「ようこそおいでになりました。
お待ち申し上げておりましたよ。
ソリス・レアード様。
アリシア・ノベルズ様ですね。」
城下町に入る大きな城門には左右に1人づつ、槍を携えた門兵が立ち、それよりも身なりのいい男がロール紙を伸ばして中の名前を確認している。
「は……。」
いぶかしげな顔をしたソリスが自分のフルネームを読み上げる男を一瞥(いちべつ)する。今通ったばかりの自分たちの名前を呼ぶ男。
(なんだ?)
全身を包む奇妙な気配に腰のロングソードに手を掛ける。
振り返ろうとするソリスに男が手を差し出し、城下町へと身を促した。
2人を乗せた馬車は城の跳ね橋を通り抜け、侍女の案内で大きな扉の衣装部屋へと通される。
「いつ見ても圧巻。」
バーンっとアリシアが観音開きの大きな扉を開けると、中は見渡す限りのドレス畑。
色別に分けられたカラフルな部屋は、普段充分にオシャレを楽しめない10代後半の彼女たちの心をしっかりと鷲掴む。
「凄っ。」
一瞬気後れしたソリスを他所に、鏡の前ではアリシアのファッションショーが始まっている。
濃紺に銀のグリッターを散りばめたシックなドレス。
榛色の髪に映える薄いピンクの花をあしらったドレス。
シルバーの大きなリボンを胸元に当てたフェミニンなドレス。
「その、濃紺のドレス……。」
なにかがソリスの中で引っかかっている。
解消できない突っかかりに、動きの止まったソリスの腕をアリシアが引いた。
「やっぱりこのドレスがいいわよね。
ソリスはあの辺りじゃない?
3番目のドレス。気にいると思うわよ。」
「って、なんでこんな所でご飯食べてるわけ?」
所狭しと料理の並ぶテーブルの1つに陣取って、2人はディナーに舌鼓。
中央では、楽団の生演奏に多くの男女がダンスを楽しんでいる。
アリシアが何枚目かのローストビーフを口に運んだところで、大きなざわめきが起きた。
「なんと美しい。」
「まるで精霊のようだ……。」
口々に褒める声に人垣が割れて、1人の女性が歩いてくる。
「うっわ。美人。」
ソリスの言葉に、アリシアは女性を見ようともせず、むしろソリスの陰に入る。
おそらくソリスより少し年下だろうと思われるその女性は、見事な金の髪に大きな青い宝石のついたペンダントをかけ、ペールブルーのドレスがよく似合っている。
にこり。
(笑っ……た。)
ペールブルーのドレスの姫は、ソリスとアリシアに向けて微笑み、ダンスフロアへ入って行った。
「あれ? アリシアは……王子にアピールしに……行かないの?
こんな……玉の輿チャンス、そうそうないわ……よ。」
自分のセリフに違和感を覚えるのか、ソリスの顔は不可解に溢れている。
(知ってる。この次に来る言葉は……。)
『しつこい。』
重なったソリスのセリフに、アリシアの顔がにこぉっと微笑んだ。
「わかった?」
頭上に鳴り響く鐘の音。
「プリンセスっ!」
中央のダンスフロアでは、急に走り出したペールブルーのドレスの姫を追って、王子がテラスへ飛び出して行った。
「12時の鐘が鳴り終わるわ。」
無感情なアリシアの声。
「何。これ?
どうなってるの?」
「後でね。」
「ようこそおいでになりました。
お待ち申し上げておりましたよ。
ソリス・レアード様。
アリシア・ノベルズ様ですね。」
城下町に入る大きな城門には左右に1人づつ、槍を携えた門兵が立ち、それよりも身なりのいい男がロール紙を伸ばして中の名前を確認している。
「はっっ!」
午後の日差しは柔らかく、そろそろ夕方と言ってもいい時間帯。
(さっきまでは、夜だった……。)
ソリスの手がロングソードの柄に伸びる。
「ソリスっ。」
鋭いアリシアの声が飛んだ。
「だぁいじょぶだってっ。
行くわよ。」
先を急ぐ馬車の中、向い合わせに座る2人は低い声で言葉を交わす。
「いつから気付いてた?」
ソリスが睨みつけるようにアリシアに問う。
「顔怖ぁ。
あたしはこれで8回目。
でも、もっと前があると思うわ。」
「はっ。8回目ぇ?」
思わずトーンの上がる口元をソリスが手で押さえる。
「なんであたしに言わなかったのよ?」
「だってぇ、ご飯は美味しいし。まだまだ着たいドレスがあったんだもん。
さっき見つけた大きなリボンの付いたシルバーのドレス、可愛いかったでしょ?
