう歩いてるし、何で外で遊んでるんだろ?」
家の窓ガラスに姿が映った。それは赤ちゃんではなく、五,六歳の幼い女の子だった。
どうやらこの記憶はさっきの赤ちゃんのものではないようだ。
「誰? これ?」
「パレル、大丈夫か?」
ようやくジャンクの声が聞こえた。
「ジャンク、どういうこと? わけわかんないよ。これ、誰の記憶?」
「ああ、たまにあるんだ。生まれたばかりの赤ちゃんは前世の記憶が残っていることが多いんだよ」
「え? じゃあこれ・・・この赤ちゃんの前世の記憶ってこと?」
「そうだな」
「でも変だよ。パパとママはさっきと同じ人だよ」
ジャンクはしばらく黙っていた。
「どうしたのジャンク?」
ようやくジャンクの口が開いた。
「この赤ちゃんな・・・以前亡くなったという前の娘さんの生まれ変わりだ。この記憶、その子のだよ」
何それ? 生まれ変わりっていうことは、同じパパとママのところに生まれ変わることができたの? え? でもまたすぐに死んじゃうってこと?」
「そうだ・・・」
「そうだじゃないよ! そんなの酷すぎるよ! ダメだよそんなの!」
「これがその子の運命なんだ・・・」
「運命って何? そんな酷い運命、誰が決めたのよ!」
「神様に決まってるだろ」
「じゃあ私、神様に文句言ってくる! 頼んでみる! この子死なせない!」
「無茶言うな、パレル」
「私、もう試験落っこちてるから何も怖いものないもん!」
「ダメだ! 決められた運命はもう変えられない!」
「だって・・・だって可哀そうだよ・・・せっかく生まれ変われたんだよ・・・」
パレルの声が涙でかすれる。そしてその涙はパレルの頬を溢れんばかりに覆った。
あまりにも非情な運命に対し、パレルは何もできない自分が悲しく、何よりも悔しかった。
記憶は何も知らずに楽しそうにボールを追いかけて遊んでいる。
『優奈!』
母親がこの子の名前を呼んだ。
「優奈?・・・」
この名前がパレルの脳裏に突き刺さる。
「え?・・・あれ?」
その響きはパレルの心の奥底にあった記憶の塊をゆっくりと溶かし始めた。
「ゆうな・・・ゆうな?・・・」
「この家・・・この庭・・・憶えてる・・」
まるで雪溶け水が流れ出した川のように、溶かされた記憶がどんどん溢れ出てくる。
「優奈、私の名前だ! これ私の記憶だ!」
そう、これはパレルの前世の記憶。
この子はパレルの前世だった。
パレルの記憶が甦る。
パレルは思い出した。
パレルが誰よりも大好きだったパパとママだ。二人が今、目の前にいる。
「パパ! ママ!」
声にはならない。
けれど心の中で大声で叫んだ。
「パパ、ママ、私だよ! 優奈だよ!」
パレルはパパのママに抱きつこうと二人のほうへ行こうとする。
しかし体は振り返り、なぜか反対のほうへと向かった。
「えっ、何? そっちじゃないよ」
遊んでいたボールがてんてんと転がっていく。
そして、そのボールは庭から飛び出し、外の道路へと転がっていった。
映像(きおく)はそのボールを追いかける。
「あっダメ! そっちへ行っちゃ!」
もちろん声なんか出ない。
でもパレルは心の中で呼びかけ続ける。
『優奈っ! 止まって!』
母親の叫ぶ声が聞こえる。
「ダメだってば!」
パレルは懸命に止めようとするが、その体は全く言うことを利かない。
記憶はそのままボールを追いかけて道路へと飛び出した。
「あぶないっ!」
記憶が転がっていたボールを手に取った瞬間、視界は大きな影に覆われた。
すぐ横を見ると、目の前の大きなトラックが獣のように襲いかかってきていた。
体は凍りついたように全く動かない。
『優奈っあああ!』
母親の悲鳴のような叫び声が響いた。
次の瞬間、記憶は真っ暗になった・・。
「パパ、ママ、ごめんなさい。私、何もできずに・・・なんにも親孝行できずに・・・死んじゃったんだ・・・」
