「ああ……、間に合う…間に合うに決まってる。静音ちゃんなら良い警察官なれる。」


「ほん、と…?」



「ほんとだ。俺が保証する。」



妻の葬式でも、人前で泣いたことなど無かったのだが、静音の精一杯の言葉に感極まり、篠宮は溢れ出る涙を抑えることが出来なかった。



暫くして………………、



ぐぅ~



「あ。」



「腹減ったな。朝飯まだだったな。」


「あははっ…そうだった。」



早く自分の気持ちを言いたかったので、静音は起きてすぐに話始めてしまった。


終わって、しかも良い方向に収まったことで安心し、思い出したように静音のお腹が限界だと知らせてきたのだ。



「トーストでいいか?」


「うん。」



本当はご飯派なのだが、妻が亡くなってからは、朝は食べないか出勤途中でコンビニへ寄るかだ。


今日は静音がいるので、簡単に出来るトーストを選択した。



「絣乂さんに言わないとな。要にも。2人とも喜ぶぞ。」



「ほんと?」


「ああ。今日でもいいが、せっかくの休みだからな。どこか行くか?」



「…!うん、行く!」



2人の心はもう、親子以上かもしれなかった。

「シノさん、要さん、配属先決まったよ!」



篠宮と要という良いお手本がいたおかげか、静音が高校を首席で卒業してから1年後。


警察学校の課程も終え、晴れて正式な警察官として働けるようになった。



「地域課か。」



「この所轄は僕達と離れてるな……」


「要…残念がるとこはそこじゃない気がするぞ?」



静音は篠宮や要と同じ生活安全課を希望していたのだが、配属先は地域課になった。


しかも同じ所轄内ではなく少し離れてもいる為、勤務時間の関係で今までより会える時間が減ってしまうのが要を憂鬱にさせている。



「ふふっ!要さん、落ち込まないでよ。非番の日はシノさんのお弁当届けに顔出すから。後、慣れたら警らついでに会いに行けるかもしれないでしょ。」


「ああ、そうだな。それを楽しみに今は我慢しろ。」



静音は嬉しそうに、篠宮は苦笑いを浮かべながら、要を励ました。



「そうですね。…静音、これから同じ警察官としてよろしく。」


「一緒に頑張ろうな。」



「はい!こちらこそよろしくお願いします!頑張ります!」



『家族』は笑いあう。



ここから静音の警察官人生が始まった。

静音が地域課に配属されて半年、法務教官から保護観察官へとなった翁から篠宮へ電話が入った。



「行方不明?!逢沢莉央と逢沢深緒がですか?」


『ええ。退院してから一応報告はきていたのですがね。それがパッタリ途切れたんで、家を訪ねたらもぬけの殻でして。』



2年前に退院予定だったが、騒動を起こして延期になったのだ。



ようやく退院し大人しくなったと思っていたら、これだ。と翁が電話の向こうで頭をかかえているのが声だけでよく分かる。



『絣乂さんから聞いていますが、静音ちゃん警察官になったそうで。大丈夫とは思ったんですが、接触するかもしれませんので連絡をと。』


「わざわざありがとうございます。静音にも気を付けるように言っておきます。」



少年院でのことは分からないが、相当酷かったのだろう。


そんな2人と静音を会わせるわけにはいかない。



「静音は頑張ってるんだ。今更、過去を蒸し返されてたまるか。」



静音は今警察の寮に住んでいて、要と共にたまに会うぐらい。


しかし、たとえ過保護と言われようとも、静音には前だけを見ていて欲しい。


そう願う篠宮の顔は、父親そのものだった。

莉央と深緒の2人が行方不明になってから、1年半が経った。


しかし、その間に特に進展は無く、静音への接触も無い。


不気味なほどに、全くの音信不通であった。



そして、今日はひな祭り……の5日後。


ひな祭り当日が休みではなかった為、今日にしようということになったのだ。



「うわ~!毎年思うけど、豪勢。美味しそうっ!」


「先輩、年重ねるごとに上達してますね。」



机の上には、海鮮がのったちらし寿司に、鯛の塩焼き、蛤のお吸い物と並んでいる。



「まあだいぶ慣れたからな。さっ、食べるか。」


「ちょっと待って。食べる前に報告があります!」



静音はニンマリと含み笑いをする。



「報告?」


「報告って……、まさか彼氏とか!?」



「要さん違うから…、もっと良いこと。」



クスクスと笑いながら、静音は要らしい勘違いだなと思う。



「実は…、この春より刑事課に異動することが決まりました!」



「本当か!良かったな。」


「凄いじゃないか!」



先日、課長から内示があった。


正式に辞令が出るのは一週間後なのだが、静音は2人に言いたくてウズウズしていた。

しかし、直接言いたかったので2人に会える今日まで我慢していたのだ。



「職質の仕方が上手いって課長が評価してくれて、それを刑事課で活かせって推してくれたんだ。その署の刑事課も女性が欲しかったから、ちょうど良かったって。」



莉央と深緒に一旦は悪の道に引きずり込まれたものの、元々の素直で礼儀正しい性格が篠宮と要に出会って天真爛漫に変わっていったのが課長には良かったらしい。


そして、幼い頃から大人の中で育ったせいか顔色や行動の変化には敏感で、それが職質から犯人検挙に繋がっているようだ。



「運も実力のうちって言うからね。」


「積み重ねてきたものも無駄じゃないということだな。」



我が子同然である静音の出世ともとれる大抜擢に、篠宮と要は嬉しさが込み上げる。



「柊静音、今まで以上に精進してまいります!…なんてね。」


「うむ、頑張りたまえ。…なんてな。」



いたずらっ子の様な顔をしながら、静音は敬礼をする。


それに便乗した篠宮は、まるで指導者の様な言葉で返した。



「先輩……、似合い、ません、よ…全く……」



普段とはかけ離れた篠宮の言動が、要のツボにまったようだ。

一応後輩という立場上、篠宮に気を使って声をあげて大笑いするのを要は何とか堪えた。


しかし、話す声と体は震えていて、笑みを隠す為だろう、片手は口元を覆っている。



「わ、笑うな!というか、なんで俺だけなんだ!」



静音も同じ感じであった筈なのに、笑われた対象が自分だけだったのが、篠宮は気にくわない。



「静音は可愛いからいいんです!」


「それはどういう理屈だ…」



「え?私可愛いの?わーい、やったー!」



確かに可愛いが…と、21歳にもなって子供みたいに喜んでいる静音を見て篠宮も思う。


しかし、静音を可愛いと真顔で力説する要には、親バカを通り越してバカ親にならないかと心配になる。



「理屈なんてありませんよ。可愛い、それだけです。…でも、先輩、は…」


「あ~もういい!その話はもういい!」



また笑いそうになる要に、篠宮は強制的に話を終わらせようとする。



「静音から嬉しい報告もあったし、その気分のまま、食べるぞ!」



「そうですね。」


「食べよ、食べよ!」



少し冷めてしまった蛤のお吸い物を温め直して、家族3人、水入らずのひな祭りを始めるのだった。

それから1年後、つまり現在から遡ること3年前。



静音が刑事課にも慣れた頃。


篠宮と要が、合同捜査をした時に知り合った元組織犯罪対策課の都澄に誘われ、本部の新編成された2係に異動して少し経った頃。



静音の勤める所轄が管轄する地域のとある廃ビルの一画で、20代と思われる男女の他殺体が発見された。



司法解剖の結果、男女の死因は内臓破裂による失血死。


顔や体には複数の内出血の痕が見られ、長時間暴行を受けたのが死亡の原因と特定された。


死亡推定時刻は、午前12時~午前2時の間。



近くのクラブに勤めるボーイが第一発見者だ。


午前5時、烏がいつも以上に騒いでいたのと微かに普段とは違った異臭がした為、廃ビルへと足を踏み入れ遺体を発見した。



死亡推定時刻と発見時刻に開きがあるのは、廃ビルが歓楽街の一歩奥まったところに位置しており、華やかなそれとはかけ離れた雰囲気で人も滅多に近付かない場所だからだ。




この事件が、後に刑事課で静音がペテン師夜鷹として噂になる程有名になってしまうキッカケとなる。


しかしそれは噂などではない。

優しき嘘が招いた、紛れもない事実なのだから。

「え?!逢沢莉央と逢沢深緒が殺された?!」



翁から、しかも勤務中にかかってきた電話の内容に篠宮は思わず声が裏返る。


丁度お昼を食べ終わったところなのに、食べたものが胃から逆流しそうな衝撃を受けた。



「何があったんですか?」


『詳しくは分かりませんが、暴行を受けたのが原因らしく喧嘩かリンチかということで私のところに刑事が来たんですよ。』



しかし翁も行方を追っていた一人の為、有力な情報は持っていなかった。


その際話を聞きに来た刑事に、保護観察官としての役目をちゃんと果たして下さいよ。と嫌味を言われたのは言うまでもない。



「分かりました。刑事課にそれとなく聞いてみます。静音も気になるでしょうし、私もあの時の当事者として」


『あ、いえ、それがですね…』



翁は篠宮の言葉を遮る。


それもかなり言いにくそうに。



「どうかしましたか?」


『その事件の担当している刑事課に、静音ちゃんがいるんですよ。』



先頃発見された男女の他殺体は、莉央と深緒だった。


2人は身元を証明するようなものは持っていなかったが、現場に静音がいたことで身元の特定に繋がったのだ。

「……静音が、ですか…?あいつそんなこと一言も…」


『私もその刑事から聞いたんですけどね。静音ちゃん、自分から話したみたいです。』



知らないと嘘を付く必要は無いが、無関係ではない自分や要に何故連絡が来なかったのか理由が分からない。



『部外者が口を出すのもどうかと思ったんですが、気になってしまって。篠宮さんなら何か知っているのではないかとお電話したんですけど、静音ちゃん言ってなかったんですね。』


「ああ…はい。たまに会うぐらいですが、特段変わった様子は…。刑事課の仕事も、大変だけどやりがいあるし楽しいと言ってたんですけど。」



女性が少ない刑事課。


苦労もあるだろうが、静音が話す言葉の節々には楽しさを感じていた。



なのに。



『刑事課で色々あるみたいで。聞きに来たその刑事の印象は、あまり良いものとは言えませんから。これでも長年、悪ガキどもを見てきてますからね。ああいう目つきの奴は気を付けた方がいい。ことがことです、静音ちゃんと一度話された方がよろしいのではないかと。』


「ええ…はい。ありがとうございます。」



篠宮は今更ながら、静音のことが分からなくなった。

「何?話って?」



篠宮は、静音を自宅に呼び出した。


同じくこの場にいる要にも、翁から聞いたことを話してある。



本部に異動してからバタバタしていて、3人が揃うのは久しぶりだ。


呼び出された理由が分からないのか、静音は不思議そうだ。



「翁さんから電話があった。逢沢莉央と逢沢深緒が殺されたらしいな。」


「その事件、静音が担当しているんだって?」



「……その…こと、ね。」



やはり意図的に隠していたようで、問い詰められても驚きはしなかった。



「なんで言ってくれなかったんだ?捜査には関係ないけど、言って欲しかったよ。」


「捜査情報はともかく、一応俺達は無関係じゃないんだ。報道されてる情報ぐらいは話せただろ?」



「そ、れは……」



責めるような言い方になってしまったが、静音ならば話してくれると思っていたからだ。



「刑事課、ゴタゴタしてるみたいだね。翁さん、心配してたよ。」


「それは、今回のことがあったから。あの時のこと話したらみんなの態度が変わっちゃって。」



特に、女性の進出に積極的でない者達からは、ここぞとばかりに嫌味のオンパレードだった。

「でも、シノさん言ってくれたでしょ?色々言われても俺達がいるって。だから、気にしないことにしたの。心配しなくていいよ。」



重苦しい空気を変えようと、静音は努めて明るく言ったのだが…



「だったらなんで俺達に言ってくれなかった!?」


「先輩っ!落ち着いて下さい。」



凶悪犯にぐらいにしか怒鳴らない篠宮なのだが、静音のことでは抑えがきかなかった。


普段暴走しがちな要の方が今は冷静だ。



「……今まで親代わりを自負してきたが、今更ながらお前のことが分からなくなった。」



やりきれない思いが篠宮を支配する。



「先輩……静音、捜査中の忙しい時に呼び出して悪かった。とりあえず今日のところは…な?」



「………うん…」



怒鳴られたことで動揺しているだろう静音と冷静さを失っている篠宮、これ以上話し合いは無理だと判断し要は帰宅を促した。



「はぁ…………俺は何をやってんだ……」



静音と要が出ていった後、篠宮は一人になったことでいくらか気持ちが落ち着いた。


それと同時に、話も聞かず怒鳴ってしまったことの後悔が押し寄せ、親代わりという立場に甘んじていたんだと自覚した。

「よう、柊。お仲間の弔合戦に参加させてくれてありがとよ。おかげで連日クタクタだ。」


「全くはた迷惑な話ですよねぇ。」



篠宮と一悶着あった翌日、静音が出勤してきて早々に嫌味を放ったのは、静音の指導役である厄塒(ヤクシ)巡査部長34歳と静音の先輩に当たる卍擽(バンリャク)巡査25歳。


まあ、この2人の嫌味は刑事課内でもマシな方だ。



「こいつ知ってるか?」


「いえ、知りませんけど。誰ですか?」



厄塒から見せられた写真には1人の男が写っていたが、静音には見覚えがなかった。



「季更津馨鶴亮。蝶笂組の幹部だ。」



蝶笂組(チョウツボグミ)。

大きくも小さくもなく、小競り合い程度が日常の中規模な暴力団だ。


季更津馨鶴亮(キサラヅ カズアキ)が40歳にして幹部といっても、さほど影響力は無い。



「その季更津がどうかしたんですか?」


「半グレ使って、若いガキを探してたって話があってよ。最近シメたって言ってたらしいぜ。」


「ガキ………?まさか…」


「そのまさか、かもな。だが、推測の域を出ない。」



シメた、イコール、死に至る程の暴行を加えたのだろか?

「今探ってる最中だけど、知らずにお前んとこに来ても困るしな。一応報告だ。」


「それはどうも。」



「おいおい、親切に教えてやってんだ。もっと感謝しろよ。」


「…それはどうも、ありがとうございましたっ!卍擽せ・ん・ぱ・いぃー!」



3歳しか違わないくせに偉そうな卍擽にカチンときて、静音はイーっと睨み付けてその場を後にした。



「なんだあれ。まるっきりガキじゃん。可愛くねぇー」


「(そうやっていじけてるお前もガキだって、いい加減気付け。)」



卍擽は静音の態度が気に食わず地団駄を踏むが、厄塒はそれを冷めた目で見つめる。


俺の部下はなんでこういう奴ばかりなんだ。と厄塒はヒッソリと溜め息をついた。



「蝶笂組……季更津馨鶴亮……、ヤクザがどうして…」



莉央や深緒といた時、ヤクザなどに関わりを持ったことは一度もなかった。



狙うのは、お金を持っていそうなのはもちろんだが、逃げれる相手でなければいけない。


いくら法律上相手に罪があるとはいえ、こちらが捕まればただでは済まないことぐらい莉央の頭にはあったはずだ。



静音には、2人が殺されるだけの理由が分からなかった。

静音はとある線路脇にいた。


フェンスの向こうでいくらか電車が通り、背からは道を歩く人の声が聞こえる。



「莉央にぃ…深緒ねぇ…」



今でも鮮明に思い出せるあの時のこと。



「約束したのはこんなことじゃなかったよね?」



約束はきっと私だけの為だった。



「巻き込んだのは私なのに。」



笑顔で守ってくれた。



「会えなくてもどこかにいてるって思えたから我慢出来てたのに。」



今はどこにもいない。



「私、ヤクザなんて知らないよ?」



話してくれた中にもいなかったじゃない。



「犯人捕まえたい。罪償わせたいよ。」



私の大切な2人の命、奪ったんだから。



「全部言ったら怒る?」



誰にも秘密だって、3人だけの秘密だって。



「シノさんのあんな悲しい顔、初めて見たんだよね。要さんもきっと…」



怒鳴ってたけど、あれは怒りじゃない。



「シノさんと要さんならきっと分かってくれると思うんだ。2人が私のこと分かってくれたみたいに。」



私の親代わりだから。



「ねぇ、いいかな?」



その刹那、優しく背を押すように、風が一度だけ吹いた。

「またそんなもの食べて。栄養偏るよ。」


「静音…!」



静音は2係を訪れた。



今から昼食を食べようとしていた篠宮と要は、突然現れた静音に驚いた。


所轄の静音が本部に来ることがそうそうあるものでもないし、あれから連絡すら取っていなかったからだ。



ただどちらかというと、後者の理由の方が2人の気持ちの度合いとしては強いのだが。



「ど、どうしたんだ?」


「これ。今からなら一緒に食べよ?」



困惑する要を尻目に、静音は2人分のお弁当を掲げて、休憩室へと移動した。



「はい。コンビニ弁当がいくら進化したからといって、塩気とか添加物とかあるんだから。」


「あ、ああ…」



要は愛妻弁当だから特に問題はないのだが、篠宮は自分だけの食事となると面倒になって料理の腕が上達した今でもコンビニのお世話になっている。



「ごちそうさまでした。」


「「ごちそうさま。」」



食べ終わって一息つくが、どうも落ち着かない。


静音の態度は今まで通り、何ら変わり無いのに。



いや、変わりがないから、落ち着かないのか。



「静音……、あのな、」





「ごめんなさい。」

「静音……」



「いや、俺も怒鳴って悪かった…」



悲しげに謝る静音に、いたたまれなくなった。



「ううん。シノさんの言いたかったこと、何となく分かるから。私が話さなかったことが悲しかった……だよね?」



疑問系でも核心をつく言い方で。


表情を読み取る感覚は健在らしい。



「ああ…でも、理由も聞かずに一方的だった。それは謝らなければならないと思ってたんだ。」



静音が理由も無く、黙っている訳ではないと思えるようになった。


いや、何か理由があるからこそ黙っているのだと気付いた。



「シノさんらしいや。私の話、いつもちゃんと聞こうとしてくれる。」



大人の都合で子供だからと蔑ろにせず、いつも向き合ってくれた。


難しいから分からないだろうと投げ出さず、いつも分かるまで教えてくれた。



そんな2人だから、信じられたんだ。



「シノさん、要さん。私は嘘を付いてました。逢沢莉央と逢沢深緒は私の大切な人達です。脅されてなんかいません。私も共犯なんです。」





私は罪人です。

今からでも、償えますか?



