ダークインサイド~聖都教皇庁特務八課~

【1-5 王都炎上】

 ポルス王国の貴族の嗜みは奴隷を飼うことである。ポルス王国紳士の楽しみは良い奴隷を自慢することである。見目麗しいエルフの奴隷、逞しいオーガの奴隷。ポルス王国の上流階級の者たちは、亜人の奴隷たちを着飾り、闘わせ、いじめ抜き、犯し、そして殺すことが数ある娯楽のひとつだった。
 奴隷たちを着飾り、彫像のように並べて楽しむ者たちもいた。彼らは奴隷たちが身じろぎひとつでもしようものなら容赦なく彼らを鞭打った。
 奴隷にまたがりレースに興じる者たちもいた。彼らはレースに勝つと奴隷たちにエサを与え、負けると気を失うまで棒で叩き柔らかい腹を蹴り上げ、使い物にならなくなれば他の奴隷や犬のエサにした。
 奴隷たちを死ぬまで闘わせる闘技場はいつも盛況だった。貴族や紳士たちは自分たちが闘う代わりに気軽に奴隷たちに決闘をさせ物事を決めた。
 若くて美しい処女のエルフ奴隷を一晩で何人犯したかを自慢し合う者たちもいた。腹立ちまきれに奴隷を殴り殺すことは日常のことだった。
 ポルス王国の国民たちは、人間の欲望を満たすために亜人たちは存在していると本気で思っていた。それは彼らにとって当たり前のことであり、当たり前のこと過ぎて深く考えていなかった。
 そう、深く考えていなかったのだ。当たり前の当たり前に、いつまでも続くと思っていたのかもしれない。
 それは突然訪れた。
「やめろ、やめろやめろやめろぉぉぉぉぉ!!!」
 とある貴族が飼っていた奴隷に刺殺された。
「い、やぁぁ、が……」
 とあるご婦人が飼っていた奴隷に絞殺された。
「お前ら! こんなことをしてただですむごっ!?」
 とある紳士が飼っていた奴隷に撲殺された。
 それは突然始まった。日が昇ると同時に始まった。
 奴隷たちの暴走。亜人たちの暴徒化。それは何の前触れもなく始まった。
 かに見えた。
「試練。ああ、試練ですねぇ。皆さん、がんばってください」
 ユストは一人きりで街を歩く。昨日までは平和だった、人間にとっては平和で、亜人にとっては地獄であった街を歩く。
 昨日とはまるで違う。そこかしこで人間が亜人にリンチされ、吊るされ、引きずられている。建物は破壊されそこかしこで火の手が上がっている。女子供関係なく追い回され、皆等しく殺される。
 昨日まではこの国のこの街は、ポルス王国の首都は人間にとって平和な暮らしやすい街だった。だが、今は地獄だ。人間にとっても亜人にとっても等しく地獄となり果てた。
 昨日立ち寄ったエルフの革製品を扱っている店の前を通った。店は荒らされ店の前では店主がボロ布のような状態で動かなくなっていた。昨日見た建設中の建物は完成を見ずに瓦礫となっていた。昨日、荷車をひいていた亜人たちが泣き叫ぶ人間の髪の毛を掴み引きずり回している。
 そして、昨日までレリナがいた店の前を通った。店の入り口は破壊され、窓は破られ、中を覗いてみるとテーブルも椅子も食器もすべてぐちゃぐちゃに荒らされていた。
 しかし、そこに店主の、昨日レリナを棒で殴っていた男の姿はなかった。
「大丈夫ですかぁ? 私は人間ですよぉ?」
 ユストは店の中に入っていく。そして、店の奥で小さくなって震えている男を見つける。
「どうもぉ」
「ひぃっ!?」
 ユストに見つかり声をかけられた男は小さく悲鳴を上げてユストを見上げる。そんな男にユストはニッコリと笑いかける。
「大丈夫、人間ですよ」
「お、お前は」
 どうやら男はユストの姿を見て、昨日自分からルナエルフの奴隷を買っていった奴だと気付いたようだ。
「た、助けてくれ。たすけ」
「ええ、構いませんよ」
 ユストは男に手を差し伸べる。
「た、助かった……」
 男はユストの手を握る。
 しかし、助かったわけではない。
「神はあなたを試される」
「……へぇ?」
 ユストはにこにこ笑っている。
「あなたが今までどんな行いをしてきたのかは知りません。ですが、あなたがレリナさん、あなたがあのルナエルフにしてきたことは、私の目には正しい行いには見えなかった」
 ユストは笑顔を崩さない。
「ですが、あなたは生きている。ということは、神があなたを生かそうとしている。のかもしれない」
 音もなく何かが動く。
「何を……」
 男はユストの手を放そうとする。だが、ユストは離さない。
「は、離せ! 離せ!」
