本能的に、その声の主が『香織さん』だと至るのは容易だった。

心臓がバクバクして、頭には警笛が鳴り響く。

早くこの場から離れないとっ。

頭では解ってるのに、足が震えて動かない。

早くしないと香織さんが来ちゃうのに。

現実を見たくなかった。

颯ちゃんと婚約者のツーショットなんか、絶対見たくない!

こみ上げてくる感情とは裏腹に、身体が全く言うことをきいてくれない。


「行こう」


颯ちゃんの手が腰をまわされ、足早に出口へと先導してくれる。

歩幅のコンパスが違うから、私は小走りになってしまうけど、ここから抜け出せるならダッシュだって構わない。

一気に風のようにホテルのエントランスを潜り、玄関ホールへ出るとやっと足がとまった。

上がる息を整えながら、颯ちゃんを見上げる。


「ごめん。急いでたとはいえ無理をさせて」

「……い、いえ……」


肩で息をしながら、走って火照った身体を冷たい風が吹きつける。

外の冷たい空気が肺を流れ込み。

温まった身体も、内側と外側から一気に冷まされ、鼻を啜った。

日中は温かく、桜が咲き始めたとはいえ、3月下旬の夜はコートがなければまだ寒い。

急いで家を出てたから、コートを忘れてきちゃったし。

帰りもタクシーだろうと、あまり気温を考慮してなかった。

着ていたボレロも、ゆなちゃんに着せたままにしてしまったし……。

今の私は、半袖パフスリーブ。

ブルっと身震いをすると、颯ちゃんが私に羽織らせたスーツジャケットの前をかき合わせた。


「ホテル内は空調されてるからいいけど、外でそれでは風邪をひいてしまうよ」


色素の薄い茶色の綺麗な双眸と瞳が合って、息を飲んだ。

少したれ目気味な目尻は更に下がって、優しく私を映している。

ジャケットに残る颯ちゃんの香水の匂いに、胸の奥がトクントクンと音をたてる。


「送るから乗って」


颯ちゃんが歩き出すと、ちょうど颯ちゃんの車が移動してきて横付けさた。

車からのホテルスタッフが降りてくると、一礼。