嫁にするなら訳あり地味子に限る!

【9月20日(火)】転勤の内示があった。業務部へ婚姻届受理証明書をもって、扶養家族の申請に行った。

業務室の係りの女性に内密にしておいてくれるように頼んだが、守秘義務があるから心配しないでもいいですよと言っていた。

それから転勤に伴う住居の手配も依頼をした。こうしておけば会社から契約している不動産会社へ依頼が行き、二人用の住居を探してもらえる。

条件は2LDK, 駅から歩いて5分程度、茨城研究所から通勤時間30分程度とした。

【9月23日(金)】業務室から転勤先の住宅候補が2件紹介されてきた。茨木駅前の物件と高槻駅前の物件。

吉本君が席を離れたので、地味子ちゃんに小声で相談する。

「関西の住まいが2件、紹介されたので、二人で見に行かないか?」

「はい」

「26日(月)に茨木研究所で引継ぎの打合せをすることになっているので、25日(日)に行こうと思う」

「それでいいです。一緒に行きます」

「君は日帰り、僕は一泊する」

「分かりました」

【9月25日(日)】二人で物件を見に出かけた。

茨木駅の駅前の不動産屋さんに着いたのが、11時。すぐに歩いて5分くらいの賃貸マンションに案内してくれる。

玄関はセキュリティーがしっかりしている。部屋は5階だった。2LDKの間取り。築5年と言うだけあって最新の設備がついている。

美沙ちゃんは気に入ったようで「ここでいいかなあ」と言った。でも、もう1件見てからきめることにした

次の物件は2駅離れた、高槻にあった。ここは大阪と京都の中間地点で新快速も停車して便利は良い。駅前の不動産さんが案内してくれる。やはり歩いて5分くらい。

近くにショッピングセンターがあるので買い物にも便利だ。12階建ての7階の2LDK。

セキュリティーも前の物件と同じで、部屋の造りや配置もほとんど同じ。ベランダからの見晴らしが良い。ただ、賃料が少し高い。

「どっちでもいいけどこっちかな」

「茨木の物件は研究所に近くていいけど、近すぎる。ここは買い物にも便利だし、新快速も停まるから京都、大阪、神戸方面にも便利がいい」

「こっちにします?」

「通勤時間も30分以内だと思う。そうしようか、ここに決めた」

ここに決まったので、美沙ちゃんはもう一度、室内を丁寧に見て回っている。

「お風呂の広いのがいいし、ベランダからの眺めもいい」

「でも、高槻は夏はかなり暑いと聞いているけど大丈夫かな?」

「大丈夫、暑いのは平気だから」

美沙ちゃんは不動産屋さんから、部屋の図面を貰って何やら書き込んでいる。

十分に見たからこれで大丈夫というので、不動産屋さんに手続きをお願いして、退出した。

高槻駅へ行くと、丁度新快速が来たので、乗車。次の停車駅は新大阪。すごく便利と美沙ちゃんが感心していた。

新大阪駅で新幹線に乗る美沙ちゃんを見送って、僕は予約してあった、新大阪駅前のホテルにチェクイン。

美沙ちゃんの気に入ったマンションが見つかって良かった。
【9月30日(金)】今日は朝から1日、後任の笹島君と仕事の引継ぎの打ち合わせ。

打合せには吉本君と地味子ちゃんと後任の業務室の派遣の女子社員も出ている。

笹島君は有名大学卒で独身。ぼくの4年後輩にあたる。研究所では同じ部に所属していたので、気心は知れている。

研究センスもよく、人当たりも良いので確かに本社向きだ。上はよく見ている。本社勤務は初めてだから丁寧に要領を説明する。

地味子ちゃんが辞めることは内示の時に吉本君には話をしておいた。

「横山さんには随分助けられた。横山さんがいなくなると後任の笹島さんは困ると思います」

「そう思って、室長にはすでに後任を頼んであるから、手配してくれていると思う」

「横山さんは寿退社ですよね。婚約指輪と結婚指輪をしているし、あの太い腕時計の代わりにかわいいブレスレットをして、ここのところ、ニコニコして機嫌がいいから。何か聞いています?」

