「いらっしゃい。」
「お邪魔します…。」
1月も下旬になり、寒さも増してきた頃。
うちの玄関先で照れ臭そうに手土産を差し出しているのは宮。
「ありがと。あ、ケーキ。」
「おい、佐竹さんは?」
「結ね、風邪引いたって。」
「は!!?」
珍しく宮が大きな声を上げた。
「だから来れないって。」
「いや、え、今日泊まりって聞いてたけど…
まさか二人で泊まろうとしてるわけ?」
「そうだね。」
玄関先で靴も脱がずに硬直してる宮。
いつも何かと協力してくれる結だけど、
今回は本当の風邪だ。
私だって心配だし、2人きりなこととか
もはやちょっとどーでもいい。
「どーぞ。上がって。」
「なんでお前はそう冷静なんだよ。」
「じゃあガンガン警戒した方がいい?」
「はぁ…」
宮は小さくため息をつくと、もう一度
「お邪魔します。」
と言って、靴を脱いだ。
**
なぜこんな状況になっているかと言うと、
話は一週間前に遡る。
***
「円、ほんっとにごめん!」
帰宅早々、お父さんは涙ぐみながら私に頭を下げた。
「おかえりなさい、お父さん。
……何??」
「ホント、何度も何度も断ったんだけどな…。
今回だけって聞いてくれなくて…」
「だから何の話?」
「…今度の土日…出張になった…。」
「…そう。」
「そんなあっさり!
お父さんは円が心配で心配で!」
お父さんは私が倒れたあの日以来、
努めて家に早く帰ってくるようになった。
きっと会社にかなり無理を言ってくれたのだろう。
私の夜ご飯の時間には帰ってきて、
一緒にご飯を食べてくれる。
私はそんな毎日が本当に本当に嬉しかった。
だから久々の出張くらい…
「へーきだよ。」
「じゃあさ、結ちゃんとお泊まり会するとか…。」
「だから大丈夫だって。
今までも夜はずっと一人で起きてたし。
最近は浅くだけど眠れるし。」
「でも…」
これ以上はしつこいと思ったのか、
お父さんは何かを言いかけて飲み込んだ。
眉を下げて私から目をそらす。
なんで私のことなのに、お父さんの方が寂しそうなんだ。
まるで私がなくした感情の分まで寂しがってくれてるみたいだ。
なんか、心の底の方があったかくなる。
「…お父さんは、
誰かが来てくれた方が嬉しいの?」
「っ!もちろん!
嬉しいよ。お父さんも、円も。」
「そう…。」
ポケットからスマホを取り出し、SNSのトーク履歴を開く。
「宮…も、呼んでいい?」
「えっ…」
お父さんは私の質問を聞き、数秒硬直した。
「円は宮くんがいる方が嬉しいのか?」
「…うん。」
私の返事を聞くと、お父さんはにっこりと笑って言った。
「なら呼びなさい。
宮くんのことはお父さん、信頼してるから。」
「わかった。」
声の調子からも表情からも、感情をうまく表現できないけれど、私は喜んでいた。
初めての宮とのお泊まり会だ。
(まだなんの了承も得てないけど。)
いつもより長く宮と一緒にいられる。
学校でひっそりと別れを惜しむあの瞬間がない。
夜に宮が隣にいてくれたら…
「早速二人に連絡とってみる。
あ、せっかくだし平塚くんも誘ってみる。」
「ひ、"平塚くん"!?
それは誰だ!」
「え、宮の友達。
このあいだ一緒に出掛けたんだ。」
「っ…
え、円。あくまでも、健全なお泊まり会にするんだよ?
もちろん男女の寝室は分けて…」
お父さんの説教が始まったけれど、
私は右から左に聞き流していた。
3人に送るメッセージをあれこれ考えるのに夢中だったからだ。
そうしてメッセージを送ったのが一昨日、木曜日の話。
平塚くんは部活が2日間とも入っているという理由から、もともと誘いを断っていた。
結はもちろん即答でOK。
宮は最初は女2対男1という状況から断ろうとしていたけれど、
私と結のしつこい勧誘に渋々折れた。
そうして迎えた土曜日の今日…
***
「お茶…。はい。」
「あ、どうも…。」
私と宮の間には気まずい空気が流れている。
というか、宮が流している。
「宮が持ってきてくれたケーキも、食べよ。」
「3個買ってきちゃったんだけど…。」
「じゃあ今日の夜も食べよっか。」
「っ…」
「半分こしよ。あ、DVDでも見る?」
宮は小さくため息をつき、頭をぐしゃぐしゃにすると、真剣な顔で私に言った。
「今日は帰る。
いても夕飯まで。」
「えっ…」
予想外の発言に、私の口から自分でもわかるくらい悲しそうな声が出た。
「状況が状況だ。」
「どうして…」
「わかんだろ。」
宮は気まずそうに私から目をそらす。
どうして…いつも私から目をそらすの?