ピンクのドレスも結構前から気になってるんだけど、なんかもうひと押し足りないのよねー。」
頭を抱えるソリスの事など眼中になく、明らかに現状を楽しんでいる。
「それにしても。
ソリスってば、いっつもあの黒のドレスなのよね。
いい加減見飽きたって言うか。」
クスッと笑うアリシアに、ソリスがイラッとした目を向ける。
「あたしにしてみたら全て1回目だったんだから、毎回同じ服を選ぶのも変なことじゃないでしょう?」
「シックっていうか、基本地味なのよ。」
「腹立つわねぇっ。
無駄に着飾ってればいいってもんじゃないでしょっ?」
「無駄ってなによ。こんなにでっかいダイヤにはそうそうお目にかからないわよ!
しっかりポケットに忍ばせたはずなのに、時間が戻ると無くなってるし。
アクセもコーデのひとつだわ。」
利き手を振り上げるアリシアに、ソリスも狭い車内でロングソードの柄に手を掛ける。
「お、お嬢様方。
着きましてございます。」
いつの間にか、動きの止まった馬車の扉からは御者がおずおずと声をかけてきた。
見上げるほど大きな城は、いくつもの塔を持ち権力を誇示する力強さの中にも、優雅な気品を漂わせる。
ライトアップされた大きな黄金の鐘楼。
美しい曲線を描いて伸びる白い外階段。
「あの鐘楼、12時の鐘よね?
とりあえず吹き飛ばしてみない?」
ソリスの軽い提案にアリシアも鐘楼を見上げる。
「イヤよ。
まだシルバーのドレス着てないもん。」
「で、なんで増えてんのよ。」
悩み顔のアリシアの前に並ぶドレスは計8点。先程より増えている。
「最後だし。悔いなく着ておきたいじゃない。」
「そんなことより、何が原因だと思う?」
ソリスはカラフルなカクテルドレスを何点か取り出しながら続ける。
「鐘楼の音が時間を戻してるのかな?」
「さあね。
あたしが気付いたのは、客の1人が叫んでたのを聞いたのよ。
ここはおかしいって……。
その後からその男の顔、見てないのよね。
しかも、あのペールブルーのドレスの女。
あたしがこの現象に気付いている事に、気付いてるわよ。」
さらりと流したアリシアの一言に、ソリスの手が止まる。
「鐘が鳴ると逃げるあの女?
そう言えば、アリシア隠れてたわね。
……。この廊下で待ち伏せて、話しを聞いてみるか。」
「そろそろね。」
パーティーも半ばを過ぎ、廊下の壁に寄りかかってペールブルーのドレスの女を待つ2人の前を、すでに何人かの花嫁候補が通っている。
唐突に、パーティーホールに歓声が上がった。
「なんと美しい。」
「まるで精霊のようだ……。」
その声に、アリシアとソリスは顔を見合わせた。
「やられた。」
アリシアが大きく髪をかきあげる。
「やってくれるじゃないっ。
あの女、一枚噛んでると見て間違いないわね。」
パーティーホールへ急ぐ2人の前に、数人の衛兵が立ち塞がる。
「お嬢様方、ホールでの帯刀は必要ないかと存じます。」
チラリとアリシアの視線がソリスに向く。
「だってさ。片してきなさいよ。」
「簡単に言ってくれるわね。
あたしはこれが商売道具なのよ。」
ブラッドオレンジのグラデーションドレスを揺らし、ソリスは鞘に収めたロングソードを引き寄せる。
不意に、12時を知らせる鐘が鳴り始めた。
「っ! 早い。」
頭上を見上げたソリスとは対照的に、ホールの奥を見据えるアリシアは小さく舌打ちをする。
「あの女ぁっ! 巻いたわねっ。
ソリス。強行突破するわよ。」
スッとアリシアが利き手を振り上げた。
ーーシルフよ唸れ。
その身の叫びを蜿《うねり》に変えよっ。ーー
「爆風陣《ブラスト・サークル》っ!」
「ぐわっっ!」
アリシアの放つ力ある言葉が突風を起こし、巻き込んだ衛兵を壁に叩きつけたっ!
