神社に願いを込めて

「でも………」

振り返って僕は、リビングの窓から空を見上げた。

秋の季節とは思えない強い日差しが、ようしゃなく地上に降り注いでいた。少し前に女神様に頼んできれいにしてもらった庭も、雑草が伸びて荒れていた。

ーーーーーーチン!

そのとき、オーブントースターの音が鳴った。

僕は台所に向かって、オーブントースターを開けた。いい感じに焼けたパンの香ばしいかおりが、僕の鼻腔をくすぐる。僕は白い食器に表面がきつね色に焼けた食パンをのせ、再びリビングに戻った。

「おいしい」

食パンのはしっこ部分をかじって、僕はそう言った。

温かいというよりも少し熱を持った焼きたての食パンが僕の口の中に広がり、おいしく感じられた。

ーーーーーーブルブル。

朝食を食べていると、テーブルの上に置いていた青色の僕のスマートフォンが音を立てて鳴った。

僕は、慌ててスマートフォンを手に取った。ホームボタンを押してスマートフォンを起動させると、暗かった画面が明るくなった。スマートフォンの最初の液晶画面に表示されるパスコードを入力し、僕はLINEをチェックした。
「広瀬………」

LINEを確認すると、つぼみからの新着のLINEメッセージが送られた。

ーーーーーードクッ。

液晶画面に表示されている、彼女の名前を見ると僕の心臓がドクンと跳ねた。

美しい夕焼けの景色に染められたオレンジ色の空の下、つぼみとキスした記憶がよみがえった。

『晴れてよかった。これで、願君と外でデートできるね。午後十二時に、神社で待ち合わせね。今日は、彼女を待たせないでよね』

「デート………」

つぼみから送られてきたLINEの文書を読んで、僕の頬がぽっと赤くなった。

昨日、つぼみからたしかにデートに誘ってくれたが、それがほんとうに実現することになって、僕の心臓がうるさくなる。



「約束、守ったんだね。今日は、私よりも早いじゃん」

午後十二時。参道を歩きながら、つぼみはゆっくりと僕に近づく。

学校で見るつぼみの制服姿も美しいが、プライベートで会うつぼみの私服も美しかった。

白いノースリーブに、細い足を露出した水色のミニスカート。白色のつば広ぼうしをかぶっており、小さなピンクのバックを肩にかけていた。

「まぁな」

僕は、はずかしそうに顔を赤くして答えた。

つぼみと二人でデートできるきんちょうとうれしさからか、僕は待ち合わせの時間の十分前には神社に到着していた。

「暑いね」

額に手をかざして、つぼみは空を見上げた。

青いペンキをまきちらかしたような空には雲ひとつなく、照りつけるような日差しが降り注いでいた。午前中から午後にかけて気温も徐々に上がり、テレビで報道していたとおり、今日の気温は四十度近くまで上がりそうだった。
「ふしぎだね、最近」

「えっ!」

「学校がとつぜん、十日間も休みになったり、急に夏みたいに暑くなるなんて……」

そう言ってつぼみは、手をうちわのようにしてパタパタとあおいだ。

「そう思わない?」

「そうだね」

つぼみにそう言われて、僕は首を縦に振った。

秋が急に暑くなるのも、学校が十日間も休みになったのも、僕が女神様に願ったからだ。そして、つぼみとのデートも僕の願いだ。

「やっぱり神様って、いるのかな?」

「えっ!」

「神様が、私たちの願いをかなえてくれたのかな?デートの日にこんないい天気にしてくれたのも、学校を急に十日間も休みにしてくれたのも、神様がいるからかな?

つぼみは僕に視線を移して、はずんだ声で訊いた。

二カ月も、つぼみと神様の会話をしていたことを僕の記憶に今よみがえった。あのとき晴れか雨で神様の存在をてきとうに決めたが、この二カ月以上、僕はこの神社でずっと神様にお金と引きかえに願いをかなえてもらっていた。
「ねぇ、やっぱり神様が私たちの願いとかなえてくれないのかな?」