もしかして宮は私の気持ちに気づいているんだろうか。それで、迷惑で…
それとも、私と二人でいることが嫌になったんじゃ…。
「わ、私何かした…?」
「してねぇよ。」
「私、今日すごい楽しみで…
夜、宮と一緒にいられたら何か変わるかもって。」
「二人きりはダメだ。」
私の目頭が少し熱くなる。
こんなにしつこくするのは面倒なヤツだろうか。
でも…
「私、宮になら何されてもいいんだってば。」
「っ、だから…っ」
宮は私の顔を見て、怒鳴るのをやめた。
「うっ…宮…」
「ちょ、なに泣いて…」
「やだよ…っ、夜に一人はやだ。」
お父さんの前では張れていた虚勢も、
宮の前ではいとも簡単に崩れてしまう。
本当は嫌だった。
この家で、夜を一人で迎えることが。
私以外の誰かがいてほしい。
怖い。漠然と何かが怖い。
「円…」
「寝室も別でいい。
話してくれなくてもいい。
この家にいてよ…。」
「…」
「お願い…っ、
怖いの…。」
私が泣きながら頭を下げると、
宮は優しく肩を掴んで私を起こした。
「そんなに泣くな。…わかったよ。」
「ごめん…なさい。」
宮は私の涙を自分の袖で拭うと、
何かを考えるように遠くを見た。
「…円。」
「っ、何?」
宮は険しい顔で私を見ている。
「やっぱなんでもない。
ケーキ食お。DVDはアクション系がいい。」
「うん!」
私が涙を止めて、嬉しそうに頷くと、
宮の表情も綻んだ。
円の家に上がってから1時間ほどたった頃、
カチャン
という金属音で俺はその事実に気づいた。
音の原因は円がケーキを食べていたフォーク。
それが床に当たった音だった。
寝てる…。
ソファでアクション映画を二人並んで観ていたのに、円はいつの間にやら下を向いていた。
食べかけのケーキは机に置かれたまま。
俺はフォークをそっと拾った。
「円…?」
話しかけても起きる気配ゼロ。
花火大会や遊園地に一緒に行ったときも思ったけど、円は俺といると結構うるさい中でも平気で爆睡する。
今だって、近くのテレビから割と大きめの銃声と敵キャラの悲鳴が聞こえている。
よく寝れるよな…。
うるさいからこそ寝れるのかな。
次第に円の頭はゆらゆらと揺れ、
一定の角度になるとわずかに目を覚まし、
また眠り始める、という動作を繰り返し始めた。
さっき久々に泣いてたし、きっと疲れたんだろう。
円が目に見える感情を出すのは稀だ。
それだけで疲れるんだろうし、まずそこまで心を強く揺さぶられること自体が減ったんだろう。
そして、きっと円の感情に俺は深く関わっている。
それが嬉しくもあるし、時々どうすればいいかわからなくなる。
さっきも俺は…泣かれても帰ると言うべきだった。
それなのに…
「宮。」
「あ。」
睡眠と半覚醒を繰り返していた円が目を覚ました。
「眠いんだろ。
俺に寄りかかって寝るか?」
「いや…」
円は一度拒んだものの生理的欲求に負け、
俺の肩に頭を預けた。
「ちょっとだけ。
この映画終わるまで。」
「結構長いな(笑)」
「いい匂い。」
円は保健室や自習室にいるときのような穏やかな顔でそう言った。
前から言ってることなのに、俺は急に恥ずかしくなる。
「黙れ、変態。」
「ぬふふ…」
円は気持ち悪い笑い声を出すと、
そのまま眠りに入っていった。
俺は円と今夜二人きりになるべきじゃないと思っていた。
当然と言えば当然だ。
付き合ってもいない高校生男女がひとつ屋根の下。
円の父親に任された名目もあるし、普通に考えて誤解が生まれる状況だ。
それに今、俺の中で芽吹き始めた感情にきつく封をする必要がある。
俺は自分がそうしなければいけないことを自覚している。
なのに…
それなのに…
『夜に一人はやだ。』
『お願い…っ、怖いの…。』
まるで契約して初めて眠れたときのように、
静かに涙を落としている円が引っ掛かった。
"怖い"?
何が?
"眠れないこと"?