しばらくの間、真っ暗な闇の時が続いた。
パレルは心の中でパパとママにずっと謝り続けた。
すると、パレルの目の中のその闇の奥に小さな光が見え始めた。
そしてだんだんと広がっていく。
それはまたたく間に大きくなり、眩い光と共に一気に視界が開けた。
「まぶしいっ!」
しばらくすると徐々に光にも慣れ、あたりが見えてきた。
すると目の前にパパとママの顔が映っていた。
「あれ? ここ、さっきの病院? パパとママがいる。これ、またあの赤ちゃんの記憶?」
いや、違う。これは記憶ではない。
手と足に感じる感触。肌から感じる暖かさ。明らかにこれは現実だった。
「私、あの赤ちゃんになってる?」
『もう大丈夫ですよ! 奇跡だ!』
横にいた医師が叫んだ。
『よかった! 本当によかった!』
パパとママが泣きながら抱き合って喜んでいるのが見える。
「一体どういうことだろう?」
「おめでとう! やったなパレル!」
「ジャンク、どこ? どこにいるの?」
パレルはジャンクの姿を捜した。でも、どこにも見えなかった。
「お前はもう現世の人間に戻ったからな。俺の姿はもう見えないよ。もうすぐ声も聞こえなくなるだろう」
「どういうこと? これ」
「お前はこの天界研修でトップの成績だったんだ。天使たちを抑えてだぞ。それで特待生に選ばれたんだよ」
「トクタイセイ? 何それ?」
「うーん。簡単に言うと、一所懸命に頑張ったからご褒美を貰えるということかな」
「ご褒美?」
「そうだ。お前はまたパパとママのところに生まれ変われるんだ」
「私、またパパとママの子になれるの?」
「そうだよ、パレル。この赤ちゃんはお前の生まれ変わりだったんだ」
パレルはまだ実感が湧かない。しかし、じんわりと伝わってくる暖かな肌の感触がこれは現実なんだということを教えてくれた。
「よかったな、パレル」
「ありがとう、ジャンク」
「礼なら神様のゼウスに言いな。全てあの人が決めたことだ」
「そうなの? 一度会いたかったな、神様」
「まあ、いづれ会えるさ。まだ随分先の話だがな」
「え?」
「ああ・・・なんでもねえよ」
ジャンクは誤魔化すようにふっと笑った。
「俺、そろそろ行かなきゃ。元気でな、パレル」
「え? ジャンク、行っちゃうの?」
突然の別れの言葉にパレルは驚く。
「ああ、俺にはまだまだいっぱい仕事があるからな」
「ジャンク、また会えるよね?」
「死神に物騒なこと言うんじゃないよ。俺に会う時は死ぬ時だぞ。お前と次に会えるのは確か九十年以上先・・・・おっといけない、これは本人には喋ってはいけない規則だった。まあいいか、この記憶はすぐに消えるだろうし」
「この私の記憶、消えちゃうの?」
「ああ、あと十分程度かな。死神だった時の記憶は全て消える」
「私、ジャンクのことも・・・忘れちゃうの?」
「ああ」
「ジャンクも私のこと・・・忘れちゃう?」
パレルは悲しそうに俯いた。
ジャンクも困ったように下を向いた。
「俺は忘れないよ、お前のこと」
「じゃあ私も忘れない! ジャンクのこと」
パレルは元気いっぱいに笑った。
その輝く笑顔と思わぬ言葉にジャンクは顔を横に逸らした。
目に潤んだものを隠すつもりだったのだろうが、その姿はパレルにはもう見えない。
「あのなパレル・・・実は・・・」
「なあに?」
「・・・いや、何でもない」
ジャンクは言いかけた言葉を飲み込んだ。
「ありがとな。お前の笑顔はどんな天使よりも天使らしいよ」
ジャンクはめいっぱい平然を装った。涙を悟られぬように。
「あれ? もしかして、ジャンク泣いてるの?」
「・・・泣いてねえよ!」
「相変わらず嘘が下手ね、ジャンク。また泣いてるんだ」
聞き覚えのある女性の声が後ろから聞こえた。
姿は見えないがクレアの声だ。
「え? もしかしてクレアさん?」
「よかったわね、パレル。おめでとう!」
