久しぶりに出勤して昼休みに一息ついていると、隆一が俺の席のところまで来てくれた。

「インフルエンザに罹ったんだって?」

「ようやく治った。もう大丈夫だ。あの地味子にはとても世話になった。いい子を同居人に選んだよ」

「そうか、俺もそう思う。真一とは気が合うんじゃないか? 俺はおまえにお似合いだと思うけどな」

「まあ、気軽に話せるし、気遣いがいらないから楽だ」

「どうだ、考えてみては?」

「なにを?」

「彼女と付き合ってみたらどうだ」

「いまも同居しているのだから、付き合うはないだろう。それに全く色気を感じない。その気になれない」

「まあ、そうかもしれないが、俺はいいと思うけどな」

隆一の言っていることが今ひとつ分からなかった。

それより絵里香のことが気になっている。インフルエンザで寝込んでいる間、俺は絵里香にメールを入れなかった。

人を恋焦がれるにはそれ相応の気力が必要だ。寝込んでいる間はそういう気力がなくなっていた。

そういう時は弱気になっているので連絡しない方が無難だ。まあ、連絡を入れないで引いてみるのも良いのかも知れないと思っていた。

今日は欠勤明けだから朝から何かと忙しかった。7時過ぎになってようやく時間が取れた。それで絵里香にメールを入れてみた。

[しばらく連絡できなかったけど元気にしている?]

すぐに返信があった。

[はい、元気にしています。お元気でしたか?]

すぐに返信する。

[インフルエンザに罹ったけど、ようやく治った。週末に会えないか?]

[この前と同じ場所、時間でよろしければ]

[了解、待っている]

思わずデートの約束をとりつけることができた。引いてみるのも時には必要だったのか?

*******************
金曜日の午後8時、約束の時間に絵里香は現れた。今日もシックな落ち着いたダークグレーのワンピースに可愛いベストを着ている。

「会ってくれてありがとう」

「私も誰かと少しお話がしたくて」

「相談事があるのなら、相談にのるけど」

「そんなものはありません。ただ、誰かとお話がしたかっただけです」

「リハビリの一環かな」

「そうかもしれません」

「私は元カレと別れてから私のどこが気に入ってもらえたのか考えていました」

「それでどうだったの、どこを気に入ってもらっていたのか分かったの?」

「きっと私の見た目が気に入っていただけだったんです。私の内面というか私自身を気に入っていたのではなかったように思いました。いろいろありましたが、表面的にしか私を見てもらえていなかったから、心から好いてもらえていなかったのだと思いました」

「どのくらい付き合っていたの?」

「1年位でしょうか?」

「私はすべてを見てもらっていたつもりでしたが、彼は表面的にしか私をみてくれていなかったのだと思います」

「彼の責任と言いたいのか」

「私の見せ方が悪かったのかもしれません。彼に見る目がなかったのかもしれません。分かりません」

「それで俺に何を聞きたい?」

「あなたには私を見る目があるのでしょうか?」

「俺に見る目があるかどうかは分からない。それに君とそれほど付き合っている訳ではないからね。それで君はどうなんだ。男を見る目があるのか? 自分ではどう思っているんだ」

「私も分かりません」

「まあいい、今日はこれからカラオケにでもいかないか?」

「そうですね。歌を歌って憂さ晴らしもいいかもしれません」

「それなら、俺のマンションに来ないか?」

「あなたのマンションにですか?」

「カラオケがある」

「本当ですか?」

「それに俺の住んでいるところも見てもらいたい。連れ込んで君をどうかしようと思っている訳ではない。俺を知ってもらいたいだけなんだ」

「カラオケだけと約束していただけるのなら、行ってもいいです」

「そうか、ありがとう」

「じゃあ、ちょっと電話させてくれ。同居人がいるんだ。都合を聞いてみる」

俺は席を立って、地味子に電話を入れる。出ない。携帯が切られているか、圏外とのアナウンス。

地味子からは帰宅は10時以降になるとメールが入っていた。9時前だから、今ならまだ帰っていないだろう。

「電話に出ないけど、まだ帰っていないみたいだ。大丈夫だから行こう」

「同居している人がいるんですか」

「俺の従妹だから心配ない」

「それならなおのこと安心です」

ひょっとするかなと誘ってみたが、絵里香は来る気になってくれた。マンションに案内する。

受付にはまだコンシェルジェがいた。軽く挨拶して前を通り抜ける。絵里香はあまり緊張していないようだった。安心している? 

でもエレベーターに乗ると緊張した様子で話しかけてきた。

「すごいマンションですね」

「親父の所有で、俺が維持費を負担して住んでいる。従妹を同居させてその代わりに掃除、洗濯をしてもらっている」

「維持費って結構かかるんですか?」

「前に住んでいた1LDKのマンションよりも随分かかる」

「こんな豪華なマンションに住めていいですね」

すぐに32階についた。玄関ドアを開けて中に招き入れる。地味子はやはり帰っていなかった。

「左の部屋が俺の部屋で、右の部屋が従妹の部屋だ。ここがリビングダイニングでカラオケはここに置いてある」

「広いですね」

「ソファーに坐っていてくれないか。コーヒーを入れるから。砂糖とミルクはどうする?」

「ブラックでお願いします」

コーヒーメーカーにセットしてソファーに戻り、カラオケの準備をする。

「歌いたい曲を決めておいて」

コーヒーを取りにキッチンへ行く。もうできていた。カップに注いで持っていく。

「決まった?」

「『レモン』をお願いします」

「俺もそのあと歌わせてくれ」

「いいですよ。初めて聞かせてもらえますね」

コーヒーを一口飲んでから、絵里香が最初に歌った。この前に聞いた時と同じで情感がこもっていて聞き惚れた。

次に俺が歌った。絵里香はジッと俺の顔を見て聞いてくれた。割とうまく歌えたと思う。

「上手ですね。情感が籠っていて、いいですね」

「ほめ上手だね。他に歌ってみたい曲はないの?」

「それじゃあ、『君を許せたら』をお願いします。このまえより上手くなっていると思いますので、聞いてもらえますか?」

「この前もすごくよかった。是非聞かせてほしい」

絵里香は、今度は俺を見つめて歌ってくれた。

言うとおり、この前よりもずっと上手くなっていた。聞いていると身につまされる曲だ。俺好みで歌ってみたい曲だ。

「いいね、2曲ともいい曲だ。こんな歌が好きなんだね」

「悲しい曲が合っているように思います。歌っていると歌の中にいるような気持になって」

「歌に酔っている?」

「そういうんじゃなくて、身につまされるというか、悲しくなります」

「ロマンチストなんだ」

「自分を悲劇の主人公のように考えるのかもしれません」

「じゃあ、俺が悲劇のヒロインを助ける王子様になってあげる」

「私はお姫様ではありません。ただの失恋したOLです」

絵里香に近づこうとすると彼女は逃げるように立ち上がって窓際へ行って外を見た。

ここからの夜景はとても綺麗だ。初めて見た時はいつまでも見ていていた。