「いや、プライベートなことは聞かないことにしている」

「でも蓼食う虫も好き好きですよね。あんな地味な子が好きな人もいるんですね。ご主人の顔が見てみたい」

「そうだね、どんな人かね」

地味子ちゃんの後任については、大分前に室長に相談していた。室長は「横山さんの後任は何とかする、誰がいいか、横山さんに聞いて指名してくれ」と言った。

地味子ちゃんに後任を相談すると「業務室に神田弥生という、同じ派遣会社から来た女子社員がいて、年は私より下で20歳位だけど、気が利いて仕事ができるので、彼女なら間違いありません」と勧めた。

彼女とはお昼ごはんを一緒に食べるようになって親しくなったとのことだった。

室長に横山さんの推薦ですと所属と名前を告げると、できるだけやってみようと言ってくれた。

時間がかかったが、何とか手続きが間に合って、朝、挨拶に来た。業務室で扶養申請を受け付けてくれた女子社員だった。

地味子ちゃんと同じ感じで、地味だけど、しっかりしていて地味子ちゃんが推薦しただけのことはある。

地味子ちゃんからどのくらい情報を得ているのか分からないが、嬉しそうでニコニコしている。

引継ぎの打合せは4時過ぎに終わった。笹島君には、分からないことや困ったことがあったら、いつでも電話を入れて相談するように言っておいた。

これで引継ぎは終了。肩の荷が降りた。それから、急いで関係部署に転勤の挨拶に回った。

転勤と言うのは良いシステムかもしれない。同じ仕事を続けていると、仕事上の貸し借りができて来るし、しがらみも多くなる。後任に託してリセットすることも必要だ。

6時からの送別会は会費制で行われる。同じビル内にある貸しホールにテーブルを準備して、お寿司、ケータリングのオードブル、つまみ、飲み物などを持ち込んで立食で行うのが通例になっている。

参加が負担にならないように安価にすませる。時間も長くて1時間半くらいでお開きになる。形式的と言えば形式的な送別会。

5時になったので、地味子ちゃんが「では会場で」と退席する。すでに室内と関係部門への挨拶は済ませている。

6時少し前に、室に残っていた人が会場へ向かう。幹事と4~5名が5時から会場の準備をしてくれている。

会場は20~30人位のパーティーに丁度良い大きさで、マイクも準備されている。僕は主賓だから前の中央に室長と司会者と並んで立っている。

うしろの方に着替えをした地味子ちゃんがそっと入ってきたのが見えた。そっと入ってきたのと、プライベートスタイルになっているので、誰も地味子ちゃんに気付いていない

司会者が「横山さんがまだみたいです」というので「もうきているよ」と言って「横山さん、前に来て」と手招きする。

可愛い女の子が部屋の隅をとおって中央に出てきた。

みんな「あれ!横山さん?」とあっけにとられて見ている。司会者が話始める。

「それでは、時間になりましたので、はじめます。岸辺さんが10月1日付で茨木研究所へご栄転、横山さんが今日付けて退職されますので、企画開発室の送別会を始めます。その前に岸辺さんからお話ししたいことがあるというので、お願いします」

「皆さん、本日は送別会をしていただいてありがとうございます。この場をお借りして私の方から皆様にご報告いたしたいことがあります。私、岸辺潤とここにいる横山美沙は9月18日に竹本室長にお立合いいただいて結婚式を挙げ19日に入籍しました」

会場からどっと驚きの声が上がる。

「業務に支障がないようにと今日まで内密にしてきました。ご理解いただきたいと思います。それから部下の横山と交際するにあたり、地位を利用したパワハラ、セクハラなどは一切ありませんでしたので、念のため申し上げておきます。今後ともよろしくお願い申し上げます」

美沙ちゃんが笑っている。

「それでは横山さん、いや岸辺さん、一言お願いします」

会場が静まり返る。

「皆さんの前で結婚のご報告をするとは、ここに配属になった時には思いもしませんでした。岸辺さんはこんな私に対等な立場で交際してほしいと言ってくれました。上司の立場を利用したことはありません。

