「何してんだって聞いてんだけど。」

「は、離せ…!」


男は宮から逃げ出そうと必死に体をひねっているが、宮はその手を離さない。


「円ちゃん、大丈夫?」

今度は優しい声で後ろから平塚くんに声をかけられ、強張っていた肩の力がスッと抜ける。

「円っ!」

結も追い付いてきて、私に抱きついた。


「ごめんっ、私何もできなくて…」

「ううん。全然平気だよ。
私こそ振りほどけなくて…ごめん。
結は大丈夫だった?」

結は目に涙を溜めながら、コクリと頷いた。


「悪かったって。もういいだろ、離せよ。」

「……
おい、徹。」

「はいはい。」


平塚くんは立ち上がって、宮の側に行き、
男が落とした鞄の中身を漁り始めた。


「っ、な、何してんだよ!」

「あー、あった☆」


平塚くんは見つけた生徒手帳と本人を素早く写真に納めた。


「な!何を!」

「SNSに晒す。」

「は!?ふ、ふざけんな!」

「ふざけてんのはそっちだろ。
友達傷つけられて黙って見逃す男がどこにいんだよ。」

「だから悪かったって!頼むから!」

「なんで俺に謝ってんの。バカなの?」


男は私たちに向き直り、深々と頭を下げた。

「す、すみませんでした…。」


私たちは黙ってその姿を見ていた。





「どうする?円ちゃん、結ちゃん。
SNS晒すの許してあげる?」

平塚くんがニッコリと私たちに尋ねた。

「え、うん…まぁ。」
「別にいいよ。」

「だってさ。よかったな。」


宮は手を離し、男がホッと息をついたその瞬間

男の身体は1メートル後ろに倒れた。


何が起こったのか、一瞬私の行動も思考も停止する。

「み、宮くん!?」
「殴った!?」

「逃げるぞ。」


平塚くんは結の手を取り、先に走り出した。


「円、走れるか。」

「え…えと…」

「あー、もういい。」


宮は私を抱き上げ、「よいしょ」とお姫様だっこした。


「なっ、なっ!!み、宮!!」

お姫様だっこって…!!

「掴まれ。走る。」

「ま、待って!自分で走る!走るから!」


私の制止も聞かず、そのまま宮は走り出した。


は、恥ずかしい…!
重いって思われるかも。

でも…

私は宮の肩にぎゅっと掴まった。


私のためにあんなに怒ってくれて嬉しかったよ。
ありがとう。


しばらく走ると、二人が座って待っているベンチに私たちもたどり着いた。





「宮くん、円。」

私たちの顔を見て、安心したように結の顔が綻んだ。
それを見て、私も同様に顔の緊張がほどける。


「円ちゃん、怪我ない?」

「まぁ、うん。」

平塚くんの質問に対して、私は真顔で返答した。

わざわざセクハラされたなんてみんなに公表することもないよね…

こんな時に私の動かない表情が役に立つなんて…
皮肉だ。


その時、何となく見た宮が眉をひそめていて
思わずビクッとなった。

「良かった。じゃあ飲み物飲んで、ちょっと落ち着いたらまた遊ぼっか。」

「うん…」

「おい。」

宮が王様みたいに私を見下ろしながら、
ぶっきらぼうに呼びつけた。

「何…?」

「……っ、ちょっと来い!!」

宮は私の手を無理やり引っ張り、
結と平塚くんといたベンチから遠ざかっていく。


「宮…どうしたの?」

結たちから少し離れたところで立ち止まると、
宮は私の手を握ったまま言った。


「なんか我慢してるだろ。
遠慮でもしてんのか。」

「えっ…」

な、なんでバレて…

「あのヤローになんか嫌なことされたのか?」

「べ、別に…」

宮は私の曖昧な返事に舌打ちをすると、
私の頬を軽くつまみ上げた。

「いっ、痛い…っ」

「何下らねぇ小芝居してんだよ。
お前の腹の中なんて透け透けなんだよ。」

「さすが、腹黒が張り付いてるだけある。」

「うっせー。なんかあんならとっとと言え。」

「ははっ……」


私は自分でも違和感を感じるくらい不自然な愛想笑いをした。

そして張っていた気と表情が一気に緩み、
私はその場に膝をついてしまった。





「おいっ…」

「セクハラされた。」

「セ…!?」

動揺する宮を見て少し口許が緩む。

「わざわざ言って、さらに暗くするのもどうかと思った。だから言わなかった。
けど…それを隠すのに私の動かない表情が役立ってて、すごくみじめになった。そっちのダメージの方が大きいかな。」

