ダークインサイド~聖都教皇庁特務八課~

【1-1 ポルス王国】

 魔法の首輪をはめられて逆らうことを封じられ、男も女も分け隔て無く鞭打たれて働かされていた亜人の奴隷たちが、武器を手に立ち上がり大規模な戦闘をはじめたのは十年前のことである。彼らは剣と魔法と銃を手に自分たちを虐げてきた人間たちに立ち向かい、そして死んでいった。
 最初の亜人の武装集団は小さなものだった。それが次第に膨れ上がり出来上がったのが『亜人解放戦線』やその他の亜人武装集団である。彼らは亜人の奴隷解放と地位向上をうたい人間と戦い、その中には占領した地域に国を建てた者たちもいる。なかには勢力争いにより互いに殺し合っている者たちもいる。
 だが、まだこの国には彼らの力は及んでいない。
 ポルス王国。この国では現在でも亜人が奴隷として使役され商品として売買されていた。それは文字通りにである。
「どうです? お土産にエルフの革バッグは」
 亜人は人の形をした家畜である。彼らは労働力としてこき使われ、欲望のはけ口として利用され、そして最後は皮を剥がれて衣服や装飾品として売られ、肉は家畜の餌となる。ポルス王国では今でもそれが常識であり、特にエルフの革は滑らかで質も良く高値で取り引きされ、その革で作られた財布やバッグは人気が高い。
 もちろんすべての国がというわけではない。亜人たちに自由と市民権を与えている国も存在している。奴隷売買はもちろん亜人の革を使った加工品などの輸入が禁じられている国も多い。
 昔よりは亜人たちの待遇は良くなったのかもしれない。しかし、楽ではない。だから亜人解放戦線などの武装集団が活発に活動しているのだ。
 ではこの男、ユスト・マクシミリオンはどうなのか。どちらの側なのか。
 正解はどちらでもない。
「お客さん、こっちの靴なんかもどうです? 安くしときますよ?」
  ユストはバッグを手に取り、じっくりと眺める。
「この色合いと肌触りは、ルナエルフの物ですね?」
「いやあ、お客さんお目が高い。そう、ルナエルフですよ」
 ユストは眼鏡の奥の目をスッと細め、青白い色をした革のバッグを眺める。

 亜人には様々な者たちがいる。力が強く体が大きく頭に角を持つ『オーガ』、獣と人を合わせたような姿をした『ビースト』、小柄な体躯の金属加工に長けた『ドワーフ』、そして美しく長命で奴隷としての人気の高い『エルフ』。ユストが手にしているバッグはエルフ種のひとつである『ルナエルフ』の革で作られた物である。
 エルフには大きく分けて三つの種類がある。白い肌の者たちを『ノーマルエルフ』、黒い肌の者たちを『ダークエルフ』、そして青白い肌をした者たちを『ルナエルフ』と呼ぶ。そして、それらにはそれぞれ特性があり、その中でもルナエルフは特殊な者たちだ。
 エルフは非常に長命である。ユスト達人間の何倍もの時を生き、五百歳以上の者もいる。しかし、そんなエルフの中でもルナエルフは短命で、平均して百五十年ほどの寿命しか持たない。逆に言えば他のエルフよりも成長が早いということであり、それは家畜としては都合がいい。それに加えてルナエルフにはもう一つ大きな特徴があった。
 ルナエルフは食事をしない。彼らが生きるのに必要なのは水と月の光だけである。彼らルナエルフは月の光を糧として生きているのだ。つまり、餌代がかからない。
 成長が早く、餌を必要とせず、労働力としても加工品としても使える。こんなに都合の良い生き物はいない。
 まさに家畜である。人の姿をしてはいるが彼らは牛や豚と同じ扱いを受け、ポルス王国では現在も養豚場ならぬ養エルフ場が存在している。「非人道的、と言わざるを得ませんねぇ」
 と、ユストはカバンを眺めながら静かにつぶやく。
「あのう、お客さん?」
「ああ、すいません。少し考え事をしていまして」
 そう言うとユストは店主にバッグを返す。
「申し訳ありません。こう見えても私、ルエズス教会の神父でして。こう言う物は」
「あ、ああ、そうなんですか。いえ、そういうことなら……」
 そう言うと店主は顔を引きつらせる。
「で、ですが、神父様は、その、お召し物が少々、違う様な」