でも交際中にセクハラはありました。もちろん社外でのことですが。転勤の内々示のあった後にプロポーズされたときは大声で泣いてお受けしました。

それからあっという間に今日ここにいます。主人共々今後ともよろしくお願いいたします」

会場から拍手とおめでとうの声が上がった。

「竹本室長、一言お願いします」

「ご結婚おめでとう。岸辺君がアシスタントに横山さんを取ってきてほしいと言ってきたけど、来てもらうと、皆も知ってのとおり、すごく地味な子でした。

でも仕事はよくやってくれて、岸辺君もプロジェクトがスムースに進むようになったと喜んでいました。

1か月前に岸辺君に転勤の内々示を出すとすぐに横山さんと結婚すると言ってきたので驚きました。内心、仕事はできるがあんな地味な子のどこがいいのかなと思っていました。

結婚式の立ち合いを引き受けて式に出ましたが、今見てのとおり、別人かと思うほど、花嫁が可愛くてとにかく驚きました。

その時、岸辺君の人を見る目に感心しました。どうか二人赴任先でも仲良くやってほしい。終わり」

「ありがとうございます。それでは室長の音頭で乾杯します。室長よろしくお願いします」

「ご両人のご結婚を祝して乾杯」

乾杯後の雑談が始まった。事前にあまりしゃべり過ぎないようにしようと二人でしめし合わせていた。美沙ちゃんも質問にはほどほどに答えているが、とっても嬉しそうだ。

美沙ちゃんの左手首にはブレスレット、薬指には婚約指輪と結婚指輪が光っている。

僕は結婚を内密にしておくため、美沙ちゃんに断って結婚指輪を会社では送別会まで着けなかった。

吉本君がとんで挨拶に来た。

「すみません、岸辺さんに失礼なことを言ってしまいました。でも人が悪いですよ、教えくれてもよかったでしょう。部下なのに」

「悪かった。仕事に差し支えると思ってのことだから、許してくれ。それに室長にも同じことを言われたから、気にしなくていいよ」

「そう言われると気が楽になります」

「結婚式で彼女を見た時の室長の顔もさっきの吉本君と同じ顔をしていた。実を言うと僕も変身した彼女を見た時はそうだったから」

「そうですよね、驚きますよね」

「そういうことだ。まあ、笹島君と神田さんとはうまくやってくれ」

二人への花束贈呈で送別会は終了した。美沙ちゃんに名誉挽回の機会を作ってやれてよかった。僕の人を見る目の良さも紹介出来て大成功だった。

二人は花束を抱えて駅に向かう。このビルともこれでしばらくお別れだ。でも感慨に浸っている時間はない。

明日は引越しの荷物を搬出して、高槻に向かわなければならない。これから、帰ってからそれぞれ最後の荷造りをすることにしている。
【10月1日(土)】今日は、午前10時に美沙ちゃんの荷物を引越し屋が取りに来て、午後1時に僕の荷物を引き取りに来る予定になっている。

どちらの家電や家具を持っていくかの仕分けはすでに終えていて、不用品はすでに処分してある。

8時に美沙ちゃんのアパートを訪ねる。部屋の中はダンボールが積まれている。すぐに美沙ちゃんを抱きしめてキス。

でものんびりイチャイチャしている時間はない。最後に残ったものを段ボールに詰めるのを手伝う。

でも段ボールの数はそんなに多くはない。家具も食器棚など最小限のものだけだ。

9時に美沙ちゃんのお母さんが訪ねてきた。お弁当を作ってきてくれたという。

それから美沙ちゃんとお母さんは大家さんへ引越しの挨拶に行った。

10時に引越し屋が荷物を取りに来たが、荷物はあっという間に積み込まれた。

これから二人で僕のマンションに移動する。美沙ちゃんとお母さんが分かれを惜しんでいる。

美沙ちゃんは母親から遠く離れて住むのは初めてなので、不安もあるのだろう。二人抱き合って泣いている。

「美沙のこと、よろしくお願いします」

「お母さんも遠慮しないでお二人で泊まりに来てください」

「落ち着いたころにお邪魔するかもしれません」

「是非そうしてやって下さい」

お母さんは駅まで送ってきてくれた。

午前11時には僕のマンションに到着した。ここでも残った荷物を段ボールに詰める。掃除をする。

お昼になったので、美沙ちゃんのお母さんが作ってくれたお弁当をごちそうになる。美沙ちゃんと味付けが全く同じ。

それを言ったら「当たり前、料理を教えてもらったから」といっていた。おいしい。

午後1時に引越し屋さんが来た。段ボール箱、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、乾燥機、本棚、ベッドを運ぶ。