あの2人は良い人達です。

今更でも、信じてくれますか?

莉央と深緒に初めて出会ったのは、篠宮達に保護される2年前。

静音が11歳の時。


出会った場所は商店街などではなく、午後10時の、飲み屋街から少し外れた薄暗い小道だった。



「お前、こんなとこで何やってんだ?」


「あんた何歳?小学生…だよね?迷子?親とはぐれちゃった?」



自分達のことを棚に上げた14歳の莉央と深緒は、不釣り合いな時間と場所にいた静音へ問い掛ける。



「迷子じゃないし。どっかいって。」



ムッと、鬱陶しそうに言って静音は2人と距離を置く。



「おいおい。迷子じゃなかったら家出か?…にしては荷物がねぇな。」


「何でもいいでしょ。放っておいて。」



探る莉央に、静音はプイッと顔を背けた。



「もしかして親いないとか?」


「お父さんは死んじゃったけど、お母さんがいる。入院してるからお金がいるの。だからお金稼いでるの。」


「稼ぐって…、あんたまさか…?!」



「その歳で引っ掛かる男がいるのかよ?」


「いるよ。それに財布盗るだけだし。」



静音はしれっと言ってのけるが、実際はドラマで見た方法を真似てたまたま成功し、今まで失敗していないだけだ。

「はぁ~…小学生がカツアゲ紛いかよ。世も末だな。」


「莉央、それ言うならあたしらも一緒だって。」



カツアゲ紛いではなく完全なる窃盗なのだが、窃盗という言葉を知らないので莉央の中ではカツアゲ紛いになる。


それに、14歳が世も末と言ってしまうのもどうかと思う。



そんな莉央の言い種に、自分達も結構ヤバイことをしてきていると深緒は笑った。



「つかさ、周りに誰もいないってことは、お前一人でやってんだよな?危なくね?」


「だよね。捕まったらどうするとか考えてんの?」



「捕まる…?そんなこと考えたことない。」



静音の見たドラマは、悪役から奪い貧しい人達に配るいう所謂、義賊物語。


義賊が捕まるという描写は全く無かった。



「やっぱりな。詰めが甘いんだよ、詰めが。」


「もう止めな。殴られたり、最悪ヤられるよ?」



「ヤられる?何それ?」



小学生の静音にヤられる、の意味が分かる訳が無かった。


予想通りというかなんというか。



莉央と深緒は、自分達の知ってる限りの知識を静音へ話した。


何となく放って置けなかったのは、自分達と同じにおいがしたからなのか。

「そうなんだ。知らなかった。」



静音は自分が今までどれだけ危険なことをしてきたか、やっと自覚出来た。



「そう。だから止めな。」


「…でも、お金無いとお母さん入院出来ないから、私が稼がなきゃ。お母さん、治療頑張ってるから。ずっとずっと頑張ってるから。」



止めるように促しても、危険を知っても尚、静音は母親の為にと言う。



「あ~も~っ!分かった、分かったよ。俺が見張りやればいいんだ。深緒、お前、化粧とかしてやれ。髪型変えりゃ少しは大人っぽくなるだろ?」


「莉央がいいならオッケー。腕の見せどころってね。」



意地でも止めそうに無い静音に、半ばやけくそになりながら莉央は協力することにした。


深緒は深緒で、莉央が~などと言っているがその顔は楽しそうだ。



「え?えっ?どういうこと?」


「つまり俺達も協力してやるってこと。お前一人じゃ危なっかしいからな。」


「一緒にお母さん助けよ。」



助けたいというより、親を一途に想う静音の心が羨ましかった。


自分達にはそんな親など、いなかったのだから。



「あ、そうだ。まだ名前聞いて無かったな。」


「ほんとだね。」

「よし、確認するぞ。まず深緒か静音が男に声かけて、食事かホテルに誘う。ホテルに行ったら男に先にシャワーを浴びろと言って、その間に財布を持って逃げて来る。俺はその間後ろから見張り。何か言われたら逃げるか未成年って言え。男はビビるから。」



静音が莉央と深緒の2人と一緒にいるようになってから、1年が過ぎた。



「莉央にぃ、毎回毎回言わなくても分かるよ。何回も聞いたから。」


「だって心配じゃんか。」



「このやり取りも毎回ね。」



莉央は誘う対象の男から見えないようにしないといけないので、ある程度離れなければならない。


いざというときの距離感が心配らしい。



ただ、静音も深緒も耳にタコができるほど何回も聞かされてきた為、今では面倒この上ない。



しかし、この教訓が役に立つ時が訪れる。


20代ぐらいの、とあるサラリーマンを誘おうとした時のことだ。



「お兄さん、今から帰るの?私と食事しない?」


「……キミ、未成年だよね?まさか小学生?どんな事情があるかは僕には分からないし知らないけど、こんなこと、しちゃいけないよ。今すぐ止めるなら見逃してあげるから、お家に帰りなさい。」

片腕へ纏わり付き大人びた視線で見上げる静音を離し、目線を合わせるように屈んでサラリーマンは複雑な表情を浮かべながらも優しく諭した。




「!!!(こういう時は………、逃げるっ!)」


「あ、待ちなさい!…行っちゃった……」



誘いに乗ってこず、至極まともに返されたので静音は一瞬動揺してしまう。


しかし、しつこいぐらいに聞かされた莉央の言葉を思い出し、一目散に莉央と深緒が隠れている路地裏へと逃げ込んだ。



「ぅおっ!どうした?バレたか?」



遠目からは会話の内容までは聞こえないので、駆けてきた静音に莉央は小声ながらも驚き尋ねた。



「バレたし注意までされちゃった。」



「早くここから逃げた方がいいね。探しに来られても困るし。」



サラリーマン1人ならまだしも、警察にでも通報されたら捜索されかねない。


そうなれば逃げるに逃げられなくなってしまう。



立ち去っているならいいが、鉢合わせするとマズイので静音の逃げてきた方向を覗いてはいない。


なので、3人はサラリーマンに見つからないように暗く込み入った細い路地を通ることにして、周囲を警戒しながら静かに路地裏を後にした。

それから更に1年後。


静音が13歳になり、そして篠宮と要に保護される年。



母親である船絵が治療の甲斐も無く亡くなり5年の闘病生活に終止符を打った。


言い換えれば、静音はもうお金を稼ぐ必要が無くなったのだ。



「お母さん、頑張ったよ。凄くね。」


「ああ、凄くな。静音は晴れて金を稼がなくて良くなった訳だな。」



静音を慰めながらも、静音を通して自分の親のように感じていた莉央と深緒。


悲しくないわけがない。



しかし、静音がこれ以上男を誘わなくてよくなるのは2人にとっては嬉しいことだった。



「そのこと、なんだけど……ね。莉央にぃ、深緒ねぇ。私、自首しようと思うの。」



「は?」


「自首?!」



口数が少ない静音に、てっきり母親のことを考えているのかと思っていた2人は自首という単語に驚きを隠せない。



「もちろん莉央にぃ深緒ねぇのことは言わないよ。元々私がしてたことだし。2人のことがバレないように警察の人には私1人でしてたことにするから。何も心配しないで。」



肩の荷が下りたような、それでいて少し寂しそうな表情で静音は2人にニッコリと笑いかける。

悪い事をしているという、罪の意識は芽生えていた。



でも、母親に治療に専念して欲しくて、心配させたくなくて。



母親が死んで親戚もいない自分はきっと今の生活は出来ないことは何となく理解出来た。


その証拠に、役所の職員が生活の状況を聞きに来ていたから。



どうせ莉央と深緒と離ればなれになって、今の様に会えなくなるのならば…………



考えた末に静音の行き着いた答えは、警察への自首だった。



「ちょっと待って。自首って…しかも、静音一人だけなんてさせられない!」


「当たり前だ!俺達は一心同体、つまりは一緒なんだよ。」



「でも2人は私を助けてくれただけだし。」



年下であり大切な静音が一人で背負おうとしている姿に、莉央と深緒は心配から口調が強くなる。


しかし、静音も譲らない。



「……あのさ、静音。」


「うん?」



「静音はさ、俺達を巻き込んだって思ってるだろ?けど、それは違うぞ?」



自分が巻き込んだのにこれ以上迷惑はかけれないと、確かに静音は思っていた。



「そうだよ、それ全く違うからね。あたしらは静音と居たいから居たんだ。だから静音は悪くない。」

「でも……」



2人に言われても、静音の中で決まった答えを変える気はないようで。



「……はぁ。分かったよ、静音。自首しよう。」


「え、いいの?」



「仕方がないだろ。静音が頑固なの知ってるだろ?」


「確かに。最初に会った時も頑固だったっけ。」



誰かの為なら自己犠牲もいとわない、静音の意志の固さは筋金入りだ。


莉央と深緒は呆れながら笑う。



「静音、自首するのはいいけどな、約束がいくつかある。守れるか?」


「約束?なに?」



莉央には、静音に願うように言う。



「今までの全部、俺達に脅されてしたことにしろ。」



「え?どういうこと?私、脅されてないよ?っていうか、元々私が」



「良いんだ、俺達を悪役にしろ。」



「悪役って……」


「なるほど。そうすればまだマシね。」



静音の家庭事情と自分達に対しての周りの評価。


これを利用すれば、静音だけなら何とかなるはずだと莉央は考えた。


深緒も、莉央の考えに納得する。



「でもそれじゃ、莉央にぃと深緒ねぇだけが悪いみたいじゃない!私だって同じなのに……」



自分だけ罰を受けないなんて。

「同じじゃねぇよ。俺達と静音は天と地ほどの差があるんだよ。けどな、俺達は静音と会って変われたんだ。静音と一緒に居たいから変わろうと思えたんだよ。」



親にさえ見捨てられた自分達。


自暴自棄になっていたのを救ってくれたのは、紛れもなく静音の母親を助けたいと思う純粋な気持ちだった。



「あたしらはさ、ただムカついてたんだ、世の中に。ガキみたいで幼稚だって分かってたけど、止められなかった。それを静音が止めてくれたんだよ。」



だから今、静音の為に悪役にだってなれる。



「莉央にぃ……深緒ねぇ………」



2人の優しさに気付けないほど、静音は鈍感ではない。



「会えなくてもあたしらはそばにいるよ。いつも静音を想ってる。」



「そうだ。どこかに必ずいてやるから、我慢しろ。気が向いたら探してやるよ。気が向いたらだけどな。」



探す気が有るのか無いのか。


優しく笑う深緒も、軽く笑う莉央もきっと後者だと、静音は分かっている。



二度と会わない方がお互いの為だなんて。


未来の為に今を棄てる。





馬鹿だと笑われるのだろうか?



それでも、道を変えるなら今しかないのだ。

「……分かった。」



莉央と深緒の覚悟と想いが伝わったのか、強く頷き静音は承諾した。



「よし!じゃあシミュレーションを」


「でも、莉央にぃも深緒ねぇもお芝居出来るの?相手、警察官だよ?」



張り切っている莉央の言葉を遮って、静音は疑問を口にする。


サラリーマン相手とはまるで違う、警察官である相手は有る意味プロだ。



「何とかなるだろ。つか、静音の方こそどうなんだよ。」



「な、何とかなるよ。」




「……何とかで、なるの?」



莉央の演技力が無いのは知っているし、静音の動揺具合で深緒はかなり不安になる。



「だ、だからシミュレーションすんだよ。」



パトカーのルートは補導されないように、静音に会う前から把握しているから出会いの確率は問題ない。


3人はそれから何回もシミュレーションを重ねた。



「よし!こんなもんだろ。」


「結構何とかなるもんね。」



静音と一緒にしていたことで、知らない内に演技力がついたらしい。



シミュレーションだけなら、ばっちりだ。



どんな警察官が来るか分からないけれど、後はその場の雰囲気に合わせるしかない。

「あとな、静音。」


「うん?」



シミュレーションの雰囲気から一変して、真剣な顔をする莉央。



「警官のとこ行ったら、信頼出来る奴を探せ。」


「どういう意味?警察官なんて信じちゃいけないでしょ?私達を捕まえる方なんだから。」



未成年でこんなことをしている自分達の話を、まともに取り合う訳がないと静音は思う。



実際、母親の病気のことだって子供だからという理由だろう、担当医からも看護師からもあしらわれてきたのだ。



母親には、自分といる時ぐらい病気のことを忘れて欲しくてほとんど話題に出さず学校の話ばかりしていた。



亡くなってからの色々な手続きも、役所の職員が説明も無いまま知らず知らずの内に進めていて、いまだに詳しいことは分からない。



2人と離ればなれになるということ以外は。



「だからだ。警官じゃなくてもいい。静音の話、ちゃんと聞いてくれる奴だ。俺達が悪役になったところで、静音の話を信じてくれる奴じゃなきゃ、意味がない。」



「そうね。静音なら見付けられるから。」



素行の悪い自分達は無理だが、利用されていた無名の静音なら、大人は同情し信じてくれるはずだ。

しかし、物事の背景も見ず素行不良は全て悪だと決めつけてしまう警察官だとグルだと思われ無意味になってしまう。



2人はそれを防ぐ為にも、信頼出来る人を探せと言ったのだ。


そして、静音の観察眼ならそれが可能だと2人には自信があった。



「見付けたら、俺達のことを話せ。もちろん、シミュレーション通り俺達は悪役だ。それまでは何も話すな。」


「あたしらも静音が話すまでは話さないからさ。」



自分達は施設では厄介者。


居なくなっても問題ないことは分かっていた。



だから、自分達のことが知れる時は静音が信頼出来る人を見付けた時。



それが、前を向く合図だ。



「分かった。居るかどうかは分かんないけどやってみる。」



2人の想いに応えたいから、静音はもう一度大人を信じてみようと思った。



「よし!それと分かってるとは思うけど、このことは誰にも秘密だからな。」


「3人だけの秘密ね。」



「うん。秘密!」



自分じゃない誰かを守る為の約束。


他人にはきっと分からない絆。


それでも良いと思えた。


この子が幸せになれるのなら。


どこかで笑っていられるのなら。

「そういうことだったのか……」



静音が話終えると、篠宮は止めていた息を吐き出す様に言う。



「うん。嘘を付いててごめんなさい。」


「…いや、よく話してくれた。」



一番身近にいた自分達にさえずっと隠してきたのだ。



本当の罪を償うことが出来ず、かといって言うことも出来ず。


悟られないよう振る舞うのはどれほど辛かっただろう。



罪悪感からか苦しげに、それでいて胸のつかえが取れたような表情の静音に、要は出会った頃を思い出し頭を優しく撫でた。



「だが、なんで俺達に言わなかったんだ?」



「先輩……まだ拘ります?」


「当たり前だ。」



篠宮はかなり気にしていたようで、この点だけは要の方が大人だ。


「だって……言ったら、今話したこと全部喋ってしまいそうだったから。翁さんから、シノさんと要さんに連絡あると思わなかったし。」



5年前の退院が延期になった騒動の原因は、他の人に静音のことを馬鹿にされたからということは翁から聞いた感じ間違いない。



翁は、見下している静音と自分達を同類にされたことでキレたと思ったらしいが、そこまで詳しい話を篠宮とはしていなかった。

だから今回も言わないだろうと思っていたのだが、現実には身元確認をした静音を心配して翁が話していたのだった。



「連絡くれるぐらい、翁さんも心配してたってことだよ。」


「そうだ。後で連絡しとくんだぞ?」



「うん、分かってる。」



仕事とはいえ、翁にも迷惑をかけてしまった。


謝るのと真実を報告しようと、静音は頷く。



「それにしても、意図的に隠していたとはいえ気付けませんでしたね。」


「ああ。すっかり騙された。」



警ら担当としては情けないと2人で苦笑する。



「だ、だって…!バレないように必死で!ドキドキし過ぎて途中から震えが止まらなかったんだから。」


「震えが止まらないって…怯えてたんじゃなかったんだ……」



自分の眼力も大したことがないと要は項垂れた。



しかし、必死だったのは自分だけではないと静音は思う。


篠宮と要には無視していたように見えても、莉央と深緒はボロが出ないよう日常会話を続けるぐらいしか時間の引き延ばしと悪役具合が思い付かなかった。



開きそうになる静音の口を閉ざし心を支えていたのは、パトカーの外から聞こえてくる2人の声だけだった。

「静音、2人については良く分かった。今話してくれたことは、今回の事件に何か関連性とかは見付かっているのか?」



「ううん、分からない。けど、先輩達曰く、ヤクザの組員が莉央にぃと深緒ねぇを探してたらしい。ヤクザのことなんて2人から聞いたこともないし、見たことだってなかったんだけど。」