 店主はそう言うと背の高いユストの姿を下から上へと眺める
 ユストは深い青色の服を着ている。しかし、ユストの所属しているルエズス教会の聖職者が身につけている衣服は通常は白か黒だ。
「神父と言ってもいろいろと役職によって着る物が違うんですよ」
「そ、そうですか。へぇ……」
 感心したような声を出してはいるが、店主の顔は相変わらず引きつっており、その目はユストに早く出て行ってくれと言っていた。

 亜人も人であり、神の加護の下にある。というのがルエズス教会の主張である。ルエズス教会はポルス王国の存在しているユセリア大陸西側で一番の勢力を誇る宗教組織であり、多くの人々がルエズス教会の神とその教えを信仰している。
 つまり亜人を人として扱わないポルス王国にとってルエズス教会というのは非常に都合の悪い存在なのだ。それはポルス王国に住んでいる国民も同じである。
 お前は神の教えに反している、などと言われて気分の良い者はいない。
「すいませんねぇ。雨宿りさせていただいたのに何も買わずに」
「い、いやぁ、気にしないでください。ああ、ほら、雨も止んできましたし、そろそろ……」
 店主は半ば追い出すようにユストを店の外に送り出す。雨はすでに止んでは
いたが、まだ空はどんよりと曇っている。
 店を追い出され外に出たユストは歩きながら街の様子を観察する。
 今、ユストがいるところはポルス王国の首都である王都ポルスだ。そこには国王の住む城があり、その周りには城下町が広がっている。
「なかなか活気がありますね。いやいや」
 ユストはすれ違う荷車に目を向ける。荷車を引いているのはオーガだ。
 ユストは別の一角に目を向ける。ぼろぼろの衣服を来た傷だらけ亜人たちが建築作業をしている。鞭を手にそれらを監督しているのはユストと同じ人間だ。
 どこを見ても亜人が働いている。そして、働いているのは亜人だけだ。人間はというと管理監督の名の下に彼らに鞭を打ち罵声を浴びせているだけである。ユストはそれらをただ見ている。助けるでもなく止めるでもなく、ただ通り過ぎていく。
 すべてを助けている暇はない。ユストにはやるべきことがある。
 それに、いずれ彼らは救われる。ユストはそれを知っているため、彼らの惨状を見ながら、手を差し伸べることなく進んでいく。
 と、そんなときだ。
「この役立たずが! また皿を割りやがったな!」
 一軒の飲食店から怒鳴り声とともに一人の女性が転がり出てきた。そのあとから男が現れ、女性を棒で殴りながら怒鳴りつけている。
 男は人間だ。女性は亜人だ。それもユストが先ほど手に取っていたバッグの素材に使われていたのと同じ種族であるルナエルフの女性である。女性は長い銀色の髪の生えた頭を抱えうずくまり、棒で殴られながら何度も謝っている。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
 男はルナエルフの女性を殴る。青い肌に赤い血がにじむ。
「この間抜けが! 余計なことばかりしやがって!」
 男は殴るのをやめない。そしてそれを誰も止めようとしない。目を向けることも、気にすることも一切ない。
 何せこの国ではそれは当たり前の光景であり、気にとめることでさえないのだ。
 そんな状態の彼女とユストは一瞬目が合った。だからなんだというわけではないのだが。
「おいくらですか?」
「ああ?」
 男は殴る手を止める。
「これで足りますか?」
 音もなく男の近くに来ていたユストはルナエルフを殴っていた男に小さな袋を差し出す。
「金貨が三十枚。今はこれしかありませんので」
 突然のことに男は戸惑うが、袋を開けて中に詰まった金貨を見てゴクリと喉を鳴らす。
「な、なんだてめぇ。こいつを買うってのか?」
「ええ、その通りです。三十枚では足りませんか? ならこちらもお付けしましょう」
 ユストはそう言うと上着の内側からある物を取り出した。
「これを売れば金貨二千枚はくだらないでしょう。さあ、お納めください」
 ユストは男に取りだした物を渡した。
 それは宝石だ。ウズラの卵ほどもある真っ赤なルビーである。
 ユストは男に金貨の入った袋とルビーを握らせ、男の耳元に顔を寄せるとこうささやく。