目をかがやかせながら、つぼみは僕に訊いた。

「そうかもな」

脳裏に女神様と会話したことを思い出し、僕は短く答えた。

神様の存在は晴れか雨ではなく、お金で決まっていたが、今まで僕の願いをかなえてくれていた女神様には感謝する。

「それで、今日はどこに行くの?」

僕は、つぼみに視線を向けて訊いた。

「願君は、どこに行きたいの?」

「僕は、どこでもいいよ。でも、広瀬はどこか行きたい場所とかないの?」

「私は、海に行きたいなぁ。そして、夕日をもう一度願君と一緒に見たいなぁ。ダメ?」

そう言ったつぼみは、わずかに首をかしげた。

「いや、いいよ」

僕は、ぶるぶると首を振った。

季節は秋なのに海に行くのは少しふしぎな感じだったが、僕はつぼみと一緒にいられるのなら、場所なんてどこでもよかった。
「私との約束、覚えてる?」

バス停の青いベンチで座って待っていると、となりにいたつぼみが僕に声をかけた。

神社から歩いて十分後、僕たちはバス停でバスを待っていた。うだるような暑さのせいなのか、景色や道路がゆらゆらと揺れて見える。

「約束?」

僕は、眉間にしわを寄せた。

「野菜、食べること。私と約束したでしょ、昨日」

笑顔を浮かべて言ったつぼみの顔を見て、僕はそんな約束をしたことをふと思い出した。

昨日の夕方、つぼみとキスしたことが僕の頭の中にうめつくしており、野菜を食べる約束をしたことなんてすっかり忘れていた。

「海を見ながらなら、絶対食べられるよ」

「そう……だね」

やさしい口調で言ってくれたつぼみだったが、野菜を頭の中でイメージすると、僕の顔が自然と暗くなる。

ベンチに座って数分間待っていると、バス停に乗るバスが到着した。順番にバス停で待っていた人たちが開いた後ろのドアから乗り込み、僕とつぼみもバスの中に乗った。バスの中は少し寒いぐらいの冷房が効いており、かいていた汗が一瞬で引いた。
「ふぅ、すずしい」

口から息を吐いて、僕は空いていた後ろから二番目の窓際の席に座った。

「外は暑かったけれどバスの中はやっぱりすずしいね」

そう言ってつぼみは、僕のとなりに座った。

「秋なのに、急にこんな暑くなってふしぎな気候だね」

「ほんとほんと。まるで、夏みたいですね」

「天気予報のニュースで言ってたんですけど、この暑さ、十日間も続くみたいですよ」

他の乗客から聞こえる話し声は、この夏みたいに暑い天気の会話だった。

「やっぱり、みんなもふしぎに思ってるみたいだね」

「そうみたいだね」

つぼみにそう言われて、僕は苦笑いをした。

バスの車内の窓から、目まぐるしく変化する景色を僕はぼうぜんとながめていた。僕たちがバスを乗り始めてからすでに五十分ぐらい経過し、今は海沿いの道を走っていた。バスの窓から見える景色は、太陽の光に照らされたきれいな海がどこまでも広がっている美しい風景だった。少し窓を開けてみると、海のかおりが風に乗って僕の鼻腔にまで運んだ。
「広瀬、もうすぐ着くぞ」

僕の肩に頭をのせてきもちよさそうに寝ている、つぼみに声をかけた。

バスに乗って最初の数分間は彼女としゃべっていたが、いつのまにか沈黙が続いた。そして気がついたら、つぼみは僕の肩に頭をのせて寝ていた。つぼみと話が続かなくなったときは困ったが、あまり会話のないデートも僕はきらいじゃなかった。

「広瀬、もうすぐ着くぞ」

寝ている彼女の体をやさしく両手で揺らして、僕はもう一度つぼみに声をかけた。

「ん?」

僕の声が聞こえたのか、つぼみはまだ眠たそうな目をこすりながら起きた。

「広瀬、着いたぞ。窓から、海が見えるぞ」

そう言って僕は、窓に指さした。

「え、ほんと」

僕の言葉を聞いて、つぼみは一気に目をさました。そして、窓の外に視線を向けた。

「ほんと、きれい」

バスの窓から見えた海の景色を見て、つぼみはうっとりした表情を浮かべた。



「やっぱり、外はすごく暑いね」

海の近くのバス停で降りて、つぼみは額に手をかざして言った。

冷房が効いていたバスから降りると、うだるような暑さが襲った。

「願君、見て。海がきれいだよ」

つぼみが指さした方向に視線を向けると、バスの窓から見たときよりも、あざやかな青い海が僕の瞳に映った。それと同時に青い海の上を飛んでいるカモメや、白い砂浜が見える。

「海に沈む夕日って、美しんだろうね」

海風が吹いたせいか、つぼみはかぶっていた白色のつば広ぼうしを軽く押さえた。

「見たことないの?」

「病院からだとあるけど、海辺からはないんだ」

そう言ってつぼみは、病院に視線を向けた。

「お母さんの体調、また悪くなったんだ」

軽い口調で言ったつぼみだったが、表情はなんだか悲しそうだった。

「最近、母親の体調がよくなって、次の入院先の病院もいっぱいで、それで私の転校が伸びたりして。ふしぎなことばっかりで、ちょっとびっくりしてるんだ」

病院から海に視線を戻して、つぼみは笑顔を浮かべた。