篠宮と要に話している最中も何かあるかと気を付けていたものの、これといって新たに思い出したことも気付いたこともなかった。



「ヤクザか…係長に聞いてみようか。元組対だって言ってたから。」


「ほんと!?先輩達も探ってる最中だって言ってたけど、元組対なら情報源としては鬼に金棒だよ!お願いっ!」



一課経由より、都澄経由の方が何かと融通も顔も利く。



「ああ。それと静音、一つ提案があるんだけど。」


「提案?」



良からぬことではないだろうが、何か企んでいる顔の要。



「事件が解決したら、逢沢莉央と逢沢深緒のお墓造らないか?」


「お墓…?」


「なるほどな。それは良い考えだ。どうせなら親御さんと同じところにしようか。」



篠宮は要の提案に賛成するが、静音は考え付かなかったのか目が点になる。

「どうした?」


「なに固まってるんだ?」



驚きの表情のまま微動だにしない静音に、篠宮と要は不思議そうだ。



「いい、の…?」


「何がだ?」



「だって……私は……、私達は………」



手厚く葬られるなど。



考えもしなかった。


考えてはいけないと思っていた。



前を向いて今を生きても。


最期に逝き着くのは、それなりのところなんだと。


あらゆる人生の末路を見てきたから。



自分もそうなるんだろうなと、何となくの漠然とした思いはあった。



「法律がどうであろうと、静音の大切な2人だ。そういう事はちゃんとしなきゃいけないよ。」



「そうだぞ。静音の大切な人は、俺達の大切な人でもあるんだからな。」



ありきたりなセリフなのに、篠宮と要が言うとこうも違って聞こえるのか。


静音の心に響いて仕方がない。



「シノさん…要さん……ありがとう。」



微笑みながらも涙目になる静音。



「泣くな。まだ早いぞ。」


「そうだよ。犯人逮捕しなきゃね。」



「うん!」



静音は莉央と深緒に加え、信じられた篠宮と要の想いにも応えようと決めたのだった。

篠宮と要に本音を話し、翁に連絡を入れてから数日。



聞き込みから帰ってきた静音を、仏頂面の厄塒が待っていた。



「お前、本部に繋がりあったんだな。」


「なんですか、いきなり。」



「逢沢兄妹の件に関して、本部にいる元組対の都澄警部から連絡があったんだよ。ここに直接だぞ?お前によろしくって、どういう繋がりだ?」



元とはいえ、さすが組対。

期待していた以上に情報が早い。



「ほんとですか!都澄警部はなんて?」


「落ち着けよ。10年ぐらい前に蝶笂組だけじゃなく、組関係で噂になっていたらしいぜ。男女3人組の不良がシマを荒らしてるってな。逢沢兄妹は不良としては有名だったからすぐに分かったらしいが、もう一人の素性は分からなかったみたいでな、ペテン師夜鷹って組関係じゃ呼ばれてたらしい。」



「それって、私のことですよね……」


「だろうな。ただそのもう一人は、逢沢兄妹と同じぐらいの年齢で見られてたんだと。俺も話聞いてなきゃ、そいつとお前が同一人物なんてぜってぇ思わねぇからな。」



ヤクザとはいえ、検討違いを調べていても見つかるはずがない。


深緒がした化粧の効果は絶大だった。

「でも荒らした覚えなんて、全くないんですけどね。」


「美人局か売春でもやってたんじゃねぇか?10年前とはいえ、組対が把握してたぐらいだからな。」



静音達の行動が邪魔になるとすれば、それくらいしか思いつかない。


組対情報なら尚更だ。



「で。お前は本部と、どうなんだよ。」


「どうって……それ、厄塒さんに関係ないじゃないですか。」


「ある。俺はお前の先輩で、指導係だ。」


「意味が分かりません。」



「ちっ。」


「(舌打ちって……)」



厄塒達所轄と本部の仲は、あまりよろしくない。



本部は、所轄の捜査がぬるいだの甘いだのと言ったり、手柄を横取りしたり、所轄だからと見下したり。


所轄は所轄で、本部は現場を分からないエリートだからと端から敬遠したり、聞き込みで本部の上からの物言いに対して地元住民からの苦情を処理したり。



お互い様なのだが、噛み合わない。



そんな本部の人間が、すんなりと所轄である静音の頼み事を聞き、しかも調べて直接報告をくれるなど、厄塒には信じ難かった。



まあ、静音の過去話を聞いた時も、同じぐらいの心境だったが。

「古くからの知り合いがいるだけです。」



都澄はともかく、篠宮と要はそうなのだから嘘ではないが微妙に濁した。



話したところで問題はないと思うのだが、当時の年齢と現役警察官という立場上あまり公にするなと課長から言われている。


一課の皆にした過去話も、事件に関係ありそうな部分しか話していない。



「ま、そういうことにしといてやるよ。」


「そういうことって何がですか?」



「おう、卍擽。何でもねぇよ。何か分かったか?」



「季更津が使ってた半グレ、分かりましたよ。」



聞き込みから帰ってきた卍擽は、静音への追及を諦めた厄塒の問いかけに明るく答える。



「痴愚思留釣恣(チグシ トツジ)、29歳。都内で小さいキャバクラをやってる、まあ言うなれば季更津の……、ひいては蝶笂組の手足みたいな奴ですね。」



13年前、中学を卒業してからチンピラとしてフラフラ暴れ回っていた痴愚思を季更津が拾った。


季更津はチンピラ風情を拾っては、半グレとして裏で自らの手足として利用しているらしい。



中規模な蝶笂組の資金源は、主に半グレにやらせている店からのようだ。

「だが、痴愚思以外にも手足はいるんだろ?嗅ぎ回ってたのは痴愚思なのか?」


「それに、痴愚思が探してたのが2人とは限らないんじゃないですか?」



「間違いありません。季更津と一番信頼関係のある半グレは痴愚思だと、複数のチンピラが証言してんだよ。だから柊、黙って聞いてろ。」



卍擽は厄塒に報告していたのに横から口を出されたので、語尾は静音への文句となってしまった。



「痴愚思の線で追うか。そのキャバクラ、明日聞き込みに行くか。柊、お前は面が割れてるかもしれん。逢沢兄妹の行動を探れ。」



「分かりました。」



「痴愚思に面が割れてるってどういう意味だよ?!」


「説明してやるから、突っ掛かるな。」



静音へ噛み付く卍擽を引きずるようにして、厄塒は会議室へと消える。



「なにあの態度。疑問を言っただけじゃない。っていうか、それまで黙って聞いてたし!」



卍擽に言われた言葉が、今沸々と怒りに変わる。


厄塒は引き際を知っているが、卍擽は引くなんてことはせず、押せ押せとばかりに静音に向かってくる。



静音と卍擽、本部と所轄同様、目指すところは同じなのになかなか噛み合わない。

「痴愚思はいない?!」


「あ、はい。痴愚思さんはいつもフラッと来ていつの間にかいなくなってるだけッスから。」



「じゃ、今日来るかも分からないってことか?」


「あ…はい、まあそうッスね。」



アルバイトだろうか、気のない返事のボーイ。



厄塒と卍擽は、痴愚思の経営するキャバクラ会鎌(アレン)に赴いたのだが、本人がいないのではどうしようもない。


しかも、いつ現れるか分からないとは。



「とりあえず行きそうな場所聞き込むか。」


「そーですね。」



ボーイに痴愚思が来たら連絡をもらう様に取り付け、会鎌を後にした。



「おう、柊。何か分かったか?」



「いーえ、特には。」



翁にもう一度、莉央と深緒について、判明した季更津や痴愚思のことも含めて聞いてみたが、新たな収穫は無かった。



「明日、昔3人でいたとこを回ってみます。」


「ああ頼む。こっちも痴愚思と会えず仕舞いだからな。」



「そういえば卍擽先輩は?一緒じゃなかったんですか?」


「帰り同期の奴に会ってな。盛り上がってたから、放ってきた。」



無駄にはしゃぐ卍擽が脳裏に浮かんで、静音は呆れた。

「そうですか、ありがとうございました。」



静音は莉央や深緒と行った場所を回り聞き込むが成果は無い。


2人と男によく声をかけていた路地裏、今ではホテル街になっているところへ差し掛かる。



「よう、ペテン師夜鷹。」



静音は、後ろから声をかけられた。



「バカかお前は!いくら聞かれたからと言って、同期とはいえ、柊の過去や捜査情報、話すか普通!?しかも外で!噂は回ってるし、尾ひれがかなりついてるぞ。デリケートな事案だから気を付けろと、課長からも言われただろうが。」


「す、すみません………」



現役警察官の、しかも後輩の事件。



週刊誌などのかっこうのネタになるのにも関わらず、最近の進捗状況を聞いてきた同期に、久しぶりと軽くなり過ぎた卍擽の口が色々と話してしまった。


その同期が後輩へ言ったことがきっかけでここまで広まってしまったようで、同期も平謝りだった。



「ったく……とりあえず他のところは刑事課内で済んでる。これ以上触れ回るなよ。」


「はい……」



噂を耳にした課長にこの後こっぴどく言われるだろうからこのくらいにしとくかと、厄塒は溢れ出る怒りをなんとか収めた。

「あ、お疲れ様ッス。」


「おう。店はどうだ?」



会鎌にフラりと痴愚思が顔を出す。


会鎌のアルバイトボーイで一番の新入り、21歳の拐袂苔駕(ゲタモト タイガ)は痴愚思にも軽い口調だ。



「入りはまあまあだと思うッス。コウ先輩はまだッスよ。」



痴愚思がいない間を任されているのは、苔駕の先輩、27歳の箭蛙膏嗽(カワズヤ コウガイ)だ。


痴愚思は揉め事が起きた時に出るぐらいで、ほとんど膏嗽に会鎌を任せていた。



会鎌はキャバクラとしては小さいながらも、同規模に比べて客の入りは良かった。


もちろんそれには、それなりの理由があるのだが。



「あ、そういえば痴愚思さん。なんか刑事が探してたッスよ。聞きたいことがあるとかで。ほら俺、入ってまだ2週間だし、よく分からなくて。だから」


「バカヤロウ!!何でそれを早く言わねぇ!俺はしばらく来ねぇってコウに言っとけ。」


「あ、はい……」



怒鳴りながら捲し立てるように言うと、痴愚思は会鎌を出て行った。


意味が分からないと不思議に思いながらも、苔駕は約束したからと厄塒に連絡を入れた。


妙なところで律儀な性格らしい。

「卍擽!出るぞ!」


「どうかしたんですか?まさか、痴愚思が見付かったとか?」


電話に出たと思ったら、厄塒の顔色が変わる。


内容からして痴愚思の件のようだ。



「分かったには分かったが……あのボーイ、痴愚思に俺達のこと話やがった。」


「え゛…?それって……」



「慌ててどっか行ったとよ。俺は車回して来るから、組対に連絡しとけ。証拠隠滅でもされたらシャレにならん。」



見付かった連絡と同時に、痴愚思は行方不明だ。



それはそうだろう。


やましい事をしている人間に、警察が自分を探しに来たなどと知らせれば、身を隠すに決まっている。



ありがたいやら、迷惑やら。


厄塒と卍擽は、とても複雑な気分だ。



「あ、コウ先輩。お疲れ様ッス。」


「お、タイガ!精が出るねぇ~」


「オヤジ臭いこと言わないで下さいッスよ。」



キャバ嬢が続々出勤し、開店準備に追われる中、膏嗽も出勤する。



「あ、そういえば…昼間、痴愚思さんが来たッスよ。刑事が探してるって言ったら、慌てて出て行っちゃったッスけど。」


「あ゛?刑事だと?!」



刑事と聞いて、膏嗽の顔色も変わる。

「コウ先輩には、しばらく来ないって伝言が。なんかマズかったッスか?」



「マズいもなにも…!!あ~お前は入ったばっかりだったな。とりあえず、女共帰せ。今日は休業だ。」


「え?休業ッスか…?」


「理由なんか適当に言っとけ!とにかく早く…」



「その理由、我々も是非聞きたいんだが、聞かせてくれないか?」



「あんたら…」



またしても不思議な顔の苔駕と、聞き慣れない声に驚き青ざめる膏嗽。



「君の予想は当たっていると思うぞ?箭蛙膏嗽?」



ニッコリ不敵な笑みを浮かべる強面集団。


一番先頭にいる汀原帥(ミギワ ゲンスイ)の手には、家宅捜索令状があった。



「痴愚思っ!!」


「待てコラっ!」



「待てって言われて待つ奴がいるかよ!」



中学生のような言い分で逃げる痴愚思を発見し追い掛ける。



「手間かけさせんじゃねーよ!」


「やましい事があるから逃げんだよな、痴愚思?」



「クソがっ!」



路地裏に逃げようとしてゴミ箱を引っ掛け、よろめいた拍子に放置自転車にぶつかり、痴愚思は倒れ込んだ。



そのおかげで距離が縮まり、捕まえることが出来た。

「季更津……!」


「お前のことだったんだな、柊静音。」



ニヤリと笑う季更津が、静音の目の前に佇んでいた。



「なんで私の名前、知ってるの?」



「男が面白可笑しく話してたの聞いてよぉ。ペテン師夜鷹は、実は警察官だってな。そこからは容易かったぜ。」


「(あのお喋り先輩っ…!!)」



季更津の言う男は十中八九、卍擽のことだろう。


呆れと共に怒りが沸いて、静音は頭が痛くなる。



「私に何の用?自首するなら手を貸すけど。」


「自首ねぇ…。それは俺のセリフじゃねぇのか、ペテン師夜鷹?俺のシマを荒らしやがってよ。」



「荒らした?取り締まりのこと?貴方達のことは担当外だけど、警察官なら当たり前だと思うけど。」


「しらばっくれんなよ、同業者。おかげで商売あがったりなんだよ。」



「それはお気の毒様。」



静音も季更津も、落ち着いた口調で話す。


しかし、思惑は言葉とは裏腹だ。


その証拠に、季更津は話ながらもどんどん間合いを詰めて来て、その度に静音は下がるが、何せ場所が悪い。



ホテルの裏手に当たるこの道の幅は狭く、季更津の横をすり抜けることが出来ないのだ。

「ああ……気の毒だろ?だから責任取れよ、このアマっ!!」


「っつ………!!!」



季更津の攻撃をギリギリで静音は避ける。



大通りから離れ人少ないホテル街とはいえ、拳銃を持っていたとしても後処理のことを考えて発砲はしないだろうと、静音は思っていたのだが。



季更津が静音に放ったのは弾丸ではなく、右ストレートだった。



「ヤクザがタイマン?珍しい。」


「俺はこっち派なんだよ。拳から感じる肉や骨の感触……ああ、堪らねぇよ。だからよぉ、早くお前のも感じさせてくれよ?」



季更津にとって殴ることが快感らしく、拳の間から見えるその表情は恍惚としている。



痴愚思は分からないが、季更津の身勝手な言動からみて、季更津が莉央と深緒を殴ったのは間違いない。



「おら!どうしたよ?避けてばっかじゃ面白くねぇよ。あいつらみたいにもっと抵抗しろよ!」



殺り甲斐がねぇ。



そう言いながらも振るい続ける拳の勢いは止まらず、心底楽しそうに季更津は笑う。



静音が警察官ということを考慮しても、男女の体格差がある為、狭いこの道では避けるだけで精一杯。


静音にとってはかなり不利な状況だ。

「柊っ!!!」


「あ?ぐっ……がはっ!!」



「ば、卍擽先輩………!」



大声で名前を呼ばれたと思ったら、季更津が吹っ飛んで来た。



「卍擽っ!お前、やり過ぎだ!!加減考えろ!」


「厄塒さん………」



静音が壁際に張り付いてなんとか避けると、後ろから厄塒も現れた。


季更津を取り押さえている2人を見ながら、今起こった状況を整理すると………



季更津の背後から卍擽が飛び蹴りをかまし、季更津を吹っ飛ばした。


結果として捕まえられたはいいが、狭い道と静音と季更津の距離感も考えずに卍擽が蹴り飛ばした為、厄塒は怒っているのだ。


しかし、当の卍擽は満足気だ。



「お前ら……どっから涌いて出た?!」


「うるせーな!どこでもいいだろうが!」



卍擽と他の捜査員によって、吠え続ける季更津を引きずるようにしてパトカーへと押し込んだ。



「大丈夫か柊?主に卍擽が原因の。」


「大丈夫です、なんとか。」



卍擽のやり過ぎ感に、静音も引きぎみで答える。



「でも、どうしてここが?」



曖昧な聞き込み場所をピンポイントで探し当てて来たような感じが静音にはしたからだ。

「汀さん…組対で都澄警部の元部下な。その人経由で都澄警部に、蝶笂組のシマ周辺でお前の行きそうな場所聞いたんだよ。痴愚思からお前のことが季更津にも漏れてるのも分かったからな。お前に会いに行くと思って。」



