「賢人も、行きましょう。良人の病室。」
お母さんと賢人が、一斉に私を見る。
「きっと良人は、賢人に会いたがってるわ。」
驚いた顔を、賢人はしていたけれど、決して嘘なんかじゃない。
いつも笑顔で賢人の事を話していた良人は、誰よりも賢人の事を大好きで、誰よりも賢人を頼っていた。
婚約者の私なんかよりも、強い絆で。
「そうね。賢人も来て頂戴。」
お母さんも、私の提案にのってくれた。
「……いいのかよ。目覚めたばっかなのに。」
「何言ってるの。家族でしょ。目が覚めた時居なくてどうするの?」
お母さんに促され、賢人はようやく重い足を、動かした。
「賢人……」
賢人と目が合う。
私はもう一度だけ、手を伸ばした。
でも賢人は私の前を、スーっと通り過ぎ、私の伸ばした手には気づかない。
伸ばした手は宙を浮き、さ迷ったけれど、諦めて私の足の脇に収まった。
賢人の背中を追いかけながら、もう一度病室へ入った。
ベッドに横たわっている良人は、苦しそうに呼吸をしている。
恐る恐る、良人に近づく賢人。
声を掛ける前に、賢人に気づいた良人は、ゆっくりと目を開けた。
「やあ、賢人……ようやく……会えたな。」
「良人。ごめん、すぐ来れなくて。」
「いい……んだ……。」
呼吸が苦しそうなのに、それでも賢人には、笑顔を見せる良人。
そこには、私もご両親も入れない。
二人の世界があった。
「はぁ……はぁ……」
目に見えて呼吸が苦しくなった良人の、側に私は寄り添った。
「良人。無理しないで。」
「今日は……ここ……まで……みたいだ……」
「また明日があるわ。」
私は良人の額を撫でた。
それを見たご両親は、私と良人の仲の良さを再発見したのか、とても和やかな雰囲気になっていた。
「後は、珠姫さんに任せた方が、いいみたいね。」
お母さんが嬉しそうに、お父さんに言う。
「そう、みたいだな。」
お父さんも、賢人に同意を求める。
ちらっと賢人を見ると、一瞬だけ、目が合った気がした。
「……うん。」
思わずズキッとなった胸に、手を押さえる事もできず、かと言って、良人を見る事もできず、私はただただ、布団の上だけを、ずっと見つめていた。
「じゃあ、珠姫さん。あと、お願いね。」
「は、はい!」
顔を上げた時、ご両親に挟まれて、無表情で去って行く賢人がいた。
「ぁっ……」
何か訴えたくて、声にならない声を出した。
それに気づいてくれたのか、賢人はすぐ振り返った。
「なに?」
「あ、あの……」
賢人は何かを察したのか、ご両親を先に返して、自分だけ戻って来てくれた。
「いいよ。連絡くれれば、家まで送るよ。」
「えっ……」
言いたい事は、山ほどあるのに。
聞きたい事も、山ほどあるのに。
良人の前では、何もできない。
「じゃあ、良人。珠姫も後で。」
「あっ、賢人!」
「ホント、遠慮なく連絡して。」
手を挙げて挨拶して、賢人は病室を出て行った。
呆然としながら、その様子を見ていた私を、良人が見逃すはずがなかった。
「珠姫。」
「なに?良人。」
人工呼吸器を着けている良人に、顔を近づけた。
「……賢人、珠姫の事……呼び捨てに……してた……」
「ああ……」
咄嗟に、目が覚めたばかりの良人に、心配をかけてはダメだと思った。
「いつの間にかね。良人の真似、したのかしら。」
「あいつ……らしい……」
うっすら笑みを浮かべた良人を見て、私は安心した。
「珠姫も……」
「ん?」
「……賢人って……呼んでいた……」
一瞬、呼吸を忘れてしまったかと思った。
「……変?」
何か言わなければいけないと思って、口から出た言葉は、そんなモノだった。
「……変……では……ない……けど……」
苦しそうに、返事をする良人。
嘘なんて、つきたくない。
「あのね、良人。」
私は床に膝をついて、良人の手を握った。
「賢人は、私が目を覚ましてから、ずっと私の面倒を見てくれたの。」
「珠姫……の……面倒……を?」
「うん。さっき言ってたでしょう?迎えに必要だったら、連絡してって。リハビリの帰りとか、病院から自宅まで送って貰っていたの。」
「そう……だったん……だ……」
嘘はつきたくない。
でも、嘘をつかなければいけない時がある。
「たぶん。私が良人の大事な人だから。賢人も私を、大事にしてくれたんだと思う。未来の……姉弟になるかもしれないじゃない?」
良人は、笑顔を浮かべていた。
「そんな風に、賢人を接している中で、もしかしたら、お互い姉弟みたいな、気持ちになったのかな。」
「そう……か……だったら……いいなぁ……」
私の手を、握り返した良人。
私を信じている良人。
その腕に光る、誕生日の時に贈った、ペアの腕時計。
何年も前になるのに、未だにつけていてくれる。
「良人。私、事故で腕時計、失くしてしまったかも。」
「また……買えば……いいよ……。」
「うん。」
良人は、賢人と同じように、優しい。
だったら、私はなぜ、良人を好きになったんだろう。
良人のどこに、惹かれたんだろう。
先に賢人に出会っていたら?
