(春日山城天守閣跡より、現在の上越市内を臨む)
私の一番昔の記憶は、冬の夜静かに降り続く雪景色。
全ての音を包み込み、世界を白く染める。
辺りは雪で閉ざされた。
だけど私には、寒くてつらかったという記憶はない。
常に暖炉には薪が豊富に入れられ、部屋を温かくしていた。
そしていつも母と姉が側にいて、私を慈しんでくれた。
女三人で身を寄せ合い、冬の寒さをはねのけていた。
雪深い冬。
幼い私の背丈をはるかに上回る量の雪が、毎年辺りを埋め尽くしていた。
しかし雪が溶け、春が来れば、一帯は華で埋め尽くされた。
そして夏は暑く、太陽に焼かれた。
秋になると山々は、鮮やかに染められ。
また冬がやってくる。
四季の流れが鮮やかだった。 それは、ある夏の日のことだった。
いつも通り庭を飛び出し、山を駆け。
泥んこになって、家に戻った。
「姫さま、何て姿に!」
土や草にまみれた私を見て、侍女たちが慌てた。
着物を取り替えようとしたのか、水で汚れを洗い落とそうとしたのかは分からないけれど、私を捕まえようとしたが。
私はひらりと身をかわし、母の待つ部屋へと戻ろうとして走った。
軒先にたどり着き、縁側に飛び上がろうとした。
するとそこに、姉が正座している。
「姉上?」
呼びかけると姉は、引きつった表情を浮かべていた。
私が部屋の奥を見たところ……。
年を取った見知らぬ男が、母を扇子で殴っていた。
しかも二度、三度と繰り返し。
母はなすがままに打たれている。
姉は縁側でうつむき、涙をこらえている。
一体どういうことだろう。
見知らぬ老人(に私には見えた)が人の家に入り込んできて、傍若無人に振る舞っている。
何て無礼な奴だろう!
もしかしてこれが、盗賊というものだろうか? 母上に何をする?
許せない!
私はちょうど庭に落ちていた木の棒を手にして、屋敷へと駆け出した。
「無礼者め~!」
私は縁側に飛び上がり、部屋に飛び込んだ。
「何だ?」
年取った男は驚いた表情で、こっちを振り返った。
母はさらなる驚愕の表情で。
「母上に何をする!」
私は木の棒で、思い切り男を殴った。
「うわっ!」
ゴツン!
不意を突かれたようで、棒は男の額のど真ん中に当たった。
「姫っ、何をするのです! おやめなさい!」
母は私を止める。
どうして?
私は母上を助けるために……。
「姫だと……」
男は額から流れる血をぬぐいながら、私の方を見た。
「何てことだ、こんな山猿のような姿に。お前の育て方が悪いから」
「黙れ、無礼な奴! 猿だと?」
私は猿呼ばわりされ、ますます不愉快になった。
その時、
「おやめなさい!」
背後から姉が駆け寄り、私を抱きかかえた。 「姉上、お離しください。この無礼な奴を私は成敗いたします!」
私は姉の腕の中で、もがいた。
だが六歳年上の姉の力に、この頃の私は全然かなわなかった。
「姫、控えるのです!」
母も私に命じた。
「御屋形様(おやかたさま)の、御前ですよ!」
おやかたさま?
おやかたさまとは誰?
「父上の御前よ!」
姉が小声で補足した。
父上……?
私は意味が分からなかった。
思えば私の幼い記憶からは、父という存在が欠落していた。
側にいたのは母と姉、そして家に仕える者たちとその家族だけだった。
それが私の世界の全てだった。
そこに「父」という存在感は、皆無だった。
父上って何?
おやかたさま?
母も姉も、非常にこの男に脅えている。
怖い人なのだろうか?
「全く……。この有様では、嫁にも行けなくなる!」
男は吐き捨てるように母に怒鳴った。
「ヨメってどこの国だ?」
私がとんちんかんな質問をしたところ、姉が慌てて私の口を塞いだ。 「とにかく! 姫たちの養育はきちんといたせ! それが正室(せいしつ;正妻)であるそなたの勤めであろう?」
「申し訳ありません……」
母はひたすら謝っている。
傲慢この上ない男に対して。
そして男はドカドカと足音を響かせて、廊下を歩き去っていった。
そういえば。
何となく思い出した。
今年の正月。
姉と共に、正月の宴に母に連れて行かれた。
行き先は、同じ敷地内だったような気がする。
私は母や姉と共に、その部屋の端に座らされた。
周囲には様々な大人たちと、彼らが連れている子供たちがたくさん座っていた。
そして部屋の中央には、ふんぞり返ったように座っているあの男が!
装束があの時とは全く異なるので、すぐには気付かなかった。
おやかたさまと名乗るあの男を中心に、その部屋の全ては回っているようだった。
あの時も、今も……。