「なるほど。全部先輩のせいですね。」



静音は冷めた目だ。



「まあ、そう言うな。痴愚思から聞いて一番ショックを受けてたのはあいつだ。」


「厄塒さん、季更津を」


「ああ。」



厄塒を呼びに卍擽が来る。



「なんとかしろよ。」



小声で言いながら卍擽の肩を軽く叩き、入れ替わるように厄塒はパトカーへと戻った。



「おう……」


「どうも。……まぁ、なんと言うか……、助けてもらってありがとうございました。」



拳銃を携帯していなくて良かったと静音は思う。



季更津に直接会い今まで以上に逮捕しなければと強すぎる思いと莉央と深緒の想いとの間で、威嚇射撃だけで済むとは自分でも思えなかったからだ。



「いや、俺こそ悪かったな…、色々と。」


「…別に。私達も戻りましょうか。」


「そう…だな。」



静音と卍擽は、お互い珍しく大人な会話をしてパトカーへと移動した。

『今回の件、すまなかったな。色々口まで出して。』


「いえいえ。都澄さんの頼みですから。それに小物が大物になりましたからね。こちらとしてもお礼を言わなくては。」



裏取りと取り調べの合間をぬって、汀は都澄へ電話をかけていた。



組長はお飾りだったらしく、季更津と痴愚思の逮捕により蝶笂組は事実上解体、会鎌を含む蝶笂組が運営するキャバクラもガサ入れ後閉店に追い込まれた。



莉央と深緒の殺害と死体遺棄だけでなく、厄塒が睨んだ通り美人局や売春斡旋の余罪も含めた捜査を開始した。



『さすが、手際よく厳密に物事を遂行する汀原帥だ。』


「止めてくださいよ。今じゃ部下にまで言われる始末なんですから。」



名前をもじって都澄が付けた、あだ名のようなもの。


43歳にもなって恥ずかしいからあまり広まって欲しくないのだが、あだ名通りのきっちりとした仕事をする為、汀本人の知らぬところで有名になっている。



『柊は大丈夫か?』


「ええ。噂も落ち着きましたし、仲直りもしたみたいですしね。」


『そうか、それは良かった。実はな…』



今回の件で思い付いた都澄のある考えを、汀は流石だと同意した。

季更津達の逮捕から数ヶ月。



一課や組対に断りを入れ捜査中だが、篠宮・要・翁の3人と一緒に莉央と深緒のお墓を建てた。



約束通り、静音の希望通り、両親の隣へ。


季更津達の逮捕と、嬉しいある報告を兼ねて。



「静音、帰ろうか。」


「うん。」



篠宮に促され帰ろうとして、一瞬だけ振り返る。



ほら、ちゃんと見付けられたじゃない。


ああ、これでいつでも会えるな。



深緒と莉央はそう言ってそうだ。


お墓に微笑みながら、静音は何となくそんな気がした。



「んで昇進の推薦がお前なんだよ!」


「知りませんよ。普段の態度じゃないんですか?」



「普段……も、俺の方が良いに決まってる。季更津も痴愚思も、逮捕したのは俺だぞ?」


「手錠掛けただけじゃないですか。刑事として普通なこと威張らないでください。」



季更津の逮捕時は息を潜めていた小競り合いも、今ではすっかり元通りだ。



「確かに。それは柊の言う通りだな。」


「ちょっと厄塒さん!俺の味方じゃないんですか?!」


「俺は被害者の味方だ。それより卍擽、課長が呼んでたぞ。」


「げ……い、行ってきます。」

課長という言葉に過敏に反応し、卍擽は早足に出ていった。


静音の情報を漏洩した件で課長に叱られてからというもの、卍擽は課長恐怖症だ。



「被害者の味方って……似合わないし、格好つけ過ぎですよ。」


「うるせぇ。…俺より先に出世しやがって。」


「課長から聞いたんですか。」



多大な情報提供と蝶笂組解体という功績から、静音は課長の推薦により巡査部長への昇進と本部2係への異動が決定した。



異動理由については、篠宮達から静音の実績を聞いた都澄が思い付いた考えに他ならない。



課長も、本部から声がかかり引っ張って貰えるなど光栄だと嬉しそうだった。



正式な辞令は後日だが、課長は厄塒には言ったようだ。



言わずもがな、卍擽の昇進は情報漏洩で相殺どころかマイナスの評価になったのは当然だろう。



「お仲間の弔いも済んだし、これで気兼ね無く本部勤務だな。知り合いがいるからって気を抜くなよ。」


「そんなこと、言われなくても分かってますよ。」



なんだかんだ言っても、嫌味だけで済んだのは、様々な悲しみを知っている人達だからだろうか。


厄塒達を見てきて、静音はそう感じたのだった。

逝くも産むも情偽

刻は静音の過去から現在に戻り、時計の針は午後9時35分を指している。



都澄がもう遅いからと追い出す形で、足取りの重い2係の面々を無理矢理帰路に着けた。



「話したこと、後悔してるか?」



「多少は…そう思わざるを得ません。」


「皆のあんな顔見てしまったら、余計にですよ。」



都澄の問いかけに、何となく帰るタイミングを失った篠宮と要は苦笑いで答える。



全員口を挟まず聞いてくれていたのだが、年齢が近いせいか耐えきれず橘と遁苺は涙を浮かべていた。



「季更津は確か、服役中だったな?」


「はい。季更津馨鶴亮以下、会鎌の経営兼店長の痴愚思留釣恣、店長補佐の箭蛙膏嗽の重役3名は、売春斡旋で逮捕起訴されましたから。」



客入りが良かった理由については、キャバ嬢達にお客を誘わせて美人局の要領でお金を巻き上げていたという確認が取れた。



キャバ嬢も自ら加担していた者も多少はいたが、季更津や痴愚思から脅されたり、借金等の為に仕方なくといった感じが大半であった。



内情を知らされていなかった拐袂苔駕を始めとした従業員は、情状酌量の余地があると認められ、それを含めた判決が下された。

「柊の所在は割れてるんだ。逢沢兄妹の二の舞にならないようにしないとな。」


「はい。翁さんとも話して、連絡は密にするようにしました。」



季更津は12年前の時点で目障りだった莉央と深緒を特定していたが、施設に入ったことで所在が不明となり、3年前偶然2人を見かけたことで痴愚思に探させたようだ。



季更津や痴愚思は、逆恨みや報復といったことが容易に想像がつく人格をしていた。


莉央と深緒よりも逃げ場の無い静音は出所時期等に特に気を付けなければならないと、対策は講じているものの、要の頭の中に不安は尽きない。



「まぁ今は服役中だ。今すぐというわけではない。しかし、今回の件は、関係性もそうだが、なんだか全てが複雑なようだな。」


「ケア優先で思春期でしたし、中学以前のことは俺達も聞きませんでしたからね。3年前のように静音1人で片が付く話ではありませんが、あの様子じゃ素直に話すとも思えません。」



「柊のことは一旦様子見だ。周り次第、あいつらの受け止め方に期待しよう。」


「そうですね。」



明日、2係の雰囲気はどう変化するのか。


篠宮と要にとって、仕事以上に気になるのは確かだった。

「おはよう。」


「お、おはよう…!」



「体調はどうだ。」


「おはようございます。もう大丈夫です。」



次の日静音が出勤すると、橘は見るからに挙動不審で、来栖には珍しく体調の心配をされた。



「おはよー。ペテン師夜鷹ってセンスないわよね。私ならもっと良い名前つけるわ。一晩考えたんだけどね、玉幸とかどう?」


「玉に幸せって…それの方がどうかと思うッス。さすがKY先輩。」



挨拶ついでにデリケートな話を振り、しかも一晩考えた割には、玉幸(タマユキ)という安直な名前に、轢夲らしいと羮芻は思う。



「名乗った覚え無いんだけどー?」


「い、痛い痛いっ!褒めたんスけど~」



いつもの余計な一言により、羮芻は轢夲の鉄拳制裁を食らっていた。



「聞いたんですか。」



「昨日ね。」


「篠宮さんと要さんから聞きました。何というか、その…」



「おはよう、柊!今日も1日頑張ろう!」



じゃれあっている(ように見える)轢夲と羮芻を横目に、静音の問いに答える幡牛と遁苺、更には元気良く椎名が出勤してきた。



皆、静音のことを気遣っているのだが、なにぶんあからさま過ぎる。

「そんなに気を使ってくれなくて結構ですー。大体、今更気を使われたって気持ち悪いだけですよ。特に、来栖さんと椎名さんには。」



悲しげに一瞬笑って、静音はいつもの年下キャラを全開にした。



「お前に気を使った俺が馬鹿だった。」


「いつもの柊だ!」



苦笑いの来栖とその横で凄く嬉しそうな椎名。


なんとも対照的な2人である。



「楽しそうでなによりだな、柊。」


「厄塒さん!?どうして本部に?」



「俺が本部に居ちゃ悪いか?」


「別に悪くはないですけど…」



突然現れた厄塒に静音は驚く。



「厄塒さんって、昨日の話に出てきた柊さんの所轄時代の先輩ですよね?」


「そうね。でも所轄の人が何の用かしら。」



「まさか柊に告白…」


「んなのは絶対にないと思うッス…」



幡牛と遁苺は至極まともな会話なのに、椎名の発言には羮芻も突っ込むより先に引いてしまった。



「理由は事件だからだ。」


「仁科さん!…事件って?」


「悪い知らせだ。」



一課の第ニ強行犯捜査、殺人犯捜査第5係の仁科(ニシナ)警部34歳の後ろから、神妙な面持ちの都澄・篠宮・要が続いた。

「氷室岨聚が意識不明の重体だ。」


「…………!!!」



都澄の言葉に、一瞬にして静音の顔色が変わる。



「意識不明って……何があったんですか?」


「階段から突き落とされたらしい。」



「突き落とされた?足を滑らした事故ではないんですか?」


「ああ。現場に争った形跡があった。」



上から順に、来栖、要、椎名、篠宮だ。



「何事も無く、家に帰ったんじゃなかったんですか?」


「家の中まで警護はしてないだろ。それに氷室岨聚が自らの意思で警備をすり抜け外出した可能性がある。彼女の携帯の履歴には公衆電話から着信があった。」



落胆する橘に、厄塒が見せたのは携帯会社から取り寄せた岨聚の電話履歴の一覧だ。



事件が起こったのは同窓会後、岨聚が家に帰り警備も一段落した21時前後。


岨聚が発見されたのは、家から程近い経営する銀行本店の外階段。


非常用の為、従業員も普段使うことのない階段で、ゲソ痕がはっきり採取出来た。



「鑑識からは、靴は量産品で特定は難しいが、大きさは27センチで種類は男性用。男の可能性が極めて高い。」



現場には、岨聚とこの靴の足跡しかなかった。

「なるほど。厄塒さんがいる理由分かりました。銀行本店の管轄は厄塒さんのとこでしたね。」


「良くできました。単純明快だろ。」



自分が元いた所轄だから、管轄の地域範囲は良く知っている。



「脅迫状のことも鑑みて、一課と共同で捜査本部をうちに立てることになった。幡牛、遁苺。準備を頼む。」


「任せてください。」

「分かりました。」



「轢夲と羮芻も準備を頼む。関係者は多いが、潜入捜査も兼ねる。」


「はい。腕がなるわね。」

「了解ッス。」



都澄の命で、4人はそれぞれ準備に取りかかる。



「俺達は?」


「今所轄に下調べしてもらっている。その中でアリバイがなく怪しい人物をピックアップするから、潜入してもらう。」



「私達、同窓会にいましたから、顔バレてるんじゃないですか?」


「柊と同じフリーターにでもしとけ。」



「それはいくらなんでもアバウトですよー」


「俺に言うな。それを考えるのもお前の仕事だろ。」



仁科の言う通りだと思うが、橘はむくれていた。



「話したんだね、私のこと。」



捜査について話す橘達から離れ、静音は篠宮と要に小声で話しかける。

「ん……ああ。来栖が噂を知っていてな。」


「僕達から言うことではないと思ったんだけど、誤解されたままは嫌だったからね。」



「あからさまに気を使われたんだけど。潜入捜査もする部署の捜査官としてどうかと思うよ、あの不自然さは。」



思い返しても、不自然過ぎて違和感しかない。



「そう言うな。仲間内と仕事とは違うと思うぞ。それより静音、氷室岨聚のことだが…」


「まさか私が突き落としたとでも思ってる?」



「そうじゃないよ。ただ、同窓会でのこと」


「あれは別に何でもないから。シノさんや要さんが気にすることじゃないよ。」



遮るように早口でそう言って、橘達に加わろうと静音は離れようとする。



「静音。」


「柊!」



引き止めようとする篠宮の声と、呼ぶ椎名の声が重なる。



「何ですか?」


「昨日の同窓会に使用したホテルの総支配人から外線だって。」


「係長や要さんじゃなくて、私ですか?」



「うん。柊に繋いでくれって。」



岨聚と揉めた騒ぎのことは説明済で、係長達を飛び越えて聞かれることなど無いはずなのに。


と、静音は不思議に思いながらも電話に出る。

「お電話代わりました、柊です。…え?玲斗がですか?はい…はい……。ご迷惑をお掛けしました。わざわざありがとうございました。」



不思議な顔から、驚きに変わり、最後には呆れた様なそれでいて嬉しい様な、しかし悲しげなそんな顔で、静音は電話を切った。



「どうした?」


「玲斗……織端玲斗が、私を探しに来たと。臨時で雇ったし個人情報だからと総支配人が言ってくれたんだけど納得してなかったみたいで、今朝も来たって。」



「今朝もってことは、昨日も?」



「同窓会が終わってみんなと帰った後、もう一度来たんだって。20時半頃に。」



時間的に考えて、二次会をした帰りだろうか。



「そういえば柊、名刺渡されてなかった?」


「貰いましたけど連絡してませんよ。」



「それで、だな。」



柔和な感じでそんなに押すタイプには見えなかったのだが、余程静音に執着があるらしい。



2係の面々とも問題なく篠宮達がホッとしたのも束の間。

静音の態度といい玲斗の告白といい、何かあるのは間違いないのだが。



ペテン師夜鷹の過去を知られても尚、静音は自身のことについてそれ以上話そうとはしなかった。

「捜査方針と潜入対象が決まった。」



2日後、仁科と厄塒が資料片手に現れた。



「やはり氷室岨聚は突き落とされたことに間違いなかった。防犯カメラは運悪く故障中で、犯行時刻の映像はなかった。」


「銀行の防犯カメラが故障って……防犯意識低くありません?」



「故障が判明したのが帰る直前で修理屋に繋がらなかったらしい。非常階段だから、次の日でも良いと思ったんだと。」



橘の疑問は最もだが、修理屋が捕まらないのではどうしようもない。



「それで、潜入対象は?」


「同窓会にいたほとんどの者にアリバイがあった。二次会やら帰宅途中の新幹線やらでな。アリバイが不明なのは、織端玲斗、千影鏡鵺、蒜崖雅、伽虐琅提の4人だ。」



4人共、事件の時刻前後は家に居た等の曖昧なアリバイだった。


女の雅と琅提を含んでいるのは、偽装工作をした場合を考慮しての判断だ。



「氷室岨聚とはかなり親しい間柄のようだな。なぁ、柊?」


「ええ、まあ。」



「同級生達に聞き込んだんだがな、何か隠してんの丸わかりなんだよ。お前、何か知ってるだろ。」



いかにも何かあります、といった挙動不審な態度だった。

「厄塒さんには関係ありません。」


「俺にじゃねぇだろ!事件に関係あるんだろうが!」



「ま、まぁまぁ。落ち着いてください。」



篠宮達に聞いた人物像より怒りやすい性格なんだと、なだめながら椎名は思う。



「柊、お前は織端玲斗を担当しろ。」


「私が?」



「一番まともに会話出来るだろ。」


「そりゃそうですけど……」



「決まりだ。」



否応なく、仁科によって決められてしまった。


玲斗も複雑なのだが、他の3人もやりにくいのは確かだった。



「支店長である千影鏡鵺には来栖、窓口業務の蒜崖雅と伽虐琅提には橘と椎名、篠宮には警備員になってもらう。要と仁科、厄塒にはそれぞれの代表として指揮と調整役だ。私は課長と共に全体の指揮と調整を行う。以上、捜査を開始する。」