「相変わらずエゲツないわねー。」
ソリスの冷めた視線に、アリシアのサンゴ色のふっくらとした唇が悪魔の微笑みを浮かべる。
「あたしの行く手に立ってる方が、悪いのよっ。」
アリシアは大きく髪をかきあげると、落下して唸っている衛兵達には目もくれずに悠然とホールへ入って行く。
「プリンセスっ!」
王子の後ろ姿がテラスへ飛び出して行った。
何事かとざわめく人の波に、追いかけても間に合わないのは明白で。
「飛翔空《ウィング・エア》っ。」
ソリスの肩に手を置いた、アリシアの呪文に螺旋《らせん》の風をその身に纏《まと》う。
「きゃぁぁっ。」
近場にいた数人をなぎ倒し、テーブルクロスを巻き上げたっ!
(やりたい放題だな。)
あえて口には出さないが(仕返しが怖いので)、ソリスは散々たる状況にこそっとため息をつく。
重力から解放された2人の身体は、アリシアのコントロールで人々の頭上に舞い上がると、高い天井との間を猛スピードで駆け抜けていくっ!
「プリンセス……。」
テラスから続く白い螺旋階段のど真ん中。
街灯代わりの魔法の光が煌《きら》めきを残す。
「邪魔よっっ!」
ガラスの靴を片手に余韻に浸り、佇(たたず)む王子を弾き飛ばし、風の弾丸と化したアリシアとソリスが走り出した馬車の最後尾に手を掛け……っ!
「ようこそおいでになりました。
お待ち申し上げておりましたよ。
ソリス・レアード様。
アリシア・ノベルズ様ですね。」
城下町に入る大きな城門には左右に1人づつ、槍を携えた門兵が立ち、それよりも身なりのいい男がロール紙を伸ばして中の名前を確認している。
「くっっそっ!」
「時間切れ。
良かったじゃない、もう1回ドレスを着れるわよ。」
悪態を吐くアリシアを、門兵達は驚きを隠しきれない顔でチラチラと見ている。
彼等からしたら、門をくぐった途端に機嫌が悪くなった。というところか……。
「馬車を待たせてあります。」
うやうやしく礼をして職務を遂行しようとする男を、ソリスは手で制す。
「ちょっと用事があるの。
城へは後で伺うわ。」
町の中から2人に送られる視線に、はっきりと気が付いた。
通りを曲がり顔を出した老女の前に、長い髪を揺らした魔道士アリシアが空から舞い降りる。
その姿に慌てたように振り返る背後には、道を塞ぐように立ち塞がる剣士ソリス。
「あたし達に用事があったんじゃないの?」
「さっきは城で、あの子と話をしたのかい?」
樫の杖を持ち、深い青緑色のワンピースを着た品の良い老女は悲しそうに口を開いた。
老女の話では、あのペールブルーのドレスの姫は上位貴族の令嬢だったらしい。
しかし父の後妻とソリが合わず、父の死後は召使い状態。
老女は後見人だったが出入りを禁止されて、姫とも絶縁状態だった。
「でも、城で行われるパーティーはチャンスだと思ったんだよ。
あの子はとっても美人だし、心根も優しい。
そんなあの子が、現状に絶望し後妻とその連れ子を恨んでさえいた。
私は少し魔道をかじっていてね。あの子の力になれると思ったんだ。」
「でもお妃には選ばれなかった……。
恨みつらみが爆発して、魔力に増幅されたのかしらね。」
ソリスが静かに続ける言葉に、一瞬アリシアがまゆをひそめる。
「いや。
ちゃーんとお妃には選ばれたよ。
可愛い2人の天使(こども)にも恵まれて、城で幸せに暮らしているよ。」
『はぁ⁉︎』
ニコニコと微笑む老女に、2人の顔が引きつる。
「あの子ってばねぇ、私の事もちゃーんと結婚式に招待してくれたんだよぉ〜。
それはそれは綺麗な花嫁さんで……。」
「ちょっとまて、ばーさん。」
思い出話に花が咲きそうな老女にアリシアが待ったをかける。
「ちゃんと選ばれたって、じゃあこの現象は一体何なのよっ。」
「さぁねぇ。」