「ありがとうございます。クレアさん」
「おめでとうございますパレルさん。すごいです。全研修生でトップなんて!」
クライネスの声だ。
「ありがとう、クライネス」
「ジャンクはね、以前あなたが死んだ時に、それはもう大変だったのよ・・・」
「クレア、余計なこと言うな!」
慌ててジャンクが止めた。
「え? 私が以前、死んだ時って何?」
「ジャンク、あなたパレルに何も話してないの?」
ジャンクは黙ったまま背けた。
「どういうことですか?」
「私とジャンクはね、あなたが以前に召喚、つまり死んだ時の担当だったの」
「え?」
思いもしなかったクレアの言葉にパレルは固まった。
「すまねえパレル。黙ってて」
ようやくジャンクが口を開いた。
「お前が車に轢かれて死んだ時、俺はお前のすぐそばにいたんだ」
「うそ? ジャンクが私の死んだ時の・・・」
「ああ、本当だ。でもその時、俺はお前にいい思い出を見せてやることができなかった。俺が下手くそのせいでな」
確かにパレルには死んだあとの記憶がほとんど無かった。
「召喚する時にいい思い出が見ることができないと魂が不安定になるんだ。特に子供はな。天使試験の成績が悪かったのもそのせいだよ。本当にすまなかった」
しばらくパレル黙っていた。
しかし、クスっと小さく笑ったあと、ゆっくりと首を横に振った。
「ジャンクのことだから、どうせクレアさんにでも見惚れてボーっとしてたんでしょ?」
「ばかやろう!そんなわけねえだろ!」
「フフっ、いいよ謝らなくて。死神、けっこう楽しかったよ。ジャンクにも会えたしさ」
「ありがとうな、パレル。そう言ってもらると俺も・・・」
ジャンクは俯きながら静かに笑った。
「もう時間だな。そろそろお別れだ、パレル」
「またいつか会おうね。絶対に」
「ハハ、そうだな・・・百年くらい未来でな。ヨボヨボのおばあちゃんになったお前を迎えに来てやる」
「うん、待ってるよ!」
「ああ、もう車の前に飛び出すんじゃないぞ。パパとママに親孝行しろよ」
「ジャンクも美人の天使にデレデレすんなよ! 死神のプライド持ってね!」
「うるせえな、分かってるよ。じゃあ元気でな」
「うん。ジャンクも元気でね」
「俺はもう死んでるけどな」
「ふふ、そうだった」
「今度は幸せになるのよ、パレル!」
「がんばって下さい、パレルさん!」
クレアとクライネスが最後の別れの言葉を掛ける。
「ありがとうクレアさん、クライネス。さようなら」
声がだんだんと小さくなり、聞こえなくなってきた。
もう残された時間は僅かだ。
「ありがとう! またね、ジャンク!」
パレルはめいっぱいに叫んだ。
それを聞いたジャンクは最後に大声で叫んだ。
「生きろパレル! 達者でな!」
ジャンク、クレアそしてクライネスの三人は父親と母親に見守られている赤ちゃんに戻れたパレルを見ながら病室の中で微笑んでいた。
でも、パレルからはその姿はもう見えない。
「聞こえたかな? 最後の俺の声」
ジャンクは心配そうに呟いた。
「聞こえたわよ、きっと」
クレアが優しく微笑む。
「大丈夫ですよ。ほら、あんなに明るく笑ってますもん」
クライネスも赤ちゃんを見ながら思わず笑った。
「彼女の召喚の時は『俺は泣きじゃくってたから、いい記憶を見せられなかったんだ』・・・なあんて本当のことはパレルには言えないわよね」
クレアが悪戯っぽくジャンクをからかう。
「うるせえ! 言うな!」
「ふふ・・・」
「ジャンク、あなた、自分からパレルの教育係を名乗り出たらしいわね。ゼウスに聞いたわ」
「あいつが死んだ日、ゼウスのところに頼みに行ったんだ。その時に約束したんだ。パレルを研修生のトップにさせることができたら、召喚期間を経ずに現世に戻してやるってな・・・」
ジャンクは優奈の死をただ見ていることしかできなかった。命を助けることも、まともに召喚させてやることもできなかった。