「みじめ…って?」

「私はあのくそ男にされたことを隠すために不眠と戦ってるんじゃない。
なのに結果的に役立ってて悔しい。
私の不眠は、きっと私の中の何か大事なものを守るためのものなのに…。」


宮は黙ったまま私の話を聞いていた。

話し終わって、宮の目を覗くと
「今日はよくしゃべるな。」
と言って私の頭をポンポンと叩いた。

図らずも触れられた頭のてっぺんから熱が発生し下降していく。


「ごめん。私、遊園地楽しみにしてたから、空気悪くしたくなかったんだ。
結局気ぃ使わせたね。」

「いつもの添い寝に比べりゃチョロいっつの。」


宮は私に手を差しのべ、私はそれに掴まって立ち上がった。

「戻るか。」
「うん。」

私たちは結たちの視界に映るギリギリまで
つないだ手を離さなかった。


そんなことが今日一番嬉しくて、涙がにじむ。

宮に関するそんなちっぽけなちっぽけなことで、
私の強大な理性はしぼむのだ。





結たちのもとに戻り、しばらくゆっくりしてから私たちはまた立ち上がった。

せっかく来たんだし、遊園地を満喫し直すためだ。

なによりこの1週間の努力がむだになってしまう。


「円っ!」
「うん。」

私と結は目を合わせて合図をした。

そう。
今日の目的、宮が少しでも私にドキドキするように考えた
『宮ドキドキ作戦』
を決行するときが来たのだ。


***

作戦①
物理的接近

私たちが再始動して、まず並んだのがお化け屋敷。

手っ取り早く女子らしさをアピールできると思ったところだ。


「じゃあペアは~
せっかくだし仲良しな男女ね!」

順番が来る直前、突拍子もなく結がそう言い切り、
すぐに平塚くんと軽く腕を組んだ。

なんかあからさますぎない…?

宮を見上げると、特に何も不服がない顔をしていて、ひとまず安心する。

「ほんじゃ、レッツゴー!!」


先に結たちがお化け屋敷に入っていき、
私と宮は冷気が漏れる外に残された。

「み…宮、怖いの平気なの…?」

「まぁ。」

「…。(だろうな)」

「お前は?」

「別に平気。なんなら…」
会ってみたいくらい。

言おうとしてやめた。

「何だよ。」

「動揺する宮見てみたかったのに。」

「さっき十分したっての。」

「…。」


お化けより、私を心配することの方がよっぽど
宮の心を動かすのだろうか。

そんな期待を込めた想像をして、嬉しくなる。






「お次のお客様、どうぞ…」

怪しい黒マントを被ったお姉さんに促され、
私たちは暗幕をくぐった。

中は古びた鉱山のような真っ暗な洞穴と、
2人乗りのトロッコのようなもの。

「なんだ、歩くんじゃないんだね。」

「乗り物ならそこまで怖くねぇじゃん。」

「うん…。」


宮が地味に楽しそうにトロッコに乗り込む背後で、
私の頭の中はうまく宮と密着することで頭がいっぱいだった。

歩く形式なら
「怖いから」「暗くて足元が見えないから」
で、腕を組んで自然と密着できたけど、
乗り物形式は密着する理由が難しい。

さっき、実は怖がりっていう設定にしておけばよかった…。


「円?乗らねぇの?
もしかして怖い?」

ちゃ、チャンス…!
私は黙って宮の質問にうんうんと頷いた。

「珍しいな。」

宮はなぜか嬉しそうに笑いながら、私に手を差し出した。


こ、これなら…
自然に手を繋いだ…まま…


「…っ…あ、その…」

「円?」


ずっと…手をつないで…
数分間も?

私の体温は伝わらない?
脈とか。
私の気持ちも一緒に伝わってしまわない?