「あなたは賢い方のはずだ。正しい選択を」
 そうささやいてからユストは男から離れるとニコリと微笑んだ。男は自分の手の中にある物と地面にうずくまって震えているルナエルフの奴隷とユストの顔を何度も見比べ、こう言った。
「す、好きにしろや。だがな、返せって言ってももう返さねえからな!!」
 男はそう言うと金貨と宝石を手に店の中へと入っていく。残されたユストは
男が店の扉をバタンと閉めたのを確かめるとルナエルフの女性のそばに膝をつき彼女の様子を確かめた。
「もう大丈夫ですよ。さ、顔を上げてください」
 震えていたルナエルフの女性は恐る恐る顔を上げ、ユストの顔を見る。
 エルフは美しい。老若男女問わず美男美女ばかりである。それはユストが今しがた助けたこのルナエルフの女性も同様であった。
 絹糸のような長い銀髪、青磁器のような青い肌、肌よりも深い色をした青い瞳。まさに生きた芸術品のようなそんな女性だ。
 だが、その芸術品には傷がある。男の暴力によりつけられた物だろう。それは顔だけではなく衣服から覗く手や足にも無数の傷があった。
 ルナエルフの女性が何事かを話そうと口を開くが、唇を震わせながら口を開くだけで声が出てこない。強い恐怖と緊張のせいで声が出せなくなているのだ。
 そんな女性を見てユストは微笑みを浮かべる。
「大丈夫、大丈夫。怯えなくても。さ、これを」
 そう言うとユストは上着の内側から小さな瓶を取り出す。その小瓶には紫色の液体が満たされていた。
「これは傷を癒す薬です。これを飲んでください」
 ユストは女性に小瓶を渡す。だが、受け取ろうとする女性の手は震えており、彼女は瓶を上手くつかめそうになかった。ユストはそんな彼女の手に蓋を開けた瓶を優しく握らせると、薬を飲むように促した。
「毒ではありませんよ。まあ、毒だったとしても、それはそれでいいとは思いますが」
 ユストはそう言うと改めて彼女の姿を見る。
 ボロボロの服、傷だらけの体、食事を摂らずとも生きられるルナエルフはガリガリにやせ細るということはないが、度重なる重労働と過酷な環境に置かれていたせいか幾分かやせている。そして、その目。
 ユストは女性の目を見る。その目は怯えきっており、そこに希望の光の欠片
も見られなかった。
 恐怖と絶望と、そして諦めの色だ。宝石のように美しい青い目が淀み濁っている。
「毒ではありません。ですが、毒だと思って飲んでください。そして、一度死にましょう」
 ユストは静かにそう言った。彼はおかしなことを言い出した。
 だが、それはユストにとっては何らおかしなことはない。
「これを飲んで生まれ変わるのです。理不尽や不条理に抗うことができる強い自分に」
 静かに言い聞かせるようにユストは女性に語り掛ける。その言葉が届いたのか、彼女の震えは少しずつおさまり、その瞳に少しだけ光が戻ってくる。
 彼女はしばらく瓶の中の液体を眺めていた。そして、意を決したようにその液体を飲み干した。
 女性の体から傷が見る見るうちに癒えていく。傷口は塞がり、痛みは消え、体力が戻ってくる。
「さ、立てますか?」
 そう言うとユストは彼女に手を差し伸べる。
「あ、あの、わ、わた、わた」
 彼女は何かを伝えたいのか口を開く。ユストは自分の唇に指をあてニコリと微笑む。
「お話は後にしましょう。ここでは落ち着いてできませんから」
 そう言うとユストは自分の周りに目を向ける。ユスト達の周囲には彼らの様子を眺める見物人や眺めながら通り過ぎていく通行人の目があった。
 ユストは手を貸して彼女を立たせると、彼女に寄り添うようにに腰に手をまわし歩き出した。
「あ、あり」
「お礼も後で。それに……」
 ユストは意味深にほほ笑む。
「お礼は私ではなく……。いえ、なんでもありません」
 ユストはそう言うと彼女を支えながら黙って歩く。彼女もユストが何を言いたかったのか気になったが、聞き出す勇気も出ず、そのままユストに支えられて黙って歩いた。
「まずは宿で、ゆっくりしましょう」
 二人は宿へ向かった。
 しかし、その国は亜人にも、亜人を助けようとする人間にも厳しかった。