「「了解!」」



それぞれが準備の為に動き始める中、静音は渡された名刺を見つめる。



「(間違ってるなんて分かってるのに……。ダメだね私達…。)」



切なく自問自答する。



誰の為と問われたら、きっと自分の為だと言うだろう。


弱虫で悪役になりきれず、不器用に無言を貫くしか出来ないのだから。

『静音…?』



捜査用に支給された携帯で、静音は玲斗に電話をかけた。




「ホテルの人から電話があった。臨時に雇われてた応援のバイトなんだから、あまり騒ぎにしないでよ。」


『ごめん、つい。』



実際には、事情を知っている総支配人が対応したのでホテルでは騒ぎにはなっていない。


しかし、通常なら小さくも騒ぎになっているはずだと想定して話す。



『…今、どこで働いてるの?』


「今はフリー。探し中。」



『そっか。……岨聚のこと聞いた?』


「…うん。」



『警察が来てさ、アリバイ聞かれたんだ。鏡鵺達との二次会抜け出してホテルに行った後だから、アリバイ何も無くて疑われてるみたいなんだ。そっちは?』


「家に居た。一人だから私もアリバイはないよ。」



『だよね。鏡鵺達も酔ってて曖昧みたい。』



帰宅した岨聚以外の玲斗達4人の二次会。


他の3人曰く、玲斗が帰った後程なくして解散し帰宅途中で、しかも徒歩であった為に、犯行時刻のアリバイが曖昧なのだ。



同じ立場の方が合わせやすい為、静音は話ながらも素に近い、それでいて潜入とバレないように偽物の経歴を組み立てていく。

『鏡鵺と雅と琅提の4人で、岨聚の見舞いに行ったんだ。静音もさ、見舞いに行かないか?あいつらとは顔合わせづらいだろから2人で。』



「…見舞いはいい。岨聚も来て欲しくないだろうし。特に、私と玲斗の組み合わせだと。」



これは、静音の本心だった。



岨聚は静音が嫌いだ。


その理由を静音は知っている。


いや、玲斗達4人も知っている。



自らの行いの動機も理由も、それによってどうなるのかも。



それが周りから見ればいじめでも、静音は何も言わなかった。


玲斗達も言わなかった。



純粋で純情で、気持ちに素直だったからこそ、ぶつかり合うことを恐れ上辺だけを取り繕った結果だ。



心は子供のまま身体だけが成長して、一向に等身大になれやしない。



『分かった。……話変わるけど、今フリーなら診療所で働かないか?今募集してるんだけどなかなかで。受付と事務だから資格が無くても大丈夫なんだけど。どうかな?』


「……ずっと出来るか分からないけど、それでもいいなら。」


『ありがと、助かるよ。』



半強制的に担当になってしまいどうしようかと思っていたから、玲斗の申し出は有り難かった。

「つ~か~れ~た~」


「うるさい。」



潜入してから3ヶ月が経過した。


ぐったり机にのびる橘の疲労も、眉間に皺を寄せる来栖によって一蹴りされる。



「何か成果はあったか?」


「それが……」



要の問いに、椎名は困り顔で橘に目をやる。



「成果も何もあったもんじゃありませんよ!窓口っていったってお金扱うから超厳しいし、神経使うし。業務中に聞き込める状況じゃありませんよ~」



椎名は元総務課で会社員としても働いた経験がある為に、窓口業務もすんなりこなしている。


しかし、橘にとってはかなりの激務のようだ。



「蒜崖雅と伽虐琅提ですが、2人とも仕事は完璧、他の従業員ともトラブルもなく、仲良くやっています。仕事面で特に気になる点はありません。」



「仕事面、で…。仕事以外は何かありそうな口振りだが?」


「さっすが、要さん!厄塒さんと同じですよ。プライベート、特に氷室岨聚の件になるとみんな口が重くなって…。愛想笑いもいいとこです。」



「確かにな。警備員としても同じような感じだった。」



氷室岨聚に関しての銀行で働く者を含めた同級生達の反応は、一様に同じだった。

「千影鏡鵺の方は?」



来栖は岨聚がいない間の補佐役として潜入している。


渋る総帥に窓口業務と同じく、犯人逮捕の為と協力を頼み込んだ。



「仕事は完璧です。支店長としても銀行内の上司としても。ただ女2人と違って、仕事の合間にも氷室岨聚の病室に足しげく通っています。」


「もしかして、内密に付き合ってるとか?」



「周りにさりげなく聞いたが、そっち方面の噂も事実もないみたいだ。まぁ、支店長と違って窓口は抜け出す訳にいかないし、面会時間もある。親しい間柄なだけかもしれないな。」


「そう、なんですか…」



橘はつまらなさそうな顔をしたが、見舞いに訪れている時間以外は仕事を全うしていて、心配している以外の様子は見られなかった。



「お前、織端玲斗とどういう関係なんだ?!」


「…聞こえてますから、そんな大声出さないでくださいよ。」



来栖達が報告し合っていると、廊下から卍擽の怒鳴り声と静音の鬱陶しそうな声が聞こえてきた。



「ど、どうかしましたか?」


「どうもこうもない!昨日、織端玲斗にプロポーズされてたんだ!俺はこの目でハッキリ見た。あれは間違いなく指輪の箱だった。」

昨日、卍擽が地取りを終えて所轄に戻ろうとした時、目にしたのは静音に指輪の箱を差し出す玲斗の姿だった。



「え?ほんと!?」


「断ったから。大体見たって…、卍擽先輩に関係ないですから。」



興味津々の橘に対し、興味無さげに静音は返す。


卍擽が怒っている理由も意味が分からないと、バッサリ切り捨てた。



「柊、潜入してくれとは言ったが、付き合えと言った覚えはないぞー?」


「だから、付き合ってません。断りましたー」



「とか言って、裏で繋がってたりしてな。」


「卍擽、根拠の無いことは控えろ。」



仁科が書類を見ながら取って付けた様な疑いにも律儀に返す。


しかし卍擽はまだ納得がいかないのか、厄塒に釘を刺されてもひねくれた態度だ。



「柊、本当に何もないんだよね?織端玲斗とは何も……」


「何もないです。」


「本当だね?」



「しつこいです。」



面倒くさそうにする静音とは対照的に、椎名は両肩に手を置き向かい合う程真剣だ。



「だって心配で。僕は柊のこと好きなんだ。だから……同窓会の時のこともあるし、織端玲斗と柊とが……。それにもし、織端玲斗が氷室岨聚を」

「玲斗が犯人だとでも?私と共謀して岨聚を突き落としたとでも?」


「あ、いや……そこまでは言ってないけど…」



先程までとは違い、怒って責める様な雰囲気に椎名はたじろぐ。


無意識だろう、名前の呼び方も刑事としてではなくなっている。



「静音。椎名は心配してるだけだ。同窓会でのこと、俺もまだちゃんと聞いてなかったしな。」


「そうだね。同級生の人達とも何かあるようだし、事実関係を教えてくれないか?」



岨聚との関係が悪いと分かりきっている静音を容疑者リストから外し、なおかつ捜査に加わっているのにはもちろん理由がある。



銀行の防犯カメラの故障を知らなかったこと、最も疑われる立場にも関わらずアリバイが曖昧なこと、偽装工作をするならば警察官の静音なら靴だけでなくもっと巧妙にするはずということ。



そして、一番は篠宮と要の感じた違和感だ。


3年前の莉央と深緒以上のことを隠している。


それは、静音や岨聚だけでなく同級生達全員にいえること。



容疑者リストから外した、というより事件の全容を解明する為に静音を捜査に加え泳がしている、といった表現の方がこの場合正しいのかもしれない。

「事実関係も何もない。そういう関係でもないし、椎名さんにも関係ない。玲斗は犯人じゃないし、私達には何もない。何もないから。」



拒絶する様に低く、最後は静かに呟く。



「診療所の仕事あるんで行ってきます。」


「柊!」



両肩に置いたままだった椎名の手を振りほどき、静音は部屋を出ていった。



「…しまった、またやってしまった。」


「どんな言い方をしても結果は同じだと思います。状況が3年前と似ているのに、話そうとしないのは……」



「同級生、ニオイますよ。」



聞くタイミングを間違えたかと、落ち込む篠宮とそれでも冷静な要。


そんな2人を尻目に、厄塒は推論を口にした。



「同級生?私と椎名さんの対象の蒜崖雅と伽虐琅提ですか?」


「いや、その2人だけじゃない。聴取に行った同級生全員だ。アリバイについてはハッキリ言うくせに、氷室岨聚やそれらの関係性についての話題になると、皆一様に口が重い。」



特に、静音と岨聚、潜入対象の4人に関しては。



「柊が語らないのは、その辺が絡んでるんじゃないかと。3年前は蓋を開けてみれば、柊自身と死亡した逢沢兄妹の問題だけでしたし。」

「厄塒さん、柊を庇うんですか?柊が捜査に加わってるのだって、俺は納得してないんですよ。」



都澄が静音の隠し事と事件とが繋がっていると感じ、静音が捜査出来るようにと、課長に許可を取り付けたのだ。



「庇う訳ではないが、厄塒の言うことにも一理ある。」


「係長。」



少なくとも静音が出ていった後だろうが、どこから聞いていたのか都澄が現れた。



「柊個人の話で済まない気がしてな。現に、同級生が揃えて口を閉ざしている以上、捜査が先に進めないことは確かだ。この3ヶ月、これといった報告はあがっていない。氷室岨聚の容態は安定しているが、目を覚ます気配はない。そろそろ次の段階に行かなければならないと、課長と話していたところだ。」



岨聚が入院して静音達が潜入していること以外、前と変わったことすらなかった。


岨聚に届いた脅迫状についても同じ。


入院中と発表済だが、病室…病院にすらコンタクトはない。



「次の段階…」


「どうします?」



悩む要と仁科。



「そのことだが。柊を重要参考人とする。」



「「え?」」



都澄の思いもよらない言葉に、一同の思考と動作が止まった。

人気の無い夜の小さな公園。


琅提と雅は焦っていた。



「どうしよう……静音が警察に捜されてる。」


「どうもこうもないでしょ!…私達のこと、警察になんて言えるわけないし。」



「だけどこのままじゃ、静音が捕まっちゃうよ……」



静音は大切な友達だ。


岨聚も鏡鵺も玲斗も。


大切だ。



「静音を診療所に誘うだなんて、まったく玲斗は何を考えてるの!?岨聚が目を覚ましたら大変なことになるの分かってるはずなのに。っていうか、鏡鵺も鏡鵺よ。見舞い、一人で行ってるみたいだし。訳分かんない。」


「玲斗は信じるって言ってたけど、鏡鵺は電話に出てくれないし………どうすればいいかな…?」



「ほんと、どうすればいいのよこの状況。……どうすればよかったのよ、私達…」



助けたくて、状況を変える術はいつだってあるのに。


実行出来なかった、……いや、実行しなかったのは、自分の為。



偽りは、誰の為でも無かった。



「雅……同窓会、楽しかった。静音がいればもっと楽しかったよ。」


「そうだね。」



上辺だけの醜い同窓会よりも、きっと。




覚悟は要らない。

勇気だけだ。

玲斗は帰宅しようとした矢先に飛び込んできた親子の診療を無事に終え、改めて帰宅しようとしていた。



準備を進めながら思い返すのは昼間小耳に挟んだ、静音が重要参考人として事情を聞かれているらしいとの事。


琅提から電話があって、信じると答えたものの、憶測だけで真実が分からない。



ただ、言えるのは。



「(僕達は間違ってたってことだ。気付いているのに逃げて、楽な道を選んだ。その行為が傷付けているのを分かってて。)」



渡した指輪は填められることなく、箱に入ったまま返された。




勇気は要らない。

覚悟だけだ。







「………………。」



機械音が響く病室。


ベッドに横たわる岨聚を見つめるのは、仕事帰りに立ち寄ることが常の鏡鵺だ。



「(俺は、俺達はもう……後戻りなんて出来ない。だったら、いっそのこと……)」



いつも思い出すのは、天国と地獄。



戻れるならと何度思ったことだろう。


けれど、戻ったとしても結局は同じになるのだろうとも思う。


今がそうなのだからと、玲斗は静かに病室を後にした。




勇気も覚悟も要らない。

総ての事を終わらせるだけだ。

疑わしきは罰せず

「その後どうです?」



静音が重要参考人になった事を玲斗達4人に告げてから2週間が経った。



「蒜崖雅と伽虐琅提はかなり動揺していますね。大きなものはありませんが、小さいミスは多々あります。」


「時々2人で話し込んでるし、ものすご―く怪しいです。」



偽情報とは露知らず、都澄の囮作戦に過敏に反応した雅と琅提。


椎名と橘から報告を聞いた仁科は笑顔で頷き満足気だ。



「千影鏡鵺の方は、…正直よく分からない。」


「珍しいー。来栖さんがハッキリしないなんて。」



「悪かったな。だが、生活リズムに特に変わった様子はないんだ。ただ何故か、以前にも増して仕事熱心になった。」



一方鏡鵺は、2人とは違いミスも無く支店長として仕事をこなしている。


取引先に行く以外は部屋にいることが多かったのに、副支店長や部下の指導に熱が入る程に。



「怪しいといえば怪しいが……」


「仕事に熱心なのは良いことですよね。」



変化があったことは事実だが、それが静音が重要参考人になったと聞いたことと関係があるとは言い切れない。


因果関係が不明過ぎると、頭を掻く厄塒と、同時に卍擽は感心する。

「織端玲斗の方は?柊からは連絡、入ってますか?」


「ああ。業務連絡だけだがな。ただ、織端玲斗からは何も聞かれないみたいだ。」



篠宮や要が電話に出ても、静音は必要最小限のことしか話さない。


篠宮は話の流れから推察して仁科に報告する。



「4人共怪しさは増してますが、決め手に欠けますね。」


「そうだね。静音が話してくれたら一番良いんだけど。」



報告してもらった事をメモった手帳とにらめっこする仁科に、同調する要も困り顔だ。



「ちょっと!男前がそんなに辛気臭い顔しない!」


「そうですよ!ここでブレイクタイムといきましょう。」



澱んだ空気を一掃したのは、幡牛と遁苺の元気な声とコーヒーの良い香りだ。



「男前って俺のことっスか?」


「安心しなさい。絶対違うわ。」



ふざける羮芻に、轢夲は意地悪い顔をして一刀両断した。



「うぅ~ん!おいひ~」



橘の口の中でトリュフがとろける。



「うまっ!君が作ったの?」


「いえ、それは幡牛さんが。私は料理苦手なので。」


「そう…なのか?人は見かけによらないな。」



羮芻と同じことを卍擽も思ったらしい。

「だけど椎名さん、積極的ですよね。」


「何がですか?」



コーヒーを口にしながら、呆れたように厄塒は切り出す。



「柊のことです。俺と同い年なのに、よくあそこまで出来るものだと思いまして。」


「え?ああ…。惚れた弱味、ですかね。」



「今回は辛抱強いというか、諦めが悪いというか。」


「柊さんいつも容赦無いですもんね。」



静音を思い出したのか、はにかむ様に笑いながら頬をかく。


そんな椎名をからかう様に幡牛と遁苺は言う。



「最初は一目惚れだったんです。でも、何だか放っておけなくて。あしらわれても、話せただけで良いかなって。」


「(中学生かっ!)」



椎名ののろけに、卍擽は何とか口に出すのは抑えたが、コーヒーを危うく吹きこぼしそうになった。



「でも今回のことで、僕は柊のこと何も知らなかったんだって分かりました。」



「昔から隠し事だけは上手かったからな。」


「自分と関わりのある人に関しては特に、ですよね。」



出会った頃からそうだった。



母親の為に、莉央と深緒の為に、静音は篠宮や要に対して必死に隠し通した。


自分以外の大切な誰かの為に。

「柊から連絡があった。織端玲斗に呼び出されたそうだ。」


「呼び出されたって、一緒に働いてるんじゃないんですか?」



静音は玲斗と共に診療所に勤めている。


橘の言う通り、呼び出されたは可笑しな表現だ。



「ああ、すまんすまん。話があると言われたようでな。時間は明日、診療が終わってからの20時ぐらい。診療所からの行き場所は不明、移動手段も不明だが、準備を頼む。」



「どんな手段で移動しても良いようにGPSと盗聴機を用意するっス。」


「バッチリ拾えるやつよ。」



轢本はやる気満々に背中をバシバシ叩くが、やられた羮芻は涙目で痛そうだ。



「重要参考人の話を流してから初めてのことですね。」


「係長の策、はまりましたね。」



「油断は出来んがな。篠宮と椎名、来栖と橘の2班で柊と織端玲斗を追尾。仁科は蒜崖雅、厄塒は伽虐琅提、卍擽は千影鏡鵺、それぞれを尾行し動向を監視だ。幡牛と遁苺、用意を頼む。」



