「ここが今日の最初の仕事場だ」
二人が着いたのは地方にある小さな病院だ。

病室に一人の男性の老人がベッドに横たわっていた。
そのベッドの脇にはその老人の息子夫婦と孫の男の子が座っていた。

「父さん! しっかり!」
老人の息子が声を掛けている。

「この人が今日の召喚者だ」
ジャンクがパレルに言った。

召喚者とはこれから天国へと旅立つ人のことだ。
「この人は早くに奥さんを亡くして男手ひとつでこの息子を育ててきたんだ。でも孫もいるし、まあまあ幸せな人生だったんじゃないかな」
その老人はもう意識が無いようだ。

「ジャンク。このおじいさん、もう死ぬの?」
「ああ、あともう少しだな。さあパレル、仕事だぞ」
「わかった」
パレルはその老人のすぐ横について顔を近づけた。そしてその老人の思い出を読み取っていく。

「うん、見える見える。このおじいさんの人生が・・・」
「よし、いいぞ。できるだけ楽しい思い出を捜してやれ」
「小さい時はまだ戦争中で、生活はけっこう大変だったみたいだね」
パレルの脳裏にその老人の人生が映画のように映し出されていく。
「あっ!女の人と出逢ったよ。奥さんみたい。初めてのデートかな。おじいさん緊張しまくってるけど、すっごく楽しそうだよ。これキープね」

しばらくすると、なぜかしら突然に記憶の映像がぼやけ始めた。
「ジャンク、どうしたんだろう・・・だめだ、映像(きおく)が見えなくなっちゃったよ」
「もうかなり齢がいってるからな。記憶が固まってるんだろう。頑張るんだパレル」

人間、歳をとると記憶は固まって塊のようになる。
人の記憶というのは決して消えることはない。
だが、使っていない記憶ほど塊のようになり、読み取りづらくなるのだ。
これが忘れるというメカニズムだ。
パレルはもう一度老人の記憶の中へと入り込み、懸命に塊となった記憶を溶かそうとする。
しかし、コチコチに固まった記憶を溶かすのは容易ではなかった。その記憶が古ければ古いほどそれは困難で、集中力と根気が必要になる。

「あっ、見えてきた見えてきた。よかったあ!」
何とか記憶の塊を溶かすことに成功したようだ。
赤ちゃんの誕生、息子さんとのキャッチボール、家族みんなでの旅行、初孫、その老人からいろいろな思い出が流れ出てくる。
空襲、戦地での辛い戦い、戦争中の苦しい記憶もあるが、これには触らないで置こう。
パレルはこの記憶の中から楽しそうな思い出を懸命に集めて老人に見せ始めた。

「よーし、いいぞ。その調子だパレル」
「おじいさん、見えてるかなあ?」
老人の顔が微笑んでいる。

『父さん。笑ってる・・・』
息子が優しい顔で呟いた。

老人につながれたケーブルの先にある医療機器の警報音(アラーム)が大きく鳴り響いた。
付き添っていた医師が老人の目の中を確認する。
『ご臨終です・・・』
医師が静かに囁いた。

「ごくろうさま」
「わっ、びっくりした!」
突然の声にパレルは思わず叫んでしまった。
すぐ横に天使のクレアと研修生のクライネスが召喚者の迎えに来ていた。
「とってもよかったわよ、パレル」
クレアが優しく微笑みかける。
「ありがとうございます」
パレルはペコリと頭を下げた。

「おう、お疲れ!」
ジャンクがクレアに軽い挨拶する。
ここで仕事は死神から天使へと引き継がれる。
ここからは天使の仕事だ。

「あとは私たち天使の仕事ね。任せて」
「ああ、よろしくな」
「さあクライネス、次はあなたの番よ。いつも通りにやれば大丈夫」
「は、はい・・・」
クライネスは小さな声で返事をした。だが、ちょっと自信が無さそうだ。

天使の仕事は、この老人を一緒に天国まで連れていくことだ。
クライネスは緊張からなのか、かなり硬くなっているように見えた。
パレルはその様子を見てちょっと心配になった。
「大丈夫かな? クライネス・・・」
老人の体から透き通った老人がゆっくりと浮き出てきた。
これはプシュケーと呼ばれる幽体、いわゆる霊魂だ。

「さあクライネス、今よ!」
「はい・・・」
クレアの掛け声と共にクライネスは老人の手を取る
「さあ、おじいさん、参りましょう・・・」
そう言うクライネスの手が震えている。
やはり緊張にせいだろうか、手がおぼつかず、なかなか浮き上がれない。
「頑張って! クライネス!」
パレルは両手をギュッと握りながら声を掛けた。
「はい。ありがとうございます」
クライネスはその声に優しく微笑んだ。
パレルの応援の声が効いたのか、だんだんと老人とクライネスの身体が宙に浮き始めた。
「やったあ!」
パレルがジャンクに抱きつきながら叫んだ。
老人はクライネスに手を取られながら、ゆっくりと空へと昇っていく。

老人がパレルに向かって笑いかける。
「おじょうさん、いい思い出をありがとう」
老人はお礼を言いながら手を振っていた。
パレルも老人に見えるように大きく手を振った。
「よかった。おじいさん、喜んでくれたみたい。クライネスもよく頑張ったね」
「ああ、そうだな。どうだ? 死神の仕事もそう悪くないだろ?」
ちょっと自慢げな顔でジャンクが訊いた。
「うん。そうだね」
パレルの顔から迷いが消え、何か自信を持った顔つきになったように見えた。

「さあ、次行くぞ」
「えっ、もう次? 休憩とか、もぐもぐタイムとか無いの?」
「そんな暇あるわけねえだろ。一日に何人の人が亡くなってると思ってんだ? 大体なんだよ、もぐもぐタイムって?」
「もぐもぐタイム知らないんだ。遅れてるね」
「悪かったなあ!」
ジャンクは馬鹿にされたような気がしたのか、ちょっとふて腐れた。

「死神って、けっこうブラックなんだね」
「ブラックって何だ?。まあ死神のイメージカラーは確かにブラックだけどな」
 パレルは呆れたようにふっとため息をついた。
「まあいっか。この制服の色を見た時から嫌な予感はしてたんだ・・・」
ブツブツ言いながら二人は次の召喚者のところへ向かった。