困ったように首を傾げる老女に、アリシアとソリスも言葉が続かない。
「と、りあえず、あのペールブルーのドレス女は本物じゃないって事よね?」
考えるように髪に手をやるソリスに、アリシアが言葉を続ける。
「鐘楼が鳴るのもコントロールしているみたいだしね。
いい加減解放してもらいましょうか。
次の狙いは鐘楼。その後は小娘よ。」
元々こらえ性もないが、出し抜かれたことが相当腹に据えかねたらしいアリシアの目が、珍しくやる気に輝いた。
「申し訳ございません。
お嬢様方のご入場を許可する訳にはまいりません。」
城の跳ね橋の前で衛兵達に止められる。
「意地悪ね。
さっきまでは頼んでもないのに入れてくれたのに。」
アリシアがにっこりと微笑む隣で、ソリスは剣に手を掛けた。
緊迫した空気に、水を差したのは他ならぬアリシア。
スッと手でソリス制すと肩をすくめる。
「いきましょう。
ここで粘る意味はないわ。」
「街での会話を聞かれていたのかもね。」
お堀の周りをゆっくり歩きながらアリシアは何かを探しているようなそぶりを見せる。
「あった。ここからなら鐘楼が見えるわ。」
深いお堀を挟んで見上げる壁の向こうには、鐘楼と、それを支える屋根が見えている。
大きく深呼吸すると、アリシアが胸の前で印を結ぶ。
「んふふふふふふっ。
あたしを本気で敵に回したこと、後悔するわよ。」
速くなく、遅くなく、呪《しゅ》を紡ぎ、指先まで丁寧に確認するように呪文を完成させていく。
「礫石陣(グラヴァル・サークル)!」
アリシアの掌から放たれた、小さな火花が城壁に這(は)う。
ヒビを入れるように縦横無尽(じゅうおうむじん)に走る火花は、簡単に城壁を瓦礫(がれき)に変える。
はずだった。
まるで何事もなかったかのように、城壁は外敵を拒むようにその姿を見せつける。
「あたしの魔法が、効かない。」
イラッとした空気を撒き散らして、アリシアがつぶやく。
「耐魔性(たいませい)とか言う問題でなく、これは完全に空間移動の原理が……。
うん。鐘、ループ、魔力……。」
何事かをつぶやき、思考の波にたゆたう。
「よし。」
何かしらの結論に至ったらしいアリシアは、手近に落ちていた石を拾うとそびえる壁に向かって投げつける。
ぽちゃん。
力なくカーブを描いた手の平ほどの石は、そのままお堀にダイブした。
「何がしたいのよ。」
ソリスの冷たいツッコミにアリシアはほんのり赤面した顔を向ける。
「うるさいわねっ。
ちょっとした実験よ。
魔法が壁の手前で消えるのは、壁自体に消去魔法がかけられているのか、
もしくは一帯の空間が歪められていて、発動した魔法自体を別のところに転送して吐き出しているのか。」
「前者なら、このあたしの礫石陣(グラヴァル・サークル)を防ぐなんて相当な力の持ち主よ。」
鼻息も荒く訴える。
「えっと、つまりは石が壁を越えるか、消えるかってことを確認したいわけね。」
ソリスは足元の手頃な石を拾うと、軽く手の上で弾ませた。
ヒュッ。
風を切る音を残して、ソリスの投げた石は悠々と壁を越えて行く。
「うん。物理的な問題はなし。」
(ま。いいけど。)
実験結果に満足したアリシアが腰に手を当て壁を見上げた。
「飛翔空《ウィング・エア》っ。」
ガッ。
ソリスの襟首を掴んだアリシアが空に舞い上がる。
「飛ぶ前にはせめて一言かけなさいよね。」
親猫に運ばれる仔猫のようにぶら下がったまま、ソリスがボソリと呟いた。
風に包まれたソリスは、風に乗るアリシアを中心にグルグルと壁に向かい振り回される。
「解放(リベレイション)。
行っけぇ!」
アリシアの力ある言葉に、魔力の外側に弾き出されたソリスは螺旋の風に包まれたまま、斜め45の角度で勢いよく壁の内側、鐘楼に向かい一直線に落下……と言うか墜落して行く。
「ふっざけんな、ゴラァ!