「「了解。」」



「ヘマするなよ。」


「分かってますー」



橘は唇を尖らせるが、来栖の目は信用しているように見えなかった。



静音にも機材を渡し、全員準備を整えた。

「どこに行くの?」


「静かに話せる場所。着いてからのお楽しみ。」



静音は玲斗の車の中にいた。


先回り出来るように行き先を聞こうとしたのだが、はぐらかされてしまった。



「ここは…」


「大丈夫だから入って。」



玲斗が静音を連れて来た場所。


懐かしい、けれど因縁の場所。



都立詠継祇ヶ丘小学校だった。



「屋上、入っていいの?」


「医院長の知り合いが、今の校長と知り合いでさ。見たいって行ったら話つけてくれた。」



中学校は5年前建て替えられたが、小学校は16年前。


だから、見渡す校庭、上がる階段、覗く教室、少し寂れたかもしれないが、そのどれも変わらないように感じた。



「学校って、見たいって言って見れるもんなんですか?しかも夜。」


「さあな。親交度によるだろ。」



「ですが、話をするのにわざわざ学校の屋上というのは…」


「確かに大袈裟だな。」



橘の疑問は最もだが、来栖には答えようがない。


ただ、話をしに来たにしてはと思う椎名と篠宮の見解は一致した。



会話から屋上に向かっていることは確かなので、篠宮達は校内を見回りながら進んだ。

「綺麗…、初めて見たけど。」


「だね。僕も初めて見たよ。」



屋上から見える住宅街の明かりは、夜景スポットとは違う優しい灯りだ。



「…話って何?ここに連れて来たのにも何か意味があるんでしょ。まさか、夜景を見せる為になんて言わないよね?」


「うん、言わない。」



悲しげに微笑む中に、強さがあった。



「ここで出会ったんだよね、僕達。」


「お父さんの仕事の都合で転校して来たのが、確か小3だっけ。」


「うん。そして、ここから始まった。」



小学校からの持ち上がり生徒がほとんどの詠継祇ヶ丘中学校。



静音、岨聚、鏡鵺、雅、琅提。


小学校の入学式から同じメンバーに玲斗が加わったことで、様々なことに変化が生じた。



ただ、良いことなんて一つも無い。


悪いことだけが集まり続けた。



「僕達は間違ってたんだ。ずっと分かってたのに。自分可愛さで逃げて、見ないふりして。静音が傷付いてたこと、知ってたのに。」


「玲斗………」



幼過ぎた、あの時の何もかも。


そのすべてが。



「もう逃げない。ここで終わらせる。」



そう言うと、玲斗は静音へと近付いた。

「「あ。」」



19時30分。


仁科と厄塒は別行動のはずが出会い、顔を見合わせ声をあげた。


何故なら雅と琅提の行き先が同じ、そして見慣れた建物だったから。


そう、ここは警視庁。



「あ、仁科さん。こちらの方達が氷室岨聚さんの事件のことでお話があるそうです。」



尾行しているなどとは露知らず、受付が出入口にいた仁科に話し掛けた。



「どうぞ。」



「ありがとうございます。」


「いただきます。」



2係の隣にある会議室に雅と琅提を案内する。


お茶を運んだ遁苺と入れ代わりに、仁科の要請で要が加わった。



「で、話というのは?」



「静音は悪くないです。」


「私達が原因なんです。悪いのは私達なんです。」



「それはどういう意味ですか?」



悪くないと訴える2人の目には、涙が滲んでいる。


感情的になりそうなのを、要は努めて冷静に質問をした。



「静音は私達を恨んでる。でも静音は優しいから、今まで何も無かった。」


「だけど再会してしまったから。3ヶ月前の同窓会で。だからきっと…」



だからきっと。


岨聚を突き落としたのは静音なんです。

18年前、静音は詠継祇ヶ丘小学校へ入学した。



新1年生、同じクラスには、



「私は何でも出来るのよ。少しは頼りなさい。」


お嬢様気質だが人を気遣うことが出来る、岨聚



「バッカじゃねーの!ほら、いくぜ!」


口は悪いけどとても明るい、鏡鵺



「あんたって…、本当にどんくさいわね。こっちだから。」


ハッキリ言う割に面倒見が良い、雅



「あのね…、一緒に行こう?」


大人しいのに世話好きな、琅提



良いとこも悪いとこもある、けれど優しいそんな人達。



静音は4人とすぐに友達になった。



「岨聚、折り紙しよう?」


「良いよ、凄いの知ってるから教えてあげる。」



「鏡鵺は走るの速いね。」


「おう、サンキュー!」



「雅、勉強教えて?」


「もー仕方がないなぁ。」



「琅提の作ったお菓子美味しいね。」


「ありがと。今度一緒に作ろ。」



2年生に上がるとグループも出来上がり、学校も放課後でも、静音は4人と共に行動することが多くなった。


親同士の付き合いも順調で、文字通り5人は親友となっていった。



3年生になり、玲斗が転校してくるまでは。

「今日からこのクラスの仲間になる織端玲斗君です。」



3年生の春、玲斗が転校して来た。



「よろしくね!」



「私は岨聚。仲良くしてあげても良いわよ。」


「岨聚は金持ちで、家もでっけーんだぜ。」



真っ先に自己紹介をした岨聚は、少し顔を赤らめながら手を差し出した。


鏡鵺は両手をめいいっぱい使ってジェスチャーをし伝えようとする。



「鏡鵺うるさい!岨聚は岨聚だもん。」


「静音の言う通りよ、黙りなさい。」



「でた~静音と雅のイイコちゃん~」



お金持ちを強調し、からかう鏡鵺。


怒った静音と雅は注意するが、鏡鵺は更にふざけ面白がっている。



「玲斗君…、私は琅提。こっちが静音であっちが雅。」


「え~俺は?」



「これからよろしくね。」



鏡鵺を注意するのに忙しいからと、琅提は自分と2人の代わりに自己紹介をした。



「ちょ、琅提までヒドくね~」



「ほんと、うるさいわ。」


「「「ねー」」」



地団駄を踏みながら声をあげる子供の鏡鵺に、女子4人は同意見、さながら井戸端会議主婦だ。


玲斗は5人のやりとりに圧倒されながらも笑って聞いていた。

「静音、一緒に行こう?」



「見て見て静音!」


「聞いて静音!昨日ね…」



「ねぇ静音、」



玲斗が転校してきて、半年が経った頃。



玲斗は優しく時にはしゃぐ、女子からも男子からも大人気だった。



しかし、静音の隣にいつもいて、ニ言目には、静音と発するほど玲斗はべったり。


周りのクラスメイトは、呆れながらも仲良しだね。と済ましていたのだが、それを面白く思わないのが一人。



…そう、岨聚だ。


なにせ岨聚は転校初日に、玲斗に一目惚れ。



だから玲斗の気を引こうと、人気の玩具の話をしたり男子が夢中の戦隊ものを一生懸命勉強したりしていた。


恥ずかしいけど勇気を出して自己紹介を一番最初にしたのも、覚えてもらいたい一心だったから。



しかし、玲斗はその場では楽しく会話するものの気が逸れたり楽し過ぎて静音を呼んだり。


あまり2人きりの会話が続かなかったが、呼ばれた当の静音は全く気にせず岨聚とも会話をしていた。


玲斗に嫌われたくなくて、岨聚は必死に我慢していたのだが、日に日に溜まっていく静音への嫉妬についに限界が来る。



それが起きたのは、冬休みが明けてすぐのこと。

「貴女とは今から絶交よ。柊さんって呼ぶから岨聚様って呼びなさい。皆もそうして。」


「そ、岨聚?なんでそんなこと言うの?」



無表情に命令口調で言った岨聚に、静音は何が何だか分からない。



「そーだぜ、岨聚。意味わかんねーよ!」



「なんで静音だけなのよ?」


「静音のこと嫌いになっちゃったの…?」



「み、皆仲良くしよ。ね、岨聚?」



鏡鵺は叫び、雅は怒り、琅提は泣きそうになり、玲斗は何とかしようとする。


しかし。



「私のパパは偉いの。だから私の言うことは絶対なの。私の言う通りにしなかったらパパに言って皆のパパとママ、クビにするから。」



これにはクラスメイト全員が驚いた。


このクラス、いやこの学校に通うほとんどの児童の両親が、氷室財閥の経営する企業に勤めている。



だから、子供の言うこととはいえ、本当にそうなることはあり得ないことではない。


何故なら、総帥は岨聚を溺愛しているから。



両親の仕事が無くなることがどういうことか、分からない歳でもない。



誰も反論しないまま、岨聚は静音に言い放つ。



「大っ嫌い。」



そして地獄が始まった。

「そこからはもう…、静音はいないも同然でした。岨聚の機嫌だけ伺って、静音との会話は必要最小限でした。」


「静音は何をされても何も言わなくて。静音が転校するまで私達は何も出来なかった。いいえ…、しなかったんです。岨聚が………岨聚が怖かったから。」



雅と琅提が涙ながらに語ったのは、単なる子供が言った、子供同士の、大人には他愛ないイザコザだ。


同級生達は、岨聚の言葉に対しとても素直に気持ちを表し行動しただけ。



悪気はない。


ただ、逃げただけ。



「…そう、でしたか……」



絞り出す様に言う要の手は、2人からは見えないが机の下で強く握り締められていた。



「氷室さんは織端さんが好きで、織端さんは柊さんが好きだった。では柊さんは?織端さんのことが好きだったのですか?」


「分かりません。友達としては仲良くしてましたけど…。静音は好きとか何も。玲斗も積極的でしたけど、告白してるところは見たことなかったです。」



仁科の問いに思い当たる節がないのだろう、雅は首を傾げる。


岨聚が嫌いと言ってそれまでの雰囲気とは一変したいじめられる現状を、静音は何の抵抗もせず黙って受け入れていた。

「でも、鏡鵺は岨聚のこと、好きだったと思います。ずっと岨聚のそばにいたから。私と雅が玲斗と鏡鵺に恋愛感情が無いの、岨聚は分かってたみたいで、玲斗と一緒にいても私達には何も言いませんでした。」



岨聚の嫉妬の矛先は真っ直ぐ、静音にしか向いていなかった。



「…静音と同窓会で会うなんて思わなかったんです。中学は持ち上がりなんですけど、入って1年もしないうちに転校してしまって。」


「静音がいなくても以前のようにはなれなくて。表面上は仲が良いですけど、岨聚に対する恐怖心は今も心のどこかにあり続けてる。」




2人は自虐的な笑みを浮かべた。


しかし要達が冷静に話をしたおかげか、幾分か落ち着きを取り戻している。



「だから私達にとって岨聚は親友であり、支配者だった…」


「学校の先生も逆らえないほどでした。」



都立とはいえ、地元の有力者。学校の職員ぐらいなんとでも出来る力を持っていた。



「(だからか。)」



厄塒は納得した。



聞き込みの時の同級生達の態度。


たった一人のたった一言、一つの感情が起こしたこと。

しかし、その影響は15年以上経っても朽ちずに続いているのだ。

「柊さんは氷室さんが嫌いかもしれない。同窓会で会ったことがきっかけで、あの頃を思い出し気持ちが暴走してしまった。だから、柊さんが氷室さんを突き落としてしまったのではないか。そういうことですね?」