ベッドはセミダブルなので二人では少し小さいけど、美沙ちゃんが小さいこのベッドがくっついて寝られてよいと気に入っていて、持って行くことになった。

それから、置いてあるのが見つかったAVも、いつか二人で見たいと言うので段ボールに入れた。やれやれ。

荷物を出すのにそう時間は掛からなかった。荷物を出し終わった部屋で一休みしていると、美沙ちゃんが抱きついてきた。

「この部屋で花火大会の日に初めて結ばれて、思い出がいっぱいあるのに、二度とここへは戻ってこないのね」

「そう、少し寂しいね。でも今度のマンションでは一緒に暮らせる。最高だと思わない? 二人切りなんだよ。誰にも邪魔されないし、気兼ねもいらない。嬉しくない?」

「嬉しい、もう帰らなくてもいいから、夢みたい」

「じゃあ、出発するか」

二人、スーツケースを引きずって部屋を出た。ありがとう、さようなら、思い出を作ってくれて!

東京駅から新幹線で新大阪へ、それからJRで高槻へ、マンションの鍵は受け取ってある。先週に確認済みなので、すぐにそのまま駅前のホテルにチェックイン。

荷物をおいて、近くの食堂で食事をする。

「おなかがすいたね」

「少し疲れました」

「軽く食べて、早く休もう。明日も忙しいけど大丈夫?」

「大丈夫です」

僕は生姜焼き定食、美沙ちゃんはおかめうどんを注文。関西のうどんは東京より薄味でずっとおいしいと喜んでいた。

コンビニで明日の朝食のパンと牛乳を買ってホテルへ戻る。

ホテルについて、シャワーを浴びたら、疲れがどっと出てきて、二人共ベッドにダウン。そのまま抱き合ってすぐに眠りについた。

【10月2日(日)】早く寝たせいか、翌朝は目が覚めたらまだ5時だった。

美沙ちゃんは僕の腕に抱きついて安らかな顔をして眠っている。可愛い。今日から一緒に暮らせる。

美沙ちゃんは小柄だけど、とても逞しいところがあるから、安心している。

美沙ちゃんの身体の温もりを感じながらまどろむ、癒される時間だ。

美沙ちゃんが目を覚ました。丁度6時。

はじめは寝ぼけてどこにいるのか分からなかったみたいで、きょろきょろしていたが、ホテルのベッドで僕の腕の中にいることが分かって安心したみたいで、しがみ付いてきた。

「おはよう」

「おはようございます」

「今日も1日忙しいよ、大丈夫?」

「早く生活ができるようにしたいので頑張ります」

「まだ6時だからもう少し抱き合って寝ていたいけど」

「そんなこと言っている場合じゃないでしょ」

取り付く島がない。さっと起き上がるとバスに入って身づくろいを始める。しぶしぶこちらも身づくろいを始める。

昨日帰りに買ってきたパンと牛乳で朝食を摂り終えると、7時にはチェックアウトして、マンションへ。

部屋はハウスクリーニングが入っていたが、時間が経っていると見えてよく見るとホコリが薄くついている。

二人で持ってきた雑巾で拭き掃除を開始。ついでに窓も拭く。美沙ちゃんは自分の満足がゆくまでそこら中を磨いている。