だから、どうしてもパレルを救いたかった。自分の手で。
「じゃあ、最初からパレルを特待生にさせるつもりだったの? だからあんな無茶ばっかり・・・数百人いる研修生のトップだなんて・・・」
「俺も正直、トップを取るなんて自信は全く無かったさ。でも、やるだけのことはやりたかったんだ。あいつのために」
「本当によくやったわね、パレル」
「ああ、たいしたヤツだよ」
「教育係が良かったのかな?」
「まあな!」
「でも、まさかリヴァイブに成功するなんてね。ゼウスもびっくりしてたわ。研修生では前代未聞だって」
「そう言えばお前か? そのことゼウスにチクッたの」
「チクッたなんて人聞きが悪いわね。ご報告・・・って言っていただけるかしら」
「・・・ったく」
「あなたにも今回のパレルの教育担当した功績で、天使昇格の通知が行ったでしょ」
研修生の教育係は、受け持った研修生が優秀な成績を修めると、その功績が認めらて褒美が与えられる。
「チッ、何でも知ってやがんな。でもその話は断ったぜ」
「何で?」
「俺は死神が好きなんだよ」
ジャンクは気取った感じで答えた。
「ふふ・・・ジャンクならそう言うと思った。昔から変わらないね」
「・・・・今、怒るところか? 照れるところか?」
「どちらでも・・・」
クレアはちょっと呆れ顔で苦笑いをする。
「それにしても何だよ、昇格って? 俺たち死神は天使より身分は上でも下でもねえ!」
ジャンクは昇格させるという言葉が気に入らなかった。
天使と死神は人気の違いであって、身分の上下はない、そう思っていた。
「そうね。それにジャンクに天使の制服は似合わないわね。想像しただけで笑いが止まんないわ。ねえクライネス」
「そうですね・・・確かにちょっとキツイですね」
「違いねえ!」
なぜか自慢げに答えるジャンク。
「あの、ここは怒るところだよ、ジャンク」
「え、そうなのか?」
三人は顔を見合わせた。
「フフッ・・・」
みんな思わず笑いが漏れた。
「パレル、今度は幸せになれるといいわね」
「ああ、なれるさ」
三人は赤ちゃんを見守りながら、ゆっくりと天界へと昇っていった。
保育器の中にいる赤ちゃんを父親がゆっくりと抱き上げる。
「結菜、パパだぞお!」
「結菜、ママよ!」
赤ちゃん(パレル)を二人で強く抱きしめた。
パレルはパパとママの温もりを感じていた。
―あったかい・・・。
その感覚は夢でも記憶でもなかった。
父親がさらにぎゅっと赤ちゃんを強く抱きしめた。
「きゃっ、苦しいよパパ」
もちろん声にはならない。
心の中での叫びだ。
「パパ、ママ、今度は絶対に親孝行するからね!」
その笑顔は、まるで天使のように輝いていた。
春の暖かい日差しの中、色とりどりの花が庭一面に咲き乱れている。
その向こうには大きな洋風の屋敷があり、その横にあるウッドデッキにロッキングチェアに揺られながら一人のおばあさんがスヤスヤと眠っている。
とても気持ち良さそうだ。
編み物をしている途中だったのだろうか、その手には編み棒と毛糸を抱えていた。
「大おばあ様! 大おばあ様!」
五、六歳くらいだろうか、二人の女の子が家の中から出てくると、そのおばあさんにもたれかかって起こし始めた。
このおばあさんのひ孫のようだ。
二人ともそっくりな顔なので双子だろう。
「大おばあ様ってば!こんなとこで寝てたらお風邪ひいちゃうよお」
一人の子がそう言いながらおばあさんの体を揺する。
「あらあ、舞菜。来てたのかい?」
「大おばあ様、また間違えてる。私は雪菜よ」
「舞菜は私だよお」
もう一人の子がひょっこり顔を出す。
「ごめん、ごめん。二人とも可愛すぎてわからないよ」
「大おばあ様、とっても楽しそうに寝てたよ。なんかいい夢見てたの?」
「夢?そうか。今まで見てたのは夢だったのね。フフっ、死神になって生まれ変わるだなんて、なんて夢かしら」