「「はい……」」



仁科の確認に頷く2人。


しかし、厄塒はそれに同意が出来なかった。



3年前のことがあるからか、部下だったから信じたくないのか。


そのどちらかは分からないが。



「話をしていただきありがとうございました。また何かあればお願いします。」


「はい…」



静音の不可解な言動の理由が分かり要はホッとする。


気持ちが顔に出ているようで、琅提はどこかスッキリとした表情だ。



「遅くにすみませんでした。」


「いえいえ。こちらこそこんな時間にご足労いただきまして。」



雅がチラッと、つられて仁科も見た時計はもう20時20分を指していた。



「はぁ?見失った?!バカヤロウ!すぐ探せ!」


「どうかしました?」



2人の見送ろうとした直後、厄塒の怒号が響く。


通話を乱暴に切った携帯を恨めしそうに睨み付けた。



「卍擽からです。千影鏡鵺が消えました。」

「玲斗…、終わらせるってどういう」


「「静音っ!!」」



意味が分からず尋ねようとしたら、自分を呼ぶ声が2人分聞こえた。


もちろん1人は玲斗だが、もう1人は…



「鏡鵺……?」



この場にいるはずのない鏡鵺だった。



「ぃっ……」


「玲斗っ!」



片膝をついた玲斗に駆け寄る静音が見たのは、押さえる左腕から滲む血と、刃先から血が落ちるナイフだった。


どうやら、襲おうとした鏡鵺から玲斗が静音を庇ったようだ。



「(どうなってるんですか、これ?!)」


「(千影鏡鵺は、卍擽さんが尾行していたはずでは?)」



橘と椎名はパニックに陥っていた。


屋上へのドアの隙間から静音と玲斗の様子を窺っていたのだが、突然死角から鏡鵺が現れたのだ。



「(分からない。だが、この状況は…)」


「(まずいな。どうする?)」



来栖と篠宮は、なんとか冷静に考えようとする。


しかし、追尾の為に防具や武器の類いを所持してはいない。



「(とにかく、要に…)」


『(こちら羮芻。千影鏡鵺が行方をくらましたっス。)』



篠宮が連絡を入れようとした矢先、羮芻から一報が入る。

「鏡鵺!どうして…」



静音は訳が分からなかった。


この場に鏡鵺がいることも。

握られているナイフの意味も。

何故自分が襲われたのかも。



「どうしてって……もう後戻り出来ないんだ。だから、全部終わらせるんだ。」


「終わらせるって……玲斗も同じこと言ったけど、終わらせるって何を終わらせるの?分からないよ。分からないけど、とにかくそのナイフ放して?」



「静音!近付くな!鏡鵺の目的は君を殺すことだ!」


「え?玲斗…何を言ってるの?鏡鵺が私を殺す?」



ナイフを取り上げる為に差し出した手は、理解不能な言葉によって行き場を失う。



「だよな、鏡鵺。そしてお前が岨聚を突き落としたんだ。」



確信を持って断定する玲斗。



「鏡鵺が岨聚を?何の為に?」



やっぱり静音は訳が分からない。


しかし、それは篠宮達も同じ。



「(なんか凄い展開になってますけど、どうしたらいいんですか?)」


「(仁科さん達が来るまで待機だ。ナイフ振り回されたら敵わない。)」



「(だが織端玲斗は何か知っているようだな。)」



応援の仁科が到着するまで、3人の動向を見守るしかない。

「静音の為……だよな?同窓会で岨聚がしたこと、我慢出来なかった。だから。」


「……ああ。ああ、そうだ!俺が岨聚を突き落としたんだ!同窓会でのこと、やり過ぎだって、俺達ももうガキじゃないんだからってな。でも、岨聚は聞く耳を持たなかった。」



3ヶ月前の同窓会後、21時5分。


岨聚のプライドを考え、誰にも聞かれない、しかも防犯カメラも壊れている銀行の非常階段へと呼び出した。



「何?同窓会のことで話って。警備を撒かせてこんなとこまで呼び出して。」


「静音のことだ。もう止めにしないか?俺達はもうガキじゃねぇんだ。」



「なにそれ。私があの子になにしようと、あんたに関係ないじゃない。」



同窓会での出来事は昔とまるで変わっていなかった。


だけど、鏡鵺はもう終わらせたかった。



いまだに続くこの地獄を。



「関係ある!俺はずっと静音のこと」


「あらそうなの。じゃなんで今まで私の傍にいたのかしら?口先だけの男は嫌いよ。話それだけなら帰るわ。」



興味なさげに言い放ち、岨聚はその場を去ろうと階段を降りようとした。



「ち、ちょっと待て!」


「なにするのよ!離して!」

「押し問答して揉み合ってるうちに岨聚は…。だけど、俺は後悔なんてしてない。当然の報いだ。岨聚も俺も。」


「なんでそこまで…岨聚とのことは自業自得のことなのに。玲斗もそうだけど、鏡鵺だって気にすることじゃ……」



意識不明の重体になることも、殺人未遂犯になることも、鏡鵺にとっては当然らしい。


ただ静音は、岨聚がしたことを受け入れてきた自分の責任だと思っている。


だから何も言わなかったのに。



「気にするよ。だって好きな女の子のことだよ。気になるでしょ。」


「好きって……まさか。」



「ああ。俺はお前が好きだ。昔からずっと。こいつが転校してくる前からな。」



観念したようにナイフをポケットに突っ込んで、ハンカチを差し出した。



「(これはいわゆる)」


「(三角関係だな。)」


「(モテるっていうのも大変ですね。)」



俗に言う、痴情の縺れというやつだ。


しかもかなり複雑な。



「(羮芻から聞いた、小中学校でのことを合わせると……)」



岨聚は玲斗が好き


玲斗と鏡鵺は静音が好き



正確にいえば四角関係だが、こんな感じだろうと、篠宮は頭の中に描く。

いつも積極的で告白もされたから、玲斗の想いに気付くことが出来た。


ただ、鏡鵺の想いには気付けなかった。


無理もない、鏡鵺はずっと岨聚の傍にいたのだから。



「ごめん、全く気付かなかった…」


「いや。言わなかったの俺だし、玲斗みたいにも出来なかったしな。」



鏡鵺は手すりに背を預け空を見上げる。



「岨聚がお前をハブるって言い出した時、親のこと持ち出しただろ。俺の両親、あいつの系列グループ子会社の役員でさ。逆らう勇気無くて。」


「僕も同じだ。今は引退してるけど、系列の大学病院の医者だったからね。天秤にかけたって言われても仕方がない。」



「そんなこと……」



静音は言いかけて止めた。


実際に天秤にかけたのだ。

玲斗達も、自分も。



「…けど玲斗。鏡鵺だってよく分かったね。」



私はてっきり、とは静音は言わなかった。



ただ、何故鏡鵺が犯人だと玲斗は分かったのか。

それが聞きたかった。



自分でさえ勘違いしていたのだから。



「ほんとだぜ。目的も、理由まで当てやがってよ。探偵かっつーの。」



鏡鵺も驚き過ぎて、我を忘れ叫んでしまったぐらいだ。

「それは分かるよ。鏡鵺は僕より長く静音と居たから、取られないように必死だったんだ。同じ立場だったからこそ分かったんだよ。」



玲斗はずっと静音を見てきた。


そして同時に静音を見ている鏡鵺も。



だから、同窓会での岨聚の変わらぬ傍若無人な言動に気持ちが動いたのは自分だけじゃないと、その考えに辿り着けたのだ。



「警察から聞いた岨聚に届いた脅迫状、あれも鏡鵺だろ?」


「え、まじ……?それも分かってたのかよ。」



「あんな支離滅裂な文章は鏡鵺しかいないよ。」



確かに玲斗の言う通り、脅迫状は鏡鵺が作ったもの。



言いたいことは分かるが、纏まりが無い。


それが鏡鵺の昔から変わらない文章だった。



「同窓会の度に思い出してさ。よくよく考えたらさ、中学卒業して丁度10年だったし。なんか余計に、な。」


「余計にって…。というか本当にあの文章、意味不明。何を伝えたかったの?」



年の節目だったから思い立ったらしいが、脅すのが目的ならばあんなにストーカーチックではなくていいはずだ。



「ああ…。岨聚さ、愛されたい病だろ、ちやほやっていうか、自分が一番っていうか。だから。」

だから、の意味が分からない。


鏡鵺は岨聚に、そんなに愛されたいなら愛してやる、みたいな歪んだ愛があることを伝えたかったらしいが、静音と玲斗、そして岨聚本人にもその意図はまったくもって伝わっていなかった。



「それにしても、殺すってとこまで見抜くなんてね。でも、私の為とか、終わらせるとか。2人共、よっぽど私を殺したかったみたいね。」



むくれながら少し強い口調で言う静音に、鏡鵺と玲斗は狼狽える。



「し、静音を殺したかった訳じゃない!だけど、岨聚は目を覚まさないし、警察には疑われるし、俺達のこと言ったって信じてもらえないだろうし。だから後々迷惑にならないように、仕事の引き継ぎも済ませたし、今日、いっそのこと…何もかもって……」



「ぼ、僕が終わらせると言ったのは、あの時からのギクシャクした関係だよ。みんなあの時から上辺っていうか表面的っていうか。僕が転校してすぐみたいな、楽しかった感じに戻りたくて。だから、始まったこの場所で、また始めたかったんだ。鏡鵺のことも話したかったから、誰にも聞かれない屋上はぴったりだと思って。静音が警察から疑われて捜されてるって知ったから、まず静音と話そうと……」

慌て過ぎて、弁解というより捲し立てる様に一気に言ってしまったので、2人共息が切れている。



「そんなに必死に否定しなくても…大体殺す気無いとか、ナイフ持ってた鏡鵺には説得力無いし……まぁ私達にはお似合いの結末かもね。」


「そう…だな。」


「…だね。」



それなりのことをしてきた。


だから今の状況も当然なのだと。



そう、3人は思う。



「それは違う!!」



「「………!!!」」


「(椎名さんっ!?)」



しんみりした空気を一変させたのは、鏡鵺がナイフをしまい3人が落ち着いて過去に想いを馳せていた時から一言も篠宮達の会話に加わっていなかった椎名だった。



追尾されているから傍にいるのも、盗聴機を携帯しているから会話を聞かれているのも分かっていたが、まさか鏡鵺がいるのにも関わらず姿を見せるとは思わなかった。


なので静音はとても驚いたが、2人がいるので何とか声に出すのは抑えた。



「誰?」


「あんた確か…窓口にいた…」



玲斗はもちろん椎名に会ったことがないので不思議な顔をするが、鏡鵺は覚えがあるのか思いだそうとする。


さすが支店長といったところか。

「君達は間違ってる。自分のせいだとか、当然の報いだとか。自分の為と言いつつ、結局は周りを気遣ってるじゃないか。どうして君達は自分自身を大事にしない?見ないふりして逃げてたのは、自分自身を大切にしないことだ。」



「そうだよ!大丈夫とか言って全然大丈夫そうに見えないし。私、鈍いから言ってくれないと分かんないし。まぁ、柊にとっちゃ私は頼りないかもだけど…」



椎名に続いて橘まで出てきてしまう。


飛び出した椎名に気がいっていて、篠宮も来栖も橘を止められなかった。



「終わらせるとか、いっそのこととか、何でそんなこと言える?好きだったら尚更一緒に生きようと思わない?好きな人には生きていて欲しい、少なくとも僕はそう思う。」



訴えかけるように、特に鏡鵺に向かって椎名は言った。



「あんたに俺達の何が分かるんだよ。俺達の過ごしてきた、味わってきた苦しみや悲しみが分かるって言うのかよ!?」


「鏡鵺!やめろ。」



椎名の言っていることは正しい。


ただそれが当事者ではない者の理想論でしかないことを、鏡鵺は身に染みて分かっている。



だから正し過ぎてヘドが出た。



この偽善者が、と。

「あの……あなた方は一体?柊のことを知ってるみたいですけど、どういう関係で?というか、どうやってここに?」



鏡鵺より冷静な玲斗が疑問を投げかけた。



「「あ……」」



椎名と橘はやってしまったと顔を見合わせるが、時すでに遅し。



「…もういいですよね?こうなった以上隠せませんよー」



ドア付近にいるであろう篠宮と来栖に向かって、静音は呆れた様に言った。



「隠すってお前…」


「ごめん、この人達知り合い。ついでに言うと、フリーターって言うのも嘘。私、警察官なの。」


「「…え?」」



潜入捜査のこと、ペテン師夜鷹と呼ばれた出来事についても、かいつまんで話した。



当然、玲斗と鏡鵺は終始驚きっぱなしだ。



「ま、じ、かよ……」


「静音が……まさか…」



「ごめん。でも、そこの男が言ったこと、納得出来ちゃったから。私は周りの人達に大切にされてきた。だけど、自分を大事にしてないことは分かってた。分かってたけど、そういう方法しか思い付かなかったから。」



椎名が言ったことは、ちゃんと静音に届いていた。


だから、もう終わりにしようと思った。


本当の全てを。

脚本を加筆修正

時刻は、22時55分。


小学校の周りには、応援のパトカーやら救急車やらでごった返している。



「救急車なんて呼ばなくても、手当てぐらい自分で出来るんだけどな。」


「そりゃそうだけど、ナイフで切ったんだし。それに呼んじゃったんだから仕方がないじゃない。」



救急車の側で左腕に巻かれた包帯を見ながら、静音と玲斗は苦笑する。



椎名と橘がパニックになったまましてしまった報告がマズかったのだろう。


静音が怪我をしたと勘違いし、慌てた要が救急車を要請してしまったのだ。


ただ、自分で手当て出来るとはいえしてもらった方が良いに決まっているから、暗に不要とはいえない。



「鏡鵺、どうなるの?やっぱりこれのせいで罪重くなる?」



これ、とはもちろん左腕の包帯……ナイフで切りつけたことだ。



「刑を決めるのは私達じゃないけど多分ね。玲斗がいなかったら私を殺す気満々だったし。」



だけど、本当の気持ちを見れた気がすると静音は思う。


何故なら、到着した仁科に連れられパトカーへと乗り込んだ鏡鵺が、こっちを見て笑ったから。



地獄が始まる前の、ヤンチャで明るい悪ガキの顔を見れたから。

「すまんな、色々。」


「いえ。橘から目を離した俺の責任ですし、千影鏡鵺が潜んでいたのにも誰一人気付きませんでしたし。椎名さんは何というか……まぁ、丸く収まったようで良かったです。」



篠宮と来栖は、鏡鵺が自分達の存在を知らないにも関わらず隙を付く形で静音への接近を許し、しかもお互いに、お互いの相棒を止められなかったと自らの注意力の無さに、これまたお互いに呆れた。



「千影鏡鵺を見失った件については、こちらできっちり処分を検討しますので。」


「……まあ、ほどほどに。」



この場にも来させてもらえなかった卍擽は、厄塒の相当な怒りを買ったようだ。


厄塒は落ち着いているように見えるが、顔が強張っていてまだ怒りが収まらないらしい。



篠宮は刺激しないように、来栖にいたっては会釈で返した。



「椎名さん、行かなくていいんですか?あれだけ啖呵切ったのに。」


「啖呵って喧嘩じゃないんだけど……いいよ、今は。」



遠目に見る静音と玲斗。


自分には決して割り込めない絆がそこにはある。



だけど、自分の言葉が、想いが、届いて嬉しかった。


告白よりも、とても意味のあることだから。

「ごめん。私さ、玲斗が犯人だと思ってた。同窓会で追っかけて来たし、診療所にも誘うし。岨聚が目覚めた後のこと、気にしてなかったみたいだったから。」



椎名に玲斗がもしかしたらと問われた時、我を忘れたのはこのせいだ。


静音ももしかしたらと、心の奥底で疑っていた。



疑っていたからこそ、晴らしたくて探っていたのだが。



「じゃ、プロポーズ断ったのも、僕が犯人だと思ってたから?」


「ううん、それは違う。母さんと、莉央にぃと深緒ねぇのことがあったから。気持ちはそっちにいってたし、今考えても玲斗はやっぱり友達。」



「そっか。」



友達と言い切る静音に、本当に無理なのだと悟った。



「柊!そろそろ。」


「分かりました。」



仁科が静音を呼ぶ。


後処理も終わったらしい。



「玲斗、さっき鏡鵺と3人で話したこと全部、また話してくれる?」


「分かった。」



盗聴機で筒抜けとはいえ、調書は取らなくてはならない。


面倒な杓子定規であるが致し方ない。



「静音。」


「うん?」



車に向かおうとして、何故か踵を返した玲斗。


不思議な顔の静音を軽く抱き締める。





















『                          』             :
             :
             :
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             :
             :
             :
             :
             :

「じゃ、また連絡ちょうだい。今度は本当の携帯番号で。」



耳元で囁いた後ニッコリ微笑むと、固まる静音をそのままに離れた。



「僕はこれで。明日伺います。」


「……ええ。お願いします。」



不自然なくらいのトーンで仁科は返答するし、突然のことに静音以外も驚きを隠せなかった。



「ただいま戻りましたー」


「おー、皆おかえり。ご苦労さん。」


「「おかえりなさーい。」」



元気よく帰ってきた橘と続くみなに、優しく都澄と幡牛と遁苺が出迎える。



「静音!大丈夫なのか?怪我は?見た感じ大丈夫そうだけど、何もされてない?」


「う、うん……大丈夫。」



ボディチェックをするように、静音の全身を触りまくり要は落ち着かない。



「見たら分かるじゃないっスか。心配症っスね。」


「これだけ萌えないボディタッチは珍しいわね。」



羮芻の言うことは最もだが、轢夲の着眼点はどこかずれている。



「報告きてからずっとあれなんスよー部屋中行ったり来たり。」


「すまんな。今は大目に見てやってくれ。」



現場に居なかった要の方が動揺しているらしい。


篠宮は代わりに謝っておく。

「ヤクシサン」


「課長に報告してきたからな。楽しみにしとけ。」



ビビるあまり片言になる卍擽へ追い打ちをかけるの如く、厄塒はニヤリと不気味に笑みを浮かべる。



「はーい、皆さん!恒例、幡牛さんからでーす!」



「待ってましたっ!」


「少しは自重しろ。」



遁苺の言葉に目を輝かせる橘は、呆れる来栖さえ気にしない。



「これ…蒸しパンっスか?」


「なんか段々凝ってません?」


差し出されたお盆の上にはカラフルな色の蒸しパンが並ぶ。



「作るの大変でしょう?」


「そんなこと無いわよー。混ぜて蒸すだけだから。」



バリエーションに驚く椎名だが、幡牛は作り慣れているのか簡単に言う。



「頂こうかな。」


「係長にはこれを。栄養満点のほうれん草です。」



夜食というには物足りないかもしれないが、胃に負担をかけない食材ばかり。



「このピンク貰いまーす!」


「私はこの黒々としたのにしようかしら。」



橘は苺を、轢夲は黒糖を。



「じゃ俺は小豆を貰おう。」


「僕はこのレーズンを。仁科君にも持って行ってくるよ。」



篠宮と要もそれぞれ手に取る。

「イエロー貰うっス。」


「俺、定番貰います。」



羮芻はバナナ、来栖はさつまいもを。



「私は白色にしよっと。」



「この朱色、美味そう。」


「オレンジも美味そうだぞ。」



遁苺はヨーグルトを、卍擽はニンジンを、厄塒はカボチャを。


仕事をしながら作ったとは思えない程、プロ級の見た目と味に皆舌鼓を打つ。



「……………………。」



皆がワイワイと話している声が遠い。


静音は心ここにあらずといった感じでボーと見ていた。



頭の中でループしている言葉。


さっき玲斗から言われた言葉。



「柊さんも食べなさいな。ほら、きなこ。食べてみて。」



静音の頬に微かに流れる涙に気付かないのか、幡牛は明るく勧めた。



「…ありがとうございます。」



頬張ると口に広がるきなこの優しい味。


ここに居る人達みたいだと思う。



手を伸ばせばそこにある幸せを掴む勇気と、自ら狭めた幅を広げ生きる覚悟。




玲斗の言葉に、もう一度だけ自分を信じよう。







『もう気持ち偽らないでいい。大丈夫、僕が保証するから。』






やるべき事と、やりたい事を決めた。

それから二週間後……


事件というか事故というか…、ここ4ヶ月に起きた一連の事が解決した岨聚の病室にて。



「岨聚、何か食べたいものある?」



「う~ん…ないわ。お水をくれる?」


「はい。」



雅と琅提は、この5日前に目覚めた岨聚の見舞いに来ていた。


精密検査の結果も良好で、岨聚は明後日退院だ。



ただ、事の顛末について岨聚は全て知っているのに何も言わなかった。



仁科と厄塒が来た時は覚えていない、そして今現在も一言も話題にしていない。



まるで、16年前の静音のように。



「岨聚!見舞いに来たよ。」


「……よっ!」



「玲斗!………と、鏡鵺。よく顔を見せれたものね。」



病室に顔を出した玲斗と鏡鵺に、嬉しい顔の後に呆れた顔をした。



あれだけ騒いでいた総帥があっさり被害届を取り下げたのは、目覚めた岨聚が総帥を言い含めたからとか。


そのおかげで鏡鵺は罪にも問われることなく、こうしていられるのだ。



「………静音…」



玲斗と鏡鵺の後ろから入って来た静音に岨聚は驚く。



顔を合わせるのは同窓会以来、岨聚が静音の名を最後に呼んだのはもっと前だ。

「岨聚…、雅、琅提、玲斗、鏡鵺。ごめん……色々と。」



静音は、5人の眼を真っ直ぐ見ながら言った。



「…何よそれ、自分だけが悪いみたいに。………私の方こそごめん。我が儘だってことは分かってたのに、引くに引けなくて、結局全部メチャクチャになって。静音、何も言わないから。エスカレートしてるのにも気付いてたのに、いつの間にかそれが当たり前になってたわ。」