ひととおり掃除が終わったころに、部屋のモニターに引越し屋から連絡が入る。丁度10時だった。

荷物の搬入が始まる。部屋は2LDK。家具の置き場所を指示するが、家具は少ない。

大きめの部屋を寝室にするので、ベッドを配置、小さめの部屋を書斎にするので本棚と机を配置。

リビングにはテーブル、テレビ、リクライニングソファー。二人で座れるソファーがほしいところだ。

段ボール箱がリビングに積み上がる。荷物の搬入はすぐに終わった。

ひとつひとつ段ボール箱を開けてゆく。

大体、お互いに荷物は少ないので2時にはすべて開けて所定のところにしまい込んだ。

「お昼ごはん食べてないけどどうする」

「お腹が空いているけど、疲れたのでお昼寝したい」

美沙ちゃんはソファーに座ったかと思うと眠ってしまった。疲れたんだ。ここ2~3日、送別会、引越しと忙しかったから。

寝室から毛布を持ってきてかけてやる。でも眠っている顔は安らかで、安心して眠っている。

僕はパソコンがネットに繋がるか確認した。このマンションの部屋にはネットの端子がきている。駅周辺の地図とスーパー、商店街などを確認した。

5時過ぎに美沙ちゃんは目を覚ました。

「ごめんなさい。今何時ですか」

「5時を過ぎたところだよ」

「こんな時間まで眠ってしまってごめんなさい」

「疲れていたんだね。大丈夫?」

「疲れが取れました」

「そろそろ晩御飯を食べに行こうか」

「はい」

「関西に来たのでお好み焼でも食べてみないか、駅前にお好み焼の店があるみたいだから」

「いいですね、食べてみたいです」

お好み焼屋では、美沙ちゃんはミックス、僕は豚のお好み焼をそれぞれ注文して、焼きそばも注文。ビールで引越し終了の乾杯。

おいしかったのですっかり平らげた。お腹が一杯になると二人とも元気が出てきた。美沙ちゃんは、帰りにスーパーによって明日からの食材を買って行きたいという。

「冷蔵庫の中が空っぽだから、できるだけ買っていきます」

「おそらく明日は簡単な歓迎会があると思うから、夕食は食べないかもしれない」

「ちゃんとした夕食が作れるまでには時間がかかりそうですから、丁度良いです。メールで連絡してください」

スーパーで食料品を二人で持ちきれないほど買ったが、まだ足りないという。明日、美沙ちゃんが買い足すとのこと。

マンションに帰って、すぐに買ってきたものを片付ける。美沙ちゃんはすっかり元気になってニコニコしている。

ここのお風呂は広いので一緒に入りたいと言う。望むところ。二人でお風呂に入って身体を洗い合う。

これがしてみたかったと美香ちゃんが張り切っている。一生懸命に背中を洗ってくれた。お返しにしっかり身体全体を洗ってあげた。美沙ちゃんは本当に嬉しそうだった。

それから、寝室の僕が持ってきた少し小さめのベッドで愛し合った。誰にも邪魔されない二人きりの生活が始まった。
【10月3日(月)】習慣とは恐ろしい、6時に目が覚めた。美沙ちゃんは横で眠っている。