コト起こす前に一言断れえぇぇぇっ!」
空中で悠然(ゆうぜん)と見下ろすアリシアに向かい、ソリスの怒号が飛ぶ。
「んー。ドップラー効果。」
「殺おおおっす!」
壁のだいぶ上を通り過ぎ、ソリスの身体(からだ)は一直線に鐘楼(しょうろう)を目指す。
(いけるか?
っつうか、いくしかない!)
身体を捻り鐘楼に両足を向ける。
ゴオオオォォォンン……。
鐘楼を捉えたショートブーツの底が鐘を大きく揺さぶった。
「だあああぁぁぁっ。」
叫ぶソリスが両耳を押さえて揺れる鐘楼を蹴り上げる。
大きくのけ反る身体が空中で円を描いた。
「足痛ってぇ!」
鐘楼の真下のスペースに転がるように着地して身を伏せる。
足は痺れているが鐘楼の音に鼓膜が破裂しそうになる以外、外傷らしい物はない。
「アリシアァァァ!」
鐘の音にかき消されたソリスの声はアリシアには届かない。
そもそも見上げた空にはアリシアの姿がない。
「どこ行った。」
魔力を纏(まと)ったままじゃ壁を抜けられないのはわかっているはず。
キョロキョロと辺りを見回すソリスの目に階下にワラワラと集まり出す人影が映る。
「何者だっ。」
「侵入者だ確保。」
衛兵たちが鐘楼を目指して、塔の内部へと続く扉をくぐり始めた。
「思いっきり不審者じゃないのよ。」
ここに居たら問答無用で地下牢行きだ。
見回すと当然ここにも内部へと続く扉。
ソリスはひとまず扉を開けると下へと続く階段を降り始めた。
鐘楼の辺りから正面の渡し橋へと、お堀の水面ギリギリを猛スピードでアリシアが飛びぬけていく。
橋の下をくぐり抜けると、探るようにゆっくりと顔を覗かせた。
不格好に鳴り響く鐘楼の音に門番たちも、橋を渡る馬車も何事かと騒いでいる。
実際、警備に当たっていた数名は鐘楼に様子を見に行ったらしく警備は手薄。
素知らぬ顔で橋の上に降り立つアリシアには誰も気が付かない。
そのまま堂々と徒歩で城内に侵入したアリシアは衣裳部屋を目指して歩き出した。
ソリスの覗く階下は螺旋(らせん)状の階段が渦を巻いている。
このままここにいても逃げ道はない。
「んー。」
階段上なら1度に来ても1人か2人。
正直言って、衛兵の10や20物の数ではない。
(ないけど、ここから落下したら怪我じゃ済まないよね。
余計な怪我人や死人は出したくない。
顔を見られるのも避けたいしな。)
とりあえず階段を下りながら考えをまとめていく。
石造りの内壁は綺麗なベージュがグラデーションを描くように配置されていて、小さな明かり取りの窓だけでもそんなに寒々しい暗さを感じさせない。
「ん。
んんんっ!」
螺旋階段の途中に、おそらくは内部に入れるようの小ぶりの木戸と小さな踊り場が目に入った。
飛びつく木戸にノブ等はなくはなく、もちろん内側から施錠されている。
木戸の隙間を覗き込むと錆(さ)びた鉄板。
(この感じ。
鉄板に南京錠か。)
階段を上がってくる衛兵の足音を聞きながら、鞘(さや)に納めた剣の柄を握る。
息を整え、集中力を高めていく。