「え? 大おばあ様、死神になった夢を見たのお?」
舞菜が心配そうに訊いた。
「えー雪菜、怖いよお」
雪菜がおばあさんにしがみついた。
「ううん。全然怖くないのよ、死神さんは」
「本当?」
「舞菜ねえ、死神さん見たことあるよお」
舞菜が自慢げに言う。
「えー、舞菜ウソばっかり!」
「ウソじゃないもん! ホントだもん!」
嘘と言われた舞菜はムキになって雪菜に言い寄った。
「どこで見たのよ?」
「夢の中で」
「なあんだ。夢の中だったら雪菜もあるよおだ」
姉妹、特に双子は対抗心が強いようだ。
「あら本当かい? さすが双子だねえ。二人とも仲良く夢で死神さんを見たことあるんだ」
「雪菜のは本当だよ。何回もあるよ!」
「舞菜も本当だもん! 舞菜も何回もあるもん!」
譲らない性格の二人はムキになって言い合った。
「はいはい、分かったよ。でもこんな夢見るなんて、私にもそろそろお迎えがくるのかしらねえ・・・」
「お迎えって、誰か来るの?」
「うん。私のお友達だよ」
おばあさんはそう答えながらニコニコと微笑んだ。
「大おばあ様のお友達が来るの? 誰? 舞菜も知ってる人お?」
「うーん。名前なんていったかしら、忘れちゃったわ。さあ、もう家の中に入りなさい。ちょっと寒くなってきたから」
「はーい」
二人は仲良く家の中に入っていった。
「ああ、それにしても不思議な夢だったわ。何かすごく懐かしい感じがする。夢に出てきた死神、名前なんていったかしら。ジ、ジ、ジャンゴ?・・・」
『ばかやろう! ジャンクだ!』
庭の向こう側で聞き覚えのある妙に懐かしい男の声が聞こえた。
「そうそう、ジャンクだ・・・え?」
おばあさんは驚いてあたりを見回した。
「誰かいるのかい?」
『え?お前、俺の声が聞こえてんのか?』
その声の主も驚いた様子だ。
「だ、誰だい?」
庭先に白樺の木が立っている。その前に薄らと人の影が見えた。
「え?」
そこには見覚えのあるダサイ黒い服を着た男が立っていた。
『まさか、俺の姿も見えてんのか?』
そう。それは夢の中に出てきた死神のジャンクだった。
「えーっ!まさか、ジャンクかい?」
パレル(おばあさん)の記憶の奥底にあった塊が今溶けた。
『憶えてんのか?俺のこと』
「本当にジャンクなの? あれは夢じゃなかったのね」
おばあさんもびっくりしたが、それ以上にびっくりしたのはジャンクだ。
『普通憶えてないはずなんだけどな。やっぱりお前すごいんだな』
「やっぱりジャンクなのね。久しぶりね」
『ああ、九十六いや九十七年ぶりか』
「あなた変わらないわねえ。でも相変わらずダサイ制服だね」
『そりゃ死神だから歳は取らねえよ。ダサイは余計だ。お前のその笑顔は昔と変わらず可愛いぜ』
「相変わらず嘘が下手だねえ。そこまで見え透いた嘘を聞くのは何十年ぶりかね」
おばあさんはそう言いながら大笑いをした。
「そうか。あなたが来たってことは私も向こうに行くのね。でも、もう思い残すことは何も無いから大丈夫だよ。さあ、行こうか」
『いや、それがな・・・』
急にジャンクは困った顔になった。
『今、日本も高齢化で亡くなる人が増えすぎてな。天界の手続きが追いつかないんだ』
「え? どういうことだい?」
『んーだからな。お前は本当は今日で寿命のはずだったんだけど、それがもう少し延びることになったんだ』
「延びたって・・・寿命が?」
『ああ。召喚する人が集中しすぎないように、とりあえず健康な老人から寿命を延ばすということが天界で決まったんだ。お前の寿命は五年ほど延長になった』
「定年延長みたいに軽く言わないでおくれよ。私はそろそろ逝ってもいいころだと思ってたんだけどねえ。大体、寿命って生まれた時に決まってんだろう。そんな簡単に延ばせるもんなのかい?」