 男は逃げ出そうとする。だが、動けない。
「な、なんだ!? なにを」
 影が男の体を這い上がる。
「あなたが正しいのか間違っているのか。証明してください」
 男が自分の影の中に沈んでいく。体も、声も、魂も。
 そして、消える。影を残して男は消えた。
「あなたが『神の正義』にかなうのならば、生きて出られますよ」
 ユストは姿を消した男にそう語り掛けると何事もなかったかのように外へ出た。店の外は相変わらず騒然としていた。
 火が放たれた建物から逃げ出してきた人々を亜人たちは容赦なく殴り倒し、動かなくなるまで殴り続けている。積み上げられた人間の死体が燃え上がり、火柱が上がっている。その火柱の中にまだ生きている人間が放りこまれていく。
 衛兵らしき武装した集団と亜人の集団が殺し合っている。鎧兜に身を包み、剣や槍や銃を手にした者たちを相手にしているのに、形勢は亜人たちの方が勝っているようだった。
 人間は亜人たちに劣る。美しさや弓の腕はエルフたちに敵わず、単純な腕力ではオーガたちに勝てるわけもなく、ビーストの身体能力にもドワーフたちの金属加工の技術にも勝つことができない。
 逃げ惑う人間。追い立てる亜人たち。追い立てる亜人たちの首には首輪がはめられている。
 魔法の首輪だ。人間に逆らおうとすればその首を絞め、亜人たちを絞め殺す物だ。
 だが、誰も苦しんでいない。亜人たちは人間に逆らい、暴行し、殺害しているのに誰も絞殺されてなどいない。
 なぜか。理由はある。
 この魔法の首輪には欠陥があるのだ。
 奴隷を縛る首輪は装着者の感情に反応する。それは主に対しての怒りや憎しみなど、主人に対して害になる感情である。
 感情に、である。
 では、もし装着者に感情が無かったら。
 悲鳴を上げている。襲い掛かってくる亜人に恐怖し悲鳴を上げる。
 怒声を上げている。襲い掛かってくる亜人に声を張り上げ罵っている。
 雄叫びを上げている。襲い掛かってくる亜人に立ち向かおうと自らを奮い立
たせ武器を振り上げる。
 命乞いをしている者もいる。声を出すこともできず怯えきっている者もいる。
 そして、それらはすべて人間たちだった。
 亜人たちは声を上げなかった。表情もなかった。亜人たちはただ淡々と人間たちを襲い、殺し、燃やしていた。亜人たちは誰も眉ひとつ動かすことなく残虐な行為を行っていた。
 そんな亜人たちを見てユストは満足げに頷く。
「ああ、皆の努力が実りました。蒔いた種が芽吹きました」
 種。そう、種をまいていたのだ。ユストたちエルズス教会の者たちは、何度もポルス王国を訪れ国王を説得してきた使節団の者たちは、この国に種をまいていた。
 感染型精神汚染魔法。ポルス王国を訪れた使節団の者たちはこの国を見て回り、亜人たちの現状を調査し、彼らに触れ合うことで少しずつ種を、彼らに魔法をかけて来た。その魔法は少しずつ、少しずつ広がってゆき、この国にいる亜人たちの心に染みわたっていった。その魔法が彼らの感情を消し去り、彼らをただひとつの命令のみを果たすためだけに動く人形にしてしまった。
 人間を殺せ。という命令を実行するための生きた道具となったのだ。
 ユストの仲間たちがまいた種が根をはり、芽を出した。そして急速にその茎をのばし、実を結ぼうとしている。ユストはその実り始めた成果を眺めながらゆっくりと、まるで観光でもしているかのような足取りで地獄と化していく王都を進む。
 すべては人の世のため、亜人のため、エルズス教のため、そして神の正義のためである。
 ユストは進む。彼も彼の目的を、彼に課せられた使命を果たすため目的地を目指して進む。
 目指すはユストの視線の先、王都の象徴でありこの国の主である国王の住まう王城だ。
「試練のときです。この国の、この国の人々の」
 ユストは進む。急ぐこともなく、慌てることもなく、ただ淡々と歩を進める。
 
 【1-6 試練】

 おそらく彼は今までの国王とそう変わらない男だったはずだ。
 ポルス王国現国王ロマド三世。彼は今、自室で逃げるための準備をしていた。
 彼が何か悪いことをした、というわけではない。彼は普通の国王だった。少なくとも『ポルス王国』という国においてはごく普通の、平均的な王だった。
 だから彼は思うのだ。
「どうして、どうして私がこんな目に合わないとならんのだ!!」