ゆっくりと肺を満たす空気が気合いとともに短く吐き出され、鞘を滑る勢いに乗って木戸のわずかな隙間に刃(やいば)を振るう。
カチャリ。
金属の触れる小さな音に、ソリスは抜刀(ばっとう)した剣を鞘に収めた。
ゆっくりと押す木戸は今度は何の抵抗もなく、ソリスを招き入れる。
人気のない殺伐とした廊下。
ベルト代わりに腰に巻いていた布を、両断された鉄板を繋ぎとめている南京錠とドアノブに通し、きつく結んで一応の時間稼ぎを図っておく。
(さてと。
うちの小娘はどこに行ったのかしら。)
もちろん、ソリスが鐘楼を鳴らした<事件>を利用しない手はないはず。
(やっぱり衣裳部屋か。)
ソリスは下に降りるための階段を探しに歩き出した。
木戸越しに聞こえていたバタバタと階段を駆け上ってくる足音も、すぐにソリスの耳には届かなくなっていた。
「あら、思ったより早かったわね。」
どうにかたどり着いた衣装部屋の中で、ソリスがググっとアリシアに詰め寄る。
「早かったじゃないわよ。
空中から投げ捨てておいて。
危うく死ぬところだわっ。」
「生きてるじゃない。」
さらりと流すアリシアは、目の前にずらりと並べたドレスを選別するのに忙しいらしい。
その数……。
「数えんのもめんどくさい。」
言っても応(こた)えないのはいつものこと。
諦(あきら)めの小さなため息とともに、ソリスも部屋を埋め尽くすドレスの森に足を踏み入れた。
「さぁてぇとぉぉぉ。」
愛らしいふわっふわのブルーのチュチュをそのままドレスにしたようなスカートを膨らませて、アリシアがグッと伸びをする。
その手に一輪の赤いバラ。
「どうしたのよ、その花。」
なんとなく目に留まり、ソリスが疑問を口にする。
「きれいでしょ?
衣裳部屋の近くの西側の庭園でもらって来たの。」
花弁が唇に触れる。
「んっふっふ。
そろそろ終結させるわよ。」
微笑んで黙って立っていれば、その容姿に似合うこれ以上なく可愛らしいいでたち。
今は沸々と内側の真っっ黒な怒りが顔に現れている。
「アリシア。
顔がヤバいわよ。」
剣の持ち込みは制限される。
ソリスの着る黒いファーをあしらったシックなドレスは、回転したときに綺麗に広がるようにフレアが沢山取ってあるサーキュラースカート。
その下には太ももにロングソードが鞘ごと括(くく)り付けられている。
瞳を閉じ、大きく息を吸ったアリシアがゆっくりと息を吐きだすと共に、瞳を開く。
花が咲きこぼれるような柔らかく可憐な微笑みが咲き誇った。
(男って、こういうのにコロッと騙されるのよね。
アリシアもちゃんとツボを押さえてるんだけど。
女って怖っ。
あたしも女だけど。)
ホールにつながる廊下からは、明るい夢を見せてくれる舞台の入り口が輝きを放って見える。
「大体、あたしたちにケンカを売ろうなんて身の程知らずもいいところだわ。
死ぬほど後悔させてやる。」
紡(つむ)ぐ言葉とは裏腹な、優しい微笑みがアリシアのふっくらと柔らかそうな唇に乗った。
「お聞きになりました?