それはきっといつものことだ。
最近は良くなっているし。
じゃあ"家に夜一人でいること"?
今まできっと遅くなってでも父親が帰ってきていたからだろうか。
円でも珍しくお化けが怖いとか?
横で眠る円の顔をそっと覗く。
いつになく安らかな表情だ。
いくら考えても、円がなぜあんなに泣いていたのか結局分からずじまいだった。
でも俺の中には大きな違和感が残っていた。
円の不眠症を治すため、
添い寝を始めてから半年以上。
ケンカしたりして、時々悪化することはあっても、
概観では不眠症は改善してきている。
でも治らない。
友達との関係も良好、父親とも本心を話し合えて、
それでもまだ治らないのには何か重大な原因があるはずだ。
俺も円も気づいていない原因…。
それを明らかにしないと、きっと円の不眠症はいつまで経っても完治しない。
**
「ん~…」
数時間後、円は俺の肩から頭を起こした。
観ていたアクション映画はとっくに終わり、
動けない俺は二度目のラストシーンを見ているときだった。
「おはよ、円。」
「おはよ…」
「お前寝過ぎ。もう夕方だぞ。」
「えっ」
円は壁にかかった時計を見ると、慌てて立ち上がった。
「ご、ごめん。
起こしてくれてよかったのに…。」
「珍しく深く寝れてたしな。
別にいいよ。」
正直アクション映画のリピートはきつかったけど。
「ありがとう…。」
こんな風に円の笑顔が見れるなら…
って、そういう下らん気持ちは消そうと思ってんのに…!!
あーくそ!
「宮?なにイライラしてんの?」
「あっ、いや。腹減ったな、って。
我慢できなくてお前の残してたケーキも食っちゃった。」
「え…」
あ、そっぽ向いた。
顔には出してないけど、これちょっとムッとしてる。
ハハッ…可愛いな。
って、俺キモ!!
これも消去!
「ゴホンッ、飯何する?
買い出しでもいくか。」
「…うん。」
円は少し怒っているのを俺に気づかれないように、
普段通りの真顔で返事をした。
俺は円が怒っているのも自分の気持ちにも
気づかないふりをして立ち上がった。
円の作った飯は絶品だった。
さすが、毎日家事をこなしてるだけあるな。
まぁ照れ臭くてそんなこと言えないけど。
そして、一番の問題…
就寝の時間だ。
**
「おい、俺はどこで寝りゃ良いんだよ。」
「え、う~ん…」
円は顎に手を当てて、考えている様子。
「リビングのソファでも良い?」
そりゃ、円の父親のベッドで寝るのもなんかあれだしな。
「まぁ…。」
「私の部屋だと狭いから。」
「は?」
「いや、安心して。宮はソファだよ?
あたしが布団敷くから。」
「ちょ、ちょっと待て。お前何考えてる?」
「え」
円はキョトンとした顔で俺を見上げる。
「リビングでならそばで寝れるかなって。」
こ、こいつ…!!
寝ている間に脳内でどんな変換してんだ!!
つい数時間前に
『寝室も別でいい。』
って言ったばっかりじゃねぇか!
「あのなぁ…」
「昼間寝すぎてあまり眠くない。
でも宮が隣にいるなら寝れる。」
円は無表情で淡々と言い切った。
「円…」
窓の外はすっかり闇に包まれている。
その闇を見つめて、円は深くため息をついた。
「いやだなぁ。」
円は本当に嫌そうに目を伏せた。
俺はそれ以上何か言うのがなんだか申し訳なくなった。
「夜なんて…。」
円もそれ以上何も言わなかった。
「わかった。もう諦めるよ。
今日はな。きょ・う・は!!」
「??
うん。」
円は何もわかっていない様子のまま、
どっからか布団を持ってきてソファのとなりに敷いた。
「明日は7:00起きな。
目覚ましセットするから。」
「そんなに早起き?」
「いつももっと早く起きてんだろ。」
「せっかく宮と一緒なのに…。」
「いいから!!!」
俺は早くこっぱずかしい会話を切り上げたくて、
円の持ってきた布団に顔をうずめた。
あー、もう
いっそちょっと脅かしてやろうか。
「おやすみなさい、いい夢を見て。」
そう言って、弱々しく笑う円を見て、
そんな汚い目論みもすぐにやる気をなくす。
「はいはい、おやすみ。」
もういい。
寝よう。
こいつはただの友達だ。
気にしてる俺がバカなだけだ。
そう言い聞かせて、俺は強く目をつむった。
**
翌朝、
俺は円の絶叫で目を覚ますことになる。