私は、賢人を選んでいた?
でも、情けない事に、私はその答えが出ない。
記憶を失っていた間、私はもう一つの恋愛をしていたとしか、理由は片付かない。
「良人。また、明日来るね。」
「ああ……待ってるよ。」
私は良人の手を、そっと離した。
結局、賢人には連絡はせず、一人タクシーで帰って来た。
賢人は、先に帰っているはず。
先にご飯を作って、食べているかな。
そんな事を思いながら、玄関を開けた。
「ただいま。賢人?いるの?」
明かりがついていないリビングに、私は不審に思った。
「賢人?」
リビングに電気をつけると、まるで人気がないようだった。
おかしい。
物は無くなっていないのに、何故か胸騒ぎがした。
「賢人、賢人!」
急いで部屋に行くと、賢人の荷物が無くなっていた。
クローゼットを開けても、賢人の服がない。
「賢人……」
私はその場に、座り込んだ。
『迎えにくるから、連絡して。』
そう言ってたのに、荷物を運んでいなくなるなんて、どういう事?
私はいつの間にか、賢人に電話をしていた。
『珠姫?』
「賢人!賢人の荷物がないの!ねえ、どうして!?」
『ごめん……もう、現実に戻らなきゃ。』
それだけを言い残して、賢人の電話は切れた。
それから1か月後。
私は、良人に付き添い、リハビリを手伝った。
今では人工呼吸器も取れ、車イスで移動できるようになった。
「もどかしいよ。どこに行くにも、車椅子。」
良人は小さく、ため息をついた。
「私、その気持ち分かるわ。松葉杖を着いていた時は、本当にイライラしていたもの。」
自分の足なら、意識しないのに。
松葉杖だからこそ、余計どこに杖を着くか、滑らないかとか、変な気を使っていた。
「俺、歩けるようになるのかな。」
「なるわよ。私が歩けるようになったのよ?」
車椅子を押しながら、私は逐一、良人を励ましていた。
「珠姫。結婚はいつにする?」
「結婚?」
急に出た単語に、無意識に吹いてしまった。
「そんなに、急がなくてもいいんじゃない?」
「うん、でも……」
良人は私の手に、自分の手を重ねた。
「早くしないと、珠姫が遠くに行きそうな気がして。」
どうして、良人がそんな事言ったのか、分からない。
分からないのに、私は真意をつかれた気がして、ドキドキしていた。
「そんな事……ない……」
「本当?」
「本当。だって、車椅子のまま結婚式するの?」
何気ない質問に、良人は上を向いて、考え中。
「それはそうだ。最低でも、車椅子から降りなきゃな。」
「そうだよ、良人。」
私がリハビリ室に通って、歩けるようになったのと同じように、良人もリハビリ室に通っている。
「こんにちは。津田さん。」
「こんにちは。今日もお願いします。」
「はい、こちらこそ。」
リハビリの先生は、私と同じ先生だ。
「市田さんも、元気になられましたね。」
「先生の、お陰です。」
知ってる人が先生であるのは、ある意味安心する。
「先生、珠姫はどのくらいで、歩けるようになったんですか?」
良人は、リハビリをしながら先生に質問した。