 ロマド三世は拳を振り上げる。だが、それを振り下ろす相手がいない。いつもならば苛立ちを晴らすためによく奴隷を殴っていたが、その奴隷が今は近くにいない。
 亜人たちの暴走。それは城にいる亜人たちにも起こった。ただ、暴走した亜人たちは外とは違いすぐに押さえ込まれ、殺された。
「陛下! お早く! 外に亜人たちが」
「ええい、うるさい!! わかっておる!!」
 ロマド三世は持っていけるだけの物を持っていこうと慌てた様子で部屋の中を荒らしている。
「なぜだ! 私が一体何をしたと言うのだ!!」
 ロマド三世は近くにあった燭台を床にたたきつける。
 なぜ、こんなことになった。自分が一体何をした。何が悪かった。どうしてだ。という言葉がロマド三世の頭の中で何度も繰り返される。
 なぜ。どうして。
 理由はある。しかし、それで彼が納得するかはわからない。
「な、なんだ貴様?! ここは陛下の!!」
 部屋の外で声がした。それは先ほどとは違い、ロマド三世を急かすものではなかった。
「お、おい、なにを。や、やめろ! や」
 声が聞こえなくなる。ロマド三世は部屋の扉を凝視する。
 扉が開く。
「どうも、初めまして国王陛下」
 扉が開き、一人の男が国王の部屋に入って来た。
 それはユストだった。
「だ、誰だ貴様は?!」
 ロマド三世は大声でユストを怒鳴りつけるが、ユストは表情一つ変えず、ただ微笑んでいる。
「ルエズス教会の者です。ああ、先日の方々とは少し違いますが」
「る、ルエズス教?」
 後ずさりしながらロマド三世はベッドの脇に置いてある武器の元へゆっくりと移動し、ユストに見つからないようにそれを手に取る。
「る、ルエズス教がなんのようだ! ま、また亜人たちを解放しろなどというバカげたことを」
「いいえ。その話はもういいのです」
 そう言うとユストはパンパンと手を打ち鳴らす。すると、何かが床から、沼から浮き出てくるかのように現れる。
 ロマド三世は現れたそれを見て短い悲鳴を上げる。
「この方たちに見覚えは?」
「し、知らん! 知るわけがないだろう!!」
 姿を現したのは動かない人間だった。死体だ。昨夜、ユストのところに現れ、ユストに殺された者たちだ。
「調べてみたところ、武装していましてね。どうも、私を殺そうとしていたようなのですよ」
「だ、だからなんだというのだ! それを私が指示したとでも」
「ええ、まあ。心当たりはあなた方しかありませんから」
 ユストはにこにこ笑いながら平然と告げる。
「ですが、そうですよね。陛下がこんな下っ端のことなど知るわけがない。ま、それはいいでしょう」
 そう言うとユストは先ほどと同じように二度手を打ち鳴らす。
「それに、今となってはわからない。聞く前に殺してしまいましたから」
 死体が、現れたときと同じように沼に沈んでいくように消えていく。
「さて、本題に入りましょうか」
 ユストは笑顔だ。いつも笑顔を絶やさない男だ。それは今も同じだ。
 笑顔で誰かを助け、笑顔で弱き者のために働き、笑顔で人に地獄を与える。
「私はあなたが今までどんなことをしてきたのか詳しくは知りません。しかし、この街を見て、王都の姿を見えて、この国の現状を資料で読み、ある程度は理解したつもりです」
 だからなんだ! とロマド三世は声を上げようとした。が、何かに気付きそれを飲み込んだ。
 ユストの影が動いている。
「あなたのしてきたことはこの国では当たり前だったのかもしれません。この国の人々が行ってきたことはこの国にとっては普通のことだったのかもしれない。ですが」
 影が音もなく生き物のように広がっていく。
「私にはあなたがしてきたであろうことや、あなたが正そうとしなかったことが良い事とは思えない」
 影の中から何かが顔を出す。しかし、なんだかわからない。
 それは犬のような、豚のような、蜘蛛のような、魚のような何かだった。
「そう、良い事とは思えない。神の正義にかなうとは思えない。ですが、あなたは生きている」
 数匹のなんだかわけのわからない羊ほどの化け物が姿を現す。
「生きている、ということは、正しいということです」
 ロマド三世は手に持っていた武器を構える。だが、その手も体も恐怖で震えていた。
「神の正義にかなっているのならば、正しいのならば、生は続く。その正義に反し、邪であるならば、滅びる。簡単なことです。実に簡単で、実にわかり易い。ですが、私にはわからない」