昨日の夜の余韻に浸って夢をみているのか、安らかな可愛い寝顔。

外は明るくなっているが、二子新地とは違う空だ。

研究所までは30分も見ておけば十分。だから8時過ぎに家を出ればよい。

ここでは室長だから、あまり早く出勤すると迷惑になる。だから朝はゆっくりでいい。

職住接近は楽だ。ここが東京とは違うところ。

7時前に美沙ちゃんが目を覚まして抱きついて来るので、おはようのキス。

「寝坊をしてしまいました」

「昨夜は可愛がりすぎたかな?」

「すごく幸せでした」

「朝食の準備をします」

「ゆっくりでいいから、8時を過ぎてから出かけても十分間に合うから」

「朝、ゆっくりできるのが良いですね」

8時10分に家を出た。これでも少し早めだ。

研究企画室のメンバーは室長を含めて6名。研究所出身者が3名、事務屋さんが2名。

研究企画室の仕事は一言でいえば、研究所の研究管理、本社との予算折衝、研究所内の予算配分、研究の進捗管理、研究部間の調整など。

本社との折衝が多いが、本社の関係者とは今まで何回も腹を割った話をしてきたので、電話1本で調整できる。

研究企画室のメンバーは研究所勤務が長い。本社にいる時に打合せで何回か顔を合わせており、また引き継ぎにも来ているので意思疎通に問題はない。

9時に最初の業務打合せ、今日の5時から部屋で簡単な歓迎会をしてくれると言う。美沙ちゃんにメールを送る。研究所の幹部の歓迎会は別の日になるとのこと。

歓迎会はもう室長なのだから、皆のことも考えて早めに切り上げて、6時過ぎには終えた。

だらだら会社で飲むのはどうも好きになれない。美沙ちゃんに「これから帰る」のメールを入れる。

帰宅すると玄関までとんできて抱きつく。

「夕ご飯は食べたの?」

「まだです。夕食はカレーにしました。食べるかどうか分からなかったから」

「夕食食べます?」

「歓迎会はビールと乾きものだけだったので軽く食べようかな」

二人でカレーを食べていると、美沙ちゃんが食べ終わったら話したいことがあるという。

思いつめた顔をしているから、気になる。

「実は内緒にしていた私のブログのことなんですけど」

「ブログがどうかしたの?」

「実は、私が『地味子のひとりごと』のブロガー本人であることが、後任の神田弥生さんにバレてしまいました」

「『地味子のひとりごと』と言うんだ」

「ブログを始めたのは手首を切って入院していた時に、友達がそれを聞いてお見舞いに来てくれて、ブログをして何でも書き込めば、友達ができて相談に乗ってくれるようになると、ブログを進めてくれたんです。始めたのはそれからです」

「始めてどうだったの」

「辛いことなんかを書いていると、私もそうだったからとなぐさめてくれたり、アドバイスをくれる人とコメントのやりとりをするようになりました。そのうちに、料理の写真や、気に入った服や、靴や、アクセサリー、アンティークなどを紹介したりしているうちに、フォロワーが増えて、いまは3千人くらいになっています」

「すごいね、それで」

「フォロワーの中に神田弥生さんがいたんです。ブログは匿名だし、私の身元が絶対にばれないように、すごく気を使っていました」

「でも、潤さんにプロポーズされたときにもらったブレスレットの写真と婚約指輪の写真、結婚指輪の写真をブログに載せました。とっても嬉しかったので、応援してくれた皆さんに見せてお礼を言いたかったのです」

「それで」

「送別会の日、引き継ぎが終わってから、神田さんがもう少しお聞きしたいことがあるというので、会議室に残りました」

「そういえば、打合せの後、残って何か話していたね」

「その時、神田さんが『地味子のひとりごと』のブロガーは横山さんだったんですねといったんです。

私はそんなブログがあるんですか、知らなかったととぼけましたが、『でも、そのブレスレットと指輪、あの岸辺さんからのものでしょう。

私は岸辺さんの扶養申請も受け付けていましたから、それを見てピンときました』と言われて、ブロガー本人であることを認めました。

そして。ブログのことは内緒にしてほしいと頼みました。もちろん、『私はファンなので絶対ほかの人には言いません』と約束してくれました」

「それでよかったじゃないか。秘密は守ってくれると思うよ。だって、後任に推薦してあげて喜んでいたんだろう」

「とっても喜んでいました」

「後任の笹島君も独身だからね」

「打合せでとっても素敵な人だと喜んでいました。それで、どうしたら私のように気に入ってもらえるのかを教えてほしいと言われて」

「それで」

「仕事を一生懸命にやること、それに」

「それに?」

「もし笹島さんが病気で休んだら、必ず看病に行くこと、そしておいしいご飯を作ってあげること、それから」

「それから?」

「看病に行くときはできるだけ、変身して可愛くしていくこと、それから、もし、お付き合いを申し込まれたら、仕事とプライベートをはっきり分けて、交際を絶対に秘密にすること、プライベートではできるだけ可愛くすることを勧めました。そのためにセンスを磨いておくことも」