西側の庭園で植木の燃えるボヤがありましたのよ。」
「まあ。
あそこは庭師も手の込んだ植木を育てていましたのに。
バラは無事でしたかしら。」
耳に入った会話に、ソリスの瞳がアリシアの持つ真紅のバラを見る。
「何してきたのよ。」
「ここはディナーを出してるのよ。
と言うことは食材を切って、火を通してる。
魔法で建物は破壊できなかったけど、植物は魔法の炎で燃えたの。
窓ガラスも魔法は防いだのに、石を投げたら割れたのよ。
何か一定の約束事があるみたい。」
アリシアの瞳が、強くダンスホールを睨(にら)みつける。
(確かに。鐘楼塔内部の扉の鍵も斬り落とせた。)
「昼間はあの立派な鐘楼を狙って賊(ぞく)が侵入したなんて騒ぎもございましたものね。
まだ逃げおおせているようですのよ。」
「賊ですってよ。
まあ、怖い。」
ニヤリと笑うアリシアの視線を、今度はソリスが睨みつけた。
テーブルに並べられた豪華な食事の数々に、上流階級風な奥様達のお上品な噂話。
アリシアとソリスの前をペールブルーのドレスの姫は、彼女をほめたたえる言葉とともにゆっくりと通り過ぎて行く。
ペンダントの宝石と同じ、その青い瞳がここからは抜けられない2人に満足するように微笑んで映った。
「んっふっふ。
正体不明の幻影退治(ファントム・バスター)。
やってやろうじゃない。」
アリシアは手に持った一輪の真っ赤なバラを、泡の煌(きら)めくシャンパングラスに差し入れた。
「プリンセスっ!」
ホール内に響き渡る12時を知らせる鐘楼の音に、またペールブルーのドレスの姫は外に通じる螺旋階段に向かい走り出す。
「飛翔空《ウィング・エア》っ。」
鐘の音を合図に、目の前でダンスを見学していたアリシアも辺りを巻き込む突風を巻き起こし一気に天井近くまで駆け上がった。
前回の様な遅れは取らない。
開け放たれたガラスの扉から後を追おうとした王子を弾き飛ばし、螺旋階段に沿うように飛んだかと思うと、そのまま姫を追い越しライトアップされた鐘楼を目指す。
そのアリシアの姿を見て、姫は途端にキョロキョロと辺りを見回しだした。
「探しているのは、あたしのことかしらね。」
階段も残り十数段。
馬車の陰から姿を出したソリスに、姫は不安な表情を見せる。
服装はシックなサーキュラースカートから、いつもの剣士姿に戻してある。
大体あんなひらひらした格好では剣もロクに振るえない。
「馬車なら動かないわよ。
毎晩毎晩、御者(ぎょしゃ)も強制過重労働でダウンだってさ。」
本当は先回りしたソリスがボディに一撃をたたみ込み、強制的にダウンさせた後で馬車の中に転がしてある。
鐘の音が9回目を数えた。
鐘が鳴り切れば、また振り出しからか。
アリシアの実験が成功するか。
猛スピードで宙を駆け抜けたアリシアは、鐘楼を目の前に臨む塔の上にふわりと降り立つ。
「烈火球(ファイアー・ボール)。」
掲(かか)げた両手の中で、空気を割いた炎が立ち上り球体を作りあげた。
闇夜に浮かぶ鐘楼に向かい、尾を引きながら一直線に突き進む。
着弾。
そして炎と熱風にさらされ、崩れる鐘楼。
「……が理想だったんだけどなぁ。」
ポツリとつぶやいたアリシアの目に映るのは、昼間の外壁と同じように無傷の鐘楼。
その鐘楼が10回目の時を刻む。
やはり建物は魔力の干渉を受け付けない。
「それなら、物理攻撃よっ!
爆風刃(ブラスト・ブレード)っ。」
再度、アリシアの力ある言葉が魔力を不可視の風の刃に変える。
鐘楼をライトアップする光に大鎌の様な鋭利な残像が映りこみ、すぐそばに大きく茂った大樹を2本なぎ倒していった。
年輪を重ねた太い幹が鋭利な断面をさらす。
崩れた幹は重なるように鐘楼を目指し、大きく枝を広げたまま抱きこむように鐘楼を支えるその塔飲み込んだ。
11回目の鐘が鳴り響く最中(さなか)、ガラガラと音を立て崩壊する塔の音に重なるように、鐘楼はむなしく大地に打ちつけられ、その音を止めた。
風の音も、瓦礫(がれき)の音も、消えた。
その一瞬の静寂(せいじゃく)。
「いやあああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
闇夜を裂く悲鳴は乙女の姿を悪魔に変えた。