『しようがねえだろ。天界の見通しが甘かったんだろうな。召喚担当の事務処理が想定を超えたもんで追いつかないんだとさ。それで寿命についても規制が緩和されたんだよ』
「そっちもこっちもお役所は同じようなことやってんだねえ・・・。あと五年かい・・・最近、体の痛みが酷く苦しくなってね。そろそろそっちに行って楽になろうと思ってたんだけどねえ」
『そうだろうな。本当は今日がお前の召喚日だったからな。でも安心しろ。今日、寿命の延長申請が通ったはずだから、明日には体の痛みが楽になると思うぞ』
「けっこういい加減なもんなんだねえ」
あばあさんは呆れ顔になる。
『まあ規制が緩和されてからはそんなもんだ。そうだ、お前に朗報があるんだ。お前は前世で召喚した時に特待生になってるから神様から特別推薦が貰えたぜ。今度は天使試験が免除で天使になれるんだ。よかったな』
あばあさんはニコリと笑ったあと、ゆっくりと首を横に振った。
「ううん。私はまた死神をやりたいな。ジャンクと一緒にさ」
『何言ってるんだよ。あんなに天使に憧れてたのに』
「私は死神の仕事にプライド持ってるからねえ」
「そういえばクレアさんとクライネスは元気?」
『ああ、あの二人は優等生だったからな。確か五、六年前に召還して現世(こっち)で生まれかわってるよ』
「本当? さすがクレアさんとリコルね。よかったわ」
『二人ともこの地域の担当だったからな。もしかしたら近所に住んでるかもしれないな』
「ところでジャンクは?」
『うるせえ、訊くんじゃねえよ。見りゃ分かんだろ。大体、俺はこの仕事が好きなんだ』
「ごめんごめん。そうだったわね」
『ああ、俺はもう行かなくちゃ。じゃあな』
「え? ジャンク、もう行っちゃうのかい? せっかく会えたのに」
『お前の寿命延びちゃったからな。またしばらくお別れだ』
「五年後もジャンクが来てくれるんだろう?」
『ああ、来たくねえけど、来てやるよ』
「ふふ、相変わらずのツンデレだね。待ってるよ」
『俺が迎えに来るまで達者にしてろよ』
「そりゃあ、死神のあなたが迎えに来るまではきっと達者なんだろうねえ」
『違いねえ!』
ジャンクの昔と変わらない懐かしい台詞にパレル(あばあさん)はニコリと微笑んだ。
「またねジャンク」
『ああ、またな、パレル』
ジャンクの姿がゆっくりと消えていった。
「大おばあ様、ごはんだよお」
舞菜と雪菜の二人がおばあさんを迎えにきた。
「はいはい。それじゃあ、行こうかね」
「ねえ、大おばあ様。今の黒い服の人、だあれ?」
舞菜がぽつりと尋ねた。
「え?」
どういうことだろうか。
普通の人には死神は見えないはずだ。
「舞菜、あんた、さっきの黒い服の人が見えたのかい?」
「うん、あの人見たことある。夢の中で見た死神さんだったよ。さっきと同じ変な帽子とダサイ黒い服着てた」
「雪菜も見たよ、ダサイ黒い服の男の人。夢の中で見た死神さんだよ」
「舞菜、雪菜、あんたたち、もしかして・・・」
「どうしたの? 大おばあ様・・・」
二人はきょとんとした顔でおばあさんを見つめた。
「・・・ううん、なんでもないよ。そうだね。誰が見てもダサイよね、あの服・・・」
おばあさんはにっこりと微笑むと二人をぎゅっと強く抱きしめた。
「苦しいよお・・・大おばあ様」
「ああ、ごめんごめん。つい嬉しくてね。
おばあさんは抱きしめていた両腕をゆっくりと離した。
その目には薄っすら涙が浮かんでいる。
「どうしたの? 大おばあ様」
二人は不思議そうに顔を見合わせた。
「大おばあちゃん、舞菜、雪菜、早くいらっしゃい! スープが冷めちゃうわよ!」
部屋の中から三人を呼ぶ声が聞こえる。
「はーい!」
三人は揃って元気よく返事をした。
「さあ、行こうか。今日の夕飯は何かな?」
おばあさんは重い腰を上げ、ゆっくりとロッキングチェアから立ち上がった。
「やれやれ、あと五年がんばらなきゃいけないようだ・・・」