「なるほど、僕に使った手だね」

「いいえ、これは二人が結婚至ったプロセスに基づいてのアドバイスです!」

「うまくいくといいね。ところで、さっき応援してくれたとか言っていたけど誰が応援してくれたの」

「私が明日、遊園地でデートすることになったけどどうしようと書くと、皆いろいろアドバイスをくれるんです、服装とか、お弁当とか、いろいろ」

「へー」

「お部屋で花火を見ようと誘われたけどどうしようと書くと、またいろいろアドバイスが入るんです。本当にいろいろと」

「それって、だいぶ前に話題になった『電車男』と似ていない? 美沙ちゃんは『電車女』だったのか?」

「『電車男』って何ですか?」

「恋愛に不慣れな男性が電車で知り合った女性に恋をして、その悩みをパソコンでサイトに書き込むとそれを見た人がアドバイスを書き込んで応援してくれて、恋が成就する話」

「知らなかったです」

「今はスマホの時代だからね。ところでブレスレットと指輪のほかには何を書いてUpしていたの?」

「コピー室で出会ってから、ほとんどすべてです。あの婚約記念の蝋燭の灯ったケーキも」

「ええ…すべて公開? 3千人が知っている? ええ…それってマジ電車女だ!」

「ごめんなさい。でも匿名だから絶対に分かりません」

「まあ、いいか。こうして美沙ちゃんと結婚できたのだから。アドバイスを貰っても、実行したのは、美沙ちゃん自身なのだから。『電車男』でも彼女にそのことがバレて別れてしまいそうになるんだけど、結局仲直りする。その気持ちは当事者になるとよく分かるけど」

「本当にごめんなさい。ブログ、これからはやめておきます」

「止めることないよ。この成功に励まされる地味子ちゃんが沢山いるだろうから、続けるといいよ、絶対にバレないようにしてだけど」

「分かりました。ありがとうございます」

「でも神田さんが笹島君と付き合って結婚することにでもなったら、神田さんは笹島君にこのことを話すと思うよ」

「でも神田さんは絶対に笹島さんに口止めすると思います。私には分かります」

「まあ、それなら安心だ」

「ブログのことをお話しして、許してもらって肩の荷が下りました。結婚してからもいままで打ち明ける勇気がありませんでした」

「結婚前でも許したと思うよ、美沙ちゃんを離したくないから」

「ありがとう」

「ところで、新婚旅行だけど、どうする? 急に婚約して式を挙げて引越しだから日程が取れなかった。ハワイへでも行く?」

「ハワイもいいけど、関西へは初めてきたので、休みの日にお弁当を持って、京都や奈良や神戸を二人でゆっくり歩いてみたいです。安上りですし、ブログにも載せられますから」

「行ききれないくらいにいろんなところがあるから、それでいいなら当分の間はそうしよう」

「でもこのマンションが好きなので、休日はゆっくり二人で過ごしたいです。こんなところに住むのが夢だったから。お風呂も大きいし、部屋も2つもあるし」

「それじゃ、土曜日は好きなところに行って、日曜日は家でゆっくり過ごそう」

「これからのお休みが楽しみです」

美沙ちゃんが抱きついて来る。そのままベッドで愛し合う。少し節操がないけど、もう誰に遠慮もいらない。


これで、ブランド好きのオッサンが訳あり地味子を嫁にするまでのお話はおしまいです。 めでたし、めでたし。


なお、後日談になりますが、4年後に本社に転勤になりました。家族は4人、3歳の男の子と1歳の女の子のパパとママになっていました。

竹本室長に気を付けろ!といわれていたとおり、今はすっかり、尻に惹かれています。

住まいは美沙ちゃんの母親夫婦の近くにしました。母親夫婦はたいそう喜んでくれました。

本社の役職は竹本企画開発室長の後任で、竹本室長は野口本部長の後任になりました。

神田さんは笹島君と結婚して退職していました。その後任は神田さんが推薦した山川さんと言うこれも地味な女子の派遣社員でした。

山川さんは前任者2名が続いて上司と結婚したのを知っているのか、神田さんから引継ぎがあったのか、仕事を一生懸命にこなしていました。

いずれ笹島君も異動になるので、後任が来るだろう。こうして地味子ちゃんの伝説は引き継がれていくのかもしれない。地味子、恐るべし!

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