じゃあ途中で手を離したら…
意識してるって思われるかも。
可愛げもない。

どうしたら…


その時、真っ暗な洞穴の中から
「キャーー」
という悲鳴が聞こえ、私はぐるぐる回る思考から我に返った。


そして、勢いそのまま、
宮の差し出した手をつかまずトロッコに乗り込んだ。





行き場をなくした宮の手は寂しそうに引っ込められた。

「…あっ、う、動いたね、宮!」

「ああ…。」

宮の悲しそうとも怒ってるともとれる表情と声に体が固まった。

出てくるどんなお化けより怖い。

私…失敗した…??

ダメだ。
あんなにシミュレーションしたんだから、
ちょっとくらい作戦成功させたい…!

まだ諦めるな。
次ビックリしたついでに…!ついでに密着…!!


次にお化けが出てきた瞬間
私は「わっ」と驚いたふりをして宮の腕を掴んだ。

宮は私の反応にもお化けにも微動だにしない。


「あはは…い、今のはびっくり。」

「…。結局怖いの?」

「うん…。」


宮は私のぎこちない笑顔を見つめ、
腕をつかんでいた私の手をとった。

振り払われる…!?

そんな予感が頭をよぎった瞬間、
宮は私の手をぎゅっと握った。


「何してんの…。」

「怖いって言うから。」

宮は私の指の隙間に無理矢理自分の指を絡め入れ、
手と手の密着度を高めた。

「み、宮…」
「珍しい。動揺してる。」

宮はまた嬉しそうに私の顔を覗き込んだ。


違う。
今日は私が宮をドキドキさせる日…

私はただ握られていた手に力を込め、
宮の手を握り返した。

それでも宮は涼しい顔をしている。

それでも…
別にいい。


ちょうどよく大きい音と共に目の前にミイラが降ってきた。

驚く代わりに、宮の手を握る力を強め、
彼との距離を詰める。

宮も、黙ったまま私の手を自分の方に引き寄せた。


何これ。
何この感じ。

お化けなんて微塵も怖くない。

ふわふわ、ドキドキ…

宮に、呪い殺されてしまいそう。


私は始終違う意味でドキドキしたまま
お化け屋敷を出ることになる。

明るくなる直前、手を離す宮の顔を見上げることはできなかった。





って!!
宮にドキドキさせられてどうする!

これはあくまで『宮(を)ドキドキ(させる)作戦』
なのに。


興奮していた思考に気がつき、冷静になる。

あんまり考えすぎると疲れてしまう。
いつも通りの私でいなくちゃ。

と、ゆーことで。


***
作戦②
言語的攻撃

「円ってさ、本当にスタイルいいよね!」

「急に何?結。」

もちろん急ではない。
一週間で考えたシナリオだ。


お化け屋敷を出たあと、みんなで次の乗り物に並んでいる最中、私たちは次の作戦に出た。

一般高校生男子が興奮しそうな言語で宮を刺激し、本能を攻撃する作戦だ。
つまりはちょっと大人な会話で宮をつっついてドキドキさせてやれってこと。


「だってさ、細いのに付いてるところは付いてるっていうか…!」

「たしかに!円ちゃんの体型は男の理想だよ!」

早速"一般高校生男子その1"が食いついた。

目をそらしながらいやらしい笑顔を浮かべる平塚くんを見て、
攻撃方法が正しいことへの安心と
朝イチ絡まれた男に感じた不快感と似たものが心に浮かんだ。

いやいや。
平塚くんと今朝の男を重ねるのは失礼だ。

そう思い、後者の感情を胸の奥にしまい込んだ。






「宮くんは、実際巨乳派?貧乳派?」

「なんだよ、その質問。
てか貧乳派の方がどう考えても少ないだろ。」

「そうかなぁ?
じゃあスレンダー派?グラマラス派?」


結の無遠慮な連続攻撃に宮は一瞬女子二人から目をそらした。

なんか…可愛い…。


「そりゃ…理想はグラマラス。」

「へぇ~、そうなんだ!
やっぱり大部分はそうなのかね。
じゃあ円の体型は?どう?」


結にバシッと背中を叩かれ、急に恥ずかしくなる。

まるで告白の返事を待っているときみたいだ。


宮は一瞬私の表情を見ると、さっと目をそらした。

「宮?」

「朝にあんなことがあった後で、こんな話やめよーぜ。」

「あっ……」


結も予想外のド正論に次の言葉をなくす。

私もそれ以上聞くのは必死感が出そうでやめた。


*結果*

なかなかに身を削ったのに、
宮のド正論で場が凍る。