「手を貸そうか?」
「いい!」
 
 大きな石がゴロゴロしている急斜面を登るイヴとカケル。
 先に立つカケルが手をさしのべるが、イヴは拒否した。
 
「これぐらいの崖、へっちゃらよ!」
 
 本当はきついのだが、見栄を張った。
 言い放った後、あまりにも強く拒否したので、カケルが気分を悪くしていないか少し気になった。
 イヴはプライドの高い性格だ。
 誇りに見合う努力をしており、同世代の中でトップの成績を修めているが、つい偉そうな物言いで相手を不快にさせてしまうことがよくあった。
 
「カケル……?」
「んー」
 
 振り返ったカケルの表情は、普段と変わらない飄々としたもので、イヴはほっとした。
 月光を受けて、瞳孔が広がったカケルの瞳が淡く光っている。
 猫と同じで竜族も夜目がきく。
 人間のイヴは暗闇を見通せないので、魔術で小さな明かりを作って足元を照らしていた。
 
「偵察のこと、ロンド先輩は知ってるの?」
「勿論。俺は風竜だから、もともとこういう仕事が向いてるんだって。気配に敏感だし、すぐに逃げ出せるし」
「そう……」
 
 目の前の青年は「落ちこぼれ」のはずなのに、なぜだろう。ロンドもオルタナも、カケルのことを信頼して評価しているように思う。
 信頼していなければ、偵察など危険な任務を任せたりはしないだろう。
 
「イヴはなんで竜騎士になりたいの?」
「いきなり何よ」 
 
 唐突な疑問に、イヴは額の汗を拭いながら怪訝な顔をした。
 カケルの方は斜面を登るのに息切れしている様子はない。
 憎たらしく見えるほど余裕綽々だ。
 
「竜騎士って男が多いじゃないか。女性のイヴは人一倍努力しなければいけないのに、大変だなと思って」
 
 それはそうなのだが、落ちこぼれ竜のカケルに涼しい顔で言われると腹が立つ。
 
「竜騎士を目指すのに男も女もないでしょ! 馬鹿にしてるの?!」
「まさか。凄いなと思って」
 
 飄々とカケルが言うものだから、イヴは肩の力が抜けてしまう。
 
「俺はさー。道で寝てる竜を見て、竜族になりたいと思ったんだよね。好きな時にお昼寝できるって最高だろ?」
「ちょっとあんた……空戦科の騎竜は、ワームとの戦いや戦争に駆り出されるんだから、昼寝なんか出来ないわよ」
「へ? そっかー、空戦科辞めちゃおうかな」
 
 前言撤回。やはり落ちこぼれ竜だ。
 空戦科を馬鹿にしているにもほどがある。
 イヴは、へらへら笑うカケルの頭をどつきたくなった。
 
「どうしても空戦科じゃなきゃ駄目なら、パートナーはゆっくりお昼寝させてくれる人が良いな。イヴは可愛いけどお昼寝させてくれなそうだから嫌だ」
「こっちだって、あんたみたいなお昼寝竜お断りよ!」
 
 言いながらイヴの頬は林檎のように赤く染まる。
 こ、こいつ、私のこと可愛いと言わなかった?!
 綺麗だね、や、頭が良いね、などの賛辞は聞きあきているイヴだが、可愛いには免疫が無かった。
 
「おっと。頂上だ」
 
 いつの間にか、イヴとカケルは崖の上に立っていた。
 
「あの辺が、俺たちが行く予定だったキャンプ場だけど」
 
 カケルの指差した先を見て、イヴは愕然とした。
 
「あの森みたいな影、もしかしてラフレシアの親株なの?!」
「たぶんね」
 
 暗くてよく見えないが、昼間には無かった黒い小山のようなものが見える。月光にうっすら肉厚の花弁の端が浮かび上がっていた。
 急成長して山のようになったラフレシアの花だ。
 
「キャンプ場にいた先生方は脱出できたのかしら」
「花粉がきついからね。逃げ遅れて気を失ってるかも?」
「まさか……」
 
 子供の自分達より知識も経験もあるだろう、大人の教師達が逃げ遅れているとは思えない。だが、目の前に山のようにそびえるラフレシアの花は不気味で「もしかして」という懸念をイヴに抱かせた。
 その時、のんびりしたカケルが急に緊張した様子で呟く。
 
「ラフレシアの気配が近くなってる……!」
 
 花の影に見入っていたイヴは、突然、カケルに抱き寄せられて驚愕した。
 
「何するの?!」
 
 カケルはイヴより少し背が高く、男性だけあって体つきはがっしりしている。異性と接触したことのないイヴは酷く動揺する。
 
「大丈夫。俺が守るから」
 
 青い旋風が渦巻く。
 壁を這って伸び上がったラフレシアの触手を、カケルの操る鎌鼬が一瞬で切り飛ばした。
 その光景を、イヴは呆然とただ見ているしかなかった。