お嬢様の立場に甘んじてやりたい放題してきた。


それでも周りに笑顔が溢れていたのは、岨聚が人を気遣えていたから。



だが、玲斗を純粋に想う気持ちが放棄させ、その結果がこれだ。



「あんなことしたって、思い通りにいくわけ無いわよね。」



チラリと玲斗を見る。



「許されないかもしれない。今更、虫の良い話かもしれない。でも、またあの頃の様になりたい。自分勝手なのは分かってるわ。けど、死にかけたんですもの。生まれ変わった気持ちでというのは、都合が良すぎるかしら。」



涙を浮かべながらも岨聚が強く口にしたのは、戻るという過去ではなく、なるという未来。



静音の言った色々にどれだけの意味が込められているか、痛い程よく分かったからだ。

「岨聚……」



今まで見たこともない……、いや出会った頃よりも優しく泣きそうな表情の岨聚に、静音以外の4人は言葉を失う。



「……都合が良すぎなのはお互い様じゃない?今更も…自分勝手も。」



岨聚だけじゃない…………


過去を後悔し未来を諦めたのは、きっと。



静音は、そうであって欲しいと希望を込めて言ってみた。



「し、静音………岨聚……」


「琅提………!泣か…ない、の!」



静音と岨聚の言葉と、楽しかった頃と同じ懐かしい雰囲気に緊張が解けたのか、琅提は泣き出してしまう。



「雅だって泣いてんじゃん…」


「う、うるさいっ!」



雅、そして指摘した鏡鵺の目にも涙が浮かんでいる。



「終わり良ければすべて良し。……というのは言い過ぎだけど、ここから始めようか。…皆で、さ。」



皆で―――――――――。



あの頃から望んでいたこと。


溢れ出す涙を懸命に拭いながら、玲斗は力強く言う。



「…うん、始めよ。」



静音も力強く応えた。



他の同級生達が岨聚の変化をどう思うかは分からないが、二度と偽りはしない。



この瞬間、地獄は終わったのだから。

「へ~、仲直り出来たんだ。良かったじゃん!」


「何とかね。琅提が大号泣で、泣き止ませるのに大変だったけど。」



蒸しパンを食べながら、静音は橘に病室での事を話していた。



因みにこの蒸しパンを作ったのは、幡牛ではなく静音。


あの時食べたのが美味しく、作り方を聞いて岨聚の退院祝いに持っていったぐらいのお気に入りになっている。



「同級生の方はどうだったの?」


「そっちも何とかなりました。」



「良かったですね。」


「まだぎこちないですけど、みんな気持ちは同じだったみたいで。」



岨聚の退院後、5人で同級生を一人一人訪ね謝罪した。



一度感じた恐怖はなかなか払拭出来ないようだが、同級生達も静音とは仲良くしたかったらしい。


話す同級生達の顔は明るかった。



幡牛と遁苺も、静音の顔色を見てもう大丈夫そうだと一安心した。



「良かったじゃない?脅迫でもストーカーでもなくて。まぁ、あの子、私の趣味じゃないけどね。」


「だから、轢夲さんの趣味は関係ないっスよ。」



轢夲曰く鏡鵺は好みではないらしいが、轢夲の趣味趣向上、むしろ選ばれなくて良かったと羮芻は本気で思う。

「あ、そうだ。卍擽先輩の処分ってどうなったんですか?来栖さん聞いてません?」


「なんで俺に聞く?仁科さんか厄塒さんにでも聞けばいいだろ。」



「え―、だって仁科さんは別の事件捜査中だし、厄塒さんには……わざわざ面倒くさい。」



興味がある割に行動するのは嫌らしい。



「減俸って聞いてるよ。係長が、向こうの課長に口聞いてくれたみたい。厄塒さんは納得してないみたいだけどね。」



卍擽の処分を寛大に済ませる代わりに、鏡鵺の罪は被害届も取り下げられたし穏便に。


椎名が又聞きした感じだと、そういうことらしい。



「係長も課長も甘過ぎる。……まぁ、鏡鵺のことに免じて今回は無かったことにします。」



「なんだその古めかしい言い方は。」


「確かに面白い言い方です。……甘いというのは同意見ですけど。タイミングが悪ければ静音が怪我をしていたかもしれないんだから。」



静音が許したから我慢出来ているものの、要の怒りは収まっていないようだ。


今回は自分よりも要の方…、3年前とは逆だと思いつつ、静音が中学を転校してもいいとアッサリ言った理由が判明してようやく納得出来たなと篠宮は笑うのだった。

「柊、話ってなにかな?」



静音は椎名を呼び出した。


柄にもなく緊張して。



「…………あの、すみませんでした。玲斗のことで怒鳴ってしまって………。」


「え、ああ………。いいよ、気にしてないよ。というか、僕も言い過ぎたからね。」



静音は玲斗を、椎名は静音を、お互いに心配し過ぎてしまったからに他ならない。


言いにくそうに何かと思ったらと、椎名は自分も悪かったから大丈夫だと優しく返す。



「いえ………。屋上で椎名さんが言ったこと、なんていうか、凄い心に刺さったというか…その通りだなって思って。自分を大切に出来てなかったのは、分かってましたから。」



自分の為と言いつつ、己の首を絞めてしまっていたのに、そこから逃げ出したのも自分からだった。



「あと、好きな人には生きていて欲しいっていうとこも。」


「あ、あれは……」



「私も、母にそう思ってましたし、シノさんや要さんにもそう思ってますから。」


「へ?ああ………」



そっちの意味ね。



好き、の意味が自分と違うんだけどな…。と椎名は複雑に思った。


一般的な好きとは、静音に対する椎名の感情のことなのだから。

「玲斗に言われたんです、もう偽らなくていいって。だから、今までしなかったことに全部、勇気出してみました。」


「そっか。仲直りも出来たんだよね。」



「はい。それと同窓会なんですけど、もう一回することになったんです。今度は中学校で。」


「そう!それは良かったね。」



全てに一段落した後、岨聚が言い出したのだ。



静音達3人だけが小学校へ行ったことが寂しかったらしい。


どうせなら中学校でと、許可も岨聚が取りつけた。



「みんなの………椎名さんのおかげです。ずっと心にしまいこんでいたことに決着が着きましたから。これからは、ちゃんと自分を大事にしていきます。」



目を見てハッキリと言った静音の顔は晴れやか。


親友である玲斗ほどではないだろうが、少しは自分も静音の役に立てることが出来たのだろうと椎名はホッとした。



「ついで……と言っては何なんですが、椎名さんに別件で謝りたいことがありまして。」


「え?なに?」



別件………ということは今回のことではないようだが、謝られるようなことは特に無かったはずだと椎名は不思議に思う。


今回の件も謝られるようなことでは無いのだが。

「莉央にぃと深緒ねぇといた時に、20代ぐらいのサラリーマンを誘った時があって。でもそのサラリーマン、私の誘いに乗らずに注意したんです。こんなことしちゃいけないって。でも私逃げちゃって。」


「……えっと…、話が見えないんだけど、そのサラリーマンと僕とが何か関係あるの?」



謝りたいと言いながら、いきなり夜鷹時代の話。


椎名には全く意味が分からない。



「やっぱり椎名さん覚えてないんですね。まぁ、私に告白するぐらいだから覚えてないとは思ってましたけど。」


「え?どういうこと?」



「そのサラリーマン、椎名さんなんですよ。」


「え?え、ええー!?」



衝撃の言葉に椎名はかなり驚くが、静音は椎名の反応が面白かったのかクスクスと笑いっぱなしだ。



13年前に出会ったサラリーマンに、まさか警察で会おうとは。


ただ椎名は覚えておらず告白までしてきたから、静音は二度も驚いた。



「驚き過ぎですよ。まぁ、深緒ねぇに化粧とかして貰ってたんで、私だと気付かなかったのは無理もないですけどね。」



未成年に見えないようにして貰っていたはずだが、椎名は未成年どころか小学生とまで言い当てた。

「で、でも僕が会社員だったのは何十年も前で……」


「覚えてますよ、それくらい。ペテン師夜鷹をなめないで下さい。」



誘った男の顔は覚えている。


罪の意識がそうさせたのか、名前も素性も分からないが、顔だけは今でも覚えている。



断ったにも関わらず覚えていたのは、よほど椎名の印象が強かったらしい。



「椎名さんを好きかどうかは分かりませんけど、椎名さんの言ったことも考え方も私は凄く心に響いたから。だから、好きになれるように努力してみます。今まで拒否してきちゃいましたけど、椎名さんのことちゃんと知りたいので。」



「柊……」



知りたいと思ったのは自分だけじゃなかったと、椎名は嬉しさが込み上げる。



が。



「だけど、織端玲斗は…?好き…だったんでしょ?せっかく仲直りしたのに。」


「なんで玲斗が出てくるんですか?」



「柊、織端玲斗のこと好きなんじゃ……」



不思議な顔の静音に、椎名は思っていたことを口にする。


静音と玲斗が両想いだからこそ、玲斗犯人説に過剰に反応したのだと思った。



過去のことや潜入のことも解決した今、もうプロポーズを断る理由は見当たらない。

「私、今まで人に恋愛感情を持ったことはありませんよ。玲斗にも言ったんですけど、母のこととか、ペテン師夜鷹のこととか、岨聚達のこととか。そんなことばかりに気持ちがいってたので、誰かを好きになるとか付き合うとかは……もちろん、人としての好きはたくさんいますけど。」



嘘はない。



誰かを恋愛対象として見れる心の余裕など、今までの静音にはなかった。



「でもあの時、織端玲斗は柊を抱き締めていたし…、柊はなんとなく嬉しそうだったし…」


「抱き締め……?あれは…、聞いてませんから理由は知りません。嬉しそうだったのは、さっきも言いましたけど玲斗にもう偽らなくていいと言われたことに対してだと思いますけど。…………てゆうか、私、嬉しそうだったんですか。」



抱き締めた理由について断ったし推測ではあるが、最後に一度だけというやつかもしれないと、静音は勝手に思っている。


あれから玲斗から何も言われていないのもあるが。



それに玲斗の言葉に驚きすぎて、自分のした表情など覚えていない。



「そう、なの……?」


「そうです。」



「そうなんだ。」



静音の言葉に、椎名は嬉しそうに頷いていた。

拍手喝采にて

「ねえねえ、柊。駅前に新しいお店が出来たらしいんだけど、今日行かない?」


「それ昨日も聞きました。」



椎名と話してからというもの、毎日毎日熱烈なお誘いを受ける静音は今日もバッサリと切り捨てたのだが…………。



「昨日とは別のお店。開店直後から満員御礼だって。」



「ミーハーですね、椎名さん。」


「柊と行くのだからね。やっぱりそれ相応のとこじゃないと。」



いいなー私も行きたいなー、なんて橘は呑気に言うが、毎日言われ続ける静音にとってはたまったものではない。



「なんなのあれ。前より酷くなってない?」


「よく分かりませんけど、酷くなってることは確かですね。」



椎名の勢いに押され、ついでに巻き込まれたくないので、幡牛と遁苺は小声で話す。



「あ、のっ!好きになる努力をするって言いましたけど、鬱陶しいし、毎日毎日重たいんですよ!過剰な表現は、シノさんと要さんだけで十分なんです!いい加減、気付いてください!」


「怒った柊も可愛いなぁー」


「あれは重症だな。」



我慢の限界がきた静音は声を荒げるが、にやけた椎名にはどこ吹く風。


呆れる仁科も目に入らないようだ。

「え……先輩聞き間違いですよね。今静音が鬱陶しいって…過剰って……僕の聞き間違いですよね!絶対そうですよね!」


「鬱陶しいは言ってないぞ。まぁ過剰は…な。」



自覚が全く無く泣きそうな要と、多少の自覚があるのか苦笑いの篠宮。



「というか、僕は椎名とのこと、認めたわけではないんですよ。静音だって迷惑そうだし、先輩なんとかしましょう。」


「お前に子供が出来てたら大変だっただろうな。まぁ、静音のことは俺も同じ意見だ。何か策を講じよう。」



「それが、過剰で鬱陶しいのでは……」



何やら作戦を立てようとする要と篠宮に、仁科はそれが静音に言われる原因なのではないかと思う。



「犬は主人にはなつくものよ。」


「主人……つか犬って……」



妙に納得している轢夲の趣味に引きずり込まれませんように、と羮芻は引きながら祈る。



「おっ、なんか楽しそうだな。」


「係長。親離れ出来てる子供と、子離れ出来て無い親と押しまくる恋人との三つ巴です。」



ニコニコと入ってきた都澄へ、的確に事情を説明する来栖はもう仕事に取りかかって蚊帳の外………いや、自ら出たといってもいいぐらいに我関せずだ。

「あーもー、分かりました、分かりましたよ!行けばいいんですよね、行けば。」


「ほんと!」



仕方がない、という雰囲気で叫ぶ静音にも椎名はニコニコと嬉しそう。



続く誘い攻撃に静音が折れ、椎名の根気勝ちのようだ。



「投げやりだな。」


「楽しそうだからいいんじゃないか。」



来栖には全く理解出来ないのだが、都澄はそれが一番だとでも言いたそうだ。



人生経験の違いなのだろうか。



「さて、みんな楽しんでるところ悪いんだが、事件だ。」


「え。事件だったんですか。」



都澄は何事もないような様子に見えたのだが、どうやら事件らしく来栖はパソコンから顔をあげた。



「では係長、俺はこれで。資料ありがとうございました。」


「ああ。よろしく頼む。」



昨日解決した事件の裏取り資料を掲げ、受け取りに来た仁科は一課へと戻って行った。



「係長、それで事件の概要は?」


「この企業が恐喝を受けた。要、現場指揮を頼む。」


「分かりました。」



篠宮に聞かれ、都澄が見せた資料には大手企業の名前。


大きな事案になる前にと、みんな資料に目を通しながら気持ちを切り替える。

「制服と人事資料を揃えるわよ。」


「了解です。」



「企業なら防犯カメラあるわね。」


「取り寄せるっス。」



幡牛と遁苺は小道具を、轢夲と羮芻は怪しい人物のリストアップ用にと、それぞれ取りかかる。



「今度もヘマするなよ。」


「今度もって何ですか!いつもしてませんよー」



いつもだと言わんばかりの来栖に心外だと橘は抗議した。



「柊、設定どうしようか。」


「企業なら椎名さんに任せますよ。」



元会社員の椎名が適任だと、静音は意見を聞きながらプロフィールを組み立てる。


ただの同僚から良き相棒へと。


そして――――――――――。











善を偽らず、悪を偽っても、何にもなってはくれなかった。



それも良い事ばかりではなく、苦しい事だってあったが、己だけでもなかった。


避け続けたことに偶然が加わり、少しずつ己も周りも変わることが出来た。



しかし勇気と覚悟、そして誰かを想う気持ちは、今回のように優しいものばかりではない。


恐喝を受けるこの企業のように。



だから2係は、今日もまたどこかに潜入する。



偽りが、偽りを無くすと信じて。

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